「例えば、仮にですよ」
とアリスさんが言った。
彼女の行動の真意は?
【No:1912】→【No:1959】→【No:1980】→【No:1990】→【No:2013】→【No:2033】→【No:2036】→【これ】
(ご注意:これは『マリア様がみてる』と『ARIA』、『AQUA』のクロスです)
(ご注意2:これはクゥ〜さまのARIAクロスSSのパラレルワールド的な話になると思います)
(※クゥ〜さまが社員旅行をそのまま使ってくれたので【No:2044】、分離するのが勿体無く感じてしまう今日この頃)
謎のウンディーネさんは乃梨子たちが行く方向に去って行ったのだけど、今の二人の技術レベルではとても追いつけそうになかった。
ここで乃梨子たちの名前を知っているのはアテナさんを始めとして四人しか居ないはずだから、彼女はその誰かの知り合いであろう。もしかしたら昨日までの話に出てきた誰かだったのかもしれない。
「……また会えるよね?」
「会いたいんですか?」
「だって素敵だったと思わない? それにモロに乃梨子ちゃんの好みだと思うんだけど?」
「こ、好みってなんですか、私はそんな……」
目を逸らす乃梨子に由乃さまは追い討ちをかけてきた。
「さっきあのウンディーネさんに見惚れていたでしょ?」
やっぱり見ていたのか。
好みかどうかはこの際置いといて、見惚れていたのは事実だった。
「……素敵だったのは認めます」
横を向いたまま乃梨子がそう答えると、由乃さまが「ま、いいか」と呟くのが聞こえた。
「ねえ、ところでさ、志摩子さん居たの?」
追求から逃れたと思ったら今度はそっちの話題だった。
ウンディーネのお姉さんに会ってうやむやになったから、放っておいて欲しかったのに。
「由乃さまは見てないんですよね?」
仕方なく乃梨子がそう言うと由乃さまは不満そうに眉を寄せた。
「……なんか呼び方定着しないのね」
「あ、すみません由乃先輩」
「まあ、いいけど、私は見てないわ」
乃梨子が落ちそうになってそれどころじゃなかったようだ。
「戻りましょう、もう約束の時間まであんまり余裕がないです」
「そうね。もし本当にこの世界に居るんなら、後で探しようもあるもんね」
そうだ。
ここは未来の世界。未開の土地って訳じゃないのだから、確認する手段だって必ずある筈だ。
そんなわけで後ろ髪引かれる思いもあったのだけど、乃梨子たちは居候先であるオレンジぷらねっとの社員寮まで戻って来た。
部屋まで戻ると、リリアンの制服は戻って来ていて、クリーニング屋さんのハンガーに掛かった状態のまま無造作にベッドに寝かせてあった。
数日前までは一番馴れ親しんでいたこの制服だけど、今はこんな白い制服を着てゴンドラなんかを漕いでいる。ある意味文字通りなのだけど『遠くへ来てしまった』ものだと乃梨子は改めて思った。
さて、一緒に帰ってきた筈の学生証だけど何故か見当たらなかった。
制服のポケットや服の袖の中、途中で落ちたかと思い、ベッドの周辺や部屋の床まで探したけど、何処にも無かった。
「どうなってるんでしょう?」
受け取った人が別にしたのか、あるいはそれだけクリーニング屋さんから帰ってきていないとか?
「誰よ、受け取ったの?」
「アテナさんが帰ってきて受け取ったんじゃないですか?」
「もしくはアリス?」
「聞いてみないと判らないですね」
とは言っても、アテナさんは帰っていないし、アリスさんも見当たらなかった。
「どうします?」
「どうもこうも、学生証が無くても晃さんの所に行くしか無いでしょ?」
「そうですね」
本当は部屋に寄らずに直接、姫屋の前へ向かっても良いくらいの時間だった。でも、学生証があった方が良いから、わざわざ取りに部屋に寄ったのだ。
制服はとりあえずそのままにして、二人で再び部屋を出た。
寮の建物から出てから乃梨子は言った。
「やっぱりゴンドラで行きますか?」
「地上を歩いて迷わずに行ける気がしないわ」
その意見には乃梨子も同意だった。
姫屋までは大運河沿いにずっと道があれば何とかなるかもしれないが、確か大運河沿いは直接建物の壁が面しているところもかなりある。
一度街中に入ってしまうと、道は複雑で地元の人の案内無しに目的の場所に辿り着くのはほぼ不可能であろう。
「……私もです」
そういうわけで、またゴンドラに乗り込み、姫屋へ向かった。
≪姫屋前≫
「乃梨子ちゃんと由乃ちゃん」
大運河から海に抜けて、島沿いにゴンドラを走らせている途中でアテナさんと遭遇した。
「あ、アテナさん。仕事、今終わったんですか?」
「うん」
と、頷いた後、何故かアテナさんがじっとこちらを見ているので乃梨子は訊ねた。
「あの、なんでしょう?」
「ううん、今日もゴンドラ漕いでるから」
「あ! すみません。これって会社のですよね」
アリスさんに昨日使ったゴンドラをまた使うように言われて、あんまり考えずに乗り込んだけど、考えてみれば今日はまったくの私用だったのだ。
でもアテナさんは何故か嬉しそうに微笑んで言った。
「いいのよ。二人に使ってもらう為に用意したんだから」
ええと、なんて答えて良いかわからないので、乃梨子は曖昧に「はあ」と答えた。
「今日は良い服買えた?」
「はい、おかげさまで。安く済んだので、靴まで買えました」
「そう、それはよかった」
そんな会話をしているうちにゴンドラは姫屋前に到着した。
「あ、来たわね」
ゴンドラを降りて姫屋の建物の前まで行くと、窓から藍華さんが顔を見せていた。
乃梨子たちを待っていたらしい藍華さんは、すぐに入り口まで降りてきた。
「早かったのね?」
「早くも無いですよ」
と、乃梨子の返事に、アテナさんもうんうん頷いた。
実際、5分前といった所だ。
藍華さんは言った。
「晃さんから伝言よ。用事があって遅れるから、私の部屋で待っててって。さっ、上がって上がって」
そう言ってさっさと建物内に引っ込んでしまう藍華さんを追って、三人は姫屋の建物内に入った。
「お邪魔します……」
姫屋の内部は趣のある洋館って感じだった。
入ってすぐの吹き抜けのエントランスがあって、そこから階段を上ってすぐのところに藍華さんの部屋があった。
お部屋はベッドがあり、座卓があり、クローゼットや箪笥があり、奥にはキッチンまであって、ワンルームマンションの一室みたいだった。でも天井で優雅に回るプロペラ(シーリングファンという)がどこかレトロチック。
部屋に招き入れられてすぐ、入って来たドアの向うから藍華さんを呼ぶ声があった。
「藍華さん、お電話です。事務室の方」
「ええ? なんでここにかけないのよ」
「急いでるみたいですよ?」
藍華さんは「わかったわ」と言ってから部屋の中を振り返り、
「じゃあ、お茶の用意任せちゃっていいかしら?」
そう言うと、アテナさんが「私がやる」と答えた。
「アテナさんごめんなさいね」
そして、藍華さんは行ってしまった。
お茶の用意は、山百合会感覚では一番年下の乃梨子がやるべき、なんて考えたけど、初めて来た部屋ではそういうわけにもいかず「いえ、私が」とは言えなかった。この世界でお茶を沸かした事はまだ一度もないのだし。
でも。
「なあに?」
「あ、いえ、後学の為に見ておこうかと」
乃梨子はお茶の用意をしに行くアテナさんに付いてキッチンに入った。
邪魔をしないように後ろから見ているとヤカンでお湯を沸かして、ティーポットを用意してと、アテナさんはごく普通に紅茶をいれていた。
薔薇の館でやってた事と変わりが無いので乃梨子はほっとした。
というか、アテナさんの手際は意外と鮮やかだった。
≪晃さんに聞け!≫
お茶が入って座卓のところで待っていると、しばらくして藍華さんが戻ってきた。
「アテナさん、ちょっといいですか?」
「なあに?」
そして、アテナさんと一緒に出て行ってしまった。
それと入れ替わるように、今度は晃さんがドアから顔を出した。
「お、揃ってるな?」
「あ、お邪魔してます」
「今、アテナさんが藍華さんと出て行きましたが?」
「ああ、そっちは良いんだ。とりあえず……」
そう言って部屋を見回した後、
「……そうだな、ここで良いか」
そう言って座卓のところにやってきて乃梨子たちに相対して座った。
「ええと、お茶を……」
晃さんの分はいれてなかったので、乃梨子が席を立とうとすると、晃さんが言った。
「いや、構わんすぐ終わるから」
「はい? すぐですか?」
「ああ。結論をいうと、キミらが300年前にマンホームのリリアン女学園に在籍していた事はほぼ間違いないだろう」
きっぱりそう言われて、思わず乃梨子は由乃さまと向き合った。
そして言った。
「どういうことですか?」
「まだ学生手帳と照らしあわせてませんよね?」
「ああ、それならほれ」
晃さんは、ポンとテーブルの上にそれを投げ置いた。
「あっ!」
「学生手帳!?」
それは見覚えのありすぎる、二冊の学生手帳だった。
そのうち一冊を取り上げて表紙の裏を開いてみると、由乃さまの写真と目が合った。
由乃さまの学生証だ。
「あ! 私のっ!」
即、由乃さまに奪い取られた。写真映りが恥ずかしいのだろうか?
現実の由乃さまよりちょっと貧相にみえたけど、写真は十分“美少女”って感じに写っていた。
テーブルに残ったもう一つを取って表紙を開くと、今度は乃梨子の仏頂面が写った写真。
ほら、“恥ずかしい写り”って言うのはこういうのだ。乃梨子は証明書写真の類が苦手だった。
まあ、写真の写りなんてこの際どうでもいいのだけど。
「どうして晃さんが持っていたんですか?」
「アテナさんですね?」
結局、クリーニングを受け取ったのがアテナさんで、ここで何をする予定か知っているから気を利かせて届けてくれたのかも……?
でも、その答えは半分意外で半分予想できたものだった。
「いいや。アリスから受け取ったんだが」
「「アリス(さん)!?」」
「なんで……」
「これに関しては私からは何も言えない。私はただアリスから返すように頼まれただけだ」
晃さんはぶっきらぼうにそう言い放った。
「そうですか」
どうやらクリーニングを受け取ったのはアリスさんのようだ。
でもなんでアリスさんは二人の学生手帳を持ち出したのだろう?
その理由がさっぱり判らなかった。
「さて、出身が確認できたところで、君達の今後の身の振り方だが」
「え? いえ、その前に、私たちにもその調べた結果を見せてくれませんか?」
「ん、ああ、そうか。すまん、直接それと照らし合わせたんで、今手元にないんだ」
「今、端末は使えないんですか?」
「うむ、共用と言ってもいつでも使えるわけじゃないらしくてな、私も無理を言って使わせて貰ったんだ。ましてやライバル会社の制服を着た人間を連れて行って貸してもらえるかといったら……」
「……無理ですか」
「誰でも使えるのが宇宙港にあったと思うが」
「宇宙港ですか?」
「ああ、一度見たが、カフェの座席に端末が付いたような店だった」
いわゆるインターネット喫茶か。
「判りました。そっちは自分で調べる事にします」
「悪いがそうしてくれ」
まあ、晃さんが信じてくれたってことで、ここは良しとしよう。
「では話を戻すが、君達の今後の事だ」
「あの、それはまだ……」
今日ようやく動き出したところなのだ。
「なにを言ってるか、まさかアテナのところに居候している今の立場で選択の自由があるとでも思ってるのか?」
「い、いえ、アテナさんには感謝してもし尽くせないくらいお世話になってますけど」
「アテナに借りを返したかったら、一刻も早くウンディーネになることだ。見習いでもな」
「それが唯一の選択肢なんですか?」
「そうだ。入社はアテナが推薦してくれると言ったんだろ?」
「ええ、それはそうですが……」
と、乃梨子はいきなり決め付けられる事に抵抗を感じていたのだけど、晃さんは言い聞かせるように次の言葉を続けた。
「あのなあ、水先案内店に入社ってのは簡単じゃないんだぞ」
「それは判ります。見習いのような売り上げのない人にも給料が出るって聞きました。だから、ちゃんとウンディーネを目指す人以外は入社させないんですよね?」
「ほう、よく知ってるじゃないか。正確には見習いや半人前の人数に見合った給付金がゴンドラ協会から会社に支払われているんだ。まあ会社単位でやらないのは水先案内業界全体で公平になるようになんだが。だから、なる見込みの無い人間はいれない。会社の信用問題に関わるからな」
つまり、逆にいうと乃梨子たちは見込みがあるって言いたいのか。
「はい、質問!」
と、ここで由乃さまが手を挙げた。
「なんだ?」
「ウンディーネの収入ってどれくらいですか?」
「人によるぞ? 会社の仕組みにもよるが大体が歩合制だしな」
「平均収入とか、なにか参考になる数字はありませんか?」
「そうだな。まず、プリマのゴンドラ料金の相場が一時間でお前らが昨日アテナからの貰った給料くらいだ」
「ええ!? そんなに?」
由乃さまは驚いてるけど……。
「由乃さま、修学旅行でゴンドラ乗りませんでしたか?」
「え? 乗ったけど」
「相場わかります?」
「ああ、あれは確か45分で一万円だったわ」
なるほど。
今日買い物をした感じで、乃梨子たちの貰った給料は日本円で一万円かそれより少し多い位だろうと思っていたので、だいたい同じと考えて良さそうだ。
由乃さまは続けて訊いた。
「それで、一月どれくらい働くんですか?」
「実際に客を乗せてる時間だな?」
「はい」
「季節にもよるが、夏場の忙しい時期で私のように有名人なら一日8〜9時間。これじゃ休み時間が無いがな。まあ、客のつかない日もあるから普通に働いて平均5、6時間ってところだ。稼働日は交替で週二日休むから20日から22日だな」
仮に一時間一万円として一日の売上が5〜6万円。かける20で100〜120万円だ。
もちろん一人前のウンディーネの話だけど。
「ウンディーネの給料はそれ引く、会社の経費として漕ぎ手以外の人件費、ゴンドラ管理費、社屋の維持費なんてものあったか? あと、個人にかかるゴンドラ協会に支払う会費、水難保険、人災保険、社会保険、あと税金もあるな。姫屋(うち)はみんなまとめて会社がやってくれるが」
なんか指を折って列挙してる。
「結論として幾らなんですか?」
「私か? 私の給料は秘密だ。今の話から推理しろ」
結局それか。
まあとにかく、由乃さまは言った。
「とりあえず、ウンディーネは高給取りってことで良いのかな?」
「あんまり無粋な話はしたくないんだが、旅行会社や航空会社を(資本がマンホームだから)別にしたら、確かにウンディーネは観光都市ネオ・ベネツィアで一番の稼ぎ頭だ。どうだ? やってみたくなっただろ?」
ここで由乃さまがまた手を挙げた。
「はい。もう一つ質問!」
「おう。なんだ?」
「ウンディーネになるには会社に所属するしかないんですか?」
「そうだ。ウンディーネの資格に関してはゴンドラ協会の管轄だが、協会はウンディーネが水先案内店に所属している前提で管理しているからな」
「そうですか……」
と、由乃さまはすこし拍子抜けしたのを見て、晃さんは言った。
「ちなみに、個人でやりたかったら、個人経営の会社を作るって手もあるぞ」
「え?」
「ARIAカンパニーがそうだ。あそこは昔ウチに所属していたプリマウンディーネが一人で独立して設立した会社だからな。代々少人数制で、今も人間の社員はたった三人。数年前はアリシア一人だったこともあるんだ」
わざわざ“人間の”と言うのは社長が猫だからか。
「そういうのもアリなんですか」
「水先案内人をやりながら会社経営までするのは大変だけどな」
「でもそのアリシアさんはやってたんですよね?」
「まあ、あそこはあそこでやり方があるみたいだけどな。なんだ? やる気なのか?」
「ええ、選択の一つとして有りかなって」
晃さんは「ふうん」と何か可笑しいようににやにや笑いを浮べて言った。
「その心意気は買おう。だが、見習いだけで会社設立なんて聞いたことがない。協会の認可が出るかわからんぞ?」
「でも、前例が無いだけで決まりじゃないんですよね」
「ああ、だがARIAパンパニーの創始者はお前らと違って最初からプリマだ。しかも『伝説の大妖精』と言われるほどの凄腕ウンディーネだったんだぞ?」
「……」
由乃さま絶句。
ウンディーネ個人経営への道は、なかなか険しいようだ。
質問が尽きた由乃さまに代わって乃梨子は言った。
「結局、既存の会社に入るのが一番早道なんですね?」
「まあ、そういうことだが、理屈はともかくアテナの友人として言わしてもらえば、『さっさと入社して借りを返してやれ』ってことだ」
晃さんの言いたいことはそれに尽きるのであろう。
「それは、この後アテナさんと相談します」
「相談するまでも無いと思うぞ? ああ、そうだ。会社の空気が肌に合わないって言うなら姫屋に来ても良いぞ? お前らの素質は私も把握しているからな」
「考えておきます」
話はそれまでで、その後、藍華さんと戻ってきたアテナさんは、まだ晃さんと話があると言うことなので、乃梨子は由乃さまと先に寮へ帰った。
≪さりげなく社内で知り合いが増える予感≫
風呂も食事も先にして良いと言われていたので先に食事に行って来た。
そして、食休みも兼ねて今日買った服の確認などをした。
考えてみれば、服をかける場所も無かった。
アテナさんかアリスさんの箪笥を間借りして使わせてもらうことになるだろうけど、やはり一日働いたくらいじゃ当然だけど、世話になりっぱなしという現状はあまり変わらないのだった。
とりあえず着ない服は買ってきたときの袋に戻して、由乃さまと一緒に風呂へ行く事にした。
共同浴場に向かう途中で社員の人に声をかけられた。
「こんばんわ?」
「あ、こんばんわ。何か?」
「あの、こんど社内でペアパーティがあるんですけど参加しませんか?」
「え? 社内?」
「はい、アテナ先輩の所にいるペアの方ですよね?」
「でも、私たち社員じゃないですよ?」
「ええ聞いてますけど、ウンディーネを目指している両手袋(ペア)なら参加OKですよ?」
「それも違うと思うのだけど」
そう言うと一緒にいた別の人が言った。
「でも、乃梨子さんと由乃さんの申請書類、用意できてますよ? 私、今、事務を手伝っていまして、アテナ先輩に頼まれて用意してたんですけど」
「え? 申請書類って?」
「ゴンドラ協会に提出する申請書です。あとはご本人の署名さえあればすぐに申請出せますけど」
「あの、何を申請するんですか?」
「え? ご存知無いんですか?」
驚かれてしまった。でも、ご存知も何も、何の話かさっぱりだった。
でも次は乃梨子たちが驚く番だった。
「見習いウンディーネとして協会に登録するんですよ」
「へ?」
と、変な声を出したのは乃梨子。
聞き返したのは由乃さま。
「それって、つまり?」
「言葉どおり、お二人がウンディーネ見習いになるってことですよ」
「でも、それは社員になった後じゃないんですか?」
乃梨子たちは社員になった覚えはない。
まさか本人の知らないところで既に社員にされてしまったのだろうか?
「いえ、登録だけなら社員でなくてもプリマの担当指導員さえ居れば出来るんですよ。私もつい最近知ったんですけど、給付金の処理が面倒になるだけで会社にメリットがないからやらなかっただけだそうです」
でも、それが許されるのは半人前までで、プリマになったら会社所属は必須だそうだ。
その給付金は担当指導員の所属会社に支払われることになるので、会社によってはそういうことは禁止にしているところもあるとか。
話を総合すると、社員でなくても登録さえすればウンディーネ見習いで、給付金も出るってこと?
「事務の先輩から聞いた話ですけど、アテナ先輩が調べて、マネージャーに掛け合ったみたいですよ」
「ええ!?」
「マネージャーは『前例が無い』って渋ってたみたいです」
そりゃ会社にはメリットが無いわけだし。
でもそこまでして乃梨子たちをウンディーネにしたいのか。
じゃなくって、乃梨子たちの為にそこまでしてくれていたのか。
「なんかさ、アテナさんに足向けて寝られないね」
「ええ、まあ」
アテナさんが何を考えていたか判ってしまった。
社員でもないのに二人の為にゴンドラ用意したりして。
今日、ゴンドラを漕いでたのを喜んでたのもそういう理由があったんだ。
「で、そのペアパーティっていつですか?」
「来週です。年に何回かやってるんですよ。案内状、アテナ先輩の部屋宛てで出しておきますね」
「あ、はい」
そこで社員の人たちと別れた。
考えてみたら、アテナさんとアリスさん以外の社員と話すのは、ほぼ初めてなのだけど、向うは乃梨子たちのことを良く知っているような話しぶりだった。
≪アテナさんの陰謀≫
「あ、ばれちゃった」
乃梨子が登録申請の話をしたら、アテナさんがそう言った。
風呂から戻ったらアテナさんもアリスさんも帰ってきていて、アリスさんはもうベッドで横になっていた。
それで、アテナさんから翌日のアルバイトについて説明を受けていたのだ。
「乃梨子ちゃんがあんまりやりたそうじゃなかったから、アルバイトってことで続けてもらおうと思っていたのよ」
「それで、次のアルバイトはゴンドラを自主練習してレポート提出だったんですか」
「うん、ウンディーネの教本をレビューしてもらうって名目で。これがその教本」
アテナさんが掲げた教本には『オレンジぷらねっと監修』って書いてあった。
協会に登録すると登録した本人と担当指導員に練習内容や成果の報告義務が生じる。給付金が絡むので嘘の登録をされないようにするためだそうだ。
提出するレポートがその報告書類になるのだろう。
それでバイト代という名目で給付金を渡すつもりだったらしい。
でも、今日でネタバレしてしまった。
乃梨子は言った。
「アテナさん、一つだけ答えてください」
「はい?」
「正社員じゃない私たちがやるような仕事なんて本当は無かったんじゃないですか?」
「え……?」
アテナさんは目を丸くした。
昨日の社員の人の話からすれば、アテナさんが乃梨子たちのバイト代を捻出する為に奔走していた事は想像に難くない。
アテナさんは最初、推薦があれば社員になれるみたいなことを言っていた。
なのに、今こんな裏技みたいなことをしてるって事は、社員にしようと思って出来なかったのだろう。申請の件だって、さっきの社員の人の話では上司に無理を言ってたようだし。
「私たちの為に会社に無理を言ってアテナさんの立場が悪くなっていませんか?」
突然素人の女の子を二人も拾ってきたのだから、幾らアテナさんが顔が利くといっても限界があるだろう。
「乃梨子ちゃん、一つって言っておいて二つ聞いてるわよ?」
「由乃さま、そう言う問題ではありません」
「そうなの」
アテナさんはベッドの上でしゅんとなってそう言った。
「本当はね、当面は働かなくても生活できるだけの支援をしてあげるつもりだったの」
「そんなもの受け取れません」
「うん、そう言うと思ったから。乃梨子ちゃんも由乃ちゃんも、それを言ったら野宿してでも自活しようとすると思ったから」
いや、流石にそこまでのこだわりはないと思う。現にこの部屋に居候して服も借りてる訳だし。
「でも私はウンディーネの事しか知らないから。ううん、ウンディーネのことなら良く知ってるから、乃梨子ちゃんと由乃ちゃんがウンディーネとしてやっていけるようにって考えたの。黙っててごめんね」
「いえ、別に怒ってるわけじゃないんです。ただ……」
そういうことならちゃんと言って欲しかった、という思いがあった。
でも、乃梨子が煮え切らなかったのも悪いのだ。
アテナさんは乃梨子たちの意志を尊重しようとしていた。だから言わなかった、いや、言えなかったのだ。
「私のことは大丈夫だから気にしないで」
立場が悪くなってる事を気にしてるのならば、ってことだろう。
「それを信用しろとおっしゃるのですか?」
これだけのことを聞かされたのだから、アテナさんがまだ自分を犠牲にしていないかって不安になる。
「その点は私がでっかい保証します」
「え?」
口を挟んだのは、アテナさんの向うで、もう寝てるかと思っていたアリスさんだった。
「アテナ先輩はこうみえてもドジっ子なんです。手続きが進んでるってことは協力が得られたって事ですから心配要りません。本当に立場が悪くなってたらアテナ先輩は何も出来ませんから」
何気に酷い事を言ってるのだけど、アテナさんは気にした風も無くむしろこう言った。
「アリスちゃん、ありがとう」
照れ隠しなのか、アリスさんは体ごとむこうを向いてしまった。
「判りました。そこまでして頂いたら断れませんよ」
「じゃあ、ウンディーネになるの?」
「いつ一人前になれるのか判りませんが、やる以上はちゃんとそこを目指して練習しますから」
正直、自分が接客業に向いてるとは思えないのだけど、このところゴンドラを漕ぐのが楽しくなりだしているのも事実だった。運が良かったのか悪かったのか、アテナさんに拾われた瞬間から、もうそういう流れが出来てしまっていたようだ。
「由乃ちゃんも?」
「ええ、私ははじめからそのつもりでしたけど」
「あ、由乃さまずるい」
これでも乃梨子は結構悩んだのに、あっさり決めてしまう由乃さまがちょっと憎らしかった。
由乃さまは眉を寄せて言った。
「……違うでしょ?」
「あっ、由乃先輩?」
「やっぱり定着しないわね……」
この日は乃梨子がウンディーネになるという覚悟を決めた日となった。
≪キャーを探せ!≫
ところで。
「由乃さま」
「なあに?」
「帰る方法を探す話ですけど」
とりあえず、仕事の話は腹を決めたので、ようやく本題に入れると言ったところ。
由乃さまは既に寝る体勢だったけど、あえて話を持ち出した。
「ああ、考えてるわよ」
「なにか心当たりがあるんですか?」
「うん、まず“キャー”を探すのよ」
「へ?」
「あの大きな猫よ」
「ああ」
すっかり忘れていたが、始まりは確かにあの非常識に大きな猫からだった。
「火星猫だっけ? ここの猫は大きいって話だから」
「でも、仔猫でアレですよ」
向かいのベッドにいるまぁくんに視線を向ける。
確かに大きいような気もするけど、『大きめ』って程度で普通の猫の範疇のような気がする。
「あれは一回りなんてもんじゃなくて化け猫の範疇では?」
「それよ!」
「は?」
「私も見かけたけど、火星猫ってほんとに大きいのよね。それに一昨日の練習の時アテナさんに聞いたんだけど、ものすごく長生きなんだって」
「そのようですね」
由乃さまは何が言いたいのだろう?
「だから、長く生きすぎて化け猫になった猫が居るに違いないわ。いいえキャーはその化け猫なのよ!」
なんか得意げに断言してるけど、その自信はどこから来るのだろう?
「……その化け猫が私達をここに連れて来たとかいうんじゃないでしょうね?」
「そうよ!」
ああ……。
未来の地球外惑星の次は化け猫ですか。
「猫の話をしてましたか?」
なにやらアリスさんがこっちの話に興味を持って向うのベッドから話し掛けてきた。
辺りが静かだから声がよく通る。
「してましたけど?」
乃梨子が答えると続けて由乃さまが言った。
「アリス、人の背丈くらいある大きな猫知らない? 話だけでもいいんだけど」
「ケット・シーですか?」
即答だった。
「知ってるんですか?」
「マンホームのハイランド地方に伝わる伝説に登場する猫の王様のことです」
「伝説?」
なんだ伝説か。
「はい、ケット・シーは牡牛ほどもある大きな黒猫で胸に白いぶちがあるといわれています」
由乃さまが、乃梨子に視線を向けた。
「違うよね」
「ああ、はい」
乃梨子たちのやり取りにアリスさんは、
「見たんですか? ケット・シー」
と、それが現実に居るのが当たり前のような言い方で言った。
そういう話に耐性が出来たって言ってたけど、そんな伝説上の猫も“あり”なのか。
由乃さまは言った。
「それかどうか判らないけど、トラ猫だったよね?」
「はい。目は金色で……」
と言ってから、乃梨子はアリスさんの表情を伺った。
アリスさんは、なにやら目を丸くして驚いている。でも、特に疑っている気配はなかった。
「実は、どういうわけかケット・シーと良く遭遇する友人がいまして」
いや疑ってるどころか、話にノリノリだった。
「例の灯里さんですよね?」
「灯里先輩はもちろんですが、ゆ……、あいえ、マンホームのアイちゃんもなんです」
「アリスは?」
「残念ながら、私は一度も」
「でもそれって、地球の伝説じゃなかったんですか?」
「はい、その辺はでっかい謎ですけど。そのでっかいトラ猫はキャーというんですか?」
「そう名乗ってたわ」
答えたのは由乃さま。乃梨子は聞いていない。
「もしかしたらケット・シーの仲間かもしれませんね」
「じゃあ、そのケットシーでも良いわ。なんとか会えないかしらねぇ?」
「そうですね……」
由乃さまとアリスさんは真面目に討議をしていた。
いきなりファンタジーな話になって、いまいちついていけないのは乃梨子の方だった。
それにしてもアリスさん、乃梨子たちが過去から来た事は信じないくせにそういう話は喜んで話すんだ。
そんなアリスさんは言った。
「猫の集会所に行けば会えるかもしれません」
「猫の集会所?」
「ええ、街中の猫達が定期的に居なくなることがあるんですけど、そういう時にそこで猫の集会が開かれてると言われています」
夜な夜な地域の猫たちが広場などに集合するのは猫の習性としてよく聞く話だ。
でも、あれは空き地や公園とかに集まるって話で特別な集会所があるなんて聞いたことがない。
「どこなのよそれって」
「さあ?」
「判らないの?」
「お出かけする猫を追いかけてみるのはどうですか?」
そんな提案を冗談でなく本気でしてくれたアリスさんだけど……。
折角、話が出来る雰囲気になっているので乃梨子は聞いてみた。
「ところで、アリスさん」
「はい?」
「今日、私達の学生証を持ち出しましたよね?」
「え? それは……」
「晃さんから聞きました。晃さんはアリスさんから渡してくれるように頼まれたって言ってましたよ?」
「そ、そうでしたか」
「別に良いんですけど、何でかなって思って」
視線の落ち着かないアリスさんは、答えずに沈黙した。
答えたくないらしい。
乃梨子は別に責めるつもりはなかった。
だから、今は理由を聞くのは諦め「ま、いいか」と乃梨子は一息ついた。
その時だった。
アリスさんが呟くように言った。
「……例えば、仮にですよ」
「はい?」
「仮に、帰る方法が見つかったら」
「そんな確率が低そうな言いかたして欲しくないわね」
と口を挟んだのは由乃さまだ。
「すみません。では、その時にですよ」
「見つかったらすぐ帰るわ」
「由乃さま」
話を聞きましょう、とアイコンタクト。通じたようで由乃さまはちょっとむっとした顔をしたが、黙ってアリスさんの次の言葉を待った。
アリスさんは一息ついてから言った。
「そうですよね、帰りますよね。で、ですね、それまでにですね……」
どうも余程言いにくい事がまだあるような言い方だった。
「他にお友達が、いえ仮の話ですよ? 同じところから来たお友達に会ったら」
同じところから来た友達と聞いて乃梨子は志摩子さんを連想した。
「アリスちゃん」
そこで、今まで黙って本を読んでいたアテナさんが声を出した。
というか両側で会話されて本に集中できなかっただろうに。
「アリス?」
続きは? と由乃さまが促したけれど。
「いえ、いいです。忘れてください」
アテナさんに話の腰を折られた形になったアリスさんは、そう言った後、何故か辛そうな顔(?)をして押し黙った。
また沈黙が部屋を支配した。
それを破ったのは由乃さまだった。
「私ならどうするかって話なら、見つけたら連れて帰るわ。もし『嫌だ』って言ったら引きずってでもよ!」
きっぱりとそう言いきった。
その気持ちは判る。
辛そうにしていた祥子さまを、いや、祥子さまを気遣って祥子さま以上に気疲れしていた令さまを間近で見ていたのは由乃さまなのだ。
でも、そこで一瞬、アリスさんが由乃さまをまるで親の敵でも見るような目つきで睨んだのが何故なのか。
このときの乃梨子には判らなかった。
あとがき三行
考察してみました。現金な話ですみません。
アテナさんはいい人すぎ。
ARIAカンパニー方面は読み手には見え見えなので、更に判り易くする試み。