【2660】 た、たぬーーーーーき薔薇は気高く美しく黒くもあり  (MK 2008-06-23 19:07:14)


「それは縦ロールと呼ぶには余りにも鋭すぎた。堅く雄々しく一途だった。それは正にドリルだった」
「祐巳さまっ、どこかのパクリみたいな語りしてないで瞳子を止めて下さいっ」

 慌てた様な乃梨子ちゃんが、空を飛びながら叫んでいる。あ、今日は白だ。
「様な、じゃありません、慌てているんですっ。それに勝手に見ないで下さいと言うか今日はって何ですか。今日…」

 がささっ。

 終わりまで言うことなく、乃梨子ちゃんは薔薇の館のそばの植え込みに頭から落下した。
 それにしても人のモノローグにまで突っ込むとは恐るべし。あ、百面相か。どんな百面相したらモノローグがばれるんだろう。自分の顔ながら見てみたい。

 目の前の惨状を説明すると、薔薇の館に程近い校庭で顔を真っ赤にした私の妹こと瞳子がドリ…もとい縦ロールを振り回しながら、近づく生徒を片っ端から放り投げているという、ごく普通の光景がのどかな昼休みの時間を使って繰り広げられている。
「説明終わり」
「終わりじゃありませんっ」

 リ○イズでも掛けていたかの様に、瞬時に復活するとまたもやモノローグに突っ込みを入れる乃梨子ちゃん。ここは何かリアクションしないと悪いだろう。
「…わあ」
「そんな取って付けた様なリアクションされても嬉しくありません。それにどこが『ごく普通』なんですかっ」

 注文多いなあ。
「わあ、植え込みに顔から突っ込んでも傷ひとつ付いてないなんて、さすが鉄面皮。瞳子のドリルの向こうを張れるわね」
「いやあ、毎日磨きを掛けていますから…って違〜〜〜うっ。違います祐巳さま、そんな薔薇の館の二枚看板みたいなこと言われても嬉しくありませんし第一、鉄面皮は褒め言葉じゃありませんっ」

 ぴったりだと思ったんだけどなあ、鉄面皮。そんな掛け合い漫才をしている間にも、瞳子に投げ飛ばされているであろう生徒達の悲鳴が近づいてくる。
 瞳子が近づいている様である。
「祐巳さん、瞳子ちゃんがこっち来てるわよー」
「瞳子ちゃん止めないと、薔薇の館が危ないわよ」

 そんなこと言いながら、止める気がないのが丸わかりな七三とメガネ。もとい真実さんと蔦子さん。
 片やメモを片手に、片やカメラを構えて見物している。どんな記事が出来るのか分からないけれど、きっとスポーツ新聞よりも突飛な記事が出来上がることだろう。
 もちろん発行前に読ませてもらうけど。

「んーと、どうしようかなあ」
 辺りの惨状を見渡しながら、考える。瞳子に向かっていった、もしくは巻き込まれたとおぼしき生徒がたくさん。
 ああ、うちの妹はこんなにたくさんの人に想われているんだな、と思うと目頭が熱くなってくる。

「良かったね、瞳子」
「…何が良いんですか」
 最早元気いっぱい突っ込む気力がないのか、突っ込む体力が惜しいのか、疲れた口調で突っ込む鉄面皮。
「駄目だよ。薔薇の館の住人は元気がないと、生徒の代表なんだから。瞳子に負けないようにね、鉄面皮」
「だれが鉄面皮ですかっ」
 あ、元気復活した。

「…鉄面皮ちゃん?」
「くっ。…そ、そんな可愛らしい小動物みたいに小首を傾げられても、鉄面皮は嫌ですっ」
 赤らめた顔を背けながら、力一杯嫌がっている。
 うーん、鉄面皮は駄目か。結構合ってると思うんだけどなあ。

「それじゃ…」
「それよりもっ」
 次のニックネームを付けようとした私を、髪の伸びる市松人形ちゃんが遮る。
「それよりも………、瞳子を止められるのは祐巳さましかいないんですから、何か考えて下さい」
 なんだろう、今の見なかったことにしようみたいな表情と間は。また百面相かな。

「まあ、そうだね」
 おもむろに周りを見ながら考え込む。
 因みに、お姉さまと令さまは学校に来ておらず、由乃さんは真っ先に突っ込んで行き、今は私のそばで眠っている。志摩子さんは御箸を教室に忘れたとかで、お弁当を持ったまま席を離れて二十分が過ぎる。きっと御箸が見つからなくて探しているのだろう。
 という状況ではあるけれど。みんなが揃っていても、やっぱり止めるのは姉である私なんだろうなあとか思う。

「こういう場合って、原因を考えたら良いと思うんだ」
「…祐巳さまは心当たりとかはないんですか?」
 なんだろう、答えるまでの間は。なんか珍しいものを見たという表情だったんだけど。
「心当たり、ねえ」
「瞳子のドリ…縦ロールを引っ張ったとか、瞳子の台本に落書きしたとか、瞳子のデートの約束をすっぽかしたとか」
 つらつらと爪も伸びる市松人形ちゃんが例えば、を並べていく。

「いや、そんなことしないって。せいぜい朝早くに学校に行って一緒にマリア様を拝もうね、っていう約束をしてバスを1本遅らせて行くくらいだってば」
「ひどっ。というかそれが原因じゃないですかっ」
 手をひらひらとして答える私に、がうがうと噛みつく乃梨子ちゃん。(ニックネームに飽きた)ちょっと可愛い。
「えー、週に1回くらいだし瞳子も今日はお寝坊なさったんですね、ってにこやかに迎えてくれるよ。なんか目と目の下が赤かったりするけど。夜更かしはいけないよね」
「それは夜更かしじゃなくて…。いえ、今日の昼休みまでは何かないんですか」
 瞳子に哀れむような眼差しを向けた後にそう尋ねてきた。今日の昼休みまで、ねえ。

「うーんと、確か今日の朝にマリア様の前で、志摩子さんと由乃さんと偶々一緒になって…」
 私は昼休みまでのことを必死に思い出していた。
「瞳子ちゃーん」
 聞き覚えのある生徒の悲鳴を遠くに聞きながら。



「祐巳さん、由乃さん。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 他の生徒よりも少し長めのお祈りを済ませた志摩子さんが、後ろで待っていた私と由乃さんと挨拶を交わした。

「久しぶりだね、三人一緒になるのって」
 と、私。最近では朝練があったりする由乃さんは早く、部活に入っている訳でも特別趣味を持っている訳でもない私は遅い。志摩子さんは同じバス通学なんだけど、途中が別路線だからか朝に会うことは少ない。

「今日は朝練ないからゆっくりしちゃって」
 と、由乃さん。何だか朝に会ったのが嬉しいらしい。あ、令さま来ないこと多いし、部活ないと一人で登校か。友達少ないからなー、由乃さん。
「祐巳さん?何だかとっても気になるんだけど。その顔」
「ひどいなー。どうせ、由乃さんや志摩子さんみたく美少女じゃありませんよー」
 あっと、いけない百面相に出てたか。考えてること分かるのってなんだかサトラ○な気分。みんなずるいよ、よよよ。

「祐巳さんの顔は味わいがあるってことよ。ね、由乃さん」
 とフォローになってるか分からないフォローを入れる志摩子さん。相変わらずだなあ、空気の読み具合が。
「それにしても良い天気よね。ねえ祐巳さん、由乃さん」

 そしてほんわか時空に引き込む志摩子さん。本当に良い天気で珍しく暖かいから、お外でお弁当でも食べたい気分。
「お昼は薔薇の館じゃなくて、お外で食べない?やっておくお仕事も少ないし」
 志摩子さんに電波が届いたみたい。
「いいねえ、そうしようか」
「乃梨子ちゃんと瞳子ちゃんにも知らせないとね」
 普段と違う場所での昼食会。他の生徒のみんなも集まってきそうで楽しそう。

「乃梨子と瞳子ちゃんには私から伝えておくけど良い?祐巳さん」
「あ、二人には私から伝えるよ。瞳子、最近元気なさそうだし」
 演劇の練習で疲れているのか、なんとなくドリ…縦ロールも元気なさそうだった。この間の朝に会った時は、そういえば目と目の下が赤かったっけ。夜更かしでもしてるのかなー。
「そう?じゃあ、祐巳さんにお願いするわ」
「うん、それじゃ昼休みに薔薇の館の前でね」



「…その後は普段通り授業受けて、昼休みに由乃さんと薔薇の館の前に来たら志摩子さんと乃梨子ちゃんが待ってて、それでお弁当開こうとしたら志摩子さんが御箸を取りに行って、その直後に瞳子が顔を真っ赤にして暴れながらやってきたんだよねー。うーん、瞳子ったらなんで暴れながらやってきたんだろ」

 そう思案顔で細かな情景描写まで加えて私に説明して下さった、我らが紅薔薇のつぼみ。って、あれ。
「祐巳さま、さっきのところをもう一度説明してもらえますか」
「さっき?志摩子さんが御箸を取りに行ったのは乃梨子ちゃんも見てたじゃない」
「いえ、もう少し前です」
「前って言うと、薔薇の館の前に集合?」
「前過ぎます」

 わざとじゃないよね、と思いながら祐巳さまの顔を見る。顔見た方が早いとも言う。
「んーと、志摩子さんがうちのクラスに乱入して日本舞踊」
「どういうエピソードですかっ、さっきの回想には無かったじゃないですか。と言うかそういう授業なら呼んで下さいっ」
「乃梨子ちゃん、本音出てる出てる」
 はっ。いけない、いけない。思わず本音が。
「そうじゃなくて、昼休みの冒頭ですっ」
 赤くなりながら無理矢理本題に持って行く。
「んーと、普段通り授業を受けて、昼休みに…」
「ストップ」

 あ、違和感覚えたのはここだ、きっと。
「何?」
「普段通りとおっしゃいましたか」
「うん、普段通り、先生が泣きながら授業してるのを生暖かく…」
「いえ、その先はいいですから…」

 普段どんな授業になっているのか聞きたかったが、怖くなったのでやめた。
 いや、今はそれよりも確かめないといけないことが。
「祐巳さまは、朝に私と瞳子に伝えるとお姉さまに約束されたんですよね?」
「うん、したよ。瞳子とも話したかったし」

 そこだけ聞くと、瞳子も喜ぶんだろうけど。
「祐巳さま、普段通り授業を受けられて…、うちの教室には見えられてなかったみたいなんですけど」
「あれ?行ったよー。椿組」
 あれ、伝えに来てなくて瞳子が怒ったんだと思ったんだけど。いや、待てよ。
「でも私は休み時間の時には、お会いしませんでしたけど」
「あー、椿組の前に行ったら他の生徒に囲まれてねー。丁度良いやって、校庭で昼食会するけどみんなどう?って誘ったんだよ。なんか廊下に人多かったから、移動教室だったのかな」

 そういえば4時間目は家庭科だった。あの時に来たのか。
 他の生徒が、特にうちのクラスの生徒がこの場に多いのは納得。みんな伸びてるけど。
「じゃあ、直接には伝えてらっしゃらなかったんですね」
「あ、そうだね。みんなから伝わると思って。それに移動教室だと話す時間も取れそうになかったし」
「きっと瞳子には伝わってなかったんだと思います。私もお姉さまに連れられてここに来る途中に聞いたんですから」

 おそらくは、私も瞳子も山百合会の役員だから知っているだろうということでみんなが言わなかったのと、4時間目の前で時間がなかったこと、それに今日の瞳子はいつもと違って薔薇の館でなく演劇部の方に行く予定があったこと、それらが合わさって伝わらなかったんだろう。
 それで昼休みに誰かから聞いて、瞳子は今に至る、と。

「そっか、典さんも来てたからてっきり伝わっていると思ってたよ」
 何やってるんですか、そこで伸びてる演劇部の部長さんは。
 と、いうことで色々な(瞳子にとっての)不幸が積み重なって招いた結果であり、今回に関しては誰が悪いって訳でもなさそうだけど。

「あ、そういえば」
「なんですか。祐巳さま」
 嫌な予感を感じながら、そして暴れながら近づく瞳子の怒気を肌で感じながら聞き返した。
「そういえば今日の昼休みは、デートの打ち合わせやろうって言ってたっけ。瞳子の練習もあるから少ししか時間取れないけどって、部室棟の方で」


 ちょと待て、たぬき。


「そ、それっていつのことですか」
 ひゅんひゅんと風を切り裂く様な音が近づいてくるのを背中に聞きながら、思わず振り返って尋ねていた。
「んと昨日かな、朝になんだか疲れてるみたいだったから気分転換に誘おうと思って。思いつきだったから具体的には決めてなかったからね。ああ、忘れてた」
「疲れてるって、あの、目が赤かったとか言う…」
 首や足に紐状のものが絡みつき、徐々に締まっていくのを感じながら更に問いかけた。
「あ、うんそうだよ。頑張り屋なのはいいけど、夜更かしはいけないよね」

 そうですよね。はい、全くいけませんよね。
 言う暇もなく、体が宙に浮くのを感じる。本日何度目かの感覚。なんだか今度は起きあがる気力も出なさそうです。ああ、来る時に話していたお姉さまお手製の里芋の煮っころがし食べたかったなあ。

「あ、瞳子」
 体の周りに縦ロールなんだかドリルなんだか分からないものが近づいているのを知ってか知らずか、普段通りに自分の妹に呼びかけているたぬき、もとい祐巳さま。もうなんだかこのまま瞳子に成敗された方がいいような気がしながら、私は薄れる意識の中で瞳子が元に戻ることを願っていた。

ぽすっ。
柔らかな感触の後、私は空を飛ぶのを止めていた。地面にぶつかったと思ったけれど、そうではないらしい。
「あらあら、乃梨子も瞳子ちゃんも元気ねえ」
 聞き慣れた声がして、目を開けると女神さまが微笑んでいた。そして私は意識が闇に沈むのを感じながら祐巳さまのいつもの明るい声を耳にしていた。
「丁度良かった。あのね、瞳子…」



「まったく!お姉さまはまったく!」
 瞳子の声だ…。寝ぼけている様な感じを覚えながら私は目を覚ました。

「んにゃ…」
「あら乃梨子、目を覚ましたわね」
 天から女神さまの声が聞こえる…。頭に柔らかな感触…って、えっ!

 がばぁっ。

「急に起きると危ないわよ、乃梨子」
 女神さま、もといお姉さまのアップが鼻先にあった。危ない、危ない起きた拍子にぶつかる所だった。と言うか、この体勢はかなり幸せ、もとい興奮、じゃない近づきたい、違った押し倒したい、でもなく…ああ、そうだ、恥ずかしい。かなり恥ずかしい。うん、この上なく恥ずかしい。恥ずかしいに決まっている、などと思考を巡らせていると。
「乃梨子、大丈夫?うなされていたけど」
 心配そうな顔でお姉さまが聞いてきた。あ、そうだ。
「瞳子…は」

 さっき、瞳子の声がした方を向いてみると、祐巳さまと瞳子が並んでお弁当を食べていた。瞳子は変わらず顔を赤くして「お姉さまはまったく!」と繰り返しながらも、おとなしくお弁当を頬張っていた。えーと、何があったんだろう。

「乃梨子、あーんして」
「へ」
 お姉さまにいきなりそんなことを言われて、我ながら間抜けな声を上げて振り向くと、私の半開きになった口にお姉さまが里芋をぽんと入れた。

「おいしい?」
 そう言って小首を傾げて微笑むお姉さま。そんなことをされた私は黙って頷きながら食べるしかなかった訳で。



 数日後、発行されたリリアンかわら版の見出しにはこう書かれていた。

『美しき姉妹愛と和やかな昼食会』
 そこには仲良く並んでお弁当を食べたり、おかずを交換したりする祐巳さまと瞳子の写真があり、暴れるの『あ』の字も無かった。

「なんじゃこりゃー!」

 他の生徒の目もはばからず玄関前で叫んでいた私に祐巳さまが声をかけてきた。
「乃梨子ちゃん、古いの知ってるんだね」
「何のことです?」
「分からないならいいや。最近お父さんがビデオで見ててね」
「はあ」

 たぬきに化かされるリリアンの、明日はどっちだ。


一つ戻る   一つ進む