乃梨子編【No:2162】【No:2165】【No:2168】【No:2173】
『後味悪い』朝姫編:序章/『志摩子のそっくりさん』第三章の1
そっくりさんの方は読んでなくても判ると思います。オリキャラ視点ですのでマリみてキャラ以外読みたくない方はご注意ください。
「朝姫(あさひ)ちゃん! 朝姫ちゃんよね、あなた」
「え?」
街中で声をかけられるこのパターンは、以前もあった気がした。
「私よ。わ・た・し」
とある日曜日、朝姫がK駅の繁華街をひとりで歩いていたのは、会う約束だった友人との約束が流れたせいだった。
その友人とは、最近何かと関わりのあるリリアンの人たちではなく、朝姫の通う“坂女”の方の悪友の一人。
美容師志望で、朝姫の髪型を志摩子さんと同じにしてくれたクラスメイトだ。
これは志摩子さんと知り合った後で知ったことだが、その美容師志望の彼女は、朝姫の髪をいじる前に志摩子さんを見たことがあったそうだ。
いくら顔がそっくりといっても髪型まで同じなんて話が出来すぎてると思っていたのだけど、それを聞いて朝姫は納得したものだった。
今日はその美容師の練習台になるために彼女の家に行くはずだったのだ。
その彼女から「都合が悪くなった」と連絡を受けたのは待ち合わせの駅へ向かう電車の中のことだった。
ここまで来たのにそれはないでしょう、と思ったが、余程の事なのであろう、必ず埋め合わせはするから今日のところは許してほしいと言ってきた。
そして、電話を切ってから、どうしたものかと思っていた時、『次はK駅』と知らせる車内アナウンスが聞こえてきたのだ。
直線距離でリリアンに近いとはいえ、坂女に通う学生達は皆、私鉄の駅を利用する。例に違わず朝姫も私鉄で通学しているので、あまりK駅には来たことが無かった。
とはいえ、朝姫は隣接して大きな公園もあるこの駅は一度ゆっくり散策してみたいと思っていたのだ。
だから、友人との約束が不意に無くなってしまった今、電車を降りない理由は無かった。
「……江利子さん?」
「そーよ」
朝姫の目の前には、全開にした額が眩しい江利子さんが居た。
この人とは、一度会ったことがあった。
乃梨子ちゃんや志摩子さんと出会ってから、この『元黄薔薇さま』と呼ばれる人物と会うまでの経緯は、とても長くなってしまうのでここでは割愛するしかないのだけど、とにかく、そのとき、志摩子さんとそっくりな朝姫のことを痛く気に入った様子だったのが、この江利子さんだった。
「暇でしょ? 暇なら付き合いなさいよ」
江利子さんは、いきなりそんなことを言い出した。
朝姫の都合なんてお構いなしだ。
「え、まあ、良いですけど……丁度暇だったし」
朝姫はそう答えた。
折角の天気のよい休日に、こんな賑やかな所で一日中一人寂しくショッピングをすることに比べたら、予期せぬ江利子女史との出会いはとても喜ばしいことであるはずだった。
「あー、貴方が女神に見えるわぁ〜」
「はぁ」
なにが嬉しいのか、江利子さんは妙にハイテンションだった。
こういうときは先に舞い上がった方が勝ちである。
「もー、暇で退屈で死にそうだったのよ。あなたは命の恩人よ!」
なんだか必要以上に喜んでるように見える江利子さんに、朝姫はちょっと引き気味だった。
「ええと、江利子さんも良くここに来るんですか?」
「聞いてよ、実はね……」
話を聞くと、江利子さんも約束を反故にされて仕方なくここらへんをぶらついていたんだそうだ。
結局、人が暇や退屈で死ねるかどうかはともかく、暇な者同士、今日一日仲良く暇つぶししましょうってことになった。
朝姫は江利子さんと近くの喫茶店に入った。
「でさ、早速だけど」
「はい?」
「志摩子とはいつどうやって知り合ったの?」
いきなりその話題だった。
まあ、志摩子さんの関係者なら興味の中心はそっちになることは予想できたのだけど。
「えーと、最初、乃梨子さんと偶然会って。知ってますよね、乃梨子さん」
暇つぶしってことなのでざっくばらんに話をした。
「乃梨子ちゃん? 志摩子の妹ね」
「そうそれ、最初、その乃梨子ちゃんと都内の本屋で偶然出会ったんですよ。その時なんかすごい驚かれちゃて、私何でそんなに驚くのか不思議に思って……」
時間もあることだし、聞かれるままに、朝姫がテレビに写ってたのがリリアンで問題になりそうになった話や、志摩子さんがお友達と一緒に朝姫の通う高校にやって来た話などを話した。
そして話が一段落したところで江利子さんは言った。
「一番聞きたかったことなんだけど、あなたって志摩子と血縁?」
「さあ?」
「さあって、判らないの?」
「うん、知らないし」
「父親か母親が藤堂家と親戚とかないの?」
「わかんないよ。あと父親はいないわ」
朝姫があっさりとそう言うと、江利子さんはちょっとだけ気まずそうな顔をして言った。
「あ、ごめん……」
「べつに良いけど」
「いいの?」
「うん、気にしないし」
「じゃあ、聞くけど、いつから居ないの?」
おっと。
普通はここでこの話題は避けるんだけど、ストレートに聞いてきた人は初めてだ。
その方が朝姫としては話しやすいのだけど。
「父親は記憶に無いわ。物心ついたときから居なかったみたい」
「未婚の母か離婚か死別か」
「わかんない」
「全然知らないのね」
「うん。そのへんはさっぱり」
父親のことは昔、小学生の頃だと思うが、一度母親に聞いたことがあった。
そのとき母がとても悲しそうな顔をしたことを覚えている。
それ以来、朝姫は父親の話を母の前ですることは避けてきた。それは意識的にも、無意識的にも。
「そうか……」
なんだろう?
江利子さんは考え込んでしまった。
「江利子さん?」
「あのさ、調べてみない?」
「はあ? 調べるって何を?」
「父親の名前」
「どうやって?」
「そんなの戸籍を見れば判るでしょ?」
「わざわざ戸籍を見ようなんて思わなかったわ」
思えば受験の時、その手の書類を用意したのは母だった。確か封筒に入っていてその中身は朝姫の目に触れていない。
「じゃあ、見てこない?」
「え?」
いきなりアグレッシブというか、何と言うか。
でも、それを聞いて朝姫は、今の自分が父親に関してそれほどタブー視してしないことに気付いた。
江利子の提案にさほど抵抗を感じない、いやむしろ興味が湧いてきたのだ。
「日曜はお役所休みでしょ?」
「ばかね、見てくるのは平日に決まってるでしょ」
そういうわけで、次は平日の放課後に会う約束をした。
といっても、まだまだ時間はあるので、そのあと一緒に映画を見たり買い物をしたりしたのだけど。
†
この人は暇人だ。
数日後、朝姫は校門前で待っていた江利子さんを見てそう思った。
まあ、約束はしていたわけなのだけど、本気で江利子さんは朝姫の本籍地の役所まで行くつもりらしい。
もっとも朝姫の本籍地は都内でそんな遠くないのだけど。
そして。
「……知って驚く意外な事実?」
父親の欄は空白だった。 いわゆる非嫡出子ってやつだ。
「あんまりショックじゃなさそう」
「そりゃ、実際父親いないし」
実は朝姫はむしろほっとしていた。
やはり興味が湧いたといっても、なにやら意味深な父親の名前が出てきても困ってしまうし、知ることでもしかしたら母親との『友達同士のような気兼ねの無い関係』が崩れてしまうのではないかという不安も多少なりとはあったのだ。
でも書いてなければ知りようも無い。
「それはそうと江利子さんも遠慮ないのね」
「私は自分の好奇心に忠実なのよ」
「それはそれは」
「それに貴方みたいなタイプなら変に気を遣うより、聞きたいことは堂々と聞いた方が良いと思ったから」
「いい判断ね」
「当然」
なんか江利子さんは偉そうだった。
しかし、堂々と聞くばかりか、役所まで行って確認してしまうのはいかがなものか。
江利子さんは言った。
「あとは志摩子の方ね」
「え? 志摩子さん?」
「そうよ。志摩子の親父さんがあなたの父親って可能性あるし」
「えーっ、アレが?」
「あら、会ったことあるの?」
「この間泊まって来たから」
そういえば、先日志摩子さんの家でお泊りして来たことまでは話していなかった。
江利子さんは興味津々に聞いてきた。
「じゃあ、志摩子の両親に会ったんだ?」
「うん」
「どうだった?」
「濃い親父だったわ」
「濃い? お坊さんよね?」
「うん、なかなか個性的(ユニーク)」
「ふうん、見たことあったかしら……」
なにやら、江利子さん、こちらにも興味ありそうな気配。
「……お母さんは志摩子さんに似てたかな」
朝姫がそう言うと、江利子さんは言った。
「そう。貴方はどうなの? 貴方の母親と志摩子の母親どっちに似てる?」
「あー、そういうこと言って私がそれで思い悩んじゃったらどうするの?」
『実は本当の母親はあの人だった』っていう物語の主人公にありがちな悩みだ。
江利子さんは即答で聞き返してきた。
「悩むの?」
「悩まないけど」
朝姫も即答した。残念ながら朝姫はそういうことで悩むほどナイーブな感性は持ち合わせて居ない。
「じゃ、いいじゃない」
あっさりそう言われて、なにやら黒いものがふつふつと湧き上がってくる気がするのは気のせいであろうか?
「とりあえず、お母さんとは性格とか雰囲気がそっくりって言われたことがあるわ」
そういうわけで、江利子さんは志摩子さんも巻き込んだ。
「これから行くから待ってなさい」と志摩子さんに電話したのだ。学校に電話して呼び出してもらって。
なんかものすごく強引だ。
それに応じちゃう志摩子さんも志摩子さんなんだけど。
そして『呼び出すならここでしょ』と江利子さんが選んだリリアン大学部の喫茶室に、志摩子さんは制服姿で現れた。
会って早々に志摩子さんに「何で応じちゃうかな」って聞いたら、「だって、朝姫さんが居るっていうから」だそうだ。
江利子さんは、朝姫と志摩子さんが並んだのを見てまず言った。
「あんたたち本当に他人?」
「他人に見えませんか」
「だってねぇ……」
江利子さんが言うには、『他人の空似』だったらどんなに似てても並べてみれば違うんだそうだ。
そして早速の江利子さんの「本当に両親の娘か」という質問に、志摩子さんは答えた。
「お父さまとは本当に親子なのか悩んだこともあります。でも、ちゃんと親子ですよ」
「戸籍も見たの?」
「ええ、一度お父さまに聞いたことがあって、そのときに戸籍の写しを見せてもらいました」
「ふむ……」
江利子さんはそう言って、先日と同じように考え込んだ。
「江利子さま?」
そう、リリアンの人は先輩のこと名前に『さま』付けで呼ぶのだ。
志摩子さんが江利子さんを『江利子さま』って呼ぶのを聞いて「このアグレッシブな人もリリアン人なんだなー」と、朝姫は認識を新たにしたものだった。
にしても。
「なんか、また変なこと考えてる?」
「つまんないわね」
江利子さんは本当に表情がつまらなそうな顔をした。
額の輝きも3割ダウン(当社比)だ。
「……退屈しのぎにされる方の身にもなってよ」
「あら、志摩子は楽しそうだけど」
「そうなの?」
と朝姫が聞くと、
「え? いえ、私は朝姫さんにまた会えたから」
そっちか。
いや、そう言ってもらえるのは嬉しいのだけど。
そんな会話を朝姫が志摩子さんとしている間、江利子さんは飲み干してしまった自販機コーヒーの紙コップをもてあそんでいた。
ちなみに、ここは『喫茶室』とはいうものの自販機とテーブルがあるだけのセルフサービスだったりする。
江利子さんは言った。
「これ以上やって波風立てるのもアレよね」
「波風? 私の父親があの志摩子さんの親父さんってアレ?」
「そうよ」
「でも戸籍が違うじゃない」
「出生届けさえ受理されれば戸籍なんてどうとでもなるのよ」
「そういうものなんだ」
「でもこれ以上はDNA鑑定でもしない限り無理かしらね」
「DNA鑑定?」
「そうよ。子供の認知とかで法的に効力があるアレよ」
「なんか話が大きくなってきたような」
「うーん、鑑定ならコネが無いことも無いのよね。でも下手にやったら薮蛇だから……」
「親を巻き込んでまでそんなこと出来ないでしょ?」
「さすがにね。 好奇心で出来る範囲を超えちゃうわ」
興味が無いことは無いんだけど、戸籍調査がぎりぎりって気がする。
いくら興味があってもこれで江利子さんはこの件から手を引くだろう。
志摩子さんのお父さんが実の父親なのかもしれない。
朝姫はそのへんの実感がさっぱり湧かなかった。
志摩子さんと姉妹かも知れない、ってのはすごく面白そうで興味を引くことではあるのだけど。
「そうだ、志摩子さん」
朝姫は、泊まりに行って以来ちょっと久しぶりだった志摩子さんに言った。
「はい?」
「今度は私の家に招待しないと」
「あら、それは楽しみだわ」
思えばこの朝姫の提案から始まったのだ。
いやもしかしたら、あの日、書店で乃梨子ちゃんに会ったときからその運命は既に決められていたのかもしれない。
† †
朝姫の家でのお泊り会は恙無く執り行われる運びとなった。
当日は、とある駅の近くで志摩子さんと待ち合わせて、一緒に朝姫の家へ向かった。
その道中、乗換えのターミナル駅で朝姫は悪戯を思いついた。
「ねえ、志摩子さん、ちょっと寄っていこ?」
「えっと、どちらまで?」
「うーんと、場所より、そこですることの方が大事なの」
「はい?」
というわけで、一旦改札から出て駅ビルに寄り、あるところであることをした。
そして、朝姫の住む家のある二階建てのアパートの前に到着した。
朝姫は志摩子さんに言った。
「ごめん、買い物頼まれてたの忘れてたから。先行ってて。鍵、これだから」
「え!? でも……このままじゃ」
「大丈夫よ。友達が泊まりに来るってちゃんと言ってあるし、お母さんはこういう冗談通じる人だから」
「そうですか?」
「どういう反応だったか後で聞かせて」
そう言って朝姫は、階段の所で志摩子さんに家の鍵を渡し、道を引き返して一旦見えないところに隠れた。
そして、階段を上って行った音を確認してからまた戻ってきた。
(あー、階段上る時は鞄で隠さないと……)
などと、一瞬、志摩子さんのパンツを目撃しながら、見つからないように朝姫はあとをつけた。
そう、実は悪戯とは服を交換することだった。
先ほど駅ビルのトイレに寄った時、志摩子さんの制服と朝姫の制服を交換したのだ。
これだけ良く似ている朝姫と志摩子さん、これで母が志摩子さんと朝姫を間違えたら、笑ってやるつもりだった。
実に朝姫とその母親はそんな関係だった。
朝姫はブレザーとミニスカートの制服に身を包んだ志摩子さんが家のドアの中に入ったのを確認してからドアの前に駆け寄った。
そしてドアポストを押して隙間を空けて耳を寄せ、中の様子を伺った。
ちなみに志摩子さんは朝姫の悪戯にはちゃんと乗ってくれていた。その証拠に、朝姫の振りをしているのに呼び鈴を鳴らすなんていうボケはしなかった。
「朝姫、帰ったのー?」
母の声が聞こえた。
普段、帰りが遅い母もこの週末は朝姫より早く帰っていることは確認済みだ。
そんな日に志摩子さんを家に呼べたのは幸運としか言いようがない。
「あ、はい……その……」
志摩子さんは困っているようだ。
家の中を歩く足音が近づいてきた。
母が玄関に来たようだ。
「どうしたのよ? 具合でも悪いの?」
「あ、いえ、『ただいま帰りました』」
志摩子さんのその声の後、一拍おいてゴトッという音が聞こえて来た。
母が、レードルか何か、持っていた物を取り落としたのだろう。
そのあとたっぷりの空白の時間があり、恐る恐るという感じで志摩子さんの声が聞こえた。
「あ、あの……『お母様』?」
志摩子さんはやってくれる。ちなみに朝姫は普段は『お母さん』だ。
(これは、予想以上に面白いかも)
次の瞬間、今度はがしゃんと皿でも割ったような音がした。
「ああっ! 大変……」
志摩子さんが慌てて靴を脱いで上がったのだろう。そんな音が聞こえて、ちょっとしてから、
「……あ、朝姫?」
「あの、踏まれたら危ないですから……」
「朝姫っ! ちょっと何か悪いものでも食べたのね!?」
「あっ、あのっ!」
「気を確かにしなさい! あれほど『拾い食いはするな』って言い聞かせたのにあんたって子は!」
動転しているとはいえ、失礼な物言いの母に憤慨しつつ朝姫が登場するタイミングを計っていると、
「……痛っ!」
と、母の声のあと、ドン、ガタガタとなにやら転んだらしい音がした。
「ああっ! 動かないでください! 足、切ってます! 今、手当てをしますから!」
(げっ、ちょっとやりすぎた……)
流石に朝姫も母に怪我までさせるつもりは無かったので焦った。
朝姫は玄関のドアを開けて中に入った。
玄関の先の廊下では、手前に志摩子さんが背中を見せて座り込んでいて、その傍らに割れた皿の破片と炒飯らしき物が散らばっていた。
母はその向こうの台所に居るらしく姿は見えない。
「志摩子さん!」
「あ、朝姫さん、あの、救急箱は何処にありますか?」
「待って、取ってくる!」
救急箱はダイニングとリビングの間の棚の上。
朝姫は志摩子さんを跨ぐようにして救急箱を取りに台所に入った。
そこに母は尻餅をつくようにして座り込んでいた。
志摩子さんは母の足を見ている。
破片で切ったのだろう。心配だったけど、手当ての道具がないことには話にならないので母がすごい顔で朝姫の方を見ているのはとりあえず置いといて、救急箱のある場所へ急いだ。
朝姫と並んで志摩子さんが傷の応急手当をしている間も母はぽかんとその様子を眺めていた。
幸い傷は小さく浅く、血もすぐに止まった。
志摩子さんは後で医者に見せた方が良いと言ったが、とりあえず絆創膏だけも良さそうな感じ。
でも、手当てが終わって、朝姫が母の方を向いて、
「あの、ごめんなさい。怪我しちゃうなんて思ってなくて」
というと、何故か母はびくっと反応して、それから、何か言おうと口を開いた。
「……」
でも言葉が出ない。
というか、その、ホラー映画のやられ役のような表情はなんなのだ?
「あ、あの、すみません私……」
と、志摩子さんが喋りだすと、お尻を滑らせてバタバタと流しの前まで後退した。
「ちょっと、お母さん驚きすぎ」
「……あ、朝姫なの?」
今度は朝姫の方を見てそう言った。
「ああ、この制服? 交換したのよ。これリリアン学園の制服。似合うでしょ?」
「リリアン? それじゃ?」
「うん、こちら藤堂志摩子さん。この前泊まりに行ったお友達なの」
「……と、藤堂?」
母の反応はこれまた奇妙だった。
少し震えて口に手を当てたと思ったら、
「お母さん!?」
あろう事か、俯いて泣き出したのだ。
「お、お母さん!? 怪我、痛いの? ごめんなさい、本当にちょっと悪戯のつもりだったのよ? 謝るからもう泣かないで」
朝姫がそう言ってすがり付くと、母は首を横に振った。
「違うの……違うのよ……」
「お母さん?」
母は顔を上げ、泣きそうになっている朝姫の頭を撫でながら言った。
「そう、驚いちゃったわ。こんなに朝姫に似てるなんて」
もう表情はいつもの母に戻っていた。
「痛くない?」
「そりゃ痛かったけど、大したこと無いわ。立てない程じゃないし」
「あ、あの、ごめんなさい」
志摩子さんがそう謝ると、母は微笑んでこう言った。
「いいのよ。騙された私も悪いんだから。でも、『喧嘩両成敗』だからあなたにも落としてしまった分作り直すの手伝ってもらうから。いいわね?」
「は、はい!」
「お母さんそれ違うと思うよ……」
言葉の使い方はともかく、志摩子さんが申し訳ない気持ちで過ごさないようにと、食事の用意を手伝わせることにした母の裁定は冴えてると思った。
あの後、落とした皿の後片付けは母がやるからと台所を追い出された。
そして、朝姫の部屋に行って、朝姫は着替えて志摩子さんに制服を返し、志摩子さんも持ってきた普段着に着替えた。
ちなみに普段着といっても、志摩子さんの家で見た和服ではなく……、
「あの、おかしいかしら?」
「ううん、志摩子さんらしくて可愛いよ」
志摩子さんの普段着はタートルネックの長袖ニットに、長めのフレアスカートだった。
『可愛い』なんて言ったけど、ちょっと大人びた雰囲気だ。
着替え終わって台所に戻ってから、朝姫はそんな志摩子さんと母が並んで台所に立っているのを後ろから眺めていた。
というか元々朝姫の企みだったから朝姫も手伝うべきなんだろうけど、流石に三人働くには台所は狭すぎたし、夕飯の支度はもう三人分も仕事が残っていなかった。
「躾の行き届いた良い娘さんね」
「いえ、そんな……」
食事の支度も出来て、揃って三人で食卓での会話だ。
志摩子さんは、さっきのことがまだ尾を引いているのか、畏まって小さくなっていた。
「本当よ、朝姫に見習わせたいわ」
「その私を躾けたのは何処の誰だったかな?」
「こんな時に揚げ足を取るなんて、本当に粗忽な娘なんだから、まったく……」
次の台詞に朝姫は言葉を合わせて言った。
「「親の顔が見たいわ!」」
「って、そりゃアンタでしょうが!」
「くっ、ボケをダブらせた上で、セルフ突っ込みの機会を奪うなんて高度な技を!」
「ふっふっふっ、私の勝ちね?」
ちなみに解説すると「まったく親の顔が見たいもんだね、ってそりゃアタシじゃん!」っていうセルフ突っ込みは母の十八番である。
志摩子さんが目を白黒させていた。
まあ、このノリは、普通の女子高生たる朝姫のクラスメイトでも面食らうらしいから、お嬢様学校リリアンの志摩子さんにはちょっとしたカルチャーショックだったかも知れない。
「志摩子さん、志摩子さん」
「は、はい?」
「ここ、笑うとこ」
「あ、すみません」
「うーん、やっぱり志摩子さんには難易度高すぎたか」
母が言った。
「馬鹿な娘で、ごめんなさいね」
「馬鹿っていうな。志摩子さん、アホな母親でごめんね」
「ふふん、私がアホならあんたはアホの子よ」
「うっ、しまった!」
「やーい、アホの子〜」
志摩子さんが今度は困惑している。
「ほら、志摩子さんが呆れてるじゃない」
「あんたが馬鹿なこと言うからよ」
「だから馬鹿いうなって。ごめんね志摩子さん」
そう言うと、志摩子さんは困惑気味に言った。
「い、いえ、仲がおよろしいんですね?」
それには母が答えた。
「そうなのよ、会うたびにこれだから生傷が絶えなくて」
「は?」
「ほら、志摩子さん困ってるじゃない。もうこんなの無視してご飯食べよ。ほら志摩子さんも遠慮しないで」
「あ、はい……」
志摩子さんの手伝った作り直しと母のオリジナルがブレンドされた炒飯を、志摩子さんはレンゲで一口すくって口に入れた。
「どう? おいしい?」
そう聞くと、志摩子さんは味わって飲み込んでから、
「……美味しい」
「良かった。せっかく作ったんだから、沢山食べてね?」
「っていうか、アンタ何も手伝ってないじゃない」
「だから、家庭の味がさ、リリアンに通うお嬢様の上品な口に合ったってことで」
「そう、なら良かったわ」
「でしょ?」
「アンタが手伝わなくって」
「……どういう意味?」
「そのまんまよ。言って欲しい?」
また、志摩子さんが口をもぐもぐさせながら困惑してる。
「うるさくてごめんね、うちの母親いつもこんななのよ」
「『こんな』って何よ」
「ずばり『アホ』」
「ふーん。なら、あんたはアホの子ね」
「し、しまった!」
「やーい、アホの子〜」
「……ぐふっ」
志摩子さん、むせた。
「だ、大丈夫? 水?」
「……っ、いえ」
立ち直ったようだ。
どうやら、朝姫の家の日常会話は志摩子さんにはハードだった模様。
「もう静かに食べよう。お母さんももう変なこと言わないで」
「言ってないわよ。朝姫が変に煽るのがいけないんじゃない」
「煽ってないわよ。何で私のせいにするかな?」
「じゃあ母が悪いっていうの?」
「有体に言えばそう」
「『自分の事を棚に上げと』はこのことね。まったく誰に似たんだか……」
「……」
期待してたみたいだけど『親の顔が見たい』は今度は乗ってあげない。
これも『スルー』という高度な返し技だ。だが、された側が上手くフォローしないと滑りまくるという諸刃の剣でもある。
というか滑った。
食卓を白けた空気が覆う。
「……ってそりゃアタシじゃん!」
っと、無理やり落とす母であった。
「……アホだ」
「誰がアホか」
「アンタだよアンタ」
「親に向かってアンタ呼ばわりかい」
「こんなアホな親、『アンタ』で十分さ」
「なにスカした言い方してるのさ。私がアホならアンタはアホの子よ」
「うぐっ、しまった!」
「やーい、アホの子〜」
「「ってまた同じやん!」」
そう言って、ドツキ合う。息はぴったりだ。
ゴンッ、と音がした。
「「え?」」
と、母と一緒に振り返ると、志摩子さんが突っ伏していた。
音は志摩子さんの額がテーブルの端に当たった音だ。
「の、喉に詰まった?」
「大変! 水よ! 水っ!」
「いや、背中を叩いた方が!」
親娘してパニクっていると、志摩子さんは少し顔を上げて頭を横に振った。
『大丈夫』と言いたいらしい。
それにしては顔が真っ赤で口元を押さえて震えている。
そして朝姫は、こんな志摩子さんを前に一度見たことがあった。
「……ほっ」
「ちょっと朝姫、なに一人で安心してるのよ!」
「ああ、大丈夫」
「だ、だって」
母は朝姫との掛け合いで志摩子さんが食べ物を喉に詰まらせてしまったんじゃないかって焦ってるのだ。
まあ、つまり笑かせてるって自覚はあったわけだけど。
そう、だからこれは。
「笑ってるのよ。ね? そうでしょ?」
うんうんと俯いたままだけど志摩子さんは首を今度は縦に振った。
「笑って……?」
腑に落ちない感じではあるけど、母は浮かせていた腰を落とした。
「志摩子さん、遠慮しないで思い切り笑って良いんだよ?」
「……い、いえ」
こちらがパニックしてしまったせいか、志摩子さんの笑いも収まったようだ。
「あー、びっくりした」
母がそんなことをぼやいた。
「す、すみません。ご心配をおかけしまして」
「そうだよ、志摩子さん。笑うんだったらもっと思い切って、あははははははははっ、あははははははははっ! ってさ!」
「ちょっと、そんな猟奇的な笑い方志摩子ちゃんがするわけ無いでしょ?」
「猟奇的って酷い。会心の笑いなのに」
何もかも放り出して思い切り笑うのがコツだ。
「夜中にそんな笑いかたしてたら、生ごみにして捨てるからね」
「ううむ、夜中に笑う生ごみはちょっと嫌かも」
「ホラー映画ね」
「それもB級作品の」
「どんな映画よ」
「……っ」
志摩子さんがまた突っ伏していた。
「合格よ」
「はい?」
食事の終わりの方で母は志摩子さんに言った。
「朝姫をお願いね」
「なんか、里子に出されるみたい」
「茶化さないの。里子になんか出したら引き受けた側がかわいそうだわ」
「なんせ『アホの子』ですから」
「ごめんね、私なんかが育てちゃって」
「なにやら、一見謙遜しているようで、実は言外に私がアホだって言われているような気が……」
「おお、良く判ったわね」
「やっぱりそうか」
「よくぞそこまで頑張った。もう私の教えることは何も無いわ」
「どんな修行よ」
「これでアンタは何処に出しても恥ずかしくない立派な『アホ』に……」
「それかい! ってそろそろ志摩子さんが再起不能になりそうだから」
志摩子さんはおなかを抱えて背中を丸め、今にも椅子から転げ落ちそうだった。
「まあ、それはともかく、志摩子ちゃん、朝姫とは末永く仲良くしてあげてちょうだいね?」
「……は、はい」
笑いすぎてこぼれた涙を擦りつつ、なんとかそう返事をした志摩子さんは、どこかすっきりした笑顔だった。
三人で後片付けをして、その後、朝姫の部屋に志摩子さんと二人で戻った。
「楽しいお母様ですね」
「え、いや、今日はちょっと飛ばしてたかな?」
志摩子さんが来たからか?
でも、以前に同じ高校の友達が来た時はあんなにハイテンションじゃなかった気がする。
このとき、朝姫が『アホの子』なんかなじゃなくてもっと思慮深かったら、母が何を考えていたのかが判ったのかもしれない。
でも朝姫は「会社で何かあったのかな?」位にしか考えていなかった。
母が食卓で、『志摩子さんが服を替えたくらいで見間違えるほど自分の娘に似ている』ということを全く話題にしなかったことは、後で考えれば異常なことだったのだ。
† † †
志摩子さんが「可愛い部屋ですね」とか言いながら、部屋の真ん中のクッションに座ったところで、朝姫はその前に座って言った。
「とりあえず、今日はやることが出来たね」
「え? やることですか?」
「うん」
そう答えて、朝姫は志摩子さんに擦り寄った。
「あの?」
そして背中から抱きついてホールドした。
「うふふ」
「な、なにを?」
「こうするのよ!」
抱きつくのを片手だけにしてもう片方の手でわき腹をくすぐった。
「……っ」
やっぱり、志摩子さんは俯いて耐えながら抵抗する。
「笑わないわね?」
「……そ、そんな…」
「もっとかしら?」
「ちょ、やめっ……」
ニットの下に手を入れてわき腹からお腹にかけてくすぐりまくった。
でも、油断して両手でくすぐり始めたら、志摩子さんが体を捻って、次の瞬間朝姫の体は横倒しになった。
「あれ?」
気が付くとうつ伏せで志摩子さんは背中でマウントポジション。
「い、痛っ! ちょ、ギブギブ!」
いつの間にか腕を極められていた。
開放されて、とりあえず最初に座っていたところに戻ってから朝姫は言った。
「志摩子さん、何か武術習ってる?」
「いえ、護身術をすこし」
「あんな強烈な反撃をされるとは思って無かったわ」
「すみません、つい……」
「ちょっとやり方を考えないといけないわね」
「いえ、そういうのは遠慮したいんですけど……」
「だめよ。志摩子さんはもっと心から笑わないと。あんな笑い方じゃストレス溜まっちゃうわ」
そう言って、朝姫は手をワキワキと動かした。
志摩子さんはそれを見てお腹を庇うようにして身を縮こまらせた。
「やっぱりその辺が弱点なのね?」
「え? そ、そんなことはありませんよ?」
「私とおんなじだ」
「だ、だから……」
「まあ、目的はくすぐることじゃないから良いんだけど」
そう言うと志摩子さんはホッとした。
朝姫は言った。
「じゃあ、声を出して笑ってみてよ」
「え? あの、何も無いのにいきなりはちょっと……」
「んー、じゃあ私がお手本を見せるから。志摩子さんの場合、控えめになっちゃうから大げさすぎるくらいで。よく見ててね」
「は、はい」
真面目な志摩子さん。背筋を伸ばして朝姫に注目した。
そして朝姫はスーっと息を吸い込んで、
「あははははははは、あははははははは! ……Repeat after me?」
むっ、志摩子さんちょっと引いてる。
「あの……」
「何? 言ってみな?」
「その笑い方、ちょっと怖いです」
「言ってくれるわね? ほら、とりあえずやってみなよ」
「でも」
「やっぱくすぐってみる?」
そう言ってまた両手をワキワキと。
「や、やります」
「よろしい」
そして志摩子さんもスーっと息を吸い込んで、
「あははははははは……は……」(棒読み)
尻つぼみになって、目線だけでこちらを伺う志摩子さんに、朝姫は額に手を当てて首を横に振った。
「全然だめね」
「すみません」
なんかしゅんとなる志摩子さん。
「うん、でもまあ、やってるうちに出来るようになるわよ」
「そうですか?」
「じゃあ、お手本をもう一回」
そして、息をスーっと吸い込んで、
「あははははははは、あははははははは! あははははははは! あははははははは! あーっははははははは!」
あごを上げて『ゲラゲラ』って形容できるような笑い方をする。
また志摩子さんは思い切り引いていた。
「あの、どうしてそんな笑い方なんですか? もっと普通に笑っても……」
「えー、だって普段大人しい志摩子さんだったらこのくらいの方がインパクトが」
「笑うのにインパクトなんて要りません!」
「おおっ、良い突込みよ。志摩子さんも判って来たね?」
「……はぁ」
なにやら疲れた様子。
「じゃあ、もう一回やってみようか?」
朝姫がそう言うと、ドアの方から声が。
「朝姫、あんた、今日、外の集積所で寝るか?」
「えー? 生ゴミは嫌」
「まったく、人が聞いたら何事かと思うわよ?」
「聞いてないよ。ここ防音でしょ」
「私の神経に障るのよ。それより風呂出来たから入っちゃって」
「お母さんは?」
「後でいいわ」
「判った。じゃ志摩子さん、一緒に入ろ!」
「え?」
志摩子さんの家では叶わなかったけど、今度こそ。
ちなみに家の風呂もユニットバスでそんなに広くない。
でも湯船と洗い場で交代交代にすれば余裕だ。
「ちょっと狭いかな?」
「そうですね……」
交代で身体を洗ったあと、結局、狭い湯船で横並びに二人で湯に浸かっていた。
「でさあ、志摩子さんはどう思う?」
「なんでしょうか?」
「この際、ぶっちゃけて言うけど、私達って遺伝子同じだよね」
「……それでじろじろ見てたんですね」
そう。実は「一緒に」と誘ったのは、それが目的だった。
『それ』とはすなわち、産まれたままの姿の志摩子さんをじっくり観察することだ。
「嫌だった?」
「恥ずかしいです」
「でもさ。ここまで似てちゃ、血の繋がり無いって言う方が無理があるよ」
そういいながら、朝姫は右手を湯から出して志摩子さんの目の前にかざした。
それを見て、志摩子さんも自分の右手をそれに並べた。
手の形なんて、よく見れば顔以上に個性があるものなのだけど、志摩子さんと朝姫のそれは大きさも形も良く似ている、というか殆ど同じだった。
「そうですね」
「やっぱ、志摩子さんもそう思うんだ」
「はい」
「人は環境で変わるって言うけど、私らの遺伝子は頑張っちゃったみたいね」
「うふふ、そうみたいですね」
志摩子さんは微笑んでいた。朝姫と違って、志摩子さんはとても自然にこういう柔らかい笑い方が出来るのだ。
「江利子さんがさ、言ってたじゃない」
「江利子さま?」
「双子判定」
「ああ」
実は戸籍の時ではなく、今日待ち合わせの場所で偶然、江利子さんにまた会っていた。
いや、先に会ったのは元紅薔薇さまの蓉子さんなんだけど、その話はまた別に語ることにして。
その時、親を巻き込まない、当人だけで出来る『双子判定』というDNA判定があることを聞かされていた。
「どうする? 私はするまでも無いって気がしてるんだけど」
「朝姫さんがそう言うのなら私は……」
「っていうかさ、結果が形になるじゃない。それがちょっと」
「不安ですか?」
「……うん」
なんとなく、朝姫は判定することが後々の火種になるような予感がしてならなった。
だから、こうして一緒にお風呂に入って互いに確認しあって納得したから、これでもう良いじゃないかって。
そんなもの無くたって、朝姫は志摩子さんともっともっと仲良くなれるって。
そう思っていた――。