【2410】 姉の叫びを耳にして山百合会で一番怖い  (まつのめ 2007-11-27 01:21:40)


その1 大変だ


「大変、大変っ! 大変だよ!」
 薔薇の館の古びた階段を盛大に軋ませて、ビスケットの扉から会議室に飛び込むなり、慌てた様子でリリアンの淑女らしからぬ大声を上げたのは、来期紅薔薇さまも確定し、妹も出来てしっかりしてきたを通り過ぎて最近はどっしり落ち着いてきたと評判の、高三でそのツインテールはどうよと突っ込みたくなる先輩にして親友のお姉さまたる、福沢祐巳さまその人であった。

 今は昼休み。
 ここ会議室では既に志摩子さん、由乃さま、そして乃梨子と一緒にここに来た瞳子がお弁当を広げていた。
 祐巳さまはなにか用事があって少し遅くなると由乃さまが言っていたので、お茶の用意も4人分だけして先にいただいていたところである。

「お姉さま。先ずはとりあえず落ち着いてください」
 扉の前に立って息を切らす祐巳さまにみんなの視線が集まる中、瞳子が真っ先に席を立って言った。
「それが、瞳子ちゃん。大変なんだよ」
「今、お茶を入れますから」
 そう言って瞳子は流しの方へ行ってしまった。
 流石、瞳子。妹になったのはつい最近でも、祐巳さまとの付き合いが長いだけのことはある。祐巳さまのいう「大変」に真面目に付き合っていたら思い切り振り回されるってことを良く判っている。
 祐巳さまの「大変さ」は、一定の割合差っ引いて考えるのが、いまや山百合会の常識なのである。
 にしても、瞳子、仮にもお姉さまに対してちょっと態度が冷たすぎはしないだろうか。

「それで、祐巳さん。何が大変なの?」
 親友の立場からか、由乃さまが、瞳子に軽くスルーされてへこんでいる祐巳さまにそう声をかけた。
 祐巳さまは、「そうなんですよ、聞いてくださいよ」とでも言いたげに、顔を上げ、訴えるように言った。
「そう。大変なんだよ! 今聞いてきたんだけど」
「お姉さま、とにかくお茶を一杯」
 瞳子はまだ立っている祐巳さまにトレーに乗せたティーカップを差し出した。
「あ、ありがとう」
 せっかく復活したのにまた勢いをそがれた祐巳さまは、そういって紅茶を一気に煽った。
 というか熱くないのか、それ?
 と思ったけれど、祐巳さまの様子を見ると、作り置いて少し冷めた紅茶で恐らく砂糖も入れて持ってきたようだった。
「ふぅ。ありがとう。瞳子、気が利くね」
「どういたしまして」
 走ってきて喉が渇いているだろうから、一気に飲めるように温度はぬるめ。祐巳さまが慌てている時は甘いものが一番と砂糖も入れておく。なかなかの気遣いである。
 祐巳さまもそれで落ち着いた様子で「瞳子ちゃん」になっていた呼び名が「瞳子」に戻っていた。
 瞳子はそのあと、今度はちゃんと熱い紅茶を作るために流しに戻ったのだけど、由乃さまが少しいらつき気味に「それで、何が大変なの?」と聞いて、祐巳さまが答えようとしたタイミングでまたもや戻ってきて、椅子を引いて言った。
「とにかくおかけになってください」
「あ、うん」
 祐巳さまは、言われるままに腰掛け、瞳子は持ってきた祐巳さまの分のお茶をテーブルに置いてその隣に収まった。
「先にいただいてしまってすみません」
「そんなことは無いよ。私遅れるから待ってなくて良いよっていっておいたんだから」
「それで、よろしければ遅れた訳を話していただけませんか?」
「あー。ええと、なんだっけ?」
 そんな会話を聞きながら、なんか出来立て姉妹のくせに場慣れしてるなぁ、などと思っていると、いつのまにか由乃さまが箸を握り締めているのに気が付いた。
 由乃さまが言った。
「瞳子ちゃん、なんか私に恨みでもあるのかしら?」
「何のことでしょう?」
 わざとではないと思うのだけど、祐巳さまを見事にクールダウンした瞳子の行動は、由乃さまのお気に召さなかったようだ。
「物事には、その場の勢いってものがあるのよ。せっかく盛り上がって来たのに、あなたはそれを台無しにしちゃって」
「私はお姉さまが気持ちよくお昼を召し上がることが出来るようにと考えただけですわ」
「……瞳子」
 なんか祐巳さまが感動してる?
 一方、由乃さまはなにやら嫌味っぽい口調で言った。
「そうなの? あなたは自分と自分の姉が良ければそれで良いのね?」
 というか、自分の姉のことすら考えないで我が道を行く人がその台詞を言うのはどうだろう?
「妹として当然のことをしたまでですわ」
「判ってないわね。瞳子ちゃんは判っていない」
「と、申しますと?」
「普通の姉妹ならそれでも良いわ。でも私達はこれから山百合会を引っ張っていかなければならない立場にあるの。自分達姉妹のことだけ考えて仲間内の空気も読めないようではやっていけないわよ?」
 確かに正論ではあるけれど、果たして祐巳さまの「大変だ」にみんなで盛り上がる必要があったかどうかは疑問である。
 瞳子は言った。
「なるほど。それは瞳子が未熟でしたわ」
「判ればよろしい」
 あ。瞳子、演技入ったよ? 何か企んでる?
「では由乃さまには、ぜひとも“空気を読んだ振る舞い”の模範を示していただきたいのですが」
「そうね、瞳子ちゃんがそんなに言うんなら、特別に見せてあげても良いけど」
 なんか由乃さまは乗せられてるし。
「あ、あの由乃さん?」
 瞳子の「お姉さまの為に」発言で何処かへ逝ってしまっていた祐巳さまも、話が脱線しまくってることに気付いたようだ。
 というか、もともと昼休みの他愛の無い会話の延長だから、どうでも良いといえばどうでも良いのだけど。
「じゃあ、祐巳さん」
「はい?」
「やり直しよ。扉から入ってくるところから」
「ええ?」
「志摩子さんも良い?」
「盛り上がれば良いのかしら?」
「そうよ。祐巳さんの慌てっぷり何が起こったのか!? って驚くの」
 いやいや。いつの間にか志摩子さんまで巻き込まれてるし。
「じゃあ、乃梨子ちゃんは」
「私もですか?」
「つぼみ暦長いくせにテンション低めだから、瞳子ちゃんと一緒にしっかり見ておくこと」
「はぁ」
 まあ、その方が良いか。
 そして祐巳さまは由乃さまにさっきと同じように慌てて入ってきてと言われて困惑気味に扉から出て行った。

 乃梨子と瞳子は、部屋の隅に椅子を移動してそこでギャラリーのように並んで座っていた。
「なんか妙な展開になってるけど、これ瞳子の責任もあるんだからね」
 そう言うと瞳子は言った。
「面白がってしまったことは少し反省してますわ」
「って、どの辺からよ?」
「話が聞けなくて由乃さまがイライラしだした辺りから」
 って、殆ど最初からじゃん。
 場慣れした雰囲気で祐巳さまのお世話をして見せたのも演技だったってか?
「それは半分くらいです」
 つまり半分は由乃さまの反応を面白がってたって訳だ。まあ、面白がられちゃう由乃さまにも原因はあるのだけど。
 祐巳さまも含めて、志摩子さんの足を引っ張らないよう、もう少ししっかりして欲しいと思う乃梨子であった。

 少しして、一応祐巳さまなりに考えてのことであろう、律儀にも階段を盛大に軋ませるところからやり直して、さっきと同じようにドアを開けて祐巳さまが飛び込んできた。
「大変だよ! 大変だよ!」
 それを見た由乃さまが席を立って答える。
「祐巳さん! どうしたのそんなに慌てて!」
「それが大変なの!」
 志摩子さんも立ち上がってこう言った。

「まあ、それは大変だわ」

「……」
「……」
 ……いや、判ってましたとも。
 志摩子さんがこういうことに向いていないことくらい。
 微妙に眉間に皺を寄せた由乃さまは厳かに宣言した。
「……やり直し」
「え? 私、何かいけなかったかしら?」
 由乃さまは乃梨子達のいるギャラリー席を指差して言った。
「志摩子さんは退場」


「志摩子さん元気だして」
「ええ、ありがとう乃梨子」
 志摩子さん、乃梨子、瞳子は並んで見学だ。
 テーブルには由乃さま。
 祐巳さまはまた外に出て行った。
 そして、もう省略すれば良いのに、また階段を軋ませてから祐巳さんが部屋に飛び込んできて言った。
「大変なんだよ! 大変なの!」
 由乃さまもまた驚いたように立ち上がって言った。
「そんなに慌ててどうしたの祐巳さん!」
 祐巳さまはそのまま前に進んでテーブルに両手を付いた。
「はぁはぁ、それが大変なの!」
「いったい、何があったっていうの!?」
「だから、大変なことが、ええと大変だから……」
「……祐巳さん」
「あれ? ええと大変なことって?」
 ……祐巳さま。
 隣で瞳子も微妙に表情を歪ませている。
 ここって笑うとこ?
 祐巳さまは言った。
「ねえ由乃さん、『大変なこと』ってなんだっけ?」
 そんな祐巳さまに、由乃さまは高らかに宣言した。

「退場っ!」



その2 番長伝説


「はぁ。もう良いわ」
 一気にテンションが下がった由乃さまは、「もう止めた」とばかりにお弁当の続きに戻ってしまった。
 ギャラリーも早々に自分の席に戻りそれぞれに自分のお弁当の残りに取り掛かっていた。
「えーとー、由乃さん?」
 でも祐巳さまだけはペナルティーでギャラリー席に居残りを命じられていた。
「ダメよ。祐巳さんは思い出すまでそこに居ること」
「そんなあ」
 祐巳さまも律儀に従うことないのに、一応腕組みして思い出そうとする姿勢を見せていた。
「瞳子、あのままで良いの?」
「私もお姉さまには失望しましたから」
 どうやら、瞳子は自分の姉が『一番美味しいところ』を持っていったことにダメージを食らったらしい。

 そして、瞳子が、そろそろ祐巳さまが戻るきっかけを作ろうと思い始めたのか、そわそわしだした頃、祐巳さまの声が会議室に響いた。
「あっ!」
 振り返ると祐巳さまは組んだ腕を解き、丁度立ち上がるところだった。
「そうだ、思い出した!」
 それに答えて、一度テンションの下がった由乃さまは、今度は感心なさそうにこう言った。
「なあに、祐巳さん。言ってみな」
「由乃さん、落ち着いてる場合じゃないよ。大変なこと聞いちゃったの!」
「だから何よ」
 祐巳さまは大層焦った風で言った。

「この学校にね、番長がいるみたいなの」

「ぶっ!」
「乃梨子?」
「ごほっ、ぐふっ……」
 乃梨子は飲みかけの紅茶で思い切りむせた。
「ちょっと乃梨子ちゃん、大丈夫?」
「あ、いえ。大丈夫です」
 志摩子さんが背中をさすってくれているのが何とも役得気分なのだけど、由乃さまには気にしないで続けてくださいと手を振ってサインを送る。
 気を取り直して、由乃さまは言った。
「それでなに? お風呂屋さんでも開店したって言うの?」
「いや、それは番台」
 由乃さまが何かを期待する視線を瞳子に送っている。
 瞳子は「ごほっ」と咳払いをした後、それに答えるように雰囲気たっぷりで言った。
「お皿を数えて、いちまい、にまぁい、さんまい……」
「それは番町皿屋敷。怖いよ瞳子」
 と、その瞳子が今度はこちらに期待の視線を向けていた。
「ええと、ボディーが太鼓のようになっていてスチール弦が張ってある楽器ですね」
「それはバンジョー」
「それじゃあ、授業中先生が黒板に書くことかしら」
 って、志摩子さんまで乗ること無いのに。
「それは板書。みんな真面目に聞く気ないでしょ?」
 志摩子さんが戸惑うように言った。
「え? そういう遊びじゃ無かったの? 他にも客入りが良くて商品が良く売れることとか、火事を知らせるために鳴らす鐘とか考えたのだけど……」
「“繁盛”に“半鐘”ですね」
「そうよ。さすが、乃梨子だわ」
 どういうわけか、志摩子さんが一番ノリノリなのだけど、それは置いといて。

 祐巳さまが言った。
「違うってば、わたしが言ってるのは番長だよ、番長!」
「番長ってあの、破れた帽子に長い学生服を羽織って下駄を履いたあれ? 確か木刀も持ってるのよね?」
「いや、そのイメージはどうかと思うけど」
 というか由乃さまいつの時代の人ですか。
「その番長がこのリリアンに居るっていうの?」
「うん、遅くなったのは先生に用事を頼まれて職員室に行ってきたからなんだけど、その帰りにね……」
 祐巳さまはそんな噂話をしている所に通りかかり、そのリリアンではあまり聞かない単語が気になって声をかけて話を聞きだしたのだそうだ。
「なんかその生徒はもう、いくつも伝説を作っていて、いつしか番長と呼ばれるようになっていたとか」
 どんな伝説だよ。と力強く突っ込みたい乃梨子だったが、その前に志摩子さんが言った。
「でも祐巳さん。それはおかしいわ」
「おかしい? どこが?」
「だって、番長っていうのは殿方がなるものでしょう? 女性ならば別に言い方があると思うのだけど」
 それには由乃さまが答えて言った。
「ああ、確かにそうね。ねえ祐巳さん?」
「な、なに?」
「なんだろう? って顔してるから」
「そ、そうだった?」
「じゃあ、言ってみなさいよ」
「え? えっと番長の女版? だから、……女番長?」
「そのまんまじゃない。っていうか、女番(スケバン)でしょ?」
「ああ」
 知らなかった訳じゃない。イメージが上手く結びつかなかったのだろう。
 由乃さまに言われて、ぱっと表情を輝かせる祐巳さまは本当にわかりやすい。

 今ひとつ何を考えているか判らない表情で由乃さまは言った。
「つまりその女番がいるのね?」
「うーん、よくわかんないけど、番長って言ってたよ?」
「女番だか番長だか知らないけど、とにかく、“不良”なのよね?」
「不良?」
「そう。人を暴力で従わせたり、下っ端に菓子パンを買いに行かせたり、近隣の学校の不良と喧嘩したり」
 二番目は特徴として適切かどうか疑問があるけど、“番長”の一般的イメージとしてはこんなものであろう。
 というか由乃さまはどんな意図があってそれを確認するのだろう。
「そういう話は聞かなかったけど、でも怖い人らしいって」
「それは問題ね」
「うん、わたしもそう思ったから慌ててみんなに知らせなきゃって」
「よくやったわ。リリアンの平和を守る山百合会として、これを放置するわけには行かないわ!」
 と、一旦テンションダウンしていた由乃さまの目は今日一番の輝きを見せていた。
 というか見事に食いついちゃいましたね?
「そうね。確かに暴力を振るうのはよくないわ」
「あ、あの志摩子さん?」
 こうなるともうこの人たちを止める人は居ない。
 いや、薄々判っていたのだけど、今期の薔薇さま方には歯止め役が居ないのだ。
 由乃さまが暴走役なのは言うまでも無く、祐巳さまは妙な言動で独特な空気を作り出すことはあっても暴走を常識的に窘めるタイプではない。その役には一番近そうな志摩子さんも実はよっぽどずれてない限り由乃さまの暴走には乗ってしまうタイプだってことは最近知った。
 これは今まで上級生の二人の薔薇さまに挟まれて一歩下がっていたのが、最上級生になって前に出ようとしだしている表れなのかもしれないのだけど、困ったことに志摩子さんは由乃さまに手本を見出してしまったらしいのだ。
「ここは一致団結してその番長を退治して学園の平和を取り戻すのよ!」
「賛成!」
「私も協力するわ」

 そんな訳で、薔薇さま方の意見がまとまったところで、乃梨子は言った。
「あの、盛り上がっているところ恐縮ですが、」
「あら、乃梨子なにかあるの?」
「もしかして番長情報を持ってるの?」
「っていうか、番長といっても色々あると思うんです。本人もなりたくてなったとは限らない、というか番長の存在自体誤解みたいなものかもしれませんし……」
 常識的に考えれば、リリアンにそんな不良生徒がいるわけないと気付くはずだ。
 だが、由乃さまは言った。
「ダメよ! そんな弱気なことじゃ。番長の為に泣いている人をこれ以上増やしちいけないわ!」
「いや、泣いている人は居ないと思いますよ」
「それじゃダメ! 問題から目を背けたい気持ちは判るけど、このまま放置したら取り返しの付かないことになるのよ!」
「そ、そうでしょうか?」
「そうよ! だから一刻も早くその番長を見つけ出すのよ!」
「……いや、その見つけ出してどうするんですか?」
「締め上げる」
「由乃さん、言い方が物騒だよ」
「その間違った方向に向いた青春のエネルギーを正しい方へ向けさせるのよ!」
「どうやって?」
「決闘を申し込むの」
「けっとお?」
「そうよ。番長にいうことを聞かせたかったら決闘して勝つことよ!」
 由乃さまが燃えていた。
 というか、本当にそんな人が居たら勝てる気でいるのだろうか?



 その3 伝説誕生


 それは祐巳さまが「大変だ」と会議室に飛び込んできた日の前日の朝。
 乃梨子は教室でなにやら便箋に書き綴っている瞳子を見つけた。
「瞳子、朝から勉強?」
「いいえ、脚本」
「脚本って、演劇の?」
「ちょっと閃いたので、忘れないうちに書いてしまおうと思って昨日から書き進めているのですわ」
「ふうん。読んでいい?」
「ええ。ちょうど誰かに見てもらって感想を聞きたかった所だから」
 そう言って瞳子は既に文字で埋まった便箋を切り離して乃梨子に渡した。
「『リリアン最強、番長伝説』?」

  ――季節は春。
  満開の桜の木下に、ふわふわの髪の少女が佇んでいる。
  風が吹き、桜の花びらが舞う。
  そこへやってくる黒髪の少女。呟くように台詞。
 黒髪:「なんて美しい……」
  “黒髪”の方へと優雅に振り返る“ふわふわ髪”
 ふわふわ:「あら、ごきげんよう」
  黒髪は口ごもりながら挨拶を返す。
 黒髪:「ご、ごきげんよう」
  ふわふわ、微笑みつつ台詞。
 ふわふわ:「桜がきれいでしょう?」
  黒髪、見惚れている。
 ふわふわ:「この桜も見頃は今日まで。一人で鑑賞するにはもったいなかったから……」

「……おきゃくさまがふえてちょうどよかったわ……って、何だよこれ!!」
「シナリオですわ。何か問題でも?」
「問題ありまくりじゃないっ!」
「さる親友がとても他人に見せられないほど表情を緩めて、頼んでも居ないのに何回も聞かせてくれたお話を参考にしましたの」
「参考って、まんまじゃないの!」
「あら、違いますよ。もっと先を読んでください」
「ええと、このようにして二人は……」
 
 ナレ:このようにして二人は美しく咲き誇る満開の桜の木の下で出合ったのだった。しかし――。
  ここで“ふわふわ髪の少女”が舞台に登場。
  その服装は踝までの長いスカート、最初よりきついパーマの掛かった長髪。
  口にはマスクをつけ、右手で木刀を担いている。
 ナレ:少女が出合った天使は実は伝説の番長だったのだ!
  (以下略) 

 とにかく、震える拳を我慢して押しとどめて、なんとか最後まで読んだ後。
「……待てやコラ」
「どうでしたか?」
「どうもこうも、どうして志摩子さんが伝説の番長になっちゃうのよ!」
「あら、それが志摩子さまだなんて何処にも書いていませんわ」
「そんなのみえみえじゃない!」
 人物描写や台詞を見れば誰がモデルか一目瞭然だった。
「この黒髪の少女が番長の家に行くエピソードはどうでしたか? 自分でも良く出来たと思ってますのよ。それから次のお御堂で次期番長を狙うライバルと一騎打ちに至る展開は推理小説的な要素も交えてそれはもうハラハラドキドキの連続ですのよ」
「却下。これは没収よ!」
「お、横暴ですわ!」
「プライバシーの侵害よ! それにこんなの知らない人が読んだら、本当だって誤解しちゃうじゃない」
 確かに瞳子の才能は認めよう。
 だけど、才能を使う方向性が激しく間違ってる気がするのは私だけだろうか?
「判りましたわ。もっと判らなくすれば良いのでしょう?」
 まだ諦めていないようだったけどとりあえず、便箋十数枚に及ぶ『リリアン最強、番長伝説』は世に出る前に乃梨子が封印した。

 いや、したはずだった。
 そう。
 乃梨子は瞳子の言葉をもっと注意して聞いておくべきだったのだ。

 その日の昼休みのこと。
 可南子さんが乃梨子の所へ来てこう言った。
「乃梨子さん。番長なんですって?」
「はい?」
「みんな怖がって直接確認出来ないから私が代表して聞きに来たのだけど」
「ちょっ、そんな話何処から出てきたのよ?」
「さあ。でももうクラスで知らない人はいないみたい」
「ど、どんな話よ?」
「志摩子さまの後を継いで乃梨子さまは三代目番長だそうです」
 三代目!?
「なんでもマリア祭のお御堂での一件は乃梨子さんが三代目を継ぐための試練だったとか」
「瞳子ぉ? あんたアレのコピー誰かに読ませたな!」
「知りませんわ。あの『リリアン最強、番長伝説 第二稿』は乃梨子さんに取り上げられたのが全部です」
「本当に?」
「ええ。大体あれは昨日の晩から書き始めたんですからコピーする暇なんてありませんでしたわ」
「そ、そうか。じゃあなんで――。って、ちょっと待って、今なんて言った?」
「コピーする暇なんてありませんでしたわ」
「じゃなくて、もっと前。番長伝説の何?」
「第二稿ですか?」
「もう一つあったのか!?」
「第一稿は世に出せませんわ。名前も実名のままですし、ちょっと調子に乗ってリアルに書きすぎましたから」
「それは今、何処に?」
「鞄の中」
「って持ってきたのかい!」
「第二稿の参考にするつもりでしたから」
「誰にも見せてない?」
「見せる暇なんてありませんわ。ほらちゃんとここに……」
 と鞄をまさぐる瞳子の顔色が青くなった。
「と、瞳子?」
 瞳子は冷や汗を流しながら行った。
「ほ、ほら、一時間目の課題提出がありましたでしょう?」
 まさか……。
「間違えて一緒に提出してしまったようですわ」
「なんだってー!!」
 ……あれ?
 でもおかしいな。だったら読んだのは先生のはず。
 なんでクラス中に知れ渡ってるんだろう。
 その答えはすぐに返ってきた。
「これのことですか?」
 事も無げに可南子がそれを目の前に出したのだ。
 そのノートの表紙には、こう書かれていた。

 『リリアン最強、番長伝説 ―ある姉妹の物語―』

「なによこれ! ちょっと瞳子!」
 どうやら課題を集める係りの子が発見して抜き取ったらしい。
 このノート、乃梨子が没収した『第二稿』は実名は避けシナリオの体裁がとられていたのだけど、こちらはバリバリ実名で小説風に大学ノートにびっしりと書かれていた。
「午前中ずっと回ってたみたいです。私のところに来たのは最後みたいで」
「皆さん。読まれてどうでしたか?」
「後ろのあいたページに感想が書かれてますよ」
「まあ、それは嬉しいわ」
「って、瞳子あなたね!」
 乃梨子が思わず立ち上がり、瞳子に掴みかかったところで、背後からひそひそ話す声が聞こえてきた。
「番長とナンバー2がもめてますわ」
「まあ、何があったのでしょう?」
「……」
 乃梨子は掴んだ手を離して、椅子に座った。
「どうしてくれるのこの始末」
「こんな作り話、誰も本気にしてませんわ」
 瞳子はそう言うけれど、可南子によるとこの話、一般に知られているところはそのままに、上手いこと乃梨子が番長だという辻褄を合わせているらしいのだ。知らない人間が、いや知ってる人が読んでも騙されてしまいそうなくらいに。

「幸い、広まったのはうちのクラスだけだったから良かったけど」
 今ならまだ傷は浅い。
「何をなさるおつもり?」
「瞳子の責任なんだから手伝って」
 ざっと見て教室には半分以上生徒が残っている様子なので、乃梨子は瞳子を連れて教卓のところへ行き、言った。
「皆さん、お食事中すみませんけど聞いてもらえますか?」
 教室中に緊張した空気が走る。
 っていうかなんで緊張するかな。
 とにかく。
「今日の午前中なにやら私と志摩子さんに関する怪文書が回覧されてたみたいなんだけど、あれは全くの創作。瞳子が演劇の脚本の練習で書いただけなんだから本気にしないでね。ほら瞳子も!」
「ええと、そう言うわけなんです。ええと、脚本の練習? だったんですわ」
 コラ。
 そのいかにも「たった今打ち合わせたしました」みたいな演技はなんだ。
「とにかく、番長とかありえないから。ここにいない子にもそう伝えておいて!」
 なにやら教室のあちこちでひそひそ話が行われて、ちょっと嫌な空気になった。
 やがて、クラスの中でも割と発言する子が乃梨子に近づいてきて言った。
「私達相談したんですけど、乃梨子さまはあくまで私達とクラスメイトとして付き合いたいっておっしゃってくれてるんですよね?」
「え、まあ、そうだけど……って乃梨子さまぁ?」
「ですから、私達、それは演劇の脚本だったってことにします。真実は永遠に心の中に秘めておきますわ」
「って、ちょっと待って。『ことにする』んじゃなくて、本当に」
「ええ、そうでしたね。あれは創作。大丈夫です。私達は乃梨子さまが決して一般生徒に暴力を振るったりしないことは存じてますから」
「あのね、ちょっとなにか誤解が……」
「私達は乃梨子さまの味方です。偏見に満ちた人たちに負けないで頑張ってくださいね」
「私達も応援してますから!」
 ダメだこいつら。
 というか、
「瞳子、どういう話を書いたのよ」
「体制側に潜む悪と戦う正義の番長は第二章からですわ」
「どんだけ長編なのよっ!」

 そんな訳で、乃梨子は番長伝説三代目の人となったのだった。



 その4 決闘


「その番長はいま一年生って噂よ」
「そ、そうですか」
「先代は今二年生なんだけど、去年の春、三代目にその地位を譲ったんですって。よっぽど強いのね。だから油断できないわ」
「は、はぁ」
 
 今は放課後。
 薔薇の館では、緊急で番長対策会議が開かれていた。
「祐巳さんはなにか噂聞いてる?」
「うん、蔦子さんと真美さんに聞いたら一年生の間で噂は結構広まってるみたいで」
「うんうん。それで?」
「その番長は去年の秋に花寺の番長さんとの決闘に勝って、この周辺で一番にのし上がってるんだって」
「おお。それは凄いな」
「お陰でこの周辺でリリアンの生徒に手を出す不良さんは居なくなったて話だよ。なんか悪い人じゃないみたいだね」
「祐巳さんそれは甘いわ。どんな場合でも暴力を肯定してはいけないのよ」
「そうかな」
 というか、尾びれがつきまくってるんですけど。
「話はそれだけ?」
「ううん、もうひとつあるよ。なんかね、不良さんをやってるのは、学園の悪事を暴こうとして返り討ちにあって不良さんのレッテルを貼られちゃったからなんだって。でも負けないで裏で悪いことする権力者を戦い続けてるんだって」
 それはあの伝説の第二章だろう。
「なんか正義のヒーローみたいじゃないの」
「だから放っておいても良いんじゃないかな。むしろ助けてあげなくちゃいけない気がしてくるんだけど」
「ダメよ。たとえ正義の為でも、山百合会として非合法な活動を認める訳にはいかないの。私達は体制側に組み入れられた存在なのよ」
 って、由乃さま。
 何か言ってる事がおかしくありませんか。
「というわけで、乃梨子ちゃんと瞳子ちゃん」
「「はい」」
「同学年の方が集めやすいでしょうから、あなた達は噂話の収集をお願いできるかしら?」
「判りました」
「祐巳さんと志摩子さんは番長をおびき出す方法を考えて。私は決闘に備えて部活で鍛錬だから」
 というか由乃さまは普通に部活の日では?

 そんな訳で、乃梨子は瞳子と一緒に一旦薔薇の館を出た。
 そして、出たところで立ち話をしていた。
「ちょっと瞳子どうするのよ!」
「随分大げさな話になってますわね」
「って、人ごとみたいに」
「人ごとですわ。噂は実名が抜けて広まってるようですし、ここまで尾びれが付けば誰も乃梨子さんのことだなんて思いませんから」
「あら、番長って乃梨子のことだったの?」
「し、志摩子さん!?」
 迂闊にも扉の前で話をしていたら、音も無く近づいていた志摩子さんに会話を聞かれてしまったのだ。

 場所をもっと聞かれにくいところへ移して、乃梨子はこの間抜けな経緯を志摩子さんに全部話した。
「じゃあ、私が二代目なのね」
「すみません」
 瞳子は志摩子さんに素直に謝っていた。
「じゃあ、初代は聖さまなのかしら」
 いや、それはどうでも良いことなんだけど。


 そして数日後。
 山百合会代表として黄薔薇さまと、伝説の三代目番長の決闘が行われることになった。


 どうしてこんなことになったのかというと、噂が広まりすぎた結果、非合法活動を行っているという番長の人気が上がると風紀が乱れるとして教職員が、番長伝説を批判する発言をしたことに端を発し、子羊たちの園であったはずのリリアン学園は、体制派と番長派の真っ二つに分かれていがみ合う事態に発展してしまったのだ。
 体制派の旗を振ったのは風紀委員を中心とした教職員寄りの生徒達だ。
 元々番長派は暴力も辞さない発想だった。だから、それに対抗して体育系の部活に所属する体制派の生徒が自警団を結成して、番長派を牽制。
 時はまさに世紀末。
 校内は荒み、両派の睨み合いはさらに緊張を高め、いまや一触即発の様相を呈していた。
 そこで仲裁の為に立ち上がったのが、事態の急展開に半ば置いてきぼりにされていた山百合会幹部達だった。
 薔薇さまが、特別なコネを使って、今まで謎とされて決して表に出てこなかった伝説の番長と話し合い、代表同士一対一で決着を付けようという話になったのだ。

 時は放課後。場所は武道館。
 体制派代表は現黄薔薇さまである島津由乃。
 山百合会幹部であり、剣道部員でもある由乃が代表として戦うことに異議を唱えるものは居なかった。
 そして伝説の番長は、面を被ったまま決闘場にその勇姿を現わした。
 真剣ならば三本はいらぬ。故に決闘は一本勝負。
 試合は接戦を極めたが、最終的に番長の刺すような突きが由乃に突き刺さり勝負は番長が勝利した。
 試合が終わり、番長は、場外に突き落とされた由乃に手を伸ばした。
「さあ立て」
「……番長?」
「私は、学園に諍いを起こすために戦っているのではない。学園が二つに分かれていがみ合うなんで馬鹿げたことだ」
 その言葉に、体制派は感動し、番長派は自分達がしていたことを深く恥じた。
 そして両体制派の生徒達が見守る中で二人はがっちりと手を握り合い、ここに、リリアンの歴史に残る大きな争いが終結を見たのであった。

 この一連の騒動は、新たな番長伝説として後世に末永く伝えられることとなったのだった――。


「――こととなったのだった、まる、と」
「って、また伝説増やしてるし」
「まあ良いじゃありませんか。乃梨子さんが番長であることは公然の秘密になったわけですし」
「公然とか言うな」

 乃梨子が噂の番長であることは先ず志摩子さんから祐巳さまと由乃さまに伝わった。
 噂が広まりすぎて、教職員に問題視されたのは事実だけど、瞳子の小説は少し誇張しすぎである。
 実は山百合会がお膳立てした番長対決は不穏な臭いのする番長伝説の噂を美談として昇華してしまおうという、教師と山百合会幹部による共同作戦だった。

 作戦は試合で乃梨子が勝つところまでは上手く行ったのだけど、最後の最後で乃梨子の面が取れてその正体がばれるというハプニングに見舞われた。
 だが、白薔薇の蕾にして、陰で秘密裏に番長として活躍しているというシチュエーションが、リリアン生には酷く刺激的で好ましいものだったらしく、計画には全く支障なく、おまけとして乃梨子の人気を増強する結果となってしまったのだった。

「番長さんっ! 申請書、書いたからお願い!」
「番長、このあいだ出した使用許可書どうなってるか確認できないかな?」
 リリアンの淑女らしからぬこの呼び名は、騒動の中心人物たる乃梨子にたいするペナルティとしてシスター公認となってしまった。
 というか、元はといえば瞳子の小説もどきが原因なのに、どういうわけか貧乏くじを引いたのは乃梨子だけで、瞳子にはなんのお咎めもなかった。
「番長さん!」
「番長ってば」
「ああもう、申請書は、すぐ持って行くからそこに置いといて! 許可書はまだよ! 下りたら即伝えるからいちいち聞きに来るな!」
「「は、はいっ! すいませんでしたっ!」」
 っと、しまった。つい。
「「おー」」
 なにやら歓声と共に、あちこちから声が聞こえる。
「流石、番長だ」
「やっぱり番長だ」
「うん番長ね」


 うっーーっ、
「番長っていうなーーっ!」





『リリアン最強 番長伝説 ―とある少女の物語―』 ≪完≫


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