【2165】 蘇る悪夢  (まつのめ 2007-02-23 21:49:34)


※前回【No:2162】程じゃないにしても、やたら長くて後味の悪い話。





「祥子、祥子がそんなじゃ、祐巳ちゃんが落ち込んじゃうよ」
「そうね……」
「でも、どうして……」
 早朝の薔薇の館は、普段と違い、重々しい雰囲気が漂っていた。
 最後に来た乃利子は、「ごきげんよう」と挨拶をして会議室を見回した。
 祥子さまはいつもの席に座り、俯いていて、見るからに落ち込んでいるように見えた。
 令さまはそのすぐそばに立ち、祥子さまを慰めるように声をかけている。
 でも、乃梨子は、祥子さまが落ち込んで、令さまがどちらかというと平然としているのには、ちょっと違和感を覚えた。
 妹(つぼみ)の方も祥子さまの様子に祐巳さまがおろおろしているのに対して、由乃さまはそれに構うだけの余裕があるように見える。
 亡くなったのは、令さまの姉である元黄薔薇さまの江利子さまの筈だ。
 少々不謹慎ではあるが、落ち込むなら令さまや由乃さまの方じゃないだろうか? 
 そう思いつつ、乃梨子は誰に話を聞こうか迷ったが、結局、志摩子さんに話しかけた。
「あ、あの、志摩子さん?」
「ああ、乃梨子はまだ知らないのね」
「何かあったんですか?」
 変だ、江利子さまの件じゃないのだろうか?
 志摩子さんは声のトーンを落として言った。
「蓉子さまが、居なくなったのよ」
「え?」
 居なくなったって?
「昨日の晩から行方不明で、祥子さまの所にも問い合わせがあったんですって」
「行方不明!?」
 思わず声を上げてしまった乃梨子に皆の視線が集まる。
「あ、すみません……」
 目が合った祥子さまは目の下にクマが出来ていた。
 昨日は眠っていないのだろうか?
(でも、江利子さまのことは誰も知らないの?)
 ニュースになっていなかったし、何らかの理由で警察が非公開にして捜査してるってこと?
 ならば、日常的に会っていた人や、警察から接触があった人以外はまだ知らなくてもおかしくは無い。
 乃梨子もそのことは朝姫さんから電話で聞いただけだし、軽々しく言いふらすべきではないだろう。
 それにしても……。



 昼休み。いろいろ抱え込んでいて考えることが多い乃梨子は、薔薇の館には行かず、教室で早々にお弁当を食べ終わって、校庭でもあまり人の来ない場所まで来て座り込んでいた。
 ちなみには志摩子さんは午前中に早引きしていた。別に体調が悪いわけじゃなくて、話によると緊急で『家の用事』だそうだ。
 あの話を聞く前の乃梨子なら「不自然だ」って思ったろうが、これは『実家』の関係だろうって思い当たって気分が悪かった。

(……にしても、蓉子さまが行方不明ってどういうことなんだろう?)
 一人が祟りで死に、一人はそれを鎮めるために消えるというのなら、消えるべきは一緒に祭具殿に入り込んだ乃梨子達のはずなのに。
 確かに蓉子さまは江利子さまとは元薔薇様つながりで関係者だ。
 彼女が例の『魅祓い様』にどう関わっていたかは不明だけど、江利子さまの件はいち早く知っていた可能性は高い。
 もう一人の元薔薇様である佐藤聖さまは、今考えるとあの時、既に知っていたように思えるし。
 でも、それが『魅祓い様』に目をつけられた理由だったら弱すぎる気がする。
 他にも何か理由があるのだろうか?
 聖域を侵した乃梨子や朝姫さんを差し置いて、消されなければならないような理由が。
 乃梨子は視線を目の前の地面に向けた。
 ここの日当たりは良く、目の前には耕された土の露出してる花壇があった。
 その時、
「……っ!?」
 突然黒いものが視界の隅に侵入してきた。
「ひやぁっ!」
「……乃梨子さま?」
「あ……、菜々ちゃん?」
 黒いのは紺のハイソックスと革靴を履いた足と黒い制服だった。
「ごきげんよう」
 見上げると菜々ちゃんが隣に立って微笑んでいた。
「ごきげんよう、脅かさないでよ」
「申し訳ありません。でも、こんな所で何をなさっているのですか?」
 確かに、言われてみれば『こんな所』だ。
 でも、それを言うなら菜々ちゃんも同じ。
 乃梨子は聞き返した。
「菜々ちゃんは?」
「いえ、ここは私の校内散策コースなので良く通るんですけど」
「そうなんだ……」
 その途中で知り合いを見かけたから寄って来たってところだろう。
「なにか、お悩みですか?」
 菜々ちゃんはそう聞いてきた。
 悩みというか、彼女には関係ないし。いや、巫女のアルバイトをしたからないことはないけど。
「時間、あるの?」
 折角のお昼休みを、こんな所でいじけている先輩の相手で費やすより、こんな良い天気の下、散策を楽しんだ方が良いような気がしたからそう言った。
 でも菜々ちゃんは、
「ええ。悩める先輩のお話を聞くくらいは」
 そう言って、おどけるように首を傾げた。
 菜々ちゃんは面白い。
 それに良い子だ。
「……悩んでるように見えたかしら?」
「……」
 どういうつもりなのか、菜々ちゃんからの答えはなく、日当たりのよい花壇の前を沈黙が支配した。
 でも、その沈黙は心地よい類の沈黙で、なんとなく安らいだ乃梨子は、もっと会話がしたくなって口を開いた。
「あ、あのさ……」
 そう言いかけたところで、唐突に菜々ちゃんが言った。
「乃梨子さま」
「なあに?」
「いえ、……一昨日のお祭りの日、乃梨子さまはなにか悪いことをされましたか?」
 安らいだ気分が、一気に反転した。
 ――何で菜々ちゃんが、それを聞くの?
「わ、悪いことって……?」
「してないのなら別に良いんです」
 そう言って菜々ちゃんは一歩下がって、
「変なこと聞いてしまいましたね? それでは……」
 踵を返して並木の方へ去っていこうとした。
「まって!」
 乃梨子は思わず立ち上がり、呼び止めていた。
 立ち止まった菜々ちゃんは、振り返って乃梨子に顔を見せた。
 その瞳はまっすぐこちらを見つめていた。
「……話、聞いてくれるんでしょ?」
 正直、誰かに洗いざらい話して楽になりたいと思っていた。理屈ではなく直感的に、乃梨子は「この子なら話しても良いかも」って思ったのだ。
 菜々ちゃんは表情を変えず、何も言わないでまた乃梨子の隣に戻ってきた。
 話を聞いてくれるというサインだ。
 乃梨子は切り出した。
「ええと……」
 でも、本当のことを言うのは、やはりためらわれた。
 なので、具体的なところをぼやかしてこう言った。
「……その気は無かったのに、いけない事をしてしまった人がいてね。その人が、それを正直に言えなくて困ってるのよ」
 菜々ちゃんを面倒に巻き込んてしまいそうで怖かった。だからこの位なら良いだろうと言うところまでを話すことにしたのだ。
 でも、その認識が甘かった、と後で嫌というほど思い知ることになるとは、この時思ってもいなかった。
 菜々ちゃんは言った。
「どうして言えないのですか?」
 何処までもまっすぐな視線に乃梨子は思わず目を逸らし、花壇の方を見た。
「それが、すごく大切なものだって知ってしまったから」
「……」
 判りにくすぎただろうか?
 菜々ちゃんは少しの間、沈黙した。
 恐る恐る視線を戻し、表情を見ても何を考えてるのか判らなかった。
 やがて菜々ちゃんは、口を開いて言った。
「猫さんがですね」
「猫?」
「はい、猫さんです。にゃんにゃん」
 菜々ちゃんは手を丸めて猫っぽいポーズをし、可愛らしく微笑んだ。
 どうもこの子の思考は読めない。
 でも菜々ちゃんの猫のマネは可愛いかったのでそのまま話を聞いた。
「猫さんはですね、怯えてるんです」
「怯えて?」
「はい。実はその猫さんはですね、入ってはいけない所に入ってしまったんですけど、そこで恐ろしいものを見て怖くなって逃げ出しちゃったんです」
(……え?)
 乃梨子は『何処かに入った』とは一言も言っていない。
 菜々ちゃんは知っている? そういえば最初も「悪いことをしましたか?」って聞いてきたし。
 でも、単に小寓寺で巫女さん役をアルバイトでやっただけの菜々ちゃんがどうして? そもそも乃梨子が『悪いこと』をしたのは、そのアルバイトの最中だ。
 菜々ちゃんが『知っている』わけが無い。
 じゃあ、単なる偶然? 彼女が考えた喩え話か?
「それでですね、怖くて怖くてがたがたぶるぶるにゃあにゃあで猫さんは大変なことになってしまったんです」
 乃梨子はゴクリとつばを飲み込んだ。
「そ、その猫さんはこれから、どうしたらいいと思う? その、いけない事をしたところを犬さんが見ていたのよ。それで、代わる代わる猫さんのところにやってきては『あそこに入っただろう』って問いただして来るの」
「悪いことをしたら『ごめんなさい』ですよ?」
「で、でも、猫さんは怖くて謝れないのよ」
「大丈夫です」
「え……?」
「猫さんは私が守ってあげますから」
 どういう意味だろう?
「きっと何匹かの犬さんが勘違いしてるだけだと思います。ちょっと大変ですけど何とかなりますよ」
 そう言って菜々ちゃんはまた微笑んだ。
 それは単なるたとえ話の回答とは思えなかった。

 ――何とかなる?
 菜々ちゃんが、何としてくれるの?

「でも……」
 付け加えるように、菜々ちゃんは言った。
「……姉猫はとても怒っています。妹猫が悪いことをしたので、とても怒っています」
「……」
 これ以上は聞けなかった。
 本当に洗いざらい話してしまいたかった。
 菜々ちゃんが乃梨子の知らない何かを知っているのならそれを聞きたかった。
 でも、怖くて聞けなかったのだ。

「じゃあ、私はもう行きますね?」
「う、うん、お散歩の途中なのに、つき合わせちゃってごめんね」
「いえいえ、困ったときはお互い様ですから」
 そんな、おばさんくさいことを言った菜々ちゃんは、
「あ、そうそう……」
 去り際に立ち止まって言った。
「元紅薔薇さまを噛んだ犬さんが、猫さんに噛み付こうとしたら知らせてくださいね」
 え!?

 ――菜々ちゃん、あなた何者なの?



  †



 乃梨子はその晩、昼間菜々ちゃんと話をしたことを後悔していた。
 菜々ちゃんの話は不可解だった。
 それだけでなく、乃梨子は核心をぼやかして相談したと言うのに、彼女はまるでそこに居たかのように具体的なたとえ話で返してきたのだ。

 早い時間から乃梨子は、部屋の明かりも点けずにベッドの上で毛布を被って蹲っていた。
(怖い……)
 『悪いことをしたら「ごめんなさい」ですよ』
 菜々ちゃんの言葉。
(でも、誰に謝れっていうの?)
 その時、ガタガタと、ドアを叩く音が聞こえ、乃梨子はぎょっとした。
「……リコ、電話だよ。藤沢さんって人から」
(朝姫さん!)
 慌てて毛布を投げ捨て、乃梨子はベッドから飛び降りた。

「もしもし、乃梨子です」
『あ、乃梨子ちゃん? 私、朝姫』
 子機で話をしつつ部屋に向かい、
「その……、」
『なに?』
 部屋に入ってドアを閉め、ベッドの上まで戻ってから乃梨子は一気にまくし立てた。
「あ、あのっ! 昨日はごめんなさい! つい興奮して、あんなきついこと言っちゃって。考えてみたら朝姫さんも立場は同じなのに、一方的に責めるようなこと言ちゃって、私どうかしてたの。本当にごめん。ごめんなさい」
 実は、昼間、菜々ちゃんに『悪いことをしたら「ごめんなさい」ですよ』と言われて、乃梨子が最初に連想したのは朝姫さんだった。
『うん、後悔したのなら許してあげる』
 朝姫さんはそう答えてくれた。
「……ありがとう」
『私達は運命共同体だからね。これから何か気になることがあったら連絡しあうようにしましょう?』
「うん、わかった」
『それで、……蓉子さんが居なくなったって本当?』
「え? あ、うん、私は今朝、聞いたんだけど……」
 朝姫さんは、
『……私のせいだ』
 悲壮な声でそう言った。
「え? どういうことですか?」
『私、相談したの。蓉子さんに相談したのよ。祭具殿に入ったこと相談したの』
「なんで?」
『蓉子さん、お祭りの晩の事件と藤堂の家のこと調べていたから。私「あの時、私も一緒に居たから」って話しちゃったの』
 調べていた?
 やっぱり蓉子さまは江利子さまと山辺さんのことはいち早く知っていたんだ。
「で、でも、話したくらいで……」
『でも直後なのよ。私が相談したあとすぐ居なくなったのよ』
「それは偶々じゃないの?」
『ううん、事件のことを疑っている人はたくさん居る。藤堂の家が関係しているって睨んでる人はたくさん居るの。でもあの話をしたのは蓉子さんだけなのよ。私が話したから蓉子さんだけが居なくなったの。私が話したから。私が話したから居なくなったのよ。私が話したから居なくなったんだ、居なくなったんだ……』
「ちょっと、朝姫さん落ち着いて」
『私のせいだわ、私のせい。そうだ、私が話したから居なくなった、私が話したから居なくなった、私が話したから居なくなった、私が話したから居なくなった、私が話したから居なくなった、私が話したから居なくなった、私が話したから居なくなった……』
「朝姫さん! 朝姫さんっ!」
 そんな、打ち明けたくらいでなんでそんな事に……。
 『猫さんです。にゃんにゃん』
 そういえば。
 話したといえば、昼間、間接的とはいえ、菜々ちゃんの前で『悪いことをした』って乃梨子は認めている。
 つまりこれは、菜々ちゃんに『相談』し、『打ち明け』てしまったことにならないか?
 乃梨子は急に不安になった。
「私、菜々ちゃんに話したわ……」
『え?』
「どうしよう、私も菜々ちゃんに打ち明けたのよ!」


 乃梨子はまず由乃さまに連絡をして、緊急に菜々ちゃんと話がしたいから連絡先を教えて欲しいと伝えた。
 幸いにして、菜々ちゃん直通の電話番号を知っていた由乃さまは、折り返しかけさせるからと言って一旦電話を切った。
 そして、乃梨子はしばらく待ったのだけど、十分待っても二十分待っても菜々ちゃんからの電話は掛かってこなかった。
「長すぎるな」
 もう一度由乃さまにかけようと受話器に手をかけたとき、電話の受信音が鳴り響いた。
 乃梨子は食いつくように受話器を取りあげた。
「もしもし!」
『あ、乃梨子ちゃん?』
 電話は由乃さまからだった。
『……菜々、出ないのよ。実家の方にも掛けてみたんだけど留守みたいで』
「家族で何処かに出かけたのでしょうか?」
『こんな夜中に?』
「泊りがけとか」
『そんな筈は無いわ。今日は昼間菜々と会って話してるけどそんな話何も聞いてないし、普通に「また明日」って言って別れたから』
「ええと、他に連絡方法は?」
『知らないわ。でもなんだろう? 胸騒ぎがするわ』
「あの、菜々ちゃんの家判りますか?」
『うん、私行って見る。取り越し苦労かもしれないけど、ちょっと心配だから』
「私も行きます!」
『じゃあN駅に来て! 南口よ』
「はい! 二十分で行きます」


 二十数分後、乃梨子はN駅前に立っていた。
 出かける直前に朝姫さんの携帯にも連絡をしておいた。朝姫さんは「何か判ったら連絡して」と言い、「くれぐれも気をつけて」とも言っていた。
 あまり待たないで、由乃さまが自転車に乗って現れた。
「家から直接来たんですか?」
「うん、大体、乃梨子ちゃんと同時に着くと思って」
 由乃さまは息を切らしていた。かなり急いで来たらしい。
「ここから電車ですか?」
「ううん、後ろに乗って」
「二人乗りは不味いのでは?」
「見つからなければ大丈夫よ! 早く!」
「だったら私が前に乗ります」
 二十分全力で漕いで来たせいだろう、由乃さまの運転はよろよろしていた。
「そう? じゃあお願い」
 そう言って由乃さまはすんなり交代を受け入れた。
「ナビゲーションお願いしますね」
「勿論よ」
 そして、駅前交番から見えない所まで歩いて移動してから、二人乗りで自転車を走らせた。

 乃梨子は風を切って思い切りペダルを漕いでいた。
「そこ右に曲がって」
 由乃さまは乃梨子の背中に張り付いて、右だ左だと道案内をしていた。
「はい。あとどのくらいですか?」
「次曲がったら見えてくるわ」
 本当に曲がったら見えた。
 そこは延々とでっかいお屋敷の壁だった。
「菜々の部屋は道場の側の離れよ」
 塀に沿って少し走ると、通用門があった。
「この先に道場の入り口があるの」
「でも、中に入れますかね?」
「乗り越えてでも入るわよ」
「それは止めた方が……」
 これだけの家だ、防犯装置くらいついているだろう。

 結局、通用門も道場の入り口も鍵が閉まっていて、有馬と田中の表札のある玄関まで回って、正面から堂々と訪問することになった。
 有馬の方のインターホンはいくら押しても反応が無かった。
「しょうがないわね」
 そう言って由乃さまは今度は田中って方のインターホンに手を伸ばした。
「大丈夫ですかね?」
「平気よ」
 そして、呼び鈴の音が鳴って、今度は家の人が返事をした。
『はい、どちら様?』
「すみません、私、有馬菜々さんの友達でリリアン学園の島津由乃と申します」
 由乃さまの対応はどこまでも直球だった。
『え……』
 でも、それに対して、なにやら微妙な返事が返ってきた。

 結局、菜々ちゃんは居ないとのことだった。
 何処に行ったのか、連絡先を教えてくれるように頼むと、少し待つように言われた。
 そして、しばらくすると女の子が三人、対応に出てきたが、彼女らは挙動不審もいいところだった。
「どちら様?」
 三人の中で一番年長と思われる子――といっても由乃さまより二つ三つ年上っぽかった――が、訝しげにそう言った。
「だから、菜々さんの友人で……」
「あなた、高等部でしょ? 二年松組、剣道部所属の島津由乃さん」
「……そこまで知ってるなら、『どちら様』じゃないでしょ?」
 っと、由乃さま、タメ口になってますよ。
「これは失礼。でも中等部と高等部は交流無いはずよ。どうして菜々と知り合いなの?」
「剣道の交流試合のとき知り合ったのよ。そんなことどうでもいいでしょ? 菜々は何処にいるの?」
「由乃さま、そんな喧嘩腰じゃ……」
 彼女のいきなり人を馬鹿にしたような態度も態度だけど、乃梨子は完全に対決モードに移行してしまった由乃さまを抑えるべく口を挟んだ。
「そちらは?」
「二条です。リリアン高等部一年生の」
「二条さん?」
 乃梨子の名前を聞いた彼女と、それを聞いていた後ろの二人が、何故か微妙に表情を変えた。
 後ろの一人が応対していた彼女の肩をつつき、彼女は振り返って、三人で顔を寄せて何か内緒話を始めた。
 明瞭ではないが『二条乃梨子』がどうのと言っているのが漏れ聞こえてくる。
 ちらちらと乃梨子の方に視線を向けながら、目の前でそんなことをされるのは不愉快と同時に、不気味でもあった。
「ちょっと、結局、菜々とは連絡取れないの?」
「由乃さま、一応こちらが訪問者なんですから……」
 話は終わったようで、彼女は再びこちらを向いて言った。
「どうも失礼いたしました。折角来ていただいた所、申し訳ありません、ただいま菜々は出かけておりまして、いつ戻るのかは聞いておりません」
「は、はぁ……」
 さっきと打って変わって馬鹿丁寧な言い方に毒気を抜かれて、由乃さまはそんな間が抜けた返事をした。
「戻りましたら連絡をするように伝えますので、今日の所は、お引取り願えますか?」
「まあ、そういうことなら仕方ないわね……じゃ、乃梨子ちゃん帰るわよ」
「あ、はい……」
 と返事をしつつ、乃梨子はまだ偉そうな態度の由乃さまの背中をつついた。
「なに?」
 そして、田中家の娘達に向かって、
「夜分遅く失礼しました」
 そう言って頭を下げた。
 いくら失礼な態度をされたからといって、礼節を欠かすのはリリアン生としてあるまじき失態なのでは?
 と思ったのだけど、生粋のリリアンっ子の筈の由乃さまが、受験組の乃梨子に注意されるあたり、お嬢様学校リリアンといえど中の生徒は人それぞれってことなのだろう。
 一応、由乃さまも頭を下げ、そして二人は有馬・田中邸を後にした。
 自転車を押して歩き、門から十数メートル離れたところで自転車に乗ろうとして、一回振り返ったらまだ田中姉妹の影が中からの明かりに浮かび上がっていた。
 暗くて顔は良く見えなかったけど、その視線が二人ではなく乃梨子だけに向けられているような気がして薄気味悪かった。



 由乃さまには何か判ったら連絡してくれるようにお願いして、N駅前で別れた。
 そして、家に帰って乃梨子は朝姫さんの携帯に電話をした。
『……田中?』
「はい。太仲の田中姉妹って剣道で有名らしいんですけど、菜々ちゃんは、その四姉妹の末っ子で、お祖父さんの養子になったから苗字が違うんだそうです」
『待って、その田中さんって、確か小寓寺の檀家じゃない?』
「えっ?」
『何処で聞いたか忘れたんだけど、確か剣道の話題からそんな話になって……』
「じゃあ菜々ちゃんも?」
『さあ、そこまでは。でも……』
 そして、朝姫さんは声のトーンを落として言った。
『……菜々ちゃん、もう駄目かも』
「……」
 乃梨子は言葉を返せなかった。



  †



 翌日、登校してすぐ、薔薇の館で由乃さまから菜々ちゃんが学校に来ていないことを聞いた。
 由乃さまがどうやったのか担任の先生に確認した所によると、熱があるから休むと連絡があったそうだ。
 昨日のことは取り越し苦労だったってこと?
 熱ってことなら由乃さまを誘ってお見舞いに行ってみようか? などと思ったが、由乃さまには「放課後部活で遅くなるから行けない」と言われた。

 『来てない』と言えば、今日は志摩子さんの姿も見えなかった。
「お休みですか?」
「うん、昨日に引き続いて、家の用事なんだって。志摩子さん、仕事の心配して私に連絡してくれたんだ」
「そうでしたか……」
「なんだか今、志摩子さんの家忙しいみたい。志摩子さん白薔薇さまもやってるのに大変だよね」
 『家の用事』か。

 ――志摩子は今でも家の用事って言って時々学校を休むでしょ?

 今までもそういうことはあったが、理由を知ってしまったことで志摩子さんが疎遠に感じられて、なんだか寂しかった。


 結局、三年生も今日は薔薇の館に姿を見せず、放課後は祐巳さまと二人きりだった。
 由乃さまは今日は部活だ。
「……今日は帰っちゃおうか?」
 昨日は祥子さまが落ち込んでいるのに何も出来ないと、一緒に落ち込んでいた祐巳さまも、今日はだいぶ落ち着いていた。
「そうですね。急ぐ仕事も無いですし……」
「ああ、そういえば乃梨子ちゃんと二人になるのってちょっと珍しいかも」
 祐巳さまが復活したのは、もしかしたら、祥子さまと何か話をした結果なのかもしれないけど、乃梨子には知りようが無かった。
 だから乃梨子は、また祐巳さまを落ち込ませてしまいかねない話題は避け、調子を合わせるように明るく振舞っていた。
 二人で簡単に片付けをして、戸締りをし、薔薇の館を出た。
 そのあと下足室で一旦別れて校舎の外でまた合流し、今はゆっくりと銀杏並木を校門に向かって歩いるところだ。
「……それにしても、乃梨子ちゃん、つぼみらしくなったよね」
「そうですか?」
「うん、だって、私や由乃さんと肩を並べてるのがぜんぜん違和感無いし」
「一応、褒め言葉に取っておきますね」
「えー、ほめてるんだよ?」
「でも、来年度は祐巳さま薔薇さまですよ? 肩を並べてちゃ駄目なんじゃないですか?」
「あはは、言われちゃったね」
 志摩子さんがしっかりしすぎているというのもあるのだろうけど。
 三年生の薔薇様に囲まれて一人だけ二年生で薔薇さまだった志摩子さんは、それでも三年生が普通に出てくる頃はどちらかというと控えめだったけど、受験等で三年生があまり出てこなくなってからの志摩子さんの働きには目を見張るものがあった。
 今にして思うと、頭首としての教育の賜物なのかも知れない。

 並木道もマリア様のお庭に至って、二人で並んで手を合わせた後、祐巳さまが何気なく言った。
「ねえ、乃梨子ちゃん」
「なんでしょう?」
「私は乃梨子ちゃんの味方だからね?」
「どういう意味でしょうか?」
 いきなり味方といわれても。
 山百合会関係では現在対立した問題などないし。
「私は乃梨子ちゃんが悪くないってちゃんと知ってるから」
「え?」
 『悪くない』って? 『知ってる』って?
「だから元気出して?」
「あ、あの……」
 祐巳さまが、乃梨子を労わっていることは判る。
 でも、何を指して『悪くない』と言っているのか?
 祐巳さまは何を『知ってる』というのか?
 それを考えると素直に喜べないばかりか、その言葉に不気味な響きすら感じた。
 乃梨子は祐巳さまに問いただそうかどうか迷っていた。
 その様子を見た祐巳さまはなにを勘違いしたのかこう言った。
「もしかして、私や志摩子さんまで居なくなっちゃうとか思ってない?」
「え? そんなことは……」
 どうだろう?
「大丈夫だから。私は絶対いなくならないよ。志摩子さんだって由乃さんだって絶対」
「絶対だなんて、……どうして絶対なんて言えるんですか?」
 でも、祐巳さまの答えは聞くことが出来なかった。
「あれ? あれって……」
 校門を出た所で、祐巳さまが何か見つけたように声をあげたからだ。
「聖さま?」
 見まごうはずも無い、校門のそばに車を停めて、歩道のところで人を待つように佇んでいたのは、元白薔薇さま、志摩子さんのお姉さまたる佐藤聖さまだった。
 聖さまはこちらに気づいて手を振っていた。

「やあ、祐巳ちゃんに乃梨子ちゃん」
 祐巳さまは小走りに聖さまに駆け寄って、言った。
「どうしたんですか? 自動車、買い替えたんですか?」
 聖さまの傍には、四ドアの濃いグレーの乗用車があった。確か以前に見たときは黄色い軽乗用車だった気がする。
 それにしても、祐巳さまの関心ごとは、何故「どうしてここに?」じゃないのだろう?
 聖さまはそんな祐巳さまに微笑みながら答えて言った。
「ううん、これは代車。いま修理に出してるの」
「修理? 事故ですか?」
「そんなとこ。私はあっちの方が可愛いから早く直ってほしいんだけど」
 ぶつけたのかな?
 聖さまの運転技術がどの位だったかいまひとつ記憶に無い。
 乃梨子がそんなことを考えていると、
「ところで、乃梨子ちゃん」
 そういって聖さまは車の後ろのドアを開けた。車に乗れということらしい。
「私を何処かに連れて行くんですか?」
「ううん、お話があるだけ。立ち話するのもアレだから、中で話しましょうってことよ」
「……えーと?」
 唐突にカヤの外にされてしまった祐巳さまが困っていた。
「祐巳ちゃん、ごめんね、今日はデート出来ないの」
「で、でえと? いえ、私はそんな……」
 なにやら祐巳さま慌ててる。
「祐巳さま、そういうことらしいのでここで」
「あ、そう? じゃあ、ごきげんよう、また明日ね?」
「ごきげんよう」
「じゃーねー? 今度デートしようね?」
「し、しませんよ!」
 短い間に面白い程いろんな表情を見せて祐巳さまは去って行った。

「やっぱり祐巳ちゃんは最高よね」
 聖さまは運転席に乗り込みながらそんなことを言った。
「……それで、話って何ですか? というか知ってるんですよね?」
「知っている? 何の話?」
「事件です」
「『事件』ね。……事件といっても、最近いろいろありすぎて、何の事件やら」
「全部ですよ」
「全部……?」
 聖さまは車のハンドルの上に両手を置いて、少し考えてから話を続けた。
「……そうね、江利子と山辺さんは非公開で今も捜査中。聞いた所ではさっぱりみたいね。蓉子は足取りだけは掴めたみたいだけど、まだ見つかっていないわ。それから有馬菜々って娘も目下捜索中で……」
 乃梨子は思わず口を挟んだ。
「菜々ちゃん、やっぱり居なくなってたんですね?」
 『熱で休み』というのは秘匿捜査のための嘘だったらしい。
「やっぱりって?」
「あ、いえ、由乃さまが……」
 失言だと思ったが、『乃梨子が話したから居なくなった』とかいう話は、非常に説明しづらい。
 とにかく話題を変えないと、と思い、乃梨子はこの前、聖さまと話して以来気になっていたことを聞いた。
「それより、どうしてそんなにお詳しいんですか?」
「私の知り合いに警察関係者が居てね、私は江利子の関係者だから捜査に協力してるのよ」
 警察関係者?
 だとすると、いずれ乃梨子の所にも警察の人が話を聞きに来るのか?
「聖さまは参考人ですか?」
「それもあるけど、私は犯人じゃないわよ?」
「そんなことは言ってません。蓉子さまの足取りが掴めたって言いましたね」
「ああ、蓉子ね。蓉子は御祓いのお祭りに来てたみたいよ」
「え?」
「以前から小寓寺のあのお祭りには興味があったみたいで江利子と一緒に調べていたらしいの。それで、当日は話が出来なかったからって翌日、居なくなった日ね、蓉子はまた小寓寺に赴いているわ」
「小寓寺に……?」
「蓉子はその日大学には行かないで朝早く出かけたの。家の人にはちゃんと『小寓寺へ行く』って言ってね。でもまっすぐ向かわずに午前中は郊外のある婦人科の医院に立ち寄ってる。ああ、婦人科って言っても誤解しないでね。最近蓉子便秘で悩んでたのよ」
「便秘、ですか?」
「恥ずかしいから確実に女医さんに診てもらえる婦人科を選んだらしいわ。家の人に言わなかったのも恥ずかしかったからね」
「でも、病院なんて……」
 そんなに重かったのだろうか?
「ほら、ちょっと前に便秘で死亡ってニュースあったじゃない?」
「ああ、それで心配になって病院へ?」
 そういえばそんな記事をインターネットで見た覚えがある。
「そう。で、話を戻すけど、その後、小寓寺に向かう電車が車両故障で大幅に遅れて、着いたのは午後の三時ごろ。そこで志摩子のお父さんに会って、結構長く話をしたみたいね、なんか親父さんが古い資料を持ち出して遅くまで調べていたそうよ。それの後、夕飯まで頂いてから帰ったって話だけど、その後の足取りはぷっつりと途絶えているの」
「じゃあ、居なくなったのは?」
 ここで乃梨子は奇妙な違和感を感じた。
「そうね。帰りの電車に乗っている最中に何者かに連れ去られたか……乃梨子ちゃん?」
 おかしい。
 じゃあ、朝姫さんはいつ蓉子さまに相談を持ちかけたんだ?
 その日は夜に朝姫さんから電話が掛かってきた。
 その時、江利子さまと山辺さんが死んだって聞いたのだ。
 志摩子さんの家の夕飯って何時頃?
 朝姫さんが相談したのは、その後ってこと?
「なにか気になることでもあるの?」
「あの、蓉子さまが志摩子さんの家を出たのって何時頃かわかりますか?」
「夕飯の後も少し居たみたいね。遅くなったら危ないからって帰らせたそうだから、7時か8時位かしら?」
 朝姫さんが江利子さまと山辺さんの死を知ったのは祭りの翌日の朝だ。
 蓉子さまは朝から家の人にも言わないで婦人科の医院に行って、その後小寓寺に向かっている。
 昼間、朝姫さんが蓉子さまに相談することは不可能だ。
 聖さまの話通りなら、蓉子さまが帰ったのは早くても午後8時。
 朝姫さんは相談した直後いなくなったって言ってた。
 その話からすれば本当に失踪直前。警察も掴んでいない足取りの中で会っていたことになる。
「警察は別に乃梨子ちゃんが犯人だなんって思っていないわよ?」
「え? は、はい」
 乃梨子が長いこと沈黙するものだから、不安がってると思ったようだ。
 聖さまは続けて言った。
「乃梨子ちゃん達四人があの日、神社の祭具殿に入ったってことは私も知ってるわ。翌日にはもう檀家さんの間で噂になってたから」
 ――え?
 『誰かが見てた』とかじゃなくて噂にまで?
「それ自体は不法侵入で罪に問われることだけど、そんなことより問題なのは、あの中に何があったかってこと。忍び込んだ人間が次々に犠牲になるようなヤバイ何かが」
 バックミラー越しに聖さまの目が乃梨子の方を見た。
 このミラー、どういうわけか運転席から後部座席の人の顔が見える角度にしてある。
「……神社で祭っている神様の神像と、古い農具や家畜の解体道具みたいなものがありましたけど」
「それだけ?」
「ええ、古いといっても、それこそ考古学的価値があるんじゃないかって感じの」
「口封じをされるような、とんでもない物が隠してあったんじゃないの?」
「いいえ。本当に他には何も……」
「ふうん、じゃあ、乃梨子ちゃんだけが見ていない、何かがあったってことかしら?」
「ええ?」
「あのね、警察の人が知りたがっているのは、あの祭具殿に入った三人までが被害にあって、あなただけが無事だった。そこにどんな違いがあるのかってことなのよ」
「え? ちょっと待ってください!」
 乃梨子は身を乗り出して言った。
「『あなただけは』って、『三人までが』って……?」
「警察はあなたに直接尋問したいって言ってたわ。でも、私がお願いして間に入らせて貰ったのよ。あの人たちは強引だから、下手したら乃梨子ちゃんが犯人にされかねないしね」
「いえ、そうではなくて、被害にあったって、江利子さまと山辺さんと……」
 そこで、聖さまは体を捩って乃梨子に顔を向け。言った。
「……江利子と山辺さんは死に、朝姫ちゃんは失踪した。乃梨子ちゃん、あなただけが今日まで無事に過ごしてるのよ」
 ええっ!?
「あ、朝姫さんが失踪!?」



  †



 夜――。

 同居人はまた不在だった。
 乃梨子は応接室のソファの上で膝を抱えて、額を膝につけるようにして蹲っていた。

 『江利子と山辺さんは死に、朝姫ちゃんは失踪した』
 ――じゃあ、昨日電話で話したのは?
 『朝姫ちゃんは失踪した』
 ――一昨日の夜も話をした。
 『失踪した』
 ――。

 不意に電話の呼出音が鳴り響いた。
 乃梨子は顔を上げた。
 そして、ゆっくりとソファを降り、電話機の前に行った。
 緊張に、受話器を取る手が震える。
 乃梨子は慎重に受話器を耳に当てた。先方はまだ何も言わない。
「はい、もしもし」
 一瞬の沈黙。
『……あ、乃梨子ちゃん? 朝姫です』
 志摩子さんと良く似た声質の、甲高い朝姫さんの声が耳に響いた。
 乃梨子は気を落ち着かせて、昨日話したことを思い出して、言った。
「……あの、菜々ちゃんの件だけど」
『うん、あの後、どうなったの? 見つかったの?』
「……警察が、捜索中だって」
『やっぱり、居なくなっちゃったんだ……』
「うん」
『あの、乃梨子ちゃん、気を落とさないでね……』
 弱々しい声の後、泣いているような、しゃくり上げるような嗚咽が聞こえてきた。
 普通ならば、自分のせいで人が消えて、更に自分も狙われているのではないかという恐怖から、心細くて泣いているんだって思うだろう。
 でも、この受話器の向こうのこの人が、完璧に朝姫さんであればあるほど、恐ろしさが募っていく。
 この人は朝姫さんじゃない。
 こいつは誰だ?
 乃梨子は言った。
「い、いつ、……いつ打ち明けたの?」
『え?』
「蓉子さまは、あの日朝早く出かけた。小寓寺に行くって言って」
『それが、なに?』
「朝姫さんは蓉子さまが便秘で悩んでいたことは知ってる?」
『う、うん、食事療法で好きなものが食べられないって言ってたからそのことだと思う』
「じゃあ、病院にかかったのは?」
『いよいよだったら病院に行くとか言ってたわ』
「じゃ、どこの病院かは?」
『ごめんなさい、そこまでは知らないわ……』
「そう」
『でも、乃梨子ちゃん、それがいったいなんなの……?』
 朝姫さんは病院を知らない。
 ということは、蓉子さまの行った病院に押しかけるか、その前後で捕まえて打ち明けるなんてことは不可能だ。
 そしてそのまま蓉子さまは小寓寺に向かった。
 朝姫さんが小寓寺に行ったのでなければ、蓉子さまが朝姫さんの打ち明け話を聞く機会は無いはず。
「……朝姫さんはいつ蓉子さまに打ち明けたの?」
『乃梨子ちゃん、どうしてそんなことを?』
「朝に蓉子さまを捕まえるのは無理だ。……朝姫さんは小寓寺に行ってたの? でもそれはあり得ない」
 あそこは真っ当なお寺とはいうものの、魅祓神社のことを考えれば確実に藤堂本家のお膝元だ。
 そんなところに今の朝姫さんが近づくわけがない。
 それに。
「だって、朝姫さんは……」
 そんなことより、
「朝姫さんは、」

 そう――。

「――藤沢朝姫は魅祓いの日の翌日失踪したのよ!!」

『……っ、』
 受話器の向こうからは、すすり泣く声。
「お願いよ、朝姫さん、私の言ってることが間違ってるならそう言って!」
『……』
「朝姫さん、お願いだから!」
『……』
「ねえ、朝姫さんっ!」
 受話器のスピーカーからは絶え間なく嗚咽が聞こえていた。
「……朝姫さんは蓉子さまに会っていないよね? もし会っているとしたら、蓉子さまが志摩子さんの家から帰った後だ。つまり、失踪する直前、もしくは、失踪した後しかあり得ないのよっ!」

『……っ、……ぅっ』

 聞こえてきたのは息が漏れるような声。


(なに?)










『……ふふっ』















『ふはははははっ、あはははははっ! あははははははははははは! あははははははははははははははははははははは! あははははははははははははははははははははは! あははははははははははははははははははははは!』

 そして、狂気を思わせるけたたましい笑い声――。














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