某月某日PM10:25、瀬戸山ホームテクニクス株式会社開発部第一研究室−。
「…できたわ」
美しい黒髪は乱れ放題、肌は荒れ放題。
連日の徹夜で真っ黒なクマが下まぶたにできている。
研究員の証である白衣はすでにほこりまみれ。
ギラついた瞳とは対照的に、両方の口角はこれ以上ないほど上がっている。
そのあまりにも凄惨な姿に、他の研究員たちは逃げるように帰っていったが、
この会社が属する巨大企業グループ総帥の娘にして主任研究員である彼女は
自分の作り上げた機械を前に、生涯初めての達成感に打ち震えていた。
「進化形フードプロセッサー、純子α、ここに完成よ!」
瀬戸山智子。
人は彼女を「狂気の研究員」と呼ぶ…。
以前作ったちあきαは、商品化する前にちあきに怒られお蔵入り。
(あれはお姉さまに忠実すぎたから失敗だったのよね…今度は純ちゃんがモデルだから
きっと大丈夫)
「Japan's UNlimited Kitchen Organizer ver.α」、略して「純子α」。
この機械は一見普通のフードプロセッサーのようだが、機能が段違い。
何しろ食べたいメニューをタッチパネルで入力するだけで、必要な材料とその分量、
所要時間を瞬時にはじき出してくれるのだ。
さらに、ここで出てきた材料を投入すれば、プロセッサー部分に内蔵されたカッターや調味料などで
勝手に下ごしらえから仕上げまでこなしてくれる。
ユーザーは出来上がりを待つだけという仕上がりである。
(開発費5億5000万円、これで元がとれるかしら…)
智子はこの「純子α」を今度の家電博覧会に瀬戸山ホームテクニクスの目玉商品として
出品するつもりでいた。
(そのために1か月も徹夜したんだから。仕事中に純ちゃんの幻覚が現れるわ、
お酒と間違えて消毒用のアルコール飲んじゃうわ、死ぬかと思った)
そんな苦労をくぐりぬけた今、智子は幼馴染で遠縁のパティシエに心から感謝した。
(お菓子以外の料理機能を追加するのも大変だったけど、ありがとう、純ちゃん)
そのころ、何も知らない純子は自分の店で明日の分の仕込みに追われていた。
ようやく一区切りがついた真夜中、なにげなくテレビをつけた。
『今夜の特集は「家電戦争の舞台裏」第3回。老舗メーカーの若手研究員の
苦闘の日々です。このあとすぐ』
その後流れる何本かのCMを、純子はぼーっと見ていたが、CM明けのある場面で
思わず我が目と耳を疑った。
『今ここに、1人の女性研究員がいる。瀬戸山智子、25歳。
瀬戸山ホームテクニクス開発部主任研究員』
ナレーションとともに大写しになった研究員は、まぎれもなく自分の幼馴染であり遠縁だ。
「智ちん…?」
さらに流れてきたナレーション。
『彼女は明日開かれる家電博覧会の目玉商品として、進化形フードプロセッサーを作り上げた。
5億5000万という巨額の開発費を投じて作り上げたこの機械、名前は「純子α」。
「Japan's UNlimited Kitchen Organizer ver.α」の省略形だ。
実はこの「純子α」にはモデルがいるという』
「(Q.これのモデルは?)私の遠縁であり、幼馴染です」
(ちょっと待って智ちん、私はそんな機械のモデルになった覚えはないよ…!)
その後の番組内容は覚えていない。
気がつけば純子は真夜中の道を、瀬戸山ホームテクニクスの研究室へと走っていた。
「ごめんね純ちゃん。せっかく真夜中にきてくれたけど、もう出品決定だし」
智子はあっけらかんと笑っている。
「どうしてそんな大事なことを、本人に相談もなしに決めちゃうのっ!?」
「あら、相談しなきゃいけないことなの?」
逆に不思議がられた。
(そうか、こいつは他の人とは違う常識で動いていたんだった…)
急に襲ってくる眠気と徒労感で、純子は机に突っ伏した。
「純ちゃん?どうしたの?…寝ちゃってる。まあいいか」
智子はそのまま立ち去ってしまった。
翌日、家電博覧会会場。
瀬戸山ホームテクニクスのブースは、取引先や見物客で大賑わい。
智子も来客ににこやかな笑顔で自作の機械を説明している。
「たとえばここに『クリームシチュー』と入力していただきますと…ほら、
必要な材料と分量、時間のすべてが一瞬で出てくるんですよ」
そうしてシチューの材料を投入したとき、異変が起きた。
急に機械が止まったかと思うと、次の瞬間異常な速度で逆回転を始めてしまった。
飛び散る野菜や肉、パニックになる現場。
「うわっ、ちょ、ちょっと失礼!」
あわてた智子が電源スイッチを切ろうと、機械に手を伸ばした、そのとき。
『ドッカーン!!』
大音響とともに粉々に砕け散った「純子α」。
(しまった…カッターの回線部分の異常を直すの忘れてた!)
青ざめる智子の背後に、忍び寄る2人の影。
「智ちん…どうしてくれるのかな…?」
「智子…今日から1か月、自宅謹慎だ」
幼馴染と父親の怒りを買ってしまった智子。
「あ!あれは何だ!」
とっさに叫んだ。
周りの人々の注意が一瞬それたその隙を狙って、智子逃走。
「逃げたぞ!待て、こら!」
ブース内にいた人たちが全員追いかける。
おかげで家電博覧会は大混乱。
しかも人数が次第に増え始める。
どうする智子。
(まずい…壁際だ!)
「全員智子を逮捕しろー!」
父の号令が響き渡り、智子はあっけなく逮捕されてしまった。
その後1か月間、研究室にも実家にも智子は姿を現さなかったが、
どこで何をしていたのかは今もって不明である…。