【No:2102】の続き
福沢祐巳は一足早く誰もいない薔薇の館に着いた。
「紅茶でも入れて待っておこう」
そういってお湯を沸かしているうちに階段がきしむ音がした。
「あ、祐巳さん。早いね」
そういって席に着いたのは島津由乃。れっきとした黄薔薇の蕾である。祐巳も紅薔薇の蕾なのだが、威厳といったものがないと言うのが一番気になっている。
「お姉さま方は今日は新入生歓迎会のちょっとした打ち合わせで遅くなるって言ってたでしょ。」
「なんとなくいつもの癖で薔薇の館に足が向いちゃって。由乃さんも同じなんでしょ?」
「ばれたか」
二人で笑っているともう一人の蕾がやってきた。
「ごきげんよう」
「ごきげんよう志摩子さん」
「ごきげんよー」
彼女は藤堂志摩子。白薔薇の蕾だ。
「あんまり仕事がないって分かっていても、ついここに来ちゃうわね」
「志摩子さん。聞こえてたの?」
「あんまり声が大きいから」
「どっちの?」
「どちらかというと…由乃さん?」
「やっぱり」
「祐巳さん?やっぱりってどういう意味?」
「え。そ…それは…」
そんなことを言い合っていると薔薇さまたちが帰ってきた。
「もう少し静かにしてもらえないかしら?入ったときからうるさくてたまらなかったわよ」
「祥子、そういうことにあんまりうるさく言うのもどうかと思うけど」
「一番声が大きかったのは、祐巳ちゃんじゃなくて由乃ちゃんだしね」
発言した順に小笠原祥子(紅薔薇さま)、支倉令(黄薔薇さま)、蟹名静(白薔薇様)の順である。
「静、いつも由乃にうるさいって言うけど、そういうことはあんまり言えないからね。」
「私もうるさいとでも?」
「声の大きさでは確実に一番よ」
「それは合唱部での練習の成果とでも思ってもらいたいわね」
「静。そういえばあなた最近、講堂の裏で歌ったりとかしてないでしょうね?」
祥子が唐突に話を変えた。
「たまに志摩子と二人でしてるけど?」
「そういうことはやめなさいよ」
「あの騒ぎは二人が原因だったんですか?」
祐巳が話に割り込む。
「騒ぎって?」
「一年生の間で講堂の裏の桜に歌を歌う幽霊がいるっていう噂が流れて」
「それを今問いただしてるのよ。」
「話では新聞部も動き出しているとか」
「それは大変ね」
「あなたたちの話でしょ!」
「そういえば昨日だったかな。一年生くらいの子がやってきたから『桜を見に来たの?』とか聞いちゃったけど」
「あなたって人は…。それが新聞部だったらどうするのよ」
「その時は練習してたでいいんじゃないの?」
「…志摩子はどう思うの?」
「桜を見てて、そうしたら自然に歌が出てきた。ただそれだけのことですけど」
「あなたたちには危機感ってものがないわけ?そんな簡単に物事が済むとでも思っているの?」
「ちょっと祥子。そこまで言うことないんじゃ…」
令はとめようとしたが、
「桜を見ながら歌の練習?そんなこと普通の人はしないでしょうね」
と祥子は切り捨てた。
「お姉さま。新聞部が取材に来たなら今日には既に号外か何かが出ているのでは?」
「今日が新聞の発行日だったけど、何もおかしなことは書いてありませんでしたが」
「それならいいんだけど。なるべく目立つようなことはしないでくれないかしら」
そのとき後ろの扉が開いた。
「すみません。祥子お姉さまはいらっしゃいますか」
「祥子お姉さま?」
祐巳は一瞬耳を疑った。妹がもう一人いると言うことならば大問題である。
「瞳子ちゃん。その呼び方はおやめなさいって言ってるでしょう」
「すみません。この呼び方になれてしまいましたから」
「あの、お姉さま。この子は?」
「松平瞳子ちゃん。今年の新入生だけど、私の遠い親戚なの」
「祥子さま。遠い親戚ってどの程度の?」
「私は、祥子お姉さまのお父様のお姉さまのだんな様の妹の娘にあたりますわ。」
「二人に血縁関係はないってことじゃない。何でこうして迎えに来てるの?」
「家同士のつながりもありますし、祥子様の家の車が止まっていたので行ってみたら呼んで来るようにと言われましたので」
「それは答えになっているのかな?」
「由乃、ここは抑えて。そういえば瞳子ちゃん。昨日講堂のほうに行った一年生のこと知ってる?」
「それなら二条乃梨子さんといいまして、私のクラスメイトですわ。」
「新聞部と関係は関係のある子であって?」
「部活には所属していませんけど。」
「それならいいわ。」
「本人から直接聞きましたけど、歌っていらっしゃったのは白薔薇様方なのですか?」
「そうだけど」
「そうだったんですか。乃梨子さんから直接聞いたときにはとても驚いたから」
「その人は二人を知っていたの?」
「高校入試組で知らなかったですわ。誰だったのか聞いてみましたら『二人いて片方はシマコって言う名前だった。』っておっしゃるものですから」
「志摩子って言う名前が珍しいからね」
「驚きましたけど、分かってしまったらそれでおしまいになりましたわ」
「それならいいじゃないの」
「そういうことなら今日はもう帰りますから」
「お姉さま、ごきげんよう」
「ごきげんよう、祐巳」
「じゃあ、私たちも帰りますか」
「「「は〜い」」」
しかし、幽霊話は終わったわけではないということはこの中の誰も知るはずがなかった。
続く