【2033】 タイムトラベラー  (まつのめ 2006-12-04 20:58:05)


「言う?」
 由乃さまは乃梨子に同意を求めてきた。
 乃梨子たちはアリスに事情を説明するが……。 


【No:1912】→【No:1959】→【No:1980】→【No:1990】→【No:2013】→【これ】
(ご注意:これは『マリア様がみてる』と『ARIA』、『AQUA』のクロスです)
(ご注意2:これはクゥ〜さまのARIAクロスSSのパラレルワールド的な話に(多分※)なると思います)
(※どうやら、クゥ〜さまの話とは分離していく事になりそうです)





 日は高くのぼり、風に砕ける波頭がキラキラと輝いていた。
 アリスさんのお勧めの古着屋があるというその島は、ネオ・ベネツィア本島と違って自然が多く、石畳だけでなく所々土の地面もあった。
 そんな土の道を足早に進みながらアリスさんは言った。
「急ぎましょう。急がないと昼休み(シエスタ)で店が閉まってしまいます」
「店、閉まっちゃうんだ?」
「もともとマンホームのイタリアからの入植者が広めた習慣で、昔はネオ・ベネツィア本島でも昼休みになるとみんな店を閉めて休んだそうです。今はそういう店は少ないですが、こういう離れた島ではまだそんな習慣が残っているんです」
 何処かで聞いた事がある話だった。たしかスペインとかイタリアとか南欧の国にある昼寝の習慣だって。
「でも、閉まっても昼休みが終わったらまた開けるんでしょ?」
「待ってたら夕方になってしまいます。いつ再開するかは店員さん次第ですから」
「夕方まで? 随分のんびりしてるのね。商売になるのかしら?」
「ネオ・ベネツィアは良くも悪くもそういう所ですよ」
 そう言われて、ここに来て感じていた違和感の一つがそれだったと思い当たった。
 出会う人みんなから、それは指導が厳しかった晃さんでさえも、乃梨子はどこかゆったりした雰囲気を感じ取っていたのだ。


 その古着屋さんは、ちょっとした広場に面して立ち並んでいる建物達の一角にあった。
「地元の商店街と言ったところかしら?」
「そんなところです」
 由乃さまが言った言葉のイメージと乃梨子の目の前の景色はいささか食い違っている気がした。
 地元商店街というと乃梨子のイメージでは汚いアーケードの下に無秩序に並んだ小売店群が思い浮かぶのだけど、ここはそうではなく、単色のシンプルな外観の家が立ち並ぶ中に、それらの家とあまり変わりない小奇麗な構えの店が数件並んでいる、といった感じだった。
 それらの店の看板はどれも質素で過剰な自己主張は無く、この広場全体が調和しているような、そんな雰囲気だった。
「間に合ったようですね」
 店の前でそう呟いたアリスさんに付いて、中に一歩入ると、すっきりした外観に反して店内は結構ごちゃごちゃと衣類が吊るされていたり積み上げられていたりして雑然としていた。
 覚えのある衣類の匂いに、いかにも古着らしい防虫剤の匂いが混ざってる。
 アリスさんは奥に居た店のおばちゃんに軽く会釈したあと、ずんずんと店の奥へと進んで行った。
 由乃さまも全く遠慮なく一緒に行ってしまったので、乃梨子は慌ててその後を追った。
「この辺りが上着で、あっちの方にスカートとかパンツ類があります。靴下とかは……」
 店の案内を始めるアリスさんはどうやらこの店の常連らしかった。
「へえ、なかなかこれは……」
 由乃さまが感心していた。アリスさんの店の評価通りだ。
 まあ古着の良し悪しは、汚れ破けくたびれ具合もそうだけど、多分に見る人のセンスに寄るところが多いわけで、乃梨子の目で見てもここはちゃんと“良いもの”をセレクトして置いているという事がわかるお店だった。しかもアリスさんのお勧めだけあって若者向けの衣類も豊富のようだし。


「決まりましたか?」
「えっと、私はだいたい」
 シャツ類数点とスカート・ソックス他。これから秋なので上着も一着。当面はこんなものだろう。
「もうすこし買えますよ?」
「え?」
「大体、お札で丁度の値段よりちょっと多めに買うといいんです」
「どういうことですか?」
「端数はおまけしてもらえます」
「なるほど」
 この辺は地元民のアリスさんならではの情報だ。
 結局、アリスさんの提言で三人分まとめて値段交渉することになった。アリスさんも買うそうだ。
 そのおかげかどうか、その結果、値札の合計の半額近くまで値引きして貰えた。
 店を出てからアリスさんは言った。
「でっかい得しました」
 由乃さまがそれに対して言った。
「半額になるなんて、最初から高めの値札がついていたんじゃないの?」
「いえ、ここは観光客がよく来るようなお店ではないので、そんなにふっかけた値札は付いてませんよ」
「に、しても半額よ?」
 おかげで服だけで無くなることを覚悟していた給料がまだ半分残っていた。
 乃梨子は言った。
「まあ古着ですし、たくさん売れれば半額でも問題なしってことでは?」
 幾らマージンを高くしても売れなきゃ収入は無いわけだし。
「古着屋さんの事情はともかく、これだけの服をこの値段はでっかい安いです」
「そうなんだ?」
「冬物を買うときもこの手で行きましょう。今度はもっと仲間を増やして行きます」
 なんでもここで買い物する時はいつも一人なのでこんなにまとめて買ったことは無かったそうだ。


 戦利品の入った袋を抱え、水上バス乗り場に続く水路際の道を歩いて行った。
 ここは土の道で、対岸には木が茂っていて運河は自然の小川のようにも見えた。
 乃梨子はなんとなく言った。
「ここは良い場所ですね。落ち着く風景と言うか」
 誰に向かって話したというわけでもなかったけど、アリスさんが訊いてきた。
「ネオ・ベネツィア本島よりこっちの方が良いですか?」
「そうですね、あの石畳と橋と運河の街も面白いと思うけど、私はどっちかと言うと土の地面とか自然が多いほうが好みかな?」
「本島にもそういう公園はありますよ? 今度案内しますね」
「お願いするわ」
「あそこのじゃがバターがでっかい美味しいんです」
「じゃがバター?」
「はい。あつあつのほくほくです。露天で売ってて、ひそかに名物です」
 ああ、なんかお腹すいてきた。
 そういえば、もうそういう時間だった。
 由乃さまが言った。
「ねえ、じゃがバターは今度食べに行くとして、そろそろお昼にしない?」
「この辺に外食できる店は少ないんです。本島に戻りましょう」
「えー? じゃあ、あと三十分?」
「はい。迂闊でした。お弁当を作ってくれば良かった」
「作るって? 部屋で料理するの? 食事は全部食堂だと思ってた」
「いえ、部屋ではお茶を沸かすくらいです。これは裏技なんですけど、実は食堂でシェフに頼めばお弁当を作ってくれるんです」
「へえ。でも裏技?」
「はい。料理人さんと仲良くなっておく必要がありますから。でも厨房に行っていろいろ貰って来たり、料理人に冷やかされる覚悟があるなら自分で料理することも出来ます」
「わりと融通が利くんだ?」
「ええ、気さくでいい人たちです。ただ、全部任せてしまうと凄いのを作ってくれるので私は自分で詰めますけど」
「凄いって?」
「……初めて頼んだ時はランチボックス7個にフルコース入ってました」
「凄っ! それ、どうしたの? 食べた?」
「頼んだ手前、置いていくわけにもいきませんから。持っていきましたよ? 食べるのは藍華先輩と灯里先輩に協力してもらいました」
 お腹が空いてるからなのか、食べ物の話題で盛り上がってるアリスさんと由乃さまの話を聞きながら。
 乃梨子は前方に見えてきた水上バスの停留所に目をやった。
 水上バスの停留所は何処もそうだったけど、ここも屋根つきの待合所を水に浮べた構造になっている。
 その待合所の手前、岸と待合所を繋ぐ橋の上に歩く人影が見えた。
 いつしか乃梨子はその人影を見つめたまま立ち止まっていた。
「・……さん?」
「え、なに? 乃梨子ちゃん」
 乃梨子の手から服の入った袋が落ちた。
 そして一歩、また一歩と、乃梨子は歩き出した。
「志摩子さん」
「え? 志摩子さん?」
 由乃さまが見比べるように乃梨子と停留所を方向を交互に見ていた。
 人影は既に待合所に入ってしまってもう見えなかった。
「……志摩子さん!」
 乃梨子はそう叫ぶと同時に走り出した。
(アレはやっぱり志摩子さんだ!)
 停留所に水上バスが入ってきて停止したのが見える。
「ちょっと! 乃梨子ちゃん!」
 後ろで叫んでる由乃さまの声が聞こえる。
 でも乃梨子は振り向かずにただ走った。
 待合所の中で人影が動くのが見える。水上バスに乗り込んでいるのだ。
 距離はまだ遠い。
 やがて、水上バスはエンジン音を立ててゆっくりと停留所を離れていく。
(待って!)
 停留所の前まで来た時、水上バスは既に待合所から完全に離れていた。
 乃梨子は待合所には行かずに岸を走って水上バスを追った。
「志摩子さん!!」
 船体の後ろ、ちょうど最初に乃梨子が志摩子さんを見かけて身を乗り出したのと同じあたりに、黒くてセーラーカラーがアイボリーのワンピースの制服を着た、長い巻き毛の女の子、――やっぱり志摩子さんだ――、が立っていた。
 彼女はこちらを見つめていた。
「志摩子さん……?」
 でも、目が合ったのに彼女は乃梨子を不思議そうに見つめるだけだった。
 再会の喜びもない、まるで他人を見るような目だった。
「乃梨子ちゃん!」
 息を切らしながら由乃さまが乃梨子の所まで来たとき、水上バスは既に人を視認出来ないほど遠くへ行ってしまっていた。
「志摩子さん、居たの? ねえ!」
 膝を突いて正座するように座り込んだ乃梨子は俯いて首を横に振った。
「……居なかったの?」
 それにも首を横に振って答えた。
「どういうこと?」
「……判らない」
「判らないって?」
「確かにリリアンの制服を着てました。ちゃんと志摩子さんに見えました。でも私の顔を見ても判らなかったみたい」
「え?」
「私、おかしくなってるのかなあ。なんか違う人が志摩子さんに見えちゃうみたい」
 だって、志摩子さんが乃梨子のことを判らないなんてありえないから。
「そんな、乃梨子ちゃん……」
「由乃さまは一回も見てないんですよね?」
「乃梨子ちゃん呼び方……は、今は良いか。そうね。見てないわ」
 そういえば、呼び方変えるんだっけ。「人前では」って思ってて忘れてた。
「二人とも、とにかく本島に戻りましょう話はバスの中でもできますから」
 アリスさんがそう言った。
 次の水上バスはすぐに来た。
「もしかしたら追いつけるかもしれないわよ」
「そうですよ、そうしたらハッキリします」
 由乃さまとアリスさんに支えられるようにして立ち上がり、乃梨子は水上バスに向かった。
 正直、志摩子さんが来てるとか来てないとか、考えたくない気分だった。
 前々からうすうす自覚していたのだけど、乃梨子は志摩子さんが絡むと良い意味でも悪い意味でも“駄目になる”。
 “駄目”と言うからには乃梨子にとっては『良い事』ではないのだけど、周りからからかわれる程度で済む“駄目さ”だったら乃梨子が我慢すればいいだけだから別にいい。
 でも、今は生活とか基本的なことで色々頑張らなければならない時なのに、ここで振り回されていたらアテナさんだけでなく同じ立場の筈の由乃さまにまで多大な迷惑をかけてしまう。
 “駄目になる”のは、せめて落ち着いて“帰り方探し”が出来るようになってからにしないと(いや、これもあんまり良くないんだけど)。



「ところで、事情を説明してくれませんか? それとも話せないような内容なんですか?」
 水上バスの狭い座席に落ち着いてから、アリスさんがそう訊いてきた。
 流石にここまで大騒ぎして、“蚊帳の外”というのは我慢ならないだろう。
 それに答えたのは由乃さまだった。
「話せないと言うより、信じてもらえそうも無いって言った方が正しいわね」
「信じて? でもアテナ先輩には話したんですよね?」
「まあ、あの人は信じたというか、『そういうこと』はどうでもいいみたいな? とりあえず私達が無一文で困ってるって判ってくれただけで……って、やっぱり信じてくれた事になるのかな?」
 由乃さまがセルフつっこみみたいな事をしているうちに、水上バスは動き出し、窓の外に見える古着屋のあった島の風景は遠ざかりはじめた。
「『そういうこと』って何ですか?」
「ええと……」
 ここで由乃さまは乃梨子の方を横目で見た。
 いきなり振られても困るのだけど、とりあえずこう言った。
「『いきなりここに現れた』ってこと?」
 そう言うとアリスさんはちょっと目を丸くして聞き返した。
「いきなり、ですか?」
「ほら、訳わかんないでしょ?」
「いいえ、そういうのはでっかい“あり”ですけど」
「ありって?」
「私の親しい先輩に水無灯里という“不思議メーカー”と呼んでいい人間が居まして」
「不思議メーカー?」
「妖精とか、幽霊とか、銀河鉄道とか、過去の世界とか、何でもありな人なので、私もいつしかそういう話には耐性が出来てしまいました」
 ちょっとまて。今、さらりとクリティカルなキーワードを言ったぞ?
「あ、まって!」
 ここで由乃さまが待ったをかけたのだけど、食いついたのはそのキーワードではなかった。
「その灯里さんて、ARIAカンパニーの?」
「ご存知でしたか」
「名前だけ聞いたわ。地球、じゃなくてマンホーム? に一緒に行ったのよね?」
「はい。もうじき帰ってくると思いますけど」
 乃梨子は我慢できずに割り込んで訊いた。
「その灯里さんていうのは、そういうのに会ったり、過去の世界とかに行ったり出来る人なんですか?」
 なんか自分で言っててそんな人本当に居るのかって思うけれど、もしそうなら、元の時代に帰れるかもしれないのだ。
 アリスさんの答えはこうだった。
「行けるというか巻き込まれるんですよ。本人は何も考えてないと思います」
「……」
「……」
 まあ、そんなことだろうとは思っていたけど。
「で、『いきなりここに現れた』ってどういうことですか?」
「言う?」
 由乃さまは乃梨子に同意を求めてきた。
 乃梨子は言った。
「アテナさんが信じてくれたのも、その灯里って子のお陰ですよね?」
 確か『そういう子がいて羨ましい』とか言っていた。思えばあれは、その灯里さんのことだったのだろう。
「ちなみにアテナ先輩より私の方がでっかい被害に会ってます」
 『被害』とはどんな被害なんだろう?
 まあ、それはともかく……。


「……300年前のマンホームの人なんですか?」
 途中で水上バスが停留所に着いてがくんと揺れたりしたが、とにかく、自分達がこの世界の300年前の地球から来たらしいってことをアリスさんに説明した。
 説明しているうちに、バスは一番長い区間に差し掛かり、今は広い海原をのんびりと疾走していた。
「それでリリアン学園がこの世界にもあるていうから、晃さんに同じリリアンなのか創立年とかを調べてもらう手はずになってるのよ」
 今日中に学生証も帰ってくる予定である。
 その話を聞いたアリスさんは目を真ん丸にしたまま、言った。
「お二人は、そのリリアン学園の三百年前の生徒なんですか?」
「そうよ。信じられないでしょうけど。でも私から見たらここが“三百年後の火星”なんて言われても逆に信じられないのよね」
「いえ、でっかい信じます。だってそれなら……」
「え?」
「それなら何?」
 何故か考え込むアリスさん。
 少しして何か思いついたように、顔を上げて由乃さまを見て叫んだ。
「あっ! あーーっ!!」
「な、なに!?」
「アリスさん?」
「……知りません。300年前の人なんてありえません」
「はぁ?」
「へ、変な嘘付くのは止めて下さい」
「なんでよ? さっき『信じます』って言たのはなんだったの?」
「そんなこと言いましたか? 確かにリリアン学園ってありますけどそれが何だっていうんですか? 私はお友達のアイちゃんの通ってる学校だから見てきただけです」
「だから、それが・……」
 乃梨子は由乃さまの言葉を遮って言った。
「由乃さ、先輩、今朝言っていた通り、今日、学生証がクリーニングから帰ってきます。この話はここまでにしましょう」
 ちょっとアリスさんの態度は怪しすぎるのだけど、信じないって事は予想していた。
 だから、予定通り学生手帳と晃さんの調査結果を突き合わせて、その時アリスさんにも説明すれば良いのだ。
「そうね、じゃあこの話は夕方またしましょ」
「別に、もうする話なんてありませんから」
 そう答えたアリスさんは、今朝そうであったような無愛想な態度でぷいと顔を逸らした。



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