【2021】 悶絶未曾有の大事件  (翠 2006-11-29 01:01:08)


※ 何かが色々とおかしなSSです

【No:2000】→【No:2003】→【No:2004】→【No:2007】の続き


(マズイ!)
今日は、薔薇の館に集合の招集がかかっているのだ、と思い出したのは、
聖さまに、志摩子さんの様子がおかしいと相談したあとだった。
約束の時間に遅れるのは大人の女性――いや、人間としてどうかと思う。
そういう理由もあり、祐巳は走っていた。
……だからといって、スカートを翻しながら急ぐのは淑女としてはどうなのだろうか? 
という疑問もあるけれど。
でも、それはどこかへ投げ捨てた。今だけは、綺麗さっぱり忘れることにした。
なぜなら、こうやって急いでいる今も、お姉ちゃんは祐巳を心配しているだろうから。
……だけなら良いのだが、もしかすると、捜索隊を組まれるかもしれないから……。
それだけは、なんとしても避けなければならない。
新聞部にネタを提供するつもりはないし、皆の笑い者にされるのも御免だ。
祐巳は、挨拶をしてくる生徒たちに愛想よく、走りながら器用に手を振って、
見えてきた薔薇の館に一直線に駆け込み、入って左手にある階段を一段飛ばしで駆け上った。
かなり息苦しいが、ゴールはもうそこだ。
腕時計を見てみれば、約束の時間にはギリギリで間に合っている。
これなら、大丈夫そうだ。
扉の前でパパッと身だしなみを整え、呼吸を落ち着かせる。
ここまで走ってきたなんて、微塵も感じさせてはならない。
ゆっくりと扉を開いて、 「ごきげんよう」 と祐巳は部屋にいる皆に優雅に挨拶をした。
「ごきげんよう。心配したのよ」
祐巳の元気な姿を見て、お姉ちゃんが安堵の溜息を吐きながら言ってくるが、
ギリギリ間に合っているはずである。
ところで、お姉ちゃんが手に持っている、携帯電話は何なのだろうか? 
いや、聞かなくても分かる。危ないところだった。
お姉ちゃんは、間違いなく捜索隊を組もうとしていたのだろう。
学園のあちこちに潜んでいる、小笠原親衛隊を使って。

小笠原親衛隊、とは。
何それ? と思うかもしれない。正気か? と思うかもしれない。
でも、本当に存在しているのだ。人数は大したことはないのだが――けれど全員が精鋭なのだ。
彼女たちは、特殊な訓練を受けた者たちであり、
普段は、普通の学生として学園に溶け込んでいる。
けれど、祐巳やお姉ちゃんに何かがあった時に、彼女たちはその仮面を脱ぎ捨てる。
たとえば、学園の敷地内で迷子になった祐巳を捜索する時とか、
たまに色々と嫌になって、屋敷から飛び出していく祐巳を捕獲・保護する時とか。
(って、あれ? ひょっとして、全部私の為……?)

ちょっとした事実に打ちひしがれ、祐巳はヨロヨロとよろめいた。
思わず、近くにある壁に手をついてしまう。
すると、どこからともなく――。

くすっ

と、不可思議な声が聞こえてきた。
(え? 何?)
聞こえてきた声の方へと視線をやれば、お姉ちゃんの隣に、
頭の左右に見事な縦ロールを結わえている一人の少女が立っていた。
どうやら、お姉ちゃんに気を取られすぎていて、彼女のことを見落としていたらしい。
それにしても――。
(まるで、瞳子ちゃんみたいね)
「祐巳さん。間違いなく、瞳子ちゃんよ」
少し離れた所にいる由乃さんが、祐巳の表情から思考を読み取って、そう言ってくる。
確かに、どこからどう見ても、祐巳たちの親戚である松平瞳子ちゃんにしか見えなかった。
「だ、だよねぇ」
照れたように笑う祐巳を見て、瞳子ちゃんが益々声高々に笑い始めた。
「瞳子ちゃん」
笑う瞳子ちゃんを、お姉ちゃんが咎める。すると、彼女がようやく笑うのを止めた。
「だって祥子お姉さま。祐巳お姉さまったら、相変わらずおっかしいんだもの」
懲りない瞳子ちゃんを、もう一度咎める為にお姉ちゃんが口を開く。
「あのね、瞳子ちゃん。祐巳がおかしいのは、今に始まったことではないでしょう?」
「……」
会議室が、シンと嫌な静寂に包まれた。
『えっ?』 というような表情に変わる瞳子ちゃん
『あー、言っちゃった』 みたいな表情をしている由乃さん。
『しまった!』 と表情を青褪めさせるお姉ちゃん。
祐巳は、様々な感情が入り混じっている笑顔を浮かべた。
「ち、違うの祐巳! 今のは口が滑っただけなのよ」
おそらく、弁解の言葉だと思われることを口にするお姉ちゃん。
その弁解だと思われる言葉に、ポカーンと呆気に取られている瞳子ちゃん。
そんな二人を、呆れ顔で見ている由乃さん。
祐巳は、無言で部屋の隅の方へと移動した。
「た、確かに、そう思う時もあるけれど。で、でも、いつも思っているわけではないのよ」
「さ、祥子お姉さまっ! それでは尚悪いです!」
必死に弁解するお姉ちゃん。
そんなお姉ちゃんを、なんとか止めようとする瞳子ちゃん。
溜息を吐きながら、自分の額に手を当てる由乃さん。
祐巳は、部屋の隅で蹲った。
「で、でも、安心して。どんなにおかしくても、私は祐巳が好きだから――」
オロオロしながら、どんどんドツボに嵌まっていくお姉ちゃん。
「ですから、それはフォローになっていませんって!」
必死になって、お姉ちゃんを止めようとしている瞳子ちゃん。
色々と諦めて、机に倒れこむ由乃さん。
祐巳は、蹲ったままシクシクと泣き始めた。
「あぁ、もうっ。祥子お姉さまは、しばらく口を開かないで下さいっ」
お姉ちゃん向かってそう言ったあと、瞳子ちゃんが祐巳に近付いてきた。
「しっかりして下さい。祐巳お姉さまは、おかしくなんてありませんから」
ね? と祐巳の肩に手を置いてくる。
「慰めてくれてありがと。でもいいんだ。私は一生、床に 『の』 の字を書きながら暮らすから」
実際に、床に 『の』 の字を書きながら答える。
「どういう落ち込み方ですかっ」
やっぱり、おかしいのかもしれない……。



皆に慰められて、不死鳥のように復活を遂げた祐巳の前で、
お姉ちゃんが瞳子ちゃんの紹介をした。
「こちら、松平瞳子ちゃん。新入生よ」
「知っています」
間髪入れず由乃さんに言われて、苦笑いを浮かべるお姉ちゃん。
今ここにいるのは、祐巳とお姉ちゃん。それに、祐巳たちの幼馴染の由乃さんである。
皆、昔から瞳子ちゃんのことを知っているので、紹介の必要はないのだ。
けれど、祐巳には一つだけ分からないことがあった。だから、尋ねてみることにした。
「ねぇねぇ」
ちょんちょん、と瞳子ちゃんの肩を突付く。
「なんです?」
お姉ちゃんと話をしていた瞳子ちゃんが、祐巳へと振り向いた。
「今日はどうしたの?」
「見学に来たんです。有名な薔薇の館を、一度でもいいので見てみたいと思うのは、
 この学園の生徒なら当然のことですわ」
それで、ここに瞳子ちゃんがいるらしい。
「感想は?」
尋ねると、大きく両手を広げながら瞳子ちゃんが答えた。
「長く、重い歴史を感じる建物ですわ。木造という点も素晴らしいです。
 まるで、自然に包まれているようですもの」
両手を広げたまま、クルリと身体を回転させる。
その非常に芝居がかっている動作の途中で、祐巳は再度尋ねた。
「本音は?」
「よく、何時までも朽ち果てずに残っているわね――って!?」
失言に気付き、瞳子ちゃんの動きがピタリと止まった。
そんな瞳子ちゃんに、ずっとこちらを見て楽しそうに笑っていた由乃さんが言う。
「さすがは瞳子ちゃんね」
「どういう意味です?」
瞳子ちゃんが、身体の向きを変えて由乃さんを睨みつけた。
そんな視線を全く気にしないで、あっさりと言う由乃さん。
「扱い易い」
「なっ!」
気の強そうな眉を、ここぞとばかりに瞳子ちゃんが吊り上げた。
「私のどこが扱い易いん――」
そのセリフの途中で、祐巳が口を挟む。
「だよねぇ」
「……祐巳お姉さま。だよねぇってなんです? だよねぇって!」
今度は、祐巳を睨んでくる。
「ごめん、放っておくと何時までも続きそうだったから。それと、ずっと思ってたんだけど、
 学園では 『祐巳お姉さま』 じゃなくて、 『祐巳さま』 って呼んでね」
「ご自分は、祥子お姉さまのことを 『お姉ちゃん』 と呼ばれているようですが?」
「う、それは……」
非常に痛いところを突かれて、祐巳は怯んだ。
確かに、その通りなのだ。祐巳は、学園でもお姉ちゃんのことを、お姉ちゃんと呼ぶ。
『お姉さま』 と本来なら呼ぶべきなのだ。けれど、過去に一度だけそう呼んだら号泣された。
『お姉ちゃん』 と 『お姉さま』 では、親密度が格段に違うそうだ。
なんでも、呼ばれた時の破壊力がどうのとか……よく分からないが、それ以来呼んでいない。
「で、でもほら、お姉ちゃんは特殊だから」
「……そうですね。それなら仕方がありません。分かりました」
「何故、今ので納得したのか、その辺りを問い詰めてみたいわね」
お姉ちゃんが、コメカミをヒクつかせながら何事か呟いている。
地の底から響いてくるようなその声に、瞳子ちゃんの表情が固まった。
慌てながら、先程の自分の発言にフォローを入れる。
「ほ、ほら、祐巳お姉さまと祥子お姉さまは、誰もが羨む素敵な姉妹ですから」
「ふふっ、そうね。私と祐巳以上に素敵な姉妹なんて、この世に存在するはずがないわ」
途端に機嫌が良くなるお姉ちゃん。
それを見て、瞳子ちゃんが額の汗を拭うような仕草をしながら、大きく安堵の溜息を吐いた。
(な、なんて単純な……)
祐巳は、由乃さんと一緒になって呆れた。
あと、蓉子さまのことはどうでもいいんだろうか? と疑問に思ったのは内緒だ。
「ところで瞳子ちゃん。私のことも、祐巳と同じように、
 『祥子さま』 若しくは 『紅薔薇さま』 とお呼びなさい」
「えーっ? ずーっとそう呼んでいたのに、急に変えろって言われても瞳子困るぅ」
甘え声の瞳子ちゃん。
「勝手に困っていれば?」
横槍を入れる由乃さん。
「由乃さまは、少し黙っていてもらえます?」
二人の間で、バチバチと火花が飛び散る。
この二人、昔からだけど、あんまり仲が良くないのは、どちらも似たような性格からだろうか? 
このまま放っておいても良いのだが、それだと間違いなく祐巳に飛び火してくるので仲裁しておく。
「ケンカするなら外でやって、新聞部あたりが喜ぶと思うから」
「そんなに都合よく、この辺りに新聞部の部員の方がいるとは思えません」
「そうね。ついでだから、このあたりで長年の決着をつけておくのも悪くないわね」
再び睨み合いを始める二人。
(と、瞳子ちゃんの背後に巨大なドリルが見える!)
一方、由乃さんの背後には――。
(令さまの生霊……なーんて、実際に見えるわけではないけれど)
でも、本当に憑いていそうだなぁ、と思いながら、睨み合っている二人に向かって祐巳は言った。
「ケンカを止めたら、とっておきの紅茶を淹れてあげるんだけど」
同時に、弾かれたように祐巳へと振り向く二人。
「ケンカなんてしていませんよ」
「私たち、犬猿の仲っていうくらい仲良しだもの」
(いや、犬猿の仲って……そうなんだけど。でも、それじゃあ、やっぱり仲悪いんじゃない)
それはともかく、声を揃えて言ってきた二人に、どちらも扱いやすいなぁ、と祐巳は思った。



二人が素直にケンカをやめてくれたので、祐巳は自分で言った通り、特製の紅茶を淹れた。
「ところで、祐巳お姉――祐巳さま、紅茶を淹れられるようになったんですね」
香り豊な湯気を放つカップを、それぞれ前に置いていると瞳子ちゃんが尋ねてきた。
「うん、時間は掛かったけどね」
そうなのだ。血の滲むような猛練習の末、美味しい紅茶を淹れられるようになったのだ。
その為に、味見役兼実験台になってくれたお姉ちゃんに大感謝である。
「頂くわね」
そのお姉ちゃんが、カップを手に取りながら言ってきた。
「うん、どうぞ」
カップに口を付けるお姉ちゃん。
ドキドキしながら見ていると、一口飲んで、うっとりとした溜息を吐いたあと言った。
「美味しいわ」
「えへへ、ありがと」
少し褒められただけで舞い上がってしまうのは、褒めてくれたのが大好きなお姉ちゃんだから。
おそらく、他の人に褒められても、ここまで舞い上がったりはしないだろう。
なんだかんだ言っても、やっぱり祐巳はお姉ちゃんのことが大好きなのだ。
「では、頂きます」
「私も頂くわね」
瞳子ちゃんと由乃さんも、お姉ちゃんに倣ってカップに口を付けた。

で――まぁ、当然オチがあったわけで。

「祐巳さまのとっておきって……塩辛いんですね」
大きな瞳に、大粒の涙を浮かべながら瞳子ちゃんが言った。
その手に持たれているカップが、小刻みに震えているのは怒りからだろうか? 
それとも、なにかしらのヤバイ兆候なのだろうか? 
あと、ついでに、それでも飲み続けるのは、祐巳への愛情ゆえだろうか? 

「死んだ……私は死んだ……」
なにやら、ヤバ気なことを呟いているのは由乃さん。
机に、 『祐巳さん』 とマジックペンで書いているのは、
ダイイングメッセージのつもりだろうか? 

「ごめん。砂糖とお塩を入れ間違えたみたい……」
味見をしておくべきだった。それだけが悔やまれる。
茶葉の開き具合、温度等は文句のつけようもない程に完璧だったのだ。
ただ、ほんの少し間違えた。
本当に、ほんの少しの違いなのだ。
だって、ほら。
どっちも白いじゃないか。
ただ、お塩か砂糖かの違いなだけだ。
非常に惜しかった、と自分でも思う。
だから、許して欲しい。
「ホント、ごめんね」
祐巳が二人に謝っていると――。


「香りといい味といい、流石は祐巳ね。完璧だわ」
どうも味覚がおかしくなっているらしいお姉ちゃんが、そう呟いた。


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