視界を白く染める吹雪の中で、瞳子は驚愕とともに呻くようにその名を口にした。
「白薔薇さま」
ありえない。
起こした吹雪で、大量の火球群を一瞬でかき消す程の魔力とはどれ程のものか。
平然とそれをしてのけたうえで笑みすら浮かべて見せる白薔薇さまに、瞳子は心の底から恐怖した。
『真・マリア転生 リリアン黙示録』 【No:2385】から続きます。
「ごきげんよう。瞳子ちゃん」
いつもと変わらぬ穏やかな微笑みを浮かべたまま、志摩子は右手を前にかざす。
「そして、さようなら」
「!!!」
「ブフダイン」
とっさに、瞳子は後ろに跳ぼうとした。が、足が動かなかった。
展開される魔法障壁も体に纏った炎の魔力もあっさりと侵食、破壊する冷気が瞳子を直撃する。
キィィィン
澄んだ音を立てて、その場に氷の柱が出現した。
その中に瞳子を閉じ込めた氷の柱は、さながら御伽噺の1シーンのように非現実的で、そして奇妙なほどに美しかった。
「瞳子」
突然の展開に成り行きを見守ることしかできなかった乃梨子がようやく言葉を発した。
水晶に封印されたお姫様みたいで綺麗だよ。慰めにも何もなっていないことを心の中だけで語りかける。
動揺、もあった。その親友の姿に心中複雑なものもないではない。
「乃梨子?」
「あ、はい」
見透かされた。そう思って、乃梨子は思わず顔を伏せた。
「水をさしてしまったかしら」
「いえ、危ないところだったから、助かりました」
気がかりそうな表情の志摩子に、乃梨子は笑顔を浮かべて見せた。
「そう? ならよいのだけど」
「そいえば志摩子さん、どうしてここに?」
その言葉に、志摩子はかすかに苦笑した。
志摩子は祐巳のもとへ向かったはずだった。
「残念ながら……逃げられたわ」
「えっ?」
「詳しくは、あとで話すわ」
「はあ」
志摩子さん? まさか祐巳さまに逃げられた腹いせに瞳子を、とかじゃないよね?
そんな一抹の、そして些細な疑問と不安を感じつつ、乃梨子は会話を続けた。
「それで、むこうはメシア教の部隊が向かったんですよね」
むこう、と乃梨子が顔を向けた方向には、紅薔薇さまのもとに身を寄せようしようとしている人達がいるはずっだった。
「ええ、主に天使達だけれど」
天使達。比喩的な意味でなく、文字通りの天使という種族のことだ。
「いずれにせよ、すぐにケリがつくでしょうね」
志摩子はその方角に視線を向けてそう言った。
もちろん、ここからでは見えるわけはないのだけれど。
「一度、戻りましょう」
「はい」
最後に、乃梨子はもう一度瞳子に視線を向けた。
その姿は、やっぱり御伽噺のように幻想的で、美しかった。
「どうして!? どうしてよ!? 私達が何をしたっていうの!」
その少女の問いに、応える者はいなかった。
天使の軍勢はただひたすらに、その場に居た者を狩るだけだ。
天使の粛清。
異教徒、異端に対して問答無用で襲い掛かる天使達の容赦ない襲撃行為は、一般的にそう呼ばれていた。
天使の中では最下級の「エンジェル」でさえ、普通の人の手には余る存在なのだ。
「ありゃ、なんかもう始まってる?」
由乃がその場に到着した時、それは既に始まっていた。
「天使どもか。派手にやってるわね」
近づいて来た天使を一刀の下に叩き伏せると、由乃は無造作にその戦いの(というには一方的な蹂躙だったが)輪の中に入っていった。
ひょい、と現れたピクシーが由乃の肩にとまる。
「ヨシノ、どーするの?」
「とりあえず勧誘かな。この状況ならカオスになびく人もいるかもしれないでしょ」
そう応えると、由乃はまわりに向かって声を上げた。
「さーて、天使はぶち倒すわけだけれど、カオスに来る気があるならこちらに来なさい。そうでない者は、自力でなんとかするのね」
その言葉に、動揺と躊躇いが拡がっていく。
「制限時間は1分。その間、天使が待ってくれるとは限らないけどねー」
ピクシーがケタケタと笑いながら付け加えるのに苦笑して、由乃はあたりをを見回した。
「とは言うものの、めぼしいのはいないわね………って、田沼ちさとー!!! こんなとこでなにやってるのよ!」
「あっ」
露骨に、嫌な相手に見つかった。という顔をして、ちさとはぼそりと言った。
「いや、どっちにもかかわりたくないというか」
「バレンタインで人の後をつけ回して黄色のカードをGETした人が何を言ってるのよ」
「む、昔のことでしょ! まだ根に持ってたの」
「別に根に持ってないわよ。そんなあなたにはカオスこそがふさわしいって言ってるだけじゃない」
「だから昔の話でしょ。正直、こんな争い、どっちにもかかわりたくないんだってば」
「ふーん? ま、好きにすれば。逃げられると思うならね」
由乃はそう言うと、今度はピクシーに視線を向けた。
「ピクシー、時間は?」
「1分はとっくに過ぎたよ」
「それじゃそろそろ、片付けますか」
由乃は手にした木刀を高く掲げた。
轟音と、突然の落雷。
一見するとそう見えたそれは、見るものがみれば由乃が起こしたことだとわかっただろう。
発生した膨大な魔力。切先に集束していく雷。
「ちょ、やっぱり根に持ってるでしょー!!!」
「持ってないわよ? っていうか早く逃げた方がいいんじゃない?」
おぼえてろよーという声を聞きながら、由乃は掲げた木刀を、おもいきり振り下ろした。
「紫電一閃! ライトニングフォール!!」
広範囲に降り注ぐ雷があたりを薙ぎ払っていく。天使を。そして由乃のもとに来なかった人達を。
ロウの天使は敵だ。そしてカオスに来なかったニュートラルの人達は潜在的な第三勢力となる可能性だ。いや、紅薔薇さまのもとに身を寄せようとしていたのだから、既に潜在的ですらない。どうでもいいと言えばどうでもいい相手ではあったが、わざわざ攻撃を外してやる義理も必要も由乃は感じなかった。
「あっというまだったねぇ」
ピクシーが呆れ半分、感嘆半分といった調子で由乃に話しかけていた。
「で、ライトニングフォールってなに? あれマハジオダインだよね」
マハジオダイン。ジオ(電撃)系の集団攻撃用高位呪文である。
「違うわよ」
だが由乃はあっさりと否定した。
「あれは複数の敵を狙い撃つ攻撃魔法でしょ? これはいわゆる、範囲攻撃みたいなものだもの」
ちなみに、名前は由乃がその場のノリと気分で付けたというのはひみつである。
「それに、ベースにしたのはマハジオンガだしね」
「えっ、あれってマハジオンガなの?」
ピクシーは驚きの声を上げた。
マハジオンガ。ジオ(電撃)系の集団攻撃用中位呪文である。つまりマハジオダインよりランクが下の呪文になる。
この世界でよく使われる基本的な攻撃呪文にはアギ(火炎系)、ブフ(氷結系)、ジオ(電撃系)、ザン(衝撃系)(未出)といった系統がある。
これらは魔力にそれぞれの属性を付加させることで効果を発現させるものだ。その方が魔法を発現させやすいし、付加属性による追加効果、火炎系なら燃やす等、が期待できるからだ。実際には、これらの魔法は追加効果そのものがメインの効果となっているのだがそれは今はおいておく。
さて、これらの基本形の下に何かがつくと強化の意味になる。
ジオ(基本)→ジオンガ(中位)→ジオダイン(高位)
高位呪文は下にダインが付くことで統一されているが、中位呪文はきちんと体系化される前に派生したようで、変化の仕方がバラバラだ。
アギならアギラオ、ブフならブフーラ、ジオならジオンガ、ザンならザンマというぐあいだ。
また、それぞれの呪文の上にマハがつくと集団攻撃用の呪文になる。逆に言えばマハが付かなければ単体攻撃用ということだ。
ジオ(基本)→マハジオ→マハジオンガ→マハジオダイン
さらにアギ系は特殊変化を起こす。
アギ→マハラギ→マハラギオン→マハラギダイン
本来なら、基本形にマハが付くとマハアギとなるはずがマハラギになる。さらに中位呪文となるとマハラギラオではなくマハラギオンになる。
このあたりもきちんと体系化される前に派生した影響と思われる。何故こんな変化をさせたのかについては諸説あるが、おそらくは、語呂が悪いというか、言いにくかったものと思われる。冗談のようだがこれはこれで意味がある。
呪文というのは力ある言葉だ。古い呪文の多くが詩のような形態をとるのは、言葉を組み上げることによって意味を持たせ、力を発現させる為だ。韻を踏んだり、形を整えることで力の流れを滑らかにし、同じ意味を別の言い回しの言葉で繰り返すことによって意味を強化する。そういった、組み上げられた言葉にによって力を具現化させるという観点からすると、語呂が悪いというのはそれだけで呪文の弱体化を意味することにもなるのだ。
まあ、このあたりの呪文に対する知識というのはおそらくは由乃もピクシーもよく知らないことだろうし、特に覚えておく必要もないことだ。
これらをベースにアレンジして別の呪文になっているものについては、志摩子のようにベースにした呪文そのままとするか、由乃のようにノリで全く別の呪文にするかはそれぞれの趣味の問題となる。
「あの威力で……マハジオンガ」
まだ驚いている様子のピクシーは、自身がジオを使うのでこの系統は少し詳しい。ちなみに、ピクシーが発光していたら帯電している可能性があるので注意が必要だ。ということを由乃は身をもって体験していた。
「だから違うってば。私がアレンジしたオリジナル呪文……」
そう言いかけて、由乃はふと、立ち止まる。
「どしたの?」
「討ち漏らしがいたか」
「ええっ! ホントに?」
あの攻撃を免れた者がいる、というのが信じがたかったのか、ピクシーは驚いたように振り返った。が、実際には範囲攻撃といっても結構荒いものなので、由乃自身はそういうことがあっても驚きは無かった。
「戻る?」
「………いいわ。運か、実力かは知らないけど、天使の粛清と私の攻撃からまがりなりにも逃れたんだから。見逃す価値はあるということにしときましょう。これも何か意味のあることなのかもしれないし」
由乃の攻撃は『天使の粛清』と並び『黄薔薇殲滅戦』などと呼ばれたりするが、それは余談。
「戻るのも面倒だしね」
「そっちがホンネかー」
由乃の肩の上で器用に笑い転げるピクシー。
このピクシーはよく笑う。ピクシーという種族がそういうものなのか、このピクシーの個性なのか、由乃は知らないけれど。
「でもこういうときに生き残ったのが後になって力をつけて厄介な敵としてでてきたりするんだよね」
「それはそれで面白いじゃない。今は問題外だけど、そうなったら喜んで相手をしてあげるわ」
楽しそうにそう言って、由乃は再び視線を前に向けた。
「さて、菜々の方はどうなってるかな」
「できればつぼみと手合わせしたかったのですが」
面白くもなさそうな表情でそう言って、菜々は目の前の人物に視線を向けた。その視線の先に立っていたのは、満身創痍の可南子だった。