「何てことっ!」
私こと鳥居江利子は、この世の終わりとでもいうような祥子の金切り声で目を覚ました。
「何てこと何てこと何てこ…」
壊れたレコードの如く何度も同じことを呟く祥子。
どうやら祥子も今起きたようで、そこで何かに気付いて錯乱状態になっているらしい。全く…朝っぱらから迷惑な話ね。
「…祥子?」
まだ何かぶつぶつ呟いていて私の呼び掛けには全く気付かない。こりゃダメだわ。
と、そこで私は祥子をここまで動揺させてしまう『何か』を目にした。
「あら。これは…」
それは蓉子と祐巳ちゃん。しかも祐巳ちゃんが蓉子の布団に潜り込んで、抱き合って幸せそうに眠っているという…とんでもない代物だった。祥子が錯乱するのも頷ける。
「ふぁ…何騒いでるのよ」
「お姉さま?」
祥子の絶叫が原因なのか、聖に続いて令…と皆続々と起き出してきた。
そして、一同は蓉子と祐巳ちゃんに注目する。
「何?これ」
「さぁ…」
「…祐巳さんの寝顔可愛いわ」
「蓉子さまいいなぁ」
上から由乃ちゃん、令、志摩子、乃梨子ちゃん。聖は放心状態だ。結局、今寝ているのは件の二人のみ。
そもそも、どうして皆で同じ朝を迎えているのか?答えは簡単、秋の合宿だから。
まぁ本当は、祥子たちが学園祭のお疲れ様会(お泊り)を小笠原家で開く、という話を何故か知っていた聖に誘われて、私たちも飛び入り参加したってわけ。
「とりあえず起こしましょうか」
「そうね」
蓉子を揺さ振ると、眉根を寄せて『ん…』なんて艶っぽい声を出すものだから思わずドキッとしてしまった。
「蓉子、起きなさい。蓉子!」
「…えり…こ?」
「そうよ。ほら、起き―「お姉さまっ!」」
蓉子の声を聞き付けた途端に正気に戻ったのか、祥子が割り込んできた。見ると、聖も同じらしく険しい表情で蓉子を睨みつけている。
「お姉さま!これは一体どういうことです!?」
「もう何よ……ってええっ?ゆ、祐巳ちゃん!?」
やっと状況が理解できたのか慌てふためく蓉子。
「ほんと。どーゆーことなのかなぁ…ねぇ、蓉子?」
「せ、聖!あの…こ、これはっ」
聖は笑っているけど、その目は笑っていない。背景は…猛吹雪?
「祐巳ちゃん!お、起きてっ」
「…んん…やぁ…」
だけど祐巳ちゃんは起きるどころか、ますます蓉子の胸に顔を埋めて起きる気配ナッシング。おまけに嫌々するように額を押し付けてグリグリしている。
あ、蓉子ったら顔真っ赤。というか蓉子以外も赤くなってるし。
「…お姉さま」
「ひっ」
「説明、して頂けます?」
先程とは打って変わって落ち着き払っている祥子も、美しい微笑を湛えているけど、聖と同様目が笑っていない。
この二人…祐巳ちゃんのこととなると怖すぎるわ…だってあの蓉子が怯えてるのよ?
「んー…な…にぃ?も…朝…?」
ここで祐巳ちゃんもお目覚め。あの騒ぎの中、よく今まで眠っていられたものだ。
「祐巳ちゃんおはよう」
「…おはよーございます…せぇたま…」
うわっ!目がとろーんとしててどこか舌足らずで…祐巳ちゃんてばめちゃくちゃ可愛いわ!
未だに蓉子に抱き着いたままだけど。いや、それがまた可愛さを強調しているのね。
「祐巳さんギザカワユス!激☆萌え〜」
「し、志摩子(さん)!?」
「ら・ぶ・り・ぃ☆」
志摩子が壊れた。くねくねと身悶える志摩子に令と乃梨子ちゃんが思いっきり引いている。
「〜〜〜っ!もうっ!志摩子なんてどうでもいいのよ!祐巳っ」
「ひ、ひゃいっ」
寝起きでふにゃふにゃ状態のまま蓉子にもたれ掛かっていた祐巳ちゃんは、その声に驚いたのか祥子に向かって…つまり私たちの方を向いてピンッと背筋を伸ばして正座した。
「「「あ゙ーーーっ」」」
全員が祐巳ちゃんを指差して叫ぶ。正確には祐巳ちゃんの胸。
祐巳ちゃんはハテナ顔で視線を下ろし…
「きゃあっ」
可愛らしい悲鳴を上げて体をくの字に折り曲げた。その理由(わけ)は…
なんと祐巳ちゃんのパジャマのボタンが全開になっていたのだ!しかもノーブラときたっ!!微妙なところが見えそうで見えないチラリズム…素晴らしい!!!
「お姉さま!」
「蓉子!」
「「「蓉子さま!」」」
見事に皆の声が重なった。
「ち、違うの!お願い話を聞い―「問答無用!!やっておしまいっ」」
『うおおお』と雄叫びを上げて、後退りする蓉子を祥子たちがタコ殴りにしようとした、その時。
「やめてください!」
ボタンを留め終えた祐巳ちゃんが、庇うように蓉子に抱き着いた。
「祐巳さん退いて!悪・即・斬よっ」
「そうよ祐巳!退きなさい!」
「蓉子!私と変わってぇ」
若干一名の言うことは無視して…祐巳ちゃんは祥子と由乃ちゃんの言葉にも動じず、蓉子から離れようとしない。
「違うんです!蓉子さまは……私に優しくしてくれたんですっ」
・・・・・・はい?
「や、優し…く?」
「はい…昨夜の蓉子さまはとっても優しかった…」
令の引き攣った顔とは対象的に、ぽーっと遠い目をして語る祐巳ちゃん。その頬はほんのりピンクに色付いている。
蓉子はといえば…固まっていた。そういえば、祐巳ちゃん下着着けてないのよね…柔らかいのかしら?
「私、すごく怖くて。そうしたら蓉子さまが『どうしたの』『いらっしゃい』って言って下さったんです」
祐巳ちゃんが余りにも幸せそうに話すものだから誰も口を挟めないでいるらしい。じゃあここは私が。
「それで…あの、恥ずかしいんですけど。私、泣いてしまって」
「蓉子が慰めてくれたのね?」
私は祐巳ちゃんに『わかっている』というように笑い掛けた。
「はいっ!蓉子さまは『大丈夫よ』『怖くないから』って何度も何度も私のことをぎゅっと抱きしめて、慰めてくれたんです」
えへっ、と祐巳ちゃんは少しはにかむように笑う。マジで可愛いわ…
「蓉子さまの手も胸も…とても温かかった…です」
その時のことを思い出しているのか、うっとりする祐巳ちゃん。
「下着を取るのも手伝って下さって」
ぶっ…
ゆ、祐巳ちゃん?
「し、下着!?蓉子が脱がしたの!?」
復活した聖が勢い込んで聞く。あなた目が血走ってるわよ…いつの間にか他の人も復活してるし。
聖の言葉に、祐巳ちゃんは慌てて振り返って『違います』と手を振った。それでも右手は、蓉子のパジャマの脇腹辺りをしっかりと握ったままだったりする。
「そ、そんな!脱がしただなんて…ただ私、手が震えちゃってて。でも蓉子さまは『私が取ってあげる』って濡れてしまった下着を取るのを手伝ってくれたんです」
「「「濡れたぁぁ!?」」」
衝撃告白に皆一斉に悲鳴に近い声を上げた。事実、蓉子の枕元には、その濡れた下着を包んでいるのか湿っぽいタオルの塊が置かれてある。
わかっているのかいないのか…祐巳ちゃんて予測不能だわ。天然とは恐ろしい。
「汗もかいたの?」
「はい…怖いのと緊張で…いっぱい、かいちゃいました…」
私が祐巳ちゃんの肩に手を置くと、祐巳ちゃんはしゅんと項垂れてしまった。
「そう…いっぱい」
「はい…いっぱい…」
「(ぼそっ)…布団は大丈夫かしら?」
私の小さな独り言に、祐巳ちゃんははっと顔を上げた。
「お姉さま!」
「な、何?」
「私っ…お、お布団も濡らしてしまったかも…」
祐巳ちゃんが言い終わらない内に祥子、聖、志摩子、乃梨子ちゃんが蓉子の布団に殺到した。って志摩子!さりげなく祐巳ちゃんの下着を懐に仕舞わない!
由乃ちゃんに目を向けると…
「令ちゃん離して!!」
「よ、よしのぉ」
「もう令ちゃんのバカ!祐巳さんの恥ずかしい汗が私を呼んでるのよっ」
令に腕を掴まれて動けないでいる。それにしても…恥ずかしい汗って…由乃ちゃんあなたねぇ…
「あの、どうして蓉子さまのお布団に…ひぇっ」
祥子たちの顔がよっぽど怖かったのか祐巳ちゃんは話し掛けた側から恐怖し、蓉子にしがみつく。
ところで、蓉子はいつまで固まってるつもりなのかしら?
「と、とにかく!蓉子さまは私に優しくしてくれたんですっ」
蓉子にぎゅっとしがみつき半ば叫ぶような形で言った祐巳ちゃんに、祥子はふっと穏やかな笑みを浮かべた。
「…お姉さまは優しくしてくれたのね?」
「は?…え…あ、はいっ!」
「そう。わかったわ」
「ふぇ…?」
急激な祥子の変わりように祐巳ちゃんは目を白黒させている。
祥子ったら意外に引くのが早いわね。ん?聖たちに目配せして…ははーん。
あ、漸く生き返ったのね、蓉子。ナイスタイミングだこと。
「祐巳」
「は、はい…」
「お風呂に入って来なさい」
「へ?あの…どうしてでしょうか?」
「汗をかいたのでしょう?さっぱりしていらっしゃい」
「!!」
どうやら蓉子も祥子の意図に気付いたらしい。でも一足遅かったわね。
「ちょ、ちょっと待っ―「はいっ!!」」
蓉子の声は祐巳ちゃんの元気いっぱいの返事に遮られ、誰にも届くことはなかった。
「ゆっくり温まって来なさい」
「はーいっ♪」
パタパタと子犬のように祐巳ちゃんはバスルームへと駆けて行った。
「さて…お姉さま。覚悟は宜しいですか?」
祐巳ちゃんが襖の向こうに消えるのを待って、祥子は蓉子を振り返った。
「さ、祥子?」
「たっぷりお仕置きして差し上げますわ」
うふふ…と妖艶かつ絶対零度の微笑みを浮かべる祥子。その手には薔薇の鞭。これぞ正しく紅薔薇さま…
祥子がビシッと鞭で畳を打つと五人の刺客が蓉子の前に立ちはだかった。
色はドドメ色という不気味な液体が入った注射器を掲げて『気持ちよくなろうね』と涎を啜るオヤジ女子大生、聖。
バカでかい包丁を握り、奥義≪恋のお邪魔虫は微塵切りよv≫の構えを取る乙女チックなミスターリリアン、令。
竹刀の剣先から本物の刃が飛び出した、必〇仕事人仕様の隠し刀を振り回すイケイケ女侍、由乃。
≪パーフェクト銀杏(拷問用)≫と書かれた怪しげな瓶を持ち『イッペン死ンデミル?』と笑うリリアンの黒いマリア、志摩子。
最後に仏像オタクの…
「のの乃梨子ちゃん!?それは独項杵(とっこしょ)と言ってね、とっても神聖な祭具なん―「黙れ。オン・マ・ニ・ペ・メ・フーン」」
…って、はいぃぃっ!?黄金の独項杵に六字真言!?
あなた実はチベット密教の呪術師だったの!?マニアックすぎるわ…ああっ!?何だか妖気みたいなものがユラリと…
そして…
「いやぁぁぁああっ」
蓉子の悲鳴が爽やかな朝の空に響き渡った。
***
コンコン。
私はバスルームのドアをノックした。
あの後、蓉子の悲鳴を背に私はそっと部屋から抜け出した。
蓉子が今どうなっているのか…想像したくもない…
「祐巳ちゃーん。昨日あんまり眠れなかったからってお風呂で寝ちゃダメよ」
「んぁ?あっ…は、はい」
派手に水音を立てながら慌てて返事をする祐巳ちゃん。どうやら図星だったらしい。
その様子に苦笑しながら私は言った。
「それにしても凄かったわね……雷」
そう。私は知っている。
昨日、蓉子は雷が怖くて泣いていた祐巳ちゃんを、ただ優しく慰めていただけなのだ。
怯える祐巳ちゃんを抱きしめて『大丈夫よ』『怖くないから』と何度も何度も慰める蓉子。
汗で濡れてしまったブラ(下着=パンツと認識した皆には笑ったわ)を取ろうとするけど、手が震えて苦戦する祐巳ちゃん。それを見兼ねた蓉子が『私が取ってあげる』と手伝いを申し出たのだ。
その後、蓉子は祐巳ちゃんの素肌を見ないように、抱きしめる形でタオルで背中を拭いてやった。すると祐巳ちゃんは安心したのか、蓉子を押し倒すように眠りに就いてしまった。
そして今朝に至る。
え?どうしてそのことを黙ってたのかって?
だってその方が面白いじゃない♪