『真・マリア転生 リリアン黙示録』 【No:2418】から続きます。
乃梨子を瞳子に任せて先行していた可南子は、その先で更なる妨害にあっていた。
待ち構えていたのは黄薔薇のつぼみこと有馬菜々。待ち構えていたといっても傍らのベンチに腰掛けてくつろいでいたらしく、お茶を飲んでいたあとが窺えるのはご愛嬌だろう。
「ごきげんよう。可南子さま」
「……ごきげんよう」
次から次へと。と、呆れる思いの可南子。
白薔薇と黄薔薇の、というよりメシア教とガイア教の勢力範囲の隙間を縫うように進んでいた可南子だが、言い換えればそれは両者の勢力範囲の境目あたりということでもある。どちらが出て来ても不思議は無い。ともいえた。
「一応言っておきますと、ここで引き返せば見逃してさしあげますよ」
菜々の言葉に無言で構えを取る可南子。
「ですよね」
それを見た菜々は心の中で微かに笑う。
わかりやすくていいですね。そういうのは嫌いじゃないです。
応じるように菜々も構えを取った。
菜々は正眼。剣道でいうところの中段で、オーソドックスな型だ。それは真っ直ぐで綺麗な、教科書通りの構えだった。
対して可南子は、同じ中段でも刀身を真っ直ぐ縦にはせずに、少し傾けてねかせた構えで、その状態からさらにやや右前のめり気味の姿勢をとっていた。
剣道を習っていた菜々と違い、可南子に武道の経験は無い。もちろん、個人的に勉強はしたものの、言ってしまえば我流である。あとは実戦での叩き上げだ。その実戦経験だけは異常なほどに豊富だったけれども。
「はっ!」
鋭い呼気を発しながら可南子は躊躇無く踏み込んだ。
菜々の予想を上回る、鋭い打ち込みだった。
タンッと体を開くようにしながら菜々は横に回避、可南子の攻撃をかいくぐるようにして懐に入り、胴に一撃入れてそのまま離脱を図る。
とっさに身を翻したが可南子だったが避けきれるものではなく、振り向いた時には、菜々は既に大きく距離をとっていた。
速い! っていうか剣道の動きじゃない。
可南子は菜々の動きに驚嘆する。
好きに動かれては厄介だ。即座に追撃に移ろうとした可南子だが、それを待たずに今度は菜々から仕掛けてきた。
正面から左に抜けるような進路をとろうとする菜々にあわせて可南子も前に出る。捉えたと思った攻撃が空を切る。
直前に逆に跳んだ菜々のすれ違いざまの一撃が、なんとかそれを避けようとした可南子を的確に捉えていく。
「くっ」
可南子は姿勢を崩しながらも、打ち込みと逆方向に剣を返して菜々の動きに合わせるように右手一本で長剣を横薙ぎに振り回す。
だがそれすらも、打ち込み直後に大きく距離をとる菜々を捉えることはできなかった。
フットワークを活かしたヒットアンドアウェイ。
それが菜々の基本戦術だ。高速機動戦こそ菜々の得意とするところだった。
攻撃を受けながらも菜々を追いかけるように繰り出される反撃自体も意外だったが、それ以上に、体格差ゆえか、予想外の距離まで攻撃、反撃が届くのがやっかいだった。それでも今のところは菜々を捉えるまでには至っていない。
先程から同じことの繰り返しだった。
可南子の攻撃は一度たりとも菜々を捉えることはできず、菜々の攻撃はその都度可南子を刻んでいく。
そういえばバスケ部エースだったか。スピード、フットワークには自信があったのだろう。
けれど、相手が悪かったですね。
バスケ部エースで紅薔薇さまの友人でもある可南子はそれなりに有名人ではあったが、それらはいずれも称号のようなもので正式な肩書ではない。
菜々から見れば、可南子はあくまで一般生徒でしかなかった。
おしいな、と思う。
もともと身体能力は高いのだろう。なにせバスケ部エースだ。そして戦闘を重ねることで経験値を上げ、最早一般人のレベルを、次元をといってもいいが、はるかに超える領域に達している。
結果から見えるほどに一方的な差があるというわけではないが、それでも、まだ菜々と互角に戦える程ではない。
既に満身創痍の様相を呈してきた可南子に、菜々は油断無く視線を向ける。
「できればつぼみと手合わせしたかったのですが」
あいかわらず、いろいろと内面で思っていることがあまり表に出ない菜々は、乏しい表情のままそう言った。
もう少しまともな勝負になると思っていたが、つぼみの戦闘力は予想以上に高かった。祐巳のことを心配性だと思っていたが、どうやら可南子の考えの方が甘かったようだ。
「やはり、祐巳さまのおっしゃるとおり」
それでも、可南子に諦めるつもりは毛頭無かった。
「スピードも技のキレも大したものだわ。確かに剣道でなら強いのでしょうね」
そう言って、可南子は笑った。
菜々は無表情。
「でも、あなたの一撃は軽い。だからこれだけ打ち込んでも私の戦闘力を奪うまでにいたらない。全ての攻撃が必殺級と言われる由乃さまとは大違い」
可南子は嗤った。
「それでは私は倒せない」
菜々の目がかすかに細められた。
「薔薇ファミリーの一員たるものが、相手を仕留める為の大技の一つも無いとでも思いますか?」
「さあ」
「一般人に本気を出すのも大人気ないと思ったのですが」
そう言って菜々はダンッと地を蹴った。
左右にジグザグにステップを踏みながら加速していくその様は、地を這う稲妻のようにも見えた。
正面に菜々の姿を捉える位置に向かって踏み出す可南子。振り抜いた剣が菜々を捉えた。
そう思った瞬間、菜々の姿がぶれた。
いや、左右にわかれた。
「え?」
ほぼ同時に、右に、左に、そして後方に。可南子の目には、菜々の姿が分裂して見えた。
3、いや、4人?
頭が理解するより早く、可南子は反応する。一瞬でも動きを止めればいい的だと体の方が理解しているように。
振り抜いた勢いそのままに右前方の菜々の姿に攻撃を繋げる。空振り。かまわず体当たりをかけるような勢いで突っ込みながら、可南子は咄嗟に守りを固める。
ほとんど同時といっていいタイミングで、四方からの斬撃が可南子を襲った。
「がっ!」
漏れそうになる悲鳴を、可南子はかろうじて飲み込んだ。
ガクンと膝が落ちかけるのを、無理矢理こらえる。
可南子が言うほどに、菜々の攻撃が軽い、というわけではない。さらに、菜々は的確に急所を狙うだけの技量を持ち合わせている。
それでも可南子が堪えていられるのは、その器の大きさに見合った耐久力の高さと打たれ強さ、というだけではない。
一つにはリーチの差。
それは間合いの差になってあらわれる。
可南子の攻撃を掻い潜りざまに繰り出される菜々の攻撃は、小柄さゆえにわずかに踏み込みが浅くなっていた。離れ際に繰り出される可南子からの反撃も予想外に遠くまでくる為、早めの離脱を余儀なくされていたせいもある。
攻撃を受けながら平然と反撃してくる可南子のタフさは、菜々にとっては確かに脅威ではあったのだ。
もう一つは、可南子の反応の良さ。
攻撃を躱そうとする動きは、避けきることはできなくても、打ち込まれるポイントをずらすことにより結果的に致命の一撃を避けることになっていた。
菜々の攻撃自体は的確なものだったが、それをことごとくぎりぎりでポイントを外すのは可南子のバスケットマンとしてのフットワークの良さ故だろう。わずかに踏み込みが浅いこともそれを助けていたかもしれない。
むろん、かろうじて致命傷を避けているというだけでダメージは蓄積されていく。
最早、立っているのもやっとの状態だった。
それでも、可南子は笑みを浮かべる。
「ふふ、わざわざ軽い一撃を分散させるなど愚の骨頂」
それを、どうとったのか。菜々は冷めた目をして武器を左手に持ち替えた。
「いいでしょう。そこまで言うなら一撃でケリをつけてあげますよ」
そう言って、菜々は体を沈めると右手を前に突き出すと同時に左手を大きく後ろに引いた。
それは由乃直伝の技。菜々が今放てる技の中ではおそらく最大の破壊力を持つ技だ。
次の瞬間、ドンッと蹴り出した足元がはじける。
体全体で溜めを作り、反動をつけ、全力で突っ込んで体ごと刺突をかます。
全ての力を切っ先に集約して放つ刺突。
ある意味単純だが、それ故に破壊力もあり、対抗策も講じにくい。
それはそういう技だった。
その瞬間。
可南子は動いた。動かない体を動かした。必要最小限の動きで。それはすなわち最短で最速の動きだ。
全力で突っ込んでくる菜々に対し、最もモーションの小さい攻撃、即ち刺突を返す。その長いリーチをいかして。
その瞬間。
菜々は気付いて咄嗟の回避運動に入る。それは条件反射に近かった。勢いをそのままに、流れをわずかにずらす。できることはせいぜいそれくらいだ。全力で突進中の回避など、どだい無理な話だった。
即座に、菜々は意識を防御に切り替える。
耳障りな音を立てて二人の武器がこすれあい、そして二人の体が交錯する。
次の瞬間、逆方向に二人の体が吹きとばされた。
体が叩きつけられた衝撃で、可南子は一瞬息が止まった。
意識があるのが不思議なくらいだった。
視界の端に、可南子と同じように倒れている菜々の姿を捉える。
手応えはあった。まともにくらいもしたけれども。
可南子の両手での刺突に対し、菜々は半身での左片手一本刺突。その違いが、リーチの差をほとんど埋めてしまっていたけれども、それでも可南子の攻撃の方がわずかに先に当たったはずだ。
体はまるで動かない。
だが、つぼみと相打ちならば悪くはないだろう。
「があああああああっ!」
菜々は獣のような叫びを上げる。
嵌められた。
あえて真っ向勝負をさせ、真正面からの突撃をさせることでフットワークを封じ、動きを限定させ、リーチの差を利用して全力全速での突進のカウンターを狙われた。
咄嗟に回避行動をとっていなかったらあっさり意識を手放していたかもしれない。
元々小柄な菜々はつぼみとしてはやや耐久力に劣る。そのぶん攻撃に、特に機動力に特化しているとはいえ、それを逆手に取られた形となった。
事実、体が動かない。だから唯一自由になる声をまず上げたのだ。
負けるわけにはいかない。
薔薇ファミリーの名を冠する者がノーマル(一般人)負けることなど、あってはならない。
ましてやこの有馬菜々が、武闘派黄薔薇ファミリーが、由乃さまの妹たる者が、負けることなど許されるはずがない。
ダンッと竹刀を地面に突き立てる。
それにすがるようにして無理矢理体を引き摺り起こす。
「っ!」
体中が軋んでいるようだった。
が、敢えて全てを無視して、菜々はなんとか立ち上がる。
無様、だ。だが、負けるよりはいい。
「意外とてこずってるみたいね」
「! 由乃さま」
びくりと、菜々の体が震えた。
「いえ、もう終わりです」
「ふうん?」
事実、可南子の方はまだ動けない。菜々が立ち上がれた時点で勝負は決まりだ。
近づいて来る由乃と菜々の二人の姿が視界に入ってはいたが、可南子の体は未だに全く動いてくれそうになかった。蓄積されたダメージ量が多すぎるのだろう。
傍らに立った由乃が可南子を見下ろして言った。
「何か言っておきたいことがあれば聞くよ?」
祐巳さまに、と言いかけて、可南子は思い直した。それをこの人達に頼むは違うだろう。というより滑稽だ。
「……せめてつぼみくらいはと思ったのですが、残念です」
由乃の顔に獰猛そうな笑みが浮かぶ。
「それは菜々を見くびりすぎ。黄薔薇のつぼみよ?」
後ろで菜々がピクリとする。あわやその信頼を裏切りかけたのだ。
「まあ、祐巳さんの片腕だけのことはあるか。他には?」
「ありません」
由乃の顔に、かすかに意外そうな表情が浮かぶ。が、それは一瞬だった。
「そう。潔いわね。嫌いじゃないわ、そういうの」
そう言って微笑むと、由乃は木刀を掲げた。
まあ、できるだけのことはした。結果は伴わなかったけれど、それは力が及ばなかったのだから仕方がない。もうちょっとやりようはあったかもしれないけれど、自分にはこういうやり方しかできなかった。
祐巳さま。申し訳ありません。どうやらここでリタイアということになりそうです。
可南子は静かに目を閉じた。