【2138】 すごい幻想的で少女小説なのに破天荒だね  (柊雅史 2007-01-23 03:25:59)


「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 さわやかな朝の挨拶が、澄みきった青空にこだまする。
 マリア様のお庭に集う乙女たちが、今日も天使のような無垢な笑顔で、以下中略――

 時代は移り変わり、元号が明治から三回も改まった平成の今日でさえ、十八年通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢様が箱入りで出荷される、という仕組みが未だ残っている貴重な学園である。

 ――と、思っていた時代が私にもありました。


   †  †  †


「ごきげんよう、乃梨子」
 四月、桜舞い散るマリア様のお庭で、朝の清涼な空気と花の香りを楽しんでいた乃梨子は、弾むような挨拶を受けて振り返った。
 そこに天使のような笑顔で佇むのは、見るからにお嬢様然とした雰囲気を漂わせた親友が一人。ひらひらと舞う桜越しに見る親友の笑顔は、思わず乃梨子が見惚れてしまうくらいに、純粋で綺麗だった。
「……? どうかして?」
「あ、ううん。なんでもない。ごきげんよう、瞳子」
 訝しげな瞳子の視線に、乃梨子は慌てて首を振った。瞳子の笑顔に見惚れてたなんて、とてもじゃないけど言えやしない。そんなことを言おうものなら、瞳子が図に乗るのは間違いないのだ。
「ちょっと待ってて、お祈りをしするから。一緒に行きましょう?」
「うん」
 頷く乃梨子の横に並び、瞳子がそっとマリア様の像に手を合わせる。その横顔を盗み見て、乃梨子はちょっとため息を吐いた。
(瞳子もやっぱり、リリアンの生徒なんだなぁ……)
 真剣な表情でお祈りをする瞳子は、女性の乃梨子でも見蕩れるくらいに綺麗だ。普段喋っている時はそうでもないけれど、こうやって真剣にお祈りしている姿を見ると、瞳子も生粋のリリアン生なんだと気付かされる。乃梨子のように、高校から入った半端者じゃなくて、きっと心のあり方からして、どこかが違うのだ、生粋のリリアン生というやつは。
「――お待たせ」
 お祈りを終えた瞳子に声を掛けられて、乃梨子は我に返る。またもや瞳子に見惚れてたことに気付き、乃梨子はちょっと頬を赤らめた。
「じゃ、じゃあ行こうか。薔薇の館、行くでしょ?」
「ええ、もちろん」
 乃梨子の問いに瞳子が僅かな喜びを滲ませて頷く。その様子に、乃梨子はまたもや「あぁ、可愛いなぁ」などと思ってしまう。ひねくれ者、天邪鬼であると自他共に認める瞳子でも、根本的にはやっぱり純粋で素直なのだ。瞳子の天邪鬼ぶりなんて、それはあくまでリリアン女学園の中での話で、瞳子なんかよりも捻くれている子なんて、世間にはいくらでもいる。普段はそうと気付かないけれど、今日の乃梨子にはなんとなく違いが分かるのだ。
「今日から二年生ね。同じクラスになれると良いわね」
「そうだね」
 歩きながら話しかける瞳子に相槌を打つ。瞳子の言う通り、乃梨子たちは今日から二年生になる。二年生ではクラス替えがあるのだが、乃梨子も瞳子と同じクラスが良いなと思うのに、やぶさかではない。
 昨日までの春休み。3週間ほどリリアン女学園を離れていたからだろう、乃梨子は改めて「リリアン女学園はちょっと違うな」と思う。すれ違う生徒は、皆「ごきげんよう」と天使のように純粋な笑みで挨拶をしてくるし、それに応える瞳子も天使みたいだ。乃梨子のぎこちない挨拶とは、多分根本的に違っている。乃梨子のそれは、リリアンで波風立てずに暮らすための付き合いなのだが、瞳子たちはあくまでも自然なのだ。
「そうだよね。ここってそういうところなんだっけ」
「なにがです?」
 呟いた乃梨子に、瞳子がきょとんとした顔で聞き返してくる。よく祐巳さまのことを「無防備」と評する瞳子だけど、乃梨子から見れば、瞳子だって十分無防備だ。
「なんでもない。ただ、リリアンはリリアンなんだなって思っただけ」
「……変な乃梨子」
 くすっと笑う瞳子は、やっぱり天使みたいだと乃梨子は思った。


   †  †  †


 薔薇の館に到着した乃梨子を待っていたのは、瞳子以上に強烈な天使たちだった。
「ごきげんよう、乃梨子。瞳子ちゃん」
 ふわふわした笑みを浮かべる志摩子さんはもちろんのこと。
「ごきげんよう、瞳子、乃梨子ちゃん」
「ごきげんよう、乃梨子ちゃん、瞳子ちゃん」
 早速瞳子に天使純度120%の笑みを向けている祐巳さまに、令さまという起爆剤がなくておとなしめの由乃さま。いずれも瞳子に負けず劣らずの、リリアン女学園における純粋培養・薔薇さまズだ。
「ちょうど良かった。今、紅茶を淹れたところだよ」
 ティーポットを持ち上げて祐巳さまが「おいで」と手招く。見ればきっちり、乃梨子と瞳子の分のカップも準備されていて。きっと薔薇の館の窓から乃梨子たちのことを確認して、準備してくれていたのだろう。
 乃梨子と瞳子が促されるまま席に着くと、恒例の朝のお茶会が始まった。
(――ってか、すっかり慣れちゃったけど、朝からお茶会ってどうよ、実際)
 まるで漫画の世界だと思う。多分、漫画でこんなシーンがあれば「どこに朝からお茶会なんて開く高校生がいるんだよ」とツッコミを入れるところだけど、現実に乃梨子の前には心地よい香りの紅茶が準備されているのだから笑えない。
(改めてさすがだ、リリアン女学園……)
 乃梨子が去年感じたのと同じような感想を噛み締めている傍らで、乃梨子の常識では非現実的なお茶会は、ほのぼのと進んでいた。
「とりあえず、由乃さんは菜々ちゃんを妹にするのよね?」
「ええ、そのつもりよ」
 話題は由乃さまと菜々ちゃんのことらしく、志摩子さんの問いに由乃さまが力強く頷いている。お茶会で姉妹の話、っていうのも、正に少女漫画か乙女チックな小説みたいな話である。
「でも、菜々ちゃん、普通に誘ってきてくれるかな、山百合会に」
「そこが問題なのよね」
 祐巳さまの指摘に由乃さまがため息を吐く。妹のことで悩む、なんてこと、乃梨子にはどうにも現実味が湧かないのだけど、三人の薔薇さまと瞳子は真剣な面持ちだ。
「菜々さんの性格を考慮して、ちょっとした趣向を凝らすのはいかがです?」
「まぁ、良いわね」
 瞳子の提案に志摩子さんが嬉しそうに同意する。こんな風に「どうやって妹にするか」なんて相談をするのも、リリアン女学園の特権だよね、と思いつつ、乃梨子は紅茶をすすった。
「とりあえず、うちのSP辺りに拉致監禁させて、由乃さまが颯爽と助けるのはいかがですか?」
 ぶっふぅ!
 朗らかに手を打って提案した瞳子に、乃梨子は思わず口に含んだ紅茶を吹き出していた。
「の、乃梨子、どうしたの!?」
 慌ててハンカチを取り出す志摩子さんだけど、どうしたもこうしたもないと思う。慌てる前に、言うべきことがあるはずだ。
「だ、大丈夫。ってか瞳子、拉致監禁って何よ、拉致監禁って! そりゃマズイでしょう!」
「あら、大丈夫よ」
 乃梨子のツッコミに瞳子は心外とばかりに首を振る。
「うちのSPは優秀ですから、警察如きに捕まるようなヘマは致しませんもの」
「そういう問題じゃねー!」
 激しくズレたことを言い出す瞳子に、とりあえず拳骨を落として黙らせる。
「いたぁい! 何をするのよ、乃梨子!」
「瞳子、今のは仕方ないよ。今のは乃梨子ちゃんが正しいよ」
 涙目で睨む瞳子に、祐巳さまが諭すように言う。さすが庶民派紅薔薇さま、常識的なことを言う。
「だって、SP使うよりお金で中国マフィアでも雇った方が、より安全じゃない」
「常識的じゃねーーーー!」
 思わず叫んだ乃梨子に、祐巳さまがきょとんとした顔になり、それから「あ、そうか」と手を打つ。
「そうだよね、中国系より欧米系の方がいいよね。欧米系ならきちんと払うもの払えば、秘密も厳守――」
「そこじゃねぇ!!」
 皆まで言わせずに遮った乃梨子に、祐巳さまが不満げに口を尖らせる。なんですか、この状況でその愛らしい仕草は。
「さすがにSPとかマフィア雇って拉致監禁はないでしょ」
 呆れたように由乃さまが言う。
「どうせなら山百合会で拉致しないと」
「なんでだよ!」
「まぁ、それは名案ね」
「どこがだよ!」
「確かに、最終手段を取る場合、私たちの手元に身柄があればどうとでもやりようがありますわ」
「なにする気だよ!」
「そうだねー。菜々ちゃんもやられるなら知らない中国人より、由乃さんの方が良いだろうし」
「だから何する気だよ!」
 バンバンとテーブルを叩いて一々ツッコミを入れる乃梨子に、瞳子たちが揃って不思議な物でも見るような目で、乃梨子のことを見る。激しく心外だ。
「乃梨子……」
 はぁはぁと呼吸を荒らげる乃梨子に、志摩子さんが優しく声を掛けてきた。
「紅茶、お代わり淹れたから」
 天使のような笑みを浮かべる志摩子さんに、乃梨子は色々な意味で目眩を覚えた……。


   †  †  †


 和やかで爽やかで優雅で幻想的で、現実離れしたお茶会が進んでいた。
 ふわふわとした、柔らかい笑みを浮かべる志摩子さん。
 にこにこと、楽しそうな笑みを浮かべる祐巳さま。
 菜々ちゃんのことを、嬉しそうに語る由乃さま。
 時折、祐巳さまとじゃれるようにしている瞳子。
 笑顔の絶えない、この春の陽気に咲き誇る花々のように、綺麗で清々しい時間――
 乃梨子はそんなお茶会の様子を見て思うのだ。リリアン女学園は、本当に天使のような笑みを湛える乙女たちが集う、マリア様のお庭なんだ、と。
「でも、クロロホルムは大量に吸引すると後遺症が残るんじゃないかしら?」
「ですけど、当身も危険ですわ、白薔薇さま」
「写真の現像はお店じゃだめだから、蔦子さんにやってもらわないとね」
「菜々の剣道には気をつけないと。事前に武器になりそうなものは隠しておきましょ」
 ――耳を塞げば、であるけれど。


 ここはリリアン女学園。
 十八年通い続ければ温室育ちの純粋培養お嬢様が箱入りで出荷される、という仕組みが未だ残っている貴重な学園である。
 箱にはきっと『危険物取扱注意』のラベルが貼ってあるのだろうけど――


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