【209】 すいーとみるくって何だっけ  (柊雅史 2005-07-12 22:09:56)


「んむむむむ……」
珍しく祐巳は難しい顔で考え込んでいた。
「どうしたの、祐巳さん。難しい顔して?」
祐巳の様子に気付いた由乃さんが――まぁ祐巳の場合、由乃さんでなくともとっくに様子が変だと気付かれていたのだろうけど――仕事の手を休めて聞いてくる。
「何か悩み事ですか? また瞳子が何かしたとか」
「どうしてそうなるのですか」
乃梨子ちゃんの問いに瞳子ちゃんが反応し、二人はじゃれ付くような戦いを開始する。
どうやら黙々と仕事をこなして1時間。ここらが一息の入れどころらしい。雰囲気を察した乃梨子ちゃんが、瞳子ちゃんを適当なところであしらって、飲み物を淹れるために給湯室へ向かう。
瞳子ちゃんも乃梨子ちゃんの後に続いたところで、志摩子さんが「それで」と口を開いた。
「祐巳さんは何をそんなに悩んでいたの?」
「いや、悩んでいたわけじゃないんだけど」
心配げな目を向けてくる志摩子さんに笑みを返し、
「ただちょっと、気になることを急に思い出しただけ」
「気になること?」
由乃さんがちょっと身を乗り出して言う。
「なになに? 気になるじゃない、言ってみなさいよ」
どうやら余程、仕事仕事でストレスが溜まっていたらしい。由乃さんの期待に満ちた目に晒されて、祐巳はちょっと苦笑した。
「大したことじゃないんだけど」
「それは聞いてこっちで判断するわよ」
「えぇと……すいーとみるく」
「すいーとみるく?」
「って、なんだろう?」
「――は?」
首を傾げた祐巳に、由乃さんが目をぱちくりと瞬いた。

「なんだか分からないけど、急に浮かんできたんだよね、その単語が」
「ふーん。すいーとみるく、か。祐巳さんらしい、平和な響きよね」
しみじみ頷く由乃さんだけど、それってどういう意味だろう?
「言葉通り、祐巳さんの頭は平和ってこと」
あっさりと人の考えを読まないで欲しい、って思うのは贅沢な悩みだろうか。
「確かにとても平和ボケした響きだけど。一体どこからそんな単語が?」
志摩子さんが小さく首を傾げる。
「推理その一、昨日辺り抜け駆けして駅前のケーキ屋とか行った」
指を一本立てて言う由乃さんに、祐巳はちょっと苦笑する。
「抜け駆けって、なんでよ」
「そういう時は誘うのが礼儀ってものでしょう!」
「そんな無茶な。それに、別に昨日は行ってないし」
「じゃ、今日これから行こうと思ったとか」
「思ってないから」
「ふーん。それはそれとして、この後どう?」
「う……そう言われると。断るのは失礼だよね」
とりあえず帰りに寄り道の約束を交わしておいて、由乃さんは推理に戻った。
「すいーとみるく、すいーとみるく。なんだろう、このそこはかとなく腰が砕けそうになる脱力感は」
「確かに、どこかほわほわ〜とする単語よね、すいーとみるく」
志摩子さんがほわほわ笑いながら言う。特に志摩子さんが口にすると、そこら中にお花畑が広がりそうなイメージだ。いや、良い意味で。
「しかし、よくもまぁ予算案の計算しながら、こんな単語が浮かんだわね。私、時々祐巳さんが信じられないわ」
「だから、私も不思議だったんだってば」
呆れたような由乃さんのセリフに、祐巳もちょっと口を尖らせる。
「だから原因はなんだろうと――」
「なんのお話ですか?」
祐巳が少しムキになりかけたところで、飲み物を用意した乃梨子ちゃんが戻ってきた。
「どうせまた、祐巳さまのくだらないお話なのでしょうけど」
乃梨子ちゃんの後ろで瞳子ちゃんがさらりとキツイことを言う。
まぁ、話の内容が内容だけに、否定は出来ないんだけど……。
「考え事をするにはリラックスするのが一番ですよ」
乃梨子ちゃんが志摩子さんに緑茶を渡す。祐巳と由乃さんの紅茶は瞳子ちゃんが、わざわざティーポットで淹れてくれた。
「それで、何を話していたのですか?」
瞳子ちゃんが後ろから手を伸ばして紅茶を置きながら聞いてくる。なんだかんだ言いつつ、瞳子ちゃんも好奇心が強い方だ。
「えっとね、急に頭に浮かんだ単語があって――」
瞳子ちゃんを振り返って「すいーとみるく、なんだけど」と続けようとした祐巳だったけれど。
「――す、ストップ!」
「へ?」
紅茶を置き終えた瞳子ちゃんの手を、電光石火の勢いで捕獲していた。
「な、なんですか……?」
「瞳子ちゃん、動かないで!」
目を白黒する瞳子ちゃんに告げてから、祐巳は瞳子ちゃんの手を握ったまま立ち上がり――
ぽふっと瞳子ちゃんの首筋辺りに顎を乗っけた。
「――! な、何をする……っ!」
「しっ! 黙って!」
大声を上げかけた瞳子ちゃんを制し、祐巳はふんふんと鼻を鳴らした。
瞳子ちゃんが軽く仰け反った姿勢のまま、ガチガチと音がしそうな勢いで硬直している。その顔と耳が真っ赤なのはお約束だ。
「――えっと、祐巳さま。そのままですと、瞳子が非常にピンチっぽいんですけど」
恐る恐る言ってくる乃梨子ちゃんに、祐巳はそのままの体勢で口を開いた。
「――思い出したよ、由乃さん」
「うぅ……」
祐巳の呟きに合わせて瞳子ちゃんがちょっと身じろぎしたのは、息がかかってくすぐったかったのだろう。
「思い出したって?」
「あの時、私は……こう思ったのよ。瞳子ちゃんって、ミルクみたいな良い匂いがするな〜、って」
「――そういえば瞳子、肌に優しい高級ミルクソープを入手したとか、言ってました」
祐巳の記憶を乃梨子ちゃんが裏打ちしてくれる。
「それで、私は思ったんだわ! 瞳子ちゃんの匂いは、甘いミルクの香り――すい〜とみるくだ!」
ここでようやく瞳子ちゃんから体を離し、祐巳は晴れ晴れとした表情で由乃さんを振り返った。
積もり積もった謎が解けた達成感に浸りながら。
「――で」
けれど、由乃さんは祐巳とは対照的に、物凄〜く座った目で祐巳を見てくる。
「その平和ボケにボケボケの三重奏を重ねた挙句におめでたさとお気楽さのトッピングをぶちまけた、くだらなさ満載ののろけを聞かされて、私たちにどんなリアクションをしろ、と……?」
確かに、由乃さんの疑問はもっともだった。


ちなみにその後の瞳子ちゃんは、すいーとみるくどころかホットマスタードって感じに物凄かったことを、追記しておこうと思う。
でも祐巳は、甘い物も辛い物もそれなりに大好きだったりする。


一つ戻る   一つ進む