「リリアンを受験したい?」
乃梨子が千葉の実家から小笠原家へ向かった日の夜。
妹の友梨子はずっと前から密かに決めていた希望を母に告げた。
まったく予想外の一言だったのが分かる。
昼食の支度をしていた母の包丁が手から離れカランカランという音とともにまな板に転がった。
「駄目なの?」
「う〜ん駄目じゃないけど」
口先ではそう言ってはいるが、母はあまりよろしく思っていないような顔を見せている。
「地元の学校じゃ駄目なの? 友梨子の成績なら結構自由に行けるじゃない」
「地元じゃなくてリリアンがいいの」
友梨子はしぶる母に少し強めに主張してみる。
確かに、友梨子は乃梨子ほどでなくともそれなりに優秀な成績を持っていて、姉妹揃って両親の自慢であった。
「A校はどうしたのよ、一年生の頃から希望していた学校じゃない」
「去年は去年。 今年は今年よ!」
母は信じて疑わなかったに違いない。
乃梨子の第一志望の学校であるA校。 受験戦争に敗れた乃梨子に代わって必ずや友梨子がそこへ行くに違いないと。
「どういう心変わりよ、まさかリコの学校だからって理由じゃないわよね?」
「そんなことないよ」
友梨子は近くにあった好物のカントリーマァムを口の中に放り込む。
不二家のお菓子は本当に美味しい。
これこそ日本のお菓子、うん。 正しい。
「リリアンだったらA校より難易度低いし大学に推薦枠あるじゃん。 下手に良い学校出るよりランク下の学校をトップクラスで出たほうがいいかなって」
それに、付属の寮へ入れば生活能力も身につくしね。
友梨子は口の中にカントリーマァムが残ったまま話を続けた。
「でもね、寮生活ならB校があるわけだし付属学校ならC付属校だって」
「B校はレベル低すぎだから寧ろ脳が腐る。 C付属は逆に大学のレベルが高すぎ。 その点リリアンならそこの条件もカバーできるし女子高だから下手な心配もしなくていいし」
友梨子はとどめとばかりにマシンガントークを発してみる。
こうやって最後に口先を爆発させてみれば母の反応が投げ槍になるからだ。
「あー、もう分かったわ。 でも菫子さんのところに下宿は駄目だからね。 すでにリコがいるのだから」
「ガッテン了解」
無理矢理母の意見を折らせた友梨子は、上機嫌でその場を離れた。
先ほどの言葉のほぼ全部が嘘なことなど母の前では全く見せないまま。
姉の乃梨子こそそこまで気にかけた様子はないのだが、友梨子は極度のお姉ちゃんっ子だ。
いつからかは分からないが、気付いたら乃梨子に異様に懐いていて。
そのレベルは小学校の頃、乃梨子が修学旅行に出かけた途端寂しさで熱を出した程だ。
けれど、そのレベルがどのレベルかは、多分両親も乃梨子も知らないことだろう。
例えば、友梨子は元々成績は平均を少し下回るレベルだった。
それが何故いまのような成績になったかというと、関わるのは乃梨子だった。
最初は塾だった。 乃梨子が塾に通うと友梨子も通おうと思った。
だが、その塾は低成績者を入れないエリート志向だったため、いまの友梨子では無理だった。
それからだった。 その塾へ入るために勉強をはじめて、次第に成績というものが姉と共通点になり、勉強にこだわりはじめた。
実をいうとA校の希望というのも乃梨子を追いかける目的以外なかったのだ。
その後、しばらくは自室でのんびりしていたが、 母が買い物に出かけたのを確認した友梨子は、そのまま昨日までひとときの間主のいた姉の部屋へ直行した。
扉を開けると、香るわ香るわ血の繋がった姉の香り。
「はふぅ〜お姉ちゃんの匂いパラダイスぅ〜〜」
扉を閉めると途端、友梨子は現実をトリップしたかのような崩れた顔で体をくねらせる。
ハートマークが飛び散るようなこの光景は、幸せそうではあるが人には見せられないものだ。
かなり長い間乃梨子分を補充できなかった鬱憤だろうか。
それは乃梨子がいなくなった瞬間爆発したかのように友梨子のリミッターが解除されていた。
「おっ、おっ、おっ、お姉ちゃんが昨日まで使ったベベ……ベッド。 ダーイブ!」
友梨子は姉のベッドに飛びつくと、鼻いっぱいに姉の残り香をかいでからクロールで泳ぐように暴れる。
かつて友梨子のここまで幸せな顔を見た者はいるのだろうか?
今の友梨子を見た者は十中八九こう思うだろう。 “彼女は誰ですか?”と。
「はぁっ、はぁっ! 君はピンク色の小宇宙を感じたことがあるかっ! 震えるぞハート、萌えつきるほどヒート!」
友梨子は、少し前に古本屋で見た漫画の数々のフレーズをアレンジして叫んでみる。
しかも本来の意味はともかくとして少々細工をするだけで今の友梨子の状況にピッタリ合うのが不思議だ。
ひととおり運動した後、今度はベッドの中に潜り込む。
乃梨子の香りに全身を包まれた気がしてたまらない。
「でも……」
ふと友梨子の脳裏に一筋の不安が残る。
このベッドの中で、お姉ちゃんは「シマコサン」のことを考えていたのだろうか?
リリアンに行ってから、会うたび会うたびその志摩子さんという人物に毒されてゆく姉の姿。
それに比例するかのように、中学を出たときは貧相だったバストは、今回少し膨らみが強くなった気がする。
「お姉ちゃんの平原を守るのは私の役目なのに……」
姉がどんどん遠くにいくそうで、悲しさがこみ上げる。
泣いてはいけない。 分かっているのに瞼が熱くなる。
それもこれも……原因はお姉ちゃんを奪った「シマコサン」のせいだ。
お姉ちゃんを洗脳した「シマコサン」は許せない。
友梨子は起き上がり、机の上の一枚の写真を覗く。
そこには中学の制服を着た乃梨子と友梨子がツーショットで映った写真が置いてある。
「お姉ちゃん、待っててね。 友梨子も今すぐそっちに行くから」
写真の中の愛しの姉に語りかけた友梨子は、次に窓越しの空を見上げる。
まだ会わない宿敵、志摩子。
どんな人なのだろうか。
不細工な人だったら許さない。 姉の心を奪ったことが納得できる人でないと宿敵なんて呼びたくない。
「シマコサン……あなたがどんな人であろうと私のお姉ちゃんは渡しません!」
太陽が沈みかけた空に浮かび上がる姿なき宿敵。
友梨子は心の中で一足先に宣戦布告をするのであった。
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初めまして、Mr.Kといいます。
放浪中は「通りすがりのK」で2・3回コメント打ったことがあると思います。
いままでは通りすがりでしたが、これからは参加したいと思いますので宜しくお願いします。