「揃っているかね?」
ここ、藤堂家の居間に姿を現したのは、小寓寺主幹住職、藤堂賢武(※1)だった。
居間には、当の藤堂住職の前に、第一子の賢文、第二子の志摩子が顔を揃えている。
そして住職の隣には、妻の伊勢子(※2)が、穏やかな微笑みで控えていた。
「で、一体何の用です? 日曜日の朝に、わざわざ呼び付けてまで」
敬語ではあるが、あからさまに嫌そうな風情で問い掛ける賢文。
無造作に胡坐を組んで、耳の穴をかっぽじる彼は、いつもの様に五分刈り頭に三角巾、割烹着にサングラスといった、ちょっとセンスを疑われる姿だった。
休みの日なのだから、違う格好すればいいのにとは思うが、まぁ彼にも拘りがあるか、何も考えていないかのどちらかだろう。
その隣には、賢文の妹、志摩子がキチンと正座しており、母のように、良く言えば穏やかな、悪く言えばノーテンキな表情をしていた。
志摩子はこの家に住んでいるが、賢文は別居しているため、呼び付けられた苛立ちがあるのか、賢文と志摩子の表情は、ある意味正反対と言うわけだ。
「うむ、そのことなんだが……」
少し言いよどむ住職。
いつもは、落ち着いた口調でハッキリ喋る住職だが、今日に限って、妙に歯切れが悪い。
「実は……」
「実は?」
「うむ。実はお前たちに、弟か妹が出来た」
「………」
「………」
『……はぁ!?』
しばしの沈黙の後に、賢文と志摩子が声を揃えて素っ頓狂な声を上げた。
無理もなかろう。
兄妹とは言え、賢文と志摩子には、おおかた倍近い年齢差がある。
そこに弟あるいは妹が生まれるということは、更に同じぐらいの年齢差が生じることになることを考えると、驚くのも尤もと言えよう。
「いいいいいいいいいつの間に?」
「どどどどどどどどどうやって?」
「いやぁ、はっはっは。二ヶ月ほど前に、久しぶりにまぁそのなんだアレだったわけだが」
混乱しているのか、変なことを聞く兄妹だったが、それに素直に応える住職もどうかと思う。
「それで、伊勢子のやつが不調を感じたので医者に診てもらったところ、なんとオメデタだって言われたそうで、まさかしばらくぶりに撃った弾が命中してしまうとは、流石の拙僧もビックリギョーテンドッキリオヨヨだ」
若干照れたような笑いを浮かべる住職の隣では、当の伊勢子が両手を頬に当てて、恥ずかしそうに顔を赤らめていた。
ちなみに伊勢子は、結構な年齢であるにも関わらず、30代後半から40代前半ぐらいに見えるほど若々しく、流石は志摩子の母と言うべきか、かなりの美人だった。
「大丈夫なのか? オフクロは50を越えてるだろ!?」
「いやだわ賢文ちゃん、年齢は言わないでちょうだい」
「いや、照れてる場合じゃないだろ!? 下手すりゃ母子ともに危険な目に遭いかねないんだぜ!?」
一般的には、40代の出産でも決して安全では無いと言われている。
いくら見た目は若いとはいえ、50代での出産は、かなりの危険を伴うだろう。
もっとも、この年齢で受胎できること自体、極めて珍しいケースではあるが。
「大丈夫だ」
しかし住職は、自信タップリにハッキリと頷いた。
「何を根拠に!?」
「言うまでも無い! 我等には、御仏の御加護がついておるからだ!」
「ンなことあるかぁ!? 坊主みたいなことを言ってんじゃねー!?」
「いやワシ坊主だし」
「……ああそうか」
「お兄様、アッサリ納得なさらないで」
普通お坊さんは口が達者だが、説教でも説得でも、詭弁でも強弁でもない父の言葉に、思わず丸め込まれそうになった兄を、困った顔で嗜める志摩子。
「ですが、お兄様が仰るように、危険なのには変わりありません。それでも、出産なされるのですね?」
「ええ」
「もちろんだ」
志摩子の目をしっかりと見詰めて、請け負う両親。
「分かりました。お二人に相当の覚悟がおありと言うのであれば、これ以上私達は、何も言いません」
「おい、志摩子?」
「すまない。だが心配するな。先ほども言ったが、我々には御加護があるし、志摩子、お前も祈ってくれるのだろう?」
「ええ、もちろんです」
「だからぁ……」
「ならば、我々に恐れるものは何も無い。あとはただ、わが子の生誕をひたすら待つのみだ」
「はい」
「って、聞けよ!?」
賢文の言葉は、誰の耳にも届かなかった。
「そんな理由なので、ちょっと気は早いが、新しい家族に付ける名前を考えようと思う」
「ホンマに気が早いな」
「まだ男の子か女の子かは分からないので、とりあえず両方考える方向で」
相変わらず、賢文の言葉は華麗にスルーされる。
「お父様かお母様がお付けになっては?」
「いや、賢文は拙僧が、志摩子は伊勢子が付けたから、今度は家族みんなで考えよう。いい名前を付けてくれよ」
「うーん、そうだなぁ……」
「難しいですね……」
腕を組んで必死に考える藤堂ファミリー……いや、一家。
「……乃梨子なんてどうでしょう」
志摩子が通う、リリアン女学園高等部における制度上の妹である二条乃梨子の名を、彼女が挙げた。
「いや、男の子にそれは拙いだろ?」
「なんでやねん? 女の子の名前に決まってます」
「どっちにしても、妹の名前は止めた方がいいと思うけど」
母の言うことは尤もだ。
妹の前で、乃梨子を抱いてあやしているとなれば、当人はなんだか居た堪れない気分になるに違いない。
「こう最近流行の、国際化を意識した名前はどうかな? 例えば、ジョージとか、アリスとか」
「どっちもアリガチだけど、アリスはちょっと……。でも、だからと言って、あんまり奇抜な名前は止めたほうが良いと思うわ。“大地”と書いて“ジオ”とか」
「そんなの居たか? “騎士”と書いて“ナイト”ってぇのは居たけどな」
「“武士”と書いて“サムライ”とか。くす、由乃さんが喜びそう」
『居ない居ない』
珍しく、声を揃えて突っ込む父と兄。
「男だったら“太郎”、女だったら“花子”」
「何時の時代?」
「“路見男”と“樹理江”」
「シェイクスピア?」
「“ミッキー”と“ミニー”」
「西洋ネズミかよ」
「“リカ”と“ワタル”」
「初代なの?」
「“凸”と“凹”」
「江利子さま?」
「ちょっと待て、ちゃんと考えているか?」
「“藤堂ちょっと待て”と、“藤堂ちゃんと考えているか”? 変な名前ねぇ」
「違う! 真面目に考えろって言ってるんだよ」
「最初に“太郎”と“花子”って言ったのは、お兄様でしょうに」
「冗談に決まってるだろ!? なんにしろ、すぐに決まりそうにないし、あと八ヶ月もあるんだ。もっとじっくり考えることにしたら?」
呆れと諦めを含んて、提案する賢文。
「……それもそうだな。喜びばかりが先行して、少々冷静さを失ってたようだ。この件は、この子が生まれるその時までの課題としよう」
まだ殆ど膨らんでいない伊勢子のお腹を優しく撫でながら、自分に言い聞かせるように言った住職だった。
「と、こんなことがあったの」
月曜日の放課後、薔薇の館にて、志摩子が皆に弟か妹ができることを伝えたところ、
「わぁ、おめでとう志摩子さん!」
「志摩子さん、おめでとう」
「志摩子、おめでとう」
「皆さん、ありがとうございます」
次々と、賞賛の言葉を浴びた。
「で、名前を家族皆で考えているのだけれど、参考までに、何か良さそうなものは無いかしら?」
と、意見を訊いたところ。
「はいはいはいはい!」
強烈に食いついたのは、後に“リリアンの黄色い悪魔”と呼ばれることになる、黄薔薇のつぼみ島津由乃。
「はい、由乃さん」
志摩子に促され、由乃が口にした答は。
「えっとね、“武士”と書いて“サムライ”なんてどう?」
『そんなヤツ居ねーよ!?』
全員、一斉に突っ込んだ。
※1:これも適当ネーミング。賢“文”だから、賢“武”ってだけの、安直な命名。
※2:もっと適当ネーミング。“志摩”子だから、“伊勢”子って、そんなんアリ?