【2064】 心のむこうに思い出だけが  (杏鴉 2006-12-20 16:30:28)


――苦シイ……苦シイ……ナゼ私ダケガコンナ目ニ………………。

――悔シイ……生ヲ謳歌スル全テノ人間ガ妬マシイ………………誰デモイイ……道連レニシテヤル……!





『ねぇ、あなた。私と一緒に遊びましょう?』


「え? おねえちゃん、だぁれ?」
『私はミズキ。あなたのお名前は?』
「ユミ!……おねえちゃん、ユミとあそんでくれるの?」
『えぇ、遊んであげるわ……ずっとね』
「わーい! ありがとうおねえちゃん! ユミひとりでつまんなかったの」
『そう、でも大丈夫よ。これからは私が一緒にいてあげる。こっちへいらっしゃいユミ……サァ、一緒ニ遊ビマショウ?』





「ご、ごきげんよう。……あれ? まだ志摩子さんだけなんだ?」
「ごきげんよう、祐巳さん。ごめんなさいね。まだ皆さんいらしてないの」
「そ、そんな! 謝らないでよ!」

つい先日、薔薇の館の住人となったばかりの祐巳は、いささか緊張しながらビスケット扉を開けた。けれどそこに居たのがクラスメートの志摩子だけだったので、つい拍子抜けしたような声を出してしまったのだ。
(ど、どうしよう! どうしよう!)
オロオロしている祐巳を、志摩子がおっとりと微笑み、見つめている。志摩子の優しい眼差しに、しだいに落ち着きを取り戻す祐巳。

「ごめんね……志摩子さん。薔薇様方や祥子さまが居たらどうしようって思ってて……志摩子さんだけだったからホッとしたっていうか、その……」
「えぇ。分かっているわ。さぁ、座って祐巳さん。今お茶を入れるから」
「え? い、いいよ! 自分で入れるよ!」
「私が祐巳さんの為に入れてあげたいの。……それとも私が入れたお茶は嫌?」
「そ、そんな事ないよ!」

祐巳が首をブンブン振りながら必死で否定するのを、楽しそうに眺めた後、志摩子は「座って待っていて」と言い残して流しに向かった。
志摩子がお茶を入れている間も、祐巳はそわそわとして落ち着きがなかった。
薔薇の館の持つ雰囲気に呑まれていると言った方が正しいかもしれない。
祐巳は堂々としている志摩子の背中を見ながらポツリと思った。
(いつか自分もあんな風になれるかなぁ?)

「どうかした? 祐巳さん?」
「ぅわ! な、なんでもないよ!」

視線に気付いた志摩子が急に振り向くものだから、祐巳はまた慌てて首をブンブン振った。
そんな祐巳の様子に、志摩子は小さく首を傾げながらお茶入れを再開する。
(ビ、ビックリした……。志摩子さん変に思ったかなぁ……?)

「はい、祐巳さん。お待たせ。」

心なしか赤くなってうつむいている祐巳の前に、微笑をうかべた志摩子がティーカップをそっと置き、隣に座る。

「あ、ありがとう志摩子さん」
「どういたしまして。さぁ、冷めないうちにどうぞ」
「うん。いただきます」

「……はぁ」

祐巳は砂糖を加えた紅茶を静かにかき混ぜながら、ふと溜め息をもらす。

「どうしたの祐巳さん?」
「…………あのね……私なんかが本当に祥子さまの妹でいいのかなって思って……」
「え? どうしてそんな事思うのかしら?」
「どうしてって……。だって私、何やっても平均的だし……特に取り得なんてないし……」

祐巳の少々卑屈な発言に、志摩子は首を傾げて考え込む。

「……人って、自分の事はよく分からないものなのねぇ」
「え?」
「あのね、祐巳さん。祐巳さんはとっても魅力的なのよ」
「へ?」
「まぁ、それに気付かないのも祐巳さんの良いところかもしれないわね」
「……?」

ごくあたりまえの事を言っているような口調の志摩子に、祐巳は妙な受け応えしか出来ない。しまいにはキョトンとしてしまった。
よく分からないが、なんとなく褒められたような気がした祐巳は、照れ隠しに志摩子から視線を外し、彼女の入れてくれた紅茶をすすった。

その紅茶は今まで嗅いだ事のない、不思議な香りがした。
(これ、何ていう種類だろう? 美味しいなぁ……あれ?……なんだか…………とても……眠――)

――バタっ

志摩子が祐巳の手からティーカップを取り上げた瞬間、祐巳は机に突っ伏した。まさに絶妙なタイミングだったと言える。

「ずいぶん効きが早いわねぇ……もっと量を少なくしても良かったかしら?」

おっとりとした口調で剣呑な事を言う志摩子は、呑気な顔ですうすうと寝息を立てている祐巳の邪魔にならないよう、ティーカップを離れた位置に置いた。

「ごめんなさいね、祐巳さん。でも、こうでもしないと……」



『――あなたユミに何をする気?』



突然、祐巳でも、もちろん志摩子でもない声が薔薇の館2階に響いた。
自分に対して明らかな敵意を向けてくるその声を聞いてもなお、志摩子は微笑をうかべたまま、おっとりと言った。

「別に何もしませんよ。こうしないと、あなたとお話が出来ないと思ったから。……祐巳さんには悪い事をしてしまったけれど」
『――っ! あなた私の声が聞こえるの……?』
「えぇ。声だけでなく、お姿もちゃんと見えていますよ」
『……………………』

志摩子には見えていた。祐巳がこの部屋に入ってきた時からずっと。
祐巳のすぐ傍で、じっと彼女の事を見つめている、リリアンの制服に身を包んだ少女の霊が。

「少しお話をしましょう。どうしてあなたは祐巳さんに憑いているのですか? お姿から察するとリリアンに通われていた方のようですが?」
『……あなたには関係ないわ』
凍てつくような眼差しで少女は志摩子を見すえる。だが志摩子は怯まない。
「関係なくはありません。あなたが祐巳さんを守護されている方なら、私も口出しする気はありませんが……そうではないですよね?」

志摩子の言葉をきっかけにして、少女の瞳が悪意に染まる。この時、初めて志摩子の微笑みが消え、声に厳しさが含められた。
「あなたは祐巳さんを猩△譴胴圓海Ν瓩箸靴討い襪里任靴腓Α」
『……あなたに何が分かるって言うの? 私はずっと一人だった……苦しくて、哀しくて、泣き叫んでも……誰も私に気付いてくれなかった……友達も……姉妹でさえ…………すぐに私の事を忘れていった』
「……………………」
『だから私は、誰でもいいから道連れにしてやろうと思った。私を救ってくれなかったマリア様の、このお庭でねっ』
吐き捨てるように言う少女を、志摩子はただ静かに見つめている。

『でもユミは……こんな私に笑いかけてくれた。ずっと真っ暗だった私の世界が光に包まれたの……太陽みたいだって思ったわ!』
少女は一転して、輝くような笑顔で志摩子に言った。それは少女がもうこの世の人ではない、なんて信じられないくらいキラキラした笑顔だった。
だからこそ残酷だ――そう志摩子は思った。

『私はユミを猩△譴胴圓瓩里呂笋瓩燭錙だってそんな事をしたらユミは笑ってくれなくなるかもしれないもの』
少女は志摩子の返事など待たずに、どんどん喋り続ける。
少女の顔が明るくなるのに反比例して、志摩子は徐々に表情を硬くしていく。

『私はユミを見つめているだけで幸せだった。いつだって、この子の笑顔が私を癒してくれた……』
少女が眠る祐巳を慈しむような眼差しで見つめる。だが、その視線が志摩子に移った瞬間、表情が激変した。

『幸せだった……幸せだったのに…………ユミに姉が出来てしまった……ユミを奪われてしまった』
少女の瞳は志摩子を見ているようで、実際はどこも見てはいなかった。青白い顔が嫉妬に歪む。

『やっぱりあの時、ユミを自分のモノニしておケバ良かっタ……!』
「いけません。あなたは一度思いとどまれた……その時の気持ちを思い出して下さい」
もう何を言っても無駄だと分かっていながらも、志摩子は言わずにおれなかった。
少女が祐巳に向けた眼差しに、嘘はないと気付いてしまっていたから。

『ユミ……ユミ…………サァ、一緒ニ行キマショウ?』

やはり志摩子の願いがとどく事はなかった――。
志摩子はわずかな時間、哀しみに目を伏せていたが、やがて顔を上げた時には瞳に迷いはなかった。

「――あなたと祐巳さんは、同じ世界では生きられないのよ」

志摩子のその決定的なセリフに、少女が久しぶりに反応した。

『ウワアァアアァァァアァァッ! オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? オマエニ何ガ分カル!? 何ガ!? 何ガ!? 何ガ!? 何ガ!? ナニガ!? ナニガ!? ナニガ!? ナニガ!?』

しかし、コミュニケーションをとる事は絶望的であった……。

「ごめんなさい。出来れば話し合いで解決したかったのですが……本当にごめんなさい」
志摩子は申し訳なさそうに言いながら、手で印を結んだ。

「いつか生まれ変わったら、またお会いしましょう」
気を極限まで高め、少女を冥府へと送り出そうとする志摩子。だが――

『ウアアァアアァアァアァア……! ユミ!…………ユミ……!』
「これは……想いが強すぎて成仏させられない……!?…………あなたはそんなに祐巳さんの事を……」
志摩子は哀しそうな目を少女に向けたが、それは一瞬の事で、すぐに表情と印の形を改めた。

「仕方がありません。封印します。……いつか私にもっと強い爛船ラ瓩ついたら、必ず成仏させてあげますから。……それまで、どこに居たいですか?」
もう少女の口から出るのは慟哭と、祐巳の名前だけだったが、志摩子には少女の願いが聞こえた気がした。

「――分かりました。では、いきますっ……!」





志摩子と少女のやり取りも知らず、まだ祐巳はすやすやと眠っていた。

ほんの少しだけ疲れた様子の志摩子は「魅力がありすぎるのも大変ね。祐巳さん」と苦笑しながら祐巳の頭をそっとなでる。
祐巳は祥子に褒められた夢でも見ているのか、幸せそうに微笑んでいた。





「――祐巳? そんな所で何をしているの?」
「あ! 祥子さま。えっと、あの……ちょっと幼稚舎に通っていた頃を思い出していたんです」

ぼんやりと桜の樹を見上げていた祐巳は、突然祥子に声をかけられて驚きつつも、なんとか返事をかえした。

「幼稚舎の頃?」
「は、はい。私まだ幼稚舎に通っていた時、高等部の敷地に迷い込んでしまった事がありまして……その時に優しいお姉さんに遊んでもらった事があるんです」

祐巳はここで話を終える気だったが、祥子が促すようにうなずいたので、さっき考えていた事も残らず話してしまった。

「また一緒に遊びましょうって、この樹の下で約束したんですけど……それ以来一度も会えなくて。もうとっくに卒業されてるでしょうけど……私の事、憶えててくれたらいいなぁって……」
「そう、そんな事があったの」
「あ……す、すいません! 一人でベラベラ喋ってしまって!」
「いいのよ。あなたの大切な思い出なのでしょう? 話してくれて嬉しかったわ」

そう言いながら祥子は本当に嬉しそうな顔をしてくれたから、祐巳はくすぐったいような気持ちになって、はにかんだ。

「それはそうと祐巳。あなたさっきまた祥子さまって呼んだわね? 姉妹になったのだから、きちんと爐姉さま瓩箸呼びなさいと言ったでしょう?」

口調を改めた祥子が咎めるように言ったけれど、やっぱり祐巳はくすぐったい気持ちのままだったので、笑顔になるのを止められなかった。

「気持ち悪いからニヤニヤするのはおやめなさい」
「すいません……」
「もぅ……さぁ、薔薇の館へ行くわよ」
「はい。祥子さま」
「あなたね……」
「……あ。……す、すいません」

溜め息をついて歩き出した祥子を、祐巳が慌てて追いかけようとした時、どこからともなく声が聞こえた気がした――


………………ユミ…………ユミ…………。


それはどこか懐かしい音色をしていて、祐巳は立ち止まって振り返ったけれど、そこには桜の樹が佇んでいるだけで……。
祐巳は不思議そうに首を傾げたまま、しばらくそうしていたが、やはり誰の姿も見えないし、もう何も聞こえない。
それでも何故か立ち去り難い気持ちになってしまった祐巳は、そこでじっと桜の樹を見上げた。

「――祐巳? どうしたの?」

引き返してきた祥子が祐巳に問いかけた。
てっきり後ろに付いてきていると思っていたのに、振り返ると居なかったので心配になったらしい。声に少し不安が混じっている。

「あ……すいません祥子さま。なんだか誰かに呼ばれたような気がしたもので……」
「――ここには私たち以外、誰も居ないようだけど?」
「そう……ですよね。すいません変な事言って」
「……………………」

自分の言動に苦笑する祐巳の手を、祥子は何の前触れもなく、ぎゅっと握った。

「へっ!? あ、あの……さ、祥子さま!?」

驚く祐巳に何も言わず、祥子は繋いだ手を引っ張ってスタスタと歩き出す。
祐巳はどうしていいのか分からずに、ただ真っ赤な顔で祥子に引っ張られている。

「――あ、あなたが悪いのよ!? あなたが……祐巳が、どこかに行ってしまいそうな顔をするから……!」

そんな事を言う祥子の口調はまるで怒っているようだったけれど……
早足で歩く祥子の顔は祐巳には見えなかったけれど……
風を切って歩く祥子の髪がなびいた時に、その真っ赤になった耳が見えてしまったから……
祐巳は「ごめんなさい……」と小さく呟いて祥子の手をきゅっと握り返した。





二人の姿が見えなくなった頃、桜の樹が僅かにだが揺れ動いた。





――イツカマタ……一緒ニ遊ビマショウ…………ユミ……。






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