【2036】 挙句の果てに謎の女  (まつのめ 2006-12-06 17:28:16)


「なんかさ、ウンディーネって良いよね」
 由乃さまは本気で目指す気なのだろうか。
 今日もゴンドラを漕ぐ事になった乃梨子と由乃の行き先は?

【No:1912】→【No:1959】→【No:1980】→【No:1990】→【No:2013】→【No:2033】→【これ】
(ご注意:これは『マリア様がみてる』と『ARIA』、『AQUA』のクロスです)
(ご注意2:これはクゥ〜さまのARIAクロスSSのパラレルワールド的な話になると思います)
(※どうやら、クゥ〜さまの話とは分離していく事になりそうです)





≪もっと買い物≫


 水上バスは、最初に志摩子さん(らしき人)を見かけた島を経由して、ようやくネオ・ベネツィア本島に到着した。
 昼食は、バス停からすこし行った所にあった屋台の軽食屋さんで飲み物と“ハンバーガーのようなもの”をお持ち帰りで買って、運河沿いの段差に並んで腰掛けて食べた。
 “ようなもの”というのは、要は惣菜をパンで挟んだ食べ物なのだけど、何て呼んだら良いのかわからない代物だったので。ちなみに味はそこそこだった。
 食べてる途中で由乃さまは言った。
「ねえ、乃梨子ちゃん」
「はい?」
「お金余ったからさ、午後は靴とか鞄を見ておきたいんだけどどう? もし買えたら買いたいし」
「……あ、そうですね」
 また志摩子さんのことを考えていて、少し上の空だった。
 まだ“駄目”になってはいけない、と乃梨子は思考を切り替えた。
 晃さんとの約束は五時に姫屋の前だから、まだ時間はたっぷりあった。
「いろいろ回った方が、ほら、旅の芸人さんとやらに会う確率も上がるしね?」
「はい、いいですよ」
 由乃さまは気を遣って話してくれるけど、努めて明るくそう答えた。
 乃梨子の答えを聞くと由乃さまはアリスさんに声をかけた。
「ねえアリス?」
「え!? は、はい?」
 アリスさんも考え事をしていたようだ。急に話し掛けられて、ちょっと慌てていた。
「午後は靴と鞄見たいんだけど、いい店知ってる?」
「は、はい。靴と鞄ですね、……普段履きを買うなら陸側の街にカジュアル物が安い店があります。鞄はですね、」
 そう言って座席に置いてあったアリスさんの布製の鞄を持ち上げて言った。
「こういうのが安いんですが、どこで買ってもそんなに変わりません」
 お洒落なよそ行き鞄を買うわけではないのでそんなので十分だ。
「かばん屋って、あの橋のそばにもあったよね?」
 由乃さまがそう言った。
 確かにリアルト橋の近くで乃梨子もかばん屋を見かけた。
「ええ、あそこでも」
「そうか、でも、出来れば先に靴行きたいな。ね? 乃梨子ちゃん」
「そうですね」
 優先順を考えると鞄より靴だった。
 今履いているウンディーネ専用らしいブーツは軽くて履き心地もよく優れ物だけど、残念ながら借り物だ。
 自分で持っているのは通学用の革靴だけなのだけど、その革靴は初日に海水に浸かって半日以上放っておいた為、酷い有様になっていた。まあ手入れすれば履けるレベルではあるけれど、出来れば普段履きを用意したいと思っていたのだ。
 そんなわけで、これから“陸側”という所へ靴を買いに行くという話になったのだけど。
 アリスさんが言った。
「この後、私は用がありますので抜けます」
「え? じゃあ私らどうやってそのお店に所に行ったらいいの?」
「場所は、これです」
 そう言って、アリスさんは観光案内のような大雑把な地図を鞄から出してそれに靴屋さんの場所と店名を書いて渡してくれた。
「また海の向こうなのね?」
「はい。ここからだと、サンタルチア駅から列車で行くか、ゴンドラ漕いで直接行くかですけど……」
 目的の場所は本島と鉄道橋で繋がっているその“陸”の海辺にあるようだった。
「その駅って遠いんですか?」
「ここから駅までは水上バスで行けます。でも靴屋は列車で行くと向うでかなり歩きます」
「え?」
 アリスさんはさっきの地図でその行き先の駅の場所を「ここです」と指差した。
 縮尺がわからないのだけど、結構離れているみたいだ。
「この街周辺では移動は舟(ゴンドラ)の方が便利なんですよね」
「舟ですか……」
 会社の前のゴンドラ係留所まで一緒に歩いて、そこからゴンドラを漕いで行くのが、アリスさんのお勧めだそうだ。
「ついでに鞄の値段も調べられて一石二鳥です」
 だ、そうだ。
「……大丈夫ですかね?」
 乃梨子も由乃さまもゴンドラはまだ三日目の初心者である。
「まあ、何とかなるんじゃない?」
 由乃さまはそう答えた。


 昼食を終えてから、朝と反対に迷路のような小道を抜けて、社員寮まで戻ってきた。
 そして三人で一旦部屋に戻って荷物を置いてきて、今、昨日乗ったゴンドラに再び乗り込んだところである。
「ここから大運河をサンタルチア駅方面に抜けて本島を離れ、対岸の靴屋まで行く。帰りはそのまま同じ経路で戻る。で良いのかな?」
「はい。あと、海を行く時は航路を外れないようにしてください。あまり離れて潮の流れに捕まるとやっかいですから」
 アリスさんがそうアドバイスしてくれた。潮の流れに関しては乃梨子たちも初日に身に染みて経験していた。
「了解。じゃ夕方また会いましょう?」
 由乃さんに答えてアリスさんは言った。
「私は五時に姫屋には行かないかもしれませんから」
「そうなの?」
「用事しだいです。ではおきおつけて」
 そう言ってアリスさんは寮の方へ戻って行った。
「じゃあ、行きますか?」
「はい」
 最初の漕ぎ手は乃梨子だ。

 寮の前から水路を通って大運河に抜け、そこから今までと反対方向へ大運河を行くと、しばらくして午前中に上を通ったリアルト橋が見えてきた。
 ここまでは歩きより早いようだ。
 橋のそばでは白いゴンドラのウンディーネさん達がお客を舟に乗せているのが見える。
 そんなゴンドラ乗り場を横目に橋の下をくぐって、更に先へ進む。
 両岸は趣のある洋館が直接運河に面して立ち並び、その隙間には細い水路が奥へと伸びている。
 なるほど、この街はアリスさんの言う通りゴンドラの方が便利なのかもしれない。
 運河にはゴンドラやその他の船が行き交い、地上より水上の方が活気があるように感じた。
 やがて、大運河に掛かる別な橋が見えてきた。こちらはリアルト橋に比べもっとスマートだった。
「これがスカルツィ橋ね」
 由乃さまがアリスさんから貰った地図を見ながら言った。
 その橋を抜けると、少し風景が変わって、広いサンタルチア駅の駅前広場の前に出た。ここからもう少し行くと大運河の出口だけど、ここで漕ぎ手交替だ。
 交替の時、由乃さまが言った。
「乃梨子ちゃんなんか漕ぐの上手くなってるわ」
「そうですか?」
「うん、目に見えて」
 昨日の晃さんの特訓は効果があったのだろう。
「まあ、あれだけ絞られて上手くなってなかったら逆に悲しいですよ」
「むぅ、私だって」
 そして、由乃さまが漕ぎだしてから少しして線路の通った橋(多分貨物の引込み線だ)をくぐると大運河の出口に出た。
 こちら側にはネオ・ベネツィア島から向うの陸まで長い橋が掛かっていて、その橋と少し離れて平行に海上に杭が並んでいた。
 これが航路だ。
 ただゴンドラは船底があまり水に浸からないので、浅瀬に捕まる心配はあまりなく、多少外れても問題なさそうだった。
 風も無く海面は穏やかで、航路には、水上バスやゴンドラの他に小さなエンジンつきの船や、中型のモーターボートなんかも走っていた。
 ただ、エンジン付きのほうが楽だし速いのに、何故だか手漕ぎのゴンドラが多かった。
 それから、黒いゴンドラが練習用なのはウンディーネだけらしく、他の男の人が漕ぐ黒いゴンドラは資材やら食品やら、色々な物を乗せてバリバリ業務用に使ってるっぽかった。
 それを見た由乃さまは言った。
「白いのはウンディーネのプリマだけなのね?」
「ああ、そういうことですか」
 つまり、黒いのが一般で、一人前ウンディーネだけが白いんだ。
 さて、由乃さまも最初に比べたら段違いに上手になっているのだけど、運河と違って風景の変化が乏しいせいか、
「……なんか飽きたわ」
「由乃先輩」
「あ、何回目かしら? そう呼ばれたのって」
「二回目くらいです。ってそれはいいんですけどまだ半分も来てませんよ?」
「だって、ずっと単調な橋桁ばっかり」
「そうですか? ほら、あの建物変わってますよね?」
 乃梨子はそんな由乃さまの気を紛らわせるべく、乃梨子は前方からちょっと外れた方にある変な形の建物を指差して言った。
「ん?」
「なんか上に向かって線が繋がってますよ?」
 なんだか“陸側”には奇妙な建物が多くて目を楽しませてくれる。
 その建物は上に塔のように円柱状の構造物があり、その上部から斜め上方の空中に向かってワイヤーのようなものが伸びていた。
「ん? あれって、動いてるけど……」
 と由乃さまは言い、そのワイヤーを辿ってぐーっと上を見上げた。
「あ、危ないですよ!」
「平気よ。あー、“浮島”に続いてるんだ」
「浮島ですか?」
 そう言って乃梨子も見上げてみた。
「じゃあ、あれはロープーウェイ乗り場ですか?」
「そのようね」
 興味が湧いたのだけど、靴屋がある方角はロープーウェイ乗り場があるところとはかなり離れていた。



≪靴屋にて≫


 ゴンドラを降りて運河(川?)沿いの道を少し行くと靴を模した古めかしい看板があって、店はすぐに判った。
 こちら側は土地に余裕があるのか比較的大きな靴屋で、中に入ると紳士物の革靴や、婦人物は高そうなヒールやパンプスから、スニーカー等の普段履きにするような靴まで普通に並んでいた。
「あんまり変わらないのね」
 そんなことをいいつつ、由乃さまは早速、革靴を試着していた。
 「変わらない」とは靴のデザインの話だ。
 由乃さまの言う通り、ざっと眺めた感じでは乃梨子の時代とたいして代わり映えしないように見えた。
「でも素材は進化してるんじゃないですか? ほら、このブーツ、軽くて何で出来てるのか判りません」
 乃梨子が手に取った靴は見た目は革っぽいロングブーツなのだけど、重さがらしくなかった。
「地味な進化なのね……」
 まあ、確かに。
 特別このアクアという星が懐古主義だという可能性もないことはないけど、とりあえずこの店には、未来だからって訳のわからない付加価値(速く走れるとか空を飛べるとか)がついた靴があるわけでもなく、靴は普通に靴だった。


 いろいろ履いてみたり、話し掛けてきた店員さんに聞いたりして、最終的に良さそうなスニーカーを選び、値段交渉は由乃さまが「私に任せて」と言うので任せてみた。
 まず、由乃さまは「安くならない?」って聞いて、店員は小銭になる端数を割り引くと言って来た。ここまでは予想通り。
 でも、由乃さまはこれくらいじゃ引き下がらない。
 もう少しまけてくれという問答の末、店員さんはこれ以上まけると店長に叱られるとか言い出した。
 この時点で表示価格の二割引くらい。
 由乃さまがここで「私たちネオ・ベネツィアに来たばっかりであんまりお金が無いのよ」と言うと、店員は「店長を呼んできます」といってレジから離れて店の奥に引っ込んだ。
 しばらくして恰幅の良い、白髪の混じったおじさんがやってきた。
 先ず、店長ですと自己紹介した後、おじさんは言った。
「お嬢ちゃんたち、お金が無いとはどういうことかね? 君達は……」
 そこで店長さんは乃利子たちの手の方に視線を向けて、
「ウンディーネ見習いだね。だったらお金に困るってことは無いだろう?」
「そうなんですか?」
 そう聞くと、店長さんは「知らないのかね?」と言って続けた。
「修行途上のウンディーネにはゴンドラ協会から月々一定額が給付されてるはずだぞ?」
 水先案内店は何処も見習いに給料を出していて、オレンジぷらねっとなら給付金に上乗せして、生活に困らないだけの十分な額を貰っている筈だという。
 でもこの店長さん、とても靴屋の店主とは思えないくらいよく知ってる。それともこの街では常識なのだろうか?
「お詳しいんですね?」
 乃梨子がそう聞くと、店長さんは得意げに答えた。
「ああ、わしの娘がウンディーネやってるんでな」
 と、そのまま“可愛い娘”の自慢話に突入した。
 店長さんの話は、その娘が乃梨子たち位の歳のころ「私はウンディーネになる為に家を出る」と言い出したあたりにまで遡り、婿を取って靴屋を継げと言っても決意は固かったとか、それならばと、娘の為に水先案内店について調べまくったとか、そういう話をしてくれた。
 最終的に、ウンディーネが他業種より引退が早いこともあって、いろいろ条件をつけて家を出ることを認めたそうだ。家を出たといってもすぐ近くなので頻繁に帰ってくるそうだけど。
 というわけで、こちらが話す番になった。
 由乃さまはこう切り出した。
「あの、私達、まだ社員というわけじゃなくて……」
 事情があって一人のウンディーネに拾われて世話になってるというようなことを話した。
 もちろん“過去の世界から来た”なんて正気を疑われるような事は言わない。
 一通り話を聞いた店長さんはうんうんと頷いて言った。
「なるほど、まだ見習い以前か。確かにオレンジぷらねっとは審査が厳いそうだからな」
 どうやら理解してくれたようだ。
「よし判った! そういうことなら、まとめて20で売ってやる!」
「本当ですか!」
「ああ、だけど本当は靴屋相手の卸値だから他の人に言わないでくれよ?」
 この店は卸屋さんもやっているようだ。
 結局、表示価格の合計で35.6(ここの通貨単位)だったので4割以上割引いてもらったことになる。
「乃梨子ちゃん、これで良い?」
「ええ。こんなところでしょう」
 売る側の言い値なので、まだ割引の余地はありそうだけど、キリの良い値段なのでそこで決めた。
 紙幣でお金を支払って箱に入った靴を受け取る時に、店長さんは一緒になにか紙切れを渡して言った。
「お嬢ちゃんたちが早くウンディーネになれるように、これはおじさんからの激励だ」
 乃梨子が反射的に「いえ」と、否定しようと口を開くと、由乃さまが肩を叩いて制止した。そして、
「はい、ありがとうございます」
 そう言って由乃さまは微笑んだ。
 紙切れは靴屋協会の商品券だった。


「私たちウンディーネになるって決まったわけじゃないのに」
「バカね。ああいうときは素直に貰えばいいのよ」
「まあ、そうですけど……」
 店を出てからそんな会話があったけど、とりあえず買い物は上手くいったようだ。



≪駅前広場≫


 帰りはまた交替して、陸側からネオ・ベネツィア島まで掛かってる長い橋に沿ってゴンドラを漕ぐのは乃梨子の役目だった。
 最初、乃梨子は、杭の立っている航路沿いだと他の船が通って危ないので橋のすぐ下を行こうとしたのだけど……。
「流されてるわよ!」
 何本目かの橋脚に近づいたところで変な潮の流れに捕まった。
「ええ、判ってるんですけど……」
 水中でオールが変な方向に流されて、まともに漕げなかった。
「回ってる回ってるっ!」
 ゴンドラが向きを変え、橋脚にぶつかりそうになった。
「由乃さま、前、お願い!」
「って、呼び方、戻ってるわよ!」
 そう言いながら、由乃さまは接近してきた橋脚を蹴って衝突を防いだ。
「行きはこんなじゃなかったのに」
 あっというまに航路から見て橋の反対側まで流されてしまった。
 そういう時間帯なのだろうか、こんなに複雑な流れがあるとは思わなかった。
 折角アリスさんがアドバイスしてくれたのに、ちょっと甘く見ていたようだ。
「とにかく戻りましょ?」
「ええ。なんか浅瀬があって所々川みたいに流れてるようですから」
 浅瀬の隙間を縫うように速い潮の流れがあるようで捕まると一気に流される。
 どうも杭の打ってある航路を行くのが一番安全で最短なコースだったようだ。だからこそ航路なのだろうけど。
「戻れる?」
「はい、でも逆に漕ぎますよ」
 逆とは漕ぎ手が前になるようにして漕ぐことを言っている。乃梨子にはこの方が力を入れやすいのだ。
「ちゃんと帰れるんだったら何だって良いわ」
 こんな複雑な潮の流れなんて読めないので、強引に突っ切るつもりだ。
 そして、なんとか航路まで戻って、そこからはゴンドラを正しい向きにして残りを漕ぎ切り、無事サンタルチア駅前まで戻ってきた。
 駅前のゴンドラ乗り場に視線を向けると行きにも見かけたのだけど、白いゴンドラのウンディーネさんの姿が何人も見られた。
 どうもタクシーみたいに客を待っているみたいだった。
「お疲れさん、じゃあ、交替ね」
「はい」
 オールを由乃さまに渡して場所を交替する。
 互いの場所を交換して落ち着いてから、由乃さまは言った。
「なんかさ、ウンディーネって良いよね」
 いきなり何を言い出すのかと乃梨子は由乃さまの方に振り返った。
「はい?」
「なんか憧れちゃうな。私、この時代にこの街で生まれてたらきっとウンディーネ目指してたわ」
 由乃さまの視線を追って駅の方を見るとちょうどウンディーネさんがお客さんをゴンドラに乗せているところだった。
「接客業って大変だと思いますよ?」
「そうかな。でも“水の妖精”呼ばれる職業って良いと思わない?」
「街のイメージ戦略ですよ」
「むぅ、乃梨子ちゃん、夢がないわねぇ」
「無くて結構です」
「まあ、乃梨子ちゃんは妖精より志摩子さんの方が……」
 何気にそこまで言って、由乃さまは言葉を止めた。不用意に志摩子さんの名前を出して失敗したと思ったのであろう。
 でも乃梨子は名前を出されたくらいで動揺はしない。
 ……しない筈だった。
 乃梨子は駅の方を凝視したまま目を凝らしていた。
 その先には駅に向かって歩いていく後姿が。
「あの、乃梨子ちゃん?」
 乃梨子は目を擦り、また凝視した。
 それから一旦進行方向に向き直って、軽く頭を振った。
(志摩子さんに見えるんですけど……)
 そして、改めてまた駅側に目を向けた。
(やっぱり志摩子さんっ!)
「しっ、志摩……」
「ちょっと!?」
 乃梨子は足元のことを考えず、いきなり立ち上がった。
「……子さ……ん!?」
 ゴンドラから駅前広場の岸壁まで数メートル離れていたことを思い出したとき、もう乃梨子の片足は宙に浮いていた。
 そのまま水路に落ちると思った瞬間、
「乃梨子ちゃん!」
 お腹の辺りに衝撃があり、乃梨子はゴンドラに押し戻された。
 一瞬、由乃さまがオールで支えてくれたのかと思った。
 でも、次の瞬間、由乃さまがオールの先を水中に入れたまま唖然としているのが見えた。
 由乃さまではない。――それに由乃さまがオールの先であんなに力強く乃梨子を“押す”ことは出来ないであろう――。と、そう考えたのは一瞬だった。
 間を空けずに乃梨子たちの乗っているゴンドラの隣に白いゴンドラが滑り込んで来た。
 ゴンドラに描かれた模様は水色。
 まだ一度も見たことの無いカラーリングだった。
「あらあら」
 白いゴンドラの主は、ゴンドラと同様青い模様の入ったウンディーネの白い制服を着ていた。
 無論、手袋はしていない。
 彼女は奇麗な長い金髪で、後ろを一本の大きな三つ編みにした髪型をしていた。
 しかも美人。
 美人と言っても晃さんのようなキツい感じじゃなくて、乃梨子好みの清楚な美人系。
 いや、好みって何だ。
「あ、あの……?」
「危ないわよ?」
「えっと、助けていただいて、ありがとうございます」
「乃梨子ちゃんだっけ?」
「あ、はい」
 いきなり名前を呼ばれたのだけど、由乃さまが名前を叫んだから聞こえたのだろう。
 乃梨子が返事をすると、ウンディーネさんは、にっこりと乃梨子が見惚れてしまうような笑顔で微笑んだ。
「練習中なのね?」
「い、いえ、あの、ちょっと向うの陸まで行って来たんですけど」
 乃梨子はどぎまぎしつつ、そう答えた。
 本当は練習と違うんだけど、二人とも見た目は練習中の見習いウンディーネそのものだし、ここで一から説明するのも変なので否定しなかった。
 彼女は微笑を絶やさずに言った。
「あら、頑張りやさんなのね? 潮の流れがあって漕ぎにくかったでしょ?」
「は、はい」
 何ていうか、このウンディーネさん、妙に人懐っこく話しかけてくるのだけど、何なのだろう?
 なんて思っていると、由乃さまがなにか言いたそうな顔でこちらを見ているのに気づいた。
 でも、何か言う前にウンディーネさんが由乃さまに話し掛けた。
「由乃ちゃんも漕いだの?」
「え? はい、行きは私で帰りがこの子でしたけど……」
「あらあら、それなら二人ともシングルになるのは速いわね?」
「えっ?」
 そのウンディーネさんが乗る白いゴンドラは滑るように加速して、
「じゃあ、頑張ってね」
 そう言いながらあっという間に遠ざかって行ってしまった。
「……凄い。あんなに音も無く加速して、全然揺れてなかった」
 由乃さまも見せ付けられた技術に驚いているのかと思った。
 でも由乃さまは言った。
「私、あのお姉さんに名前言ってないのに」
「あ、そういえば……」





前回短かったので早めの投稿となりました。
コメントを下さった方、票を入れてくださった方、どうもありがとうございます。
ただの一票でも、ちょっとした一言でもとても励みになります。
コメントにレスしたりしなかったりしてますが、無いときは余裕がなくて執筆を優先させていると考えていただけると幸いです。
(と、言いつつ滞っている連載がいくつもあるんですが……)


一つ戻る   一つ進む