【2224】 ラブパワー後輩がくれました  (海風 2007-04-08 03:09:11)


初めまして、海風と言います。
えっと……多くは語らず、目指せ「笑5」です。
内容が微妙ですみませんorz あと長くてすみませんorz





「それで、ここは」
「ウィィィーン、ガリガリガリガリ、チュイーンチュイーン」
「…………」
「前人未踏のア・マゾンの奥地の森の中に、それはもう木々を貫き岩を砕き襲い来るは二本の凶悪なドリル。ああヤバイよヤバイよ祐巳さん逃げて逃げてヤバイよ逃げてヤバイよ」
「……で、ここが」
「ドリルを装備したミス・ドリラーの威嚇攻撃は、さながら砂漠のど真ん中で渦を巻く砂地獄のように底のない狂気を見せつける」

 ガタッ

「だ、誰がミス・ドリラーですの!?」
「瞳子ちゃん、落ち着いて……」
「落ち着きなさいよ、ドリル」
「うるさいですわよノッポさん!」
「あ、う……」



 本日、薔薇の館にて。
 由乃さんが変だ。
 いや、ある意味いつも通り順調に暴走しているというか、周囲をかえりみず青信号フルスロットルというか。
 でもいつもの暴走にしては、方向性が違うというか。

「――お願いがあるの。今から私変なこと言うけど、できるだけ気にしないで」

 特にお手伝いが必要でもないのんびりした時期に、一年生の瞳子ちゃん可南子ちゃんまで呼び出して、開口一番由乃さんはそんなことを言った。
 最初は皆で首を傾げて「なぜ?」と聞いたものの、由乃さんは授業中でも見せないような真面目な顔で「後で説明するから」としか言わない。
 何かあるだろうと思いつつ、不信感を抱きながらいつも通り過ごしていると、由乃さんが妙なことを口走り始める。
 やれ狸イェーだのドリラーだのダークストーカーだの後ろから見るとコケシーよねだの天使の顔をした悪魔の笑顔だの。

『これか!』

 全員が納得した。
 納得した上で、できるだけ気にしないよう振る舞ってきたが、とうとう瞳子ちゃんがキレてしまった、というわけだ。
 由乃さんの暴走特急を止められる令さまと私のお姉さまが不在の中、由乃さんの暴走は、いったいどこへ向かおうというのか。
 そんなことは「二人にリーチを掛けた狸イェー」である私にはよくわかりません。



「ま、まあ落ち着いて。由乃さんに悪気はない……と……思うの…?」
「祐巳さま! そんな自信なさげかつ私に聞かれても困りますわ!」

 さもあらん。親友であるはずの私にもわからないから。
 ただ、由乃さんは単純に遊んでいるわけではなさそうだ、ということしかわからない。
 なにせ妙なことを言う割には、由乃さんは全然笑っていないのだから。

「瞳子。あとで本人から説明があるはずだから、怒るなら理由を聞いてからにしなよ」

 クールに言う乃梨子ちゃんだが、目が笑っていない。そしてその目が「場合によっては私も一緒に怒るから」と言っている。
 瞳子ちゃんの怒りが少しだけ鎮火したところで、私は瞳子ちゃんの腕を引っ張って座らせる。まだまだ眉は釣りあがりっぱなしだが、大人しく着席してくれた。

「ああ祐巳さん気をつけて、ミス・ドリラーの凶器があなたの腕をかすっているわ。巻き込まれるわよ、肉が。血肉が。そのドリルは人の血をすすってキレが増すのよ」
「……!」

 声にならない怒りに凶器……いや、ドリル、いや違う、縦ロールをぶるぶる揺らしながら立ち上がろうとする瞳子ちゃんを、私は必死で押さえつける。
 瞳子ちゃんも必死らしく、視線は由乃さんを見たまま、ガタガタと椅子を鳴らしながら私の静止を振り切ろうとしていた。
 無言の攻防の中、

「ぷっ」
「……!!!!!」

 私の逆隣にいる可南子ちゃんがぷっと吹き出すと、瞳子ちゃんのドリ……首がギュンと超高速で回って私を睨む。正確には、私の向こう側にいる可南子ちゃんを。
 こ、こわいよ瞳子ちゃん……目の奥に殺意がうかがえるよ……

「一方その頃」

 また由乃さんが、真面目な顔のまま視線を移す――概ねあまりイジられていない白薔薇姉妹に。由乃さん曰く「後ろから見るとコケシー」と「天使の顔をした悪魔の笑顔」に。
 志摩子さんはきょとんとした顔、乃梨子ちゃんは目で「やんのか三つ編」と牽制している。

「その辺からミス・ドリラーに襲われる狸をのんびりワイン片手に眺めていた白薔薇一家は、狸の滑稽さに内心笑っている。
『志摩子さん、あの狸、まだドリルとノッポをモノにしてないみたいね。』
『ええそうね。どうせ、イェー二人リーチ〜♪なんて浮かれて余裕しゃくしゃくでキープしていたら、本当は全然リーチじゃなくて今頃になって内心焦りが出てきたってところかしら。』
『志摩子さん鋭い〜アハ。まあその滑稽さがたぬ……祐巳さまの面白いところですよね。アハ。』
 ……などと思っているに違いない」

 ちょ……由乃さん……
 もしかしたら私は由乃さんに嫌われているのではないか。そんなことを思う今日この頃です。

「思ってない!! だいたいアハってなんですか!?」

 乃梨子ちゃんが激しく立ち上がり激しく突っ込むものの、由乃さんはまったく取り合わない。

「『まあまあ乃梨子。一人で妹も見つけられない、だらしない僻み根性抜群の人の言うことなんて気にしてはダメよ。』」
「だから志摩子さんはそんなこと言わないって! なんでそんなに黒くしたいの!?」

 乃梨子ちゃん、怒りのあまり言葉遣いが荒れている。
 ……それと、ちょっと意外だけど、由乃さんの声真似は少し似ていたりする。手品もこなす由乃さんなので器用さは当然として、案外本格的に練習もするのかも知れない。

「薔薇の館にある恐怖の市松人形には、死に伏した人間の怨念がこもっている。きっと彼女の髪は、夜になると勝手に伸び出すはずだ。ああ恐ろしやジャパンホラー」
「そりゃ生きてるから髪だって伸びるよ! 人形じゃないんだから!」
「乃梨子」

 言葉の荒れる乃梨子ちゃんを、志摩子さんがたしなめる。

「『乃梨子、今晩私の家に来なさい。』」
「……えっ!?」

 あまりの言葉に、乃梨子ちゃんは横の志摩子さんをバッと振り返る。なんか一瞬にして耳まで真っ赤だ。
 いや、言ってるの、由乃さんだからね?

「『市松人形の呪い、私が昇天させてあ・げ・る★』」
「しょ、昇天!?」

 だから言ってるの由乃さんだからね? 志摩子さんは語尾に星とか飛ばしてやけに作為的な色っぽさなんて出さないからね?

「…?」

 またきょとんとして乃梨子ちゃんを見上げる志摩子さん。そんな志摩子さんを微妙に期待に輝く目で見下ろす乃梨子ちゃん。

「ガチ」
「ガチ」
「ガッチガチ」
「だっ、誰がガチだ!?」

 この時ばかりは全員同感だったのか、由乃さんの一言を皮切りに、可南子ちゃんと瞳子ちゃんが続いた。特に瞳子ちゃんは今までよく由乃さんのターゲットになっていたせいか、ひどく嬉しそうだ。
 ここにいる一年生三人は、仲が良いのか悪いのか。
 まあ、少なくとも、私と由乃さんの関係ほど疑わしいものではないだろう。二人にリーチを掛けた狸イェーだし。
 なんだか怒りの矛先が増えてしまってうやむやになり落ち着いたのか、乃梨子ちゃんは椅子に座り直した。横にいるお姉さまをチラチラうかがいながら。

「乃梨子、ガチって…?」
「し、志摩子さんは知らなくていいのっ」
「そうなの?」

 志摩子さんはそれ以上は聞かなかった。乃梨子ちゃんがどうしても知られたくなさそうなので、私達もあえて説明はしない。

「それにしても由乃さん、声真似うまいのね?」

 なんとなく態度で話に付いていけていないことがわかる志摩子さんは、天然ぶりを爆発させていた。言うのはそこじゃないと思うよ。

「練習したからね」

 ちょっと得意げな由乃さんは、初めて真面目そうな表情を崩す。

「それより皆、もっとしゃべって。イジりづらいわよ」

 無茶な要求をする。不本意な注訳が入るのがわかっていてはしゃべりづらい。私なんて狸イェーだし。

「ねえ由乃さん、いったいなんなの?」

 いつもの私の知っている由乃さんになったので、ここぞとばかりに聞いてみる。

「一年生に挟まれている狸は、両手に花である。だが右手は歩く凶器、左手は闇に隠れて生きる者だということに気付いていない無邪気な綱渡り状態だ」

 ガタタッ
 歩く凶器ことミス・ドリラーこと瞳子ちゃんと、闇に隠れて生きる者ことダークストーカーこと可南子ちゃんが無言で立ち上がる。
 ああもう……ようやく普段の由乃さんに戻ったかと思えば、また走り出したよ……



「――ごきげんよう」

 二人同時にはなだめられないのでどうしたものかとあたふたしていると、救世主が現れた。
 剣呑な雰囲気にあったせいか足音を聞き逃してしまったけれど、振り返ると三年生二人がようやくやってきたところだった。

「「ごきげんよう」」

 とりあえず、怒っている者も怒っている者も怒っている者も天然の者も親友だと思っていた相手が自分を嫌っているのではないかと疑いを抱いた者も無責任に扇動する暴走列車も、声を揃えてお姉さま方に挨拶する。

「ごめんなさい。用事があって遅れてしまったわ」
「あれ、一年生が来てるね。遊びに来たの?」

 なんとなく皆がほっとする。
 これで恐らくは、由乃さんのわけのわからない企みも終わる――

「ここで薔薇の館一行の前に、少年のような顔をしたケダモノが現れた」
「え?」

 え?
 終わら……ないの?

「私は知っている。彼の者こそ薔薇の館史上最悪の乙女の敵であることを」
「よ、由乃!?」
「……どうしたの?」

 お姉さまが奇妙なものでも見るかのように、由乃さんと私を交互に見ながら席に着く。

「あ、実は……」

 私が答える間にも、入ったところで釘付けにされてしまった姉へ、由乃さんの攻撃は続く。

「なにしろ彼女は、少年のような顔をしてBL小説を読む。いやそれだけならまだしも、本棚の奥には――」
「よっ、由乃ーーーーー!!!! それ以上は言っちゃダメーーーーー!!!!」

 令さまの悲痛な叫び。
 聞いた者の魂まで揺さぶるような、強い強い懇願。
 だが無情にも、それは一番聞かせたかった愛する妹には届かなかったらしい。

「年下、年上、親友と、バリエーション多数。そう、彼女は女の子同士の小説も好きなのだ」
「ああああああああぁぁぁぁ」

 この時、私には令さまが崩れ落ちる様が、まるでスローモーションのように見えた。
 斜め上32°に上げられた表情は神の無情を嘆き、それから左横41°で背景に黄色の薔薇を背負い真珠のような涙を宙に浮かべ、その涙を捉えた画面がポチャンと水面に落ち見事なクラウンを形作ったところで薔薇の花弁の雪がはらはらと散り注ぎ、その雪の中に令さま本人が、天界から追われた天使のようにとてもゆるやかに落ちてきた。
 ……令さまは音もなく優雅に倒れた。

「「……」」

 だが誰も助けに行かなかった。
 恐らく皆、私と同じ結論に達したのだろう。
『結構余裕あるんじゃない?』と。少なくとも背後に黄薔薇のオーラを作り出せるほどには。
 やられ癖のついた特異体質が成せる技なのかもしれない。令さますごい。

「良かったわね、今の。とてもドラマティックだったわ」

 令さまの倒れっぷりに、お姉さまは感心したように力強くうなずく。
 確かに。今のはちょっとおいしかったですよ、令さま。今年一番の輝きでした。

「……あれ? みんな平気なの?」

 とんでもない爆弾を投下したつもりの由乃さんは、不満そうな顔で面々を見回す。
 ……なんでそこで不満げな顔ができるのか。令さまを完膚無きまでに倒したいのか由乃さん。

「小説の好みと現実は違うでしょう?」

 お姉さまの言う通りだ。

「理想の妹……おほんおほん、女の子もいるかも知れないですし、フィクションの中くらい理想の妹……げふんげふん、好きなものを求めてもいいじゃないですか」

 瞳子ちゃんのわざとらしく棘を含んだ言葉に、由乃さんは一瞬眉を上げたが、またあの真面目な顔になる。ちなみにもう、私達にとってその顔は「嫌な顔」以外の何者でもない。
 たとえるなら、イキイキした先代黄薔薇さま並の嫌な顔だ。

「ギューイーーーーーン。ミス・ドリラーはあの凶器による物理攻撃だけではなく、言葉にまでドリルを潜ませて精神を蝕むのだ。さすがはドリルの申し子、自由自在のドリルさばきである」
「だからっ」
「だが思い出してほしい。ドリルは人の生き血を油代わりにして高速回転するものではないということを。地面や岩盤を掘るものだということを。人の生活を豊かにする文明の利器だということを。決して頭にぶらさげて触れる者皆傷つけるギザギザハート的なものではないということを」
「……く……ぐぅ……!!」

 三年生がいる手前、さすがに瞳子ちゃんも恥ずかしいのか、反論を無理やりお腹に溜め込む。

「……それで、どうしたの?」
「あ、実は」

 やはり奇妙なものでも見るかのようなお姉さまに、私は今度こそお姉さまの求めているものに答える。

「詳しくは後で説明するそうですけど、何を言ってもあまり気にしないでって言って、あんな感じです」
「ふうん?」

 私にもよくわかっていないので、説明だって不十分になるのはしょうがないと思う。
「どうやら何かの実験みたいです」と志摩子さんが補足してくれた。

「……そうみたいね。ああ、ありがとう」

 いつの間に淹れてくれたのか、歩み寄ってきた乃梨子ちゃんから紅茶を受け取って、お姉さまは由乃さんを見る。
 由乃さんも、真面目な顔のままお姉さまを見詰める。
 その様子に感じ入るものがあるのか、お姉さまは特に咎めることなく優雅に紅茶を一口。

「いいわ、続けてちょうだい。どうせ大した仕事もないのだし、行き過ぎなければ止めないわ」

 さすがお姉さま、寛大だ。でも少しは止めてください、あの迷惑イケイケ青信号を。

「……ある程度は覚悟した方がいいですよ」

 床に倒れている令さまを「どっせい」と抱え上げ、乃梨子ちゃんがポツリと呟いた。

「の、乃梨子ちゃん……」
「仲間だから助けるわけじゃないですからね」

 ガチ仲間――今私達は、心の中で繋がった。誰もがそう思ったことを、確認することなく確信できた。

「…?」

 志摩子さんを除いて。



 それから暴走由乃さんにイジられ続けて、私達はできる限り無視して書類整理を終わらせる。
 別に一年生達を呼ばずとも十分終わる量だったから、どちらかと言うとメインはその後のお茶会になっていた。
 だが、今日は一人変な人がいるので、みんなあんまり話が進まない。
 なんだか微妙な空気のまま淡々と放たれる由乃さんの言葉を無視しつつ、時間は過ぎて行った。
「私はそろそろ」と可南子ちゃんが立ち上がる。
 
「ダークストーカーは、そろそろ耐えられなくなっていた」
「……」

 まだ言うか、という顔をしつつも、可南子ちゃんは由乃さんを無視して帰り支度を始める。

「彼女は太陽の下に出ることが耐えられない。闇に溶け込み、気配を消し、獲物を追跡する。それがダークストーカーの本性なのだ」
「……」
「その身体の大きさをものともしない闇のテクニックを持ち、表向きはバスケ部という健全の皮をかぶった狡猾な追跡者は、陽も落ちてきたこれからが格好の活動の時間となる。今日の獲物は狸だろうか? それとも実の父親か? 母親? まさか実の妹? 血に飢えた狼は舌なめずりしながら暗黒の野原へ放たれんとしていた。ほら、狼って夜行性だから」
「……」

 ベキ メリメリミキ
 筆箱に入れるべく手にしていたシャープペンが、可南子ちゃんの手の中で断末魔の声を上げた。

「…………」

 ここまで茶化すような相槌を入れていた瞳子ちゃんも、さすがに今は可南子ちゃんに触れずにごくりと喉を鳴らした。
 ややうつむき気味の可南子ちゃんの横顔は、本当に血に飢えた狼のようで、すぐ隣にいる狸イェーな私の全てを震撼させた。
 いい加減にしようよ……と声にならない声で訴える私になど気付くわけもなく、由乃さんは立ち尽くす可南子ちゃんの横に視線を向ける。
 次の獲物を狙って。

「天使の顔をした悪魔が、天使のように微笑む。『乃梨子、私のこと嫌い?』」
「……」

 乃梨子ちゃんはうつむいて、紅茶の入ったカップの底を見詰めて悪魔の囁きを無視する。声は似ているけど発生源が明らかに違うので当然引っ掛からない。けど本当に似てるなぁ。

「『そう……やっぱり私が嫌いになったのね。私が不甲斐ないから? それとも銀杏が好きだから? お願い、理由だけは教えて?』」
「……」
「『……もう口も聞きたくないのね。いいわ……でも、でもね? 最後に思い出がほしいの』」
「……」

 ピクリ。乃梨子ちゃんが反応した。

「『あのね、乃梨子……ペロン、ってしていい?』」
「……な……なにする気……?」

 あ、返事しちゃった。悪魔に。

「『もちろんあなたをペロンといただくのよ★』」
「…ぺ、ぺろんと……?」
「『ええ、ペロンと。乃梨子も私をペロンとしてくれる……?』」
「ぎ……ぐっ!……!…!………!!」

 あ、乃梨子ちゃんが葛藤してる。首を激しく振ったり志摩子さん(本物)を見たりうっとりしたりしてる。
 ……怖い。おかっぱ頭を振り乱す様は、本当に呪いの人形が暴れているかのようだ。

「由乃さん」

 志摩子さんがおっとりと言った。

「いくら私の実家がお寺だからって、さすがに人は食べられないわ」

 それはお寺とか関係ないのでは? というか、言うのはそこじゃない。

「『志摩子さん』」

 今度は乃梨子ちゃんの声で、由乃さんは囁き始めた。

「『ごめんなさい、志摩子さん。私、私ね』」

 感情を込めて人の優しさに付け込むような偽者の声に、若干志摩子さんの瞳に本気の光が宿る。見事に優しさに付け込んだらしい。
 目の前でなにかと必死で戦っている乃梨子ちゃんを見詰め、悪魔の声に耳を澄ま……ああダメだっ、志摩子さん、本人を見ながら偽者に耳を貸しちゃダメだっ。

「『私……私……』」
「落ち着いて。ゆっくりでいいから話して」

 だからそっちは本物で、言ってるのは偽者だってばっ。

「『し、志摩子さんが、うさ耳でメイド服を着ている姿を想像して毎晩萌えてるのっ』」
「え?」
「『今度用意してくるから、着てくれない、かな……?』」
「……? ……ええ、いいわよ」

 なんだかよくわかってなさそうな志摩子さんが気軽にうなずくと、偽者ではなく本物が瞬時に食いついた。

「いいのかよ! え、本当に!?」

 律儀にツッコミをこなしながら確認すると、志摩子さんははっきりと「もちろん、乃梨子が望むなら」と天使の微笑みを浮かべる。

「……ああっ、マリア様っ」

 乃梨子ちゃんは初めて見るほどの晴れ晴れとした顔で天を仰ぎ、力尽きたかのように椅子に着地し……真っ白に燃え尽きたボクサーのような体勢で動かなくなった。

「の、乃梨子? 乃梨子っ?」

 妹の奇行の数々に、さすがの志摩子さんも心配そうに乃梨子ちゃんの肩を揺する。

「大丈夫ですわ、白薔薇さま」

 そんな志摩子さんに、瞳子ちゃんが「なにやってんだか」という態度で肩をすくめる。

「ちょっと向こうへイッてしまったようですわ。もうしばらくすれば正気に戻って、急いで帰ると同時にネット通販を巡回しますわよ」
「そ、そうなの?」
「ええ、間違いなく」

 「そんなものも買えるのね」と感心したようにうなずくお姉さまに、「はいお姉さま」と私もうなずいた。
 ……しかし、だ。
 今日のお姉さまは……というか、今日はお姉さまも、少し変だ。
 いつもなら由乃さんの暴走を止めるところなのに、なぜこんなにも落ち着いているのだろう。
 いやまあ、由乃さんになにやら考えがあってやっているってことは理解しているからこそ、傍観しているんだろうけれど。
 でも、なんだかなぁ。こんなに大人しいのは少し変かなぁ。
 「由乃ちゃん、声真似うまいのね。意外だわ」と感心したようにうなずくお姉さま。……これが大人の余裕かな。

「『祐巳』」
「あ、はいっ」

 って……やられたっ。由乃という名の悪魔の声に騙されてしまったっ。

「『あなたっていつも私に見惚れているのね?』」

 う……見惚れていたから引っ掛かったんだけどね。本物を見ていながら引っ掛かるなんて、なんておマヌケなんだ。

「人を化かすのが狸。しかしこのインチキ狸は騙されるのです。なぜなら狸はお姉さまが大好きだから。チューしたいくらい大好きだから」
「……」

 いや……当たってるけどさ……インチキの部分もね……だって人間だもの。狸じゃないもの。

「こうして狸は、幸せな幻を見ながら……寒い雪の降る夜に冷たくなって…………………めでたしめでたし」

 ええっ。なんか切ない童話風に締めて終わったっ。いやそれめでたくないよっ。

「由乃さんっ、贅沢は言わないから私も乃梨子ちゃんみたいに堕としてよ! 死んでもいいから幸せな幻を具体的にっ」
「死んだ狸はしゃべっちゃダメよ、祐巳さん。それがルールじゃない」

 どんなルールだっ。だいたい死んでないしっ。狸でもないしっ。
 ――私、やっぱり由乃さんに嫌われているのかも知れない。所詮私は由乃さんにとっては「狸イェー」くらいの存在なんだろう。

「ドリルギュイーーーン」
「突然私に!?」

 なんの脈絡もなく、由乃さんは、今後の付き合いを考え始めた私の隣のドリ……瞳子ちゃんをイジり出した。

「ミス・ドリラー……あなたはいつまであの人を傷付けるの? あなたが武器を手放せば、あの人はもっとあなたに近付いてくれるのに……」
「え、なっ……よ、余計なお世話ですわ!」
「抱き締めてくれるわよ。そしてあなたも抱き締めればいいわ」
「だから余計なお世話ですっ!」

 なんだか異様に動揺している瞳子ちゃんは、ふと視線を向けた私と目が合うと、プイッとそっぽを向く。見ていると耳が赤くなった。可愛いなぁ。

「武士の情けじゃ。これ以上はやめておこうではないか」
「……」

 なんだかしたり顔の由乃さん。瞳子ちゃんは黙ったままなので、「武士の情け」とやらを甘受したようだ。

「…………」
「……よ、由乃……?」

 いつの間にか復活していた令さまは、横目で見詰める由乃さんにオドオドしている。

「……一冊だけえっちい本があるよね」
「あああああぁぁぁぁぁ」

 令さまは倒れた。斜め上32°の……二度目はくどいです、令さま。スローで黄薔薇を散らしてないで早く倒れてください。

「……由乃さん」
「だから祐巳さん、死んだ狸――」
「いい加減怒るよ?」

 シャープペンを粉々にせんばかりに握り締めている、立ち尽くしたままの可南子ちゃん。血に飢えた瞳は揺らぐことなく、さっきから由乃さんを睨んでいる。
 志摩子さんはちょっと心配げに、真っ白に燃え尽きている乃梨子ちゃんを気にしている。
 私は寒い夜に具体的じゃない幸せな幻を見ながら死んでしまった(童話風に)。
 瞳子ちゃんは武士の情けで軽傷だが、ある意味これこそ瞳子ちゃんのプライドを思いっきり侵犯しているかもしれない。
 令さまは二度も瞬殺だ。しかも二度目は殺った時間より殺られていた時間の方が長かった。……やっぱり結構余裕があると思うけど。というか、あなたの妹でしょう? 止めてくださいよ。



 本気で睨んでいると、由乃さんはぺこりと頭を下げた。

「…………いや、ごめん。悪かった。みんなごめんなさい」

 引き際を察したのか私が自分の予想以上に怒っているのかまたそう見えるのか、あるいはもう他人を見る目になっているのか、とにかく由乃さんは素直に謝罪を口にした。
 これから、この奇妙な放課後の種明かしをするようだ。
 誰に聞かれるまでもなく、由乃さんは「本当に悪かった」という顔で一人一人の目を見る。

「ちょっと理由があって、アドベンチャーをね……作っていたの」
「「アドベンチャー?」」

 正気の者の声が重なる。アドベンチャー? 冒険?

「その、理由って?」
「お願いばかりで悪いけれど、今は聞かないで。いずれ必ず説明するから」

 志摩子さんの問いに、これまた罰の悪そうに答える由乃さん。
 私や令さま(いつの間にか復活していた)は、たぶんあの子のことだろう、と当たりがついたものの、わからない人は本当にわかっていない。
 ……のだが、これも一種の武士の情けか、誰も突っ込もうとはしなかった。

「薔薇の館で日々繰り広げられるアドベンチャーを作っていたの」
「ちょっと待ってください」

 獣の目をしたダークスト……可南子ちゃんが、なにかを必死で抑えたような低い声を発する。今その声は似合いすぎてて怖い。

「私はバスケ部ですし、日々繰り広げられる薔薇の館のアドベンチャーの住人ではないんですけど」

 なぜ呼ばれたのか。

「そうですわ。なぜ私達を呼んだんですの?」

 可南子ちゃんも瞳子ちゃんも同じ立場である。

「令ちゃ……お姉さまは相手にならないし、そうなると祐巳さんと志摩子さんと乃梨子ちゃんだけしかいないもの。だから悪いとは思ったけど、人数合わせで」
「に、人数合わせで、こんな不快な思いを……部活まで休んで来たのに……」

 可南子ちゃんはぷるぷるしている。なんだかこのまま放っておくと、あの長い髪がゆらぁっと逆立ちそうなくらいの激しい怒りを感じさせる。たとえるなら、噴火寸前の活火山か。

「ごめん可南子ちゃん! 可南子ちゃんイジりやすいから調子に乗りました!」
「…………」
「今度(令ちゃんに作らせて)チーズケーキ持ってくるから、それで許して!」

 ね?と可愛らしく、でも若干引きつった笑みを浮かべる由乃さんに、可南子ちゃんの活火山が鎮まっていく。

「……約束ですよ。忘れる前に果たしてくださいね」
「うんうん! (早速令ちゃんに作らせて)近い内に持ってくるから!」

 これでなんとか、可南子ちゃんの気は納まったようだ。よかったよかった。

「由乃さま、瞳子には?」

 可愛らしく微笑む瞳子ちゃん。

「武士の情け」
「……もういいです」

 よくわからないけれど、瞳子ちゃんは由乃さんになにかを握られているのかも知れない。

「で、みんなどうだった?」

 由乃さんの瞳が輝く。

「がんばって見てみると、こう……薔薇の館ってなんか日々冒険の刺激に満ちてないっ?」

 すがるような、あるいは祈りがこもっているようなその声に、私達はきっぱりと答えた。

「「無理」」

 

 意気消沈した由乃さんが、令さまを伴って去って行った。きっとこの後、令さまにチーズケーキを作らせるのだろう。
 真っ白になっていた乃梨子ちゃんを、志摩子さんが連れて帰った。うさ耳でメイドか……乃梨子ちゃんもマニアックだ。仏像鑑賞が趣味だからだろうか。
 瞳子ちゃんと可南子ちゃんも、なんだか気が抜けたらしく早々に帰ってしまった。
 そして私は、瞳子ちゃん達が「やります」と言ってくれた申し出を断り、皆のカップを洗う。



 先程までの騒ぎが嘘のように、静寂の帳が薔薇の館に降りている。
 なぜだか水仕事をしている今の方が、静を強く感じる。
 冷たい水、陶器の堅さ、スポンジの柔らかな泡。
 きゅっ、と蛇口を捻り、静寂の帳を少しだけ開いてみた。
 
「帰りましょうか、お姉さま」

 そろそろ、薔薇の館を夜のために明け渡さねばならない。
 夜露と休息と月光。
 夜は夜で大切な時間だから。

「ええ、帰りましょうか」

 夕陽を背に、お姉さまは椅子から立ち上がる。
 まるで後光を背負ったような神々しいお姿は、綺麗で。
 とても綺麗で。
 いつまでも見ていたいけれど。
 でも……

「お姉さま」
「なに?」
「なにか心配事でも?」

 悩んでいるようには見えないけれど、私にはなんとなく悩んでいるように見えてしまった。

「……やはり祐巳にはわかってしまうのね」
「妹ですから」

 微笑むと、お姉さまも微笑む。

「大したことじゃないのだけれど――」

 お姉さまは、先程まである人が座っていた席に視線を配る。

「……私、由乃ちゃんに嫌われているのかしら? 出してくれなかったわ」



 お姉さまが由乃さんを暴走させたまま放置した理由は。
 由乃さんが作り出すアドベンチャーに登場したかったから。



「……イジられたかったんですね、お姉さま」
「だって楽しそうだったんですもの」

 拗ねたように頬を膨らませるお姉さま。

「楽しいって……私、死にましたよ? 童話風に」
「不謹慎に聞こえるかも知れないけれど、結果があるだけいいじゃない。私なんて登場すらしなかったわ」
「うー……わ、わかりました。では不肖福沢祐巳が、お姉さまをアドベンチャーの世界へと誘いましょう」
「本当?」

 自信はないけれど、お姉さまがお望みなら、やってやりますとも。
 でも、まさかお姉さまがこんなことを言い出すなんて。
 ――由乃さん。
 確かに薔薇の館では、見えないアドベンチャーが日々起こっているかも知れないよ。

「とりあえず」
「由乃ちゃんの出番はなしね」

 いいえ、と私は首を振る。

「嫌われてるんじゃないかって疑うくらい、イジり倒したいと思います」
 




【No:2228】へ続く。


一つ戻る   一つ進む