【2162】 解を求めよ  (まつのめ 2007-02-19 21:29:46)


やたら長い。後味悪し。続けられるか様子見。




「巫女さんの格好?」
「ええ、乃梨子なら条件も合うのだけど」
 志摩子さんがアルバイトの話を持ってきたのは、とある放課後のことだった。
 アルバイトと言うのは志摩子さんの話によると、もうすぐ小寓寺で執り行なっている四年に一度の法要があるとかで、その中で、乃梨子に巫女の役をやって欲しいということだった。
「あ、あの、二つ聞いて良い?」
「ええ、二つといわずに、私で答えられることならいくらでも良いわよ」
「うん、でもとりあえず、一つ目はお寺の法要なのに何で巫女なの?」
 巫女は神道。でも小寓寺は生粋の仏教のお寺のはずだ。
「今回の行事は『御祓いの法要』っていってね、小寓寺に縁のある神社の神様が仏教に帰依したことに由来するお祭りなのよ。だから巫女役が必要なのよ」
「ふうん」
 なにやら判ったような判らないような。とにかくそういうものだと思うしかなさそうだ。
「でもさ、それなら、その神社の巫女さんがやったらいいような気がするけど」
「その神社はもう廃棄されていて神主さんも巫女さんも居ないのよ」
「そうなんだ……」
 既に廃棄された神社との縁のお祭りと聞いて、乃梨子はちょっと奇異な印象を受けた。
「乃梨子、もう一つは?」
「え? ああ、どうして志摩子さんじゃ駄目なのかなって」
 わざわざ乃梨子に頼む理由がわからない。志摩子さんには何か別の役割があるのだろうか?
「四年前の時は私がやったのよ。でも今年は年齢制限に引っかかってしまったから」
「年齢制限? でも私に頼むってことはぎりぎりで?」
「ええ、そうなの。無理にとは言わないわ。嫌だったら他を探すから」
 その法要の日は特に予定も無く、ましては志摩子さんからのお願いなので、乃梨子に断る理由は無かった。
 でも、折角だからもう少し聞いてみることにする。
「ええと、条件って年齢だけ?」
 そう聞くと、
「条件は、性別と年齢と、その……」
 と、志摩子さんはちょっと口ごもって視線を彷徨わせた。
 なにやら頬を赤くしているけど……。
 その挙動不審な志摩子さんを見て乃梨子はピンと来た。
「あっ! いいよ、何となく予想してたから。巫女だもんね?」
「そ、そうなのよ」
 もう一つの条件は多分『処女であること』だ。
 というか、乃梨子は処女なんて言葉を口にするのに恥らうものでもないと思うのだけど、志摩子さん的には乃梨子に面と向かって聞くのは憚られることだったらしい。
 が、次の言葉でその理由がなんとなく判った。
「でも、乃梨子、どうして……まさか?」
 「どうして」で志摩子さんの表情が曇り、三点リーダーのところで真剣な目で乃梨子を見つめたのだ。
「いやいや、無い無い! 無いってば!」
 志摩子さん勘ぐりすぎ。乃梨子ならありうるとでも思ったのだろうか?
 そりゃ、共学だったから仲の良い異性の友達くらいは居たけれど、中学だし、そんな生々しい話は全然無かったし聞かなかった。
「そうじゃなくって、瞳子とかでもいいのかなって。ほらあの子、演劇部だし」
「あら、そうね……乃梨子はやっぱり気が進まない?」
 そう聞き返されて、乃梨子は「断る理由が無い」と思いつつも、“自分より上手く出来る人”を挙げて自然に自分がやらなくて済むような流れにしようとしていたことに気づいた。
 人前で目立つことに対する苦手意識からだろうか?
 自分では判らなかったけど志摩子さんには見抜かれてしまったのだ。
「あ、うん……」
 ここは正直になるべきだ。
 そう思い、乃梨子は言った。
「……私は人前に出るのはちょっと苦手かも」
「あら、お御堂では誰に言われたのでもないのにみんなの前に出たでしょう?」
「うっ」
 ここでそれを言いますか?
 というか志摩子さん、それは思い出したくない記憶じゃないんですか?
「あ、あれは、志摩子さんのためだったから」
「あら、じゃあ私がお願いすればやってくれるのかしら?」
 微笑みながらそんなことを言ってくれる志摩子さん。
 最近、お姉さまらしくなったというか、乃梨子をいじめるようになったというか。
 とりあえず乃梨子が墓穴を掘ったってことで、負けを認めるしかなさそうだ。
「し、志摩子さんのお願いなら……」
 乃梨子がそういうと志摩子さんは微笑んで言った。
「うふふ。ありがとう。でももう少し当たってみるわ」
 どうやら、今のは軽いじゃれあいで、本気で乃梨子に決めようとしていたわけではなさそう。
「そうだわ。乃梨子もやってくれそうな人に心当たりがあったら聞いてみてくれるかしら?」
「うん。それなら。でも知り合いの方が良いんだよね?」
 いきなり初対面の人を持ってくるよりは知り合いで信頼できる人に頼めるのならその方が良いに決まってる。
「そうね。面識があったほうが話はしやすいでしょうけど、条件に合う人ってそんなにいたかしら?」
 まず、年齢制限で志摩子さんの学年は、ほぼ全員アウトだ。となると乃梨子の学年以下で、志摩子さんとも一方的でなくある程度面識がある人か。
 そうなると、対象はかなり限られてくる。
 まず、瞳子と可南子さんは基本として、あとは新聞部の日出美さんくらい。
 日出美さんは出演するより取材したいって言いそうだけど。


 翌日、早速、瞳子と可南子さんにアプローチした。
「ごめんなさい。その日は親善試合があって」
 可南子さんは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ううん、謝ることないよ。で、瞳子は?」
「私も残念ながらその日は空いてません」
「そうか……」
 結局、同じクラスの候補者は二人とも駄目だった。
「乃梨子さんはやるの? その巫女って?」
「え? いや、やってくれる人が居なかったらそうなるかも。まだ判らないわ」
「そうですか。都合がつけば見に行きたいですね乃梨子さんの巫女姿」
「いや、あんまり広めないで。万が一やることになったら恥ずかしいから……」
 知り合いがギャラリーに居るとなると恥ずかしさが倍増する気がする。
 そういえば、一般の人も見に行ける行事かどうかは聞いていなかった。
 その後、休み時間に日出美さんのクラスに行ったけど、彼女からは「そういうのは性に合わないから」ときっぱり断られた。


「……え? 二人なんだ?」
 昼休みになって、薔薇の館で志摩子さんに結果を報告したのだけど。
「ええ。でも、お父様も知人を当たっているから、心配しなくていいわ」
 巫女役は実は二人とのこと。
「じゃ、最悪、私と小父様の方で都合した誰かがやることになるのかな?」
「乃梨子は良いの?」
「うん。苦手って言ったけど、志摩子さんの役に立てるんだから嫌じゃないよ」
 それは最初から思っていたことだ。
「そう。判ったわ。最終的にやってもらうかどうかは、お父様に話してから、後で返事をすることになるから」
「うん」
 乃梨子が覚悟を決めた所で、扉のほうから階段を登る足音が聞こえてきた。
 そして、茶色い扉を開けて中に入ってきたのは由乃さまと祐巳さまだった。
 「ごきげんよう」と挨拶して、乃梨子がお茶の為に席を立つと、由乃さまの声が聞こえた。
「あの話ね、菜々が『面白そうだから是非やらせて』だって」
「あら」
 どうやら巫女の件は由乃さま経由で菜々ちゃんにも打診が行っていたようだ。
 志摩子さんが流しの所に居た乃梨子に向かって言った。
「乃梨子、聞いていた?」
「はい」
「どうする? 菜々ちゃんと乃梨子ってことでお父様にお話しする? それとも……」
 志摩子さんは乃梨子が『苦手だ』って言ったことに気を遣って、やる気満々の菜々ちゃんが居るから乃梨子は辞退しても良いって言っているのだ。
 でも、もう覚悟を決めたのでいまさら断る気はない。
「うん、私と菜々ちゃんってことでいいよ」
「そう。判ったわ」
 結局、この決断自体は分岐点でもなんでもなかったのだけど、でも、この時から運命の歯車は狂いだしていたのだ。



  †



「なんか、こう血が騒ぐわね」
「由乃さんったら」
「はぁ……」
 お祭りの当日、乃梨子は由乃さまと祐巳さまと一緒に、人ごみで混雑した道を歩いていた。
 甘い香りや醤油やソースの焦げたような香ばしいにおいがごちゃ混ぜになったような独特の空気が辺りを覆う。
 乃梨子がここを歩いていることでも判る通り、結局、巫女役をやるのは菜々ちゃんと、もう一人は乃梨子ではなく別の子がやることに決まっていた。
 理由は「若い方が良い」とか何とか。向こうで用意した子は小学生だそうだ。
 ついでに『お祭り』と言っている位で、行事は一般に公開されていて、お寺周辺の道には夜店が立ち並び、結構な人手で賑わっていた。
 賑やかな雰囲気に当てられたのか、テンション高めの由乃さまは言った。
「私、志摩子さんの家に行くのって初めて」
「あ、私もだ」
 由乃さまと祐巳さまは付き合いは乃梨子より長い筈なのに志摩子さんの家に行ったことはこれまで一度も無かったそうだ。
「普段はもっと静かなんですよ」
「そうなんだ」
 とはいっても乃梨子もここへは数えるくらいしか来ていないのだけど。
 今日、乃梨子がここに来たのは、由乃さまに「菜々の勇姿を見たくないの?」と詰め寄られ、結局、押し切られてしまったから。
 本当は、志摩子さんは手伝いがあって乃梨子の相手をしている暇は無いし、夜店が出てるからって遊びに来るには遠すぎたので、巫女役をやらないことになった時点で乃梨子は来ないつもりだったのだ。
 ちなみに祐巳さまは祥子さまを誘ったみたいだけど、祥子さまは人ごみが苦手だそうで、それを押して来るほどの理由が無いと辞退されたそうだ。
 令さまは「来るかもしれない」とのこと。一応、支倉家は小寓寺の檀家だから。でもまだ姿を見かけていない。


 さて問題の菜々ちゃんの演技(でいいのか?)までまだ結構時間があった。
 午前中にリハーサルとかがあって、菜々ちゃんは早々にここに来ているのだけど、実演は夕方と聞いている。
「じゃ、時間もあるし、遊んでいこう」
 と、由乃さまが元気よく提案した。
「良いけど、何する?」
「何って、全部よ。輪投げ・射的・金魚すくいは基本でしょ。あと、焼きそばたこ焼きお好み焼き、鯛焼き綿菓子りんご飴、チョコバナナも外せないわ」
「……前半はともかく、後半な胃がもたれそうなんですけど」
「由乃さんって小さいころはこういう所に来れなかったんだよね?」
「うん、手術してからも、高校生じゃそうそう来る機会なかったしね」
 ああ、そうか。由乃さまは一年生の秋までは心臓の病を患っていたんだっけ。
 なるほど、妙にテンションが高いのも頷ける。
「判りました。私も大切な志摩子さんの親友のために協力しちゃいます」
「おお、良く言った!」
「あー、私もだよ?」
「よし、じゃあ出店全種類制覇を目指して!」
「「おー!」」
 と、盛り上がったものの、由乃さまはお正月には初詣でこういうところに来たのでは?
 それを口にしたら、由乃さまは、
「家族と一緒じゃこんなことできないでしょ?」
「なるほど」
 由乃さまは、露店がたくさん出ることを志摩子さんから聞いていたのだろう。
 菜々ちゃんの出番が夕方だって判っているのに、昼前に待ち合わせたのはそういうわけだったのか。
「金魚すくいと射的発見!」
 由乃さまがターゲットを発見する一方で、祐巳さまは反対の方向を指して言った。
「由乃さん、あっちの食堂に焼きそばとかあるけど、あそこで食べていかない?」
 食堂といってもイベント用の仮設テントが並んだ休憩所みたいなところだ。
「なんか食べ物系が集まってますね」
 焼きそば、お好み焼き、なんとうどんや蕎麦まであった。
 露店というより、本当にしっかり食べる為の食堂だ。おそらく周辺に飲食店がないがゆえの出店であろう。
「駄目よ、こういうのは歩き食いが醍醐味なんじゃない」
「えー、そうなの?」
「決まってるじゃない」
 由乃さま的には決定事項のようだ。
 リリアン生徒会の要人が出店巡って歩き食いなんて、シスターが知ったら熱出して寝込みそうだ。
 でも。
「良いですね」
 乃梨子はこういうの、嫌いじゃない。
 ひとつだけ残念なことがあるとすれば、志摩子さんが法要の手伝いで一緒に回れないことくらい。
「じゃ、ちゃんと付き合いなさいよ?」
「もちろんです」
「えー、多数決なのー?」
 折角ここまで来たのだし、楽しまなければ損だ。志摩子さんとなら最高だけど、この二人の先輩と一緒というのも、悪くない。いまさら先輩だからって気兼ねする仲でも無いし。
 そして、テント食堂に未練を残す祐巳さまを両側から捕らえて、三人は先ず、遊戯系露店に向かったのだった。




 射的、たこ焼き、金魚すくいと手当たり次第って感じで露店をこなして行き、お寺の山門に至った頃には、三人ともお持ち帰り袋をぶら下げていた。たこ焼きを全員一皿づつ買ったのが敗因だろうか? でも当初の予定通り、買うものはしっかり買っていた。
「お好み焼きの後の鯛焼きがきつかったわ」
「無理しないでお持ち帰りにすれば良かったのに」
「祐巳さまは甘いもの系コンプリートですね」
「そういう乃梨子ちゃんだって、残ってるのりんご飴と綿菓子だけじゃない」
 たこ焼き一皿、お好み焼き一人前、綿菓子一つ、りんご飴一個、杏飴一個、鯛焼き1匹、カルメ焼きは一枚っていうのか? あと、チョコバナナは丸一本じゃなくてカットしてある一口サイズが3個、あんまりお祭りっぽくないけどポップコーン一カップ。基本的に皆同じだけ買った。まあ完食がノルマじゃないから途中からお持ち帰り袋の出番となったのだけど。
 勿論、食べ物だけじゃなく、金魚すくいや、輪投げ、射的等の遊戯系も殆ど回った。
 でも、乃梨子は由乃さまと張り合って難しいのばかり狙ったため全敗。小物ばかり狙っていて、何の役にも立たないような良く判らない安っぽい置物を獲得した祐巳さまが今回の優勝者となった。


 雑多な匂いが渦巻く露店を離れ、お寺の敷地内に入ると、本堂の前に、行事のためのスペースと観客を区切る囲いが出来ているものの、人はまだまばらだった。
 それもそのはず。一般に公開している法要が始まるのはまだ数時間後だった。
「ねえ、菜々と志摩子さん、家に居るかな?」
「どうでしょう? 菜々ちゃんはリハーサルが終わったら本番までは空いてると聞いてますけど」
 そんな会話をしつつ、三人で母屋の方へ向かっていた。
 でも、志摩子さんはお手伝いがあるからとしか聞いていないのでまだ忙しいかもしれない。
 なんて思っていたら、母屋と本堂をつなぐ渡り廊下の所で手を振る人影が。
「菜々ちゃんだー」
 祐巳さまが声を上げる。
「おー、菜々、それ似合ってるわよ」
「可愛い可愛い」
「ありがとうございます。由乃さま、祐巳さま」
 菜々ちゃんは上は白で下は鮮やかな紅色の袴。いわゆる巫女装束姿だった。
「本番はまだの筈だけど、もう着ているの?」
「いえ、衣装合わせがありまして」
「ここに居たのは、やっぱり由乃さんに見せるためだったりして?」
 この言葉は祐巳さまだけど、由乃さまが神妙な面持ちで菜々ちゃんを見つめているのが見えた。
「いえ、偶々です」
 きっぱりと言い放つ菜々ちゃんにがっくり来る由乃さま。こういうときは由乃さまって判りやすい。
「でも志摩子さまからそろそろ来る頃だからって聞いてましたから」
 居るかな? と思って眺めたら丁度会えたってことらしい。
「でもやっぱり、お寺に巫女は違和感がありますね」
「そうかな? 乃梨子ちゃんはお寺慣れしてるからそう感じるんじゃない?」
「寺慣れって、私は何者ですか」
「何って、仏像が好きな乃梨子ちゃん」
 祐巳さまは即答してくれた。
「……皆さん、楽しまれたようですね」
 菜々ちゃんが物欲しそうな目でみんなのお持ち帰り袋に視線を向けていた。
「菜々も今から行ってみる?」
「いえ、そのお誘いはとても魅力的なのですが、実はこれから最後の打ち合わせがあるので」
「そっか。残念。チョコバナナ要る?」
 そう言って由乃さまは袋から串の付いたチョコバナナ(一口サイズ)を取り出した。
「いえ、では一口だけ」
「じゃ、手汚さないように、あーんして」
「あ、はい」
 菜々ちゃんは、由乃さまのチョコバナナを一口齧ってから、「それでは」と、建物の中に戻っていった。
「志摩子さんも打ち合わせかな……」
「まあ、家の人は大忙しでしょうね」

 さて。
「まだ回るんですか?」
 由乃さまは元気が尽きないようだ。
「乃梨子ちゃんは休んでて良いよ」
「じゃあ荷物お願い」
「はぁ、判りました」
 結局、乃梨子は境内に残り、由乃さまと祐巳さまは行事が始まるまでってことで、また露店の方へ遊びに行ってしまった。





「ごきげんよう。久しぶりね。ええと乃梨子ちゃんだっけ?」
「お久しぶりです。お話しするのは初めてのような気がしますが」
 境内の隅で乃梨子が休んでいる所へ、先代黄薔薇さまの鳥居江利子さまがやってきたのは、由乃さまたちが去ってしばらくしてからのことだった。
「どうも、山辺です。会うのは初めてですかな?」
 江利子さまは無精ひげを生やした熊のような風体の男の人を伴っていた。
「この人、花寺の講師なのよ」
「あ、どうも。はじめまして。ええと、江利子さまの?」
 恋人さんかな? と思ったら、
「まだ恋人じゃ無いのよ。残念ながら」
 まだ、だそうだ。
「今日はどうしたんですか? 由乃さまに誘われて?」
「ううん、令よ。令が教えてくれたの。それと、この人は一応仏教系の学校の教師だから」
「いえ、それはあまり関係ありませんよ」
 誘ったというか、山辺氏の反応を見るとどうやら江利子さまが強引に連れてきた様子。
「令さまは来られないのですか?」
「今日は来ないそうよ」
 そうか。
 由乃さま、がっかりするかな。
「ところで乃梨子ちゃん、今暇なの?」
「ええ。行事が始まるまでは荷物番ですから」
「じゃ、暇つぶしに、この『御祓いの日』に関する噂知ってる?」
「『みはらいの日』?」
「そう。この地域の人や檀家さんは今日の『御祓いの法要』ことをそう呼ぶのよ。じゃあ知らないのね?」
「はい」
「檀家さんの間では結構有名な話なんだけど、まあ志摩子はそんな話しないか」
「なんですか?」
 そういう言い方をされると気になる。
「江利子さん。あまり言いふらすような話ではないでしょう?」
「うん、まあそうなんだけど、乃梨子ちゃんには知っておいて欲しいから。だって志摩子の妹だしね」
「だから、なんの話ですか?」
 なにか非常に持って回った言い方をして好奇心を煽ってる気がするのだけど、乃梨子はしっかり煽られてしまった。
「……そうですか。では話すのなら私からお話しますが、その前に」
 そういって、山辺さんは真剣な顔で乃梨子の目を見て続けた。
「あまり愉快な類の話ではありませんが、かまいませんか?」
 そんなこと聞いてみなければ判らないではないか。
「ええ、構いませんよ」
 そう答えた。
「実は小寓寺で四年に一度行われるこの『御祓いの法要』の晩に、毎回人が死んでいるんです」
「人が!?」
 いきなり、なんというか胡散臭い話になった。
「はい。これは噂ではなくて本当に毎回二人以上の人が亡くなっています」
「でも、そんな話、志摩子さんからは何も……」
 乃梨子がそういうと江利子さまが口を挟んだ。
「それはそうでしょ? 自分の家のお寺でやっている行事の晩に人が死ぬなんて縁起でもない話するわけ無いじゃない」
「それで、なにが噂なんですか?」
「その死に方が奇妙なんです」
「え?」
「最初は16年前。この山の裏側でバラバラ死体が発見さた事件がありました。結構有名な事件ですよ。僕はそのころ学生でしたから良く覚えていますが、最終的にその事件は精神異常者の通り魔的殺人事件ってことで幕を閉じました」
 そして、山辺さんの話は続いた。
 12年前、裏山の所有者夫婦が山中で渓谷に転落死。奥さんの遺体はいまだに見つかっていないそうだ。
 次は8年前。今度はこのお祭りの起源の神社の支社の神主さんが原因不明の突発死。主を失った神主さん一家は離散して息子さんが行方不明。
 最後は4年前。この近くの山道でバイクの転落事故があったそうだ。バイクを運転していた少年は即死。後ろに乗っていたと言われる後輩の女の子は行方不明。
「あの、それって偶々では?」
 四年の間に事故や病気で死ぬ人間っていったらここH市に限っても一人や二人では済まないはずだ。
「そうでしょうか? それらは必ず『御祓いの日』の晩に起こっているんですよ。しかも全て『魅祓神社』に関係した人ばかり」
「えっと、『みはらい神社』って、今回の法要に関係した神社のことですよね?」
「『鬼』に『未』と書いて『魅』に祓うで『魅祓』です。鬼の字が含まれるのは字面が悪いとして、法要は『御(おん)』の字で『御祓い』と表記しますが、こちらが本来の書き方なんです」
「今日はその神社の神様が仏教に帰依したっていうお祭りなんですよね?」
「表向きはね」
「はい?」
「人が死ぬのは『魅祓い様』の祟りだっていう噂です」
「祟り? その『みはらいさま』ってなんですか?」
「神様の本当の名前は失われてしまってます。だから神社の名前からそう呼んでいるんです」
「この『魅祓いの法要』は、跡継ぎがいなくて廃止されてしまった神社に代わってその神様を鎮める為に行われてるって話。その筋では有名な話よ」
「じゃ、じゃあ、祟りは? ちゃんと鎮めているんでしょ?」
「最初の犠牲者は山に進入して聖域を汚しました。次の夫婦は山を外部の資産家に売り払おうとした。結局、契約前にその夫婦が亡くなって、もともと小寓寺が管理していた神社を含む一部は小寓寺に贈与されました。遺言があったんですね。次の神主さんは魅祓神社を復興しようと活動していましたが、その活動というのが収益活動の一環として、小寓寺と袂を分かって観光化するというものだったんです。最後の少年というのは噂によると最初の山を所有していた夫婦の息子だという話です。彼は普通に行ったら山を相続するはずだった。彼は小寓寺への贈与に異議を申し立てられる唯一の人物でした」
「えっと、つまり?」
「魅祓い様に仇なそうとした人やその関係者ばかりが死んだり行方不明になっているってこと」
「だから祟りですか?」
 にわかには信じがたいけど、本当だとしたら気味の悪い話だ。
「乃梨子ちゃんはどう思う?」
「どうって……」
 この科学万能の時代に神様の祟りだなんて非科学的な話を、皆が本気で信じてるとは思えないのだけど。
「祟りなんてありえない?」
「率直に言ってそうですね」
 乃梨子の答えに、江利子さまは微笑んで言った。
「うふふ、私もそう思うわ。でも、じゃあこの奇妙な符合をどう説明する?」
「どうって……」
「神様の仕業じゃなければ、偶然でもない。江利子さんはこの一連の事件に一貫した人の意思が介在していると考えているんですよ」
「人の意思?」
「そう。乃梨子ちゃんは頭が良いからすぐ判ると思うけど。この一連の事件全てに介在できる立場にいるのは誰か」
「……まさか」

 もともと魅祓神社に神主は居ない。
 土地の元所有者は死んだ。
 復興を狙う支社の神主も今は居ない。
 相続権を巡っていざこざを起こす可能性があった所有者の息子も消えた。
 そして、神社を含む土地は小寓寺に寄贈されている……。
 そんなまさか。

 あれ? だとすると、最初の山を汚したって人はどうして死んだのだろう?
 一番悲惨な死に方をしているのに、その行動は山に侵入しただけで小寓寺にとっては何の不利益も無かったみたいだけど。
「この付近の住人や小寓寺の檀家さん達はこう思ってるわ。『魅祓神社に近づいてはいけない』って」
「そりゃ、祟りがあるって聞けば……」
「そうよね。噂は人を近づけない為の防波堤。その神社になにがあるのかしらね?」
 裏山にあるというその神社に、人を殺してでも隠さなければならない何かがあるってこと?
「防波堤を保つ為に、今年も誰かが死ぬのかしら?」
 今日、これから誰かが死ぬ?
 それも魅祓い様の祟りってことで?
「おっと、僕たちはこれから行く所があるから」
「もう人が集まり始めてるわね」
 山門の方から人が流れて本堂の前に設営された会場は人で埋まり始めていた。
「乃梨子ちゃんは法要見に行く?」
「いえ、私は由乃さまと祐巳さまを待ってから行きます」
「そっか、じゃあまた」
 江利子さまは山辺さんを伴って人ごみの中に消えていった。
 乃梨子は怪談やその手の話を怖がる人間ではないが、夕暮れ時にあんな話をされたあと、一人にされればやっぱり心細くなると言うものだ。
「祐巳さま達、早く帰ってこないかな……」


 結局、二人は戻ってこなかった。
 心細さも通り過ぎて苛々するほど待ったのにぜんぜん帰ってこないのだ。
 結局、法要も始まってしまい、由乃さまと祐巳さまは、遊びすぎてぎりぎりになってしまい、乃梨子を迎えに来ないで直接見に行ったのだろうと判断した。
「はぁ、こんなことなら律儀に待たなくてよかったな」
 そんな風にぼやきつつ、乃梨子は人垣の後ろから菜々ちゃんの姿を探した。
「……これ無理。見えないよ」
 うろうろしてもぴょんぴょん飛び跳ねてもぜんぜん見えなかった。
 三人分のお持ち帰り袋も重いし、自分は何をやっているのだろう?
 可愛いとは思ったけど、考えてみれば、乃梨子は別に菜々ちゃんの晴れ姿を楽しみにしていたわけでも無いし、無理に見る義務もないのでは?
 と、腹立ち紛れの思考が不穏な方向に傾いてきたころ、背後からよく知った声が聞こえた。
「乃梨子?」
「え? 志摩子さん!」
 志摩子さんだった。
 志摩子さんはどういうわけか和服じゃなくてハイキングに行くようなパンツルックだった。
「もうお手伝いは終わったの?」
「ええ。まずは荷物を置いてきましょう?」
 志摩子さんは乃梨子の手引いて歩き出した。



 母屋の玄関にお持ち帰り袋を置かせてもらったあと、乃梨子は志摩子さんと一緒に玄関を出た。
 でも志摩子さんは本堂と反対側に向かっていた。
「あの、法要が良く見えるところに行くんじゃないの?」
「あら、そんなことは一言も言っていないわよ?」
「じゃあ、なに?」
 乃梨子は先にも述べたとおり、菜々ちゃんを見ることにそれほど拘っていなかった。
 むしろ、今日は諦めていた志摩子さんとのランデブーが実現して浮かれていたくらいだ。
 志摩子さんは乃梨子の前を歩きながら言った。
「うふふ、きっと乃梨子なら興味があると思うの」
「もしかして、小寓寺の秘仏とかかな?」
「惜しいわ。見てのお楽しみよ」
 惜しい? 仏像の類なのかな? なんだろう?
 疑問半分、期待半分で乃梨子は志摩子の後をついて行った。
 珍しくラフな格好をしているせいか、志摩子さんの歩調は、どことなくいつもと違って軽快に見えた。
 二人は家の裏手から森の中に続いている山の斜面に伸びた小さな道に入っていった。
 ここまで来ると表の喧騒はほとんど聞こえなくて、森の中は薄暗く、日が落ちかけているせいもあって不気味な静けさが辺りを覆っていた。
「足元に気をつけてね」
「うん」
 二人は枯葉の積もる道は山の斜面を回り込むように横に突っ切っていたが、やがて前方に少し開けたところが見えてきた。
「きゃっ!」
「乃梨子!?」
 開けたところの手前がちょっと急な坂になっていて、道に浮き出していた木の根っこに足をとられ、乃梨子はバランスを崩して両手を地面についてしまった。
「大丈夫?」
「うん」
 幸い、膝を付くことは無く、手も汚れただけで擦りむいたりはしなかった。
「ここは参道なのよ」
「参道?」
 開けているように見えたのは、今まで歩いていた細い道が山頂方向に伸びるちょっと広い道にぶつかったからだった。
 なるほど道に出て見ると半分土に埋まった石段らしきものが見え隠れしている。参道といってもずいぶん長い間手入れがされていないようだった。
「この先よ」
 志摩子さんに付いて、その参道を登っていくと、やがて古びた木の鳥居が見えてきた。
 そして、さらにその先に、手洗所や社務所、そして正面に社殿があった。
 つまりここは、江利子さまの話にあった……。
「神社、だよね?」
「そうよ」
「ここって、今日の法要の?」
「ここはね、明治時代の始めの神仏分離の時に小寓寺と分かれた神社だったのよ」
「だった?」
「ええ、でも今は小寓寺が管理しているわ」
 元々一体化していたのが神仏分離で一時分かれていたってことらしい。
 それにしてもこんな近くにあったとは。
 この神社で、例の事件が……。
 さっきの不穏な話を思い出してしまった。
 暗い森の影に白い志摩子さんの姿が不気味に浮かび上がって見える。
 慌てて、首を振って変な思考を振り払った。
「どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
 乃梨子は神社の境内を見渡した。
「この神社はね、小寓寺が建つ以前からこの山に祭られていたのよ」
 そこは、荒れ放題という程ではないけど、社殿の灰色に変色した木の手すりなどを見ると長い間人の手が入っていないようだった。
「私も詳しいことは知らないのだけど、神主さんを継ぐ人が途絶えて以来、ここは代々藤堂家が管理しているという話よ。でも、見ての通り殆ど放置していて、所有しているだけなのだけど……」
「ふーん」
 と呟きつつ、地面を見ると枯葉が多少散らばっているものの、森の中程は積もっていなかった。
 おそらく定期的に掃き清めているのだろう。
「手を洗いましょ。汚れたでしょ?」
 石で出来た手洗所は苔むしているもののまだ水が湧き出していた。
 掃除に来る人が使うのか、先が金属のちゃんとした柄杓が置いてあった。乃梨子はそれで水をすくって片手ずつ洗った。

「この先よ」
「この建物じゃないの?」
「ええ、ここには何も無いのよ」
 志摩子さんは社殿の横を通って更に奥に進んで行った。
 社殿の裏手にはまた道があり、少し登ると蔵のような建物が見えてきた。
「あれは?」
「祭具殿よ」
「祭具殿?」
「そう。神仏分離の際に家に古くから伝わる神具を全てこちらに移したって話を……」
 そこまで言って、何故か志摩子さんは立ち止まった。
「どうしたの?」
「しっ!」
「え!?」
 志摩子さんは乃梨子の手を掴んで道の横の茂みに引き込んだ。
 低木の枝葉が、静まり返った周囲にがさがさとした音を響かせた。
「誰!」
 つい最近聞いたような女性の声が響いた。
 しかし、こんな誰も居ない山の中だ。
 隠れてやり過ごすなんて、土台無理な話だった。
 恐る恐る志摩子さんと一緒に立ち上がり、建物の方を振り返ると、薄暗い中に二人の人影が浮かび上がった。
「あら、乃梨子ちゃんと、それから……」
 ワンレングスの髪にヘアバンドでおでこを出した、乃梨子より三、四歳年上の、さっきも会った女性。
「えっと、江利子さま?」
「そうよ。奇遇ね、こんなところで再開するなんて」
 それは先ほど会った鳥居江利子さまだった。
 もう一人は無精ひげを生やした熊のような風体の。
「どうも。また会いましたね」
 山辺さんだ。
 普通にしているところを見ると、どうやら志摩子さんも面識があるらしい。
 志摩子さんは言った。
「それで、ここで何をされていたんですか? 扉の鍵を触っていたように見えましたが」
「いやあ、見られてしまいましたか」
 と熊男は悪びれもせず頭をかいた。
 そして、江利子さまに至っては、それが当然であるような口ぶりで言った。
「この中に、忍び込むのよ」
「ええっ!?」
 乃梨子は思わず声を上げてしまったけど、志摩子さんは江利子さまをしっかりを睨んだまま言った。
「江利子さま。ここは藤堂家でも本家の限られた人間しか入ることが許されない聖域です」
「知ってるわよ。何が入っているんでしょうね?」
 なにやら不穏な空気が。
 でも江利子さま対志摩子さんなんて滅多に見られない対決に、乃梨子は不謹慎ながら少し期待してしまった。
「乃梨子」
「え?」
 急に名前を呼ばれて一瞬、考えてたことを咎められたかと思った。
 でも、ちょっと違ってた。
「私は藤堂家の人間です。だからこの中に入っているものは大体想像が付きます」
「あ、あの志摩子さん?」
「そしてそれは、乃梨子に見てもらいたいもの。丁度良いわ。一緒に行きましょう」
 その時、祭具殿の扉に向っていた山辺さんの方から、カチリと少し鈍い金属音が響いた。
「江利子さん、開きましたよ」
 って、家の人の前で鍵破りなんてしちゃまずいでしょうに……。
 でも、志摩子さんはそれを見ても何故か黙っていた。
 というか、うっすら笑っているように見えるんだけど?
「さ、折角だから乃梨子ちゃんも見ていきなさい。朝姫ちゃんもね」
 それは、最初から見せてもらうって話だったけど、……って、朝姫さん?
「えええっ!?」
 乃梨子は慌てて隣に立っている志摩子さん(?)の方に振り返った。
 そして、恐る恐る言った。
「あ、朝姫さん、……なんですか?」
 そういえば歩き方が軽快と言うか、落ち着きが無いというか、確かに思い当たることはあったのだけど……。
「……ばれちゃったわね?」
「どどど……」
「どうしてって? それはね志摩子さんじゃないと一緒に来てくれないと思ったからよ」
「な、なんで……」
「なんでかって? それはさっきも言った通り、この中の物を乃梨子ちゃんに見せたかったからよ」
「しっ、志摩子さんは?」
「志摩子さんならまだ法事の手伝いをしてると思うわ。あっちは手一杯だから今のうちなのよ」
 つまり、法要をやっている隙にってこと?


 乃梨子は最初反対した。
 でも鍵は既に開いていたし、結局、神像があるっていう言葉の誘惑に負けて一緒に中に入ってしまった。
 江利子さまの言葉通り、祭具殿の中には、大きな木彫りの立像が鎮座していた。
「これは、立派な……」
 乃梨子は思わずそれに目を奪われた。
 高さは四メートル位はあるだろうか、荒削りながらも、その立像には製作者のモチーフに対する畏怖のようなものが感じられた。静かに佇むその姿は神々しさは感じられなかったが、その迫力には感動をおぼえる程だった。
 江利子さまが立像を見上げながら言った。
「残念ながらこれが元々なんて呼ばれていた神様なのかは判らないのよ」
「今は『魅祓い様』でしたっけ?」
「ええ。明治以降の宗教的な混乱の中で神主の居ないこの神社の伝承は失われてしまったらしいわ」
「あれ、でも支社があるのでは?」
「偶々似た名前だから支社だって主張してたらしいわ。だから伝承なんてないの」
「そうでしたか……」
 乃梨子はその立派な像から目を離しその周りに目をやった。
 両側や前方の壁には鎌や鍬などの刃物や動物の罠だろうか、赤く錆びた良く判らない道具が並んでいた。
「農具ですか?」
「豊穣の神様とかそんなところと考えればね?」
「なるほど」
 つまり農具とか狩猟の罠とかだろう。農具を用いて神事を行うとかなら確かにありそうだ。
「でもね。もっと面白い話もあるのよ」
「え?」
「この神社の名前……」
 意味ありげに江利子さまは言葉を止めた。
 そして、志摩子さんの振りをしていた朝姫さんが続けた。
「魅祓神社」
 再び江利子さま。
「ねえ『魅』って字の意味知ってる?」
「魅力とか魅入られるとか、使いますよね」
「そう。『魅祓』っていうのはね、邪なものに魅入られた人間の邪気を祓うって意味なのよ」
「邪なもの?」
「鬼よ」
「鬼?」
「そう」
「でも伝承は失われたって……」
「ええ、確かに失われているわ。でも『魅祓い』に関してはとある田舎に同じ名前の伝説が残っていたわ」
「伝説ですか?」
「そう……」

 ……それが何処からやってきたのかはわからない。でもその村は突然人食い鬼に襲われた。
 鬼に襲われて生き残った人間は鬼になる。
 鬼になって人を食う。
 それはもしかしたら精神を狂わせる伝染病のようなものだったのかもしれない。
 『魅祓い』というのは『鬼憑き』になった人間の中に宿る鬼を鎮める儀式だった。
 
「かなり残酷なものだったらしいわ」
「えっと、じゃあ憑かれた人は?」
「死ぬでしょ? 内臓引き出されちゃね」
「うぇ……」
「でもね、伝染病って話は信憑性あるのよ? 儀式の中で『鬼憑き』の内臓(はらわた)を食らうってのがあったから」
「それって、免疫抗体?」
「そうね。でも当時の人は鬼の力を宿したから鬼に襲われなくなるって考えていたらしいわ」

 そこから悲劇の歴史が始まった。
 『鬼の力』を宿すということは『鬼憑き』になることと紙一重。
 『鬼憑き』が出なくなってからも、『鬼の力』が『鬼憑き』に変わらないように、数年に一回『魅祓い』の儀式を行った。
 儀式では一族の中で一番古い『鬼の力を宿した者』が犠牲となった。
 この儀式を欠かすと溢れ出した鬼が村を襲うとされていた。 

「……まあ、物証のない伝承なんだけどね」
 と、軽い調子で言う江利子さまだけど、こんな薄暗い森の中でそんな不気味な話をして欲しくなかった。
 乃梨子は朝姫さんの腕にすがり付きながら言った。いや、志摩子さんが居たら志摩子さんにすがり付きたかったのだけど。
「それとこの祭具殿がどう関係するというんですか?」
 江利子さまは重々しい口調で言った。
「この周りにある農具とか罠が、実は『魅祓い』の儀式の道具だったら?」
 妙に柄が長く奇妙に折れ曲がった鎌。
 黒く変色した染みの付いた人の背丈ほどの木の板。
 祭具殿の淀んだ空気に生臭い匂いを感じたのは錯覚だろうか?
「鬼が出て、生贄を捧げてそれを鎮めたっていう話はこの近辺にも残っているのよね。それも江戸時代っていうから御伽噺って感じじゃなくて……」
「そ、それが?」
「魅祓の儀式」
「え?」
 朝姫さんが言った。
「江利子さんは江戸時代だけでなく、16年前にもその儀式が行われたんじゃないかって考えてるのよね」
「うふふ、祟りではね、一人が鬼に殺されて、一人がそれを鎮める生贄として消えるのよ。だから……」
「……16年前から四年毎に毎回?」
「乃梨子ちゃん、理解が早くて良いわね」
「で、でも最初の事件は」
「言ってなかったっけ? 犯人は入院先の精神病院から逃げ出して行方不明よ」
 江利子さま、そこは笑うところじゃないですよ。

「江利子さん」
 扉の方で見張りをしていた山辺さんの声が響いた。
「そろそろ法要が終わります。戻らないといけません」
「あら、そうね。じゃあ帰りましょ?」
「あ、あの……」
 乃梨子は朝姫さんにすがり付いたまま離れられられなくなっていた。
「いいのよ。一緒に行きましょ」
 朝姫さんは志摩子さんみたいに優しく守るように乃梨子の肩に手を回してくれた。


「じゃ、今日のことは藤堂家にはもちろん、誰にも内緒だからね」
「誰にも、ですか?」
 そう聞くと江利子さまは言った。
「聖域を侵したのよ? ばらしたら私達、祟りにあっちゃうかもしれないじゃない」
「なっ、なんで……」
「乃梨子ちゃんも運命共同体よ?」
「あ、朝姫さん、まさかあなたまで……」
「志摩子さんには内緒よ?」
 朝姫さんは、わざとだろうか、志摩子さんみたいな笑顔で笑って見せた。
「じゃ、私たちはここで」
 江利子さんと山辺さんは参道をまっすぐ降りたところに車を停めているとかで、小寓寺へ続く細い道のところで乃梨子たちと別れた。
「さ、私たちも戻りましょ」
「う、うん」
 もう日は落ちて辺りは薄暗くなっていた。
「でも朝姫さん、いつ来たんですか?」
「いつって?」
「私、志摩子さんの家に朝姫さんが来てるなんて全然知らなかったから」
「んー、ちょっと用があってね」
「用? 何の用ですか?」
「内緒よ」
 内緒か。なんだろう?
 プライベートな話だったったら追求したら悪いので、話はそこまでにした。
 来る時はちょっと長く感じた森の中の道は戻ってみると大した距離ではなかった。
 行きよりだいぶ暗くなり足元が良く見えない道を乃梨子は朝姫さんの手を握り締めて通り抜けた。


「じゃ、私はこれで」
「え?」
 玄関のところで朝姫さんは家に入らず手を振った。
「私が居たことは志摩子さんには内緒にしてね?」
「別に良いんじゃないの?」
「駄目よ。あなたもあそこに入ったことは絶対話しちゃ駄目」
「えっと、どうして……」
 と、聞き返す問いに朝姫さんの言葉が重なった。
「……命が惜しかったら」
 その時、家の奥で物音がした。法事が終わって家の人が戻ってきたのだろう。
「じゃ! 私はこれで消えるから!」
「あ、ちょっと……」
 どうやら本気で志摩子さんに内緒でここに来ていたようだった。
(でも、どういうつもりであんなことを言ったのだろう?)
 魅祓の儀式の生贄にされるとでもいいたいのだろうか?
 三人分のお持ち帰り袋を抱えて乃梨子は耳に残った朝姫さんの最後に言った言葉がどうしても冗談に聞こえなくて困惑していた。

「あら、乃梨子、法要は見れたかしら?」
 しばらくして、玄関の奥から和服姿の志摩子さんが姿を見せた。
「う、うん。見れた……かな? それよりお疲れさま。もう全部終わったの?」
 なんとなく嘘をついてしまった。いや、『言わない事』を嘘とは言わないけど、良心の呵責は同じだから。
「私の仕事はもう無いわ。それより祐巳さんと由乃さんは? 一緒じゃなかったの?」
「ううん。ちょっと行き違いがあってはぐれちゃった。でも終わったらここに来るように言ってあるんだよね?」
「ええ」
 志摩子さんからは終わってから母屋の玄関に集合って聞いていた。
 ここで菜々ちゃんと合流して一緒に帰る約束なのだ。
「菜々ちゃんはどうしてる?」
「まだ、お父様たちと話をしてるわ。もうじき来ると思うけれど」
 いつもなら志摩子さんと二人きりでうれしい筈なのに、今は早くここから離れたかった。
 何時までも居るともっと嘘をついてしまいそうだから。
「ああ、そうだわ」
 志摩子さんは何かを思い出したように言った。
「な、なあに?」  
 今の乃梨子には志摩子さんの笑顔さえも胸にグサグサ突き刺さって来る気がする。
 ……やっぱり駄目だ。志摩子さんに隠し事だなんて。
 乃梨子は勇気を振り絞って切り出した。
「あ、あのね、志摩子さん、この母屋の裏に……」
 志摩子さんは乃梨子の言葉を遮って言った。
「乃梨子に聞きたいことがあったのよ」
「え?」

「何処かで朝姫さんに、会わなかった?」

「……」
 どうして?
 志摩子さんは朝姫さんが来たこと知らないんじゃ?
「会ったの?」
「ど、どうしてそんなこと聞くの?」
「知らないのなら別にいいのよ」

 『私が居たことは志摩子さんには内緒にしてね?』

 乃梨子は先ほどの朝姫さんの言葉を思い出した。
「あ、うん、知らない」
 また嘘を付いてしまった。
 志摩子さんと会うのが辛くなるって判ってるのに。
 朝姫さんのせいだ。後で責任を取ってもらおう。ちゃんと志摩子さんの前で釈明してもらえばいいのだ。
 志摩子さんはそれ以上、聞いてくることは無かった。

 しばらくして菜々ちゃんも姿を見せ、祐巳さまと由乃さまも戻ってきた。
「もう、乃梨子ちゃん何処行ってたのよ? ちゃんと菜々の晴れ姿見た?」
「え、うん、ちゃんと見たよ。失敗も無く立派にこなしてたじゃない」
 ああ、嘘の上塗りだ。
 乃梨子の言葉を聞いた菜々ちゃんが何故か表情を曇らせた。
 それを見た由乃さまは言った。
「ほら見なさい。あんなの失敗のうちに入らないんだから」
「……でも失敗は失敗です」
「菜々ちゃんって意外と完璧主義?」
 三人のやり取りを聞きながら、乃梨子は見てなかったことが判ってしまうんじゃないかって、内心ドキドキだった。

 ――志摩子さんの前でこれ以上喋ったらだめだ。



  †



 翌日のことだった。
 朝、乃梨子はマリア様の庭を過ぎたところで志摩子さんと鉢合わせた。
「ごきげんよう、乃梨子」
「ごきげんよう、志摩子さん?」
 と、ちょっと疑問形になったのは、志摩子さんの様子がちょっと。
「なあに?」
「もしかして、志摩子さん疲れてる?」
「あら、判る? 実は行事の後はいつも反省会って言って、両親と協力してくれた檀家さんの方々で宴会みたいなことをするのだけど……」
「もしかして、そのお手伝い?」
「ええ」
 みたい、じゃ無くて宴会でしょうに。
「大きい声ではいえないのだけど、少しだけ……、それでちょっと頭が痛くて」
「って、飲んだの!?」
「乃梨子、声が大きいわ」
「あ、ごめん」
 幸い人影は無く、話は誰にも聞かれていない。
 にしても、あの破戒坊主め。
「でも心配しないで、もう無いから。四年に一度のことですもの」
「そんなのそうそうあったら困るよ」
「大丈夫よ。次は二十歳過ぎてるのだし」
 いや、そういう問題じゃないでしょ?
 でも、志摩子さん変わったな。以前はこういう家の話は恥ずかしがってしなかったのに。
 これはいい変化だと思う。
 いつもと違ってちょっとだけくたびれた雰囲気が漂う志摩子さんを眺めながらそんなことを考えたていた。
 志摩子さんは言った。
「あ、そうそう、乃梨子」
「なあに?」
「昨日の晩なのだけど、何処かで江利子さまと山辺さんに会わなかった?」
「……え?」

 なに?
 なんで志摩子さんがそんなことを聞くの?

「ああ、山辺さんって言っても乃梨子は知らないかしら? 江利子さまと付き合ってる方なのだけど……」
「あ、あの……」
「会ってない?」
「えっと……どうかな?」
 答えられなかった。
 昨日、隠し事をしてそのままだったから。
 正直に話すとなると、朝姫さんを志摩子さんと間違えてたことから全部話さなければならなくなるし、それに朝姫さんにどういうつもりだったのかまだ問いただしていないのだ。
 志摩子さんは、乃梨子が口ごもっても特に気にしない様子で続けた。
「そう。じゃあもう一つ。昨日の晩、何処かで朝姫さんに会わなかった?」
「そ、それ、昨日も聞いたよ?」
「あら、そうだったかしら?」
「……」
「また改めて聞いたら、違う答えが返ってくるかもって思って」
 どういう意味?
 まさか、志摩子さん、知ってるの?
「でも、誰とも会ってなくて良かったわ。私から乃梨子は悪いことには何も関わってなかったって言っておくわね」
「え!? 言っておくって……?」
 志摩子さんからの話はそれきりだった。
 乃梨子は聞き返そうにも、墓穴を掘りそうで聞き返せなかったし、お昼休みに薔薇の館で会ってもその話は出なかったし出来なかった。 


 そして放課後。
「面会ですか?」
 職員室に呼び出されてみれば、大学部の喫茶室で乃梨子を待ってると、朝姫さんからの伝言だった。どうやら学校に電話をしてきたみたいだ。
 お昼に志摩子さんから今日は皆都合が悪くて薔薇の館で集まりはないと聞いていたので、乃梨子はまっすぐ大学部へ向かった。
 朝姫さんは自分の高校の制服姿で堂々と喫茶室に入り込んでいた。
「あー、乃梨子ちゃん」
「どうしたんですか? こんなところに」
「うん、学校から呼び出すのにあまり遠くじゃ悪いと思って」
 そう言って微笑む朝姫さんは、喫茶室の隅の丸テーブルのところに窓を背にして座っていた。
 対面では遠いので乃梨子は隣に座って言った。
「で、なんですか? というか私も朝姫さんに聞きたい事が……」
 と、そこまで言って乃梨子は言葉を止めた。
「乃梨子ちゃん」
 朝姫さんが、急にシリアスな顔をしたからだ。
「……なに?」
「じつは……」
「あれー、乃梨子ちゃんと、ええと、朝姫ちゃん? すごい偶然じゃない」
「せ、聖さま?」
 能天気な声で、シリアスな雰囲気は一瞬で終わった。
 元白薔薇さまで志摩子さんのお姉さま、佐藤聖さまだ。
 なんの断りも無く二人に相対する席にどっかり腰をおろした聖さま。
 乃梨子は言った。
「偶然は偶然ですけど、すごくも無いですよ?」
 聖さまはここリリアンの大学部に通ってるのだし。乃梨子達がここに来た時点でこの展開は不自然ではないだろう。
 乃梨子は言葉で牽制したつもりなのに、これくらいはいつもの挨拶くらいにしか考えていないのか、普通に受け流して聖さまは言った。
「そうじゃなくって、私、あなたと話がしたいなーって思っていた所だから」
「話って……?」
「でも、乃梨子ちゃんもなかなかタフねぇ?」
 とニヤニヤ笑いを浮かべる聖さま。
「な、何ですか?」
「志摩子と朝姫ちゃんを二股にかけるなんて」
「ふた……そ、そんなんじゃありません!」
 と、乃梨子が叫んだところで、朝姫さんは腰を浮かして言った。
「乃梨子ちゃん、私、バイトの時間だから」
「ええ? でも……」
「夜に電話するから、その時にね?」
 そう言い残してさっさと朝姫さんは行ってしまった。
「もう、なんなのよ、朝姫さんの方から呼び出したのに……」
 乃梨子が朝姫さんの後姿を見送っている間も、聖さまは視線を乃梨子の方に向けていた。
 朝姫さんが見えなくなった頃、聖さまはおもむろに口を開いた。
「……ところで、乃梨子ちゃん」
 打って変わって聖さまはシリアスな雰囲気に変わっていた。
「はい?」
「あなた、朝姫ちゃんのこと、どの位知ってるのかしら?」
「どの位って……」
 どの位と言われても、乃梨子が知っていることは、戸籍上他人なのに志摩子さんとは双子みたいにそっくりだってことと、リリアンの近所の女子高に通ってることくらいだ。
「いや、言い方を変えようか、藤堂家についてどのくらいご存知かな?」
「質問の意味が判りませんが」
 最初、朝姫さんのことを聞いたのに、言い方を変えたら何で志摩子さんの家についてになるのか?
 それじゃ、まるで朝姫さんが志摩子さんの家と何か関係があるみたいな……、まさか?
「志摩子は話してないのね?」
「何の話ですか?」
 そりゃ、志摩子さんは家のことはあまり話さない人だし。でもこの人は志摩子さんの家の何を知っているというのだ?
 聖さまはテーブルに両肘をついて顔の前で手を組んだ。
「……藤堂家はね、あんな田舎のお寺を経営してるだけの家系じゃないのよ」
「でも、親父さんは小寓寺の住職ですよね?」
「まあね。でも婿養子なのよ」
「はぁ?」
「今、藤堂家の実権を握っているのは母方のお婆ちゃんよ。藤堂一族は代々女性が頭首を勤めてきたの。次期頭首は志摩子なの」
「ちょ、ちょっと待ってください。そんな話は聞いたことありません」
 そんな実権だの、一族だの、それに頭首ってなに?
「そりゃ話さないわよね、そんなこと。私だって志摩子から聞いたわけじゃないし」
「え……?」
 じゃあいったい誰からそんな話を?
「そんな顔しないの。その筋では有名な話よ。藤堂家っていうのはあの周辺を牛耳る影のヤクザ屋さんだって」
「や、やく……嘘!?」
 信じられない。志摩子さんの家が影のヤクザ屋さんだなんて。
「まあ、信じる信じないは乃梨子ちゃんの自由だけど。ちなみに現在の小寓寺はまっとうなお寺よ?」
「そ、それって?」
「志摩子のお母さんは頭首になること拒んだのよ。旦那さんはあれでも堅気の人間だし。多分ヤクザ稼業が嫌だったのね」
 ええと、つまり、堅気でないのは志摩子さんのお母さんの実家で、今の志摩子さんの家庭は普通だって事?
「安心した?」
「いえ、じゃあ、志摩子さんが次期頭首っていうのは?」
「それでね、志摩子のお母さんは勘当同然で次期頭首の権利は剥奪。さらに頭首を継がないことを認める条件として、子供が女の子だったら次期頭首を継がせるって約束までさせて。拒めば、旦那さんの命は無いって脅かして」
「……それって、むちゃくちゃじゃないですか。本当なんですか?」
 勘当同然にしておいて、娘はよこせって、そんな理不尽な話はない。
「お母さんは、逆らえば実際そうなるって判ってたから拒めなかったの。藤堂家はその力を持っていることを知っていたからね」
「じゃあ、しっ、志摩子さんは?」
「中学にあがる直前に本家に連れて行かれそうになったらしいわ。家がお寺なのにリリアンに入ったのは志摩子なりの抵抗だったみたいね」
「で、でも」
「そう、表向きの理由は乃梨子ちゃんも知ってるとおりよ。でも本当は、小寓寺から決別する姿勢を見せることで志摩子は自由を獲得したってことなの。本当なら次期頭首としての教育のために本家に拘束される所だった。志摩子は今でも家の用事って言って時々学校を休むでしょう?」
「え? うん、でもまさか」
「そう。本家に行って頭首の何たるかを学んでるの。いいえ、もういい歳のお婆さんに代わって頭首代行を勤めてるって話も聞くわ」
 そんな……。
「……う、うそだ」
「さあ?」
「出任せ言って私を騙そうとしてるんだ」
「そう思ってくれても構わないわ。でも、ここまで聞いて朝姫ちゃんの立場って想像がついたんじゃない?」
「……」
 なんとなく判った。
 でも、一度にいろいろなことを聞いたせいで、思考が働かなかった。
「まあ、この話は予備知識として知っておいて欲しかったことなんだけど、本題はここから」
 少し表情を緩めていた聖さまは、再び組んだ手の向こうから乃梨子に射すくめるような視線を向けた。 
 本題って、これ以上どんな話があるというのか?
 でも、この次の聖さまの言葉は乃梨子には本当に予想外だった。

「……昨日の晩、何処かで江利子と山辺さんに会わなかった?」

 ……え?
 どうなっているのか? どうして、みんなして同じ事を聞いてくるのか?
 確かに昨日は江利子さんと山辺さんに会っている。でも会ったのは『晩』という時間帯ではない。
「えっと……」
 乃梨子が、どう答えようかと思索していると聖さまは、
「ああ、山辺さんは知らないか」
「いえ、江利子さまの恋人の方ですよね?」
「……知ってるんだ?」
「はい」
「まあ、良いわ。もう一つ。同じく昨日の晩、何処かで朝姫ちゃんに会わなかった?」
 まただ。
 志摩子さんにも同じ事を聞かれた。
「あ、あの、昨日は……」
 その時、ポップな感じのイントロ(?)が鳴り響いた。
「おっと、失礼」
 携帯の着メロだった。
 聖さまはポケットから携帯を取り出して開き、耳に当てた。
 といか着メロ、ポップ調の『まりあ様のこころ』だよ。ふざけてるというか、この人らしいというか。
「……え? うん判った。……うん、……うん、……了解」
 電話が終わって、聖さまは携帯をポケットに戻した。
 そして、話の続きを聞かれるかと思っていたら、こう言った。
「ごめんね、急用が出来ちゃったから、話は改めて」
「……は、はい」
 なんとなくホッとした乃梨子だった。
 そして聖さまは席を立ち背中を見せて一歩歩いたところで立ち止まって言った。
「そうそう、乃梨子ちゃん」
 聖さまは振り返って続けた。
「昨日、志摩子の家の近くを歩いていたわよね……」
「え?」
「……四人で、仲良さそうに」
「!!」
 聖さま、知ってる?
 四人といえば、全部終わって帰りは祐巳さまと由乃さまと菜々ちゃんと一緒だったから四人だけど……。
 でも、あの神社で祭具殿に入ったのも4人だったのだ。


  †


 その晩、昼間の予告どおり、朝姫さんから家に電話があった。
 菫子さんはまだ帰っていなくて、家には乃梨子一人だった。
『もしもし?』
「はい、二条です」
『あ、乃梨子ちゃん? 朝姫だけど』
「朝姫さん?」
『昼間はゴメンね』
「そうですよ、逃げましたね?」
『あはは、ホントごめん。埋め合わせはいつかするから』
「まあ、期待しておきます。それより何ですか? 昼間しようとした話ですよね?」
 そう聞くと、
『……』
 朝姫さんは少しの間沈黙した。
「……朝姫さん?」
 乃梨子が促すとようやくといった感じで話が続いた。
『その……、乃梨子ちゃん、知ってる?』
 どこか、またシリアスな口調だった。
「何をですか?」
『知らないみたいね……』
 何だろうか、妙に間を空けて言いにくそうに話している。
『……実は、昨日の『御払いの法要』の時、私達4人で、ほら、あの祭具殿に入ったじゃない』
「ええ、入りましたね」
『あの後、何処かで江利子さんと山辺さんに会った?』
 またその話だ。
 いい加減、うんざりしてきた乃梨子は少しぶっきらぼうに言った。
「……朝姫さんはどうなんですか? 会ったんですか?」
『勿論、会ってないわ。あの後、合流した友達が証明してくれるし』
 証明? おかしなことを言う朝姫さんだ。
 まあ、そういうことなら乃梨子も証拠を提出しよう。
「私だって、証明っていうのなら、一緒に帰った祐巳さまとか由乃さまがしてくれますよ」
 あと、菜々ちゃんもだ。
『そう。……じゃあ、言うわね、昨日の晩、江利子さんと山辺さんが死んだそうです』
「……」
 一瞬、思考がついていかなかった。 
 いまなんって?
 死んだ?
 誰が?
『……江利子さんは焼死体で、山辺さんは自殺みたいな形で喉を掻きむしって』
「うっ……嘘!?」
『私も今朝聞いたのよ……それで……』
 江利子さまが? 山辺さんが?
 もしかして昼間聖さまが挙動不審だったのって……。
 朝姫さんは続けた。
『魅祓い様の祟りってことになると思う』
「それって……」
『私ら、祟られるのに十分な資格があるし』
 聖域である祭具殿に侵入したってこと?
 でも……。
「でも!」
『でも、よく考えてみて。今回の魅祓い様の祟りっておかしくない?』
「おかしい?」
『そう、前回までの祟りでは一人が死んで一人は行方不明。でも今回のは二人死んでるのよ』
 ちょっと待って、祟りって言うけど、確かそれは祟りなんかじゃなくて……。
 そうだ。
 ここで、法要の日に聞いた16年前からの祟りの話と、聖さまの話が結びついた。
 ……つまり、藤堂の本家が?
『二人が祟りで死んだって事は、それを襲った鬼を鎮めるために生贄もまた二人必要だって事なのよ』
「ふ、二人?」
『……まだ、誰も行方不明になってないと思うわ。二人が失踪するのはこれからだと思う』
 祟りのロジックが働くわけじゃない。
 そう見せるために誰かがまた犠牲になるのだ。
 人を近寄らせないための防波堤。
 そして、今回の最有力候補は?
「まさか、一緒に祭具殿に入った……」
 乃梨子と朝姫さん。
「じょ、冗談じゃないわ! だって見ただけじゃない! 何かを壊したり、持ち出したりしたわけじゃないのにどうしてよ!」
『……』
「第一、私は別にあんなの見たくなかった、菜々ちゃんの演技を見たかったのに、そうだよ! 志摩子さんの振りして私をあそこに連れて行ったのはあんたじゃないか! 私は見たいなんて思ってなかった! 無理に進入して見るほどの物じゃなかった! どうしてくれるんだよ! どう責任取るつもりだよ!!」


 その次の瞬間、電話は切れた――。
























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