【2197】 果てしなき志祐貴女の虜になる現実を見ましょうよ  (SO 2007-03-22 01:40:35)


薔薇様になってそろそろ2ヶ月が経とうとしている。
梅雨にはまだ早くて、されとて春とももう言えない、気持ちいい陽気の昼休み。
ここは講堂の裏。銀杏の中に一本の桜の木が立っている、彼女のお気に入りの場所。
祐巳は側で静かに寝息を立てる志摩子さんをぼんやりと見ていた。

「それにしても、よく寝るなぁ…」
祐巳は、なんとも言えない表情で、溜息混じりに呟いた。

志摩子さんと祐巳は所謂恋人同士、のはずである。
それは祐巳自身も、志摩子さんも山百合会のメンバーも認識しているところではある。
だから親友の由乃さんも、妹の瞳子も、彼女の妹の乃梨子ちゃんも
私たちが昼休み薔薇の館に昼食を摂りに向かわないことを生暖かく容認してくれている。

しかし、確かに恋人のはずなのだが。
志摩子さんも、私の恋人になって欲しいという申し出を
涙ながらに(あれは感涙で間違いないと思うのだけれども…)受けてくれたのだが。

何かが違う…。

志摩子さんは時間があれば私の側に来てくれる。
微笑んでくれる。色んな、それまでに見たことの無かった表情を見せてくれるようになった。
それは嬉しい。とても嬉しい。日を追うごとに志摩子さんのことがどんどん好きになっていくのだが。

私の中にある、なんというか、こう……先に進みたいという欲求。
恋人なら多分当然あるであろう相手に求める物が、志摩子さんにはまるで無いように感じる。

キスはしたことがある。唇を触れ合わせるだけの稚いものだが
それだけでも最初は私の心臓はパンクしそうになったものだ。だが志摩子さんはというと
「なんだか照れくさいわね」
といつものように柔らかく微笑んで頬を染めたくらいで、どうにもその行為一つをとっても
私とのそれでは温度差があるように感じてしまった。

あまつさえ、このお昼休みの大切な二人きりの時間。

彼女は、寝るのだ。

私の膝に顔を埋めて、ということを考えればやはり恋人同士のなせる技なのかもしれない。
それはそれで嬉しいのだけど。
「祐巳さんといると、本当に安心出来るから…。だから眠ってしまうのね」
そう言ってふわふわと笑う彼女を、どうして咎められようか。

早い話が、私は今欲求不満なのだ。

しかも、彼女の無垢な寝顔を見つめていると、まるでそんなことを考えている自分が一方的に悪いように思えてくる。
なんとなく、わかっている。志摩子さんは自分に安らぎを、居心地のいい場所を求めているのであって
決して、そんなことを求めているのではないのだ。



やがて、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴る。
私は志摩子さんの頭を撫でながらそっと声を掛けるのが日課になっている。
「志摩子さん、起きて。授業が始まっちゃうよ」

その言葉を聴いて、志摩子さんはゆっくりと頭を起こす。
まだ夢うつつの目を擦りながら。
「祐巳さん…ありがとう」
そして、齢よりもずっと幼く見える笑顔でそう言うのだ。

(うぐぅ…可愛い…)

だから私は何も言えない。もう骨抜きにされているのだから…。

「さ、急がないと。志摩子さんのクラス、次は数学でしょ?」
「ええ…」
彼女の時間割まで把握している私は、なんだか恋人というよりもお母さん然としている。

先に立って志摩子さんの手を引いて立たせてあげると
志摩子さんは
「うふふ」
と微笑んで私の腕をよじ登り、そのまま腕を抱え込んで
「行きましょう」
とのたまうのだ。

これが、付き合い始めてから見られるようになった『甘えん坊志摩子さん』で、その破壊力は凄まじい。
腕に密着した、かなり豊かな感触とのギャップがまた威力を倍増させている。





「で、そんなノロケ話を私に聞かせて何を期待してるわけ?」

志摩子さんと分かれて5時間目の授業を受け、その後の休み時間に二年連続でクラスメートとなれた親友の由乃さんを捕まえて
話を聞いてもらおうとしたところ、さも『つまらない話を聞かされた』というような表情で由乃さんは言った。

「いや、由乃さん…そういうつもりじゃなくてね…」
彼女には私のつく溜息も、ノロケの一環と映るらしい。まあ確かに幸せなのだから仕方ないといえば仕方ない。

「つまり祐巳さんは、あのネコ・ギガンティアともっと進んだ関係になりたいってそういうことでしょ?」
「ネコ・ギガンティア!?」
由乃さんの変な言葉に思わず声音が高まる。

「そうよ、ネコ。あれはもう猫よ。飼い主である祐巳さんに甘えてじゃれ付く猫だわ。
 誰よ、ウサ・ギガンティアなんて言ったの」
由乃さんはそう言うと大仰に溜息をついてみせた。
「昔の志摩子さんはあんなんじゃなかったのになぁ…」
って。それじゃまるで今の志摩子さんが悪いみたいじゃないか。

「別に、山百合会の仕事はキチンとやってくれるし、祐巳さんがいなければ普通なんだから悪くはないけどさ」
夏を前にして暑い暑い、なんて。どうも由乃さんにとってそんな志摩子さんの様子がただ単純に面白くないらしい。

「なんか由乃さん怒ってる…?」
「何言ってるの?親友同士、三人で薔薇様として山百合会を引っ張っていこうね、なんて言ってた二人が
 急に付き合いだして気がついたら置いてけぼりにされてたことなんて全然怒ってないわよ?」

………なんていうか、ごめんなさい、由乃さん。

しょぼくれる私を見て、苛めるのに満足したのか由乃さんは少し苦笑して「別にいいわよ」と言った。
二人の親友が幸せそうなのは実のところそれほど悪い気分じゃないし、って。


「ところで、話は戻るけど、つまり祐巳さんは志摩子さんとナニがしたいわけね?」

「!!!?」
由乃さんの不意うちの一言に、自分の顔が一気に沸点に達するのが分かった。

「な、な、ナニって!!そんなストレートな…」
「いや、十分遠まわしに言ってると思うけど…」
いや、でもナニってそんな…。それは確かにしたいけど…。それはあくまで最終的にであって
まずはアレをして、それからソレを…ソレに伴ってコレが来て、それを踏まえてナニが…

「そんな間抜けなこと顔面で語られても困るんだけど」
しれっと言う由乃さん。それに対する私は既にオーバーヒート寸前である。
あれこれ変なもうそ…いや想像が頭の中を跳梁している。

「無理ね」
そんな頭を一気に冷やしてくれたのは、次の由乃さんの言葉だった。

「見てる限りじゃ、志摩子さんはそんな風に祐巳さんを見てないもの。
 もしそんな考えを持ってたとしても、今の祐巳さんとの関係が心地よすぎてそれを壊すなんてとんでもないって思ってる」

さすがに、由乃さんは親友。よく見てる…。
「そう…だよね」

うまい具合にテンションがアップダウンしたところで6時間目の始業ベルが鳴り始めた。
由乃さんは自分の席に帰るために立ち上がる。

「まあ、そんなに我慢できないなら強引にいってみてもいいんじゃない?
 どうなっても知らないけど」
不適な笑みを浮かべて立ち去る由乃さんに、やっぱりまだ恨まれてるんじゃ無いかという思いが湧き上がった。



放課後。向かうは薔薇の館。
二人っきりでは無いとはいえ、志摩子さんに会えると思うと足取りは弾む。
由乃さんと話してから自分なりにいろいろと考えてみた。でも結局答えらしい答えも見つからず
結局は志摩子さんに早く会いたいという考えに落ち着いた。
要は、やっぱり自分も今の関係が壊れるのは怖いってことか。

薔薇の館の二階、ビスケット扉の前に来ると
中からは志摩子さんの話し声が。それともう一つ、普段は聞かない、それでも聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ごきげんよう」
扉を開けるとそこには、愛しい志摩子さんと
「ごきげんよう、祐巳さん」
「ごきげんよう、祐巳ちゃん」
佐藤聖さまがいた。

「聖さま!今日はどうなさったんですか?」
懐かしい顔になんだか嬉しくなって私は尻尾を振りながら(無いけど)二人に近づいていく。

「薔薇さまになった祐巳ちゃん達の勇士を見にね」
聖さまがおどけた調子で言う。志摩子さんは聖さまの隣で嬉しそうに笑っていた。

「祥子にも声掛けようと思ったんだけど、なかなか捕まらなくてね。まあ、あの子のことだから行かないっていいそうだけど」
「でも祥子さまもきっと祐巳さんに会いたいと思っているのでは無いでしょうか」
「そりゃあね」

何だか懐かしい光景。
でも、そういえば聖さまが現役薔薇さまだったころは、こうやって志摩子さんと談笑することってあんまりなかったような。

暫く他愛の無いおしゃべりをしていると、由乃さんが来て、折りよくつぼみ達より先に三薔薇様のそろい踏みと相成った。
聖様は本当に私たち三人だけとおしゃべりをして帰ってしまった。
机の上には聖様の差し入れというコンビニの嚢が置いてあって、中には百円で買えるビスケットや芋かりんとうが入っていた。
以前江利子さまがメープルパーラーのバラエティギフトを差し入れてくれたことがあったけれど
なんというか、その人の人となりがよく顕れていると思う。


そんな差し入れを見て志摩子さんが
「お姉さまらしいわ」
なんて、ふわふわと笑っていた。



そのとき、その笑顔を見て、なんだか急に閃いてしまった。
私にとってあまり喜ばしくない考えが…。



聖さまと志摩子さん。志摩子さんと乃梨子ちゃん。志摩子さんと私。三つの関係は、もしかしたら同じものなのかもしれない、ってこと…


聖さまのことも志摩子さんは「側にいてくれるだけでいい、安心出来る存在」といっていた。
ただお互いがよく似ていて、だから近づきすぎないようにしていた為に志摩子さんはあまり聖さまに甘えることが出来なかった。
乃梨子ちゃんも志摩子さんにとって必要な、特別な存在。
ただ志摩子さんはやっぱり「お姉さま」だから、乃梨子ちゃんに甘えるわけにはいかない。

それで、私…。同学年で、同じ薔薇さまで…。ただの友達ならば控えたかもしれないけれど「恋人同士」という
言葉の上で特別な存在となってしまったなら、彼女がそれまで二人の大切な人にしたくても出来なかったことをする格好の相手になるんじゃないだろうか…。
私は、聖さまと乃梨子ちゃんの穴を埋め合わせるだけの存在なのでは無いだろうか…。



「どうしたの?祐巳さん…」
私の顔が何か言っていたらしい。聊か不安げな表情で志摩子さんが尋ねてきた。
由乃さんがいるというのに、そんな捨てられた仔猫みたいな顔…。

その表情を見て、ああ、やっぱりそうなんだって思った。





続かざるをえない、かな


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