「志摩子さん、これヤバくない?」
「ええ、そろそろ修理が必要ね」
老朽化した薔薇の館の階段は、ついに乙女の体重を支えきれなくなった。
端的に言えば板が腐ってきて、私と志摩子さんが階段を上っただけでギシギシどころかミシミシ音が鳴るようになってしまったのだ。確実に危ない。もうそろそろ、板が割れて誰かが足を踏み外すんじゃないだろうか。
「そうえば由乃さん、祐巳さんはどうしたの?」
「ああ、祐巳さんは何か職員室にプリント出してから来るって」
「そう」
「あ、ほら来た」
ミシミシと盛大にして不穏な音。もはや階段式セキュリティと化した薔薇の館。トントンと小気味良い足音とともに、誰かが上ってくる。長いこと一緒に学校生活をすごしていると、足音だけで大体誰か分かるものなのだ。
トン、トン、トン、ドガシャァ!!ゴロゴロゴロ!!ドンッ!!
「な、何!?」
「もしかして階段が崩れたんじゃ…!?」
「と、兎に角行ってみましょ!」
注いだ紅茶をテーブルに置き、急いでビスケット扉を開けた。志摩子さんの予想通り、階段中ほどの板が真ん中から割れていて、階段の足元に祐巳さんが倒れていた。私たちは可能な限り注意して階段の端から降りて、祐巳さんのもとに駆け寄った。
――――――――
「祐巳さん、大丈夫!?」
「――…ん、っいたたたた」
「ああ良かった、無事みたいね。とりあえず保健室に…」
祐巳さんの意識はあるようだ。顔を強く打ったのだろうか、おでこを抑えている。志摩子さんが安否を気遣って祐巳さんの顔を覗き込み、そして…なぜか固まった。
「ん、どしたの志摩子さん」
私は呆然と凍り付いている志摩子さんを不思議に思って、まだ体を半ば寝かせている祐巳の顔を同じように覗き見た。
「ゆ、祐巳さん、その顔!?」
「うん、顔から落ちちゃって、え、血が出てる?」
「そ、そうじゃなくて何か骨格が…? え、何これ、すごい綺麗よ!」
志摩子さんは呆然としていたんじゃない、見蕩れていたのだ。私だって、気を抜けば魂からもっていかれそうになる。美しい。美しいという以外、形容する言葉が見つからないほどに、祐巳さんの顔に変化が訪れていた。
基本は変わっていない。けど何かが違う。骨格がずれたのか。それとも顔を打ち付けたおかげで全体のバランスがちょうど黄金比になったのか。それは分からないけれど。
「ああ、なんだか頭がぼーっとする…由乃さん、ちょっと肩貸して?」
「あ、ええ勿論」
祐巳さんを起こすために、私は祐巳さんの背中から手をかけた。そのまま両脇を持ち上げるようにして祐巳さんを立ち上がらせる。まだダメージが残っているのか、ふらふらと危なっかしかった。そしてそれ加えて、私は異様な心拍数を意識せざるをえなかった。
ドキドキする…いつもの祐巳さんのはずなのに…
「本当に大丈夫、祐巳さん?」
志摩子さんも肩貸して、祐巳さんを両方から支える格好になる。志摩子さん、顔が赤い。やっぱり同じか。普段の祐巳さんと圧倒的に違う魅力が、今の祐巳さんにはあった。
むにゅ。
「ちょ、ちょっと祐巳さん何するのよ!?」
「え、…あぁ、いやちょっと頭が痛くて…」
「それと私たちの胸をさわ」
むにゅ。
「ひゃっ!?」
「ちょ、祐巳さ…あぁっ!」
志摩子さんが色っぽい声を出す。なんか祐巳さんの目が危ない。いつものキャラじゃない気がするし…まるで先代白薔薇が乗り移ったかのような…
「直伝だからねー」
「なっ、私の心を!?」
「いいじゃない、そんなこと気にしなくても…ウフフフフ」
「だ、だめっ!あぁっ!でも美しい!」
「私の魅力に、溺れなさい由乃さん…」
私の体から力が抜けていく。篭絡されるとは、まさにこのこと。身も心も、祐巳さんにささげたくなってしまう。志摩子さんはすでにぐったりとして、祐巳さんにすがり付いていた。
「聖さま直伝、私の美技に酔うのよ…」
しなやかな指が、曲線的な五線譜を描き、繰り返される指の動きが、数々の音符を生み出して、私のあえぐ声が音楽となって響き渡る。もう駄目…祐巳さんに…、すべて…
美しい…
祐巳さん…
〜〜〜〜〜〜〜〜
「私は超絶美形ロサ・キネンシス、福沢祐巳よぅ〜…ウフフフフ……」
祐巳さんの傍に駆け寄ったとき、祐巳さんはわけの分からないうわ言を繰り返していた。美技がどうとか、骨格がどうとか。
「どうする志摩子さん、何か幸せそうに笑ってるけど」
「階段から落ちたときに、強く頭を打ったのかしら?」
「おーい!祐巳さん!祐巳スケ!起きなさい!」
「由乃さん、駄目よ。階段から落ちているんだから安静にさせないと」
「あーそっか、でも何か起こさないといけない気がするのよね」
その日、保健室から先生を呼びに行くついでに、私は職員室へ薔薇の館の修築依頼をしにいった。