「瞳子ちゃんは本来の意味を履き違えてるのよ」
あれはいつ頃の話だっただろうか。
頭の中にある答えの前には壁のような霞がのんびりと漂い、ぼんやりとしか中を見せてくれない。
「瞳子ちゃんみたいなお嬢様からしたら、『ツッコミなんて淑女には相応しくない』って思ってるかもしれないけどね」
でも、あの時の違和感というか、しっくり来ない感じは、答えがなくても憶えている。
あれはなんだったか……
「でも祐巳さんの妹やるんなら、ツッコミは必需品よ?」
あれは、……意外な人が、意外なことを言った時の感覚だったような気がする、けど。
「あの……由乃さま、瞳子には由乃さまの言っていることの半分もわからないんですが……」
「わからないの? ツッコミとは愛よ」
「あ、あい?」
「そう、愛。いい? たとえばお姉さまが寒〜いボケをかましたとする。故意でもそうじゃなくても。すると一面が白のオセロが一つだけ黒に変わるの。わかる? 私たち白とは違う存在になってしまうの。一人だけ違う次元に行ってしまうの」
うーん……なんだったかなぁ。
「でもね、上手にツッコむことができれば、他の人も黒に変えることができる。それが無理でも、一人だけ黒になったその人を、上手に白の世界に戻すこともできる」
「は、はあ……」
「いいの? お姉さまが一人孤独の中にいても。そういうのを助けるのが妹の役目なんじゃないの?」
孤独か……やっぱりツッコミは大事だもんなぁ……
「……じゃあ、由乃さまは?」
「え? 私が何?」
「由乃さまと菜々さんは、どちらがツッコミ担当なんですか?」
「私たちはボケないわよ! 祐巳さんじゃないんだから! そもそもまだ姉妹じゃないわよ!」
「――まだ姉妹じゃないのかよっ」
「…………」
…………
「……瞳子ちゃん、ツッコミ下手ね」
「……すみませんでした」
うーん……瞳子はツッコミが下手だなぁ。って、今はそっちじゃなくて。
「乃梨子ちゃんを見習いなさい。すごいわよ、あの子のテク」
「由乃さま、そのわきわき動かす手付きでテクはやめてください。なんかいやらしいです」
うん、なんかいやらしいね。……いやだから、考え事でしょ?
「……瞳子には、どう考えてもそれが重要とはまったく思えないんですよ」
「え? 何? また一から教えろってこと?」
「い、いえ、もう、絡むのやめてくださいと……」
「今ここでちゃんとマスターしておかないと、祐巳さんと乃梨子ちゃんが急接近することになるわよ? 無敵のツッコミストッパー祥子さまが卒業しちゃったんだから」
「え!? 祥子さまそういう役目だったんですか!?」
……違うけれど。お姉さまは私がボケても冷ややかに一瞥するような役だったけれど。
そのSっぷりが、私のMを目覚めさせたのは、いつ頃からだったか。
「祐巳さま、そろそろご自分の妹を助けてあげたらどうですか? 瞳子困ってますよ?」
乃梨子ちゃんの通る声が、頭の中に掛かっていた霞を、答えごと綺麗に消し去ってしまった。
――ここは会議室。
私の妹の瞳子も、由乃さんも、志摩子さんも乃梨子ちゃんもいる。
春休みも終わり、私たちは三年生となり、新たな、そして最後の高校生活が始まろうとしていた。
もうすぐ志摩子さんと乃梨子ちゃんには思い出深いマリア祭がある。私たちは準備に追われることになるが、もう少しだけのんびりした日々が送れるはずだ。
桜が咲き誇る春。
薄紅色の花弁がポカポカした陽気を運んでくる。
でも、ずっと一緒だった人が二人も卒業していなくなってしまったこの光景に、少しだけ感傷に浸ってしまう。
いないのは今年に入ってずっと、というような印象もあるけれど、もうあの二人は校内を探してもいないんだと思うと、どうしても寂しい。
「……そう言えば祐巳さん、ずいぶん静かね。どうかしたの?」
人の妹を捕まえて傍目にも当人的にも嫌な絡み方をしていた由乃さんは、不思議そうに私を見る。
私も、由乃さんを見る。
「由乃さんを見ていて、何かを思い出しそうになって」
思い出を振り返っている内に、私が薔薇の館の住人と出会った頃にまで行ってしまったわけだけれど。
その過程で、何かが引っ掛かった。
キーワードは由乃さんだ。
「何かって?」
「思い出せないから考え込んでたの」
「なるほど」
「――春ボケかよっ」
ピシリ
「…………」
裏手で瞳子にツッコまれたが、私は無感情で己の妹を見るばかり。だいたいボケてないし。感傷に浸るくらいでボケ呼ばわりされても。一年以上前のことを思い出せないからってツッコまれても。
「由乃さんのことで思い出せないの?」
一人黒のオセロになってしまった孤独の瞳子を置いて、志摩子さんは話を進めた。
「うん……なんか志摩子さんにも関係があったような気もするんだよなぁ」
「私にも?」
「なんだろう。いつ頃?」
志摩子さんも由乃さんも、私の思い出せないことに興味を抱いたようだ。
今日は特に仕事もなく、自然と集まってしまったので、暇潰しにちょうどいいのだろう。
「私が薔薇の館に来て、少し経った頃かな」
「黄薔薇革命の時?」
革命か……そういうこともあったよね。
あの頃気になったことと言えば、当時の黄薔薇さまこと鳥居江利子さまがヘアバンドつけてなくて「あれ? これ蓉子さまじゃない?」と見分けが付かなかったり、スカートの丈が膝上だったり、由乃さんのお見舞いに行った私がなぜか私服じゃなくて制服だったりしたような気がするけれど。ジャンパースカートにモヘアのカーディガンだったはずだけれど。
だがしかし、そんな些細なことは忘れるべきだろう。
「もう少し先、だったような……」
「じゃあ……いばらの森の頃?」
……うーん……
「たぶんその頃だったような気がするんだけれど……」
「『いばらの森』ってなんですか?」
乃梨子ちゃんが何気なく疑問を投げかけると、答えに窮する私と志摩子さんの代わりに、由乃さんが「私たちが一年の時に流行った小説よ」と、さらりと答えた。さすがだ。
聖さまの過去のことは、軽々しく話すようなことじゃないから。
でも、そう、確かあの頃だったような……
「祐巳さん、それって聖さま絡んでる?」
「んー……たぶん」
「志摩子さんが関係してて私を見て思い出すってことは、それは三人セットじゃない記憶ってことじゃない? だって志摩子さんを見ても、私みたいに関係してるとは思えないんでしょ?」
「あ、そうかも」
由乃さんを見て思い出しそうになったけれど、志摩子さんを見ていても記憶の連鎖は揺れもしないから。
無関係ではない……なんて言い出せば、当時の山百合会メンバー全員がそうなんじゃないかとも思う。
「たぶん私と祐巳さん二人だけの思い出だと思うよ。きっと志摩子さんが直接関係してるんじゃなくて、志摩子さんの姉の聖さまが絡んだんじゃないかな」
うんうん。鋭い推理だ。
「となると……いばらの森で二人だけの記憶となると……ラーメンかな?」
「あ、なんか惜しい」
掠った。答えに掠めた。そうそう確かその付近だ。
「ラーメン? お姉さまが二人に残るように言って、大学の食堂の食券をくれた?」
「あっ!」
志摩子さんが更に限定してくれたことで、ようやく霧の向こうの忘れ物を拾うことができた。
「思い出した?」
「うん! そう、聖さまのあの言葉が引っ掛かってたんだ!」
「あの言葉、って?」
二人が「早く言え」と言わんばかりに視線をくれる。
そんな中、私はゆっくりと、あの時の聖さまの言葉を、自分で繰り返してみた。
「『私が由乃ちゃんに対してはおいたしないからでした』」
「「ああーっ!」」
由乃さんも志摩子さんも、ようやくすっきりした顔を浮かべた。
「あの時も疑問に思ったんだけれど」
瞳子と戯れる由乃さんを見ていて、ふと、自分と聖さまのことを連想してしまい、あの時の疑問まで思い出してしまったわけだ。
先の言葉の後に、聖さまに「どうして私だけちょっかい出すんですか」って聞いたら、姉妹ともにリアクションが楽しい、とか、そういう答えが返ってきたと記憶している。
「リアクションが楽しいって、今だから言えるけれど、由乃さんも結構面白いよね?」
なんかリリアンには少ないアクティブな感じで。
「何言ってるの祐巳さん。祐巳さんのリアクションには私なんて到底敵わないわよ」
「そんなご謙遜を」
「いやいや本当に」
「……由乃さんも面白いよね?」
「顔でも笑いを取れる祐巳さんには絶対に敵わない」
「顔は関係ないでしょ!」
「いやむしろ顔こそ関係あるでしょ!」
お互い妙に熱くなってあわやケンカに、というところで、志摩子さんが「まあまあ」と止めてくれた。
「でも、確かに少し気になるわ」
志摩子さんはポツリとつぶやいた。
「お姉さま、由乃さんも気に入っていたもの。確かにご自分の妹が二年生にいないから、っていう、仕事を任せて悪いな、という気持ちもあったとは思うけれど」
でもそれも、志摩子さんが聖さまの妹になってからは、多分に解消されたはずだ。
聖さまは、なぜ由乃さんにはちょっかいを出さなかったのか?
見た目もかわいいし、反応もいいし、江利子さまが気に入るくらいにはからかいがいもあると思うし。江利子さまに遠慮するような人でもないし。
「いや、たぶんさ」
由乃さんは真面目な顔で、持ち上げていたカップをソーサーに降ろした。
「病気のことがあったから、私のこと腫れ物のように思ってたんじゃないかな? 仕事だって満足にできなかったし、学校にも薔薇の館にもあまり来られなかったから。だからちょっかい出さなかったんじゃないかと思うよ」
信じられないけれど、そんな頃もあったんだよね……今では鋼鉄の心臓を持っているわけだけれど。きっとチームドラゴン辺りの、すごく優秀なお医者様がとても頑丈に手術してくれたに違いない。
しかし。
仮に、本当に仮に私ほどじゃなくても、由乃さんのリアクションだって面白い。むしろ私以上に冗談を理解しているところもあるくらいだから。
確かに由乃さんの言う通り、病気だから敬遠していた、というのもあるかも知れないけれど……でも、今だから言えるけれど、なんだかしっくり来ないんだよなぁ。
「……あ、でも」
何やら心当たりがあったのか、由乃さんは眉間にしわを刻んだ。
「そう言えば、志摩子さんが聖さまの妹になって少し経った頃に、聖さまとここで二人きりになったことがあったっけ。祐巳さんが薔薇の館に来る直前だったかな」
出てきたのは、初めて聞く由乃さんと聖さまの思い出話だった。
「知ってる? 私、ちょっとだけ聖さまに苦手意識、っていうのかな? そういうの、あったんだ」
その時いなかった私も、居た志摩子さんも、ギリギリで話に付いて来ている二年生も。
由乃さんが語る過去に、興味津々だった。
「なんだか懐かしいな。たった二年前なのに、すごく昔のことみたいに思える」
由乃さんは二年前の記憶に、遠い視線を送り出した。
「――あれ? 由乃ちゃんだけ?」
「ごきげんよう、白薔薇さま」
軽快な足取りで軋む階段を昇ってきた聖さまに、お茶の用意をしていた私は振り返って挨拶する。
「ごきげんよう。志摩子はまだ?」
「今日は環境整備委員会で遅れるって、昨日言っていましたよ」
「そう。紅薔薇さまと黄薔薇さまも少し遅れるって」
時期は学園祭前。
山百合会による劇「シンデレラ」の準備も本格化してきて、皆忙しくしている。令ちゃんもきっと仕事で走り回っているだろう。私の代わりに。祥子さまは……最近はよくサボるから、よくわからないけど。
最初は小規模でやる予定だったのに、予想外に手伝い手が増えて、等しく仕事も増えてしまった。
病気を抱えている私は、デスクワーク以外の仕事を割り振られることもなく、ただここにいるしかないわけで。
今の私にできるのは、いつ誰が来てもいいように、温かいお茶を用意しておくことくらいだ。
「紅茶は今煎れてますけど……コーヒーがいいですか?」
「ああ、うん、よろしく」
はい、と応えて、私はまたポットに向き直る。
背後で、カタンとかすかに椅子が鳴る。
広がる紅茶の香りに包まれた会議室に、インスタントコーヒーの香りも加わる。
異質ながらも違和感はなく、その香りは柔らかく重なっていく。
……それはいいとして。
背中というか、後頭部というか、とにかく後ろからの視線はとても気になる。
間違いなく、見られている。
佐藤聖さま。
最近はずいぶんと機嫌の良さそうな三年生だけど、でも、観察している分にはどうにも気分に斑があるような人。
高等部に上がってすぐに山百合会に入った私と、約半年も付き合いがあるにも関わらず、話したことも極端に少ない先輩だった。
「…………」
沈黙。
正直な話、苦手意識もあったかも知れない。(この頃は)私は人見知りする方だから。
蓉子さまは優しくて気配り上手で、常に私の体調のことを気に掛けてくれる。そういう意味では令ちゃんと同じで安心感がある。
でこちん江利子さまも、まあなんだかんだ言っても年上で、令ちゃんの姉で、私は孫で。表面上は「なんとも思ってないし心配もしていない」という態度だけど、本音では違うだろう(って今ならちゃんとわかる)。
祥子さまはあれで蓉子さまにベッタリだから、私とは特に摩擦も接触もなかったし、そもそも出席率の悪い私なんてあまり当てにもしていないはずだ。というか、三年生たちにいじられまくる祥子さまは、いつも自分のことでいっぱいいっぱいだ。
でも、聖さまは違う。
半年経って話したこともほとんどないし、そもそも何を考えているのか掴みかねるところがあった。
第一、私も聖さまもあまり薔薇の館に来なかったのだから、顔を合わせた数も多くはない。
明確にわかることと言えば、紅茶よりブラックのコーヒーの方がお好みだ、ということくらいだ。
「――どうぞ」
紅茶もコーヒーも煎れ終わり、まだ来ない人たちより一足先に、聖さまにコーヒーを渡す。
「ありがとう」
幾分緊張している私から、余裕ありまくりの聖さまがカップをさらう。
「由乃ちゃん」
「はい?」
自分の分のカップを運んで席に着いた時、聖さまが話し掛けてきた。
「志摩子のこと、どう思う?」
「え? 志摩子さん?」
今更そんなこと聞かれても、と思う。だって聖さまの妹になったのは最近だけど、それ以前に出入りしていたから。
「綺麗だと思います」
率直に「藤堂志摩子さんをどう思う?」と聞かれたら、「綺麗だ」と答えるしかない。志摩子さんも(当時は)あまり接触があった方ではないから、具体的にこうって言えるほどは知らない。お互いを知り合うのもこれから、ってところだ。
ただ、同じ一年生として、これから私ができない仕事のしわ寄せは全部志摩子さんに行くんだろうと思うと、ますます肩身が狭くなる思いだ。
「綺麗? ……まあそうかもね」
聖さまは考え込むように、「うーん」と唸りながら指を組んだ。
「でもそういうことじゃないのよ」
「え? ……どういうことですか?」
聞くと、聖さまはうまく言葉を言い表せないのか、首を捻った。
「そうねぇ……私に妹ができたことで、あとは祥子の妹ができれば山百合会は磐石でしょ」
「そう、ですね」
聖さまの妹は、二年生ではなく一年生。だから白薔薇一家は二人まで。
黄薔薇は、江利子さまと令ちゃんと私で、もうスペースはない。
あと空いているポジションと言えば、祥子さまの妹の「紅薔薇のつぼみの妹」だけだ。
「なんていうか、足りないものがあると思わない?」
「足りない……ですか?」
「そう、足りないもの。たとえば、紅薔薇さまは優等生、黄薔薇さまは変わり者」
ふむ。
「私は……問題児にしとくか。祥子は生粋のお嬢様、令は……宝塚の男役みたいな?」
ふむふむ。
――令ちゃんに関しては、後に「ミスターリリアン」という的確な表現が出てきたけど、この時点では「宝塚の男役」が一番近い表現だった。
「志摩子は綺麗系、それで由乃ちゃんは可愛い系」
うんうん。……私は可愛い系か。何気に嬉しい。
「こうして指折り確認してみると、今の山百合会には足りないものがあると思わない?」
足りないもの、で、「なになに系」と言われれば。
「お笑い系?」
「それもアリだね」
アリなのか。でも、難しいだろうな。
「祥子さまが選ぶ妹としては、ちょっと意外性が過ぎる気もしますけど」
「そうね。あの祥子にお笑い系の妹なんて、ボケたら冷たく一瞥、って感じ?」
あるある。そんな感じそんな感じ。だってあの祥子さまだもん。
――後にそれが真実に変わるわけだけど。
「まあ、内面は長く付き合わないとわからないからね。案外志摩子がお笑い系かもよ」
「志摩子さんが?」
「私は天然だと思ってる」
「そ、そうですか?」
――その時は「まさかぁ」と思ったけど、これも後に真実だと知らされることになる。
「というわけで、今度は外見に行こう」
「はあ、外見」
この話はいったいどこへ向かおうとしているのか、その時の私はさっぱり検討も付かないのだった……
「――後半へぇ続く」
某キートン風に低い声を出す由乃さん。
「「続くのかよっ!」」
由乃さんが溜めて放ったボケに、私と乃梨子ちゃんの声が綺麗に重なった。
「こ、これか……!」
なぜか瞳子は感心していた。
「落ち着きなさいって。少しくらい休憩させてよ」
由乃さんが苦笑いしながら休みを要求するので、私たちはふーと息をはいて、入り込んでいた過去から現代に戻ってきた。
過去の聖さま。
それも、由乃さんしか知らない聖さまか……
「聖さまは苦手だと思ってたのに、結構話が噛み合ったのは驚いたわよ。反応も早くて話しやすかったしね」
と、由乃さんはカップを手にしみじみ語った。
「志摩子さんっていう妹ができたことで、聖さまの心の何かが埋まったから、いろんなことに余裕が生まれたのかもね。人間、余裕があると周囲に目が向くから」
なるほど、そうかも知れない。
「それで、その話はどこへ向かったんですか?」
若干ムッとしているのは乃梨子ちゃん。あれじゃ当分妹はできないかもね。志摩子さんにベッタリだ。
「だから落ち着きなさいよ。そんなに食い付かれると、オチが出しづらいじゃない」
オチ……
ああ、そうね。そうだよね。だって聖さまとの対話だもんね。真面目な話じゃないんだよね。
「――結局笑い話かよっ」
ピシリ
「…………」
由乃さんは裏手で瞳子にツッコまれたが、特に無反応だった。今のはツッコミどころじゃないと思うよ。サラリとしすぎてて。あとタイミング的に遅いよ。間髪入れずに出さないと。
「原点に戻るけれど、その話は祐巳さんの『お姉さまが由乃さんにちょっかいを出さない』が関係しているの?」
また一人黒のオセロになってしまった孤独の瞳子を置いて、志摩子さんは話を進める。
「たぶんね。そもそも聖さまに私を印象付けた思い出って、これくらいしかないと思うから」
ふうん……
「じゃ、後半に戻ろうか」
じっくり紅茶を一含み、由乃さんは遠い目で過去を振り返った。
「――というわけで、今度は外見に行こう」
「はあ、外見」
この話がどこに着地しようとしているのかまったくわからない私は、首を傾げた。
「難しい話じゃないから、気楽に相手してよ」
笑いながらコーヒーをすする聖さま。私は「相手なんてとんでもない」と言いつつ、別に真面目に答えなくていいのか、とちょっと安心もした。
苦手意識があって、よくわからない相手が仕掛ける先の見えない話は、やっぱり不安だったから。
というか、もしかしたら、聖さまは私の気持ちを見抜いていたのかもしれない。祥子さまを手玉に取る一人でもあるわけだから、抜け目ないのはよくわかっている。
「外見だけで言うと、紅薔薇さまはどう見える?」
「やっぱり優等生じゃないですか?」
なんというか、真面目ーって感じ。顔立ちも髪型も態度も話し方も。いつもキリッとしてて乱れがなくて。
「そうだね。じゃあ、黄薔薇さまは?」
「おでこ」
額に「肉」とか「中」とでも書いてやりたくなるおでこを思い出しつつ三文字で表現すると、聖さまはハハハと遠慮なく笑った。
「それじゃ、私は?」
「えっと……外国の方、みたいです」
答えた時は、緊張した。あまり触れてはいけない領域だと思ったから。
でも「聖さまの外見」と聞いて、これを言わないのは逆に失礼な気もした。あからさまに気を遣われる方が腹が立つんじゃないかと。だってあまりにも際立っているから。
肝心の聖さまの反応は。
「父方の祖先に日本人じゃない人がいたみたい。隔世遺伝ってやつね」
「納得」という感じで、深々とうなずく聖さま。やはり変に気を遣わなくて正解だったようだ。
「へえー、隔世遺伝ですか……」
まあ綺麗なんだからいいんじゃないかと思うが。でも本人には言い知れぬ苦労もあったかもしれない。
「祥子はどう?」
「小笠原家の一人娘って知らなくても、お嬢さまにしか見えないです」
あの芯の通った佇まいといい、一般人とは一線を隔す折り目正しい物腰といい、ハキハキした口調といい。髪もサラサラで長いし、美人でキツイ顔してるし。
「お嬢さまじゃなければ女王さまです」
調子に乗って飛ばしてみると、聖さまは腹を抱えて大爆笑だ。こんなこと祥子さまに聞こえたら、私はきっと発作を起こすほど怖い目で睨まれただろう。
「うんうん、そうそう、祥子はお嬢さまか女王さまだわ。鞭とか持ってても不思議じゃない」
かなりのクリーンヒットだったらしい。ひとしきり笑った聖さまはハンカチで目尻を拭いていた。
「じゃあ、志摩子はどんな風に見える? 綺麗以外で」
「西洋人形みたいで……んー……ステンドグラスの絵みたいな繊細な感じ?」
あの透明感のある肌の白さとか、ふわふわで細い綿菓子のような巻き毛とか。柔らかい笑顔とか。美の集大成って感じ。
「西洋人形か。そうだね、なんか部屋に飾っておきたいよね」
「綺麗なだけならまだしも、あの笑顔がなごみ系ですよね」
「ああ、なごむよね」
思い出すだけで、この場の雰囲気までなごんでしまった。志摩子さん効果だ。
「令はどう?」
「やっぱり宝塚の男役、でしょうか」
「それ以外言いようもないか」
「つまらない姉ですみません」
令ちゃんに関しては、特に中身も面白くないしね。見慣れてるし知りすぎてる私には普通すぎて。
「由乃ちゃんは自分でどうだと思う?」
「じ、自分で、ですか? それはちょっと……」
自分で自分を言い表すのは、ちょっと厳しいものがある。なんかどう答えても自意識過剰に思われそうで。
「そう? じゃあ、三つ編みでいいか」
「……まあ、そうですね」
外見で言えば、それ以上正確な表現などないだろう。……貧相な胸とか言われなくてよかった。
「さて由乃ちゃん、ここで問題だ」
聖さまはビシッと人差し指を立てた。
「今の山百合会に、足りないものは?」
足りない、もの……またこの質問なのか……
「外見に限って、ですか?」
「そう、外見に限って」
う、うーん……
「……セクシー系?」
ウッフンでアッハンなタイプは、いないと思うけど。
「残念ながら、紅薔薇さまも黄薔薇さまも祥子も、ついでに私もナイスバディだ。志摩子も何気にすごいよ?」
すごいのか志摩子さん……これからも付き合いがあるんだし、早いうちに確認しておこう。
――後に劇の衣装合わせで「すごいもの」を見ちゃったわけだけど。人生って不公平だ。そして私は祐巳さんに並々ならない仲間意識と親しみを持った。この人とはうまくやれそうだ、と確信を持ったわ。
「じゃあ……萌え系?」
最近テレビでやれ「アキバ系」だの「オタク系」だの言われている方面の、若干ニュアンスを掴みかねる正体不明の系統だ。理解できないので具体的にどうとは言えない。
「この歳に当てはめるなら、萌えは作るものだから」
聖さまはやけに玄人っぽいことを言って却下した。そうか、作るものなのか……よくわからないけど。
「でも方向性は間違ってないよ。さあ由乃ちゃん、がんばって」
何をどうがんばれと言うのか甚だ疑問だったが、私はがんばって知恵を絞る。
「純和風系?」
「令がいるじゃない。志摩子も意外とそうよ?」
「生粋の乙女系?」
「志摩子じゃ不服?」
「ドジっこ系?」
「んー……なんか惜しい」
……うーん。
「猟奇系?」
「紅薔薇さまでいいじゃない。怒るとすごく怖いから」
「癒し系?」
「志摩子がいるじゃない」
「ぽっちゃり系?」
「リリアンには少ないよね」
「インターナショナル系?」
「Hi Yoshino。由乃ちゃん英語できる方? 放課後まで英語ほか語学の勉強したい?」
「いえ……じゃあ、皆殺し系?」
「それはもう学生じゃなくて犯罪者だ」
う、うーむぅ……!
「スケ番系?」
「それ系は入学試験で落ちるし、中で発展した場合はすぐ退学になると思う」
「おやぶん系?」
「方向まったく違うけど、たぶん山百合会がリリアン高等部の親分的存在だろうね」
「使いっ走りのしたっぱ系?」
「一年生がすでにそうじゃない」
「サラリーマン系?」
「定時ピッタリ小遣い二万がんばれ日本のお父さん。……言うまでもなく、違うわよ」
「仏教系?」
「……そのうちわかると思うけど、今は違う」
「ドリル系?」
「それどんな系統!?」
――そこにいる特殊な髪型の系統だと聖さまがいつ知ったのかは、私にはわからない。
「ムキムキ筋肉系?」
「令じゃダメなの? 細身だけど筋肉ついてる方じゃない?」
「サムライ系?」
「それも令じゃダメなの?」
「ニンジャ系?」
「たぶん現代社会にもリリアンにもいないと思うけど、まずニンジャは目立っちゃダメだと思う」
「オトコ系?」
「男はいいや。令で十分だ」
「マスコミ系?」
「新聞部がんばってるから」
「さわやかスポーツ系?」
「それも令でいいんじゃないの?」
ここまで出してもヒットしないとは……
予想外の難産ぶりに、私も徐々に熱くなってきた。
こうなったら、なんとしても正解を出したくなってきた。
「ツンデレ系?」
「わかりづらいと思うけど、さらっと祥子がそれ系だよ」
「オタク系?」
「んー……若干近い気がする」
「鬼畜系?」
「紅薔薇さまが微妙に片足突っ込んでる」
「方便系?」
「それは……地方の訛りとか、そういうの?」
「グルメ系?」
「グルメ? というか由乃ちゃん、ちょっと」
「スタンドアローン系?」
「いや、由乃ちゃん」
「私のゴーストが囁く系?」
「ちょっと待っ」
「私が死んでも代わりはいる系?」
「待っ」
「悪魔的グリモア系?」
「…」
「抜かせたお嬢が悪いのよ系?」
「待てーーーーーー!!!」
聖さまは叫んだ。それはもう力いっぱい叫んだ。
「私を置いて行かないでよ、由乃ちゃん!」
「……は、すみません、つい」
悲しげに訴えられてしまった。聖さまもこんな顔するんだな。
「だいたい『外見だ』って限定してるのに、まったく関係ないのばかり出してない?」
「丸坊主系?」
「……一回落ち着こう。なんだか私もよくわからなくなってきた」
お互いのためにも、そうした方がいいようだ。私もなんかエンジンが空回りしてる感じだ。
「外見って言いますけど、それは顔立ちのことですか? 髪型のことですか? 体格ですか?」
「うーん……一応は顔立ちになるのかな」
顔立ちか。
と、言われると。
「メイド系? フリルの付いたリボンとか」
「いいよね。心奪われるよね」
え、これで正解なの!?
「でもやっぱりメイドさんと言えばメイド服。着替えないといけないじゃない? そこまで手間は掛けられないよ」
それもそうか。うーん……
「ポニーテールとかツインテールとか、その辺ですか?」
「それもいい」
いいんだ?
「でも志摩子とか、由乃ちゃんくらい髪が長ければどうにでもできるじゃない」
個人的に好みだけど正解ではない、と。
うーん……聖さまの反応を見るかぎり、この辺で遠くはなさそうだけど……
「あ、声が可愛い系?」
「心揺れるものがあるけど、それは外見じゃない」
それもそうだ。
「双子系?」
「面白い。でも違う」
面白いのか……う、うーん……
「なんか本当に出ないんですけど……」
「由乃ちゃんは鋭いのに、どうして気づかないのかすごく不思議。そんなに特殊じゃないよ? どこのクラスにも一人くらい居そうなもんだけど」
不思議、と言われても。
「あ、不思議系?」
「不思議系は一歩間違うと電波系のおかしい人になるよ。というか、それも外見じゃないよね」
外見、外見、外見。
外見か……外見ねぇ……
「小学生くらいに見える幼子系?」
「……それはまずいよ、いくら私でも。絵的にさ」
「まずい」の意味がよくわからないけど。「絵的に」って言い方も疑問だけど。絵的にまずいことでもするつもりなのだろうか。
「じゃあ、もういい加減誰か来てもおかしくないし、ヒントを出そう」
あまりに答えが出ないせいで、聖さまは痺れを切らしたらしい。
「ヒントは、顔に掛けるもの」
顔に掛ける? あ、そうか!
「わかった! マスクだ!」
「違うっ!! ていうか今のはわかっててボケたよね!?」
「――それからすぐに蓉子さまがやってきて、『由乃ちゃんに変なことを吹き込むな』って聖さますごく怒られたわけだけど」
ふうん……
「結局、聖さまはなんて言いたかったんだろう?」
「「え?」」
私が言った途端、気づかないのか、という視線を集めてしまった。
「……瞳子ちゃん、今のところを逃しちゃダメでしょ」
「え!? あ、え? ……あっ!」
由乃さんが小声でツッコむと、瞳子はようやく気づいたらしく。
「――気づけよっ」
ピシリ
「…………」
裏手で瞳子にツッコまれたが、私はしくじった哀れな己の妹を見詰めるばかり。間が悪いよ、悪すぎるよ。もう遅いよ。
「祐巳さん、本当にわからないの?」
やっぱり一人黒のオセロになってしまった孤独の瞳子を置いて、志摩子さんは話を進めてしまった。
「いや、さすがにわかったよ」
ちゃんと瞳子にツッコませたかったから、期待通りボケたんだけれど……瞳子は本当に下手だなぁ。下手なばかりかタイミングまで取れないなんて致命的だ。
「メガネでしょ?」
言うと全員が肯定した。瞳子はヘコんでいた。
「そう。聖さまはメガネ分が足りないってことに気づいたわけよ」
メガネ分……なんか変な言い方。
でもメガネと言われると、思い出すのは聖さまとお名前の似た加東景さん。しばらく会っていないけれど元気だろうか。
「それで、それを知った由乃さまは?」
乃梨子ちゃんは、その後が気になるようだ。そうだよね、気になるよね。やったのかどうなのか。
「もちろんやったわよ」
やったのか! さすが由乃さん、病気の時でもやる時はやる!
「答えは態度で示そうと思ったの。その翌日の話よ――」
由乃さんはまた、遠い目で窓の外を見詰めた。
――聖さまが蓉子さまにしこたま怒られた日の、翌日。
家にあったメガネ(なぜかあった老眼鏡)を持参して、私はまたお茶の用意をしていた。
今日は委員会もないし、志摩子さんも早く来るだろう。
そして。
直感だけど、聖さまはきっと早く来るだろうと思っていた。
もちろん昨日蒔いた種がどうなっているかを確認するために。
ほどなく、軽快に階段を登る足音が近付いてきた。
「ごきげんよう、由乃ちゃん」
本当にごきげんな様子で、やはり聖さまは早く来た。
私はメガネを掛け、ゆっくりと振り返り――
「ごきげ」
「ダサッ! ダッサ! うわ、すごく似合わない! ダサッ!」
「――……これが私が語れる全てよ」
ふっと寂しげに笑い、由乃さんは話を締めた。
「私の名誉のために、これだけは言わせて。ダサイのは私じゃなくてメガネだった、と」
……そうだね。由乃さん、元素材は間違いなく可愛いから。メガネ(というか老眼鏡)がよっぽど時代遅れだったんだろう。
「フレームの幅1センチはあろうかというすごい黒縁メガネだったからね……ええ、私も現物を見てダサイと思ったわよ。冗談にもならないほどダサイと思ったわよ。掛けるのが躊躇われるくらいにね」
でも、まさか真正面から、しかも即座に「ダサイ」と言い切られようとは。聖さまを喜ばせようと思ってダサくても我慢して持参した、由乃さんの気持ちまで無視されようとは。
拗ねた由乃ちゃんは、この件をさりげなく令さま経由で蓉子さまに報告し、聖さまはまたこっぴどく叱られたんだそうだ。
それも「二度あることは三度ある」を阻止するほどの大目玉を食らったとか。しばらくメガネを見て怯えるくらいに。
「それ以来ね。聖さまが私にあまり構わなくなったのは。以前に逆戻りって感じ?」
きっと聖さまは、しばらく由乃さんを見るたびに「メガネ」と「蓉子さまの大目玉」を思い出したに違いない。
「もしかして、私が初めて薔薇の館に来た時、一緒にいた蔦子さんにも……?」
「祐巳さんは、自分のことと祥子さまのことで周りが見えてなかったかもしれないけど、聖さまは平気な顔して実は怯えていたわね。極力蔦子さんを視界に入れないようにして」
だから私に注目して百面相を見抜いた、と。
「でも」
乃梨子ちゃんが言った。
「言われてみると、確かにメガネ分が不足してますよね」
やっぱり変な言い方だ。メガネ分なんて。
「蔦子さんじゃダメなの?」
「この場にいないからダメなんじゃないの?」
そうか……私の周りでメガネの人って、かの写真部のエースくらいしかいないから、メガネ分が足りないのもしょうがないのかな。
「乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんのどっちか、メガネ掛けてる妹を探してみたら?」
由乃さんがどうでもよさそうに頬杖を突く、と。
「――他人任せかよ」
上手い具合にツッコミが入った。タイミングも申し分なし。
入れたのはもちろん――
「乃梨子ずるい! 瞳子も今入れようと思ったのに!」
「早い者勝ち。それが嫌ならせめて重ねなさいよ」
……瞳子は本当にツッコミが下手だなぁ……
話が一段落すると、志摩子さんは一つうなずいた。
「わかった気はするわね」
と、私と由乃さんに「そうよね?」と目で語りかけてくる。
「そうね。あの頃……『いばらの森』の頃は、まだ聖さまのメガネ傷が癒えてなかったんでしょ」
蓉子さまに「二度あることは三度ある」を阻止するほど叱られたわけだから、聖さまもかなりの痛手を負ったに違いない。でも「メガネ傷」って言い方も変だと思う。
「だから由乃さんにはちょっかいを出さなかったのか……なるほどね」
これでようやく、自分の中の違和感に結論が出た。
「蓉子さま、令ちゃん並に私のこと気遣ってくれてたから。そういう意味でもちょっかい出しづらかったんだと思うよ。たぶんずっと」
あ、それもあるのか。
「でもさ、でもさ」
急に由乃さんが、笑顔を浮かべてテーブルに身を乗り出す。
「私たちが三年生になってみると、なんとなく聖さまの主張ってわかる気がしない?」
う……実は、ちょっとだけわかる。由乃さんの言いたいこと。
「薔薇の館にもリリアンにも慣れて、最後の一年だものね……ええ、そうね。確かとは言いづらいけれど、なんとなくわかる気がするわ」
志摩子さんもなんとなくわかるようだ。
そう、慣れた分だけ余裕があるんだよね。三年生になってみると。
一年生の時は必死も必死で余裕なんてほとんどなかったけれど、変われば変わるものだ。
もっと楽しいこと、もっと面白いこと、そういう刺激を求めてしまう。
「祥子さまで遊んでた蓉子さまたちの気持ちって、こんな感じだったのかな?」
それを言うなら由乃さん。ご自分と江利子さまだって似たような感じだったんじゃないでしょうか。
「……もしや遠回しにメガネ掛けてみろ、って言ってます?」
乃梨子ちゃんがクールに確信に触れた。
対する由乃さんは、シニカルにニヤッと笑った。
「まあ強制はしないけど? でもメガネを掛けた乃梨子ちゃんなんて見たことないし、志摩子さんもちょっと楽しみにしてたりするんじゃない?」
乃梨子ちゃんを動かすなら志摩子さんを出すべし。1+1=2、ってくらい単純な方程式だ。
「……志摩子さん、見たい?」
探るように姉を見る乃梨子ちゃん。姉はふわりと微笑む。
「乃梨子に任せるわ。メガネなんてなくても乃梨子は乃梨子だもの。乃梨子が可愛い妹であることに違いはないわ」
素で言ってるんだからすごいよね。志摩子さんは妹殺しの方程式を自然と身に付けている。しかもあれ、妹以外でも応用が利くから厄介なんだよね。
「――お姉さまは見たいですか?」
「え?」
赤面していく乃梨子ちゃんを見ていると、瞳子が小声で聞いて来た。
「瞳子のメガネ姿、見たいんですか?」
見ると怒ったように眉を寄せ、口をつぐみ、なんか険しい目をしている。
「え、えっと……嫌なら、無理しなくていいよ?」
理由がさっぱりわからないものの明らかに怒っているので、私は当たり障りなく答えた。
「良いとか嫌じゃなくて、お姉さまが見たいのか見たくないのか、です」
「え、えーっと……それは、ちょっと見てみたい、です」
一瞬「見たくない」と言おうかと思ったけれど、残念ながら私は顔に出てしまうので、変に誤魔化すのはやめておいた。姉妹間で遠慮するのは、あまり良い結果にならないしね。
「……そうですか。わかりました」
そう言う瞳子の顔は、どんよりと曇っていた。明らかに気が進まないって感じだけれど……
こちらのひそひそ(というほど密かでもない)話に結論が出たところで、由乃さんがポンと手を打った。
「じゃあ、私も聖さまにダサイって言われたメガネ、また持ってくるよ」
由乃さんのあの笑顔。聖さまの時とは違い、今度は笑いを取りに行く気だな。
「うちにメガネなんてあったかしら?」
自然と、志摩子さんも「持ってこよう」という方向に考え出したようだ。
気持ちはわかる。私もちょっとメガネを探してみたくなったから。
「持って来られる人は明日持参ってことで」
そういう運びで、切りもいいので今日は解散ということになった。
そして翌日。
私たちはまた仕事もないのに薔薇の館に集い、各自持ち寄ったメガネ批評会を開催した。
「うわすごっ!」
「そ、それは、ちょっと……ふふふふふ……!」
「…………」
「……逆に希少価値が高いですわ」
私は驚き、志摩子さんは笑い出し。
乃梨子ちゃんは声もなく唖然とし、瞳子は違う方向に感心していた。
「どう? 本当にダサイでしょ?」
噂の「聖さまが開口一番ダサイと言ったメガネ」を得意げに押し上げて、由乃さんは首を傾げて笑った。
黒いフレームはごんぶとだわ、レンズの形は四角だわ、しかも無意味に大きくて厚みがすごくて由乃さんの目がぼんやりとしか見えないわ。
本当にすごいメガネだった。むしろダサイと一言で表現してしまうのが失礼なほどだ。
「ちょっと掛けてみる?」
私たちは笑いながら、由乃さんの持参したメガネを掛けて回してみた。誰が掛けてもダサかった。鏡で見て自分でも笑えるほど強烈だった。レンズ厚すぎてよく見えないけれど。
「一番の謎は、こんなメガネが存在することじゃなくて、なぜ私の家にあったのかってことよ」
確かにそれが一番の謎だった。
次に、乃梨子ちゃんが持ってきたメガネを掛けた。同居している保護者の叔母さんの老眼鏡だそうだ。
「あ、ちょっとオシャレ」
由乃さんが率直に言うと、私たちもうんうんとうなずいた。
乃梨子ちゃんが持ってきたメガネは、赤い細身のフレームのメガネ。老眼鏡と言われなければ気づかないほど度は低く、レンズも薄くて伊達メガネのようだ。大きさもちょうど……というよりちょっと小さいのかな? 眉毛まで届かないほどで、目の正面のみにある楕円形だ。
でも惜しむらくは、乃梨子ちゃんにはあまり似合わないものだという点。
「あ、志摩子さん似合う」
「由乃さんも似合うわ」
そう、この二人にはすごくよく似合っていた。
「志摩子さんは……あ、なかったの? じゃあ、祐巳さんは?」
「あー……うちにもなかったんだ。一応それっぽいのは持ってきたんだけど……」
と、私が鞄から出したのは。
「サングラス?」
「祐麒の部屋から持って来ちゃった」
掛けてみると、世界が薄い闇に覆われる。
「――うっわ中途半端!」
「…!」
乃梨子ちゃんのツッコミに、瞳子が厳しい表情で反応していた。
「似合わないね。全然似合わないわけじゃないけど、微妙に変」
「ええ、あまり似合ってないわ」
「笑えるほど似合わないってわけでもないですね」
「……微妙ですわ、お姉さま」
結果は「中途半端」という一言に集束されてしまった……
「さて、最後は瞳子ちゃんね」
明らかに顔色が悪いので自然と最後に回されていた瞳子に、とうとう指名が来てしまった。
この遊びにまったく乗り気じゃない。
それどころか、みんなが掛けて回すメガネも、掛けずにスルーしていた。
「まあ、なんとなくわかるんだけどね」
うん……私もここまで来て、なんで昨日瞳子が怒ってたのか、やっとわかったんだけれど。
「……い、いいですわ。掛けますわよ。掛ければいいんでしょう」
期待に満ちた視線を一人占めしていた瞳子は、ついに立ち上がった。
そして――
「ダサッ! やっぱ似合わなっ!」
由乃さんのように指差して笑うことはできないものの、私も「ダサイ」と思ってしまった。
髪型のせいか、瞳子にはメガネがすごく似合わなかったのだ。なんかバランスが悪すぎるというかなんというか。非常におかしなことになっている。
「だから嫌だったのに……!」
悔しそうに唇を噛む瞳子に、由乃さんが「まあ待ちなさいよ」と笑う。
「――あなたのメガネ、きっと見つかる」
「「なんかのCMかよ」」
私と乃梨子ちゃんが同時にツッコむと、瞳子はハッと顔を上げ……
「…………」
またまた逃した好機に、更に悔しそうに歯をギリギリと食いしばった。
瞳子のごきげんを取るために、今度の日曜日にメガネ探しに行くことになったのは、余談である。