【2054】 逝かせてあげる♪アラクレティータイム  (いぬいぬ 2006-12-16 09:28:52)


「乃梨とら」シリーズ第2部第4話です。
【No:2050】→【No:2051】→【No:2053】→コレです。








 薔薇の館の2階では、とらを囲んで山百合会のメンバーが「とら育成計画」の手順。つまり、誰から講師役を務めるかを話し合っていた。
 何故か薔薇さま3人がヤケに乗り気で、我も我もと講師の名乗りを上げていたのだが、とりあえずこれは白薔薇家の管轄だろうと言うことで、まずは志摩子が講師の先陣を切ることになった。
「 さて志摩子さん、何から始めるの? 」
「 そうね・・・ 」
 乃梨子の問いに思案顔の志摩子だったが、そこで面白いことを思いついたらしく、珍しく悪戯な笑顔を浮かべる。
「 まずはお茶にしましょうか? とらちゃんも飲みたがってたことだし 」
「 お? 志摩子のクセに話が分かるな? 」
「 ・・・・・・・・・ 」
「 志摩子さん落ち着いて! テーブルなんか持ち上げられないでしょ?! 」
 テーブルの端をつかみ、力を込めすぎて真っ赤な顔でプルプル震え始めた志摩子を、慌てて止めに入る乃梨子。
「 とら! アンタもちゃんと“志摩子さま”って呼ばないとダメでしょう? 」
「 ・・・・・・は〜い 」
「 返事は短く 」
「 はい! 」
「 元気ありすぎるけど、まあよろしい。・・・だから志摩子さん、椅子はダメだって! 」
「 さっきも同じこと言われてたのに・・・ 志摩子さまは学習能力無いんだな(フッ) 」
「 うふふふふふふふ・・・ とらちゃん? 今、鼻で笑ったわね? 」
 椅子から手を放し、笑いながらとらに向かってゆらゆらと歩き出した志摩子を、全力で止める乃梨子。
「 とら! やめなさいってば! 志・・・うわ、怖っ! 志摩子さん、その邪悪な笑顔やめて! 」
「 ・・・・・・・・・・・・邪悪? 」
「 うわ、いや、あの・・・ 」
 その“邪悪”な笑顔で問い返され、思わずどもる乃梨子だった。
 ・・・思わず本音が飛び出すほど疲れていたんだね、乃梨子。
「 や〜い、や〜い、邪悪な笑顔〜。邪悪な志摩子〜。略して邪魔子〜 」
「 邪魔ですって? 」
 調子に乗って小学生のようなセリフで囃し立てるとらに、とうとう微笑みすら消える志摩子。
「 ふたりとも止めて・・・ 」
( 乃梨子さまったら、まるで嫁姑の板ばさみになっている気弱な夫みたいですね )
( プッ ・・・菜々、悪いわよ、そんな本当のこと言っちゃ )
「 聞こえてるわよ! そこの暴走姉妹! 」
 わざとギリギリ聞こえる声で言う黄薔薇姉妹に、思わず八つ当たりする乃梨子だった。
「 失礼な。誰が暴走姉妹よ! 」
「 そうです。失礼です。 」
「 まったくよ 」
「 暴走するのはお姉さまだけです 」
「 そう。先走るのはいつも私・・・・・・・・・ 菜々? 」
「 事実ですが何か? 」
 呼吸するが如くリズミカルにノリ突っ込みをこなす黄薔薇姉妹はとりあえず放置と決め、乃梨子は改めて志摩子ととらに向き直る。
「 と、とりあえず志摩子さんの言うとおり、お茶でも飲んで落ち着こうよふたりとも・・・ 」
 なんとかふたりの間を取り持とうとする乃梨子に、「ああ、違うの乃梨子」と言う志摩子。
「 お茶はお茶でも、作法に則っていただくお茶よ 」
「 え? ・・・ああ、そういうことか。でも、道具とかどうしよう? 」
「 確か1階の倉庫に揃っていたはずよ 」
「 ・・・・・・前から思ってたんだけど、ここの倉庫って、どれだけ品揃え豊富なんだろう 」
「 あそこは、薔薇の館の歴史資料館でもあるから 」
「 ・・・・・・ね〜 」
「 じゃあ、さっそく探してみようか 」
「 そうね、この人数なら道具を運ぶのも楽でしょうし 」
「 ね〜ってば。乃梨子・・・さま、道具って何のこと? 」
「 ちょっと待っててねとら。あ、志摩子さん、抹茶の粉とかは・・・ 」
「 それなら、流しの棚の中に頂き物が・・・ 」
「 ね〜ってば! ふたりとも何の話してるの?! 」
 志摩子と乃梨子の会話に入っていけないとらが声を荒げる。
 いや、会話はともかく、ふたりの間に割り込めないのが悔しいようだ。
 そんなとらの様子に、志摩子は少し余裕を取り戻し、「お茶を飲むための道具よ」と答えた。
「 お茶入れる道具なら、そこの流しにあるじゃん。志摩子さま頭悪いなぁ 」
「 ・・・・・・・・・・・・ 」
「 相手にしちゃダメだよ志摩子さん・・・ このままじゃ話が進まないから。まずは椅子を置いて道具探しに行こう? 」
 さすがに3度目なので、落ち着いて志摩子から椅子を取り上げる乃梨子だった。
 こうして、一同はとりあえず1階で道具を探すこととなった。
 「茶道」の道具を。
( 良い機会だから、私も色々な作法の基本的なところを、リリアンで“常識”とされるルールを押さえとこう。・・・・・・とらに悟られないように )
 乃梨子は気付いていなかったが、それは、初めて乃梨子自身がリリアンという世界の奥深くに、自ら踏み込もうとした瞬間だった。
 これまで、リリアンは今まで自分が住んでいた世界とは異質なものだと乃梨子は思っていた。
 つまり、リリアンで常識とされることでも、「異世界の話なんだから、私が知らなくても仕方ない」と。
 実は、この「私は周りと違う」という思考が薄いベールとなり、無自覚とはいえ常に乃梨子自身を包んでいた。それが、クールと評される性格と相まって、生粋のリリアン育ちとの間に、薄い壁を作ってしまっていたのだ。
 実際、瞳子などの積極的に乃梨子に声を掛けてくる人種以外では、実は乃梨子の交友関係はあまり広くない。乃梨子もそれは自覚していたのだが、今までは志摩子を中心に動く狭い世界に満足していて、特に不満は無かったのだ。
 だが、とらという存在を得た今、それだけでは足りないと思うようになっていた。
 今までは少しくらい自分がリリアンで常識とされる作法を知らなくとも、「一番の友人にして頼るべき姉・志摩子」や「かけがえの無い仲間・山百合会」ならば、そんな乃梨子を咎めることも無いし、むしろ正しい方向に導いてくれていたから。
 しかし、とらのこととなると話が違ってくる。とらは、乃梨子が初めて「自分が守り、導くべき者」と意識した存在なのである。
 リリアンというある種閉じた世界で、誰かを守り導くというそれを実行するには盾がいる。リリアンの常識、つまりはお嬢さま達の世界のルールとでも言うべきという盾が。その盾でとらを包み、守りながら導かねばならないと、乃梨子は自覚し出したのである。
 初めてリリアンという未踏の世界の奥深くへと踏み込もうと決意した乃梨子の想いは、きっととらだけでなく、乃梨子自身すらをも“姉”という新しい領域へと導く力となるだろう。
「 ね〜乃梨子さま、マフィン食べて良い? 」
「 少しは我慢しなさい!! ( すぱーん!) 」
 とりあえず必要な力は、ハリセンを駆使する腕力かも知れないが。





☆ とら育成計画・白薔薇編 ☆

( ・・・・・・良かった、ひとりでとらの教育始めなくて )
 目の前に並べられた茶道具の多さに、乃梨子は内心冷や汗をかいていた。
 茶道の道具と言えば、抹茶を入れる茶碗やお茶を点てる茶筅、湯を汲む柄杓といった代表的なものしか思い浮かばなかった乃梨子は、それ以外にも様々な道具が必要なのだと、目の前に並べられた道具を見て、初めて知ったのだ。
( 同じ和の世界でも、仏像と茶道だと、少し守備範囲が違うからなぁ・・・ )
 同じ理由で、乃梨子は華道などにもあまり深く関わってはこなかった。
「 これが“茶碗”、お茶を飲む器。これが“茶筅”、実際にお茶を点てる道具。そして、お湯を沸かす“風呂釜”と、沸いたお湯を注ぐ“柄杓”。この辺りは目にしたこともあるかしら 」
( 私もそれくらいしか知りませんでした・・・ )
 心の中で告白する乃梨子の横で、実際にお茶を点てる場に敷く“緋毛氈”(これも1階にあった)の上にとらと向かい合ってちょこんと正座したまま、志摩子がとらに茶道具の説明を始めている。
( それにしても・・・ )
 解説を聞きながら志摩子の回りを見てみると、風炉釜を載せて湯を沸かすための火を入れる“風炉”、抹茶を入れる“棗”、風呂釜に水を継ぎ足したり椀をゆすいだりする“水差し”、お茶菓子を入れる“菓子器”、はては道具の向こうに立てる屏風である“風炉先”までが揃っていた。
 乃梨子は改めて1階の倉庫に脅威を感じる。
( 本格的に探したら、何が出てくるか分からないわね )
 先ほど全員で道具を探している時に、良く菜々が探検を始めないなと思ってそう聞いてみたら、遠い目をした菜々曰く「さすがに手に余ります」だそうだ。実際に手を出して、探索しきれなかったらしい。実に謎の多い倉庫である。
「 さて。茶道具には色々な種類があるだけでなく、季節によって使う道具も変わったりするから覚え切れないと思うし、今日は作法が本題だから解説はここまで。実際にお茶を点ててとらちゃんに飲んでもらいましょうか 」
「 はーい 」
 素直に返事をするとらに、やっと教育の成果が出始めたかと少し感動する乃梨子だったが、同時に「素直にお返事ができるって、幼児レベルじゃん」と気付き、再び落ち込んだりしていた。
「 色々な流派によって細かいところは違うけれど、今日はそこまでこだわらずに、基本的なお茶の頂き方を教えるわね 」
 そう言って志摩子は実際に風炉釜から湯をすくい、棗から取り出したお抹茶を入れた茶碗に注ぎ、お茶を点て始める。その姿は手馴れており、気品すら漂っていた。
( 格好良いなぁ、志摩子さん。正座した姿勢が綺麗だし、手元に迷いが無いわ )
 志摩子に見とれていた乃梨子だが、ふと、とらの姿を見て「おや?」と疑問に思った。
「 ・・・・・・とら 」
「 うん? 」
「 ・・・違うでしょ 」
「 え〜と・・・ “なんでしょう? 乃梨子さま” 」
 少し考えてから言い直すとらに「よろしい」とひとつうなずき、乃梨子は質問を続けた。
「 あんたも正座した姿勢が綺麗ね。どこかで習ったの? 」
「 え? ・・・・・・ああ、お母さんに怒られる時の基本姿勢だったから。姿勢崩すと余計怒られたし 」
「 ・・・そうですか 」
 もの凄く納得しつつも聞かなきゃ良かったと思う乃梨子をよそに、お茶を点て終えた志摩子がとらの前に静かに茶碗を差し出す。
「 お茶を出されたら、まずは片手で手元にお茶碗を引いて膝の前に置いて、お辞儀をするの 」
 志摩子に言われるままに、とらは茶碗を手元に引き、お辞儀をする。
「 お辞儀をしたら、右手でお茶碗を取って、左手のひらに乗せるの。そうしたら、胸の高さ辺りまで持ち上げて。これは、お茶を点ててくれた人に感謝しておしいただく気持ちを表すのよ 」
 そっと茶碗を持ち上げるとらの姿は、なかなかの物だった。やはり姿勢が綺麗だと、その所作も綺麗に見えるものだ。
( とらを厳しく躾けてくれたお母さまに感謝・・・ して良いのかな? )
 美しい姿勢の根源がお説教なだけに、乃梨子は素直に感謝して良いものかどうか悩んでしまう。
「 右手で向こう側から手前へ引くように2回、お茶碗を回して・・・ そう、そんな感じで。後はお茶碗に右手を軽く添えて、背筋を伸ばしてゆっくりと飲むの 」
「 ・・・・・・にが 」
 初めて味わう抹茶の味に、とらは思わず顔をしかめて呟いた。
「 うふふ・・・ その苦味も味わいのうちよ? 飲み終えたら、飲む時に口を付けたところ・・・飲み口を右手の指でつまむように拭いて、さっきとは逆に回してから下へ置くの 」
 顔をしかめたままで、とらは茶碗を置く。よほど苦かったらしい。
「 最後にお辞儀をして・・・ 」
「 ごちそーさまでした! 」
「 ふふっ。挨拶は“結構なお手前でした”よ 」
 元気良くごちそうさまをするとらに、志摩子も苦笑いしている。
「 どお? 手順はそれほど難しくはないでしょう? 」
「 うん・・・ いや、はい 」
 隣りで身動きする乃梨子の“突っ込み”の気配を感知して、言い直すとら。
「 自分のために何かしてくれた人に、感謝の気持ちを持って接するということや、礼儀を重んじることは、日常生活にも通じる大切なことよ 」
 姿勢を正した志摩子の言葉には、何か神聖な雰囲気があり、とらも素直に「はい」と返事を返す。
「 うふふふ。どうだったかしらとらちゃん。初めての茶道の感想は? 」
「 苦かった 」
 とらの素直すぎる感想に、志摩子も明るい笑みを浮かべていた。とらと接するうちに、何だか初等部の子と接しているような気分になってきたのだろう。
「 確かに初めて飲んだら苦いかもね。でも、それもお抹茶の味・・・ 」
「 志摩子さまはお茶の淹れ方がヘタなんだな 」
「 ・・・・・・なんですって? 」
 とらの素直すぎる発言に、志摩子は静かに笑顔で問い返したが、明らかに周囲の気温を下げるほどの怒気を含む声音だった。
「 乃梨子さまの淹れてくれた紅茶は苦くなくて美味しかったもん 」
「 と、とら! 抹茶っていうのは・・・ 」
 急速に凍ってゆく空気に、乃梨子は慌ててとらをたしなめようとしたが、逆に志摩子の「 乃梨子、少し黙っていてくれる? 」という低い呟きに沈黙させられてしまった。
「 乃梨子さまの淹れる紅茶はおいしーぞ! 苦くないし、良い匂いだし、飲むと思わず気が抜けるんだぞ! 」
『 気が抜ける? 』
 とらの発言に思わず全員が突っ込む。
 おそらく“ホッとする”とか“落ち着く”とかいう感じのことを伝えたかったのだろうが、とらの説明だと、何だか自分の淹れた紅茶が飲んでガッカリするような物みたいな言い方をされ、乃梨子自身がガッカリしてしまった。
「 とらちゃん、別に私のお茶の点て方がヘタな訳ではなくて・・・ 」
 誤解を解こうと、志摩子は弁明しようとするが、
「 乃梨子さまの淹れたミルクティーなんて、カステラといっしょに飲むと、もーサイコー! 」
 もちろん、とらは聞いちゃいなかった。片手を突き上げて、乃梨子の淹れた紅茶がいかに美味しいかを力説するのに夢中だ。
「 とらちゃん・・・ 」
「 こないだ淹れてくれたシナモンティーも良い匂いで・・・ 」
「 シナモンティー? 」
「 あ、馬鹿! 」
 とらの発言に、ふたりの人間が反応を示した。
 怪訝そうに志摩子が、慌てたように乃梨子が。
「 乃梨子さまが持ってきたシナモンスティックっていうやつを使って・・・ 」
「 ・・・乃梨子。シナモンスティックなんて持ってきていたの? 」
「 えっと・・・ 志摩子さんが環境整備委員会でいなかった時に・・・ 」
 志摩子の詰問に、目をそらしつつ答える乃梨子。
「 それがクッキーにスゴイ合うんだ! 」
「 ・・・私は飲んだ覚えがないのだけど? 」
「 いや・・・ 2本しかなかったから・・・ 志摩子さんはいなかったし、とらと私で・・・ 」
「 うん、どー考えても、志摩子さまは乃梨子さまよりお茶の淹れ方がヘタだな! 」
「 そう・・・ 私のいない隙に、とらちゃんを薔薇の館に連れ込んで、そんなことを・・・ 」
「 連れ込んで?! そ、そんな言い方されるとまるで浮気したみたいに聞こえ・・・ 」
 自分なりに結論を出してはしゃぐとら。
 自分の知らないところで、乃梨子ととらだけが共有する秘密を知り、嫉妬に燃える志摩子。
 自分のちょっとした行動が最悪なタイミングと最悪な形で露見し、逃げ場を失った乃梨子。
 薔薇の館に、嫌な三すくみが出来上がりつつあった。
 だが、三すくみの当事者であるはずのとらは、冷や汗を垂らす乃梨子や、そんな乃梨子をじとっとした視線で見つめる志摩子にはお構いなしに、お腹が減ったのか、菓子器に盛られたマフィンに手を伸ばし、モリモリとほお張り出した。
「 ・・・とらちゃん。茶道では、お菓子は箸で菓子器から懐紙に移してから頂くものよ 」
 更に言えば、菓子はお茶を点てる前に頂くのだが、それはさておき。
 乃梨子を凝視したまま呟く志摩子。
 とらは志摩子の低い呟きに素直に返事をしようとしたのだが、なにせ口いっぱいにマフィンをほお張っていたため、それをモリモリと咀嚼するのに忙しくて、声が出せなかった。
 しかし、色々とテンパっていた志摩子は、それを“無視”だととらえてしまった。
 その結果・・・

  ぷ つ ん

( あ、何だか聞き覚えのあるよーな無いよーな音が・・・ )
 乃梨子がそう思った瞬間、志摩子がセーラーカラーのうなじの辺りから、右手で何かを恐ろしいスピードで引き抜いた。

 び ゅ お ん !!
 
 唸りを上げて飛来する何かを察知し、とらは横に転がって間一髪で“それ”を避けた。
 ごろごろと2、3回転してから、まるで野生の生き物の如く四つん這いの体制で止まるとら。
( 何だか罠から逃れた動物みたいだな・・・ )
 乃梨子がそんな呑気な感想を浮かべていられたのも、志摩子の右手を確認するまでだった。
「 な!・・・ あれはまさか! 」
 乃梨子は我が目を疑った。
 志摩子の右手に当然のように納まっていたのは、先ほど乃梨子が鍵付きのロッカーに封印したはずの、乗馬用鞭だったのだ。
「 い、何時の間にアレがまた志摩子さんの手に・・・ 」
 確かに私が封印したはずなのにと驚愕する乃梨子の後ろで、瞳子が答える。
「 先程、茶道具を探している隙に私が・・・ 」
 ぐりっと首だけで瞳子の方へ振り向き睨む乃梨子に、瞳子は自慢気に続ける。
「 あんな鍵、私にかかればものの30秒で開きましたわ 」
 一仕事終えたような良い笑顔で、右手に持った怪しい針金の束のようなものをチャリチャリと弄びながら。
「 余計なことすんなぁぁぁぁ!! (ごっす!) 」
「 いっ・・・・・・・・たぁぁぁい!! ぐーは反則ですわ乃梨子! ぐーは! 」
 ぐー(鉄拳)で突っ込まれ、瞳子は少し涙目になりながらも乃梨子に抗議する。
「 やかましい!! 何ならチョキ(目潰し)で突っ込むわよ?! だいたい何でピッキングの道具なんか持ってんのよ!! 」
「 紅薔薇の伝統芸能ですわ!! 」
「 そんな伝統芸能があるかボケェェェェェ!! 」
「 ・・・・・・乃梨子ちゃん 」
「 だいたいアンタ、私の鞄から数珠を盗んだ時も思ったけど、手クセ悪すぎよ! 」
「 まあ! あれは乃梨子と白薔薇さまのためを思えばこそ、瞳子は嫌々ながらも・・・ 」
「 乃梨子ちゃん 」
「 嘘つけ!! 嫌々やって、あんなに鮮やかに盗めるかぁ!! 」
「 何ですって?! 人をまるで窃盗の常習犯みたいに! 」
「 乃梨子ちゃんってば 」
「 何ですか祐巳さま! 今、瞳子と大事な話を・・・ 」
「 うん、それは見れば解かるけど・・・ 」
 そこで祐巳はすっと指を差しながら告げた。
「 あのままだと、志摩子さんがとらちゃん仕留めちゃわない? 」
「 うわぁぁぁ! ふたりとも止めてぇぇぇ!! 」
 「夕焼けが綺麗だから、明日は晴れじゃない?」くらいの何気無さで言う祐巳に、やっぱり紅薔薇は敵だと再確認した乃梨子。
 そんな乃梨子の横で、志摩子ととらの対決も進行していたのである。
 やけに手馴れた感じで縦横無尽に鞭を振る志摩子に対し、とらは猫科の獣のような敏捷性で、何とか避け続けていた。
 互いに全力で戦っていたため、ふたりともすでに息が上がり始めている。
 何か決定打が欲しい志摩子は、あるモノに目を止めフッと微笑んだ。
「 志摩子さん! それは洒落にならないから!! 」
 志摩子の意図に気付いた乃梨子が叫ぶが、志摩子はかまわず柄杓を手に取った。
 そして、風炉釜の蓋を開けると、迷わず中のお湯をすくい、にっこり笑いながらとらに向き直った。
 とらも志摩子の意図に気付くが、志摩子は構わずそのまま柄杓を振り抜き、中のお湯をとら目がけて発射した。
「 とら!逃げ・・・ 熱っ!! 」
 ・・・液体というのはやっかいな物で、たとえ本人が標的に向けて全て発射したつもりでも、器から滴るその雫は予測不能な動きをする訳で。
 それは、本人も意図しない方向へ「こぼれ弾」として飛んでいったりする訳で。
 具体的に言うと、姉の暴挙を止めに入ろうとした妹の顔面とか。
「 志摩子さん止め・・・ 熱っ! 火傷でもしたら・・・ 熱ぅ!! 」
 とら自身は上手くお湯攻撃を避けていたのだが、なまじ志摩子に近付いて止めようとしている分、乃梨子は「こぼれ弾」の洗礼をモロに浴びていた。
 ちなみに抹茶に用いるお湯の適温は、抹茶の種類にもよるがおよそ80℃前後。志摩子はお茶を点てる時に風炉の火を落としていたので、だいぶ温度は下がっているはずだが、乃梨子の芸人並みのリアクションを見るに、まだ結構な温度がありそうだ。
 一方、とらも黙って志摩子のお湯攻撃を受け続けるつもりは無かった。
 逃げ回りながらも一瞬志摩子に近付き、素早く棗を奪い取った。そして、志摩子の攻撃を巧みに避けながら、棗の中味をつかんだ。
「 とら! アンタもやめ・・・ ぷあっ!ゴッホ!ゴッホ! 」
 液体による直線的攻撃を続ける志摩子に対し、とらは棗に詰められた抹茶という粉末による目潰し攻撃に出た。
 ・・・まあ、今度も主に被害を受けたのは、とらに近付いて止めようとした乃梨子だったが。
 しかし、ここで戦うふたりにも予想外のことが起こった。とらの目潰しをまともに浴びた乃梨子が、前が見えないためにフラフラとふたりの攻撃の射線上に入ってしまったのだ。
『 あ 』
 ふたりが乃梨子の存在に気付き、揃ってマヌケな声を上げたのは、不幸にも互いに攻撃を放った後だった。

 ご き っ ! び し ゃ ぁ ぁ ぁ !!

「 あづあぃだぁぁぁぁ!! 」
 ユカイな奇声を上げつつ、床に倒れバタバタとのた打ち回る乃梨子。
 志摩子の放ったお湯と、抹茶の粉を投げ尽くしたとらの投げた棗本体の直撃は、結構な破壊力があったようだ。
『 乃梨子!! 』
 やっと我に返ったふたりが乃梨子に駆け寄る後ろで、紅と黄の姉妹は乃梨子とは別の意味でのた打ち回っていた。
 コントのような乃梨子のやられっぷりに笑いすぎて、酸欠になったらしい。
「 何を笑っているの!! 早く水を持ってきて!! 」
「 あと、タオルと目薬も!! 」
 志摩子ととらの一喝に慌てて立ち上がる紅と黄の姉妹だったが、顔は笑ったままだった。
 全員で流しの棚をゴソゴソと漁っていると、志摩子の「何故こんなことに・・・」という呟きが耳に入り、全員が「アンタがやったんでしょうが!」と突っ込みたいのを全力で我慢するはめになった。特に菜々は、志摩子の天然な発言にまだあまり慣れていないのか、再び酸欠に陥り、流しの壁際で崩れ落ちている。
「 乃梨子・・・ ごめんなさい 」
「 乃梨子・・・ 目ぇ大丈夫か? 」
 さすがに反省するふたりの前で、乃梨子は緑色に染まったまま気力を振り絞って起き上がる。その姿は、さながら病原菌に侵されたゾンビのようだった。
 その無闇に迫力のある姿で、乃梨子はふたりに呟く。
「 ・・・・・・・・・ふたりとも。もう少し仲良く!! 」
『 はい、ごめんなさい 』
 しゅんとうなだれるふたりを見て、乃梨子は「これで少しはおとなしくなってくれるだろう」と、少しだけ満足したのだった。
 

 ・・・このしおらしさが何時まで続くかは別として。




 


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