お姉さまとの、なんかいろいろ考えてしまった遊園地デートの翌朝。
祐巳はなんとなく重い足取りで登校した。
夕べ、帰ってから祐麒とは一言も話さなかった。柏木さんとなにかあったと思っている祐麒に説明するのも面倒で、というより混乱してて祐麒が納得する説明なんてできそうになかった。生徒会の仕事で早く家を出たという祐麒と今朝も何も話していない。
マリアさまに手を合わせる。お姉さまの見えていない部分を知りたい。知ってどうするってわかんないけど、お姉さまの支えになりたい。
「ゆーみさん。ごきげんよう。」
「ごきげんよう。由乃さん。」
「ふふふ、どうだった祥子さまとの念願の遊園地デート。」
「うん、デートは楽しかったんだけど、それがね……」
「ストップ。あっちで聞くわ。」くいっと顎を薔薇の館の方へ向ける由乃さん。
そういえば、ここは真美さんや蔦子さんの網の中だっけ。
「なるほど。」
由乃さんがいれたオレンジペコーから湯気がのぼる。
薔薇の館には誰もいなかった。昨日のあらましを由乃さんに話したところ。
「お姉さまの見えていないところってなんだろう。」
「少しだけ想像がつくところがあるわ。」と由乃さん。
「あのね、花寺の文化祭の前、祐巳さんが祥子さまに男子に慣れてもらおうってドッキリを仕掛けたの、覚えてる?」
「ああ、あの時。結局私がばらしちゃったんだけど祥子さまはちゃんと男の子たちと顔を合わせようとしたのよ。でも……。」
「気を失った。」
「うん。」
「変だと思わなかった?」
「え?そうね。少し不思議な気はしたわよ。」
あのときを思い出す。祐麒のベタなお芝居をからかったところまではよかったんだけど。
「お父さまやお祖父さまに連れられていろんな会合やパーティーに慣れているお姉さまが、男子と顔を合わせただけで倒れてしまったのよね。」
「そうなのよ。たかだか男子高校生、ちょっと見かけがバラエティーに富んでたとしても今時気絶までするかしら。それで、思ったの。」
身を乗り出す由乃さん。
「あのね、心臓発作だって救急車で病院に運ばれてくる人のうち、放っておいてもおさまって検査しても何も出ない人がたまにいるの知ってる?」
「はあ?いきなり何の話?」
「たとえば、よ。パニック発作とか広場恐怖症とか聞いたことない?」
「うーん、なんかテレビでやってたような気もするけど、わからない。」
「ストレスとかから来るんだけど、ほんとの心臓発作と同じような症状とか呼吸困難を突然起こすのよ。でも身体に異常はないの。病院で時々そういう人を見たわ。広場恐怖症って言っても病名で、狭いところや人混みとか乗り物が怖いっていうのも含むのよ。」
「お姉さまがそれだというの?」
「いや、私は医者じゃないもん断定はできないわよ。でも、昨日の柏木さんの様子っていうのが気になるの。」
「ええ、そう。最初から何か起こるのを予期していて、なのに私たちを止めずについてきた。」
「そのこともそうなんだけど、祥子さまがしゃがみこんだときよ。」
「どういうこと?」
「立ちくらみとか貧血とか、人混みにのぼせたんだったら、休ませてゆっくり移動させるわよ。でも、柏木さんは」
「すぐにお姉さまを立ち上がらせてベンチへ移動させた。」
「休ませるよりも人混みから引き離す方が緊急だったのよ。」
「身体の病気じゃないってことよね。そんな気はしてた。」
考え込んで、ごくり、と冷えた紅茶を飲み干す祐巳。
「祥子さまって乗り物も苦手よね。」
「うーん、ジェットコースターは絶対乗らないわよ。」
「うーもったいない。いやそうじゃなくて車や電車。飛行機も。修学旅行の時はローマまで13時間のフライトの間中、ほとんど薬を飲んで寝てたって令ちゃんが言ってた。」
「うん、飛行機に乗ったら寝てるって言ってたわ。そういえば夏に避暑地の別荘へ行ったときもそうだったわね。酔い止めを飲んで、休憩するときのほかはずっと寝ていたわ。でも、電車は大丈夫よ。」
「満員電車でも?長い時間でも?夏の時は祐巳さんが電車って思いこんでたのに祥子さまは車で来たのよね。」
「そうだった。でも、お姉さまそんなこと一言も……。」
「酔い止めを飲んだら寝てしまう、のではなくて寝るために酔い止めを飲んだんじゃないかしら。祐巳さんにも知られたくなかったのよ。」
「もし、もしそうだとするわよ。そうしたら私はどうしたらいいの?」
「簡単だけど難しいわ。『略してOK大作戦(仮)』をずっと続けるの。男子に対してだけじゃなくて世の中のすべてに対して。」
「えっ?」
「パニック発作のようなストレスや恐怖から来る身体の症状って、少しずつ慣らしていくしかないのよ。でもいきなり無理をしたら大変なことになる。行動療法とか言うんだけど徐々に動ける範囲を広げていくしかないの。」
「由乃さん、詳しいのね。」
「自分とよく似た症状だからね。私は手術が成功すればよくなることがわかってた。けどそういう人たちは内科に救急車で運ばれてきて、まず原因を突き止めるのが大変でしょ。わかっても内科ではどうにもできない。精神科の領域になるわ。そんな病院で知り合った人が何人かいるのよ。」
「それじゃあ、私とデートしたり出かけたりっていうのはお姉さまはそういうつもりだったのかな。」
「それもあったかもしれないね。祐巳と一緒にいろんなことをしたいって、言ってたじゃない。ハンバーガーショップやジーンズショップに行くのが初めてっていうのもそういうことだったのかも。」
「ええっ、どうして?」
「いくら祥子さまだってさあ、今時の高校生がおかしいじゃない?まして周りの友達と違うって見られることと戦ってきた祥子さまよ。お嬢様だから、じゃなかったのよ。」
「それって……なんだか信じられない。」
「確かめてごらんなさいよ。」
「どうやって?」
「中等部以前の祥子さまを知ってるのは誰よ。」
「かし・わ・ぎ・さんに聞けって?」
「今の推測が正しかったら、柏木さんの言うとおり嫉妬なんかしてる場合じゃないわよ。」
「うーん、なんか、やだ。」
「瞳子ちゃんにでも頼んでみる?」
「いいえ。お姉さまは瞳子ちゃんにも知られたくないと思うの。」
「それはそうね。ご家族もたぶん口を割らないわよ。」
「はあ。なんかますます気が重いわ。」