【2061】 とらと志摩子  (いぬいぬ 2006-12-19 01:38:05)


「乃梨とら」シリーズ第2部第7話です。
【No:2050】→【No:2051】→【No:2053】→【No:2054】→【No:2056】→【No:2059】→コレです。






 薔薇の館の会議室で、ふたりの少女が向かい合っている。
「 では、基本的なことから。私の言う言葉を繰り返して。ごきげんよう 」
「 ごきげんよー 」
 背の高い少女がした挨拶に、背の低いほうの少女も同じ挨拶を返すが、背の高い少女は、何だか不満気な顔をしている。
「 もう一度。ごきげんよう 」
「 お? ごぎげんよー 」
「 ・・・何か違うわね 」
「 何が? 」
「 まず、元気が良すぎるわ。そうね・・・ ふっと一息吐いてから“ごきげんよう”と言うようにしてみて。それと、挨拶する時に手は上げなくて良いから 」
「 はーい 」
「 だから手は上げなくて良いってば 」
「 ご、ごめんなさい! もうしないから頭つかまないで! 」
 何かに怯えるように懇願する背の低いほうの少女。
 背の高いほうの少女は「解かればよろしい」と言いながら、彼女の頭から手を離す。
「 では、一息吐いてから。ごきげんよう 」
「・・・ごきげんよう 」
「 良くできました。そのイントネーションを忘れないようにね 」
「 はーい! 」
「 だから、返事をする度にいちいち手を上げなくて良いって言ってるでしょう? 」
「 ! ・・・! ・・・・・・!! 」
「 か、顔はやめてあげて可南子! 」
 口ごと顔をつかまれ、反論すらできずにジタバタもがくとらに代わり、傍で見ていた乃梨子が止めに入る。
「 スパルタで行くって言ってあったじゃないの 」
「 ・・・その大きな手の脅威はもう、スパルタとか越えて・・・ 」
「 乃梨子 」
 可南子はとらから手を離し、ぼそぼそと呟く乃梨子を真っ直ぐに見据えた。
「 な、何? 」
「 余計なことを口走ると、“おかっぱ”からただの“かっぱ”にレベルアップさせるわよ? 」
「 ・・・胆に銘じときます 」
 もしかして、頭頂部の毛を引っこ抜くってことなんだろうか?
 薄く笑いながら言う可南子のセリフに乃梨子はそう思ったが、怖い答えが返ってきそうな気がしたので、問いただすのはやめにしたのだった。

 と、まあこんな感じで、山百合会主催“とら育成計画”は、スパルタ路線で第2のスタートを切ったのである。








 可南子のスパルタ式指導・・・ と言ってもその内容は、可南子の体験談がメインだった。
 可南子が入学時に「 ああ、リリアンってこういう所なのか」と気付かされたリリアン独特の言葉使いや仕草。そんなことを思い出しながら、今のとらに1年前の自分がその時思ったこと、つまりはリリアンに馴染むために心がけようと思ったことを教えているに過ぎない。
 教える内容の一つ一つはごく些細なことではあるが、その一つ一つが今の可南子を形作った貴重な体験談であり、それは同時に、リリアンへ途中入学した者にとって、リリアンという世界に溶け込むための確かな道標とも言えるものだった。
「 ふ〜ん・・・ 薄々感じてはいたけど、やっぱり“ごきげんよう”って挨拶は珍しいんだね 」
「 そうですね。最初は“ついていけない”って思いましたから 」
 可南子ととらの様子を見守る祐巳の呟きに、乃梨子は自分の1年前を思い出しながら答えた。
「 やはり、とらを立派なお嬢さまにしようなんて意気込むよりも、まずは“リリアンとはどういう所か”を自覚してもらったほうが良いと思ったんです。あの子、そういうことは気にせず、自由に生きてるから・・・ 」
 自由に生きてるというより、放し飼いって感じかな? と、祐巳は思ったが、乃梨子が真剣にとらを見つめていたので、さすがに口に出すのは控えた。
「 リリアンでの所謂“御法度”を覚えてもらえば、とらの行動にも自然にブレーキがかかるのではないかと思うんです。そうすれば、まずはシスターや生活指導の先生方のお咎めを受けない行動の仕方が身に付くはずです 」
 色々と迷走したが、とら育成計画の方向性が定まったようで、今の乃梨子は自信を持って今後のビジョンを語っている。
「 じゃあ、私の教えようとした“リリアンの日常で使える知識”って、方向性は間違ってなかったじゃない! 」
「 ・・・貴方の日常そのものが間違ってるんです、由乃さま 」
「 なんですってぇ! 」
 乃梨子の指摘に納得できないらしく、立ち上がって激高する由乃だが、隣にいた菜々がそれをなだめる。
「 まあまあ、お姉さま。乃梨子さまもリリアンには1年少々しか通ってないのですから、まだリリアンの日常というものの本質がお解かりでないんですよ 」
「 それよ菜々! 私もそうじゃないかなとは思っていたのよ、うん。まあ、今回は寛大な心をもって許してあげるわ! 」
 菜々の一言であっさり納得してしまったらしく、由乃はふんぞり返って椅子に座りなおした。
 確かにリリアンに通った時間は短いが、菜々の言い分に納得できない乃梨子が菜々に反論しようかと彼女を見ていると、菜々は手早く一枚のメモを走り書きし、それをスッと乃梨子に差し出してきた。
 そこには、こんな一文が書いてあった。
『 お姉さまに正論を求めないで下さい。間違った方向へ突っ走ってこそのお姉さまなのですから(笑) 』
( ・・・・・・・・・・・・カッコ笑いってアンタ )
 斜め上に向かって暴走する姉と、間違っていると知っていてもそれを止めない・・・ いや、むしろそれを後ろから煽る妹。
 講師としての黄薔薇姉妹に早めに見切りを付けたのは正解だったと、メモを手に無言で納得する乃梨子だった。
 そんなやり取りの間にも、可南子先生のリリアン初級講座は続く。
「 挨拶は“ごきげんよう”。返事は穏やかに“はい”や“ええ”。これを守るだけでも、だいぶ印象が違うと思うわ。会話の中の細かい言葉使いなんかは逆に教えきれないから、周りの人の言葉を良く聞いて、参考にすると良いわね。ただ、大きな声を出すことを嫌う人は多いから、その点は注意してね 」
「 はい 」
「 そう、そんな感じで 」
 可南子の教えを参考に、普段の50%くらいのテンションで答えてみるとらに、可南子も合格点を与える。
 とらの場合、どこかのお姫様と言われても否定できないほど整った容姿なので、本当に返事一つの違いでかなり高貴な印象を与えられるようだ。
 乃梨子は、徐々に落ち着いた雰囲気をものにしてゆくとらの姿に、やはり可南子を講師にしたのは正解だったと確信していた。
「 最初よりもかなりお嬢さまっぽくなってきたわね 」
「 えへへへへ 」
「 歯を見せて笑わない 」
「 ごめんなさ痛タタタタ!! 」
 でも、できればあのアイアンクローは勘弁してくれないかな? とも思う乃梨子だった。
 時折実力行使を敢行しつつ、その後も可南子の講義は続いた。
 一つ一つは本当に些細なこと。それこそ、横で聞いていた祐巳や由乃が、「 え? 普通そうじゃないの? 」と、思わず可南子に聞くような、リリアンでも特別なことではなく、むしろリリアンに長く通う生徒なら無意識にしていることを中心に、とらに必要と思えることを丁寧に教えているのある。
( とら・・・ いきなりじゃなくても良いの。少しずつ、本当に少しずつで良いから、リリアンに馴染んでちょうだい )
 乃梨子は、祈るようにとらを見つめ、願うのだった。
 
 
 些細なことの積み重ねである可南子先生のリリアン初級講座も、1時間も聞いているとかなりの労力を要するようで、さすがにとらにも疲れの色が見え始めた。
 とらの変化にいち早く気付いた乃梨子の提案により、この辺でみんなで休憩しようということになり、勉強会はお茶会へと移行していったのであった。

 









 菜々と乃梨子が用意した飲み物を配る中。とらは疲れた顔で、だらしなく椅子にもたれかけていた。
 休憩中なので、可南子もそんなとらの行為を黙認している。
 とらは「 疲れた時には甘いものが一番! 」などと言いながら、菜々の淹れてくれたコーヒーにチューブ入りの練乳をにゅるるるる〜と搾り、ありえないほど大量投入している。
「 とら・・・ それはいくらなんでも甘すぎない? 」
 とらが自前で持ってきた、キャプテンスタッグ製の鮮やかなグリーンに染められたステンレスのマグカップを眺めつつ、乃梨子は呆れて呟く。
「 え〜? 美味しいのに〜。乃梨子さま入れないの? 」
「 そんな血糖値が急上昇しそうな飲み方はしないわよ 」
 乃梨子は、見ているだけで胸焼けがしそうだと言わんばかりの表情だ。
 そんな乃梨子に、敢然と立ち向かう勇者がひとりいた。
「 みそこなったよ乃梨子ちゃん!! 」
「 は? 」
 勇者祐巳は、自らも「祐巳」と書かれた練乳のチューブを片手に持ち、乃梨子に向かって吠えた。
「 それでもマックスコーヒーで有名な千葉県民なの?! 」
「 いや・・・ 別にマックスコーヒーで有名って訳じゃあ・・・ 」
 びしっ! っと練乳片手に乃梨子を指差す変なテンションの祐巳に、乃梨子の突っ込みも歯切れが悪い。
 ここで一つ、説明が必要かも知れない。
 マックスコーヒーとは、正式には「ジョージア・マックスコーヒー」と言い、成分に練乳を含む、甘さに独特のコクがある缶コーヒーである。
 つまり、かなり甘い缶コーヒーなのだ。
 生産者は「利根コカ・コーラボトリング」という会社で、主に千葉、茨城、栃木などで長年販売されている缶コーヒーである。(ごく最近、東京都内にも流通し始めたらしい)
 ちなみに筆者は昔コレを、何も知らない関西人の友人に何の説明も無しに飲ませ、「 ・・・お前これ、“コーヒー飲料”て名乗ったらアカンやろ 」と、利根コカ・コーラボトリングの代わりに怒られたという経験を持つが、それはこのSSには何の関係も無い話である。
 まあ、そんな本当にどうでも良いことは置いといて。
 祐巳ととらは「 練乳さいこー! 」などと、ハイタッチで意気投合したりしていた。乃梨子は完全に置いてきぼりである。
「 練乳入れると美味しいもんねー 」
「 ねー 」
 練乳ひとつで急に仲良くなった祐巳ととら。
 呆れながら乃梨子がとらの持つ練乳を見ると、なんとソレにも「祐巳」と書いてあった。
 とらが何処から練乳を取り出したのか不思議に思っていた乃梨子だったが、どうやらとらの使っている物も祐巳の使っている物も、祐巳が流しの冷蔵庫に常備していた彼女の“マイ練乳”だったらしい。
 おそらく、乃梨子と菜々がお茶の準備をしているうちに、とらは勝手に冷蔵庫から発見したのだろう。
( いくら甘いものが好きだからって、何本常備してんのよ・・・ )
 心の中で乃梨子が突っ込んでいると、祐巳は瞳子にも練乳を勧め始めた。
「 瞳子も入れる? 練乳 」
「 お姉さま、瞳子も甘いものは嫌いではありませんが、さすがに練乳は・・・ 」
「 え〜、瞳子も“お揃い”にしようよ〜 」
「 是非いただきますわ、お姉さま 」
 “お揃い”という言葉に敏感に反応してカップを差し出す瞳子を見て、乃梨子は「 業の深いやつ 」などと思っていたが、きっと乃梨子も人のことは言えないはずだ。
 そんな和気藹々とした空気をよそに、志摩子は何か考え込んでいた。
「 ・・・可南子ちゃん 」
「 なんでしょう? 白薔薇さま 」
「 高等部からの入学だと、やはり疎外感とかあるのかしら? 」
 普段、乃梨子とはそんな会話はしないのか、志摩子は“高等部からの入学組”の体験談に興味を持ったらしく、可南子に質問をし始めた。
「 そうですね・・・ 疎外感という程の物でもないのかも知れませんが、“あ、やっぱり違うものなんだな”と思うことは多かったですね 」
「 そうだね、正直“私って場違いだなぁ”とか思うことも多かった気がする 」
 可南子のセリフに、乃梨子もしみじみと同意する。
「 そうなの・・・ 」
 高等部入学組のふたりのセリフに、志摩子は少し悲しそうな顔をする。
「 あ、別に仲間はずれにされたとかじゃないからね 」
 志摩子の悲しげな様子に、乃梨子は慌ててフォローを入れる。
「 リリアンの生徒って、基本的にみんなお嬢さまで悪い人はいないから、少しくらい毛色の違う人間がいても、別にそれを理由に何かする訳じゃないもの。むしろ優しくしてくれる人が多かったし、おかげで今じゃ、すっかりリリアンにも馴染んだくらいだもの 」
「 そう。良かった 」
 乃梨子のセリフに、志摩子は心から安心したようだ。
「 ただ・・・ 」
「 え? 」
「 本人達は無意識なんだろうけど・・・ リリアンでは常識とされていることを、私が知らないって気付くと、一瞬“え?”って顔をされることは多かったかな 」
「 それは・・・ 」
 乃梨子の言わんとするところが今ひとつ理解できない様子の志摩子に、可南子が横から説明を付け加える。
「 白薔薇さま。それが“話している相手だけがする反応”なら、別におかしなことではありません。むしろ、外部の学校でも同じような反応をする人は多いです 」
 そう。可南子の言うように、自分が知っていることを当然相手も知っていると思い込み、“え?貴方知らないの?”といった反応をする人間は、別に珍しくはない。
 事実、志摩子も「 それは・・・ 」と言った後に、「 そういうこともあるのではなくて? 」と続けようとしたのだから。
 だが、話がこのリリアンのような場所になると、少し事情が違ってくるのだ。可南子はそれを志摩子に伝えるために、説明を続ける。
「 でも、リリアンは幼稚舎から長年通っている人の割合がとても多いので、そういう時、周りにいるほとんどの人が一斉に“え?”っていう反応をすることになるんです 」
「 あ・・・ 」
 可南子の言葉に、志摩子もようやく気づいたようだ。
「 そうなの志摩子さん。みんな良い人だから、知らないことは教えてくれるし、それで差別されたりなんかしないんだけど・・・ やっぱり、周りにいるほとんどの人に“え?”って顔をされると、“ああ、やっぱり私って、ここでは異質なんだな”って感じてしまうの 」
 お嬢さまを純粋培養する環境。それは、「お嬢さまには必要の無い“余計な異分子”を排除した環境」とも言えるのだ。
 可南子と乃梨子の感じたもの。それは、異邦人の憂鬱とでも言える感情かも知れない。
 少し寂しげに笑ってみせる乃梨子に、志摩子は姉としてそんなことにすら気付いてやれなかったのかと思い、そんな自分が少しだけ悲しかった。
「 そう言えば、白薔薇さまも確か、中等部からとはいえ途中入学でしたよね? その時は、そんなことはお感じにならなかったのですか? 」
「 私は・・・ 」
 可南子の質問に、志摩子は自分の過去を思い返してみたが、そんな感情には覚えが無かった。
 それは、志摩子が元々リリアンのお嬢さま達と同じくらい躾の行き届いた少女だったことにも起因するが、むしろ志摩子が寺の娘として「 私は本来、ここにいてはいけない存在 」だと思い込んでいたということにより、そういった「自分は異質な存在」だと感じることを、当たり前のこととして捉えていたということが原因と言えるだろう。
 同じ境遇だったはずなのに、違う感情。志摩子は、姉として乃梨子のことをある程度理解していると思っていたが、実はそれが自分の思い込みでしかなかったのかも知れないという不安に陥った。
( 乃梨子は悩んでいたのね・・・ )
 それは、乃梨子自身も“悩み”とは自覚していなかったような、小さなこと。
 だが、そんな些細なことすらも姉妹ならば・・・ いや、大切な人のことならば、知っていたいと思うものだろう。
 たとえ、人は他人の全てを理解することなど、できやしないのだと解かっていても。
( なのに私は・・・ )
 志摩子はふと、乃梨子と出会った頃のことを思い出す。
 春、銀杏並木に1本だけ混じる桜の樹の下での出会い。
 自分はリリアンにいてはならない存在だと、誰にも告げたことの無かった思いを初めて告白したあの日。
 それでも変わらず傍にいようとしてくれた、かけがえの無い二条乃梨子という少女。
( 私は・・・ )
 あの頃・・・ いや、今もだが、志摩子にとって乃梨子は特別な存在だった。
 特別だからこそ、白薔薇の蕾という重責を負わせたくなかった。
 特別だからこそ、白薔薇という、自分を表す一部でしかないカタチに、「 志摩子さん 」と呼んでくれる乃梨子を押し込めるのが嫌だった。
 特別なひとを、ロザリオという鎖で縛るのが怖かった。
( でも・・・ )
 でも。今の志摩子は、こうも考えてしまう。
 白薔薇という称号にも囚われず、リリアンという独特な世界にも負けず、志摩子を志摩子として見てくれた乃梨子。
 そんな乃梨子の強さに、自分は甘えていただけなのではないだろうか・・・ と。
 きっと、あの頃の乃梨子は、リリアンという未知の世界に溶け込めず、少しだけ悩んでいたはずだ。
 自分がさっさとロザリオを渡してしまえば、少なくとも周りは乃梨子を「 白薔薇の蕾 」という「 リリアンの一部 」であると認め、もっと容易く受け入れてくれたのかも知れない。
 そうすれば、乃梨子がリリアンに疎外感を感じることも、無くなるまでは行かずとも、減ったのかも知れない。
( ロザリオをなかなか渡せなかったのは、きっと、乃梨子のためではなく、『私の好きな乃梨子』を失いたくない私自身のためだったんだわ )
 そんな自分が、乃梨子の姉だと名乗るなんておこがましいのではないか。
 気楽に生きることのできない志摩子の悪いクセが、彼女の思考を暗い淵の底へと引きずり込んでゆく。
( 今まで考えたことも無かった。乃梨子をリリアンという枠に押し込めることで、逆に乃梨子が救われたのかも知れないなんて・・・ )
 だが、志摩子は肝心なことを忘れていた。
 ロザリオをなかなか渡せなかった過去があろうとも、今では乃梨子も立派にリリアンに馴染んでいるのだ。
 それは、決してロザリオの持つ力などではなく。ましてや白薔薇という名の力でもなく。志摩子という存在そのものが、乃梨子を支えた結果なのだという事を。
 確かに、二条乃梨子という少女の精神は、強くしなやかである。
 でも、その強靭さを支えている最も大きい力は、藤堂志摩子という唯一無二の存在なのだ。
( 私は、なんて強欲なんだろう・・・ )
 自分の持つ力に気付かず、志摩子の思考は益々沈み込んでゆく。
( 私があの時・・・ )
「 志摩子さま 」
( もっと別の行動を取っていたら・・・ )
「 志摩子さまってば 」
( あるいは乃梨子は・・・ )
「 志摩子さま!! 」
 はっと我に返る志摩子。
 志摩子を呼び戻したのは、なんととらの呼びかけだった。
「 ・・・何かしら? とらちゃん 」
 志摩子がそう言いながらとらを見ると、とらは心配そうな顔で志摩子を見ていた。
「 大丈夫か? なんか元気無いぞ? 」
「 え? 」
 志摩子は一瞬、とらが自分を心配してくれているのだということに気付けなかった。
 今までさんざん乃梨子をめぐって敵対してきたのだから、無理も無かったが。
「 お腹痛いのか? それとも、熱あるのか? 」
 志摩子は、どうやらとらが自分のことを心配してくれているらしいと理解できるまで、数秒かかった。
「 ええ、大丈夫よ 」
 ほとんど反射的に答える志摩子を見て、とらはまだ不安そうな顔をしている。
「 ホントに大丈夫か? 我慢してないか? 」
 じっと志摩子を見つめるとらの目を見て、志摩子はとらが本気で心配してくれているのだと気付いた。
( この子は・・・ 乃梨子が隣にいても、私のことを心配できるのね )
 軽い驚きを感じて、志摩子はとらを見つめる。
 とらの思考回路は、シンプルかつユニークな構造をしている。
 『乃梨子』が好き。
 『乃梨子が好き』な自分を『邪魔するやつ』は嫌い。
 だが、あくまでも『邪魔するやつ』が嫌いなだけであって、『邪魔するやつ』イコール『志摩子』ではないらしい。
 つまり、乃梨子さえ絡まなければ、別に志摩子自身が嫌いという訳ではないのだ。
 ゆえに、志摩子に元気が無さそうだと感じれば、素直にそれを気遣うことができる。
 そんな素直な優しさが、とらの持つ魅力の一つだと言えるだろう。
 ・・・まあ、あまりモノを深く考えないという見方もできるかも知れないけれど。
「 ありがとう。本当に大丈夫よ 」
 とらのシンプルな優しさを眩しく思いながら、志摩子はとらに微笑みかけていた。
 そんな志摩子を見て、とらもようやく安心したようで、「 そっか、良かった 」と言いながら笑う。
 とらの笑顔を見て、志摩子はふと思った。
( そうだわ。この子は今まさに、リリアンという世界の中で疎外感を感じているのでは? )
 先程、乃梨子について考えていたことは、とらにも当てはまるのではないのだろうか?
 そのことに思い至った志摩子が再びとらを見ると、勉強で疲れたらしく、テーブルにくてっと頭を預けていた。
( 自分も疲れているのに、私なんかのことを心配して・・・ )
 志摩子はさっきまでとらに感じていた警戒心が、急に薄れていくのを感じていた。 
「 とらちゃん 」
「 なんだ? 志摩子。( がすっ! ) いだっ!! ・・・・・・なんでしょう、志摩子さま 」
 休憩中の気の緩みからか、何気なく志摩子を呼び捨てにして後頭部に乃梨子の鉄拳を喰らってしまい、殴られたところをさすりながら言い直すとら。
 そんな乃梨子ととらのド突き漫才を、志摩こは初めて“羨ましく”ではなく“微笑ましく”見守ることができた自分に気付く。
 この子が私を気遣ってくれたように、私もこの子のために何かしてあげたい。
 与えてくれたこの子に、何か返してあげたい。
 素直にそう思えた志摩子は、とらに優しく聞いてみた。
「 とらちゃんも、周りの人に疎外感を感じることがあるの? 」
「 ・・・・・・ 」
 志摩子の問いに黙り込むとら。
 そんなとらを見て、志摩子はとらがそんなにも悩んでいるのかと心配になったが、次にとらの口から出てきた言葉は予想外のものだった。
「 “そがいかん”って何? 」
 とらの言葉に、志摩子だけでなく、隣りで聞き耳を立てていた乃梨子までもが、椅子の上で器用にずっこけた。
 志摩子はちょっと挫けそうになりながらも、辛抱強く説明する。
「 そうね、周りの人と自分が違うということ。自分だけが違うということ。そして、それが寂しいということかしら 」
「 寂しい・・・ 」
 志摩子の説明に、とらはテーブルに頭を預けたまま少し考え込む。
「 寂しいって言うか、みんなノリが悪くてつまんないかな 」
「 ・・・ノリ? 」
 とらの言葉に、少し首を傾げた志摩子に、とらは「 菜々は別だけど 」と前置きして続ける。
「 みんな、私が何かして遊ぼうって誘ってもノってくれなくて、つまんない 」
 確かに、リリアンのお嬢さま達にとらの言う“遊び”、例えば木登りや狩りなどは、ついていけないことだろう。
 志摩子は、とらがリリアンの中で浮いた存在であるという事実を、この時初めてはっきりと認識したのだった。
 今までは「 とらちゃんが何か問題を起こすと、乃梨子にまで被害が及ぶから何とかしよう 」程度にしかとらのことを考えていなかった自分を少し恥じながら、志摩子はとらのために何かしてあげたいと強く思った。
「 ねえ、とらちゃん 」
「 何? 志摩子さま 」
「 ここで、みんなの教えてくれることを学べば、きっと、お友達も貴方と遊んでくれるようになると思うわ 」
「 ホントに?! 」
 驚きと喜びが混ざり、思わず起き上がるとらの問いに、志摩子は「 ええ、本当よ 」と、笑ってみせる。
「 そっか! じゃあ、頑張る!! 」
 自分の学ぶことの結果に、「これができなければ乃梨子といっしょにいられない」というネガティブな物の他に、「これができればみんなと楽しく遊べる」というポジティブな物が加わったことにより、俄然ヤル気を出すとらだった。
( きっと、リリアンのお嬢さま達が敬遠しそうなことを学んで他の子との折り合いをつけられれば、この子と周りの壁も無くなるはず。だって、こんなに素直で良い子なんだから )
 志摩子は、とらの幸せな未来を願った。
「 とらちゃん、大変かも知れないけれど頑張りましょうね。私もできる限り手伝うから 」
「 うん!! 」
 嬉しそうなとらに、隣でふたりの会話を聞いていた乃梨子も「 返事は“はい”でしょう? 」と言いつつ、笑顔でとらの頭を撫でている。
「 志摩子さん 」
 乃梨子は志摩子を見つめ呟いた。
「 ありがとう 」
「 どういたしまして 」
 間に挟まれたとらと共に、微笑み合う白薔薇姉妹。
( そう言えば、3人で笑いあうのは初めてかしらね )
 そのことに気付いた志摩子は、「 悪くない 」と思った。
 むしろ、これまで感じたことの無い暖かさが、胸の内を満たしている。
( 良かった。もう大丈夫だ )
 乃梨子は、自然に微笑み合う志摩子ととらを見て、何の根拠も無くそう確信した。
( うん、もう大丈夫だ )
 とらも。志摩子も。そして、そのふたりのことが大好きな自分も。
「 よーし! ヤル気出てきた! 」
「 ふふふ、良かった 」
 元気良く言うとらを見て、志摩子が安心して紅茶を飲もうとすると、とらが「 そーだ! 志摩子さまも“ヤル気”が出るよーにしてあげる! 」と、志摩子の紅茶のカップの中に練乳を搾ろうとする。
「 え? そ、それは・・・ 」
 志摩子が止めようかどうしようか一瞬悩んでいると、とらは元気良く言った。
「 大丈夫! 少しくらい“デブ”になっても、元気が何よりだって、お父さんも言ってたし! 」
 “デブ”という単語に敏感に反応し、驚異的な速さでとらの手をガッとつかんだ志摩子は、練乳の投入を断固阻止したのだった。
「 とらちゃん・・・ いいから 」
「 え? 練乳美味しいよ? 」
「 いいから 」
「 でも・・・ 」
「 い・い・か・ら 」
 笑顔は崩さず。しかし、練乳を入れようとするとらの手は1ミリも進ませず。志摩子はきっぱりと練乳を拒否する。
( やはり、教育は必要なのね。色々な意味で )
 親切のつもりでやっているので、何故志摩子が練乳を拒否するのか本気で解かって無さそうなとらを見て、志摩子はしみじみとそう実感したのだった。
 


 
 
 
 
 ちなみに同時刻。志摩子の隣りでこっそり話しを聞いていたもうひとりの練乳推進派は、志摩子に練乳の良さを教えようと、マイ練乳のチューブからキッチリ10cm練乳を搾り出し志摩子のカップに強制投入していたが、それを見ていたのは彼女の妹だけだったので、当然のようにその行為を止めなかった。

 10秒後、紅茶を“ごふっ!”と噴出すという、珍しい志摩子の姿が薔薇の館で初観測された。









一つ戻る   一つ進む