【2404】 労働者七色に光り輝く  (海風 2007-11-12 12:31:49)



 木曜日。
 印刷したプログラムに誤字がみつかり、昼休みに上からシールを貼って直す。刷る前に全員で見直ししたのに、見落としてしまったわけだから、やっぱりみんな少しずつ疲れていたのかもしれない。
 気の遠くなるような作業かと思いきや、歌をうたいながらやったら、意外なほど早く片付いた――



「……はぁ」

 …………

「ふぅ……」

 …………

「……はぁぁぁぁ」

 由乃さんが溜息ばかり吐いている。
 気持ちはわかる、と、祐巳も内心溜息を漏らした。
 お昼もそこそこに、誤字修正という単調極まりない作業を黙々とやるのは、正直つらい。これなら多少きつくても、変化のある仕事の方がいい。

「ふぅぅぅ…………乃梨子ちゃん」

 作業にも溜息にも飽きたのか、由乃さんが乃梨子ちゃんに話し掛けた。乃梨子ちゃんは事務的な作業をしながら顔も上げずに「はい?」と応えた。

「なんか面白い話してよ」
「『白い犬』の話でいいですか?」
「……つまんないの」

 身体も白ければ尾も白い、という、祐巳も知っている有名な面白い(尾も白い)話だ。前に桂さんが楽しそうに話してくれた。
 「悪の十字架(開くの10時か)」や「恐怖のみそ汁(今日、麩のみそ汁)」や「悪魔の人形(あ、クマの人形)」など似た話もあるが。

「何、それ?」

 志摩子さんは知らないらしく、邪魔にならないよう小声で乃梨子ちゃんに詳細を尋ねていた。ぼそぼそと乃梨子ちゃんがネタを教えると、心底驚いたように目を丸くして「乃梨子は天才ね」とやたら感心していた。考えたの乃梨子ちゃんじゃないと思うけれど。
 でも乃梨子ちゃんは、子供のように目を輝かせる志摩子さんを見て調子に乗ってしまったようで、「悪の十字架」や「恐怖のみそ汁」の話もすることにしたようだ。
 そんな変化が少しあったが、また無言の作業に没頭する。
 と――

「ふー………ふふーん……」

 誰かが極々小さく、鼻歌を歌いだした。チラと見ると、溜息が高じて変化したのか犯人は由乃さんだった。
 なんの歌だろう。小さすぎてよく聞こえない。
 なぜか気になってきて、ただでさえ静かなのに、もっともっと物音を発てないように要らない気を遣い出す。 

「……ふーん……ふふふふふふんふんふんふーふーふふんふーん……」

 ……わからない。
 祐巳が妙な気持ち悪さを覚えていると。

「ふーふふーん」
「ふーふふーん」

 乃梨子ちゃんまで歌い出した。しかも由乃さんとしっかり重なっている。
 二人は顔を上げた。
 つまらなそうな顔のまま見詰めあい、歌う。
 ――次第にそれは大きくなってきて、具体的な言葉へと変わる。

「ナーナナナナナーナーナーナ♪」(由乃さん)
「塊ダマ  スィ♪」(乃梨子ちゃん)

 …………

「今、はじまるよー君とー♪」(由乃さん)
「僕とのー♪」(乃梨子ちゃん)
「「未体験アドベンチャー♪」」(二人で)

 そこまで歌うと、二人はやおら立ち上がった。

「アォゥ!!」(由乃さん)
「センキュー!!」(乃梨子ちゃん)

 某しげる張りの熱いシャウトで、黄色と白のソウルを惜しげもなく解放する二人。
 そして。

「「…………」」

 解放し切ったのか、何事もなかったかのように椅子に座り、また作業を再開した。
 それが何の歌なのかわからなかった私と志摩子さんと瞳子も、見て驚きはしたものの、また何事もなかったかのように手を動かす。
 遊んでいる時間はないのだ。



 またしばらく無言の作業を続けていると、今度は志摩子さんが歌い出した。

「おいらは黒ひげーみんなー黒ひげー♪」

 これはわかった! 祐巳は何気なく、でもちょっと嬉しそうに声を上げた。

「「パイレーツ」」(合いの手)

 誰かはわからなかったが、何人かの声も重なる。
 ……だが志摩子さんはその続きを知らないようで、歌はそれで終わってしまった。
 しばらく妙な空気が漂っていたが、由乃さんの起こした風で一掃された。

「全員がわかる歌がいいよね」

 そうだね、と全員が思っただろうけれど、誰もそれには応えなかった。
 無言の約束。
 つまらない機械作業を忘れないようにしないと、放課後まで引き摺ってしまいそうだから、応えない。
 ただし、歌が始まれば歌い出す。
 それが作業者というものだ。

「……オーレーオーレー♪」

 その歌声に、祐巳は弾かれたように視線を上げた。

(由乃さん、それは! それだけは!)

 祐巳は心の中で叫んだ。「それだけはやめてくれ」と。
 じゃないと、じゃないと……!

  ガタタッ

 次の瞬間、祐巳を含む何人か――いや、全員が立ち上がっていた。




「……はぁ……はぁ……」

 何事もなかったかのように作業に戻る、息が荒くなった山百合会メンバー。
 サンバのリズムで陽気に激しく、歌い踊りまくってしまったからだ。

「…………」

 由乃さんを押し退けてでもセンターを、主役を取ろうとしていたバックダンサー乃梨子ちゃんは、汗の浮かぶ表情で由乃さんを睨んでいた。そう、由乃さんの振り付けと歌は完璧で、横からポジションを奪う隙がまったくなかったのだ。
 というか、全員が踊れたことに、なんだかよくわからない奇妙な一体感が生まれていた。特に志摩子さんと瞳子が踊れたことが意外だ。志摩子さんはお父さんの趣味とかの影響だろうか。瞳子はよくわからないけれど。
 ……はぁ……こんなことしてる場合じゃないのに。疲れてる場合じゃないのに。

「由乃さん、もう少し考えて」
「うん、ごめん」

 作業をしながら言った志摩子さんに、由乃さんは素直に謝罪を口にする。でも「歌をやめて」とは言わないので、いくら志摩子さんでもさすがにこの作業には飽きているんだろう。




 またしばらく無言の作業が続いていると、今度は乃梨子ちゃんが主導権を握った。

「オレんとこ来ないか?」

 ポツリと投げかけられたその言葉に、全員がピクリと反応した。
 ――意外だ。リリアン生がこの歌を知っているなんて。特に志摩子さんと瞳子が。

「「オレ達がやさぐれたことに理由(ワケ)なんてなかったよ ただ少しだけ不器用だったのかも知れない」」

 語りまで完璧だった。全員。
 一人も欠けることなくピリオドの向こうまで行って寂しがり屋達の伝説を謳った後、また作業に戻る。

「志摩子さん、なんで知ってるのよ」

 祐巳同様、由乃さんも気になったようだ。

「かつて兄がそういう感じで。だからうちにCDがあったの」
「え、ほんと?」
「やさぐれた兄の気持ち、わからなくもないの」
「……お寺って大変なんだね」
「ライドオンでルシファーズハンマーよ」
「うん、わかった。だからもう何も言わなくていい」

 果たしてそれは、お寺の子供だったからやさぐれたのか。それとも家族の誰かが原因だったのか。
 気にはなったけれど、お家のことを不躾に聞くのは憚られた。

「瞳子ちゃんは?」
「演技の一環です」

 果たして何の演技なのか。
 気にはなったけれど、自分が原因かも知れないとなぜか思ってしまった祐巳は、怖くなって聞くことができなかった。

「祐巳さんは?」
「一時期祐麒が好きでずっと聴いてたから、私も自然と憶えちゃった」
「やっぱり男の子って、ワルに憧れる時期ってあるんだろうね」

 もしかしたら学校でヘンタイっぽい生徒会長に迫られたりしたのがやさぐれそうになった原因かも知れないけれど、本人の名誉のためにも祐巳は「そうかもね」とだけ返事しておくことにした。



 またまたしばらく無言で作業をしていると、祐巳はなんだかむずむずしてきた。
 ここらで一発、己が立ち上がる時なのかも知れない。
 何か良い曲はないかと、カラオケに行って三時間ほど歌ってレパートリーを全て消費した後「なんか歌えるのないかな」とカタログを捲る心境で、頭にある歌を思い出す。

「それにしても」

 そんな祐巳をよそに、乃梨子ちゃんは手を止めずに言う。

「これだけ女性がいるのに、今まで一曲も女性の歌がありませんね」

 思い返してみるとその通りだった。それに志摩子さんが「黒ひげ」とか口ずさんだ時は驚いたな、と祐巳はうなずく。

「……きーみーがーいた なーつーはー♪」

 しまった、と祐巳は思った。姉を置き去りに、先に瞳子が歌い出してしまった。
 ノリの良い曲に、知っている者は元気よく声を重ねる。
 まるで夜空を飾る大輪の花火が、次々と打ち上げられて心の底まで照らすような賑わい。お祭り騒ぎにも似た空気が会議室を支配する。
 ――そして、花火はすべて終わってしまい、お祭りの後に残るのは切ない静寂ばかり。
 盛り上がった分だけ、さっきまでは単調なだけだった仕事が、より一層陰鬱になってしまった。

「もっと後味良いのにしてよ」
「ごめんなさい、つい」

 乃梨子ちゃんの言葉はもっともだった。
 祐巳は考える。
 ノリが良くて全員知っていて歌っていると楽しくなる女性の歌、と言えば……

(……ダメだ。「オーレーオーレー♪」しか出てこない)

 サンバのリズムで陽気に激しく歌って踊ったせいか、思い出すのを邪魔するほど印象に残っている。全員でやれたのも原因の一つだろうか。

「志摩子さん、なんかない?」

 完全に手が止まってしまった由乃さんが、黙々と仕事をする志摩子さんに声を掛けた。仕事してください。

「え、っと……『マリア様の心』は?」
「もっとノリの良い歌がいいな。心が軽くなるような」
「そう? そうねえ……」

 志摩子さんの手も止まり、人差し指を唇に付けて考え込む。
 そして、顔を輝かせた。

「つっかっもうぜっ♪」

 あの志摩子さんが、いきなりノリノリで歌い出したのもビックリしたが。

「「ドラゴ○ボールかよ!」」

 全員の声が上がったが、反射的に口から飛び出した自らのツッコミにも驚いた祐巳だった。
 ――でもそれはそれで皆一番は知っていたので、結局歌うことにした。
 


 「ドラゴン○ールって最後どうだったっけ?」「ブゥの生まれ変わりを悟空がどこかに拉致して終わりじゃなかったですか?」と、しばし○ラゴンボール話で盛り上がる。

「地球の科学力で、果たしてあそこまでの超人的な人造人間を作ることって可能だったのかしら? そもそも資金はどこから出たのかしら?」

 なんて、志摩子さんがマニア向けな疑問を投げかけたものの、はたと全員が我に返って仕事のことを思い出し、誰もその声に応えなかった。
 志摩子さんもちょっぴり悲しそうな顔をしてから、ぐずることなく作業に戻った。
 そして祐巳はまた考える。
 今度こそ自分が先に歌い出すぞ、と。
 主導権を握るぞ、と。
 頭の中のレパートリーカタログを捲る。
 捲って捲って捲りまくる。
 しーんと静まる会議室。
 この静寂を打ち破ろうと、祐巳は必死で考えた。
 ……だが。




「みーんな集まれっ ペンギン村にー♪」(由乃さん)
「どーんなことが 起こるかなー♪」(乃梨子ちゃん)
「「それゆけ イシシシ おたのしみっ♪」」(全員)

 かなり古いのに、意外とみんな知っていた。



「ユァッ シャーッ!」(乃梨子ちゃん)
「「愛で 空が おちてくーるー♪」」(全員)

 熱い心を鎖で繋いでも、きっと今は無駄だろう。




「Fly me to the moon♪」(志摩子さん)

 薔薇の館の天井を透けて宇宙にまで届きそうな綺麗な歌声を邪魔できず、全員が「私を月まで連れて行ってください」と願った。さっき「みんな黒ひげ」とか「掴もうぜ」とか言い出した人とは思えないくらいのギャップだった。




「「ひまわりっ あの夏に生まれたんだよ かたっぽスニーカーで 一緒に隠れた♪」」(由乃さん&瞳子)

 この二人、今後小さいことでケンカばかりするのかも知れない。




「たーらこー たーらこー♪」(由乃)
「「たーっぷりっ たーらこー♪」(全員)

 たらこマヨネーズでスパゲティが食べたくなった。
 ついでに「たらこ」の部分を「志摩子」に言い換えた替え歌で、笑いながら盛り上がったりもした。ツブツブ志摩子さんがやってくるのだ。




「終わったー」
「こっちも終わり」
「時間的にもちょうど良かったですね」
「そうですわね」

 途中で踊ったりもしたが、昼休みも終わり間際には、方々に配したノルマは見事に消化されていた。歌いながらやったせいか、途中からは楽しく作業ができたように思える。
 思える、が……

「……お姉さま?」

 伸びをしたり、あまり手を付けられなかった紅茶を口に運んだりする面々の中、祐巳だけはずーんと落ち込んでいた。
 心配げに瞳子が祐巳の顔を覗き込む。祐巳の様子が変なことを察したみんなも注目した。

「まさか、終わってないの?」

 由乃さんが「こっちに回す気じゃないでしょうね?」と嫌そうな顔を隠そうともせず言う。

「……いえ、終わっているようです」

 反応のない祐巳に代わり、瞳子が応える。

「……たえなかった」
「え? なに、祐巳さん?」
「歌え……なかった……」

 次々と歌が流れる最中、祐巳は一度も主導権を握ることができなかった。知っている歌は一緒に歌ったけれど、それとこれとは別問題だ。

「『ユァッ シャーッ』って叫びたかった……」
「……すみません、祐巳さま」

 例の歌を先に歌ってしまった乃梨子ちゃんは、済まなそうに顔を伏せた。

「瞳子と一緒に歌いたかったな……」
「……何よ。知らない祐巳さんが悪いんじゃない」

 いえ、そうですけれども。

「じゃあ、最後に祐巳さんが歌って終わればいいじゃない」
「ほんと!? 志摩子さん、本当にいいの!?」

 バッと顔を上げた祐巳が見たものは、マリア様のように優しげに微笑む志摩子さんだった。

「ええ。あと1曲くらいなら時間も大丈夫みたいだし」

 いいわよね、と志摩子さんが問うと、全員がいいよとうなずいた。由乃さんだけ「そんなことくらいで落ち込まないでよね」と憎まれ口を叩いたが。

「ありがとうみんな! じゃあね、えっとね、えっとね!」

 祐巳はものすごく嬉しそうに、宣言した。

「もう一度同じ曲になるんだけど――」




 祐巳が楽しげに歌っている一方、薔薇の館の前では。

「……歌ってる、よね?」
「しかも踊ってるんじゃないかしら?」
「この声、祐巳さま……?」

 「三年生を送る会」の用事で来たものの、勇気が出ずに薔薇の館に入りそびれている一年生と二年生たちが、戸惑った顔を見合わせる。

「……オーレーオーレー……」

 漏れてくる歌声に小さく合わせた二年生に、ここにいる全員が振り返る。

「私、振り付け知ってるんだけれど……」
「あ、私も」
「私も知っています」
「私も」
「ちょっとうろ覚えですけれど踊れます」

 …………
 彼女たちは無言でうなずき合うと、今までの戸惑いが嘘のように、バンとドアを開け放った。
 そして走り出す。
 金色の着流しには届かないだろうが、マリア様も踊り出すような陽気さを盛り上げるべく。
 ――紅薔薇のつぼみのバックダンサーとして参加するために。








「……みんな疲れてるんだなぁ。近い内に差し入れでもするかな」

 偶然にもこれを聴いてしまった、二日後に「親切なサンタさん」となるこの人は、気の毒そうに呟いたとか呟いてないとか。









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