【2582】 貴女の吐息を感じて切磋琢磨何故かちょっとHな  (いぬいぬ 2008-03-31 13:10:52)


※ 登場人物はオリジナルキャラのみです。
※ リリアンの柔道部が舞台です。
※ すいません、めっさ長いです。





 桜の花も舞い散る頃。放課後の武道館は、子羊たちの熱気で満たされていた。
 熱気の源は、柔道部員達。
 柔道着を着た2〜3年生と、その中に混じる柔道経験者の1年生達。その後ろでは、初めて柔道に触れる1年生達が、柔道の基本である受け身を繰り返していた。
 柔道着に身を包んだ部員達は皆、互いに背中を合わせた格好で、足を延ばしてぺたりと畳の上に座っていた。
 これは、寝技の練習を始めるための基本姿勢である。互いに背中合わせな今の体勢から、振り向きざまに相手を押さえ込みにかかるという、柔道の寝技の基本的な練習方法だ。
「 それでは構えて 」
 凛とした部長の声に、それまでざわついていた武道館の中が、軽い緊張で満たされる。
 柔道部員達は皆、手を膝に乗せた準備体勢に入り、表情を引き締める。
 中でも、少しだけ伸びた後ろ髪を、短いシッポのようにゴムで結んでいる少女は、小さな体を、並々ならぬ気合いで満たしていた。
 だが、そんな少女の練習相手である、長い髪をひとつの三つ編みにした少女は、シッポの彼女とは対照的に、余裕の微笑みを浮かべていた。
「 うふふふ… 」
 いや、微笑みどころか、実際に声に出して笑っていた。
「 くっ… 」
 相手の余裕の笑い声が余程悔しかったらしく、シッポの少女の表情は、益々厳しくなってゆく。
 厳しい表情を崩さぬまま、彼女は静かに開始の合図を待った。
 そして数秒後。
「 始め! 」
「 シッ! 」
 始めの掛け声に、鋭い気合いの呼気と共に、全速力で動きだすシッポの少女。
 まずは腕を絡め捕り、相手の動きを封じようと、自らの右肘を背中合わせな相手の左脇へ差し込み、そのまま跳ね上げる。
( いける! )
 自らが理想とする動きをトレースできたと確信したシッポの少女は、そのまま振り向きざまに相手の左腕を極(き)めるために、跳ね上げた右腕を円を描くように振り抜きながら、振り向きざまに相手に覆いかぶさろうと…
「 …あれ!? 」
 した時にはもう、跳ね上げたはずの右腕を逆に絡め捕られ、動きを止められていた。
「 うふふふふ〜、30て〜ん♪ 」
 シッポの少女の攻撃に対する採点なのか、三つ編みの少女は嬉しそうにそう言いながら、あまり力がありそうには見えない華奢な左手一本で、シッポの少女の右手首をクイっと捻る。
「 痛たたたたた!? 」
 振り向こうとしたままの体制で右手首を極められ、思わず動きの止まったシッポの少女の口から悲鳴が漏れる。
 絡み合う両手を天にかざし、横向きに寄り添う今の二人は、まるでダンスを踊るペアのように見えなくもない。
「 狙いは悪くないけれど〜、関節の捕り方はまだまだね〜 」
 のほほんとした笑顔で、やたらと間延びした口調でそう語りかけてくる三つ編みの少女。
 だが、まるで気合いの感じられない口調とは裏腹に、三つ編み少女の動きは止まらない。
 流れるような動きで、シッポの少女の奥襟を空いていた右手でつかむと、そのままもつれ合うように後ろへと倒れこんだ。
「 いっ!! …… 」
 三つ編みの少女は、倒れこみながらシッポの少女の右腕を捻りあげ、手首だけでなく、肘と肩までも同時に極める。
 三つ編みの少女の体の上で、完全に右手の動きを殺されたシッポの少女は、自分の右腕から“みしり”と嫌な音が聞こえたように感じた。
 もはや激痛のあまり、悲鳴すらも上げられない。
 もうどうにも逃げられないと悟ったシッポの少女が“まいった”の合図に畳を叩こうとした瞬間、ふいに右腕の拘束が解かれる。
「 ? 」
 突然の自由に戸惑いながらも、反射的に体を反転させて、三つ編みの少女の上から逃れようとするが…
「 一か所に集中しすぎちゃダメよ〜 」
「 え? 」
 いつのまに捕えられたのか、すでに三つ編みの少女の足がシッポの少女の足に絡みつき、その動きを封じていた。
「 くっ! まだまだぁ!! 」
 上半身が自由になったので、両腕を使い三つ編みの少女の足を外しにかかるシッポの少女。
「 だから、一か所に集中しすぎちゃダメだってば〜 」
 ガラ空きになったシッポの少女の襟元に、三つ編みの少女の右腕が伸びる。
 そして柔道着の襟を…
「 うふふふふふ〜♪ 」
「 ひあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!? 」
 通り越して、襟の中に右手を潜り込ませたりした。
 なんか妙にエロい手つきで。
「 ど、ど、ど、どこをつかみに来てるんですか!! 」
「 おっぱい 」
「 な!? 」
 何の照れも無く放たれた三つ編み少女の言葉に、返す言葉を失うシッポの少女。
「 正確には“小さい”おっぱい? 」
「 ち、小さくて悪かったですね!! ってゆーか、その手をはなひゃはははは!? 」
 わきわきとうごめく三つ編み少女の指の感触に、くすぐったさから笑い出すシッポの少女。
「 揉むと大きくなるって本当かしら〜 」
「 い、いいかげんに… 」
 ここでやっと、シッポの少女は、三つ編み少女の右手をはねのけようと思い立ったが…
「 …え!? 」
「 だから〜、一か所に集中しすぎちゃダメよ〜 」
 いつのまにやら、後ろから伸びてきた三つ編み少女の左手に、右腕をつかまれていた。
 更にはその右腕を左側へと引っ張られ、左腕の上に重ねられたことにより、左腕の動きまでも封じられてしまう。
「 い、いつのまに!? 」
 自らの右腕で左腕を抱きしめる形となり、両腕の動きを封じられたシッポの少女は、驚きの声を上げる。
「 いつ?って聞かれると〜、具体的にはおっぱいを揉みながら? 」
 しれっと答える声に、シッポの少女の顔が更に赤く染まる。
 はたしてこの赤さは怒りからなのか、羞恥からなのか?
「 ふ、ふざけ… ま、まったぁ! そこはダメです!! 」
「 え〜? 何が〜? 」
 すっとぼけた声で、わざとらしく問い返す三つ編み少女。
「 分かってるクセに! Tシャツの中に手を入れないでくださ…… ちょっと!? なんでブラに手をかけてるんですか!? 」
「 うふふふ〜、なんでかしらね〜? 」
 楽しそうに、本気で楽しそうに笑う三つ編みの少女の声に、シッポの少女は色々な意味の絶望感に襲われた。
「 あ、フロントホックじゃないの〜。ラッキ〜♪ 」
「 いやぁぁぁぁ!! 誰か助けてぇぇぇぇ!! 」
 もはや、三つ編みの少女の右手の動きを止めるものは何も無いと思われたその時、救いの神は舞い降りた。

  ど ご す っ ! !

「 うぎょっ!? 」
 意味不明な悲鳴と共に、動きの止まる三つ編み少女。
 同時に、後ろから拘束する力が弱まったので、シッポの少女は素早く脱出し、あわてて襟元を整える。
「 あ、危なかった… 」
 色々な意味で、心底安堵するシッポの少女。
「 …いいかげんにしなさいよ、この変態 」
 地の底から湧きあがるような冷たい怒りの声に、思わず二人が振り向くと、そこには柔道部の部長が、三つ編み少女の頭にかかとを落した体勢のままで立っていた。
「 部長〜、かかとはひどいと思います〜 」
「 黙りなさい、この変態! …はるかちゃん、大丈夫だった? 」
「 …あんまり大丈夫じゃありません 」
 ぐったりした感じでそう呟くシッポの少女… 橘はるかの様子に、部長は再び三つ編み少女に“がすっ!”とかかとを落とす。
「 ごめんね、気づくのが遅れて。瑞希には私がキッチリ教育しておくから 」
「 痛〜い! 部長のかかと落としって〜、本気で痛いです〜! 」
「 やかましい! かかとが嫌なら、真面目に練習しなさい! 」
「 え〜? 真面目にやってましたよ〜? 」
「 練習相手のTシャツに手を潜り込ませて、どこが真面目よ!! 」
「 え〜? それこそが寝技の醍醐味じゃなですか〜 」
「 はぁ!? 」
「 可愛い女の子との密着。その時に感じる体温と甘い香り… ああ! それはまさにパラダ〜イス! 」
 うっとりとした表情で呟く瑞希。
 変態、ここに極まれりといったところだ。
 反対に、部長の顔は、見る見るうちに険しくなってゆく。
「 そんな柔らかなパラダイスに踏み込んでいるというのに〜、そこで相手の体をまさぐらないなんて〜、 柔道をやっている意味が無いです〜! 」
「 あんたって奴は… 」
 悪びれもせず、両手をワキワキと動かしながら、「女の子の体をまさぐるのが柔道の醍醐味」と力説する三つ編みの変態… 山村瑞希の言葉に、部長は深いため息をつく。
 彼女達の後ろで受け身の練習をしていた1年生達から、「まあ、柔道ってそんなスポーツでしたの?」とか、「やはりリリアンって、そういう方達が多いんですのね」とか、「私、部長にならまさぐられても…」とか、色々な囁きが聞こえてきたが、まさぐられても良い部長… 武藤妙子は、ヘタに言い訳をするとヤブヘビになりそうだと思い、1年生達の囁きをあえて無視した。
「 …瑞希。アンタには一度、徹底的な教育が必要なようね? 」
 そう言って、妙子はおもむろに瑞希の襟首をつかみ、拳を握りしめる。
「 ぶ、部長〜! 柔道で拳は反則です〜! 」
 さすがに鉄拳制裁は嫌なのか、あわてて両手で頭をかばう瑞希。
 だが、妙子は「 あらそお? 」と瑞希の言葉を聞き流し、拳を強く握り締めた。
「 暴力反対〜! パワハラだわ〜! 」
「 やかましい! アンタのセクハラよりは百倍マシよ!! 」
 リリアンの子羊にあるまじき殺気に満ちた眼で、妙子が瑞希の脳天に鉄拳制裁をくわえようとしたその時、そっと妙子の拳を止める手があった。
「 お姉さま、さすがに鉄拳制裁はやりすぎです 」
 妙子を“お姉さま”と呼びながら止めたのは、妙子よりも頭ひとつ長身な、ボブカットの少女だった。
「 立夏 」
「 りっちゃん、ナイスフォロ〜 」
 姉をいさめる妹の言葉に、妙子は素直に拳を降ろした。
「 ごめん、ちょっと頭に血が昇ってたわ 」
 ひとつ息をつくと、妙子は妹… 片山立夏に軽く手をあげて詫びた。
「 そうですよ〜、部長ったら興奮しすぎですよ〜 」
「 誰のせいで興奮したと思ってるのよ!? 」
 まるで反省の色が無い瑞希に、再びキレかける妙子だったが、瑞希はさっと立夏の後ろに隠れてしまった。
「 お姉さま 」
「 …分かったわよ。もう手を上げたりしないから 」
 立夏を隠れ蓑にした瑞樹をにらみつつも、自分を落ち着かせようと、ひとつ息を吐く妙子。
「 それが良いです。それに、この変態は殴られたくらいじゃあ懲りたりしませんから 」
「 そうね、逆に喜ばれたりしても困るし 」
「 ……部長もりっちゃんも、ひど〜い 」
『 黙りなさい、このド変態 』
 姉妹にサラウンドで罵られ、さすがのへんた… 瑞希も、しゅんと黙り込む。
 さすがに少しは反省…
「 ちょっとしたスキンシップだったのに〜 」
 …など全くしていなかったようだ。
 後ろではるかが「あんなもん、スキンシップを超えて性犯罪ですよ」などと突っ込んでみたが、当然のように瑞希にはスルーされたのだった。
「 まったく… その異常な性癖が無ければ、全国でもトップレベルの寝技の使い手なのに 」
 深いため息と共に、心底残念そうに呟く妙子。やれやれとでも言いたげに首を振る彼女の動きに合わせて、ベリーショートの髪が揺れる。
 そう、その性癖と行動はただの変態だが、そのテクニックを女の子を襲うという個人的な趣味に使わなければ、瑞希は全国レベルで通用するほどの変態… もとい、全国でも屈指の寝技の使い手なのだ。
「 意外と、あの性癖のせいで、あそこまで寝技が上達したのかも知れませんよ? 」
 立夏が、なんとなく思ったことを、ポツリと呟く。
「 ……才能のある努力家の変態って、最悪じゃない? 」
「 それが山村瑞希という生き物なのですよ、お姉さま 」
「 …なんだか無償にマリア様に祈りたくなってきたわ。“変態に天罰を”とか 」
「 ふたりとも〜、あんまりな言い草じゃない〜? 」
『 言われるようなことをするからでしょうが、この変態 』
「 そんなこと…… うぅ、身に覚えがありすぎるかも〜 」
 再びサラウンド攻撃に沈む瑞希。
 …あまり懲りているようには見えないが。
「 とにかく。今年は久しぶりに戦力が充実してるから、アンタにも試合ではポイントゲッターとして働いてもらうつもりなんだからね! 真面目にやらないと、またかかとが落ちるわよ!? 」
 改めて瑞希に釘を刺す妙子。
「 さあ! 寝技の練習を再開するわよ! 」
 部長の檄に、部員達は練習を再開すべく、あわてて位置に着く。
 部員達がそれぞれ相手を決めてゆく中、瑞希は部長の怒りが引くまではおとなしくしていようかと、適当な練習相手を探してキョロキョロしていた。
 しかし、そんな瑞希に、なんとはるかが練習相手を申し出てきた。
「 …はるかちゃん、また私に揉まれたくて来たの? 」
「 違います!! 」
 当たり前だが、全力で否定するはるか。
「 今度こそ押さえ込んでみせますからね! 」
「 うふふふ〜、そのセリフ、何度目かしら〜? 」
「 う… 」
 実はこの二人、はるかの入部当初から、飽きること無くこんなやり取りを繰り返しているのだ。
 はるかもはるかで、セクハラ寝技地獄が嫌なら、瑞希の練習相手をしなければ良さそうなものだが、どうやらかなりの負けず嫌いらしく、セクハラに対する嫌悪感よりも、寝技で手も足も出ないことへの悔しさが勝り、何度も瑞希に挑戦しては「玉砕&セクハラのオマケ付きで返り討ち」ということを繰り返しているのである。
「 じゃあ、たまには本気で相手しちゃおうかな〜? 」
「 望むところです! 」
 珍しくヤル気を見せる瑞希に、はるかの闘争心が燃え上がる。
 二人は互いに背中合わせになると、静かに開始の合図を待った。 
「 やっとまともに練習ができるわね 」
 瑞希とはるかの会話を聞き、ほっと安堵する妙子。
「 それでは構えて 」
 気を取りなおした妙子の合図で、武道館に、再び静かな熱が満ちてゆく。
「 始め! 」
 合図と同時に、先ほどとは比べ物にならない速度で動きだす瑞希。
 はるかの柔道着をつかむと同時に押し倒し、縦四方固め(※仰向けな相手の上に、相手の頭の上方向から覆いかぶさるような押さえ込みかた)で押さえ込む。
「 む!…うぅっ! 」
 完全に押さえ込まれたはるかは、なんとか瑞希の下から脱出しようともがくが、瑞希は上手く重心をずらし、下から押し上げるはるかの力を相殺する。
「 ほらほら〜、30秒たっちゃう(※柔道の寝技は、30秒間押さえ込まれると1本負けです)わよ〜? 」
「 くっ! う〜〜っ! 」
 はるかも、唸りながら押し返そうと色々と力のかけ方を変えてみるが、瑞希はビクともしなかった。
「 …はるかちゃんも、本気になった瑞希にはまだまだかなわないみたいね 」
 やっとまともな寝技の練習が始まった二人の様子を、部長とその妹も満足そうに見つめていた。
「 ……って、アレ? 」
 部長と“その妹”も、満足そうに見つめていた。
「 …立夏 」
「 なんですか? お姉さま 」
「 アナタ、寝技の練習は? 」
 眉間にシワを寄せて、当然のように隣に立っている妹を問い詰める姉に対して、立夏は滔々と語りだす。
「 お姉さま、柔道の華は立ち技です。夏空に咲いて散る花火のような一瞬の攻防は、まさに柔道の真髄。いえ、もはやそれは芸術と言えるかも知れません。ゆえに私は、そんな立ち技を極めるために… 寝技などにかかわっているヒマは…… 無いと言うか……… え〜と…… 」
 途中までは臆すること無く語っていたが、姉の視線に混じる凶悪なプレッシャーに、しだいに言葉が途切れ出す立夏。
「 …それで? 」
 妹である立夏ですらあまり聞いたことの無い、やたらと低い声で問いただす妙子。
 ここは負けてはならぬとでも思ったのか、立夏は妙子の目を見ながら、きっぱりと答えた。
「 寝技嫌いなんです 」
「 へ〜、そお。ふ〜ん、大変ねぇ 」
「 痛たたた、ごめんなさいごめんなさい。お姉さま、モミアゲは引っ張るためのものじゃな痛たたた、やりますやりますやります、寝技やりますから! 」
 モミアゲがよほど痛かったのか、はたまた姉の視線に殺意でも感じ取ったのか、寝技が嫌いな立夏も、練習に参加する気になったようだ。
「 アンタも今年の戦力を担う一員なんだからね! 確かに立夏の立ち技のキレは認めるけど、寝技の練習も真面目にやらないと、かかとが落ちるわよ!? 」
「 わ、分かりましたから、かかとは勘弁して下さい 」
 姉のかかと落としの脅威が身に染みているのか、あわてて寝技の練習をしている柔道部員達のほうへと歩き出す立夏。
 …しかし、妙子も柔道部の部長として、柔道の強さではなく、かかと落としで恐れられているあたりはどうなのだろうという気がしないでもないが。
 姉に追い立てられ、寝技の練習に交ざろうとした立夏だったが、すでに2人1組で寝技の練習が行われていたので、相手がいない。
 仕方なく、この回が終わったら、誰かと交代してもらおうかと、ボンヤリと練習風景を見つめていた。
 だが、その瞳には全くヤル気が見えず、顔全体で「 めんどくさいなぁもぉ 」と語りまくっていた。どうやら、本気で寝技が嫌いらしい。
「 だいたい、寝技の練習なんかしたって、先に投げて1本取っちゃえば終わりなのに… 練習するだけ無駄な気が… 」
 そんなふうに、立夏が小声でブツブツ呟いていると、鬼の形相の妙子が、全力で立夏めがけて走ってきた。
「 こら―――!!! 」
「 うわわわわ! ごめんなさい! もう言いません! 」
 ぼやきを聞かれ、かかと落としが来るかと思った立夏は、思わず頭を庇いながら謝った。
 だが、妙子はそんな立夏の脇を駆け抜け…
「 柔道着を脱がすなぁ!!! 」

 ど っ す !!

 サッカーならば、見事にゴールネットを揺らすシュートを決めるであろう勢いで放たれたキックは、鈍い音を立てて、瑞希の脇腹に叩き込まれた。
「 おふぅっ! 」
 奇妙なうめき声と共に、妙子が叩き込んだつま先に悶絶する瑞希。
「 か、返して下さいよぉ!! 」
 半泣きで、瑞希から柔道着の上着を奪い返すはるか。
 どうやら、最初は真面目に寝技の練習をしていたはずが、ちょっと目を離したスキに、はるかを脱がしにかかっていたようだ。
「 真面目にやりなさいって、何度言ったら分かるの!? この色魔! 」
「 ちょ…… ま… 」
 一般的に、「頭部への衝撃は、痛みよりもむしろ気持ち良くなってしまう場合があるが、腹部への衝撃は、ただただ地獄のような痛みを伴うだけだ」と言うが、瑞希の苦しみ方を見ると、どうやらそれは真実のようだ。
「 何よ! 言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい! 」
「 ……無…理………息が… 」
 脇腹につま先蹴りを叩きこまれ、軽い呼吸困難に陥る瑞希に、無茶な要求をする妙子。
 さすがの瑞希も、ひたすら脇腹を押えてびっくんびっくん痙攣するだけだった。
「 今年は戦力が揃ってるから、大会でも上を目指すって何度も言ってるでしょう!? アンタも戦力の一人の自覚があるなら、真面目にやりなさい!! 」
 一瞬、「その“戦力”の一人に、つま先蹴りを叩きこんではマズいのでは?」と突っ込みたい空気が武道館に流れたが、興奮している部長に反論するほど 根性のある部員はいなかった。
 てゆーか、みんな、かかと落としが怖かったのだ。
「 はるかちゃんも大事な戦力の一人だって言うのに、アンタはあの子に精神的なトラウマでも残す気!? 」 
 そう。先ほど、瑞希のセクハラ寝技地獄で柔道着の上着を脱がされ、泣きそうになりながら衣服の乱れを整えている、1年松組の橘はるか嬢。部長の妙子自ら“大事な戦力”と認めるほどの実力者なのである。
 では、その橘はるか嬢がどれほどの実力者かと言うと、実は去年の全国中学校柔道大会「軽量級」の部で、全国3位だったというほどの逸材なのだ。
 そんな実力を持つ彼女が、何故あまり強豪でもないリリアン女学園に進学し、柔道部へ入部してきたのか?
 それは、去年の冬にまで話がさかのぼる。
 中学の全国大会の直後、彼女は練習中の事故で膝を痛めてしまった。
 膝のケガは順調に回復に向かっていたのだが、それまでの「スピードを生かし、試合時間いっぱいまで攻めまくる」という自分の柔道スタイルだと、どうしても試合後半で膝に力が入らなくなり、最後まで攻めきることができなくなっていた。
 自分の柔道を貫けなくなったはるかは、柔道をやめようかというところまで精神的に追い詰められていたのだ。
 そんな時、リリアン柔道部顧問が、柔道強豪校である彼女の中学出身だったつてから、はるかの中学とリリアン女学園との合同練習が実施された。
 その時に、「 高校生との試合を経験させたい 」という、はるかの学校の柔道部顧問の要請があり、リリアン側は中等部だけでなく、高等部までも練習に参加することになったのだ。
 当時、膝のケガ自体はほぼ完治していたはるかだったが、やはり以前の自分の動きとは意識の上でズレがあったらしく、当日も一人、乱取り(※試合形式の練習)には加わらず、膝のリハビリとでも言える筋力トレーニングを黙々と繰り返していた。
 そんな彼女に、「 寝技の練習なら、それほど膝に負担もかからないんじゃない? 」と、声をかけ、練習に誘ったのが瑞希だった。
 高校生とはいえ、あまり名前も聞いたことのない学校だからと、当初はリリアン女学園との合同練習にもあまり意義を見いだせなかったはるか。どこかで「 弱い相手との練習なら、膝も悪化しないだろう 」などと、全国大会で上位に食い込んだ自信からか、リリアンの柔道部をなめてかかる気持ちがあった。
 だが、軽い気持ちで瑞希との寝技の練習にのぞんだ彼女は、1分後にはその考えを一変させられることになる。
 押さえ込んでも、軽々と返される。体重差があるから返されるのかと思い、狙いを変えて関節を取りに行けば、逆に捕まり関節を極められる。そもそも、相手の柔道着すら、まともにつかませてもらえなかった。
 スピードでは決して負けていないはずなのに、とにかく自分の動きをことごとく読まれ、自分の柔道をさせてもらえないのだ。中学の全国大会でも出会ったことの無いレベルの寝技に、はるかは全くなすすべが無かった。
 そして、3分間の練習時間が終わった時、はるかは立ち上がれないほどに疲労していた。対戦相手の瑞希は、たいして息も切らさず微笑んでいたというのに。
 相手を仰向けで見送ることしかできない自分が悔しくて、はるかは思い切って瑞希に「 どうしたら、そこまで寝技が上手くなれるんですか? 」と問うた。
 その時、何を考えたか、瑞希は具体的な練習方法などは教えず、「 リリアンに来たら、教えてあげる〜 」と、微笑んで見せたのだった。
 全国大会直後のケガのせいで、柔道の強豪高校からのスカウトの声もかからなくなっていたこともあり、はるかはこの時、自分の柔道人生において、重大な選択を決意する。
 今までの、軽量級の中でも更に軽量な体格による瞬発力を生かした、「立ち技主体、攻撃型」の柔道から、瑞希のような、膨大な練習時間の果てに手に入るであろうテクニックで、相手のスピードを封じ込めるほどの、「寝技主体、迎撃型」の柔道への転向。
 そして、そのためには、あの人のいる高校へ行かなければならない、と。
 はるかは、リリアン女学園への進学を決意したのだった。
 …まさか目標にした人物が、こんなセクハラ大魔王だとは知らずに。 
「 真面目に戦えば、ものすごく強いのに… 」
 妙子に釘を刺される瑞希の姿に、深いため息をつくはるか。
 寝技なのかセクハラなのか判断に困る技を繰り返し、怒られても懲りずにへらへらと笑いながら、また妖しげな寝技に持ち込む瑞希。そんな彼女の姿を見ていると、「 この人を追ってリリアンに入学した私の立場は… 」などと、ちょっと切なくもなろうというものだ。
「 うぅ〜、はるかちゃんまでそんなこと言うの〜? 私はいつだって真面目にやってるのに〜 」
 やっと脇腹の痛みが回復した瑞希が不満そうに言うが、その一言がまたはるかを興奮させる。
「 私のTシャツの中に手を入れたり、柔道着を脱がしたりして、どこが真面目なんですか!? 」
「 私はいつだって、どうすればはるかちゃんの自由を奪って好き放題触れるか“真面目に”考えてるわよ〜? 」
「 そういう方向の“真面目さ”はいりません!! 私が言ってる“真面目に戦う”っていうのは、去年の冬に、私の中学の合同練習で出会った時の、私が何をしてもかなわないくらい強かった山村先輩のことです! 」
 中学までのクセが抜けず、いまだに部活の時は上級生を「苗字+先輩」で呼ぶはるか。
 まあ、最初は注意されたが、普段はちゃんと「○○さま」と呼ぶので、今では部活中は黙認されていたりする。
「 あの時の山村先輩はすごく強くて… 今みたいに“性犯罪者予備軍”じゃなかったじゃないですか! 」
「 “性犯罪者予備軍”とは失礼ね〜。だいたいあの時は初対面だったし、よその学校だったしで、ちょっとしたスキンシップも控えてたのよ〜 」
 瑞希の言うことを要約すると、「自分のテリトリーで、相手がこちらに気を許してくれていれば手を出した」というところだろうか?
「 先輩のは“ちょっとしたスキンシップ”どころじゃありませんよ! 」
「 リリアンでは普通のスキンシップよ〜? 」
「 もうそんな言葉には騙されませんからね!! 」
 ちなみにはるか嬢、入学早々に瑞希のセクハラ寝技地獄を喰らい、セクハラはやめて下さいと抗議した時に、「これくらいはリリアンでは軽いスキンシップよ」と、瑞希に騙され、リリアンというのは恐ろしいところだと勘違いして、本気で転校しようかと悩んだりしたことがあった。
 まあ、すぐに部長のかかと落としが決まり、疑惑は晴れたのだが。
「 あの時の、怖いくらいに強かった山村先輩は何処へ行ったんですか!! 」
 どこまでも熱いはるかは、やはり目標とする人物の正体がこんな変態だったということが、どうしても許せないらしい。
「 だって〜、我慢は体に悪いもの〜 」
 まるで「寝不足はお肌に悪いから」くらいの感覚で言う瑞希に、はるかは益々いきり立つ。
「 中学生の私相手の時にはできた我慢が、なんで今はできないんですか!! 」
「 それは… あの時はさすがに、中学生相手にあんまり色々なことしちゃうと、法律的にアレかも?とか思ったりもしたし… 」
「 性犯罪者の自覚あるんじゃないですか!! 」
 …法律というと、児童ポルノ法とかのことだろうか?
 瑞希の言い分を聞いていると、用意周到で用心深い変態にしか思えなかった。
「 さっきから横で聞いていれば、好き勝手なことばかり… 」
 瑞希の自由すぎる言動に、妙子の怒りに再び火がついた。
「 …やっぱりアンタには、軍隊並みの厳しい体罰が必要なのね 」
 そう言って無表情に近づいてくる妙子の様子に、さすがにヤバいと感じたのか、瑞希はあわててポニーテールの少女に助けを求める。
「 副部長〜、部長が暴力をふるおうとするんです〜 」
「 どいて知美。今、そいつに現実の厳しさを叩きこんでやるから 」
 妙子は恐らく、現実の厳しさというやつを、かかとで叩き込むつもりだ。
 怯える瑞希と怒る妙子の間に挟まれる形になった、クールな外見のポニーテールの少女… 副部長である3年李組の三田知美は、ここで意外な発言をする。
「 部長。私は、瑞希さんに体罰を与えるのには反対です 」
「 …その馬鹿をかばうつもり? 」
 知美の言葉に、妙子の眉がピクリと跳ね上がる。
「 そうではなくて… 飴と鞭という言葉もあるように、瑞希さんにやる気を出してもらうためには、それ相応の報酬が必要かと 」
 クールな外見にふさわしい落ち着いた声で、そう提案する知美。
「 報酬? 」
 意味が分からず問い返す妙子だったが、知美はそれにはかまわず、すっと瑞希のほうに振り向いた。
「 瑞希さん、はるかさんはリリアンの主戦力になるほどの選手です。彼女のメンタル面への影響を考慮して、そういった行為は控えて下さい 」
「 え〜? そんなの我慢できない〜 」
「 …して下さいよ、お願いですから 」
 はるかが泣きそうな声で懇願するが、やはり瑞希に華麗にスルーされた。
「 先ほども言いましたが、そういった行為を控えてもらえるのなら、こちらには、それ相応の報酬を与える準備があります 」
 あくまでもクールに、先ほどの言葉を繰り返す知美。
「 報酬ってなんですか〜? 」
 目の前に突然ぶら下がったエサに、瑞希も興味を示す。
 瑞希の問いに、知美はすっと右のほうを指差した。
「 高見沢由紀さん 」
 突然、知美に名前を呼ばれ、3年藤組の高見沢由紀嬢は、「私?」と問いたげに、自分を指差しながら、目をパチクリ。 
「 彼女なら、かなりグラマラスなので、そうとう揉みごたえがあるはずです。どうしても我慢ができないのならば、彼女を… 」
「 ちょっと!! 知美さん!? 」
 突然、瑞希へのイケニエとしてご指名を受けた由紀嬢。当然、知美のご指名に抗議の声をあげる。
 だが、そんな抗議の声など聞こえていないかのように、瑞希は知美の指に誘導されるように、じっと由紀を見つめ、ふたりの視線が重なった。
 その瞬間…
「 む、無理! 私、そんな役目は無理だから!! 」
 瑞希の視線に本能的な恐怖を感じたのか、由紀はブンブンと首を振って嫌がった。
 まあ、当たり前の反応だろう。
 ところが、嫌がる由紀を見た知美の反応は、当たり前なものでは無かった。
「 じゃあ… 」
 少しもあわてず、今度は別の部員を指差した。
「 2年生の初島恵… 」
 あっさりと次のイケニエをご指名する知美に、ご指名を受けた初島恵嬢は、心底驚いた顔をする。
「 わ、私をイケニエにする気ですか!? 」
 恵の問いに、あっさり「 ええ 」と肯定する知美。
 そんな知美に、恵は本気で怒った顔になる。
 …実はこの2年菊組の初島恵嬢、知美の妹だったりするのだが。
「 だって、由紀さんの次にグラマラスなのはアナタだし… 」
 どうやら知美嬢、そんなことにはおかまい無しなようだ
「 戦力確保のためなら何でもアリですか!? 」
「 …ダメかしら? 」
「 当たり前です!! …って、何ですか?! その残念そうな顔は!? 」
 妹からの当然の抗議に、何故か不服そうな顔の知美。
 彼女は、理知的な外見とは裏腹に、目的のためならば手段を選ばない人物のようだ。
「 えっと〜、申し訳ないんですけど〜 」
 まだ何か姉に文句を言おうとする恵を、のんびりとした瑞希の声がさえぎる。
「 めぐちゃんには悪いけど〜、はるかちゃんの代わりにはならないって言うか〜… 」
「 なんですって!? ちょっと瑞希さん! 私の体のどこが不満なのよ!! 」
 興奮のあまり、怒りの矛先がおかしな方向へズレる恵。
 はたから聞いていると、瑞希に揉まれたがっているように聞こえるものだから、彼女の後ろにいた1年生達が、微妙に引いた表情になっていた。
 てゆーか、物理的に一歩引いて距離を取っていた。
「 そうじゃなくて〜、もう少しこう… 小柄で、抱きしめた時に腕の中にスッポリと収まるサイズが好きなの〜 」
 そう言って、はるかのほうを見る瑞希。調子に乗って、自分の趣味全開である。
「 だから、はるかさんはダメです。…しかし困りましたね、グラマラスならば良いというものでも無いのならば、誰か他にはるかさんの代わりになりそうなのは… 」
「 そうですね〜… 」
 揃って武道館を見まわす二人。
 そんな二人の視線に、ほとんどの部員が、首をブンブン振って拒絶の意思を示していた。
 …何人かは、何故か顔を赤らめてモジモジしていたりしたが。
 そして、二人の視線が、ある人物のところでピタリと止まる。
「 そう言えば、部長も軽量級でしたね 」
「 部長なら、私もOKかも〜 」
 冷静に指摘する知美と、にんまり笑う瑞希。
「 …だそうです、部長。瑞希さんにも異論は無いようなので、ここはひとつ、戦力確保のために、その発育の足りない体を生かして犠牲になって下さい。部長ならば、瑞希さんのセクハラくらいはものともしないほどズ太… 失礼、精神的にも強いでしょうし 」
 どさくさに紛れて、とんでもなく失礼なことを言い出す知美。
 はるかと同じ軽量級の妙子ならば、はるかの代わりになりそうだと、この迷惑極まりない二人の意見は一致したようだ。
 そんな二人の要求に、妙子は晴れやかな笑顔でこう答えた。
「 よし、二人まとめて死ね 」
 ボキボキと指を鳴らし、ボクサーのようなファイティングポーズで臨戦態勢に入る妙子。
 彼女はなんというか、柔道よりも打撃系の格闘技のほうが向いているような気がしないでもない。
 さすがに、笑いながらキレる妙子に危険を感じたらしく、立夏を筆頭に、残りの部員達が妙子を止めにかかる。
「 止めないでちょうだい! 今日こそはあの馬鹿と、何考えてんのか解らない知美に天誅を下すんだから! 」
 しばらくは部員達を振り払おうと必死な妙子だったが、立夏がここで伝家の宝刀ともいえる言葉を放った。
「 暴力事件になったら、夏の大会…“金鷲旗”にも出場停止ですよ! 」
 その一言に、妙子の動きがピタリと止まる。
「 くっ… 仕方ないわね 」
 不服そうに、そう呟く妙子。
「 瑞希、知美。とりあえず、金鷲旗に出るまでは、天誅は止めておいてあげるわ 」
 無理矢理自分を納得させたところを見ると、彼女の今年の夏に掛ける意気込みは、相当なもののようだ。
 …そんな妙子に、瑞希はにっこりと微笑み、知美は「何で私が天誅を受けなければならないのかしら?」という顔をし、彼女の胃に極度のストレスを掛けたりしていたが。
 ここで解説。「金鷲旗」とは、毎年夏に九州の福岡市で行われる、高等学校における柔道の全国大会である。
 同じく夏に行われる高校総体、いわゆる「インターハイ」と違うのは、金鷲旗には地方予選というものが無く、自由参加であるというところ。つまり、参加すればいきなり全国大会なのである。
 お嬢様学校であるリリアンにおいて、柔道部に限らず、格闘技系の部活は、あまり部員の数は多くない。つまり、良く言えば少数精鋭。悪く言えば、あまり戦力に予備の無い状態なのだ。
 妙子は、少ない部員で長く厳しい予選をくぐり抜けて、全国大会へと勝ち抜けるかどうか微妙なインターハイよりも、いきなり全国レベルの強豪校と戦える金鷲旗を選んだのだ。
「 さあ! 夏の福岡まで、あまり時間は無いわよ! さっさと練習再開するわよ!! 」
『 はい! 』
 妙子の檄に、気合の入った返事をする部員達。
 やはりみんな、柔道をやっている以上は、一度は全国に挑みたいのだろう。
 金鷲旗という目標の名を聞き、部員達の顔にも、気迫がみなぎっていた。
「 それじゃあ、もう一度寝技の練習を始めるわよ! 」
 妙子の声に、それぞれ練習相手を探す部員達。今度は立夏も素直に練習に参加するようだ。
「 え〜と… 」
 キョロキョロと練習相手を探す瑞希。
 …が、誰も彼女の練習相手に名乗り出ようとはしなかった。
 やはり、先ほどの瑞希と知美のやり取りを聞いて腰が引けたらしく、いくら金鷲旗に向けて気合の入った部員達とはいえ、瑞希のイケニエ… もとい、寝技の練習相手に名乗り出る勇者はいなかったようだ。
 さすがに瑞希も困っていたが、そこに颯爽と現れる人影が一つ。
「 今度は負けませんよ! 」
「 ……はるかちゃん 」
「 何ですか? 」
「 ………ううん、なんでもない 」
 この子はひょっとして、私にイタズラされるのが好きなんだろうか?
 さっき上着を脱がされたばかりだというのに、懲りずに挑戦してくるはるかに対して、最近、本気でそんなことを考えたりしている瑞希だった。
 もちろん、はるかは瑞希に勝ちたいだけなのだが、最近は回りの部員達も、何度揉まれようが脱がされようが瑞希に向ってゆくはるかを、微妙な視線で見守ったりしていた。
 本人はそんな回りの視線を無自覚なだけに、余計に“橘はるか、実は襲われたがり疑惑”が深まったりしているのだが、まあ、本人はヤル気に満ちているから、そっとしておいたほうが良いのかも知れない。
「 そうだ、はるかちゃん 」
「 はい? 」
 練習開始の位置に着く前に、瑞希は何となく、はるかに問いかける。
「 練習を真面目に頑張ったご褒美をもらえるとしたら〜、はるかちゃんは何が欲しい〜? 」
 先ほど、真面目に練習するなら、ご褒美に「イケニエ揉み放題」を知美に提示された瑞希は、柔道が好きで好きで仕方なさそうなはるかだったら、ご褒美に何を望むのか、少し興味が湧いたらしい。
 この子は何が好きなんだろう? 意外と食欲旺盛なこの子のことだから、何か美味しいものとかかしら?
 そんなことを考えていた瑞希の横で、はるかは真剣に考え込んでいた。
「 ご褒美… う〜ん…… 」
 しばらく悩んだ後、はるかは突然「 そうだ! 」と叫ぶ。
 何か“ご褒美”を思いついたらしい。瑞希が「 何か思いついた? 」と聞くと、はるかは瑞希の目を見ながら、こう言った。

「 もしご褒美がもらえるんなら、山村先輩のロザリオを下さい! 」

 その瞬間、武道館の空気が固まった。
 そして、柔道部全員の視線がはるかに集まる。
「 …あれ? 私、何か変なこと言いました? 」
 はるかは何で自分が見つめられているのか分からず、問いかけてみたが、答える声は無かった。
 少しして、二人を見ながらざわめき始める部員達。
 そんな中、ロザリオを要求され、言うなれば「姉妹の逆指名」を受けた瑞希は、無言ではるかを見ていた。
「 山村先輩? 」
「 ……… 」
「 山村先輩! 」
「 え? …ああ、うん 」
「 どうしたんですか? 驚いた顔して 」
 そう、瑞希は驚いていたのだ。
 はるかの予想外の要求に… でもあったが、それよりも、はるかにロザリオを下さいと言われたことが、少しも嫌ではない自分に。
 この子が、あんなにもひた向きに自分に向って来たのは、妹になりたかったから?
 ううん、その前に、私がはるかちゃんに執着していたのこそ、妹にしたかったからなのかしら?
 瑞希の中で、その辺はまだ判断が付かない。
 でも、やっぱりこの子が妹になるのは、嫌じゃない。
 ぐるぐると回る思考の中で、自分を落ち着かせようと、ひとつ深呼吸をした瑞希は、人に慣れていない子猫に触れる慎重さで、はるかに問いかけた。
「 はるかちゃん 」
「 はい 」
「 本当に、私のロザリオが欲しいの? 」
「 はい! 先輩のロザリオが欲しいんです! 」
「 そ、そう… 」
 何の迷いも無く答えるはるかに、瑞希は戸惑いつつも、胸が熱くなる。
「 えっと… ダメでしたか? 」
 不安そうに、でも真っ直ぐに、自分を見ながら問いかけてくるはるかに、瑞希はあわてて「 そんなことはないわ! 」と答える。
 瑞希の言葉に、はるかはホっとした顔を見せる。
「 良かった! …じゃあ、練習で頑張ったって認めてくれたら、そのロザリオもらえますか? 」
 期待と不安の入り混じった顔で、そう問いかけるはるか。
 回りで聞いていた部員達までもが、一様に緊張感に包まれる。
 全員の視線を感じつつ、瑞希の出した答えは…
「 …分かったわ。私のロザリオで良いのなら、あげるわ 」
 瑞希の答えに、はるかが「 やった! 」と笑顔を浮かべる。
 回りで見守っていた部員達も、新しく生まれた姉妹を祝福する空気になり、武道館の中は明るい雰囲気に包まれた。
 そんな華やいだ空気の中、瑞希は、姉から受け継いだロザリオに想いをはせた。
 今は練習中なので更衣室に置いてあるが、姉からもらった大切なロザリオに、思いをはせた。
 去年、すでに中等部時代から“セクハラ寝技師”として名をはせていた瑞希に、他の部員達は一歩引いた位置から接していた。瑞希も自分の嗜好が他の部員達に受け入れられるとは思っていなかったので、むしろそれは当然のこととして受け止めていた。
 だが、そんな瑞希と、ふとした偶然から知り合った文芸部の少女は、「 貴方みたいにフワフワした子は、私みたいな錘が無いとダメよ 」と、なかば強引に、瑞希を妹に迎えた。
 文芸部に所属しながら、何故か柔道部員の瑞希を妹にした、変わり者の… でも大切な瑞樹の姉。
( こんな私が良いなんて…お姉さまと良い、この子と良い、本当に変わった人達ね )
 自分自身が姉になるなんて、つい数分前まで思いもしなかった。
 いや、去年などは、こんな自分が妹になれるなんてことすら、思いもしなかったか。
( 何も無いと思っていたところに、突然現れる。私の姉妹はまるで、手品のようね )
 目の前で無邪気に喜んでいるはるかに、何か言いたくて、瑞希ははるかに一歩近付く。
 言いたい言葉は何だろう?
 ありがとう? それとも、私も貴方が好き… とか?
 とにかく、はるかに触れたくて仕方ない自分がいることに、瑞希はくすぐったいような、恥ずかしいような、不思議な気分だった。
 でもその前に、姉妹として、姉として、妹に呼びかけてみよう。
「 …はるか 」
 はるかに届かないほどの小さな声で、初めてその名を呼び捨てにしてみる。
 それだけで、瑞希の心はふわふわと浮き立つ。
 そして…
「 いや〜、山村先輩と同じロザリオ、何処を探しても売ってなくて、どうしようかと思ってたんですよ〜 」
「 ………え? 」
 はるかの言葉に、瑞希の動きが固まる。
「 いつか山村先輩に、何処で売ってるのか聞こうと思ってたんですけど、まさか本当に頂けるとは… 」
「 ……… 」
 笑顔のはるか。逆に無表情になる瑞希。
 どうもはるかの言葉を聞いていると、瑞希のロザリオを受け取って妹になれるのが嬉しい… というのとは違うように聞こえるのだが…
 部員達が全員、「 まさか… 」と、同じ嫌な予感にとらわれていると、瑞希が静かに問いかけた。 
「 …はるかちゃん 」
「 はい? 」
「 もしかして、私と同じロザリオ買いたかったの? 」
「 ええ、探してたんですけど、同じ物が何処にも売ってなくて… カッコいいですよね、あの赤い石のはまったロザリオ! 」
 無邪気な笑顔で答えるはるかに、柔道部員達全員が確信する。
 ああ、こいつ本当に、ロザリオが欲しい“だけ”なんだ、と。
「 …………はるかちゃん 」
「 はい 」
「 “姉妹”って知ってる? 」
「 …すーる? 」
 瑞希の問いに、本気で首を傾げるはるか。
 そしてはるかは、この場面では決して言ってはいけない言葉を口に出してしまう。
「 柔道の技か何かですか? 」
 どうやら橘はるか嬢、姉妹制度について、リリアンに入学してから今まで、誰からも説明を受けていなかったようである。
 はるかの言葉を聞いた瞬間、部員達は確かに見た。瑞希の肩の辺りから、何か怒りのオーラのようなものが、ユラリと立ち昇るのを。
 次の瞬間、神速ではるかの襟を取った瑞希は、ぐいとその襟を引くと、見事な一本背負いではるかを投げ捨てた。
「 うわ痛っ! な、何するんですか急に! 」
 いきなり投げられたことに抗議するはるかだったが、瑞希はそれには取り合わず、はるかを腕ひしぎ十字固めに持ち込む。
「 イタタタタ! ちょっと山村先輩!? 何のつもりですか! 」
「 何?って〜、もちろん寝技の練習よ〜? 」 
「 まだ始めの合図も無かったじゃないですか! こんなの無効です無効! 」
 はるかの抗議を無視し、瑞希は妙子に問いかける。
「 部長〜、始めの合図だそうですよ〜? 」
 どことなく怖い笑顔で語りかけてくる瑞希に、妙子は気まずそうに、何か言いたげな顔をしていたが、やがて何か諦めたような顔になると、「 構えて… 始め 」と合図を出した。
「 ちょっと部長! アリなんですかコレ!? 部長? …副部長も! 何でみんなコッチ見てくれないんですか!? 」
 部員全員が自分を見ようとしない事態に、はるかの心の中で、アラームが鳴り響く。
 自分は何かしでかしたらしいとは思い至ったが、今のはるかには何が瑞希の逆鱗に触れたのか、思い当たらなかった。
 …まあ、思い当たらないからこそ、瑞希に投げ飛ばされたのだが。
「 はるかちゃん 」
「 何ですか? 」
「 とりあえず、全部脱がすね? 」
「 何でですか!? 」
 瑞希の処刑宣言にも等しい「全部脱がす」発言に、あわてて暴れ出すはるか。
 …もう、時すでに遅しであるが。
「 部長! 山村先輩を止めて下さい! 」
 はるかの懇願に、妙子はまた気まずそうな顔になり、仕方なさそうにこう答えた。
「 ごめん、はるかちゃん。今回は助けられない 」
「 何でですか!? 」
「 何でって… 今回ははるかちゃんが悪いし… 」
「 私が悪いって、何がですか!? 」
「 何が悪いか分かってないところが悪いって言うか… 」
「 意味が分かりません!! 」
「 あ〜… とにかく、瑞希の気が済むまで、助けられないから 」
「 そんな!? 」
「 部長〜、ありがとうございます〜 」
「 いや、今回はさすがにね… 止める気になれないから 」
 ちょっと憐みの目で瑞希を見る妙子。
 さすがに「スール成立と思ったら勘違いでした」という、泣くに泣けない瑞希の現状に同情しているらしい。
「 何なんですか! 私の知らないところで、何の密約ができたんですか!! 」
 武道館の中で唯一事情が分からないはるかが泣き叫ぶが、誰も事情を説明しようとはしなかった。
 いや、唯一人だけ、はるかに声をかける者がいた。
「 はるかさん 」
「 副部長! …って、良くその体勢で声出せますね 」
 はるかが声のほうに振り向くと、そこには先ほどのイケニエ騒動のお返しとばかりに、相手を三角締め(※柔道の締め技のひとつ)で締め上げようと奮闘する高見沢由紀嬢と、それに何とか抵抗している知美の姿があった。
「 私のことは良いわ。それよりはるかさん 」
「 何ですか? 」
「 貴方は少し、リリアンの常識というものを学んだほうが良いわ 」
「 …リリアンの常識? 」
 妹を売ろうとした貴方がそれを言いますか? と、知美の後ろで別の相手と寝技の練習を始めていた恵(寝技で姉を締め上げようとしたが、由紀に先を越された)が、突っ込みたくて突っ込みたくてたまらない顔をしていたが、姉の言うことに間違いは無かったので、今回は黙殺することにしたようである。
「 何!? 私が何をしたって言うの!! 」
 はるかの問いかけに、答える声は無かった。
 そんなはるかに、蛇のように絡みつく声で語りかける人物が一人。
「 はるかちゃ〜ん 」
「 み、耳元でささやかないで下さい山村先ぱ… 下は! 下は脱がさないで下さいマジで!! 」
「 大丈夫よ〜、ここには女の子しかいないから、たとえ全裸になろうとも別に… 」
「 全裸確定!? 」
 いつもなら、脱がしたり揉んだりも、冗談半分な感じの瑞希が、今回は本気で自分を脱がすことを目的としていると気づき、総毛立つはるか。
「 どうしたんですか山村先輩! なんかいつにも増して容赦無いですよ!? 何があったって言うんですか!!」
「 ん〜… 改めて何があったかって聞かれると… 」
「 聞かれると? 」
「 やっぱり脱がしたくなるわね〜 」
「 何でですか! わ、私が何かしたって言うんですか!? 」
「 うん 」
「 い、いったい私が何を… 」
「 それはね〜 」
「 それは? 」
「 全部脱がしてから教えてあげるから〜 」
「 そ、そんなぁ!! …あ、もしかしてあのロザリオ、高価な物だとか? もしそうなら私… 」
「 そういうことじゃないのよ〜 」
「 じゃあ何で… ひょっとして、誰かから贈られた大切なものだとか? 」
「 うん、それはそのとおりなんだけど〜 」
 はるかの帯をほどきながら答える瑞希に、はるかはここで、更に言ってはいけない言葉を言ってしまった。
「 そんな大切なロザリオなら私、欲しがったりしませんから! ロザリオもらう話は無かったということでひとつ… 」
 はるかにしてみれば、瑞希の大切にしているロザリオならば、自分がもらう訳にはいかないと思っての発言だったのだが、リリアンの生徒として… 姉妹制度を知っている人間からすれば、この言葉は違う意味に聞こえてしまう。
 つまり、自分から姉妹の申し込みをしておいた挙句、「やっぱりやめます」と、一方的にその申し込みをキャンセルしたようなものである。
 はるかの言葉を聞き、瑞希は口元に引きつった笑みを浮かべながら、改めて宣言した。
「 やっぱり全部脱がすわね〜。あと、ついでに色々なこともしてあげるから〜 」
「 イヤァァァァァァァァァ!!! 」







 
 結局、瑞希が納得して、はるかを開放するまでには、日没までかかった。
 夕日に照らされる武道館の畳にへたり込んでいるのは、パンツだけは死守したものの、脱がされかけたブラジャーを必死でつけ直しているはるか。
「 ハァ、ハァ、…や、山村先輩!! ど、ど、…どういうことか説明して…… くれるんじゃ……ゼハァ…なかったんですか!? 」
 息も絶え絶えなのは、瑞希に脱がすついでにくすぐられたからだった。
 くすぐりも、歴史をひも解いてみれば、割と由緒正しい拷問だったりするから、はるかが衰弱するのも無理は無い。
 だが、精神的な面で言えば、ほぼ全裸にひん剥かれた割には元気いっぱいだ。
 さすがに寒そうだとでも思ったのか、瑞希ははるかに大きめの赤いタオルを掛けてやる。
 そんな二人を見て、知美と立夏が何やらボソボソと話していた。
「 日没までに疲れ果てて、ほぼ全裸。まるで“走れメロス”ですね 」
「 …じゃあ、瑞希は勇者に緋色のマントを捧げた少女ですか? 副部長 」
「 そうですね。まあ、瑞希さんが絡むと、メロスというよりもエロスという感じかも知れませんけど 」
「 副部長、上手いことまとめましたね 」
 そんなやり取りを聞いた妙子は、とりあえず二人に「太宰治に全力で謝れ」と突っ込んでおいた。
 まあ、そんな軽い漫才は置いといて。
 はるかはやはり、瑞希の暴挙に納得がいかない様子だ。
「 納得のいく理由を聞かせて下さいよ! 」
「 あ〜、それね〜… 」
 瑞希はポリポリと頭をかきながら、しばらく考えたが…
「 …やっぱり、ロザリオあげた時に説明するわ〜 」
 どうやら、今はるかに全てを説明する気はさらさら無いようだ。
「 何ですかそれ! そんなこと言って、本当は理由なんて無いんじゃないでしょうね! 」
「 そんなことは無いわよ〜。でも、理由を言っちゃうと、はるかちゃんロザリオを受け取ってくれなくなりそうだから〜 」
 そう言ってはぐらかし、瑞希は立ち去ろうとしたのだが…
「 いやだから、そのロザリオが大切な物なら私、いりませんから… 」
 そのはるかの一言に、瑞希ははるかの両肩をガッチリつかみ、顔を近づけて宣言した。
「 ロザリオは、絶対に、はるかちゃんに、あげるから 」
 至近距離から、一言一言に力を込めて言う瑞希。
 言葉に込められた迫力に飲まれたり、至近距離で見た瑞希の顔に何故かドキドキしたりで、はるかは思わず「 あ、はい 」と答えてしまった。
 はるかの返事を聞き、瑞希は実に満足そうな笑顔だ。
 その瑞希の笑顔を見て、武道館にいた柔道部員達は、一人残らず気付く。
 「ああ、あれはもう、何が何でもはるかを妹にするつもりだ」と。そして、「自分が卒業するまで、ああやってはるかちゃんをからかい続けて遊ぶ気なんだろうなぁ」と。
 今さらはるかに事情を説明したところで、あわれな子羊の運命は変えられそうにないと思った柔道部員達は、心の中ではるかのために祈った。 
 「せめて、いじめられることに快感を覚えたりしませんように」と。 
 




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