【2555】 凄いいけない方向にいざ出陣!  (海風 2008-03-05 01:39:26)





「祐巳さん、ついに来たわね」
「え?」

 朝の挨拶「ごきげんよう」を飛ばして、由乃さんは私の目の前に仁王立ち。闘志みなぎるその姿勢、その目、その表情に、言い知れない不安が込み上げてくる。
 また何か燃えているらしい……そして私をごく自然な流れで巻き込む気らしい……
 こっそりと溜息を吐き、とりあえずドアの前に立つ由乃さんをどうにかしないと教室に入れないので、話を聞いてみることにした。
 ……本当はあまり気が進まないけれど。でも、暴走する由乃さんを止めるのは、恐らくこのクラスでは私の役目だろうから。放っておけない気持ちもなくはないし。

「どうかしたの?」
「『どうかしたの』じゃないでしょ!? ついに選挙よ、選挙! 立候補の届けも出して、本格的に動くべき時が来たのよ!」

 選挙? ああ、生徒会役員選挙か……そうそう、瞳子ちゃんが立候補したり、今年も波乱の予感がなくもないんだよね。
 瞳子ちゃんに関しては思うこともあるけれど、私もやるべきことはやっておかなければならない。瞳子ちゃんのことでモヤモヤしてはいるが、お姉さまや蓉子さまの後を継ぎたいって気持ちは確かにあるのだから。
 由乃さんは……色々焦っているのが丸わかりで少し落ち着いてもらいたいが、これに限りは、やる気があるのは大変結構なんじゃないかと思う。
 人間、何事も最後はやる気だからね。

「祐巳さん」

 がしっと両肩を掴まれ、真正面から視線をぶつけてくる由乃さん。さすがに見慣れたけれど、近くで見るとやっぱり由乃さんは小さくて可愛い。

「確かに私たちには『つぼみ』という称号、掴みがあるわ」 

 つかみ?

「だがしかし! それだけで勝ち抜けるほど選挙は甘くないわ! 絶対に瞳子ちゃんごとき祐巳さんをフるような身の程知らずには負けられない!」
「あ……うん。でもあの、フるとかフラれるとか、そういうことは大声で言って欲しくないんだけど……」

 何事かと私たちを見守るクラスメイトがいて、私の後ろにも教室に入りたいけれど由乃さんが通せんぼしてるから、行くも引くもできない人たちもいるんだし……
 これじゃ恥さらしでしかないわけだし。

「祐巳さん!」
「は、はい」
「やはりキャッチフレーズよ! ポスターに描く魂の一言! 小生意気にも敵の知名度も相当なものだし、ここは誰も聞いたことがないようなドギモを抜くすっっっっっごいキャッチフレーズで差を付けるのよ!!!」

 「出会い頭のインパクトで全てが決する!!」と、由乃さんはぎゅうぎゅう私の肩に指を食い込ませて、熱い主張を唱える。

「そういう意味では、敵のドリルヘアーはまさに凶器。一目見れば忘れられない猟奇的インパクトの塊よ。ええ、もう、校外の近隣住人には『ドリルの子』で瞳子ちゃんだって通じるほど」

 ……微妙に失礼な。あれでも私が妹にしたい一年生なんですけれど。

「対して私たちは? 美貌では祥子さまや志摩子さんに及ばず、かつての白薔薇さまである聖さまのように外国人っぽくもなく、おでこも出てないし、蓉子さま並の凛々しさなんてないし。むしろ乃梨子ちゃんの方が日本人としての印象は深い」

 ……もう少し演説が続きそうだなぁ……

「祐巳さんはいいわよ。新境地でダントツだもの。比類なき小動物顔だもの」

 おい。

「でも私は、弱々しくて病弱で妹にしたい美少女ってだけじゃない?」
「由乃さんどいて。邪魔だから」
「ごめん。今のは私が悪かった。自分でも調子に乗った令ちゃんくらいイヤな存在だったと思う」

 自覚あるのか。
 でも冷静に考えると、自己評価発言を撤回しただけで、私の「小動物顔」は撤回してないね。
 気温に併せてどんどん心も冷たくなっていく最中、横手から威勢の良い声が掛かった。

「『リリアン暴走トラック』、写真を一枚いいですか!?」
「誰がリリアンのデコトラ大暴走よ!?」

 牙を剥いて振り返る由乃さんに、パシャリ。
 いつの間にか、そこにはカメラを構える蔦子さんの姿があった。

「いいわね、その凶暴な顔。人間の生まれ持った暴力性と闘争本能がよく現れているわ」

 騒ぎのあるところ写真部のエースあり。同じクラスでもあるから、やはり寄ってきた蔦子さんは満足げだ。真美さんはまだ来てないのかな?
 ……しかし、どうしよう。更に話がややこしく……背中に「早く退け」というクラスメイトの視線が集まってて居たたまれないよ……

「あのさ」

 とりあえず教室に入ろうよ、と続けたいところだが、二人は聞いていなかった。まさに「由乃さんの耳に令さまの懇願」という感じで。

「蔦子さん、急に現れてなんなのよ」
「え? よくない? 『リリアンの三つ編みクレイジータクシー』って。ポスターに描くキャッチフレーズ考えようって話なんでしょ?」
「さっき言ったのと違うでしょ! この『リリアンの盗撮魔』!」
「うふふ。そんなに褒めても何も出ないわよ?」

 ああ……蔦子さん、ついに盗撮魔呼ばわりされても照れちゃうように……
 やはり一年も二年もあんなことをしていれば、自意識もどんどん変わっていってしまうものなのだろう。
 私だって、一年生の時は考えもしなかった「薔薇さまになろう」ってところにいるわけだからね。今。人は変わるものだ。
 妙に納得していると、蔦子さんのメガネとカメラの三つのレンズが私に向いた。

「由乃さんは大味ながら方向性が見えてるけど、祐巳さんはどう?」
「ちょっと!」

 大味ながら方向性が見えている由乃さんが文句らしきことを口走っているが、私達は「由乃さんの耳に令さまの懇願」を執行することで耳に蓋をした。

「どう、って言われても」

 今朝、ついさっき言われたことなのに、そんなの考えている時間はなかった。
 キャッチフレーズ。
 確かにポスターは描かなくちゃいけないし、それに載せる言葉も必要だし、由乃さんが言う「掴み」も話としてはわかる。
 恐らく、何も言われなくてもそれは考えたはずだ。
 ただ。

「そういうの、意気込みとかインパクトじゃなくて、こういう方向で薔薇さまを務めます、という言葉の方が相応しいんじゃない?」

 ようやく自分の意見が言えたところで、由乃さんが横から口を出した。

「『今日のメガネは伊達メガネ』とか?」
「……いや、全然違うと思う」

 由乃さんはキャッチフレーズという言葉に囚われすぎて、本来の目的を見失っている気がする。そりゃ確かにインパクトはあるだろうさ。でも伊達メガネってことがわかっても、どんなリリアンを実現したいのかわからないよ。

「じゃあ、瞳子ちゃんで言うなら、『ドリルのような明日を』とか?」
「方向性は合ってるけれど、それも違う。ドリルのような明日ってどんな明日なの?」

 どう考えたって恐ろしげな明日しか見えないんですが。
 ここのところの寒さで頭がやられたんじゃないかと心配げに由乃さんを見ていると、蔦子さんはクイッとメガネを押し上げた。

「祐巳さんの意に添うなら、『ゆるいリリアン』とかね?」
「蔦子さん、それも方向性は合ってるけれど、それ私をバカにしてるよね? 正面から私がゆるいって意味で言ってるよね?」

 蔦子さんもやられているようだ。
 なんだろう。
 風邪か?
 今年の風邪かなんかは、まず頭に来ちゃう初期症状でもあるのだろうか。

「聞こえは悪いかも知れないけど、そこが祐巳さんの良いところよ」

 ……ショックだ。言い切るなんて。
 「ゆるい」と言われて思い出すのは、かの修学旅行で見かけたダルメシアン。思い出したくもないゆるい落とし物まで頭に浮かんでしまった。
 いささか傷ついて閉口していると、私の背後で足止めされて根気強く待っているクラスメイトたちのひそひそ話が聞こえた。

「――ごきげんよう。こんなところに集まってどうしたの?」
「――ごきげんよう。祐巳さんと由乃さんが、ポスターに描くキャッチフレーズを考えているんですって」

 いつの時代も、いつの代も、概ね立候補者のクラスメイトは選挙に協力的だ。強いて私達をどかそうとしないのも、協力したいという気持ちの表れだろう。ありがたいことだ。気持ちだけは。

「――あ、選挙の? 今年も去年の静さまみたいに、山百合会とは別枠で立候補が上がったものね」
「――由乃さんはだいたいの方向が見えているけれど、祐巳さんはどうにもピンと来ないわ」
「――希に見るタヌキ顔?」
「――それ、由乃さんと同レベル」
「――じゃあ、リリアン一の没個性?」
「――それ、キャッチフレーズとしてマイナスじゃない」

 「あらそう?」「しっかりしてよ」「ごめんなさい。うふふふ」……なんてお上品に笑っているけれど、……けれど……!
 協力したい彼女たちの気持ちがわかる分だけ、文句が言いづらいのも確かだ。彼女たちが私たちに退くよう言わないのと同じで。
 でも、気持ちは嬉しいが、やっていることは私をネタに笑い話をしているだけだもの。
 お願いだから、考えるなら真面目に考えて欲しい。
 あと由乃さんはどいてほしい。ちょっと脇に寄るだけでいいから。

「『今年で十八才、ツインテールです』でいいんじゃない?」
「なんだかいかがわしいビデオのタイトルみたい」
「まあ蔦子さん、見たことあるの?」
「失礼な。ありません」

 前では、由乃さんと蔦子さんが勝手なことを言って盛り上がっている。

「――やっぱり祐巳さんと言えば顔じゃない? 顔を押すべきよ」
「――そう? 顔プッシュ派は何人くらいいる?」
「――顔も魅力的だけれど、性格も捨てがたくない? ほら、雰囲気とか」
「――ああ、驚くほど普通っていうのも、ある意味売りよね」
「――でしょ? あの個性的な山百合会の中にいるなら、むしろ普通が目立つんじゃないかしら」

 後ろでも、クラスメイトたちが勝手なことを言って盛り上がっている。
 前方の通行止め、後方の後押し。
 なんだか、渋滞に巻き込まれて身動きが取れない世のお父さん方の気持ちがわかるような気がする。
 どちらも親切が先に立っているだけに、もうなんとも……もっとも性質が悪い形の親切だと、心の底から思った。




「――……っていうことがあってね」

 昼休み、薔薇の館には私と志摩子さんと乃梨子ちゃんがいた。
 由乃さんは、私のキャッチフレーズを考えるべくクラスメイトたちと相談中で、今日は来ないと言っていた。
 朝から昼休みまで、教室の話題は私のキャッチフレーズのことばかりで、ずっと落ち着かなかった。
 そして、ようやく落ち着いて話ができ、落ち着いて話せる相手がいる場に来ることができた。
 白薔薇姉妹は性格的にも静かなので、今はそれがとても癒される。
 お弁当を広げて今朝の騒動を包み隠さず伝えると、乃梨子ちゃんが真っ先に同情してくれた。

「災難でしたね」
「うん……」

 乃梨子ちゃんはいいなぁ。「純和風」とか「市松人形」とか「仏像が好きですが、何か?」とか、キャッチフレーズに困らなくて。
 ……あ、ダメ、私もちょっと由乃さんたちに感化されてる。正常に戻らねば。

「でも、ポスターに入れるキャッチフレーズは必要かも知れないわね」

 おかずのゴーヤチャンプルをつつきながら、志摩子さんは思案げに視線を漂わせる。

「志摩子さんは環境整備委員だから、『美しいリリアンを』とかいいと思うよ」

 私が溜息混じりに言えば、乃梨子ちゃんが「あ、それいいですね」とすんなり賛同する。
 綺麗、白、清楚、美しい。
 志摩子さんには、こういう単語がよく似合う。すっと自然に出てくるだけに、イメージはみんなそういう感じだろうと思う。
 ゴーヤを思いっきりしつこく咀嚼しているその味覚、その嗜好を差し引いても。
 見ているだけで苦味が口に広がるような気がして、私は甘い卵焼きに箸を伸ばした。

「そう? なら、私はそれにするわ」

 親友はたった1分で決定してしまった。
 対する私は、自分でもよくわからなくなっている。
 没個性だのタヌキだのツインテールだのゆるいだの、朝のインパクトあるフレーズが、洗っても落ちない頑固な油汚れのように、頭の中から離れてくれない。
 そういう意味では、彼女たちのキャッチフレーズは、ちゃんと有効である証明なんだろう。
 ……ありがたくないけれど。方向も間違っているけれど。

「問題は祐巳さまですよね」

 どうやら乃梨子ちゃんも、私のキャッチフレーズを考えてくれるようだ。乃梨子ちゃんが考えるならとても安心だ。

「祐巳さまも仰った通り、由乃さまは大まかな方向性は見えてますから。でも祐巳さまのキャッチフレーズとなると……」

 続く言葉はなかった。乃梨子ちゃんは「うーん」と首を傾げるばかりだ。

「『親しみやすい山百合会』なんて、どうかしら?」

 うん……志摩子さんのその意見が、一番私に相応しいと思う。乃梨子ちゃんも頷いてるしね。私を見て自然と出てくる言葉なんだろう。
 でも、だ。

「由乃さんが、ダメだって」

 朝からの非公式クラス会議で、当然のようにそのフレーズは出た。

「ダメ? どうして?」
「インパクトが弱いから……って言ってた」

 由乃さんが。

「もし瞳子ちゃんがそれを上回るフレーズを掲げたら負けるかも知れない、って言ってた」

 由乃さんが。

「ただでさえ見た目の印象で向こうが強すぎるから、せめてポスターを見た人の心に確実に残るフレーズにした方がいい、って言ってた」

 由乃さん……と、由乃さんの弁に説得されたクラスメイトが。

「言いづらいんですけど」

 乃梨子ちゃんは大して言いづらそうには見えない顔で、

「選挙って、遊びじゃないんですよ? インパクトを狙ってどうするんですか。掴むのは受けじゃなくて人心でしょう」

 もうこれ以上ないほど、的確なことを言ってくれた。拍手したいほどだ。
 私は「そうだよねそうだよね」と強く同意した――かったが、その前に志摩子さんが、初めて見せるような厳しい顔で妹を見る。
 思わず、出かかっていた口の中の「そ」を、飲み込まざるを得ないほどに。

「遊びじゃないから悩むのよ。負けないために努力する由乃さんを否定するのはやめなさい」

 え……えぇぇぇ……

「……すみませんでした」

 乃梨子ちゃんは叱られた子犬のように沈み込んだ。

「あ、あのね、志摩子さん……」

 乃梨子ちゃんだけ叱られるのは間違っていると思い、私も乃梨子ちゃんと同じ意見だ、と言おうとした。
 だけれど、志摩子さんが厳しい顔のままこちらを向いたので、迫力に負けて押し黙ってしまった。ああ、やはり美人は怒っても美人だなぁ……いやお姉さまでよくわかってるけれど。

「私、祐巳さんと由乃さんがいないと、嫌だわ」
「あ……うん、気持ちは嬉しいんだけれど……その……」

 道が逸れているというか、捻って真剣に考えるようなものでもないというか、むしろ捻らないでほしいというか、最初から狙うべき的が間違っているというか……

「そうよね、インパクトよね。やはり私もインパクトのあるフレーズを考えるべきだわ。勝つために最善を尽くさないと、瞳子ちゃんにも失礼よね」

 な、なんてことだ! 志摩子さんまで由乃さんと同じ道に……!
 なんかこうなってくると、自分が間違っているような気がしてくる。
 私が間違ってるのかな?
 インパクト狙った方がいいの?
 というか、今はそれより乃梨子ちゃんがかわいそうだ。あんなにしょんぼりして。

「……『実家がお寺です』?」
「いやそれは違う」

 厳しい顔のまま恐る恐る言った志摩子さんに、私はちゃんとツッコんだ。
 だって、このまま放置しておくと、志摩子さんが落選する可能性を見たから。いつもなら乃梨子ちゃんが軌道修正するんだろうけれど、彼女は今落ち込んでいるから。
 いくらすでに白薔薇さまの称号を持っていたとしても、悪ふざけにしか思えないキャッチフレーズを掲げたりなんかしたら、支持されるはずがない。リリアンの生徒は基本的に真面目なんだから。
 それに、よく考えてほしい。
 インパクトが強いのは結構だけれど、印象深ければ深いほど、それが一年間……あるいは一生付いて回ることになるのだ。当選しようが落選しようが、公に出したものは引っ込められない。
 心に残れば残るほど、それは今後の人生に付きまとう。
 お願いだから、これからのためにも今を大事にしてください。

「じゃあ、『日舞の名取りです』?」
「それも関係ないと思うよ」
「……『仏の身体、マリアさまの心』?」
「意味がわからないよ」
「…………『白くてふわふわしてるから』?」
「してるから、なに?」

 聞き返すと、志摩子さんは厳しい顔のまま顔を赤らめた。

「いくら祐巳さんでも、それは言えないわ」
「……じゃあ言わなくていいよ」

 これが滅多に見せない藤堂志摩子ワールドか……もうなにがなにやら……
 というか、やっぱり乃梨子ちゃんがかわいそうだ。あんなにがっかりして。

「なかなか難しいわね……」

 ブツブツつぶやきながら席を立ち、流しへ向かう志摩子さんを見送って、私は小声で乃梨子ちゃんに声を掛けた。

「乃梨子ちゃん、そんなに落ち込まないで」
「はぁ……」

 返って来たのは、溜息のような相槌。

「私は乃梨子ちゃんの意見に賛成だから」
「……言っちゃ悪いかも知れませんけど、私は正しい道で祐巳さまの賛同を得るより、間違った道を志摩子さんと歩きたいです」

 それ、本当に言っちゃ悪いよ。露骨に天秤に掛けられた私にも、間違った道とわかっててそっちを選ぶことも。どっちも悪いよ。せめて思うだけにしてよ。
 それにしても、やはりというべきか、わかりきっていたと判断するべきか。
 乃梨子ちゃんは、志摩子さんなしでは生きていけない身体になっていた。
 いつからなのか、より、このままでいいのかを心配するべきだろうか……
 まあとにかく。
 来年の乃梨子ちゃんのキャッチフレーズは『ガチ』だ。これしかない。




 そして放課後、事態は収束した。

「祐巳さん、決まったわ!」

 ホームルームが終わった直後、「これしかない!」とばかりに拳を握って、由乃さんを筆頭にクラスメイトたちがダダッと駆け寄ってきた。この瞬間を待っていた、とばかりに。
 私のことを話していたのに私だけが蚊帳の外、って雰囲気だったんだけれど、どうやら間違った方向に行った話に結論が出たようだ。
 正直、気乗りもしなければあまり興味もないんだけれど。
 だって間違ってるし。

「祐巳さんのキャッチフレーズは……ちょっと祐巳さん聞いてる?」

 聞きたくないけれど、囲まれているので逃げられそうもない。

「うんまあ……どうぞ」

 聞くだけ聞くから。たぶん無駄になるだろうけれど。

「祐巳さんのキャッチフレーズは――『惑星タヌキの第一皇女』よ!」

 やっぱり間違った方向にフルスロットルで行ってしまい、地球すら飛び出しちゃったらしい。
 銀河の彼方の宇宙タヌキになってしまった私は、もう言葉も出ない。
 その惑星タヌキの第一皇女とやらがリリアンの紅薔薇になったところで、何がどうなると言うのか。

「――最高よね、このインパクト」
「――ええ。しょせん地球でしか通用しない(かもしれない)ドリルなんて、相手にもならないわ」
「――ヤマトの波動砲と100円水鉄砲くらいの差よね」
「――もう破壊力と貫通力が違うわよ。格と桁が違うわよ」

 あなた方の常識を破壊するくらいには、強烈なんでしょうね。

「タヌキ皇女、写真を一枚!」

 言葉に導かれるままげっそり振り返ると、パシャリ。ああ蔦子さん、比較的常識人だったあなたまで。
 なんだ? 今年の風邪はここまで性質が悪いのか?

「タヌキ皇女! 自分の星での主食は何を!?」

 真美さん、あなたもか。

「あー、えーと、主に角砂糖をかじってます」

 まじめにこたえるきもまったくなくなったので、ゆるいあたまのままてきとーにこたえてみた。

「――角砂糖ですって!」
「――いいわね! 皇女でありながら庶民の心を解っていて!」

 なんか無責任な賛辞を得てしまった。
 解っていて、って、あなた方は角砂糖をかじったことがあるの? 庶民の心は角砂糖をかじることなの?

「祐巳さん!」

 由乃さんはキラキラ輝くバツグンの笑顔で、正面からポンと私の両肩に手を置いた。

「これで祐巳さんの勝利は確実よ! おめでとう!」

 ……あ、そーですか……




 結論から言えば、私は「惑星タヌキの第一皇女」というキャッチフレーズを、使った。
 いや、使わざるを得なかった。
 一度はまともな……そう、「開かれた山百合会を」というポスターの下書きをしたのだが、それを見てしまったクラスメイトたちの猛講義に負けてしまった。
 彼女たちは、応援したいのか足を引っ張りたいのか、本当はどっちだったんだろう。

 しかし、結果は見事当選。
 そもそも瞳子ちゃんの方にやる気がなかった、という問題があったと思われる。
 が、それは結果が出るまでわからなかったのだから、この際関係ないだろう。

 一つだけ言えることがあるとするなら。
 四つの内で一つだけ妙なフレーズがあれば目立つが。
 四つともインパクトありすぎるフレーズだったら、逆に特に目立つものではなくなる、ということだ。



   福沢祐巳  「惑星タヌキの第一皇女」

          とりあえず青い地球の絵に、タヌキっぽい影を描いてみた。


   島津由乃  「リリアンのバイオレンスクィーン」

          夕陽の背景に、竹刀を持ったリリアン生(三つ編みの後姿)が、大勢のリリアン生に立ち向かう絵だった。


   藤堂志摩子 「白菜コトコト煮込んで5分」

          グツグツ煮込まれ中の鍋の絵だった。藤堂志摩子ワールド大爆発だ。


   松平瞳子  「縦ロールを巻く称号を持つ女」

          中世ヨーロッパの歴史上有名な縦ロールの女人たちが、小さな肖像画で縦8×横4=16人も並べて描かれていた。




 由乃さんと志摩子さんは、ポスターを提出した後で、「あれ? もしかしてやっちゃった?」とわずかばかりの疑問を抱いたらしく、その後ポスターのことに触れることはなかった。
 私も望んで触れたいものではなかったので、廊下に張られている誰かのポスターなんて、掲示板の委員会便りのようにスルーした。
 瞳子ちゃんは……やっぱり最初からやる気がなかったのかも知れない。ポスターは良く描けていたと思うけれど。よく調べたなぁ、と思ったけれど。



 こうして私たちは、三人一緒に当選を果たした。

 ……でも、私は早い内に、紅薔薇として公表することがある。

 私は惑星タヌキの第一皇女ではない、と。

 わかりきっているとは思うが、私はバッチリ純度100%の地球人である。それも小さな島国日本生まれの日本人である。


 だから、もう角砂糖を貢がないでください、と。
 もう薔薇の館にはダンボール三箱分の角砂糖が溜まっていますから、と。
 いくら甘党の私でも、こんなに食べ切れません、と。









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