【2288】 ごっつええ果てしなき暴走  (海風 2007-05-28 11:17:44)


ルルニャン女学園シリーズ おまけ

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一話ずつが長いので注意してください。







 五月某日。
 都心では数日に渡る記録的な真夏日となっていた。

「……そうだ、カードがいいなぁ」
「はー?」
「薔薇さま達のカードゲーム――」

 暑さで茹だっていた誰かが漏らしたその一言が、全ての始まりだった。
 その言葉を聞いていたのは、四名。

 一人は、言わずと知れた誰かの話し相手。
 一人は、二人と同じく机に伏せてダルそうにしている白薔薇のつぼみ・二条乃梨子。
 一人は、聞いた瞬間に耳から耳へと素通りしてしまったただの通りすがりのクラスメイト。
 一人は、「あーフェスやりたいなぁ」と内心ぼやいていたクラスメイトの隠れゲームマニア。

 一人目は、言わずと知れて、すぐに暑さにやられて会話の内容を忘れてしまった。
 二人目は、「なんか聞いたような気がする」と、これまた暑さでやられて当時の暑い日の記憶がぼやけている。でも姉に会った時はもっと熱いので自他ともに特に問題はない。
 三人目は、トイレに行ってどうでもいいことと乙女の恥じらいの一部を水に流してしまった。
 四人目は、「テレッテッテー」と言いながらレベルアップしていた。



 奇跡の行程は始まっていた。



 三人目の彼女が、真っ先に動いていた。

「るんるんるん♪ カードーカードー薔薇さまのカードゲーム〜♪」

 乙女の恥じらいの一部を水に流した彼女はご機嫌だった。手を洗いながら、なぜか記憶に残っている言葉を即興で歌い出したのだ。

「……カードゲーム?」

 同じく、乙女の恥じらいの一部を捨てようとやってきて、今まさにその行為の真っ最中で暑い暑い個室に篭もっている演劇部の生徒――仮にAさんは、歌に秘められた謎の単語に頭を悩ませた。

「え? そんなの出てるの? 白薔薇さまで遊べるの?」

 彼女は志摩子のファンだった。
 だが一瞬興味を抱いたものの、それも外気の異常な暑さと一部集中しなければいけないことのために、すぐさま忘れてしまった。



 放課後、二条乃梨子は廊下を歩いていた。これから薔薇の館へ向かうのだ。

「……あ?」
「…?」

 擦れ違う誰か――演劇部のAさんが、いきなり乃梨子の顔を見て首を傾げた。

「…………」
「…………」

 ――知り合いだっけ? いや、知らない……はず。
 目が合ったまま不思議そうに見ているAさんには、乃梨子は見覚えがない。
 黙ったまま見詰め合うこと三十三秒。

「――帰ってゲームゲームっ。あ、乃梨子さん、ごきげんよう」
「あ? ああはい、ごきげんよう」

 乃梨子のクラスメイトが「マニアクスはプレミアもんだぁ」と言いながら足早に去って行く。

「ゲーム……あっ!」
「っ!?」

 Aさんは何かを思い出したのか、全速力で乃梨子の脇を走り抜けていった。

「な、なに……?」

 乃梨子は戸惑うばかりだった。



 Aさんは一目散で演劇部に顔を出し、自身のお姉さまに聞いた。ジュリエット風に。

「お姉さま、お姉さまは薔薇さまのカードゲームって知ってますか?」
「知らん! 帰れ! おまえに娘はやらんからな!」

 妹のジュリエットに、姉は溺愛する娘を持った断固反対の父親で応えた。
 もう本当に、誰も彼もが暑さでちょっとおかしくなっている。

「…? 薔薇さまのカードゲームってなんですの?」

 ――ここでようやく、のちの出資者・松平瞳子が、問題の単語を耳にすることができた。



 10分後、瞳子は新聞部へと駆け込んでいた。
 本格的なゲーム開発に乗り出すまで、あと3分。


 夏は、甘い罪の季節である。









「あ、やっぱりダメだよね? 無理ならいいんだ、無理なら。しょうがないもんね」
「え、いや、私は――」
「うんダメだよねそりゃそうだよねうんうんわかるわかるじゃ!!」

 じゃっ、と手を上げ、祐巳は小走りで走り去った。

「…?」

 漫研の部長――仮にAさんは、首を傾げて紅薔薇さまと呼ばれる山百合会幹部を見送る。

「――ちょっとこれ幼すぎるんじゃない!?」
「――いいでしょ別に! 瞳子ちゃんはロリキャラなのよ!」
「――どっちでもいいけどロリ言うなっ!」

 部員達の声で我に返った部長は、ドアを閉めてきっぱりと言い切った。

「瞳子ちゃんはロリよ。釣り目でロリに描きなさい」
「――ほら見なさいっ、部長だってああ言ってるじゃない!」
「――部長! ラフ見てから言ってくださいよっ、これじゃ小学生です!」
「――てゆーか部長ロリ言うなっ!」

 漫研は今日も熱い。今日も己の萌えと欲望を全開だ。

「――あぁ……夏コミなんてあっと言う間なのに、こんな大仕事が入ってくるなんて……」

 眼鏡の副部長が、切羽詰った喘ぎ声を漏らしている。そう、それも荒れている理由の一つだ。普段はもう少し穏やかだが……まあ修羅場が来れば誰でもこうなるものだ。同人者は。

「それに間に合わせるためにやっているんじゃない。あなた萌えてないの?」
「萌えはあるの! 萌えはあるのよ! もう猫耳令さまに萌えっぱなしよ! でもモデルがまだ出揃ってないんじゃこっちの速度にも限界があるじゃない!」

 それは副部長(激しい令さまファン)の言う通りなので、部長は「うーん」と唸りながら椅子に座る。

「――部長、紅薔薇さまとモメてませんでした?」
「あ? ああ、いや、別にモメてはいないんだけど……」

 紅薔薇さまには、とりあえず昨日一昨日決まったカードモデルの資料が入った封筒を渡されたものの、その他のことで主語を抜いて「無理だよね?」と言われても返事なんてできやしない。
 あの焦り具合から、大事な話だったんじゃないかとは思うが、なんだか紅薔薇さまが「無理にしたい」ように見えたので、深くは聞かなかった。

「それじゃ、今日の割り振り始めるわよー」
「「うーい」」

 なぜかここだけ体育会系の濁った声で応え、漫研総員四名が手を止めて部長に注目する。

「まず最初は……小さなザワっち、鵜沢美冬さま。こりゃロリね。Bさん(仮)よろしく」
「はーい」
「ロリ言うなっ!」
「次は……お、やっぱ真美さん入ったか。Cさん(仮)、クールに描きなさい。くれぐれも分け目のおでこに細心の注意を払うこと」
「あーい」
「次。……あ、補助系ね。こりゃ私か。これも私、私、……副部長、聖書朗読クラブの皆さんよろしく」
「また描き込みキツイの私に回すし……原稿やらせてよ!」
「ダメ。次は……あ、チーター! うわっ、この人も入れたんだー!」
「部長っ、部長っ! 私に描かせてくださいっ!」
「ちょいロリで行きましょう!」
「ロリはダメだ!!」
「じゃあロリ得意なBさんに――」
「ちょいロリで行きます! でもロリ言うのもうやめようよっ、響きがヤバイっ!」
「今更そんなくだらないこと言っててどうするのよ。もうみんな戻れないわよ」

 そんなこんなで、資料と写真がまとめてあるクリップを各部員に割り振っていく。
 あとは、完成したラフ画を封筒に入れて開発各部に回してチェックを入れてもらって、問題がなければペン入れに色塗り作業に入る。
 山百合会から仕事を頼まれたのも初めてだが、後に市販される可能性があるこんな大仕事が回ってくるとは誰もが思っていなかった。
 面倒だが、やりがいがある。
 ここ数日、漫研は熱い。五人しかいなくてクラブにも昇格できない弱小部だが、どこの正規クラブにも負けないほど熱い。気温的にも暑い。

「それじゃ最後ね――ん?」

 部長の手が止まった。
 目だけがキョロキョロと動き、資料に目を通しているのがよくわかる。
 そして――ガタンと椅子を蹴倒して立ち上がった。

「来た来たぁぁーーーーーーー!!!!」



 熱い叫びは部室棟に響き渡った。
 5分後、有栖川金太郎ことアリスのウサ耳使用ラフイラストが仕上がることになる。



 夏は、若者の暴走の季節である。









 まずいことになった。
 私、武嶋蔦子は、逃げていた。



 「ああついに私も……」と一瞬諦めたが、私には最後の砦が残っていた。

「しょ、笙子ちゃん! ロザリオがないからっ! ロザリオがないからっ!!」

 もはやなんの行為なのかよくわからず、笙子ちゃんに迫られ押し倒されていた私は、正真正銘最後のキーワードを使って笙子ちゃんに待ったを掛けた。
 これで効果がなければ、もう……

「……ロザリオ?」

 耳元で囁く笙子ちゃん。というか本当にこれはなんの行為なんだ。笙子ちゃん、姉妹になりたいんじゃないの? 私を押し倒してどうするの。……いや、まあ、うん、ここから色々することはあるかも知れないけれど。

「そ、そう! ロザリオ! 私は姉いないし、妹も作る気なかったから持ってないのよ!」

 ここで「私が持ってます」なんて言われたら、もうジ・エンドだ。
 さあ笙子ちゃん、持ってるの? 持ってないの? どっちなの!?

「そうですね……これは神聖な儀式です。ロザリオなしじゃ……」
「――ひっ」

 ぬろっとした感触に、ぞっとした。
 なんで今首筋舐めたの!? 姉妹と首舐めるのと神聖な儀式の因果関係って何!?

「……わかりました。ロザリオを用意してきますね」

 うふふと笑いながら、笙子ちゃんは立ち上がった。私は床に寝そべったままブルブル震えていた。――先々代薔薇さま方に睨まれるよりも、今の笙子ちゃんの方が怖かった。あらゆる意味で。

「蔦子さま……待っていてくださいね?」
「う……」

 うなずくことを強要する無邪気な笑顔を浮かべて、笙子ちゃんは部室から出て行った。
 …………
 うん。逃げよう。
 笙子ちゃん、ここ最近の暑さのせいでちょっとおかしくなってるんだ。
 なに、明日になれば正常に戻っているさ。



 戻ってなかったので、私は代役を探すことにした。
 笙子ちゃんの要求は、「カードゲームで勝ったら妹に」だ。
 ならばカードゲームで勝てば、諦めてくれるだろう。
 少なくともしばらくは。
 私はカードはやっていないが、頼もしく強い人達とお友達なのだからっ。



「――ごめん。笙子ちゃんの気持ち、わかるから」

「――ごめんなさい。……あまりお節介なことは言いたくないけれど、蔦子さんも真剣に笙子ちゃんのことを考えてあげて」

「――はいはいお幸せですね。痴話喧嘩に巻き込まないでよ。そんなのバクテリアだって食べないんだから」



 ……友達なんて……友達なんて……!!



 断られるのを危惧して確実に乃梨子ちゃんに代打を頼むまで、私の逃走劇は続いた。



 夏は、青春の汗の季節である。







「あらあら。お久しぶりですね」
「お久しぶりです」
「学園長もお変わりなく」
「変わっていないのは貴女達の方でしょう?」

 学園長シスター・上村はコロコロと笑いながら、お茶を勧めてくれた。



 私と聖は、二年前の当時の制服を来て、学園長室に居た。
 憶えていらっしゃるかどうかわからなかったけれど、どうやら私達のことは記憶に残っていたらしい。

「江利子さんは一緒ではないの?」
「はい。――また父兄の皆さんが乗り込んできたら困りますから」

 聖の軽口に、シスター・上村は「あの時は驚いたわねぇ」と笑いながら同意する。
 しばしの歓談の後、シスター・上村は壁掛け時計を見て、「さて」と居住いを正した。

「――それで? お二人は何をしにリリアンへ来たの?」
「遊びに来ました」
「学園長に許可をいただきに来ました」
「ええ、結構よ」

 私達が制服を来てここを訪ねてきた時から、シスター・上村には用件がわかっていたのだろう。
 だからこそ、私達も話を急がなかった。もしかしたら叱られる可能性も考慮していたが、聖が「それはないね」と言い切った通りだった。

「その仮面を付けるのでしょう?」
「ええ――似合いますか?」
「素敵。スター俳優みたい」

 ……まあ、認めたくはないが、聖が目元半分を覆うだけの仮面を付けたら、相当カッコイイけれど。やはり顔立ちだろうか。

「でも、一つ条件があるわ」
「はい?」
「校内に自由に出入りする条件よ。そうね……三つほど課そうかしら」

 聖にとっても予想外の展開なのか、少し驚いたような顔をしていた。

「一つ目、正体が知られてしまったら出入り禁止。歴代薔薇さまの中でもとにかく目立った貴女方ですからね。貴女方が不定期で遊びに来ることが知れ渡ってしまったらリリアンが混乱してしまいます」

 それはうなずける。仮面を用意したのも、その危険があるからだ。決して遊び心やふざけ半分で持ってきたものではない。
 言われるまでもなくそのつもりだったので、これは迷いなくうなずける。

「二つ目、あまり校内を歩かないこと。先生方に見付かっても、今後の出入りを禁止にします」

 ……なるほど。

「正式な許可をお出しになるわけではない、ということですね?」
「正直に話して会議に掛けたら十割方却下されてしまいますからね。私の一存で貴女方のことは無視するよう言っておきますが、部外者だとバレてはいけません。貴女方は在校生の可能性がある、新聞部などの企画かも知れないから口出ししないように――そんな感じにしておきます」

 こんなことは公にできるものではないから、シスター・上村の胸の内に秘めておいてもらえるなら逆にありがたい。もちろん二つ返事でOKした。

「それで、三つ目は?」

 聖の問いに応えず、シスター・上村は立ち上がり、机に向かう。
 そして引き出しの中から、それを出した。



「――今後リリアンを出歩く日は、私と勝負して勝ってからになさい。勝てなかったらダメです」



 どうやら学園長の良い遊び相手としてロックオンされたようだ。

「立場上、生徒と表立って遊ぶわけにはいきませんから」

 教師達にもハマッている者がいるそうだが、たまには若い子と遊びたいのだそうだ。



「え? 今日も負けたの?」
「…………帰るわ」
「何やってるのよ蓉子。今日こそ二人揃って薔薇の館に行こうって約束したでしょ。私だって行きたいのを我慢して遊んでるのに」
「…………ごめん」



 私は三つ目の条件がクリアできず、シスター・上村に負けまくっていた。聖も負け越してはいるが、四回か五回の内に一度は必ず勝てる。
 シスター・上村……なぜあんなに強いのだろう……謎だ……



 私達が薔薇の館へ行ったのは、次の土曜日だった。
 「白薔薇仮面」が現れてからほぼ一週間遅れで、「紅薔薇仮面」が登場した。



 夏は、大いなる壁を乗り越える季節である。









「――何よこれ!」
「あっ、可南子さん、破っちゃダメ!」
「……くっ」

 そのカードを見た瞬間、カッと頭に血が昇った。だが人の物を破ったり破壊することはできない。間違っているのはちゃんとわかっている。
 危うくやりそうになったが、クラスメイトの悲鳴のような声になんとか理性が働いてくれた。

「どうせ180近いわよっ!」

 その腹立たしい「針金ノッポさん」のカードを勝負しているクラスメイト二人の机に叩き付けて、私は教室を飛び出した。
 まったく……リリアンが舞台になっている変なカードゲームが流行っているのはわかっていたけれど、私まで出ているなんて……!
 薔薇さま方に(特に祐巳さまに)文句でも言ってやろうかと考えている時、私は違和感に気付いてハッと周囲を見た。

「「ひそひそ」」

 みんなが私を見ている…?
 みんなが「見て見て、針金ノッポさんよ」「わぁー本当に大きいー」とか言っている…?
 みんなが「ああ、冷たい眼差しで見下ろされたい……☆」とか顔を赤らめている……ってこれは例外か。
 なんてことだ。ただでさえこの身長のせいで目立つし奇異の目で見られるというのに、更に有名になってしまった。
 道理でここ最近よく見られると思った……はぁ……



 そんなこんなで、私がカードゲームに反感を持って少し。



「行けー『ドリルっこ』!」
「…!」

 カッと瞳子さんが声のした方向を睨みつける。



「はぁ……『市松人形風のおかっぱ』使いたいなー」
「使用条件厳しいよね、おかっぱ」
「…!」

 カッと乃梨子さんが声のした方向を睨みつける。



 私だけじゃないようなので、とりあえずよしとした。
 第一、よくよく考えてみると、だ。



 由乃さまの砂糖も塩もブラックペッパーも効いていない当り障りのない「三つ編み」よりは、よっぽどマシに思えたから。
 由乃さまがふと髪型を変えたくなって三つ編みをやめて「三つ編み」じゃなくなることがあっても、私はたぶん変わらないから。
 そういう意味では、私はまだ、自由だ。



 夏は、激情と解放の季節である。









「ねえ、お姉ちゃん」
「何よ」

 呼びかけても背を向けたままの我が姉は、大学へ行っても相変わらず勉強の虫である。
 まあ、リリアン在校中よりは、幾分穏やかになったけれど。

「大学って楽しい?」
「全然。高校の時の方が静かで良かったわ」
「静か?」
「……」

 お姉ちゃんは軽く息を吐いて、振り返った。

「入学してからやたら男子に声を掛けられるのよね。うるさいし邪魔だし鬱陶しいしチャラチャラしてるし。なんなのかしら」

 ……私は言うべきなのだろうか。「それはモテてるんだよ」と。
 身内贔屓とでも言われそうだが、お姉ちゃんはかなりの美人だ。私よりも整った顔立ちをしていると思う。
 地味な髪型や地味な格好でもモテているのだから、流行の髪型や格好をしたら、本当にモデルのように変身してしまうに違いない。

「もしかして」
「ん?」
「女子校上がりだからって嘗められているのかしら?」
「……違うと思うけど」

 というか、軽視される理由がよくわからない。女子校上がりだからって何? 世間ってそういうものなの?
 ……ああ、そうか。ずっとリリアンだと色々世間知らずになってしまうものね。今の私のように判断に困ったりすることもあるんだろう。

「……もしかして」
「え?」
「笙子を紹介しろとか、そういう意味なのかしら?」
「絶対違うと思うよ」

 現役モデルならまだしも、私は世間に知られるほど有名じゃないし、過去でも有名じゃなかった。
 お姉ちゃんが率先して私のことを話していなければ、その可能性はまずない。そしてお姉ちゃんはそういうタイプじゃない。だから絶対違う。

「まあ、どうでもいいけど。それで? 私に何か用だったんじゃないの?」
「あ、うん。リリアンの制服貸してくれない?」
「制服? なんで?」
「必要だから」
「なぜ必要なの?」
「必要に迫られたから」
「なぜ必要に迫られたの?」
「そういう状況になっちゃったから」
「――ふざけたいならよそ当たって」
「ごめんなさい」

 素直に「隣の男子校の生徒に貸すから」なんて言いづらいので誤魔化してしまったが、やはり誤魔化しで押し切れるほどお姉ちゃんは弱くなかった。

「ちょっと長くなるんだけど、いい?」
「……いいわよ。ちょうど休憩しようと思っていたから」

 我が姉は、こういうところがちょっと柔らかくなったのだ。




 ベッドサイドに並んで座り、私はお姉ちゃんに、一からこれまでのことを簡単に説明した。

「カードゲームねえ……」
「うん。そういうのが流行ってるの」
「ふうん。バレンタインといい、リリアンも色々やるわね」

 それは同感。茶話会とかもやったし。

「で、それからどう私の制服に関わるの?」
「隣の花寺学院からね、生徒会長と役員の二人がカードゲーム大会の観戦に来るんだって」
「うん。それで?」
「……女装したいんだって」
「…………」

 お姉ちゃんの動きが止まった。

「ごめん、理解できなかった。もう一度言ってくれる?」

 拒否したい気持ちはわかる。目をしぱしぱさせて「私は正気だろうか」と疑うのもわかる。だが事実を受け入れて欲しい。

「だから、花寺から来る男子生徒が、女装したいんだって」
「――さあ、勉強勉強」
「待て」

 立ち上がるお姉ちゃんの後ろ腰に、私は両手を回して拘束する。

「ちょ、何よ。嫌よ。大切な思い出が詰まってる制服を女装なんかに使われたくないわ」
「そこをなんとか」
「あんたの予備でもいいじゃない」
「私は嫌よ!! 何言ってるのお姉ちゃん!?」
「なんで逆ギレするの!? 私の方がよっぽど嫌よ! 卒業してるからって白羽の矢を立てられた私の方が逆ギレしたいわよ!」

 それは確かにそうかも知れない。だが逃がすわけには行かない。

「もう約束しちゃったの! 借りてくるって約束しちゃったの!」
「知らないわよ! 無責任な発言の責任くらい自分で取りなさい!」
「だって私の予備じゃサイズが合わないんだもん!」
「だったら他の人に当たりなさい!」



 姉妹同士で悶着すること、15分。



「はあ……はあ……わ、わかった。前向きに検討するから、いい加減離して……」

 まだ夜は涼しい方だが、暴れれば当然汗だって出るし、疲れもする。
 勉強の虫のお姉ちゃんは、流れ的に苦手な体力勝負になってしまった末にようやく諦めた。
 そして私は、写真部として能動的に動いているせいか、なんだか体力が付きまくっているようだ。

「貸してくれるの?」
「……誰と、どうしてそんな約束したの? それで納得できれば貸す。納得できなければ――」
「で、できなければ?」
「思い出を汚すくらいなら、燃やす」

 思い切ったことを言い出した。

「……という意気込みで、しばらく友達の家にでも置いてもらう」

 頭の良い姉にしてはやけに普通な解決法だった。いや意外性を求めても困るけど。



「お姉ちゃん、私が写真部に入ったことは知ってるよね?」
「ええ。嬉しそうにどこでも誰でも私でも色々撮りまくっていたから」
「うん。でね」

 私はポケットから、問題の男子生徒の写真を出した。

「――この人に着てもらいたいの」
「……?」



 正直なところ、この話には問題のアリスさんは絡んでいない。
 いくらそういう趣味のアリスさんでも、そこまで図々しい頼み事なんてするわけがない。あれでも花寺の生徒会に所属しているんだから、物事の分別くらいは付いている。
 だから、これはほぼ私の独断である。
 制服さえ用意すれば、アリスさんがそれを着る可能性は高い。仮に本人からノーサインが出ても、それは最初から無理だったということで諦められる。
 制服さえあれば、それを着る可能性がある。
 ならばそれに賭けるだけだ。

「笙子」
「な、なに?」

 ついにジャッジが下る――



「いくら私が勉強しか取り得がないからってバカにしないで」
「……え?
「これ、女の子じゃない」



 私が見せたアリスさんの写真は、蔦子……心の中でくらいお姉さまと呼ぼう。そう、お姉さまがプライベートで撮ったものだ。
 つまり、私服だ。
 ひらひらの可愛いミニスカートを履いている、私服姿。



「可愛い子ね。この子に貸すの?」
「い、いや、お姉ちゃんそれ、本当におと」
「こんな子なら私も妹にしたかったわ。あーあ、姉妹制度なんて馬鹿馬鹿しい、なんて言わずに素直に楽しむべきだったか。――笙子、あんたは後悔しないようにね」
「は、はあ……」



 これ以上、私に何が言えるだろう。
 何も言えやしない。
 なんだか私の方が納得できないが、肝心の姉が納得しているのだ。
 余計なことは言わず、大人しく制服を借りてしまおう。



「でかした笙子ちゃん! 制服さえ用意できればもうこっちのものよ! 彼はきっとウサ耳まで装着するわ!」
「はいっ! その時はフィルム一本分使い切る覚悟で撮りまくりますっ!」



 夏は、誤解と多少の犠牲の季節である。









「なんだとユキチ! おまえもう一回言ってみろ!?」
「何度でも言ってやる。おまえはダメ。俺とアリスの二人で観戦してくる」



 夏は、決断の季節である。









 本戦、貴賓席にて。



「祐麒さんに教えていただいたら? 噂によると祐巳より強いみたいよ?」
「だから聞けないんじゃないか。OBとして後輩に塩を貰うのは嫌だ」
「意外と見栄っぱりね」
「小笠原の血も少しだけ流れているからね」
「――内緒話ですか?」

 笑顔で入ってきたのは、祐巳だった。向こうは祐麒さんとアリスと瞳子ちゃん、そしてさっき写真を撮った実行委員のカメラマンが四人で盛り上がっている。なんの話をしているんだろう?



 その頃、向こうでは。



「……祐巳さまの良い写真ありますよ」
「「え…!?」」

 祐巳が側を去った途端、目の前のカメラを持った内藤笙子さんは、周囲に気を配りながら声を潜めて言う。
 俺、アリス、瞳子ちゃんは三者三様、その一言に囚われた。

「おね……いえ、同じ写真部の先輩が、一年生の頃から祐巳さまを撮っていますので、もう丸々一冊祐巳さまアルバムが」
「ゆ、祐巳さまアルバム!? あるとは聞いていたけれど、本当にあったのね!?」
「ええ瞳子さん、ありますよ。厳選に厳選を重ねて更にもう一度厳選したとっておきの一冊が……」

 ごくり。俺達は喉を鳴らした。……ん?

「アリス、おまえもか」
「祐巳さん可愛いから好き。祐巳さんじゃなかったら、祥子さまの妹となんて仲良くできなかったわ」

 つまりライクか。ふぅやれやれ……大した意味はないがすごく安心した。

「特に祥子さまの妹になる前の写真は、相当なレア物だとか。祥子さまにも立場にも縛られない自由な祐巳さまがそこには何枚か」
「何が望みなの? 富? 名声? 土地?」

 土地!? 瞳子ちゃんさらっと土地って言った!? す、すごいな松平……

「まあ詳しくは先輩と直接交渉してから……ということで。私は交渉を取り付けるだけの役目しか担っていませんので」
「こ、交渉の前に、本当にアルバムがあるのかどうか確認しとくべきじゃないか!?」
「え、ええ! そうですわ、祐麒さんの言う通りですわ!」
「……そう伝えておきます」

 ふふふふふ。笙子さんは笑いながら去って行った。



「祐麒さん、ここは共同戦線ということで」
「ああ。ブツが手に入るまでは、抜け駆けなしの味方だ。アリスもいいな?」
「もちろん」
「うふふふふふ」
「クククク……」
「ふふふふふふ」

 厳選した祐巳の写真……想像するだけで笑いが込み上げてくる……



「――おい、ユキチ。また説明してくれよ」
「チッ――はいはい……あ、なんで祐巳があんたの隣に座ってるんだよ」



 夏は、陰謀の季節である。





 了






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