「乃梨子ちゃんあんな事されても全然起きないのね」
何をされたんだ。何を。
【No:1912】→【No:1959】→【No:1980】→【No:1990】→【No:2013】→【No:2033】→【No:2036】→【No:2046】→【これ】
(ご注意:これは『マリア様がみてる』と『ARIA』、『AQUA』のクロスです)
(ご注意2:これはクゥ〜さまのARIAクロスSSのパラレルワールド的な話になると思います)
(※クゥ〜さまのお話最新→【No:2044】)
「船謳ぁ!?」
アテナさんから貰った教本の『ウンディーネが学ぶべき事』という項目を見ていた乃梨子は素っ頓狂な声を上げた。
「……カンツォーネってやつね?」
「お、お客さんの前で歌うんですか?」
「そりゃそうよね」
「しかもアカペラ?」
「料金によっては伴奏もつくみたいよ」
「……」
乃梨子は頭を抱えた。
予想以上に向いてない職業だ。乃梨子が人前で歌を披露するなんて想像もつかない。
というか、アテナさんが歌ってくれたり、アリスさんとの話で船謳の話題は出ていたから予想出来てしかるべきなのだけど、いざ乃梨子がウンディーネになるにあたって「ありえないこと」と無意識に排除していたのだ。
しかし現実は、ウンディーネになるなら乃梨子も例外なくお客さんの前で船謳を歌わなければならないことは間違いない。
なんてことを宣言してしまったのだろう、と乃梨子は昨日のことを早速後悔した。
「乃梨子ちゃんどんまい」
「って、由乃さまもですよ?」
「でも、先のことでしょ? 当面は漕ぎかたの練習だし」
「はぁぁ」
と、由乃さまの様子に、大げさにため息をついて、乃梨子は立ち上がった。
ここへ来て今日で四日目。
静けさとざわめきが交互にやってくるネオ・ベネツィアの独特の空気にも、そろそろ慣れて来た。
上を見あげると、周囲を囲む建物たちに切り取られた、よく晴れた青空が覗いていた。
今日からは本格的にゴンドラに乗って練習。いきなり懸案事項が発生してしまったが「やる」と決めた以上いまさらやめるつもりは無い。
社員じゃないので制服が借り物だったり、普通は一人一艘で練習するところが、二人で一艘のゴンドラに乗り込んでたりと、いろいろ不足はあるものの、気分は一端のウンディーネ見習いなのだ。
そんな二人は、今はとりあえずゴンドラの上で教本とやらを紐解いているところだった。
船謳という履修科目にすっかり暗くなっている乃梨子に対して、妙に楽観的に由乃さまは言った。
「まあ、長めのお試し期間って考えて気楽に行きましょうよ?」
「……すっかり馴染んでますね」
「そう見える?」
「私よりは」
乃梨子がそう言うと由乃さまは運河の先を眺めながら言った。
「そうでもないんだけどね……」
≪出会いとはじまり≫
大運河(カナル・グランデ)にかかるリアルト橋の近くから細い水路に入り、サンマルコ広場へ抜けるルートが今日の最初の練習コースだった。
教本にはコースの観光スポットも書いてあり、そこの観光案内もしなければいけないのだけど、初めてなので漕ぎ役の乃梨子はオールさばきの練習に集中し、由乃さまは教本を見ながらナビゲーター役をする事になっていた。
二人のゴンドラは社員寮前の水路から大運河に出て、昨日も通ったコースを辿りリアルト橋に向かった。
大運河はリアルト橋の所で橋に合わせて少し狭くなっていて、橋を過ぎると大運河はぐっと大きく左に折れてその先はまた幅が広くなる。更に左にカーブしながら大運河が続くのだけど、その先までは行かないで、右岸の2本目の水路に入ると教本に書いてあった。
その問題の水路を見て乃梨子は思わず声をあげた。
「って、本当にここですか?」
大運河の反対側から見ると“ただの建物の隙間”って感じで、本当に狭く見えたのだ。
「だって、そう書いてあるわよ」
「……判りました」
乃梨子はオールを操って対岸の狭い水路へとゴンドラを進めた。
おそらく両側がいきなり高い建物の壁だから狭く見えたのであろう、入ってみる意外と幅があり、ゴンドラが余裕ですれ違うことが出来るくらいはあった。
「この先にあるのが、地球のベネツィアにあったものを再現したマルコポーロの生家だって書いてあるけど」
由乃さまは教本と観光案内を開いてこんな事を言った。
「本当はマルコポーロの生家“跡”って表記すべきなのよね」
「そうなんですか?」
「うん、聞いた話だけど、当時の家はもう焼失してて、今あるのは後から建てられた別の建物だったんだって」
ということは、その別の建物をこの火星(アクア)に再現したってことか?
「三百年経ってるから、その辺の情報は欠落してるのかもしれませんね……」
マルコ・ポーロの時代から数えればなんと千年も経っていることになる。
そんな話をしつつ、一つ橋をくぐって狭い水路を先に進むと前方から白いゴンドラが来た。
乃梨子は注意深く自分のゴンドラを寄せて、お客を乗せたゴンドラがすれ違うのを待った。
「あれ?」
「なあに?」
「あのウンディーネさん」
見ると制服が昨日の謎のウンディーネさんと同じだった。柄の色が水色なのですぐに判った。
「あ、本当だ」
由乃さまも判ったようだ。
でもお仕事中だから話し掛けるわけにもいかない。
すれ違いざま、そのウンディーネさんと目が合った。
乃梨子が軽く会釈すると、彼女は微笑みかけてくれた。
すれ違った後、ゴンドラを見送りながら由乃さまは言った。
「帽子に『ARIA』って入ってたわ」
「そうですね」
ついでに制服の肩にもロゴがあった。
「あれが噂のARIAカンパニー?」
「なるほど。多分そうですね」
ARIAカンパニーというのは、晃さんの話に登場した、(人間の)社員が三人しか居ないと言う水先案内店だ。
昨日の由乃さまの名前を知っていた謎のウンディーネさんと同じってことは、おそらく間違いないだろう。
灯里(あかり)さんかアリシアさんかそれともまだ名前の出ていない誰かなのか、いずれにしても、そのうち会って話をする機会があるに違いない。
そして、それは意外に早く実現することになる。
「これがマルコポーロの生家跡ですね」
乃梨子たちはゴンドラを停めて、四階建ての白い建物を見上げていた。
「やっぱり何処にも“跡”って書いてないわね。まあ観光スポットだし、実物だって事にしたほうがインパクトがあるのかしら?」
建物には判りやすく『マルコポーロの生家』と書いた看板があった。
「まあ、そうでしょうね」
由乃さまは建物を眺めながら言った。
「実はマルコポーロの生家ってさ、ベネツィアだけじゃなくて、イタリアとアドリア海を挟んで対岸のクロアチアにもあったって知ってる?」
「初めて知りました。そうなんですか?」
「うん、なんでもマルコポーロは母親がクロアチアのコルチュラ島ってとこに滞在中に生まれたんだって」
「じゃあ正確には“生家”といったらそっちで、ここは“実家”ってこと?」
「そうなるわね。でもさ、どっちもマルコ・ポーロの家だって確証があるわけじゃないのよね」
「え? それって、もしかして、それぞれの国がそう主張しているってだけですか?」
「そうかも。良く判らないわ」
「判らないから、ここが生家だって主張しておけってことなのね……」
「言ったもん勝ちってやつかしら?」
こんな事を言っていると、ベネツィアとクロアチアの観光局に噛みつかれそうだ。
「でもまあ、ここは火星(アクア)ですけどね」
「そうよねー」
と、笑う由乃さま。
“クロアチアのコルチュラ島”を再現した場所がアクアにあるのかどうか定かではないが、観光案内をする側が積極的に話題にして良い話ではないだろう。
乃梨子たちがそんな会話をしている間にも白いゴンドラが続々と水路の角から姿を現しては横を通り抜けていった。
乃梨子たちの会話では見事にケチが付いたが、流石にここは観光スポットだけあって混み合っている。
「乃梨子ちゃん、次、あの角右に曲がって」
「はい」
「あと、後ろから来てるから」
「え?」
振り返ると白いゴンドラが一艘、後ろから迫っていた。
っと、慌ててはいけない。普通に漕いで先に進めは邪魔にはならない筈だ。
「ゴンドラ、通ります!」
声をかけて、角から出る。
幸い角を出ても他のゴンドラは来てなかった。
後ろから迫っていたゴンドラは看板がある辺りで停まっていた。お客さんが写真を撮ってるようだ。
乃梨子はそのまま角を曲がり、ゴンドラを先へと進めた。
「その先に見えるのがマルコポーロ橋。さらに行くとT字路が連続するから気をつけて」
「真っ直ぐで良いんですよね?」
「そうよ、そのまま道なりに進んで」
その最初のT字路で、声をかけて通り過ぎた直後、後ろから声が掛かった。
「あー、そこを行く見習いさん!」
振り返ると、白いゴンドラに水色のライン。
「あっ」
思わず乃梨子は声をあげた。
白いゴンドラを漕いでいるのは、さっきのARIAカンパニーの人だった。
「はひぃ、間に合いました〜」
そんな気の抜けた声をだして彼女は自分のゴンドラを乃梨子たちの後ろにつけた。
ゴンドラにお客さんは乗ってなかった。
「あの」
乃梨子が振り返って声をかけようとすると、彼女は言った。
「あ、止まらないで練習続けて?」
「は、はい」
確かに狭い水路なので止まってると往来の邪魔になる。
乃梨子は前を向いてゴンドラを漕ぎつづけ、代わりに由乃さまが振り返って彼女に話しかけた。
「あの」
「はひ?」
「私たちに何かご用ですか?」
「もうちょっと行くと広いところがあるから、そこでお話しましょ〜?」
まったりとした口調でそう言う彼女だったが、その言葉通り、橋を二つくぐると小さな船着場のあるちょっと広くなった所に出て、そこで水路は左に折れていた。
乃梨子が往来の邪魔にならないようにゴンドラを壁に寄せると、ARIAカンパニーの彼女もすぐそばに白いゴンドラを寄せた。
「ええと、何の御用ですか?」
乃梨子はとりあえずそう聞いた。
「えっと、アテナさんのお世話になってる見習いさんだよね?」
「あ、はい。そうですけど」
「よかった〜」
確認できてほっとした顔をした彼女は、漕ぎ位置から降りて座席に置いた荷物を漁るとなにか小箱を取り出して言った。
「これを貴方たちにあげます」
「はい?」
彼女が差し出したのは、ちょっと古びた小箱だった。
「……これ、何ですか?」
あまりに唐突だったので乃梨子は思わず受取ってしまったが、
「じゃ、渡したからね〜」
そう言って、彼女はもうオールを握って立ち去る気らしい。
「ちょ、ちょっと、ええと、ARIAカンパニーの、えっと、灯里(あかり)さん?」
乃梨子はあてずっぽうで名前を呼んだ。
合ってても間違ってても引き止めることは出来るだろう、という計算があったからだ。
「ええっ!?」
彼女は思い切り驚いて動きを止めた。
驚き方からすると、どうやら当たったらしい。
「ど、どうして私の正体を? 由乃ちゃんってエスパー?」
「いえ、私は乃梨子ですけど」
「ああ、ごめんなさい。じゃあそっちが由乃ちゃん?」
由乃さまの方を向いて彼女はそう言った。
「はい、初めまして、島津由乃です。水無灯里(みずなしあかり)さんですよね?」
そういやそんな苗字だったっけ。
乃梨子もアリスさんの口から一度だけフルネームを聞いていた。
「はひ、私はARIAカンパニーの水無灯里です」
「私は二条乃梨子です。私たちのことご存知なんですよね?」
「う、うんアリスちゃんから聞いたから……」
なんか灯里さんの目が泳いでる。
いきなり立ち去ろうとしてたし、何か隠してるのかな?
乃梨子はとりあえず会話を続けた。
「でも、顔も知らないのによく判りましたね?」
「うん、知ってた……、あ、いや、アリスちゃんから特徴を聞いてたから」
学生証の写真を見たのかな?
昨日の謎のウンディーネさんの件もあるし、アリスさんが勝手に持ち出した学生証をARIAカンパニーの人たちに見せたと考えるのが妥当だろう。
でも、何がしたいんだろう?
「と、とにかく、その宝箱はキミ達のものだから」
「宝箱!?」
「そんな怪しい物は受け取れません」
乃梨子はきっぱりとそう言った。怪しいのは灯里さんの態度の方なんだけど。
初対面だし、別に灯里さんい恨みがあるわけではないのだけど、陰でこそこそ何かをされるのが乃梨子には不快だった。
「えーっ? そ、そんなぁ〜」
「これは、お返しします」
と、小箱を灯里さんに差し出した。
灯里さんはそれを制するように乃梨子に掌を向けて言った。
「こ、これは、ほら、お近づきの印だから」
「そう言われても、貰う謂れがありません」
それに、どらかというと『小汚い』という形容が似合うようなこんな古びた小箱は、『お近づきの印』というにはあまりに相応しくない代物に見える。
灯里さんと小箱を押し付けあうようにしていると、由乃さまが立ち上がって乃梨子のそばに来た。
そして、
「ちょっと見せて」
と、横から手を出して乃梨子の手から小箱を奪った。
由乃さまが小箱を回したり持ち上げて見たりして観察していると灯里さんは言った。
「ほ、ほら、開けてみようよ。ね?」
「あっ」
灯里さんが寄ってきて由乃さまの持つ“宝箱”に手を伸ばし、有無を言わさずパカッと箱を開けてしまった。
「わー凄いよ、何か入ってるー」
大げさに驚いてみせる灯里さん。ものすごくわざとらしんですけど。
この人、こういうキャラだったのか。
「紙切れですね」
小箱の中身は折りたたんだ紙切れだった。
「ほら、開いてみよう?」
「はぁ」
流石に由乃さまも白けてる。
この人が何をしたいのか、手がかりになると思い乃梨子も由乃さまの手もとを覗き込んだ。
かさかさと音を立てて開かれたセピア色の紙にはこう書かれていた。
『この地図を手に入れし者よ
この言葉を解読し
汝が宝を手に入れよ
‘最古の水先案内人 回るプロペラの上’』
「なんのことかしら?」
「さあ? 暗号でしょうか?」
「ねえ、宝だって。なんだろうね? きっと素敵な宝物に違いないよ? 探してみたいよね? ね?」
なにやら必死な灯里さんだった。
紙切れを見ていた由乃さまの視線が乃梨子の方を向いた。
『どうする?』っていうアイコンタクトだ。
乃梨子は首を横に振った。
それを見た由乃さまは灯里さんに向かって言った。
「あの、私たちこういうのには興味ありませんから」
続けて乃梨子も言った。
「灯里さんが探してください」
「えー、それは駄目」
「どうしてですか?」
「え? えーと……、あ、私は仕事があるから探せないんだ。だから宝物はキミ達が探してね?」
「あ、ちょっと!?」
どうやら強引に話を切る気らしい。灯里さんはオールを握ってゴンドラを動かし始めた。
「絶対見つけてねー」
と、元来た水路にバックして、灯里さんはあっという間に橋の向うに消えてしまった。
向きを変えずにいきなり後ろ向きに加速したので追いかける暇も無かった。
「……立ち去り方が同じね」
意味も無く由乃さまの突っ込みが入った。
「それ、どうします?」
由乃さまが手にしている紙切れの話だ。
「確かさあ」
「なんでしょう?」
「晃さんの居る姫屋って、ネオ・ベネツィア一の老舗だったわよね?」
「そう聞きましたけど、それが何か?」
「いや、真面目に解くつもりじゃ無かったんだけど、判っちゃったから」
「判ったって、その暗号がですか?」
「うん。アリスの仲間が絡んでるって考えたら割と簡単に」
アリスの仲間っていうのは、灯里さんと姫屋の藍華さんの事だろう。前に“仲良し三人組”と聞いている。
「要は私たちに宝探しをして欲しいんでしょ?」
「はぁ、そうなんでしょうね」
唯でさえ超常的な面倒に巻き込まれているというのに、この上、人為的な厄介事には関わりたくないというのが乃梨子の本音だった。
でも、灯里さんも、お世話になっているアテナさんの友人の一人だってことを考えると、どうも無視するわけにはいかなそうだった。
そんな訳で、灯里さんが去った後も、その場に留まって対策を話し合っていた。
「だから、判らないところに隠すとは思えないわけよ」
「由乃さま、探しに行くつもりですか?」
「っていうか、何処にあるか判る?」
「藍華さんの部屋ですか?」
乃梨子が即答すると、由乃さまは機嫌悪そうに眉を寄せた。
「乃梨子ちゃん結論早すぎ。まだ何も言ってないのに……」
「シーリングファンの羽根の上にでも括り付けてあるんじゃないですか?」
「……いつ判ったのよ?」
どうやら同じ見解らしい。というかヒントをくれたのは由乃さまなんだけど。
「由乃さまが、姫屋は一番の老舗だって言った時です」
「面白くないわね」
「私だって面白くないし、それで楽しもうなんて思っていませんが」
「違うわよ、謎解きを披露する楽しさが無いって言ったの」
どうやら由乃さまが面白くないのは、乃梨子と違って宝探し自体ではなく、乃梨子に対して先輩としての優位性を発揮できない事らしかった。
乃梨子としてはたった一つしか違わないし、ここに来てからは立場は対等だって思っていた。
もちろん元の世界に帰れば同じ学校の先輩後輩な訳だから、対等だからと言って、それで馴れ馴れしく接するつもりなど無いのだけれど。
「してみます?」
「何を?」
「謎解き」
「今更でしょ?」
「えー、聞きたい」
っと、突然、ちょっと間延びした声が、会話に割り込んだ。
「って、アテナさん!?」
アテナさんだった。
いつのまにかアテナさんはゴンドラを横付けしていた。
「仕事はどうしたんですか?」
「午前中の予約がキャンセルになっちゃったから乃梨子ちゃんと由乃ちゃんを探してたの」
空いた時間で乃梨子たちに指導をしてくれるそうだ。
「そうでしたか。わざわざすみません」
「ううん、それより謎解き」
おっと。
指導じゃなかったのか?
「あの、その前に、この宝探しってアテナさんも関係してます?」
「しらない。私は『宝探し』って由乃ちゃんの言葉で始めて知ったのよ」
「じゃあアリスさんが何かやってるって事は?」
「それはなんとなく判ったけど、アリスちゃんは教えてくれないの」
アテナさんはそう言って表情を曇らせた。どうやら嘘では無さそう。
「これがその暗号です」
由乃さまはアテナさんに例の紙切れを見せて言った。
「その『最古の水先案内人』ってのが、ここで一番の老舗の姫屋を表していて、『プロペラ』って言うのは藍華さんの部屋の天井の扇風機なんです。他の部屋にも“プロペラ”があるかもしれないけど、私たちが探す前提で企画してるとしたら、行った事のある藍華さんの部屋以外考えられません」
「なるほどー」
由乃さまがアテナさんに謎解きを披露した後は、教本の練習コースに従って小運河をサンマルコ広場の側まで抜けた。
もちろんアテナさんも一緒だ。
「ええと、今からですか?」
「うん、今から」
そいうわけで、そのまま姫屋の建物に向かった。
そして、乗り込む気満々でゴンドラを降りたアテナさんだったけれど……。
「こらアテナ」
姫屋前で晃さんに捕まった。
「晃ちゃん?」
「ちょっと来い」
そう言って晃さんはアテナさんを引っ張って乃梨子たちから離れた。
「なんだろう?」
「さあ?」
しばらくして、晃さんと一緒に帰ってきたアテナさんは言った。
「ごめんね、私、これから仕事だから。宝探し頑張ってね」
アテナさんは名残惜しそうな顔をしているのだけど、どうやら、乃梨子と由乃さまで探さないといけないらしい。
手伝う気だったアテナさんを晃さんが引き止めたってことは晃さんも一枚噛んでるってことだ。
「ええと、実は藍華さんの部屋に用事があるんですけど……」
と、由乃さまがそう言うと、晃さんは言った。
「ふむ、キミらだけで勝手に入れるわけには行かんな」
「ですよね」
公式な用がある訳でも無いのに、しかも乃梨子たちが着ている制服のオレンジぷらねっとは姫屋とライバル同士らしいし。
「むふふふ、ちょいとそこのお嬢さん」
と、何の脈略も無く現れたのは、
「藍華さん?」
「じゃあ、私は仕事だからもう行くぞ」
「あ、晃さん、お気をつけて」
「お前もサボってないで仕事しろよ」
そう言いつつ晃さんは行ってしまった。
乃梨子はそこに残った藍華さんに聞いた。
「藍華さんこれは一体……」
「まあまあ、これを着れば姫屋に入れるわよ?」
そう言って、藍華さんが広げて見せたのは、彼女が着ているのと同じ、赤い模様の入った姫屋の制服だった。
「……なにか企んでます?」
姫屋の制服を着せようとしていることもそうだけど、乃梨子の言葉には、この怪しい“宝探し”のことも含んでいた。
「何のことかしら? これはお祝いよ。ウンディーネ目指す事に決めたのよね?」
「あ、はい。そうですけど、お祝いって?」
情報が早い。昨日の晩の事なのに、もう伝わってる。
「そっ。会社には属していないって聞いたわ。そんなことが出来るなんて始めて知ったんだけど」
「それはアテナさんが色々動いてくれまして……」
「だからさ、うちの制服を着ても問題ないわけでしょ?」
そうかな?
確か担当指導員の会社が云々って。まあ制服の既定は聞いてないけれど。
一応、言っておいた。
「私達、アテナさんが担当してくれてるから半分オレンジぷらねっとに所属しているようなものなんですけど」
「ああ、そうだったわね。そんな堅い事言わずにさ。これは新しい仲間に私達からの贈り物なのよ」
そう言って、手提げ袋を差し出す藍華さん。
でも、社員でもないのに会社の制服をプレゼントとはいかがなものか。
「もしかして二人分ですか?」
「もちろんよ。本当は靴もあるんだけど、合わないといけないから後でね?」
“合わない”といえば服のサイズはどうしたのだろう?
この、今着ている制服だって、ここに来て二日目の朝、アテナさんが沢山持って来た色々なサイズの中から身体に合うものを選んだのだ。
「あ、サイズ合わなかったら言ってね。交換するから。多分大丈夫だと思うけど」
大丈夫とはどういう根拠か?
由乃さまが手提げ袋を見つめながら言った。
「そっか、あれはこのためだったのか……」
「何ですか?」
「いやね、夜中にアテナさんが乃梨子ちゃんの身体のサイズ測ってたから」
「ええ!? って由乃さま、黙って見てたんですか?」
「んー、眠かったし。私も計ってもらったわ。っていうか乃梨子ちゃんあんな事されても全然起きないのね」
何をされたんだ。何を。
「それっていつですか?」
「一昨日の晩よ」
「そういうことは早く言って下さい!」
晃さんの特訓を受けた日だ。あの日は疲れ果ててぐっすり眠っていたのだ。
まあ、一昨日ってことは今日の為に計ったわけじゃないだろうけど、そのとき計った寸法がこれに生かされてるってことだろう。
文句はあとでアテナさんに言うとして。
藍華さんは言った。
「とにかく、受取ってね? なんなら私の部屋で今着替える?」
それを聞いて乃梨子はピンと来た。
「それってつまり、用事があるから藍華さんの部屋に入れるってことですか?」
「そういうこと」
何やら言外に意図を感じないではないのだけど、ここは藍華さんに従う事にした。
「私はいいから、乃梨子ちゃん着替えて」
部屋に入ってすぐ、由乃さまがそう言った。
「理由を聞いて良いですか?」
「私、黄薔薇だから」
なるほど。“オレンジぷらねっと”と言いつつそのカラーリングは確かにオレンジ色より黄色に近い。
「……まあ、良いですけど」
ここに入る大義名分で着替えるだけだし、乃梨子にはそういうこだわりは無かった。
というか、いつのまにかなし崩し的に宝探しのための行動している気がする。
本当は宝探しなんてしなければ部屋に入る必要も無かったのだ。
でも、アテナさんの友人達が乃梨子たちの為に、おそらくは好意から、何かをしているらしいと判った以上、もはや無視するわけにはいかなかった。
「うん、似合ってるわ」
乃梨子を見て藍華さんは満足そうに言った。
「それはどうも」
着てみた感じでは生地は良い具合にくたびれていて、どうやら新品ではなさそうだった。
とりあえず着替え終わって、乃梨子は天井を見上げた。
「……ありますね」
そういうと由乃さまも見上げた。
「うん。あるね」
案の定、シーリングファンの上に不自然に小箱がくくりつけられていた。
「でも、どうしましょう?」
「そうね……」
ジャンプして届く高さではない。
ベッドを移動してその上に椅子を置けば届くかもしれないが、それはちょっとした大仕事だ。
部屋の持ち主がここに居るとはいえ、そこまでの事をするのは流石に気が引ける。
どうしたものかと、部屋の真中で考えていたら、藍華さんが言った。
「大丈夫よ。こんなこともあろうかと!」
「藍華さん、脚立持ってきましたよ」
タイミング良く姫屋の社員の人が脚立を持って部屋に入って来た。
「じゃあ、この辺に置いて」
「はい、じゃあまた後で回収にきますから。終わったら廊下に出しておいてください」
「うん、ありがとうね」
というわけで、脚立が手に入ったのだった。
「あの?」
「さあ、存分にお使いなさい」
「じゃ、遠慮なく」
そう言って脚立に登ったのは由乃さまだけど、足をかけると早速、脚立が揺れた。
「乃梨子ちゃん脚立抑えてて」
「あ、はい」
乃梨子は脚立が揺れないように両手で持って支えた。
くくりつけた蝶結びの紐を解いて、由乃さまは小箱をファンの羽根から取り外し、そのまま小箱を小脇に抱えて脚立から降りてきた。
そして早速小箱を開けると中には……。
「また紙切れ?」
小箱に入っていたのは、またしても折りたたまれた紙切れだった。
「まあ、予想はしてましたけど」
『宝探し』というからには、さっきの一瞬で解けた暗号だけで終わるとは思っていなかった。
おそらく紙切れには次へのヒントが書かれているのであろう。
その一部始終を眺めていた藍華さんが言った。
「じゃ、私も仕事があるからこれで。あ、脚立だけ出しておいてくれれば戸締りなんて必要ないから、ゆっくりしてってね」
と、先に行ってしまおうとする藍華さん。
「良いんですか?」
自分の部屋に他人が入っているのは落ち着かないんじゃなかろうか。
「だって、仕掛けた側がそばに居たら気分出ないでしょ?」
それを言ったら、乃梨子は最初からもうすでに白けムードだったのだけど。
それはともかく、藍華さんは『仕掛けた側』と犯行を認めた。
「藍華さん、一つ聞いて良いですか?」
「宝の在り処とかヒント以外ならいいわよ」
「いえ、そういうことではなくて、この『宝探し』って、何か意味があるんですか?」
ある意味、究極の質問だけど、乃梨子は聞かずにはいられなかった。
藍華さんは言った。
「それは見つけてからのお楽しみ」
予想できた答えだった。
結局、訳もわからず『宝』とやらを探さなければならないらしい。
それで終わりかと思っていたら、藍華さんは続けて言った。
「でもね……」
「はい?」
「結果もそうだけど、あなた達には過程も楽しんで欲しいわ」
「探す過程ですか?」
「そっ。これは私からのアドバイスよ」
そして、藍華さんは「じゃあね」と言って部屋を出て行った。
さて、小箱の中にあった紙切れにはこう書かれていた。
『地面の下に大きな穴
底にある小さな椅子
黒マントと黒眼鏡に聞きなさい』
「地面の下?」
「小さな椅子?」
「黒マント、黒眼鏡?」
とりあえず、二人で首を傾げた。
『ARIAを知ってる人にはバレバレ』がコンセプト。