【2375】 コインからゾクゾクすること  (春日かける@主宰 2007-09-14 23:43:37)


「本当、あの一言で私の未来は決まったようなもの」 by 令

   * * *

 ──夢を、見ていた。
 夢の中の私は時間旅行をしている透明人間で、時間旅行先は数年前。場所はとても馴染みのある病院の一室。中学生の時の私がいて、ベッドの上には笑顔の由乃がいて。
 私は、過去の私達の会話に耳を傾ける。

「わぁっ、令ちゃん凄い凄い!」
 パチパチ、と由乃の拍手の音が部屋に響いた。
 令の手にはトランプのデッキが握られ、布団の上には4枚のエースが並べられている。
「練習したからね。気分転換にもなるし、やってて面白い」
 令は4枚のカードを集め、デッキに乗せてシャッフルする。その手つきはまだぎこちないが、練習の成果もあってか素人よりは滑らかだ。
 入院生活が長いと、持ってきた本も読みきってしまう。退屈そうな由乃に喜んでもらおうと、令はマジックを練習していた。
 最初は本当に簡単なマジックを披露したのを覚えている。非常にぎこちなく、タネも由乃にバレてしまうくらいにもたついてしまったが、由乃は本当に嬉しそうに笑ってくれた。
 それから令は、勉強と剣道と、そしてマジックの練習に明け暮れた。暇さえあればコインを指先で操り、毎日カードを持ち歩くようになった。たまにマジックのことが頭を支配し、小学生相手にまともに面を食らったこともあった。
 気がつけば、裁縫よりも料理よりも──ひょっとしたら剣道よりも──マジックが得意になっていた。
 当然トリックはあるが、ペンやコインくらいなら容易に消せる。カードマジックもある程度覚えた。ピンポン玉を消すことも増やすことも、1円玉を500円玉に変えることも。由乃がでたらめにシャッフルしたデッキから、エースだけを探すことだってできる。
 それは全て、由乃の笑顔のためだった。

 過去の令は、由乃にさらにマジックを披露する。
 テンポよく指の間にボールを出現させ、消失させる。由乃は口を開けて、ボールと令の指をじっと見ている。
 最大で4つまで増えたボールを全て消して、令は両手を振る。
「はい、おしまい」
 由乃はその言葉の後もしばらく呆けたように口を開けたままだったが、令が名前を呼んだときにハッと気付いたようだ。
「……由乃?」
「……令ちゃん、すごい……」
「ふふ、ありがとう」
 令は嬉しそうに笑いながら、足元のカバンにそっとボールをしまう。消えたように見せていたが、ボールは全て令が持っていたのだ。
 その時、由乃が発した言葉は、令は思わず自分の耳を疑ったくらいだ。
「……私も、やりたい……」
「え?」
「私も、令ちゃんみたいに、マジックしたい……」
「……うん。わかった。一緒に練習、しよっか」
「──うん!!」
 この時の由乃の笑顔を、令は一生忘れないはずだ。


「──令?」
 祥子の声で、令は目を覚ました。目の前に広がるのは見覚えのあるテーブルクロスで、場所は薔薇の館である。
「ごめん、うっかり寝ちゃってた……」
「いいのよ。ただ……」
 祥子は令に、ハンカチを手渡した。
「貴女、眠りながら泣いていたわよ」
 ハンカチを受け取りながら、令は困ったような笑いを浮かべた。

 祥子が紅茶を淹れてくれるなんて珍しいことだ。そう言うと祥子は「じゃあ令は水でも飲んでいればいいわ」と言った。令は笑って、
「その水も、祥子が汲んでくれるんだよね」
「……馬鹿」
 祥子は二人分の紅茶を用意して、令の隣に座った。
「ねぇ令」
「うん?」
「また、マジックを見せてくれないかしら」
「いいけど……どうしたの?」
「……お姉さま方に披露した由乃ちゃんのマジックって、貴女が教えたんでしょう?」
「うん。そうだよ」
「……私も、覚えたいもの」
 令は思わずむせてしまった。
「は、はい?」
「私も、祐巳の笑顔、見たいもの」
 祥子は令を横目に、唇を尖らせて言った。
 それを見ながら、令はこう返した。
「うん。わかった。一緒に練習、しよっか」
 令は祥子に見せるようにして、小さな銀色のスプーンを消した。


 その後、薔薇の館を中心に、リリアンで空前のマジックブームが起こるのだが、それはまた別のお話。


一つ戻る   一つ進む