長くてすみません……
【No:2334】の続き
☆
「今日、皆さんに集まっていただいたのは、他でもありません」
瞳子ちゃんは、まるで某探偵番組の解決編を演じる探偵のように、テーブルの周りをゆっくりと歩き出した。
このもったいぶった演出は、なんだか憶えがある。
首を傾げながら目が合うのは、いつもの山百合会のメンバー。
前回同様に志摩子さんを除いて、皆、戸惑いの色を隠しきれていない。
もちろん、私も。
そして中学部から上がってきたばかりのニューフェイス有馬菜々ちゃんも。
春うららかな始業式当日。
マリア様の眼差しのように優しい陽射しと、生命を運ぶ穏やかな風。
淡く桜が咲き誇るリリアンは、今日から新学期が始まった。
「ねえ祐巳さん、また?」
瞳子ちゃんが「今日、皆さんに〜」と語った辺りから妙な間を取って歩いているので、その間を縫って由乃さんが私に聞いてきた。
予定にはなかった始業式当日に、なぜ私たちが薔薇の館にいるのか。
それは瞳子ちゃんに召集されたからである。
いや、まあ、厳密に言えば、私だけ人伝て(乃梨子ちゃんに。瞳子ちゃんに頼まれたそうだ)に聞いて召集に応じたわけだけれど。だって瞳子ちゃん、約一週間前のあの日以来、口を聞いてくれないから……
あ、いや、正確には電話でこう……なんとかご機嫌取りのようなことはしてきた。かなり素っ気無い態度であしらわれていたけれど。
春休み中にデートでもできたらいいなぁと思っていた私のもくろみは、見事に流れちゃったわけで。
「――それって遠回しに、休みの間に太ったな、って言ってます?」
あの日、真顔で放たれた一言が、まともに交わした最後の言葉になっていた。
姉として妹の変化に気付かないばかりか、逆に余計なことを大発見してしまったようで、瞳子ちゃんの怒りは……とりあえず「それは私も怒るかもしれない」と判断できるレベルだと察した。
ちょっと髪型を変えてみて、お姉さまに「私どこか違いませんか?」と聞いて、その返答が「ちょっと太った?」だったら……しかもそれが図星だったら、ああ、ええ、私だって怒るか落ち込むかのどっちかでしょうとも。
気づかないだけならまだしも、太ったとか……そりゃ怒るよね。それは怒る。
「今日は単刀直入に行きます。一応は前回の召集の理由でもありますから、ちゃんと聞いてくださいませ」
私が由乃さんに答える前に、瞳子ちゃんはやはり歩きながら言う。
「本来ならこれも前回で済ませるつもりだったんですけれど、どこかのボケ・キネンシスが台無しにしてくれたので言い出せなくなってしまいました」
う……
「発端は、去年の学園祭のことです。率直に言えば『とりかえばや物語』ですね」
「はい?」
どんな変なことを言い出すかと待っていたのだろう由乃さんは、間の抜けた声を漏らした。
由乃さんが瞳子ちゃんをどう思っているかはわからないけれど、瞳子ちゃんは基本的に真面目だ。わざわざ遊びで上級生を集めたりなんかしないことは、今は微妙な立場にある姉の私が保証できる。
「振り返ればハプニングの連続、ミスの連続でした。客席には演出に見えたかも知れませんが、失敗した数々の点は私たちが一番よくわかっていますよね?」
この召集に乗り気ではない由乃さんが反論できないほどの“一応”をかざして、瞳子ちゃんは続ける。
「ミスはミスでいいんです。演劇に細かな失敗は付き物ですわ」
「舞台には魔物がいると言いますから」と、首を傾げて笑う。
「ただ、ミスを挽回するにはアドリブが必要になってきます。それはセリフだったり動きだったりしますけれど」
そう言えば、とりかえばや物語の劇中で誰かさんが母役を「ママ」と呼んでしまったことがあった。対する瞳子ちゃんが機転を利かせて「ママ」と呼ぶことで見事フォローを果たしたっけ。
あれもアドリブの一つだったと言われれば、演劇部の瞳子ちゃんが色々と問題視するのは当然と言えなくもない。
あんな予想外のセリフを言われたら……うーん……私ならきっと戸惑うだけだったはずだ。いや意外と「ママって! ママって!」と、キャラのギャップに劇中で大笑いとかしちゃ……それはないか。由乃さんじゃあるまいし。
「『とりかえばや物語』では、ミスはほとんど放置で進行しました。これはかなり危険だと思うんです。一つのミスで劇そのものが台無しになってしまうこともありますから、拾えるところは拾っておかないと」
瞳子ちゃんの意見云々より、むしろ私たちがのんびりししすぎていたのかも知れない。
もう演技指導等を務めた私のお姉さまや令さまは、卒業していないのだ。まだまだ学園祭のことを考えるのは早いと思っていると、本当に手詰まりになってしまう恐れもある。……あの完成度では。
山百合会は演劇をやる。
代々続いていることを私たちの代で変えるのは、やっぱりちょっと抵抗がある。それに二年生メインの学園祭は、今年は私たちの代と違って、つぼみ……いや、二年生が二人しかいない。たぶん決定事項で。
由乃さんはきっと菜々ちゃんを妹にするだろうから、そういう意味では最大でも五人。それも乃梨子ちゃんや瞳子ちゃんが妹を持てば、という予定を含めてである。
劇の題目にも寄るがダンス部ほかに応援を頼むこともできるだろうけれど、それも確実に確保できるわけではないし、最悪、私たち三年生も出ることになるかも知れない。特に私が。由乃さん辺りに説得されて。
――とにかく、二年生がメインだろうとなんだろうと、三年生にとっても学園祭の話は他人事ではないのだ。まあ二年生の頃と比べれば多少は気軽かも知れないが。私を除いて。由乃さんに注意せねば。
「私が言いたいのは、ミスはミスでいいので、ミスの挽回をできるだけ可能にする練習をしませんか、ということです」
ふうん……
納得する私と同様に、異論を唱える人はいなかった。瞳子ちゃんが言っていることは至極真っ当だ。
演劇部にいる瞳子ちゃんだからこそ、去年の山百合会による演劇に私たち以上の危機感を持っている……というのも、わかる話だし。
「練習って何をするの?」
志摩子さんがおっとりと尋ねる。
「その説明の前に、ここで問題です。ミスを挽回するにはどうしたらいいのか――はい余所見をしている由乃さま!」
「わ、私!?」
瞳子ちゃんにビシッと指を差されると、由乃さんは持っていたカップを落としそうになるほど慌てた。どうやら本当に余所見して油断していたらしい。恐らく菜々ちゃんに気を向けていて。
……それにしても瞳子ちゃん、人を指差しちゃダメだよ。後で注意しておこう。……今叱ったら逆に「空気読め」とか怒られそうだから、後でね。
決して姉としての威厳やらそういうのが足りないわけではない。
「んー……物事に対する反射速度を上げる?」
「ハッ」
由乃さんの答えに、瞳子ちゃんは鼻で笑った。それはもう見事に「ハッ」と。さすが女優。
「まあ素人の浅知恵ではそんなものでしょう」
「…………」
あ、由乃さん、すごいムカついてる顔してる。まあ腹立たしい気持ちはよくわかるけれど。
「反射速度を上げる。それが簡単にできれば苦労しないんじゃないですか? 特にうちの姉が、果たして生半可な練習でできる子になれるのかどうか……」
「……ああ、確かにね」
二人は不安げな顔で私を見ると、ふーと息をつきながら首を左右に振る。
うん、今瞳子ちゃんと由乃さんにものすごーくバカにされたことは、ボケ・キネンシスの私でもよーく理解できたわけだけどねっ。
更に付け加えるなら、我ながら反論できないところが自分でもかなり痛いんだけどねっ。涙が出そうなほどにねっ。
「第一に、山百合会の日常業務の妨げにならない、あまり時間の掛からない練習じゃないと大変だと思いますわ。あくまでもお仕事が最優先事項ですもの」
それは、言える。これからすぐに新入生歓迎式の準備もあるし、忙しい時期には演劇の練習まで手が回らないことも必ずあるはずだ。演劇部並に本格的な劇を、と考えている者はこの場にいないだろうし。
「いいですか? ミスを挽回するには、簡単に言えば間違い探しです」
「間違い探し?」
「そうです。たとえば、いつもと何かが違う気がする――そういう直感めいた閃きは、実は結構大事だったりするんです」
「……要するに、観察眼を磨けって?」
「ご名答です」
由乃さんの言葉は、瞳子ちゃんの望み通りのものだったらしい。
「体調が悪ければ顔に出ます。緊張すれば手の平に汗を掻きます。舞台、セット、衣装、劇中の間の取り方、歩き方、色々と観る部分はたくさんあるんです」
「なるほど」と由乃さんと志摩子さんはうなずく。
「ミスには前兆があるってことね」
「確かに、ミスを事前に察知できれば、その分フォローもやりやすくなるわ」
ふーん、なるほどねー。
……あ、そうか。
「だから瞳子ちゃん、エイプリルフールに身体を張った間違い探しを……」
「別に遊びじゃなかったんですよ。本当に。それといい加減私のことは呼び捨てにしてください」
理由を明かしてもらえば納得できたけれど、説明してもらえないと全然わかんないよ。あと呼び捨てはまだ抵抗感が……
いや、決して姉としての自覚がないとか、そういうアレではない。
「――まあいいです。というわけで、こちらのフリップをご覧下さい」
フリップ?
足を止めた瞳子ちゃんの手には、いつの間にかバラエティ番組でよく見るフリップボードがあった。
「「……『薔薇の館、間違い探しゲーム ボケ薔薇さまは誰だ!?』……」」
全員がつぶやくように声を揃える。
カラフルなレイアウトで書かれているそれは、……えー……まあ、書いてある通りのものなんだろう。
「ルールは簡単です。乃梨子の協力の下、この薔薇の館には十四個の間違いがあります。それを当ててください」
そういえば前回、瞳子ちゃんは「次のステージを用意してある」とか言っていたっけ。これが次のステージだったわけだ。
「はい」
「はい、由乃さま」
「乃梨子ちゃんの頭がデカイ」
え?
言われてみて、改めて乃梨子ちゃんを見ると……うわっ、確かに頭デカッ。なんかいつものおかっぱ頭がアフロみたいになってるよ! えらいことになってるっ! お昼の部屋のあの人の頭よりすごいことになってるっ!
「の、乃梨子、その頭どうしたの!?」
「え!? 志摩子さん今気づいたの!?」
「……気づかなかったわ……なんだか大きいな、とは思っていたけれど……」
…………
「ほら、乃梨子ってたまに頭が大きい時があるじゃない? だから」
「ないよ。それはないよ」
「……見間違えかしら? でも静電気で髪の毛が逆立ったりするでしょう? 下敷きで髪を擦ってみると」
「それは……するけど」
「じゃあ、やっぱりたまに大きくなっていた時もあるわね?」
「だからそれはないよ」
なんか志摩子さんが微妙に嫌な絡み方してるけれど……
「ボケ薔薇は志摩子さんでいいんじゃない?」
「え?」
ごめん志摩子さん、私も少しそう思っちゃった……
……私も気付いてなかったけれど、それは私だけの秘密にしておこう。
「とまあ、このように、日常ででき、かつ労力を割かずにできる練習を考えたわけです。
よってここに日は違いますが試験的な『エイプリルフール活用企画』を実施したいのです! 有効なようなら定期的に実行するのもいいと思います!」
お、おぉ……
思わず拍手を送ってしまうほど、フリップを手にした瞳子ちゃんは輝く瞳で力説した。
「一つの失敗に引き摺られて、劇全体が失敗に終わってしまう可能性を考えてください! 皆が憧れる薔薇さま、山百合会として、果たしてそれでいいんですか!?」
よくはない。だから反論もない。
特に私の場合は、ただでさえ一、二年生の頃の失敗談がゴロッゴロあるんだから、少なくとも姉の祥子さま、先々代の蓉子さまと比べれば、紅薔薇さまの威厳は地に落ちっぱなしのはずだ。
個人的には威厳とか憧れられるとかとは無縁だと自覚もあるけれど、それに山百合会や同じ薔薇さまである由乃さんや志摩子さんまで巻き込む必要はないだろうとは、失敗の多い私は思わずにはいられないわけで。
特に、威厳のない紅薔薇さまの妹である瞳子ちゃんには、直結する問題だし。
それに「乃梨子ちゃんの頭がアフロ級に大きい」なんて露骨な間違いに気づかないようでは、私も相当危ない。鍛えておいて損はないよ。本当に。
「どうです、異議はありますか!?」
いえ、ありません。
「はい」
「はい、由乃さま!」
「これって、くり○むナントカのビンカン――」
「ヒントはあそこからいただきましたけれど、間違い探しゲームなんて昔からありますわ! ほら、ウォー○ーを探せ、とか! I○サプリとか! 決してパクリではありません!」
くり……なんのことかよくわからないけれど、あまり深く聞かない方が良さそうだ。
「よし、話はわかった! そこまで言うならやってみましょう!」
由乃さんは面白いものを見つけたかのように瞳を輝かせ、力説する瞳子ちゃんに力強くうなずいてみせた。
「――と言う前に、なんで菜々まで呼んだのか教えてくれない?」
まずい――私は思わず志摩子さん……はスルーして、頭の大きな乃梨子ちゃんに目を走らせた。
乃梨子ちゃんは「任せろ」と言わんばかりに、頼もしげに小さく首を縦に振った。……なんか頭大きいけど案外不思議とそんなに違和感はないなぁ。
「もしもの時に応援を頼むからですよ」
瞳子ちゃんが何やら答える前に、乃梨子ちゃんが言った。
ここで下手なことを言おうものなら、由乃さんがへそを曲げてしまう。たとえば「え? まだ妹にしてないんですか? でもそのご予定でしょう?」とか言おうものなら。由乃さん、結構へそまがりだから。
その際、最悪菜々ちゃんを妹にするのが大幅に遅れたり、もしかしたら破局……なんてことにもなりかねない。
他藩のことには口出ししちゃいけないのだ。特に妹問題はデリケートだから。
「応援と言われても、まだ先のことなのでどうなるかはわかりませんが」
と、今まで黙って座っていた菜々ちゃんは控えめに発言した。
「それはそれとして、一度は顔を出さないといけないと思ってましたから、お話はよく見えませんがちょうどよかったです」
「なんで? 何がちょうどいいの?」
鋭く由乃さんが菜々ちゃんに突っ込む。
そんな由乃さんに、菜々ちゃんは批難するように眉を寄せた。
「もしかして忘れたんですか、由乃さま?」
「え…?」
「瞳子さまや乃梨子さまの妹候補ができるまでは、できる限り薔薇の館に手伝いに来て欲しいと言っていたじゃないですか」
「あっ」
それはうっかり失念していて忘れていたの「あっ」ではなく、こいつ言いやがったという意味の「あっ」だった。
「へえー」
「ふうん」
「ほほう」
「なんだか急に暑いですこと」
たぶん、このように身内に「なんだかんだ言って、やることはやってるんだね」という生暖かい視線を集めるのが嫌だったからだろう。
「う、うるさいわよ瞳子ちゃん! 暑いなら脱げば!?」
「嫌ですわ、由乃さまのエ・ッ・チ☆ そういうことは本当は菜々さんに言いたいのでは?」
頬に手を当ててしなり。さすが瞳子ちゃん、睨む由乃さん相手に一歩も引かない。
「――まあそれはともかく、話を戻しますが」
由乃さんが本当に怒り出しそうだったので、瞳子ちゃんはさっさと本題に戻した。空気が読めるって大事な能力だな、と私は感心した。
「“なんらかの理由”で菜々さんも学園祭に協力していただく可能性もあるだろうと、私の独断でお声を掛けさせていただきました」
しれっと「余計なお世話でしたか?」と問う瞳子ちゃんに、由乃さんは「もういいわ」と不機嫌なむくれっ面で答えた。でも若干嬉しそうでもあった。
「剣道部に入部しようと思っているので、あまり顔を出すことはできないかも知れませんが」
それでもよろしければよろしくお願いします、と菜々ちゃんは頭を下げた。
私たちは菜々ちゃんを初々しいな、と微笑みながら受け入れた。
というわけで、こうして間違い探しゲームを始めることになった。
「始める前に、『乃梨子がカツラをかぶっている』のポイントを捲っておきましょう」
瞳子ちゃんはフリップの上から3番目のシールを剥がした。
「――はい、1まともポイントです。まあわかりやすいので当然ですね」
「まあね。マイナスじゃないだけマシよね」
1まともポイント……
「ちなみに間違えると、マイナスではなく10ボケポイントを獲得することになりますのでお気をつけて――特にお姉さま」
「は、はい」
ボケポイント……我ながら情けないけれど、なんて私に相応しい創作単位だ。
「あと簡単すぎるのもボケポイントの対象になってしまうこともあるので、そこも注意です」
とにかく。
これで、この薔薇の館には残り十三の間違いがあるわけだ。
「この部屋外も対象?」
由乃さんが問うと、瞳子ちゃんは軽く首を振った。
「いえ、この部屋だけです。それとこれはあくまでも演劇中に活かすのが目的なので、制限時間を5分に絞りたいと思います」
劇の本番では5分なんて長すぎる猶予はないんだから、それも頷ける条件だ。甘いくらいに。
「それからもう一つ。うちの姉のようにボケボケっとしている方もいらっしゃるので、連帯責任制度を取りますわ」
「「連帯責任制度?」」
瞳子ちゃんが言うには、わかる人が早押しで答えるのではなく、順番に回答権が交代していく――というものだった。
誰かが時間を使いすぎたら、順番の最後の人は何も言えずにゲームオーバーになる恐れがある。
連帯責任。
そうか……誰かが、というか私が思いっきり足を引っ張る恐れがあるわけか……なんて嫌なルールだろう……
「早い者勝ちだと、由乃さまや乃梨子のように鋭い人だけが答えてしまうこともありえますから、ご了承ください」
ちなみに乃梨子ちゃんは、瞳子ちゃんのこの企画の協力者ではあるものの、瞳子ちゃんが隠した七つは知らないらしい。
つまり乃梨子ちゃんが隠したのは七つで、その七つは乃梨子ちゃんは答えられない。答えを知っているわけだからね。
まあ、一種のハンディとして本人も認めているけれど。鋭い人は余裕がある。
「それはいいんだけどさ、菜々が不利じゃない?」
由乃さんの言う通り、菜々ちゃんは薔薇の館に来たのは二度目である。普段を知らないのに、普段と違うものを察することができるのかどうか……
「いえ、構いませんよ。明らかに不自然な所が結構ありますから」
おお……余裕の発言だ。
「――では、始めたいと思います! 制限時間は5分、由乃さまはもう答えたので、時計回りに一人ずつどうぞ!」
カチリ
わざわざ用意してきたストップウォッチのスイッチを瞳子ちゃんが押したところで、由乃さんの隣の菜々ちゃんが口を開いた。
「レースのカーテンにブローチが付いてます」
え? ……あっ、本当だ! 気づかなかった!
「正解!」
瞳子ちゃんはフリップの上から二番目のシールを剥がした。
「『カーテンがオシャレしてる』! 1まともポイント!」
カ、カーテンがおしゃれ? その表現……いや、まあいいけどね。
「わかりやすいからポイント低いね」
「そうですね」
うぅ……(未来の)黄薔薇姉妹は余裕を持って笑ってる……私全然わかんないのに……
「じゃあ次、乃梨子!」
「瞳子が裸足」
「正解!」
ええっ!? 裸足って……!
「ちなみにちょっと床が冷たいです」
瞳子ちゃん……前回といい、なんでそこまで身体を張るんだ……
「『瞳子が裸足』、5まともポイント」
上から五番目のシールが捲られる。
「次は志摩子さまです」
「え? ど、どうしましょう……さっぱりわからないわ……」
志摩子さんは頬に手をあててオロオロしていた。同志よ!
「落ち着いてください、お姉さま」
乃梨子ちゃんが冷静に手を上げる。
「え、でも……あら? 乃梨子、その手……」
「これ?」
……なにあれ? 乃梨子ちゃんの手首に、なんか見慣れない黄土色っぽいものが巻きついてるけど……
「はい、正解!」
え!?
「『乃梨子のロザリオがスルメイカのイカリングになっている』! 30まともポイント!」
なっ、なにいぃ!? ロザリオがイカリングっ!? イカリングって……!
「ちなみに本来のロザリオは反対の手にあります」
いやそういう問題なの!? イカリングって……イカを腕に巻くって……!
「プッ」
菜々ちゃんが小さく吹き出して、顔を伏せて笑っていた。きっと「あの頭の大きな人はどこまでボケるんだ」と思っているに違いない。
身体を張ったボケをかますなんて、乃梨子ちゃんのキャラじゃないのに……
「――祐巳さまって面白いですね。考えてることが手に取るようにわかります」
「――百面相と呼んでやって」
え、私の顔で笑ってたの!?
「――先程も乃梨子さまの頭を見て驚いていましたし」
「――言っちゃダメよ。本人バレてないと思ってるんだから」
「笑われるのと笑わせるのは意味が違うのです」――この言葉の意味を深く考えたい気分です。
…………
どうせこそこそ話すなら、聞こえないように話してよ……
「次は乃梨子よ」
微妙にヘコむ私を置き去りにして、回答権は乃梨子ちゃんに。
「それ」
乃梨子ちゃんは悩むことなく、テーブルにある花瓶を指差した。
「花が造花」
「はい、正解。10まともポイント」
「あ、気づかなかった。本当に造花だね」
由乃さんは手を伸ばして、花瓶に挿してある花を触る。あれ造花だったんだ……
「さあ、今度はお姉さまの番ですよ」
う……来た。来てしまった。
どうしよう、全然わかんないんだけど……
焦ってキョロキョロしていると、正面にいる(未来の)黄薔薇姉妹が、私を見て笑っていた。どうせ面白い顔してますよ。
――なんてふてくされてみたものの、どうやら二人が言いたいのは顔じゃないらしい。
「それ、それ」
「え?」
それ、と言いながら、由乃さんは笑って私を……頭を指差す。
思わず触れてみると……なっ!!
「な、なにこれ!?」
ありえないふわふわもっさりしたソレを頭から取ってみると、視界に黒いもじゃもじゃが入った。
こ、こ、これは……!
「はい、お姉さま正解です。『福沢祐巳がアフロになった』、50ボケポイントです」
「な、なななんで!? いつの間に!?」
いったいいつこんなものを頭にかぶせられたんだ!? 記憶にないよ!
「というかこれ、正解だけどボケポイントなの!?」
「当たり前です! だいたい普通そんなの頭に被せられたら気づくでしょう!?」
うわ、瞳子ちゃんに怒られた……
「罰としてそれかぶってなさい! 私はボケ・キネンシス・アン・ブゥトンなんて呼ばれたくありませんからね!」
「うぅ……はい……」
気づかないばかりか、自らボケポイントを拾ってしまうなんて……しかも知らずアフロにされて、更に今後もアフロを強要されるなんて……
乃梨子ちゃんの「頭がアフロ級に大きい」とか「イカを腕に巻いている」を意図せず軽々越えてしまうなんて……私こそどこまでボケる気だ!? もう自分がわかんない!
「残り八つ、どんどん行きましょう! 由乃さま!」
「テーブルクロスが二枚重ねで敷いてある」
「――正解! 15まともポイント!」
「菜々ちゃん!」
「電気ポットが炊飯器になっている」
「――正解! 3まともポイント!」
「志摩子さま!」
「え、ええっと…………由乃さんが菜々ちゃんの手を握りたくてうずうずしてる…?」
「え!? まあ不正解ですが興味あります!」
「乃梨子!」
「そのフリップボードの項目が十五個ある」
「――正解! 5まともポイント!」
「お姉さま!」
「あ、その…………うーんと…………あー……………………うん……」
「――ボケ!!」
ボケって言われた……瞳子ちゃんに、というか妹に、正面切ってボケって言われた……
「せめて志摩子さまのようにボケてくださいよ! 対処できませんよ!」
「す、すみません……」
でも志摩子さん、「別にボケてなんて……」と主張しているんだけれど……瞳子ちゃんは聞いていないようだ。
「ちょっと祐巳さん、制限時間がなくなるわよ。なんでもいいから答えてよ」
由乃さんはこれ結構気に入っているらしく、なんか楽しそうだ。うーわかんないよー。
「……でも、残りは高得点だけになっていますね。私もよくわかりません」
菜々ちゃんのフォロー的な発言が入り、同意するように乃梨子ちゃんも「そうですね」とフリップを見た。
下に行くほど高得点になっているようで、下五つがまだ残っている。
「私も一つだけわかってるんですが、他の四つがわかりません。由乃さまはおわかりですか?」
「んー……私も一つだけ」
あ、そうなんだ。鋭い人たちでも全てはわかっていないのか。そりゃ難しいのしか残ってないなら、鈍い私がわからなくてもしょうがないだろう。
「――もう時間いっぱいですし、あとは練習とは別に普通に探してみましょうか」
カチリとストップウォッチを止めて、瞳子ちゃんは言った。
「由乃さまと乃梨子は、何がわかったんですか?」
由乃さんと乃梨子ちゃんは「どっちが先に行く?」と目でけん制し合い、乃梨子ちゃんから行くことにしたようだ。
「今度こそ瞳子が胸パッド入れてる」
「ええ、正解。ちなみにこれは50まともポイントです」
「…………」
チラッと瞳子ちゃんに冷たい眼差しを向けられてしまった……ごめんね、気づかなくて……
「由乃さまは?」
「乃梨子ちゃんの頭が、カツラじゃなくて実は地毛」
え、うそ!?
「……正解です」
答えたのは瞳子ちゃんじゃなくて、乃梨子ちゃん。
「そこに気づくとはすごいですね。私、さすがにそれはダメだろうと思って、乃梨子の提案を却下したかったんですが」
そりゃフリップに思いっきり「乃梨子がカツラをかぶっている」って書いてあるもんね。
「一回髪を濡らしてドライヤーでふわりとブローしてみました。ヒントに気づいていただけました?」
「そりゃ、ね。普通そういうのって、回答されればよほど気に入ってないと取るでしょ? 本当にカツラならね」
あ、そうか。乃梨子ちゃん、カツラを取ろうとはしなかったっけ。取らないことそれ自体がヒントだったわけか。「取らない」じゃなくて「取れない」から。
用が済んだら、私みたいにカツラを取っちゃう方が、自然と言えば自然だ。……まあ私はその後強制的に着用を義務付けられちゃったけれど。
でもどっちにしろ、いや今の方が、より乃梨子ちゃんが身体を張っているということの証明になっているのではなかろうか。
あと志摩子さんがしつこく絡んでいたアレも、実は何気に「地毛である」ということを見抜いていたからかも知れない。志摩子さん、鈍いようで意外と鋭いところもあるから。
……つまり、鈍いのは私だけか。……つらいな、この企画……
「あと三つですわ。答えが出ないようでしたら、もう捲ってしまいますが」
「そうね……ああ、じゃあヒントだけ出してもらって、三つの内の一つだけでも祐巳さんに当ててもらおうか」
「えっ!? なにそれ由乃さん!?」
「最後くらいばしっと決めなさいよ、ボケ・キネンシス」
……そうですね。その通りですね。
ボケ・キネンシスとして認知されてしまった私には、それを拒むことなどできなかった。
「残り三つは特にわかりづらいと思いますが……まあでも、確かにその方が締まりが良いですわね。ではボケ・キネンシス、ヒントを出しますからよーく聞いてくださいね」
というか……その前に「お姉さま」と呼んでいただきたいのですが……
「ヒントは私、瞳子です。私の身体に二つ隠されています」
またか! また身体張ってるのか!
「……あ、一個はわかった」
「私も」
(未来の)黄薔薇姉妹はわかったようだ。私はさっぱりわからない。
「志摩子さん、わかった?」
「え? …………瞳子ちゃんと祐巳さんの間に見えない拒絶の壁ができた?」
し、志摩子さん! 今それ笑えない!
「不正解ですけれど、それは公私の私の部分でちょっと…………お姉さま、そんなにすがるような目で見ないでください。瞳子はお姉さまを捨てたりしませんから」
……姉の威厳が……姉の威厳がっ……! 「捨てない」なんて言葉でホッとしている自分がっ……!!
「あら? じゃあ瞳子ちゃん、どうして祐巳さんがあげたロザリオを掛けていないの?」
……え!?
「志摩子さま、それ正解です。『瞳子のロザリオが姉に貰ったものではない』です。ほら、鎖じゃなくて革紐になっているでしょ?」
瞳子ちゃんは紐がチラチラ見えていた首のロザリオを引っ張り出した。……そうだ、私があげたロザリオじゃない……見たことないロザリオになってる……
「……これには気づいて欲しかったですよ、お姉さま。これだけは……」
悲しげに目を伏せる瞳子ちゃん。……すいません、全然気づきませんでした……
「それにしても志摩子さん、意外とわかってる?」
私も思っていたことを聞く由乃さんに、志摩子さんは「そうなの?」ときょとんとした顔を乃梨子ちゃんに向ける。
「いや私に聞かれても……なんかおかしいかな、と思うところ、ある?」
「おかしい? そうねぇ……テーブルの位置が床板一つ分くらいズレているんじゃないかしら? なんだか座っていると違和感があるわ」
「あ、正解。すごい」
乃梨子ちゃんも、(未来の)黄薔薇姉妹も、瞳子ちゃんも驚いていた。
「乃梨子が考えた最高得点の間違いですわ。それに気づくなんて」
志摩子さんの株が急上昇した瞬間だった。……別に私の株なんて地を這うミミズ状態だから関係ないけどね。
「あと一つ、私にあります。さあお姉さま、最後の最後にいいところを見せてくださいね!? 本当にいいかげんにしないとボケ・タヌキネンシスって呼びますわよ!?」
ボケ・タヌキネンシス!?
「だ、だってわかんないんだもん! みんなこそどうしてわかるの!?」
思わず立ち上がる私に、皆は冷静な目を向けてきた。
「――祐巳さんみたいに緩みっぱなしじゃないから」
「――祐巳さんみたいにボケていないからじゃないかしら」
「――祐巳さまみたいに素で笑いを取れないからです」
「――私は祐巳さまをよく知らないのでなんとも言えませんが、そんなにボケていると日常生活に支障が出ませんか?」
ひ、ひどい……みんなひどい、菜々ちゃんまで心配げながらもひどい……でも志摩子さんにボケって言われたのが一番ひどい……
なんだか涙が出そうになってきたが、泣いても許されそうにないこの空気に、私は瞳子ちゃんの姉としての最後のプライドを奮い立たせた。
ここで答えられたら、多少は株価も回復するだろう。瞳子ちゃんに捨てられることもないだろう。
何より、観察眼を磨くことは自分自身のためにもなるはずだ。
特に妹の変化に気づかないようでは、本当に姉失格ではないか。それはもう冗談では済まされない。
「あれ? もしかして菜々、さっきわかったって言ったの、ロザリオのことじゃない?」
「はい。瞳子さまの元のロザリオを知りませんから」
「へー。どこだろ?」
「むしろ見慣れている方がわかりづらいかも知れませんね。私は一度見た時のインパクトが強かったからわかったんだと思います」
「――ヒントはそれくらいにしてください。お姉さまのためになりませんから」
瞳子ちゃんはスパルタママを思わせる厳しい目配せをして、(未来の)黄薔薇姉妹を黙らせた。
「さあお姉さま、私に隠された最後の一つ、きっちり当ててください!」
堂々と(パッドで割増しされた)胸を張る瞳子ちゃんを、私はいつになく真剣に観察する。
今度こそ、今度こそ当てるんだ! 瞳子ちゃんをガッカリさせないんだ!
私の第六感とか第三の目とかチャクラとか、目覚めろ! さあ目覚めろっ、やれ目覚めろ!
…………んっ? これは……!
「わ、わかったよ瞳子ちゃん! わかったよ!」
私は握り拳を固めた。来たっ、私の……なんかよくわからないパワーがっ! 瀬戸際の火事場パワーが目覚めたっ!
「やりましたね、お姉さま! それじゃ張り切って答えをどうぞ!!」
「瞳子ちゃんの縦ロールが今度は細くなってる!」
「――帰っていいですよ、ボケ・タヌキネンシス」
…………
フッ……私の底力なんて、こんなものか……
それから、志摩子さんの言った通り、瞳子ちゃんとの間に見えない拒絶の壁ができた。
そして罰ゲームとして、しばらく薔薇の館にいる間はアフロ着用を義務付けられた。
菜々ちゃんがよく手伝いに来るようになり、遠慮なく私の百面相+アフロで大笑いするようになった。
志摩子さんと乃梨子ちゃんはいつも通り平和だ。
由乃さんはこの企画を気に入ったらしく、早くも第二回目の勝負をせがんでいる。
私は古本屋で「○ォーリーを探せ」を買い、密かに練習を始めることにした。
ちなみに最後の一つは、「瞳子ちゃんの縦ロールの位置が若干後ろに移動していた」だ。
…………
どうしても私に探させたいなら、縦ロールの代わりにチョココロネでもぶら下げてなさいよ! そこまでされれば私だってわかるよ!
……なんて言えない私は、妹に捨てられそうな毎日にビクビクしています……