「乃梨とら」シリーズ第2部第6話です。
【No:2050】→【No:2051】→【No:2053】→【No:2054】→【No:2056】→コレです
春の陽射しの中に、乙女達のざわめきが響いている。
武蔵野の面影を残すこの学び舎でも、朝の忙しさは平等にやってくるようで、純粋培養のお嬢さま達も、慌しくそれぞれの教室へ向かう姿が見受けられる。
もちろん、スカートを翻して走るなどというはしたない姿などは見受けられないが。
そんな乙女達の中でも、長い黒髪と長身で一際目立つ姿があった。
彼女も教室へと急いでいる。
「 ごきげんよう、可南子さま 」
「 ごきげんよう 」
下級生の挨拶にクールに返す彼女の名は細川可南子。バスケット部所属の2年生。
1年生の時は、クラスメイトとも積極的には馴染もうとはしない、ある種の殻に閉じこもっていた時期もあった彼女だったが、バスケットを通じて仲間というものの大切さに触れたのか、最近はだいぶ角が取れたと言おうか、穏やかな印象になってきた。
「 ごきげんよう、可南子さま! 」
「 ・・・ごきげんよう。早く教室へ向かわないと遅刻するわよ 」
人間とは現金なもので、以前は彼女の異質さの一画をになっていた長身も、今では「凛々しくて格好良い」と騒がれ、下級生達の憧れの対象になりつつある。
朝の忙しい時間に、彼女とのごきげんようのやり取りで嬉しそうにはしゃぐ1年生達に足を止められるほどに。
( さて、私も急がないとね )
そろそろ予鈴の鳴る時刻も近い。可南子が少し急ごうとすると、後ろからパタパタと駆け寄る足音が聞こえた。
( ・・・バスケ部の1年生かしら? )
体育館から校舎へと向かう道なので、部活動をしていない生徒が通る道ではないため、可南子はそう思った。
朝の忙しい時間とはいえ、そこはお嬢さま養成所たるリリアンのこと。駆け足で先を急ぐのは少しはしたない。そう思い、可南子が足音の主に一言注意すべく足を止めた瞬間、突然腰の辺りに誰かが“がっし”と抱きついた。
「 きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 」
いきなり抱き着かれ、驚いた拍子に悲鳴を上げる可南子。
何ごとかと腰の辺りを見れば、そこには見知った顔があった。
「 の・の・の・の・乃梨子?! いきなり何ごと?! 」
突然抱きつかれたことと、らしくもない悲鳴を上げてしまったことで、少し顔を赤くしつつ問う可南子に、乃梨子は大声で答えた。
「 助けて下さい!! 」
それはもう何と言うか、世界の中心で叫んでもおかしくないほどの「助けて下さい」だった。
ついでに言えば、可南子の腰に抱きつく不自然な体制のおかげで、乃梨子は妙なへっぴり腰になっている。
「 助けてって、何を? 」
「 助けて下さい!! 」
可南子に問われても、乃梨子は可南子にしがみついたまま、泣きながらそう叫ぶばかりで、話が見えてこない。
「 ちょっと乃梨子、落ち着いて話してくれないと、何が何だか・・・ 」
とりあえず乃梨子を落ち着かせようと思った可南子だったが、事態はそう甘くは無かった。
“ まあ・・・ あれは白薔薇の蕾ではなくて? ”
“ あら、あちらはバスケット部の可南子さまでは? ”
“ おふたりで何をしているのかしら? ”
そんな囁きが、可南子の耳にも入ってきた。
ふたりがもみ合っていたのは、下足箱のすぐ傍だったのだ。
( まずい・・・ 注目を集めてる )
早いところ乃梨子を引き剥がさないと余計にまずいことになりそうだと感じた可南子は、再び乃梨子に話しかける。
「 話を聞くから、とりあえず放してくれない? 」
「 助けて下さい!! 」
「 いや、だから・・・ 」
「 助けて下さい!! 」
「 人の話、聞いてる? 」
「 助けて下さい!! 」
「 だから話を・・・ 」
聞くから放せ。そう言おうとした可南子は、そこで乃梨子の思惑に気付いてしまった。
最初は乃梨子が錯乱してこんなことをしているのかと思ったのだが、乃梨子の目は決して錯乱してなどいなかった。むしろ、何かを決意した強い光を宿している。
「 まさか貴方・・・ 」
そう、これは乃梨子の作戦なのだ。
いきなり抱きつき逃げられない状態を作り、さらには人目を集めるほどの大声を上げることにより可南子の焦りを煽る。そして・・・
「 私が“助ける”って言うまで、そうしているつもりね? 」
衆人環視の中、可南子に「助ける」と言わせ、言質を取る。
もし、後で可南子に「 あんな無理矢理な約束は無効だ 」と言われても、「 うんと言ってくれるまで、同じことを繰り返す 」と返すだけだ。
これはもはや脅迫に近かったが、それだけに可南子には、乃梨子がこの作戦を成し遂げようとする“焦り”が見えていた。
乃梨子の思惑に気付いた可南子は、きつい視線で乃梨子を睨みつける。
「 ・・・助けて下さい!! 」
だが、可南子に看破されたにもかかわらず、乃梨子はあくまでも作戦の続行を止めない構えだ。
しかし、可南子も一筋縄ではいかない人物。乃梨子の大声に逆に気を落ち着けると、こう言い放った。
「 おあいにくさま。私は周りにどう思われようと、あまり気にしないタチなの 」
そう言われ、乃梨子の顔に動揺が走るのを、可南子は見逃さなかった。
「 どうするの? ここでふたりして遅刻するまで茶番を続ける気? 」
黙りこんだ乃梨子を見て、少し余裕の生まれた可南子は、乃梨子にそう問いかける。
が、乃梨子も伊達に白薔薇の蕾を勤めている訳ではなかった。
可南子が自分の思惑を見抜いたのに気付くと、作戦を速やかに第2段階に移行した。
具体的に言うと、セリフの変更である。
「 貴方が良い返事をくれるまで、私は貴方を離さない!! 」
「 乃梨子。いい加減にしないと、私も怒るわよ? 」
「 貴方を離さない!! 」
「 だから、そんな茶番はもう・・・ 」
乃梨子の行動に呆れていた可南子だったが、そんな余裕も周囲の声が聞こえてくるまでだった。
“ まあ! 貴方を離さないとかおっしゃってますわよ?! ”
“ ええっ? おふたりは、そういった関係でしたの?! ”
“ ・・・痴情のもつれってやつかしら? ”
“ 朝から何てうらやま・・・ いえ、はしたない ”
「 な! ち、違います!! 」
周囲に妙に艶かしい誤解を産んだのはさすがに恥ずかしかったらしく、可南子は思わず否定の声を上げていた。
「 ちょっと!! このままだと、貴方まであらぬ誤解を受けるわよ?! 」
可南子は、未だ腰の辺りにしがみつく乃梨子を必死で説得しようと試みるが、乃梨子はしがみついた手を離そうとしない。
むしろ、焦る可南子を見てニヤリと笑いやがった。
そして再び、世界の中心に届けとばかりに叫んだ。
「 貴方を離さない!! 」
( ま、まさか自滅覚悟で・・・ )
可奈子の予想は当っていた。
乃梨子は、たとえ玉砕してでも可南子の協力を取り付ける覚悟なのだ。
「 な、何がそこまで貴方を駆り立てているの? 」
自らの破滅をも辞さない。そんな乃梨子の特攻作戦に戦慄した可南子が思わず問うが、乃梨子はそれには答えず、再び同じ叫びを繰り返すばかりだった。
「 貴方を離さない!! 」
“ まあ・・・ 白薔薇の蕾って、意外と情熱的な方でしたのね ”
“ 可南子さん、告白を受け入れるのかしら? ”
“ おふたりともガチだという噂は本当でしたのね ”
“ ガチって何ですの? ”
“ 答えはきっと、あのおふたりが体現して下さいますわ ”
“ まあ! こんな早朝から? ”
“ 早起きは三文の得って、こういう時に言うのかしら? ”
“ ・・・貴方、どんな『得』を期待してらっしゃるの? ”
“ 乙女の口からは、そんな恥ずかしいことは言えませんわ ”
もはや周囲のギャラリーは、ふたりがそういった関係だと信じて疑っていないようで、勝手に盛り上がり始めてしまったようだ。
そればかりか、揉み合うふたりに“何か”を期待する視線すら送っている。
これにはさすがの可南子もパニックに陥る。
「 ち、違う・・・ 誰がガチですか!! だ、だいたい、乃梨子は私の好みじゃないし!! 」
焦って余計なことを口走る可南子のセリフに、ギャラリーからは「好みだったらOKなの?」という突っ込みが入るが、それすらテンパった可南子の耳には入っていなかった。
「 わ、私はどっちかって言うと、もう少しこう・・・小さくて可愛い感じの子のほうが・・・ 」
人間、追い詰められると本音が出るものである。普段の冷静さを木っ端微塵に砕かれ、余計な本音をぶっちゃける可南子に、乃梨子はさらに追い討ちをかけた。
「 貴方を離さない!! 」
ここで、可南子が羞恥の限界を迎え、折れた。
「 助ける! 何だか知らないけど助けるから!! だから離し・・・ 」
こうなったら力ずくでも乃梨子を引き剥がそうと手を伸ばした可南子だったが、その手は空を切った。
「 ・・・さあ、急がないと遅刻するわよ可南子 」
可南子の「助ける」という言葉を聞いた瞬間、可南子から離れ、まるで何ごとも無かったかのようにスタスタと歩き始めた乃梨子の後姿に、「とりあえず教室に着いたら殴ろう」と決意し、拳を固めて後を追う可南子だった。
「 ・・・説明してもらいましょうか 」
一時間目の休み時間、怒気をはらんだ声で、乃梨子を問い詰める可南子の姿があった。
「 何をそんなに怒っているの? 朝も何やら教室に入るなり乃梨子を殴ってましたけど 」
緊迫した様子のふたりが気になったらしく、瞳子も会話に混ざってきた。
ちなみにこの3人、2年生になっても同じクラスだった。
可南子は2年生に進級した日、自分の教室にこのふたりを見つけた瞬間、「きっとこのクラス編成は、このアクの強いふたりを私に押し付けるための、学校側の陰謀に違い無い」と確信したという。
もちろん、「アクの強いふたり」の方も同じことを思っていたが。
この3人、特に仲が良いという訳ではないが、今では互いに本音で語り合えるのはこの3人なのだと自覚していた。
馴れ合う訳ではないが、決して見放したりはしない。罵り合いもするが、本気で嫌う訳でもない。
そんな、実に微妙なバランスで成り立つ関係を保っている間柄なのである。
「 別に、貴方には関係無いわ 」
「 あら、私は別に可南子の心配をしている訳ではなくってよ。 乃梨子がそのデッカイ手でこれ以上虐待されるのを見るのが忍びないだけです 」
「 ・・・お節介なドリルだこと 」
「 何ですって?! 」
徐々にヒートアップするふたりに待ったをかけられるのは、やはり乃梨子だった。
「 ふたりともそこまで。・・・実は、瞳子にも少し関係のある話なのよ、可南子 」
乃梨子のセリフに、瞳子と可南子は話を聞こうと沈黙する。
いがみ合っていても、相手の話はきちんと聞く。そして、聞いたうえで自分が納得できなければ遠慮無く反論する。
やはりこの3人、良いトリオだと言えるだろう。
「 まずは謝らなけりゃね。今朝は本当にごめんなさい。ちょっと余裕無いのよ、私 」
「 だからあんなに強引な手段で私の協力を取り付けたと? 」
「 うん。正直、他に頼る人が思いつかない 」
乃梨子のセリフを聞き、可南子は溜息をつく。
「 そこまで言われたら、無下に断わる訳にはいかないじゃないの 」
「 ・・・ごめん、ありがとう 」
苦笑する乃梨子に、可南子もかすかに微笑む。
「 で、乃梨子。私にも関係のある話とは? 」
瞳子の問いに、乃梨子は一言「とらのこと」と答えた。
「 まさか可南子に講師になってもらうつもりですの? 」
「 そのまさかよ 」
「 ちょっと待って。まだ話が見えないんだけど・・・ だいたい、“とら”って何? 」
「 ああ、そうか。可南子には最初から説明しないと解からないよね 」
可南子の疑問に、乃梨子はひとつ深呼吸すると、説明を始めた。
「 実は私、最近ある下級生と知り合いになったんだけど・・・ 」
「 ああ、あの金髪の1年生? 」
「 知ってるの?! 」
「 噂になってるわよ。私の耳にも入るほどに 」
可南子も1年生の頃に比べてだいぶ親しみやすくなったとはいえ、やはり積極的に友達を増やそうというタイプではない。そのため、未だにクラスメイトやバスケ部員以外では可南子に話しかけてくる人物は少ない。
そんな可南子の耳に入るくらいだということは、噂はかなり広まっているということだろう。
乃梨子も多少驚いたが、いずれ知れ渡ることだろうと思い直し、話を続けた。
「 なら話は早いわね。その1年生、スヴェトラーナ虎原って言うんだけど、私は“とら”って呼んでるの。そのとらが・・・ 何と言うか、その・・・ 少し素行に問題があるというか・・・ 」
言いよどむ乃梨子の言葉を、瞳子が「 早い話が、躾の行き届いていないお猿さん状態ですの 」と補足する。
ギロリと瞳子をにらむ乃梨子に、「 事実でしょう? 」と瞳子が追い討ちをかけると、「 まあ、そうなんだけど・・・ 」と、乃梨子も強くは否定しなかった。
「 ・・・それで? 私がその話にどう関わってくるのかしら? 」
可南子も話の続きに興味が湧いてきたようで、乃梨子に続きを促す。
「 実はね、薔薇の館で山百合会総出でとらの教育に乗り出したんだけど、成果が芳しく無くて・・・ 」
確かに成果はあまり上がってはいない。
てゆーか乃梨子が突っ込み疲れただけだった。
「 山百合会総出でもダメだったの? 」
驚いた可南子が聞き返すと、乃梨子は苦い顔でうなずいた。
「 うん。まあ、色々と講師のほうにも問題があってね・・・ 」
「 ・・・・・・何故そこで私を見るんですの? 」
松平家の“勝つための”教育の賜物とはいえ、結果的にとらの教育に失敗した自覚ゼロな瞳子のセリフに、乃梨子も「 いや、別に・・・ 」と言葉を濁す。
「 アンタが一番期待を裏切ってくれたのよ 」と言っても、絶対に納得しなさそうだったから。
一方、可南子は乃梨子の言わんとするところに思い当たり、信じられないという顔をする。
「 まさか、私にそのとらって子の躾の講師になれと? 」
「 そのまさかなのよ 」
乃梨子の答えに、可南子はひとつ溜息をつく。
「 そこで私の出番がくる意味が解からないわ。山百合会には、私なんかよりもよっぽど躾の行き届いたお嬢さまが何人もいるじゃない 」
「 そうね、私も最初は山百合会でも無理ならもう手の打ちようが無いかと思った。でも、昨夜色々考えてみたんだけど、とらにいきなり志摩子さんみたいに品行方正な人と同じことをしろっていうのにも無理があったなと思ったの 」
確かに、とらにいきなり志摩子や瞳子のような“洗練された”振る舞いをしろというのは無理な話かも知れない。乃梨子は自分の考えを理解してもらおうと、可南子の目を見ながら話を続けた。
「 そもそもとらはね、中学校までは千葉の奥地で自然と共に生きてきた子なの。それが、ご両親の意向で突然リリアンの高等部に入学することになってね・・・ 正直、あの子にはこのリリアンという学校は、今まで体験したことの無い未知の異世界だったと思う。でもね、高等部からリリアンに入学してなかなか周囲に馴染めなかったのは、何もあの子だけじゃないって気付いたの 」
「 なるほど、やっと話が見えてきたわ 」
可南子の顔に理解の色が浮かぶ。
「 だから私の名前が出てきたのね。高等部からリリアンに入学した時の経験を元に、どうやってリリアンと折り合いを付けていったのか、その子に教えて欲しいと言うことね? 」
「 そういうこと。ついでに言えば、私も同じ経験をしている訳だから、可南子と私の共同作業で行こうと思うんだ 」
乃梨子の提案に、可南子は目を逸らし考え込む。
「 そんなに難しく考えないで欲しいんだ。別にとらを箱入りのお嬢さまに仕立て上げようって訳じゃないから 」
反応の無い可南子の様子に、焦って言い募る乃梨子。
「 ただ、リリアンに通うために、他の学校との違いを自覚させ 『 報酬は? 』 ・・・・・・え? 」
唐突に可南子の口から出た言葉に戸惑う乃梨子だったが、可南子の一見不機嫌そうだが微かに照れの浮かぶ表情に、可南子の思いを感じ取り安堵した。
協力するのは良い。でも、「 友達だから協力するわ 」なんてセリフ、恥ずかしくて口が裂けても言えないし、言う気も無い。
あくまでも「 これはギブ&テイクな関係なのよ 」とポーズを取る可南子に、乃梨子は何だか笑いたいような泣きたいような、不思議な気持ちになった。
その気持ちはもちろん、決して不快ではなく、むしろ暖かく、少しだけくすぐったいものだった。
「 そうね・・・ とりあえず、薔薇の館で紅茶は飲み放題かな? それと、可南子が何か困った時には、利息をつけて借りを返させてもらうよ 」
「 ・・・・・・まあ、良いでしょう。そのかわり、部活動の無い時だけよ? 」
あくまでも目をそらしたまま言う可南子に、乃梨子は微笑みながら「 十分よ 」と答えた。
「 ・・・素直じゃないんだから 」
ぼそっと呟く瞳子のセリフに、睨みながら「 何か言った? 」と問う可南子だったが、瞳子に「 別に 」と微笑み返され、再びそっぽを向いてしまう。
そして3人の間には、しばし穏やかな空気が流れたのだった。
・・・瞳子の呟きが聞こえるまでは。
「 まあ、報酬など無くても、可南子なら講師の件を引き受けていたでしょうけどね 」
「 何でそうなるのよ? 」
ヤケに自信満々な瞳子のセリフに、そう問い返した可南子だけでなく、乃梨子も眉根を寄せる。
ふたりの不思議そうな顔を見て、瞳子は嬉しそうに言った。
「 だって、とらちゃんのための講師ですもの。“小さくて可愛い感じの子”が好きな細川可南子さんが、断わる訳ありませんでしょう? 」
ぴ し っ
その言葉を聞いた瞬間、可南子は音を立てて凍りつく。
「 な、何のことを言っているのか解からないわ 」
イヤな汗を流しつつもトボケる可南子を見て、瞳子はやたらと嬉しそうだ。
「 瞳子・・・ アンタさっきは“何をそんなに怒っているの?”とか白々しく聞いてたけど、さては朝の私達を見てたわね? 」
瞳子を睨みながら乃梨子が問い詰めると、瞳子は「 見てたと言うか・・・ 」と呟きつつ、ポケットから何かを取り出した。
「 私が防犯用に持たされている携帯電話って無駄に高性能で・・・、写真はおろか動画までも綺麗に撮れるんですのよ? 」
ビ シ ッ !
今度は乃梨子までも音を立てて固まった。
そして、瞳子は“ぽちっ”と携帯電話のボタンを押す。
『ワ、ワタシハドッチカッテイウト、モウスコシコウ・・・チイサクテカワイイカンジノコノホウガ・・・ 』
『アナタヲハナサナイ!』
ガ タ ン ッ !
瞳子の携帯電話から流れてきた聞き覚えのありすぎる声と映像に、乃梨子と可南子は思わず立ち上がる。
一方、瞳子は余裕を持って立ち上がると、にっこりと微笑んだ。
「 お昼に薔薇の館でコレの鑑賞会を開こうかしら? 」
「 瞳子・・・ 」
「 あ、でも、山百合会だけで楽しむなんてもったいないわね 」
「 松平瞳子・・・ 」
ジリジリと瞳子の包囲を狭めつつあるふたりにも怯むことなく、瞳子はウキウキと独り言を続ける。
「 そうだ! 真美さまにも見せたほうが良いかしら? 」
新聞部部長である山口真美嬢の名が出た瞬間、2匹の鬼は瞳子に踊りかかった。
『 それを渡しなさい!! 』
鬼の形相でハモり、ふたりは笑う瞳子を追いかけ始める。
突然開始された鬼ごっこに一瞬怯むクラスメイト達だったが、騒動の原因が乃梨子達3人だと気付くと、「 ああ・・・ またかよ 」といった顔をして、ごく自然に見て見ぬフリをする。
どうやら、この3人が顔を合わせれば、こんなことは日常茶飯事らしい。
そして、この鬼ごっこは、可南子が部活で鍛えられた“華麗なステップ”と“バスケットボールを片手でつかめる握力”を存分に発揮し、瞳子をアイアンクローで捕獲するまで続いたのであった。
もちろん、動画は速攻で消去された。
その日の放課後。たまたま今日は可南子の部活がお休みだと聞いた乃梨子は、さっそく講師の件で動いてもらうことにした。
乃梨子は可南子をとらに紹介しようと、1年松組の教室へと可南子を連れてやって来た。
「 じゃあ、さっそくだけど、とらを紹介するわね 」
乃梨子がそう言いながら、誰かにとらを呼んでもらおうと教室を覗いていると、沙耶花が近付いてくるのが見えた。
「 ごきげんよう、白薔薇の蕾。今日は何しに来たんですか? 」
あふれ出る憎しみを隠しきれないのか、微妙に失礼な挨拶をする沙耶花だったが、乃梨子はにっこり微笑みながら「 スヴェトラーナさんを呼んでもらえるかしら? 」と返す。
先日の敗北がまだ尾を引いているのか、沙耶花は案外素直に「 ・・・しばらくお待ち下さい 」と言い残し、教室の奥へと向かった。
その拳は、怒りでギリギリと握り締められていたけれども。
「 ・・・今の子、何だか乃梨子に敵対心持ってなかった? 」
沙耶花の様子から何かを察した可南子が聞いてきたが、乃梨子は「 別に。もう大丈夫だから 」と答える。
「 “もう”大丈夫って・・・ 何かあったの? 」
微妙に引く可南子だった。
「 何ですの? そんなにあの1年生が気になるんですの? 」
「 ・・・何が言いたいのかしら? だいたい、何で貴方までついて来たの? 」
まださっきのガチネタを引っ張ろうとする瞳子(付いて来てた)にジロリと睨みを効かせた可南子だが、瞳子は余裕で微笑み返す。
「 あら、行く先が同じ薔薇の館なのですから、別に不自然なことではないでしょう? 」
「 ひとりで先に行っていれば良いのに 」
「 まあ、それは“小さくて可愛い感じの子”を愛でる時間を邪魔されたくないってことかしら? 」
「 ・・・・・・それ以上言うと、そのドリルを上向きにするわよ? 」
ふたりの横を通り過ぎようとした1年生が、思わずビクッと身を引くほどの嫌なオーラを撒き散らしながら睨み合うふたり。
今にもつかみ合いになりそうなふたりの様子に、近くにいた1年生が助けを求めるように乃梨子を見ていたが、この程度のジャブの応酬には慣れっこになってしまった乃梨子に軽くスルーされていた。
「 乃梨子さま! ごきげんよー! 」
教室の奥から元気良く駆け寄ってきたとらは、嬉しそうに乃梨子に向かってぶんぶん手を振る。
「 ごきげんよう。無闇に走らないでって言ったでしょ? 」
「 えへへへ、ごめんね、嬉しかったから・・・ 」
「 もう・・・ 」
さっそくラブな空気を撒き散らし始めるふたりの様子に、教室の奥から餌付け3人組の嫉妬の視線が飛んできたが、乃梨子はそれに手を振って微笑み返してみせた。
教室の奥では、ブチ切れてカーテンを引き裂こうとしている沙耶花を、睦月と小雪が必死に止めている。
「 今日も良い子にしてた? 」
「 おう! 」
「 返事は“はい”でしょう? 」
「 はい! 乃梨子さま! 」
「 よろしい 」
「 えへへへへ 」
「 ふふふふふ 」
「 え〜と、乃梨子さん? 」
「 ほら、タイが曲がってる 」
「 ホント? じゃあ乃梨子さま直して! 」
「 ・・・もしもし? 」
「 もう、しょうがないわね。ほら、じっとしてて 」
「 うひゃ! くすぐったいよ! 」
「 ふたりとも、私の声が聞こえてますか? コノヤロウ 」
可南子の声も、目の前のバカップルには届いていなかった。
さすがに見かねた瞳子が、話を進めるべく乃梨子に声をかけた。
「 ちょっと、そこの小さい女の子が大好きなダメな人 」
「 誰がダメな人だコラァ! 」
乃梨子、瞳子の一言で現実へと帰還。
瞳子は「 自覚が無いって、本当にやっかいですわね 」などと思いつつも、話を進める。
「 とらちゃんを紹介するんではなかったの? 」
「 え? ああ、ゴメンね。つい・・・ 」
“つい”で放置されたうえにバカップルぶりを見せ付けられた可南子としては、思わず「このまま帰ってやろうか」などと半ば本気で思い始めていても、仕方の無いところであろう。
「 可南子、この子がスヴェトラーナ虎原。私はとらって呼んでる。とら、こちら私のクラスメイトの細川可南子さん。ほら、ご挨拶ご挨拶 」
自分の方を向いていたとらを可南子の方へと向き直らせ、可南子に紹介する乃梨子。
一方のとらはと言うと、可南子を見てきょとんとしていた。
「 ごきげんよう。いえ、初めましてね。細川可南子よ 」
ぽけっと口を開けたまま自分を見ているとらに、可南子は自分から自己紹介をする。
だが、とらは可南子の言葉にも反応せず、ぽかんと可南子を見上げていた。
「 ・・・・・・え〜と・・・とらちゃん、で良いわよね。どうかしたの? 」
いつまでも反応の無いとらの様子に、可南子が再び声をかけると、やっととらから反応が返ってきた。
「 ・・・でっけー 」
ぴ き っ
とらの直球すぎる感想に、さすがにそんな言葉には慣れていたはずの可南子も、コメカミが引きつるのを隠せなかった。
とらの身長が約150cm。可南子の身長が約180cm。
確かに、30cm下から見上げる形になるとらから見たら、可南子は「でっけー」のだろうが・・・
「 とら! でっけーは無いでしょう、でっけーは 」
「 でも乃梨子さま! ホントにでっかいよ?! 」
「 だから! 失礼だから、例え本当でもでっかいなんて言わないの! 」
「 だって、でっかいものはでっかいんだもん!! 」
「 確かにでっかいけど! 失礼だって言ってるでしょう! 」
「 ・・・・・・ふたりとも黙りなさい 」
ふたりに「でっかい」を連発され、さすがに可南子が低い声でキレる。
その迫力に、思わず「はい」と素直に返事をしてしまうふたりだった。
「 乃梨子。説明を続けないと、何時まで経っても話しが進みませんわよ 」
このままでは日が暮れると思ったのか、見かねて口を挟んだ瞳子のセリフに乃梨子も「 ああ、ごめん 」と我に返り、とらに向き直る。
「 とら。薔薇の館での勉強会だけど、今日から可南子にも協力してもらうことになったから 」
「 そうなの? 」
「 そうなのよ。これからは、昨日みたいにマナーや作法も教えるけど、私と可南子による“途中入学者のためのリリアン講座”をメインで行くから 」
「 お〜・・・ 」
「 解かった? 」
「 いや、あんまり・・・ 」
乃梨子は、眉を寄せたとらのセリフにずっこけそうになるのを耐え、辛抱強く説明を続けた。
「 つまりね・・・ 高等部からリリアンに通い始めた私達の体験を基に、“どうやってリリアンに馴染んだか”とか、“入学してから知ったリリアンならではのルール”とかを教えるってことよ 」
「 ん〜と・・・ つまり、乃梨子さまと可南子さまのマネすれば良いってことか? 」
「 ・・・まあ、端的に言えばそういうことね 」
「 おっけー! 今度こそ解かった! 」
手を上げて、嬉しそうに元気良く宣言するとらを見て、「やっと理解してくれたか」と安堵する乃梨子だった。
「 じゃあ、新しい先生にご挨拶 」
「 は〜い! 」
とらは可南子に向き直ると、ぺこりと勢い良く頭を下げた。
「 よろしくお願いします! 」
「 ・・・こちらこそよろしくね 」
元気な小動物のようにクルクルと表情の変わるとらの様子に、可南子も思わずクスリと笑いながら答えた。
一方、とらは可南子を見上げて、何か考え込んでいる。
「 え〜と・・・ 可南子さま? 」
「 何かしら? 」
「 新しい先生なんだよね? 」
「 そうよ 」
可南子の肯定のセリフを聞き、とらは嬉しそうに笑うと、授業中に質問する生徒のように手を上げ「 じゃあ、さっそく質問! 」と可南子に言った。
可南子も小さな生徒を受け持った教師のような気持ちになり、笑顔で答える。
「 良いわよ。何かしら? 」
「 何喰えば、そんなにでっかくなれるの? 」
ぴ き っ !
可南子の笑顔が音速で固まる。
「 ちょ! とら!! 」
慌てて止めに入ろうとした乃梨子だっが、可南子の手が「黙ってろ」とでも言うように、乃梨子の顔の前に突き出され、思わず黙り込んでしまう。
とらの質問は純粋に羨ましさから出たものだったりするのだが、可南子にとって、もはやそんなことはどうでも良かった。
「 とらちゃん? 」
微笑みながら、可南子はとらの頭にぽんと手を置く。
「 私がリンゴを握り潰せるって言ったら信じる? 」
そんなセリフと共に、とらの頭に置かれた手がミシミシと音を立ててとらの頭に食い込んでゆく。
「 イダだだだだだだだだだだだだ!!! あ゙ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! 」
「 うふふふふ。いやあね、そんな大げさに痛がったりして・・・ 本気で力を入れるのは、これからよ? 」
「 はみ出る!! なんかはみ出るぅ!!! 」
徐々に頭蓋骨を締め上げてられてゆく痛みに、とらも必死で可南子の手をはがそうともがくが、部活で鍛えられた可南子の手は、ビクともしなかった。
「 可南子! とら本気で痛がってるから! とらの失言は後で謝らせるから、とにかくその“でっかい”手を離してあげて! 」
ぶ ち っ !
止めに入ったはずの乃梨子だったが、つい口を滑らせて、可南子をマジギレさせてしまう結果となった。
可南子は暗い微笑みを消さないまま、今度は乃梨子の顔面をつかむ。
「 か、可南・・・ うあ痛あぁぁぁぁぁ!! めっちゃ痛ぁぁぁぁぁぁ?! 」
「 フフフフ・・・ 乃梨子 」
「 もげる!! 顔もげるぅ!! 」
「 悪いけど、とらちゃんの教育はスパルタ式で行かせてもらうわよ? なんだかそのほうが、精神衛生上良いような気がするから 」
何かが吹っ切れた可南子は、さわやかな笑顔で、そう宣言したのであった。
こうして、可南子に文字通り“掌握”された乃梨子ととらを見ていた1年松組のみなさんは、事情は良く解らないながらも、再び乃梨子達に向かってAmenと祈るのであった。
・・・ところで瞳子さんや。
「 くふふっ・・・ な、何ですか? 今、忙しいんですけど 」
可南子に気付かれないように、 必死で笑いをこらえながら携帯で撮影なんかしてないで、とりあえず握り潰されそうなふたりを助けてあげたらいかがですか?
「 もう少し撮影してから 」
・・・・・ああ、そう。
どうせまた消去されるだろうに。
「 今度は消去される前に、メールでお姉さまに送信しておきますわ 」
・・・鬼ですね貴方。