※未使用キー限定タイトル1発決めキャンペーン第8弾
今回は人物名を一切出さない事に挑戦してみました
☆
「はぁ〜あ」
気が付いたら、いつもここへ来ている。
紅薔薇のつぼみとなって約2ヶ月。仕事にはだいぶ慣れてきたけれど、どうにも自分が浮いている気がしてならない。
薔薇さまと言えば誰もが思い浮かべるのが趣のある薔薇の館でそつなく仕事をこなす見目麗しいお姉さま方。実際に一緒にいるとそこまで完璧でもないのだけれど(悪い意味じゃなくてもっと人間味が溢れているというか、そんな感じ)、薔薇さまフィルターがかかっちゃうとどなたもそんな風に見えてくるから不思議。もちろんその妹も同じように見られるわけで。
「でもねぇ」
つい溜め息がこぼれてしまう。どうひいき目に見ても、私はその例外になってしまうから。
地味な上に昔から極度の人見知りで、その取っつきにくさから鉄壁と言われるようになったのは初等部の頃だっただろうか。以来、根気強く数年に渡ってアプローチされるかよほどの偶然でも起こらない限り、私には友人が出来ることがなかった。友人を数えるのは、今でも片手で足りる。
幸いコミュニケーションを除けば仕事は無難にこなせているから今の所特に問題ないわけだけれど、だからといってこの先上手くやっていける保証なんて無いわけで。
「私でいいのかな、ロサキネンシス」
温室の、ロサキネンシスの花の前。今の私の原点となった場所で、花に不安を打ち明ける。ここにはまず人が来ないから。高等部に入ってまもなく、この場所を見つけてからは雨が降るたびに訪れている。雨の日にわざわざここまで来る人なんてそう滅多にいないと思ったから。
「私でいいんですか、お姉さま」
その呟きは、激しくなった雨音にあっという間に消されてしまった。
いつも雨の日だった。
「珍しいわね、ここに人が来ているなんて」
「ひっ」
初めてお姉さまに会ったのは、マリア祭が終わって間もない雨の日。誰も来るはずがないと思いこんでいた私は思わぬ来訪者に固まってしまった。しかもよりにもよってそれが紅薔薇のつぼみだった日には私じゃなくても驚いてしまうんじゃないだろうか。
「ごきげんよう。驚かせてしまったかしら」
「あ、う、え、そ……」
「ふふっ、落ち着いて深呼吸してみたら」
「えっ、あっ、はいっ……」
「ほら吸って」
「すぅー」
「吐いて」
「はぁー」
「どう?」
「あ、はい。少しは……あっ、その、ごきげんよう、です、紅薔薇のつぼみ……」
驚きと緊張で思わず挨拶さえも忘れてしまっていた私に、紅薔薇のつぼみは優しく微笑んでくれた。
「もう、つぼみだからってそこまで固くならなくてもいいのに」
「いえ、私、人見知りが凄く激しくて、それで……」
「あら、そうだったの。悪いことしちゃったかしら」
「いえ、そんな。来る人は、来るでしょうし」
「それもそうね」
紅薔薇のつぼみが軽く笑ったあと、僅かな静寂。
「よく来るの?」
「いえ、雨の日だけです」
「雨の日はいつも?」
「はい」
「もうすぐ梅雨ね」
「そうですね」
それからリリアン歴とか他愛のない話をいろいろして。主に私が質問されて答えるばかりだったのだけれども、不思議なことに紅薔薇のつぼみには色々と話すことが出来て(それは私が答えるのをちゃんと待ってくれるからだって今なら分かるのだけど)。
「お待たせ、って、あら?」
「あ、お姉さま」
「え……」
話に夢中になるという体験を人生で初めて味わっていた私は、いきなり入ってきた声に見事に固まってしまった。
「ごきげんよう。1年生の子かしら」
「はい、あ、その、ごきげんよう、です、紅薔薇さま」
だって、いきなり声をかけられるだけでも弱いのに、入ってきたのが紅薔薇さまだったし。
「やだ、別にそんなに緊張しなくてもいいのに」
「いっ、いえ、これは、その、わた、私……」
「この子凄い人見知りらしいんです。私が入った時にも凄く驚かれましたし」
その紅薔薇さまがつぼみと同じようなことを言ったのには、やっぱり姉妹なんだなあと思っていたのだけれど。
「あら、そうなの。それにしてはずいぶんと仲良さそうに話していたけれど」
「そうですか?」
「そうよ。私が声をかけるまでその子凄く楽しそうな顔してたし」
「言われてみればそうですね」
「フォローまでしちゃって、結構お似合いなんじゃないかなと思うんだけれど、どうなの?」
「え……」
紅薔薇さまは、いきなりとんでもない爆弾を落としてくれた。
「どうなのもなにも、ついさっき初めて会ったばかりなんですけど」
「そう。まあ、いいわ。そろそろ帰りましょう」
「はい、お姉さま」
「貴方もどう? 一緒に帰らない?」
「え、あ、わ、私、ですか?」
「お姉さま、さすがにそれはどうかと……」
「まあ、人見知りの子をわざわざ好奇の目にさらすこともないわね。でも、そうね。良ければ今度薔薇の館にでもいらっしゃい。歓迎するわよ」
「えっ、や、そんな、私、ご迷惑……」
「別に迷惑だなんてことないわよ」
「い、いえ、そうでは、なくて」
「そうではなくて?」
「あの、私、人見知り、凄く激しい、ですから。取っつきにくい、ですし、多分、ご迷惑を、かけてしまうかと……」
「ああ、そんなこと。大丈夫よ」
「あの、お姉さま」
「なに?」
「私達がどうとかじゃなくて、この子の気持ちの問題だと思うんですけど」
「ふーん、そうなの?」
「そ、その通り、です……」
「なるほどねー」
爆弾の大量投下を止めた紅薔薇さまは、今度はつぼみと私を交互に見ながら含み笑いをしてからもう1つ。
「まあ、こんな子で良ければ時々付き合ってあげてくれないかしら。私達、待ち合わせ場所をここにすることがよくあるから」
「え……」
「ちょ、ちょっとお姉さま」
「あら、嫌なの?」
「そんなことはないですけど……貴方はいいの?」
普段なら、確実に断っていた。でも、紅薔薇のつぼみは何となく大丈夫な気がしたから。
「えっと、その、私で良ければ……」
それから何度か会う機会があって、ロザリオを受け取ったのは夏休みのある日のこと。水泳の補習のあとににわか雨が降ってきて、私は迷わずいつもの温室に向かった。
「ごきげんよう。来ると思っていたわ」
そこには何故か紅薔薇のつぼみが待っていて。
「ご、ごきげんよう。あの、どうしてここに?」
「どうしてって、雨が降ってきたから」
「はい?」
「雨が降ってきたから。水泳の補習もあったことだし、会えるかなと思って」
「わ、私にですか?」
「そうよ。他に誰がいるの?」
そう言われた私は、きっと顔を真っ赤にしていたと思う。
「ちょっと、一緒に来てくれるかしら」
そんな私の手を取って、紅薔薇のつぼみは1本の木の前まで足を進めた。
「あの、一体……」
「実はね、受け取ってほしいものがあるの」
そう言って紅薔薇のつぼみが取り出したのは、ロザリオ。
「それは……」
「ええ。私の妹になってほしいの」
「え……」
「いや?」
「いえ、凄く嬉しいです。けど……」
「紅薔薇の名前が不安?」
「はい……」
紅薔薇のつぼみの申し出はものすごく嬉しかった。一人の上級生としてなら私のお姉さまにと考えた事もあったけれど、彼女は紅薔薇のつぼみだから。
「お姉さま方はね」
そんな私の気持ちは、けれどきっと見抜かれていたのだと思う。紅薔薇のつぼみは微笑みながら言葉を続けた。
「無理に薔薇の館の住人になる事はないって言っているの。基本的につぼみが次期薔薇さまになる事が多いけれど、一応選挙で決めているし。もし紅薔薇の名前が負担なら立候補しないという選択肢もあるわ」
「で、でも……」
「あと、注目されるのが辛いのなら公表しないという方法もあるし。あくまで私達2人の問題だというのがお姉さま方の考えよ」
「あの、それでいいんですか?」
「いいのよ。薔薇の名前のせいで相思相愛の2人が姉妹になれないなんて悲しいじゃない」
「それは、そうですけど……って、あの?」
さり気ない爆弾発言に気付いた瞬間、私の顔は一気に熱を帯びた。同時にやっぱりあの紅薔薇さまの妹なんだなとも思ったけれど。
「私、貴方以外を妹になんて考えられないもの。自惚れかもしれないけれど、貴方のお姉さまは私じゃないと務まらないとも思うし」
「わ、私も同じような事、考えていましたけど……」
「それにね」
紅薔薇のつぼみはそこであえて一呼吸置いた。よく見ると紅薔薇のつぼみも少し赤くなっていて、同時にそれはこの日最大の爆弾発言の予兆でもあった。
「夏休みに入って貴方が学校にあまり来なくなって、寂しかったのよ」
「え……」
「私ね、貴方がいないとだめみたい」
それは私にとって、最高の殺し文句だった。
「やっぱり公表しちゃう?」
それは夏休みも終盤にさしかかった頃だった。夏休み中に姉妹になった事もあって、私達の関係を知っているのは当事者を除けば薔薇の館の人達だけだったのだけど。
「え、あの、どうして……」
「だって、時々ばれちゃったらどうしようって顔するんだもの」
「あ……」
2学期が始まったらどうなるかわからなくて。それなりに誤魔化し方とかは考えていたけれどやっぱり自信はなくて、しかもお姉さまが有名人だから隠しててばれたらどんな騒ぎになるかわからない。かといって常日頃注目を浴びるようになるのは、やっぱりそれはそれで辛いわけで。
「隠し通せる自信ないみたいだし、いっそ公表した方が情報とか制御できるかなと思ったんだけど、どう?」
「えっと……いいかなとは思うのですけど、私、少し自信が……」
「それは大丈夫よ」
「え?」
「私がちゃんと守ってあげるから」
「お、お姉さま……」
「鉄壁の薔薇の蕾の妹、か」
それは夏休み明けのリリアン瓦版の見出しだった。当然の如く紅薔薇の蕾の妹になった私はお姉様と一緒に取材を受けたわけだけれど、私の場合は答えるのにものすごく時間がかかるから、私への質問は最小限にしてクラスの人にも取材をしたらしくて。幸いにもクラスの人達は私の性格をよくわかっていたし、瓦版にも書いて貰ったからそれほど周りが騒がしくなる事もなくて。
薔薇の館の方も、最初はお姉さまに加えて付き合いの長い友人と一緒じゃないと入れなかったけれど程なく1人でも行けるようになって。仕事の方もペースこそ遅いけれど特に問題もなく、学園祭の出し物は少し気を遣って貰ったみたいで。クリスマスに生徒会役員選挙にバレンタインに、卒業式前には紅薔薇さまにお姉さまの事をお願いされたりもして。入学式に、マリア祭の時はかなり緊張したけれど何とか乗り切って。薔薇の館の人達ともそれなりには打ち解けていると思うのだけれども。
どうしても、不安になってしまう。
昔からそうだった。ごくごく平穏なはずなのに、得体の知れない不安に襲われて、自分がその場所に居てはいけない気がしてしまう。薔薇の館の一員となってからも同じで、そのせいで薔薇の館に行けずに迷惑をかけた事も一度や二度ではない。これじゃいけないって頭ではわかっているのだけれど、一度不安に陥ると自分ではどうしようもなくなってしまって。
「何してるんだろうね、私」
「本当ね」
「お、お姉さま?」
思わずこぼれた呟きに、これまでと違って返事があった。この声は、間違いなくお姉さま。
「やっぱりここにいた」
「あ、あの、ごめんなさい……」
「いいのよ、いつものでしょ?」
「はい……」
こういった気持ちは普通はなかなかわかってもらえなくて、小さい頃は正直に話しても責められたり怒られたりしていただけだったから。いつしかわかってもらえない事が前提になって、本当に大丈夫と思える人にしか話さなくなったわけだけれど、お姉さまはこの事も私から言う前に見抜いてしまっていた。
「お姉さまって」
「ん、なに?」
「私の事、本当によくわかりますよね」
「だって貴方の事ですもの」
お姉さまは、本当に何でもお見通しなんじゃないかってくらい私の事をよく分かっている。それだけじゃなくて、そんな私をどうにかしようとするのではなくてただ受け止めてくれる。
「私ね、貴方を妹にして本当に良かったと思ってる」
「え?」
「貴方の事が好きなのはもちろんだけど、貴方から学ぶ物も多いのよ?」
「お姉さまが、私から、ですか?」
「ええ。まあ、全部活かせているわけじゃないけどね。だから」
微笑みながらの一呼吸。お姉さま独特の、私の心との絶妙な間合い。
「無理をする必要はないのよ。自分のペースで少しずつ進んでいけばいいわ。不安で隠れてしまってもちゃんと見つけてあげるから、心配しないで」
「はい……」
「それに、貴方は貴方だから素敵なのよ。だから、変わる必要がないと思ったら無理に変わる必要なんてないわ。日々を過ごすうちに、変わる必要がある所は自然と変わっていくしね」
「そう、ですね」
「貴方は貴方なりに、私は私なりに。他の人達もそうやっていけたら世界はもっと素敵になる。そう思わせてくれたのは貴方なのよ?」
「えっ、私なんですか?」
「ええ。だから貴方も貴方なりに毎日を送る事が出来れば、それで大丈夫よ」
「はい」
いつの間にか笑顔になっている私。お姉さまの魔法がないと出てこない表情だから、私の笑顔は今の所お姉さま専用なのだ。
「ふふっ、もう大丈夫みたいね」
「ですね、きっと」
お姉さまは本当に、いつも私をさりげなく持ち上げてくれる。励ますのでもなく引っ張り上げるのでもなく、私自身の力を自然に引き出してくれる。お姉さまの言葉はどれも本当だと思うけれど、それでも私の為に言ってくれていると思うととても嬉しくて。
「お姉さま」
「なあに?」
「私も、お姉さまの妹になれてとても幸せです」
「まあ」
自然とそんな言葉が口から出てきたのだった。
「お姉さま、ありがとうございます」
「いいのよ。言ったじゃない、貴方は私が守るって」
少しの時間、2人で肩を抱き寄せ合って。高等部に入学した頃には想像もつかなかった幸せな時間を過ごして。幸せすぎて、少し欲張りになってしまって。
「さて、みんなも待っている事だしそろそろ薔薇の館に戻りましょうか」
そう言って立ち上がろうとしたお姉さまの腕を、私は思わず止めてしまった。
「あの」
「なあに?」
「もう少しだけ、2人で居たいです」
「もう、あまえんぼうさんね」
そう言って微笑むお姉さまの表情は、マリア様に匹敵するくらい素敵だった。
雨上がりの朝は空気がとても綺麗。
翌日、いつもより早く学園に来た私は真っ先にいつもの温室に向かった。もちろん、中にお姉さま以外の人が居ないか確認してから。
「私でいいんだよね、ロサキネンシス」
温室の、ロサキネンシスの花の前。私がお姉さまからロザリオを受け取った場所。その枝をひとなでしてから温室を出る。かけがえのないお姉さまの言葉を胸に抱いて、今日も自分なりに頑張ろうと、その足を私は踏み出すのだった。