【No:2224】の続きです。
キーの「果たせなかった約束」なんて思いっきりシリアスなのに、
ギャグに使っちゃってすみません……orz
あとまた長いですけど、この話はこれで終わりなので、ご容赦ください。
☆
いったい何がどうなっているのか。
気が付けば、祐巳さまと由乃さまがテーブルを挟んで睨み合っていた。
「……祐巳さん、今の、何?」
「別に。由乃さんと同じことをしてるだけなんだけど、問題あるかな?」
「…………」
「…………」
放課後、薔薇の館にて。
瞳子と可南子さんは露骨に「またかよ」という嫌な感情と「なぜ祐巳さまが?」という疑問を抱え、複雑な顔をしている。
「……ああ、おいしい」
我が姉・志摩子さんは、(恐らく黄薔薇さまに作らせて)由乃さまが持ってきたチーズケーキに舌鼓。ご満悦で何よりだけれど、只今地上最強の可愛らしさだけれど、少しは空気を読んで欲しい。まあそんな天然なあなたも大好きなわけですが。
令さまこと黄薔薇さまは「何事?」という顔をしつつも、妹を止める気はないらしい。私同様に状況がわかっていないのだろう。私の錯覚じゃなければ、今日は祐巳さまが始めたように見えたから。
そして祐巳さまのお姉さまである祥子さまこと紅薔薇さまは、と、言えば。
「……」
満足げにうなずきながら、紅茶など楽しんでおられました。あの人にとってこれは想定内なのか、はたまた打診済みなのか、あの様子では絶対に祐巳さまを咎めることなどないだろう。
これは、アレだろうか。
例のアドベンチャーが始まってしまったのだろうか。
私はあの一件で大切なものを失い、代わりに唯一無二の得難いものを手に入れた。具体的に言えば「うさ耳」と「メイド服」を。恐らく今日明日にはネットで頼んだブツが届くはずだ。志摩子さんには今度の休日にでも……ということで話がついているので、わくわくしながら週末を待っている。
……確かに得たものは大きかった。だがそれと同時に失ったものも計り知れない。
今はまだ、誰もがどこか冗談混じりに言っているだろう「ガチ」が、日増しに本気に近くなっているのは感じているのだ。
最近じゃ「志摩子さんなら別にいいんじゃない」とまで、ごく自然に思うようになってきている。順調に私の心はガチに染まってきている。
……みんな知ってるよ、なんて言わないでほしい。
まあ、とにかく。
この薔薇の館で繰り広げられるアドベンチャーは、危険過ぎる。誰かの心の大切なものががっくりと目減りしてしまうほどの精神汚染攻撃を可能としているのだから。
あんなものは、一度やれば十分だろうに。
「志摩子さん、志摩子さん」
睨み合う狸と暴走侍には聞こえないよう、小声で志摩子さんの耳に口を寄せる。
「――あんっ。乃梨子ったら、くすぐったいわ」
ズギューン!!
身もだえする志摩子さんが、私のガチ色に染まっていない部分のハートを対戦車用ライフルでぶち抜いた。
なんだか頭がくらくらする。たった一発の弾丸で、なんて威力だ……!
「もう……耳に息を吹き掛けないで。耳はダメよ」
「え、耳がダメならどこならいいの!?」
恥ずかしそうに笑う志摩子さんの声に、自分でも驚きの超が付くほどの反射速度で口からガチが飛び出していた。だって、だって、志摩子さんの態度がなんか恋人同士の微笑ましい戯れみたいな雰囲気に感じたんだもの! しょうがないじゃない!
「ガチ」
「ガチ」
「ガッチガチ」
「ガ、ガチじゃない!!」
あの日のように由乃さま、可南子さん、瞳子のツッコミ。
……正直、助かった。
もし志摩子さんが「○○ならいいけど……」なんて恥ずかしいけど乃梨子ならいいのよ的な態度で返していたら、後戻りのできないところまでイッてしまうところだった。ただでさえ加速がついているのに、ニトロを爆発させるようなものだ。
今のはヤバかった。
ふーとかろうじて無事な我が身に安堵の息を吐いて――そして、はたと気付く。
空気がパンパンに入った風船のような緊張感が支配していたこの一室が、私のアクションで一気に弾けてしてしまっていた。
ああ……全力で回避すべき危険なアドベンチャーが、今度は祐巳さまをも主役にして始まってしまうのか……
「『んもう、乃梨子ったら。続きは二人っきりで、ね★』」
「な……!」
やっぱり始まったーーーー!! いやほんとに由乃さまの声真似すごいんだって!! だって私の望み通りの志摩子さんのはつげっ……ごふごふ、と、とにかくそっくりなんだって!!
「改造人間由乃は、洗脳能力に特化した怪人である」
動揺しまくりの私を庇うかのように、祐巳さまが無情表で言う。
「か、怪人!?」
由乃さまが牙(犬歯)を剥く。
「悪の組織『黄薔薇革命軍』の一員であったが、その暴走しがちの性質ゆえ、総監エリーコに捨てられてやさぐれてとりあえず一人で世界征服でもすっかぁ、と気軽な気持ちで世界進出を決める。手始めに自分の体力のなさとか生活とかをサポートする令さま(人間)を洗脳に成功。今に至るのだ」
私を含め、この場の皆が目を丸くする。
「「……お、おおー」」
祐巳さまがどこまでやれるか、なんて、失礼ながら誰もがあまり期待していなかったのだろう。別の意味でも。少なくとも私はそうだ。
意外や意外、結構やる。由乃さまに負けてない。
相手たる由乃さまも思いっきり意外そうな顔をしている。
そして紅薔薇さまは。
「……」
妹の攻撃に満足げにうなずいておられます。幹部としての威厳はものすごいけれど、最近あまりしゃべらない。単純に出番がないのか、もう早々に隠居気分なのか。
「……あのさ、祐巳さん」
由乃さまが、あのもう二度と見たくなかった真面目な顔をする。
「私、可南子ちゃん達に怒られて、本当に反省したんだよね。だからアドベンチャーを作るのはやめようと思ってたの。少なくともここでは」
……え?
「でもさ、祐巳さんがそうやって対抗してくるなら、立ち上がらないのは失礼よね?」
な……なにい!
いやいや、そう言えば、あの日から数日が経っていて、その間確かに由乃さまは無理やりアドベンチャーをやってはいなかった。声真似でからかうことは多々あったけれど、それはまた別の話だ。
つまり、なんだ。
祐巳さまが藪を突付いたことで、蛇が出てきちゃった、と?
「そんなの関係ないよ。由乃さんがやったから私もやりたくなっただけだもん」
人畜無害を絵に描いたような祐巳さまの発言とは思えないそれに、私達は驚く。志摩子さんとうなずいている紅薔薇さまを除いて。私のお姉さまはチーズケーキを食べ終わり、残り香を紅茶とともに味わっていた。すごいマイペース。
やはり、アレなのだろうか。
私がガチに浸食されていたあの時、祐巳さまも大切な何かを失い、得難い何かを得たのだろうか。
「『ねえ瞳子ちゃん』」
「え……えっ!?」
由乃さまの攻撃が始まった。うわ〜……祐巳さまの声そっくり。若干気の抜けた柔らかい感じまで忠実に再現している。
祐巳さまの声で話し掛けられた瞳子は、本当に不意打ちに近かったらしく、祐巳さまを見てから声を発した由乃さまを振り返る。
「『今度……もう来年になっちゃうかも知れないけど、来年は私もカナダに連れていって欲しいな』」
カナダ? ああ、そういえば、キャンセルしたらしいけど夏休みに行く予定だったんだっけ。
「『二人っきりで……過ごしたいの。ダメかな……?』」
「……ダ、ダ、ダ、ダメですわ! ええそれはもう色々な事情があってダメですわ!」
瞳子、動揺しまくり。由乃さまを見たり祐巳さまを見たり顔を真っ赤にしたり頭に標準装備されたドリルを凶器のように振り回したり。……って、私も少々アドベンチャーに毒されている気がする。
その時、祐巳さまが高らかに叫んだ。
「改造人間由乃、敗れたり!!」
「なっ……なんですってーーーー!!??」
由乃さま、驚愕。祐巳さまのツッコミを最大限に引き立てんばかりの見事な驚きっぷりだ。
「なぜなら本物の福沢祐巳は、瞳子ちゃんとカナダに旅行なんてあり得ないのだから! 私は来年も再来年もお姉さまの別荘よ!」
「し、しまったぁーーーー!!!」
敵対しているように見せて、実は祐巳さまと由乃さまは、二人でコレを成立させようとしている同志なのだろう。
なんて迷惑な。暴走する人は一人でいいのに。一人いるだけでも十分すぎるのに。
「そ、そうですわ! どうして私が祐巳さまなんかをカナダに連れて行く必要がありますの!? まったく!……………………ふぅ……」
瞳子……最後の溜息は、聞かなかったことにしておくね……
なんだか微妙にヘコんでいる瞳子を残して、二人のアドベンチャーは続く。
「解説しよう。改造人間由乃の洗脳攻撃は基本的に優しいばかりの夢物語。そんなものが真実に勝つことなど絶対にないのだ!」
「…!」
あ、祐巳さま瞳子にとどめ刺しちゃった。その発言は未来のとある可能性を完全否定していて……知らないって、時には罪だ。
あの可南子さんが正面を向いたまま、祐巳さまの背後から手を回し、瞳子の背中を労わるようにぽんぽん叩く。私も今後優しくしてあげようと思う。
「くぅ……タヌレンジャー紅、なかなかやるじゃない!」
え? 祐巳さま、そういう役柄なの? てゆーか由乃さま悪役でいいんだ?
「『乃梨子は私の味方よね?』」
って私に来やがったか、怪人め!
「『お願い、乃梨子……今度某高校の可愛いブレザーを着るから、私の味方だと言って……』」
か、可愛いブレザー!? マジ!?
「スカート短いの!?」
「え?」
もはや本能で志摩子さんを振り返る。志摩子さんは「なんのこと?」と言いたげに首を傾げる。そりゃそうだ、志摩子さん言ってないんだもん。それは私もわかってるんだけど……
「『ええもちろん。ちょっと振り返っただけでひらりと。もうギリギリよ★』」
ギ、ギリギリ……
私は瞬時に志摩子さんの某高校の可愛いブレザーを想像してみる。イメージ構築に0.8秒だ。
そのイメージの構築に成功した瞬間、熱いモノを感じて鼻を押さえる。
……はっ、鼻血が出そうだ……! 雪みたいに白い志摩子さんの太股がっ、太股がぁ……!
「甘いぞ、怪人由乃!!」
「それはどうかなタヌレンジャー!? あと一押しで呪いの市松人形が(本人の鼻血で)血に染まることくらい見抜いているはずよ! 今度は私の勝ちだ!」
「フフフ……それはどうかな?」
「な、なんだとぉ? ここまでテンパッたガチ人形を救えるとでも言うの!?」
「当然よ。そう、令さまが一生由乃さんに勝てないことと同じくらいにね!」
「なっ……なんですってーーーー!!??」
「わ、私を巻き込まないで欲しいんだけど……」
え? ちょ、ごめん、聞いてなかった。今どんな流れになって――
「さあ呪われし市松人形! ひらりと舞う志摩子さんのスカートの中に、何が見える!?」
祐巳さま、あんたまでそう呼ぶのかよ。
だが色々ギリギリの私は、祐巳さまの誘導通りに完成させたイメージを頭の中で動かす。イキイキと。ふわふわ巻き毛の一本一本まで。息遣い一つまでも細かくリアルに。愛の成せる技だ。
「な、何って、もちろん、純白の穢れなき(でも私だけが汚すことのできる)パン」
「残念! 古風な志摩子さんは赤いふんどしでキメッ!」
ガビーン!!
ああっ、ああっ、私のっ、私のブレザー志摩子さんがっ、全てが崩れていくっ……!
ふんどしという名の無粋すぎる布きれが、ピシリと私の夢世界に亀裂を入れた。
亀裂はあっと言う間に蜘蛛の巣のように縦横無尽に走り、全てが崩れ去る。光を失った夢世界は闇に包まれ、ぽつりと寂しげに、だが存在感だけは無視できないほどありすぎる赤い布だけが残されていた。
――志摩子さんが赤ふんなんて考えられないしイメージできないししたくもないので、それをキメた志摩子さんなんて現れるわけがない。
ああ……わ、私のブレザー志摩子さんが……白い太股が……
「祐巳さん」
志摩子さんがのんびり言う。
「父は今もふんどしだけれど、私はさすがに違うわよ」
……もう遅いんだよ、志摩子さん……全てが壊れて赤いふんどししか残っていないここには、もう何も生まれないんだ……ふんどしなんかから志摩子さんが生まれるわけがないんだ……!!
「ちなみに今日はどんなの?」
「え? えっと……」
どうせベージュの堅すぎる色気も何もない、でも志摩子さんにはそれしか考えられないやつなんでしょう? だから私の想像力が逞しく――
「……い、言わなきゃダメ?」
「できれば聞きたいんだけど」
「そ、そう……あの……安かったし、可愛かったから思わず衝動買いしちゃった……淡いピンクのなんだけれど……」
ピンク!?
「正気に戻れ」というガチな自分の声とともに淡いピンクのハリセンで横っ面を激しくひっ叩かれたような気がした。
目が覚めた私はバッと横を見る。
恥ずかしげに頬を染め、いけないことでもなんでもないのにあたふたしている志摩子さんが、そこにいた。
ダキューン!!
……私の中の大切な何かとふんどしが失われ、私の中に淡いピンクの布きれが生まれた。
思わず、呟く。
「ご、ごちそうさまです……」
「え?」
熱くなる鼻の奥を心配して、とりあえずここまで。――今夜はカーニバルだ。
「くっ……タヌレンジャー……アフターケアまでこなす小憎らしい奴め!」
……正常な部分がおっしゃるには「とどめの一撃」なんですけどね。アフターケアの効果は私のガチ部分だけです。
しかしまあとにかく、これ、なんだか方向性は見えてきた気がする。
結局は怪人由乃(もう呼び捨て)が攻めて、タヌレンジャー祐巳さま(アフターケア分の差)がそれをガードするって流れになっているようだ。
でも、祐巳さま。
あなたケアしているようで、実は攻めてもいるんです。あなたの放つ野獣が心を食い荒らしていくんです。お願いだから自覚してください。
「タヌレンジャー、次で勝負よ! ――『志摩子さん』」
チィッ! 怪人由乃、今度は志摩子さん狙いか!
「志摩子さん、私のチーズケーキもどう?」
「あら祐巳さん、いいの? ありがとう」
「攻撃すらさせずにーーーーーー!!!」
頭を抱える怪人由乃。「食べかけになっちゃったけど」とお皿を渡す祐巳さま。満面の笑みを浮かべる志摩子さん。
「……志摩子さん、ケーキ好きなの?」
「家では和菓子が多いから。それに令さまのチーズケーキ、本当においしいもの」
そうなのか。憶えておこう。そして自分がすでにチーズケーキを片付けてしまったことが悔やまれる。
だって下っ端である私は、すぐに紅茶のお代わりなどを淹れられるために、できるだけ身軽な方がいいと思ったから。
「あ、でも、食いしん坊ってわけではないのよ? 由乃さんがケーキを持ってきたって言ったから、お昼を軽めにしておいたの」
普段の落ち着いた雰囲気もいいけど、今みたいにケーキ一つで子供みたいに無邪気に笑う志摩子さんもいい。
「『志摩子さん、あーんして』」
「え?」
私の声で何を言い出すんだこの怪人は! こっちに構わず祐巳さまと遊んでてくださいよ!
「『私が食べさせてあげる。……ダメ?』」
「え、その……恥ずかしいのだけれど……」
「…………」
――この時、私はすでに怪人に魂を売っていたのです。大切な志摩子さんをイジるなら、妹として全力でそれを阻止する義務があったのに。
まるで自分が言い出したことのように、私は落ち込んでいる様を装って、寂しげに笑ってうつむく。
さあ怪人よ、私の魂を持っていけっ。代わりに至福の時間をくださいっ。
「『そ、そう……そうだよね、恥ずかしいよね……私なんかに食べさせられるなんて……』」
「そ、そんなことはないわ! あの……た、食べさせてくれる?」
怪人由乃さま(株価回復)ありがとう!!
「……なかなかやるわね、祐巳さん。正直意外だわ」
「由乃さんもね」
互いの健闘を褒め称え、二人は笑う。
この時、二人の間に友情とも違う別の何かが生まれた。まあ勝手にやってください。私は志摩子さんとイチャイチャしてますから。
ああ、小さく口を開け雛鳥のように私の差し出すケーキを待つ志摩子さん……もうガチでもいいよこれ本当に……
「でも祐巳さん」
「なに?」
「どうして急に、こんなことをしようと思ったの?」
「……由乃さん」
祐巳さまの臨戦態勢なのか、また表情が消え失せる。感情豊かな百面相と呼ばれる祐巳さまの無表情は結構怖い。
「前のアドベンチャーで、由乃さんは決して許されぬことをしたの。いえ、しなかったことが許されないことだった。だから私もしたくなったの」
ちょうどケーキ切れになったので、私は二人の会話に耳を傾けることにした。動機がわかればやめさせる方法も見付かるような気がするからだ。
至福の時間の余韻に浸るのは、淡いピンクの布とともに帰ってからにしよう。これ以上のガチ進行は、私の今後の人生の八割以上に関わってしまうのだから。ちなみに八割以上のソースは私内志摩子さん率である。
「しなかったこと? それって……何?」
由乃さまは過去を振り返るように、難しい顔で宙を見上げる。
しなかったこと……なんだろう?
祐巳さまのお姉さまなら何か知っているだろうか、とチラリと紅薔薇さまをうかがうと、「そうそうその通りよ」とでも言いたげにうなずいている。あの人うなずいてばかりだな。
「由乃さん、思い出して。とても大事なことだよ」
「そう言われても……れ、お姉さまわかります?」
「え? あ、いや〜……どうかなぁ……」
まるで部屋中に舞っているだろう埃くらいの存在感のなさで、きっと故意に巻き込まれることを避けていた黄薔薇さまは、急に話を振られて焦っていた。もはや妹を放置することに決めているらしい。無責任な。
「もう! 令ちゃんやる気あるの!?」
たぶんないと思います。あるのはあなたと祐巳さまと、態度を見る限り紅薔薇さまもかな……あ。
紅薔薇さまを見た瞬間、わかった。わかってしまった。祐巳さまの動機が。
暴走由乃さまの真正面に立つような毅然とした祐巳さまなんて、よほどのことがない限り、ある人のためだけだ。
もちろん、言わずと知れたあの人、紅薔薇さまだ。
紅薔薇さまを中心にして思い出してみると、思い出すことなど、うなずいている姿だけだ。
「しなかったこと」が問題であるなら、由乃さまは、あの人のことにだけはまったく触れていない。たぶん単純に怖いとか、個人的に恨みを買いたくないだけだと思うが。
……つまり、紅薔薇さまは、由乃さんにイジられたかった? それが祐巳さまが立ち上がった理由? 「しなかったこと」が問題なのなら、そういうことになるんじゃないか?
この推理が当たっているのなら、この後、必ず祐巳さまのアドベンチャーにはヒーローさながらに紅薔薇さまが颯爽と登場するはずだ。
もし登場しないなら……さすがにわからないけれど。
「思い出さないなら、可南子ちゃんで勝負よ!」
可南子ちゃん“で”勝負って、人権すら無視したようなえらい言い方だ。祐巳さま実はノリノリか? 「……えー」と可南子さんが嫌そうな顔して、小さく小さく不満の声を上げていた。
「さあ改造人間由乃、剣を取れ!!」
「――フッ」
由乃さまが悪役さながらかなり悪そうに笑う。
「かの宮本武蔵は(中略)で佐々木小次郎を破った。つまり今のタヌレンジャーのように勝負を焦った瞬間、あなたの負けは決まったのよ!」
「な、なんだってーーーー!!??」
祐巳さまやっぱりノリノリでしょ。
「可南子ちゃん、悪いけど瞬殺させてもらうわよ!」
「はあ」
お好きにどうぞ、という感じのやる気のない可南子さん。顔に「どうでもいいからそろそろ帰りたいなぁ。ケーキも食べたし」と書いてある。きっと私の顔にもそう書いてあることだろう。
「今私の味方に付いたら、超超超極秘ルートで入手した初等部時代の祐巳さんの写真を進呈するわ!」
「「えっ」」
怪人の揺さぶりに、可南子さん以外の人も反応する。
「蔦子さん、初等部からああだった!?」
祐巳さますらも驚かせる年季と筋金入りの盗撮疑惑。あの方はいつからああなのか? 高等部からリリアンに来た私にはわからないし、聞いたこともない。
……あ、いや、待てよ? あれほど有名な方が中等部から能動的に動いているのなら、祐巳さまだって知っててもおかしくないよな……
「ふふん。さーてどうだったかしら?」
勝ち誇った顔の怪人由乃さま、何気に欲しそうにしている可南子さん、何食わぬ顔で紅茶を飲む瞳子(だがカップを持つ手がぶるぶる動揺に震えている)、そして「それはぜひ見たいわね」とうなずいている紅薔薇さま。
「由乃さま、一ついいですか?」
「何よ。乃梨子ちゃんも欲しいの?」
誰が。私は志摩子さん一筋だ。
「中等部時代の志摩子さんの写真、いただけますか?」
「…!」
由乃さまもわかりやすい方だ。思いっきり「おぬしなぜそれを!?」という顔をする。
『くれないならバラしちゃいますよ』
『ちっ……さすがは呪いの市松人形ね』
……なんてことを、目と目で語り合ってみる。
答えは簡単、由乃さまの持っている祐巳さまの写真は、卒業アルバムの集合写真のことだ。当てずっぽうの揺さぶりに動揺してくれたので確信できた。
「写真=蔦子さま」と言われるほど有名なあの方だが、でも決して「存在する写真=蔦子さまが撮った」ではないのだから。
「……由乃さまの味方になれば、その写真をいただけるんですか?」
可南子さんが、目の前に吊るされた餌に興味を抱く。食いつくのか。その餌には釣り針が付いていることを知っていながら食いつくのか。
「ええ、もちろん。ただオリジナルは渡せないからコピーみたいになっちゃうけど、それでよければいくらでも」
やはりアルバムか。なんて狡猾な怪人だ。
確かに嘘は一切ついていない。ついていないけれど、きっと可南子さんの想像するような学校生活のワンシーンではない。蔦子さまのすばらしい写真を知っている今の私達からすれば、間違いなくただ突っ立っているだけのガッカリ写真だ。
「可南子ちゃん、悪の手に落ちちゃダメ!」
ヒーロー(ヒロイン?)役の祐巳さまが、その役通りすぎる役目を果たす。その王道のセリフに庶民派の光を見た。
「では祐巳さまが、プライベートなお写真を個人的にくださいますか?」
うわっ、可南子さんの悪知恵が由乃さまを越えた。どっちに転んでも写真を手に入れる気だ。まあ由乃さまの方はガッカリ写真だから、当たりとハズレはあるけど。
「う……あんまりないんだけど、それでよければ……」
「由乃サマ、早ク正義ニ目覚メテクダサイ」
そう言う可南子さんはひどく棒読みだった。やる気のない気持ちは痛いほどよくわかるが、それでもアドベンチャーの舞台に昇るのは写真のためだ。……そう言えば学園祭でもそうだったっけ?
「さすがにプライベート写真には勝てないか……」
先程祐巳さまが言ったように、確かに由乃さまは真実に弱いらしい。まあそれ以前の問題も多々含んでいるが。
とにかく、どうやら武蔵は祐巳さまで、小次郎が由乃さまだったようだ。
「……まさか全敗だなんて……」
私が落ちたのは勝負後の(無責任な)ケアとして、カウントされてないらしい。実は魂まで売っているのに。
「こうなったら令ちゃん、わかってるわね!?」
「な、なにが?」
「一言『私は由乃の味方だよ』って言えばいいのよ! ほら早く!」
激昂する由乃さま。もはやアドベンチャーでもなんでもなくなってきている。
「あ、うん。私は由乃の味方だよ」
「嬉しくない!」
おいおい。八つ当たりも甚だしいな。黄薔薇さまも大変だ。
「もう帰る! 祐巳さん、覚えてなさいよ!」
どこまでなりきっているのか、よく聞く類の負け犬の遠吠えを残して由乃さまは帰ってしまった。黄薔薇さまも「よ、由乃ぉ〜」と後を追って行った。……あの人、今日は存在感なさすぎたな。ケーキの方が存在感があった。
「正義は勝ぁつ!」
立ち上がって握り拳を掲げる祐巳さまに、薔薇の館の住人+お手伝いからパラパラと気のない拍手が送られた。私も三回くらい気持ち分だけ叩いておいた。
もうこれっきりにしてください。得るものもあるけど、失うものも大きいんですから。
敗走を余儀なくされた由乃さまが、黄薔薇さまを伴って去って行った。きっとこの後、黄薔薇さまに理不尽な八つ当たりをするのだろう。
瞳子は、なんとなく感じられる解散ムードに迷わず便乗して帰る可南子さんに「お話があります」と後を追って行った。ドアの向こうで「私は話なんてない」と可南子さんが言い切っている。きっと祐巳さまの写真のことだろう。
どこまでも天然な志摩子さんは「正義ってなんなのかしら」と哲学していた。正義とは行動する際に一瞬だけ発生する「動機の介入しないやってやろう」という純粋な生の輝きだと思いますと答えると、心をとろけさせる微笑みを見せてくれた。――今夜はフェスティバルだ。
そして私は、下っ端の仕事として皆のカップとお皿を洗う。
先程までの騒ぎが嘘のように、静寂の帳が薔薇の館に降りている。
すぐ側で待っている志摩子さんを待たせないよう、急いで洗い物をこなす。
「急がなくていいわよ」という優しい声。
見ていなくても見えていることに、確かな絆を感じた。
きゅっ、と蛇口を捻り、静寂の帳を少しだけ開いてみた。
「帰ろうか、志摩子さん」
今日辺り、うさ耳とメイド服が届いていそうな気がする。
実物に着せる前に、イメージ構築をしておかねば。
そうじゃないと、いきなり見せられたら、また私の大切なものがあっけないほど簡単に壊れてしまう。
「ええ、帰りましょうか」
夕陽を背に、志摩子さんは椅子から立ち上がる。
まるで後光を背負ったような神々しいお姿は、綺麗で。
とても綺麗で。
いつまでも見ていたいけれど。
でも……
「志摩子さん」
「なぁに?」
「なにか悩み事でも?」
悩んでいるようには見えないけれど、私にはなんとなく悩んでいるように見えてしまった。
「……やはり乃梨子にはわかってしまうのね」
「妹だからね」
心の中で「それに愛する者として」と付け加えて笑うと、志摩子さんも微笑む。
「大したことじゃないのだけれど――」
志摩子さんは、先程まである人が座っていた席に視線を配る。
「……祥子さま、なんだかひどく落ち込んでいたような気がして」
あ、そう言えば。
「紅薔薇さまと祐巳さま、いつお帰りに?」
食器を洗うために早々に席を立ったので、あの二人が帰るところを見ていない。
「ついさっきよ。なんだか妙な雰囲気だったから、話し掛けられなかったの」
「妙な雰囲気?」
「ええ。落ち込む祥子さまを見て祐巳さんが顔を真っ青にして、……あとは二人とも言葉もなく出て行ったわ」
……ああ、そうか。
あの推理が当たっているなら、紅薔薇さまは、由乃さまのアドベンチャーに出たかったんだっけ。その目的を果たすために祐巳さまが立ち上がった、と思った。
しかし今日もまた、由乃さまは紅薔薇さまをイジらなかった。その妹に至っては「しなかったことが――」などと意味深なことを言っておきながら、自分も同じことをしていた。瞳子にとどめを刺した時に少し触れただけだ。
たぶん手段に夢中になりすぎて、目的を失念してしまったんだろう。祐巳さまノリノリだったから。
「何があったのかしら?」
「さ、さあね……」
妹に忘れられた紅薔薇さまもかわいそうだけれど、目的のために巻き込まれた瞳子や可南子さんの方がよっぽどかわいそうだ。
まあ、私の推理が当たっていれば、の話だが。
帰り際、マリア像の前で。
幻の赤い薔薇を周囲に散らして、美しく泣き崩れている少女がいた。
そしてその少女を必死に説得というか、謝るというか、まあなんだか落ち込む飼い主を慰めようと空回りして駆け回る子狸がいた。
「乃梨子」
「うん」
私達は、それを見なかったことにした。
その後何がどうなったのかは、マリアさましか知らない。