「ふふふははは。憧れ怪盗、薔薇参上!」
「あっはは。同じく、牡丹参上!」
とある昼休み。自分の席で、ほほう、と唸りながら『五木寛之の百寺巡礼第9巻』を読んでいた乃梨子の元に、シルクハットにマントという装いの敦子と美幸は颯爽と現れたのであった。
「ふっふっふ、乃梨子さん!」
「あなたの憧れを頂きに参りましたわ!」
「それはご苦労さま」
本から一向に目を離さず、全く関心が無い風に言葉を返した乃梨子に、敦子と美幸は「それで、乃梨子さんの憧れって何ですの?」と、これまた相手の意向を完全にスルーした返答でキラキラと瞳を輝かせる。
「・・・聞くなよ、盗もうとしている当人から。怪盗としてのプライドは無いの?」
「でも『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』とか申しますし」
「私たちは、恥ずかしがらずに勇気を持って伺っているのですわよ」
何か真っ直ぐに生きようとしている怪盗たちに脱力しながら、そこでようやく本から顔を上げた乃梨子は、「それでそれで?」とキラキラと問い掛けてくる敦子と美幸を見上げると、あからさまにうんざりと嘆息する。
「・・・私の憧れなんて聞いてどうするの?」
「もちろん、盗みますわ」
「怪盗ですから」
「・・・一度【怪盗】の意味を、辞書で調べてほしいんだけど」
「何故ですの?」
「まぁ、言われたからには調べてみますけど」
【怪盗】 神出鬼没であったり、手口が巧妙であったりして、胸がすくような感じを与える盗賊
「調べましたわ」
「・・・それで? 自分たちと比較してみて、何も感じないわけ?」
「でも、私たちは“憧れ”怪盗ですから。ふふふ」
「多少、意味合いが変わってくるのは止む無しですわ。ふふふ」
「うわあ、何か殴りてえ」
凄惨な笑みを浮かべる乃梨子の壮絶な視線を、まさに怪盗のような華麗な身のこなしでスウェーした敦子と美幸は、「それで乃梨子さんの憧れとは?」と、しれっ、と問いを繰り返す。
やだもう、こんな潤いまくりの生活、と心で泣きながらも、何とかしてこの状況から逃れる為に頭脳をフル回転させる乃梨子であったが、こちらの状況に無関心な教室を見渡した後、うむぅ、と怒りと共に名案を思いつく。
「・・・そうね、私の憧れは」
『憧れは?』
「平穏な教室ね。何事も起こらない平和な一年椿組が、私にとっての憧れかなあ」
「ふふふ、ではその憧れを盗みますわ! 行きますわよ、牡丹さん!」
「ええ、わかりましてよ、薔薇さん!」
言うが早いか「とぅ!」と、一年椿組の平穏を盗む為に駆け出した敦子と美幸を見送りながら、乃梨子はにやりにやりと再び本に視線を落とす。
(・・・ふふふ、クラスの平穏を乱すって言うのなら、他の人たちも無関心ではいられなくなるはずよね。まったくいつも私にあの二人を押し付けて・・・。少しは私の苦労も知りなさい。それに皆に「迷惑」と怒られたなら、あの二人も反省して大人しくなるでしょ)
ところが、そうは上手く事は運ばないのが椿組である。教室内をきょろきょろと見渡した敦子と美幸は、偶々同時にミルクホールから戻ってきた瞳子と可南子を、それぞれ教室の前と後ろの扉の前で捕まえると、まるで打ち合わせをしていたかのごとく、全く同じ台詞を喋りながら、ちらりと乃梨子を振り返る。
『あ、(瞳子/可南子)さん! 先程、乃梨子さんが「祐巳さまの唇を奪ってやった」って自慢していましたわよ』
── その後、憤怒の形相で追いかけてくる瞳子と可南子から追い掛け回される羽目となった乃梨子だったが、「こんな事なら『まんじゅうこわい』とでも言っときゃ良かった」と思いながら、挟み撃ちにしてくる瞳子と可南子を交わしつつ、教室中を猛スピードで駆け回って逃げたので、結果的にクラスの平穏を乱すことにはなったのであった。