乃梨子編 【No:2672】
本編 【No:2663】→【No:2664】→【No:2665】→【No:2666】→【No:2668】→【No:2669】→ これ。
■■ SIDE 蓉子
ポポが居なくなって、それから適当に解散になった。
実を言えば乃梨子ちゃんと志摩子の痴話喧嘩で被害が出ないようにと、逃げて来たのだ。
適当に帰っていた学園内で、私はどうしようかと考える。
妹と孫がいないから。自分が帰っていいものか、思いあぐねているのだ。
お節介だという事は重々分かっている。だけど、やっぱり心配になってしまう。
「どうしようかしら……あら?」
ナイスタイミング。
前方から自分の妹が歩いてくる。それも、1人で。
私は声を掛けて呼び止めようとして……固まった。
祐巳はこっちを見て驚いた顔をしていたけれど、その瞳には涙が流れていた。
こんなの、どう見ても尋常ではない。私は祐巳に駆け寄った。
「祐巳!どうしたの?」
「おねえさ、ま……」
祐巳はたどたどしい喋り方で、その表情は不安がちらついている。
泣いているのに、今さらになって泣きそうな表情をする。
私は祐巳を抱きしめようとして……祐巳に止められた。
青白い手で私の腕を両手で抑え、抱きしめようとした私の腕を否定した。
「……温室に、祥子さまが、います…」
「祥子ちゃんが?」
「行って……あげてください」
温室?という事は、祐巳が祥子ちゃんを置いてきたのよね?
でも喧嘩して置いてきた祐巳がこんなに泣いている。
どうして?
でも、今はそれよりも祥子ちゃんが心配だった。
祐巳が心配するのだから、きっと祥子ちゃんも酷い状況に違いない。
だけど、どうしても祐巳を放っておく事もできなかった。
「でも、」
「いいんです、私は。だから……祥子さまを」
「…………分かった。けど祐巳、今日は私の家に泊まりなさい」
「え……?」
「薔薇の館で待ってて。勝手に帰っちゃだめよ?」
「…………はい……」
私は祐巳の背中を押して、祥子ちゃんのもとへ向かった。
祐巳は夜に。そして今は祥子ちゃんを。
私は不安過ぎる感情を隠さずに走り出した。
■ ■ ■
温室で、祥子ちゃんは呆然としていた。
薔薇を見ているのに、その瞳にはなんの表情も映されてはいない。
私は祥子ちゃんに近づいて、そっと肩に触れた。
「ぇ……」
「驚かせてしまったかしら?」
「蓉子さま……」
不思議ような瞳を、すぐに悲しい色に変える。
きっと祐巳に頼まれたという事がバレたのだろう。鋭い子だから。
私は祥子ちゃんをレンガの上にちょんと座らせ、自分も並んだ。
「祐巳は、何て?」
「……聞いてないのですか…?」
「あの子、基本的に相談なんてしないから」
「…………」
俯いて、唇を噛み締めていた。
膝に乗せた手は、祐巳と同じで青白かった。
私はその手を掴むと、血行をよくするために優しくほぐす。
驚いた顔が徐々に歪んでいった。
「蓉子さまぁ……」
私に抱き付いて、祥子ちゃんは泣いた。
あのプライドの高い祥子ちゃんがこんなに取り乱して泣いている。
それだけ祐巳が好きだったのだろう。私は自分の大切な【孫】を抱きしめた。
お姉さまは、私の、お姉さまなのに……
なんだか、違うんです。
お姉さまなのは分からないのに、どうしても、あの【記憶】が邪魔をして……
あの子は、【あの子】のはずがないのに。
訳が分からない。
私が夢なのか、夢が私なのか……!
嗚咽を漏らしながら、祥子ちゃんは口惜しがって、泣いていた。
大切な祐巳を理解できなくて。大切なお姉さまを傷付けてしまって。
どう接すればいいのか、どんな言葉をかければいいのか、分からなくなる。
「祥子ちゃん、夢について、聞いてもいい?」
私だって同じ穴の狢だ。
【祐巳】が【誰】なのか分からない。
勿論、【祐巳】は【祐巳】だから私の妹にしたけれど、違うのよね。
私は知らないはずの【祐巳】を知っている。そんな、既視感。
「夢、は………」
「もしかして、祥子ちゃん、貴女が祐巳のお姉さまだったり…する?」
「!?」
ビンゴ。なら、私の【夢】もそう妄想やら想像の塊じゃないわけね。
祥子ちゃんは呆然と私を見つめた。
どうして知ってる?そう尋ねてくる瞳が祐巳にそっくりだった。
私は苦笑して祥子ちゃんの頭を撫でた。ううん、【祥子】を撫でた。
「夢は置いといて、1つだけ言える事があるわ」
「………なんでしょう?」
「ふふ。祥子、【ここ】は【今】が現実なのよ」
「?」
「分からないならいいわ。今日は疲れたでしょう?早く帰りましょ」
私はそういって祥子を促した。
今日の夜にでも頭の中を整理して、また話し合いましょう。
それだけ付け足すと、安堵して祥子は帰路につく。
もっと話していたかったけれど、流石に祐巳を放置しておくわけにはいかなしね。
祥子が校門で車に乗り込むのを見届けて、私は薔薇の館へ戻った。
■■ SIDE 由乃
乃梨子と志摩子さまが衝凸している。
あ、字を間違えた。これじゃ字面的にあの凸を守ってるみたいじゃない。駄目だめ。
とりあえず、乃梨子と志摩子さまが喧嘩を始めたので、皆で解散する。
蓉子さまはさっさと出て行ってしまって、まぁ紅の姉妹が気になってるとは思うけど、私も撤退。
令ちゃん?あれは供物にと置いてきたわよ。
大切な妹の為に死んで時間を稼ぐなんて、とっても格好いいわよー。とか言っておく。
鞄を振り回しながら、私は帰ろうとして―――祐巳さまに出会った。
「あ、祐巳さま。蓉子さまが……って、え?」
「由乃…さん……?」
な、泣いてる……!? 私は普通にパニックに陥った。
比較的仲の良い先輩に当たる人が泣きながら歩いていれば驚くのも当然である。
祐巳さまは頬を濡らしまくって、制服の胸元まで湿らせていた。
「ど、どうしたんですか!?転びました?祥子がいじめました!?」
「違……由乃さん、ちょっと落ち着いて……」
「落ち着けって…冷静そうに見えて祐巳さまの涙、止まってませんけど……」
「ん、なんかね、止まんないの」
「いやいやいや、そんな明るく……」
強い人だ。涙を拭う事もせずに笑っている。泣いているのに。
とりあえずここでは凸とかヘタレとか来たら大変なので、薔薇の館へ静かに戻り、倉庫に飛び込んだ。
文句を言う事もせずに、祐巳さまは私に主導権を渡してくれていた。
もしかしたら、そんな逆らう程の気力すらないのかも知れなかった。
埃っぽいけれど、ここなら誰も来ない。多分。
電気を付けたら気配があってバレるかもしれないと危惧し、薄暗いまま。
………ごき■り、なんて出ないわよね?出たら私まで泣くんですけど。
私は壁などを凝視した。
「大丈夫、こないだ祥子さまが勝手に業者呼んで掃除してたから」
「そうなんですか……って!いいんですか?」
「綺麗になるんだからいいんじゃない?」
「そうですね」
うん。綺麗に越した事はないよね。
私は溜息を吐くと、財力が無駄にある親友にちょっぴり感謝した。
こんな風にギャグっぽい事をしていても、祐巳さまの雨は止まない。
笑っているのに、こんなに楽しそうなのに、涙が止まらない。
一種の病気のように、本当に病的なまでに奇妙な光景だった。
「それで、どうしたんです?」
「……ちょっとね。」
「……………」
私は、少しだけ真面目になって考えた。
祐巳さまという先輩であり仲間が悲しんでいるけれど、私は、踏み込んでいいのだろうか。
誰にだって、無視して欲しい一面や忘れたい事は必ずあるものだ。
私はその傷に触れてもいいまでに、祐巳さまにとって【内側】の人なのだろうか。
だけど、それでも……支えて欲しいと思う時がある事だって事実じゃないか。
人は……とても弱い生き物だから。独りでは、とても立っていられないから。
私は意を決して、祐巳さまの涙を拭う事にした。とりだしたハンカチをそのまま頬に当てる。
「…………………ありがとう、由乃さん」
「いいえ。これくらいしか出来ませんから」
「ううん、とっても……嬉しいよ」
「…………」
やっぱり可愛らしい人だなー。
いつまでも止まない雨を拭いながら、私は取りとめのない事を話した。
銃刀法が改正されれば、この日本で無力を嘆いて死んでいく人が減るのではないかとか。
私も刀を持って、令ちゃんみたいに戦って、皆を守りたいとか。
祥子が呆れて聞いてくれなくなるような話を、祐巳さまは笑顔で聞いてくれた。
「由乃さんらしい」と言ったり、「由乃さんならきっと強くなれるよ」と言ってくれたり。
私にしたらとても充実した話題だけど、祐巳さまはどうなんだろう。
いつまでも雨は止まない。
だけど、その表情はいつまで経っても曇ることはない。
「―――なんですよ。どう思いますか?祐巳さま」
「うん、そうだね…………ねぇ、由乃さん」
「なんですかー?祐巳さま」
そろそろハンカチの意味がなくなってきた。絞ったほうがいいかな?
というか、こんなに泣いていたら目が痛くなったりしないの?私はなった事ないから分からないけど。
祐巳さまは突然私の手を掴み、ハンカチを下ろさせた。
大して抵抗をする事もなく、私はそれに従った。
そろそろ限界だったのかな。これ以上は私といても気を遣うだけなのかな。
ちょっとだけ……胸が痛かった。
「お願い、してもいい?」
「はい?」
私は聞き返した。戸惑ったものの、暫くして納得。
もしかしたら独りになりたい、というお願いなのかもしれない。
言われた時は素直に快諾しよう。気を遣わせないように、ね。
「ちょっとだけ……耳を塞いでて……」
「? はい」
意味が分からないけれど、やっぱり素直に耳を塞いだ。
両手で塞いで、筋肉とか血液の流れる音がゴーって聞こえる。
どうしたんだろう?
そう思ったや否や、私は抱きつかれていた。勿論、祐巳さまにだ。
「………ね、……子……で」
「?」
ああ、なんだかやっと理解した。
祐巳さまは、今から言う事を私に聞いて欲しくなかったんだ。
泣きたいけれど、言いたい事があるけれど、誰にも聞いて欲しくはなかったんだ。
私はもどかしい思いで両手に力を入れた。
もぅ2本、腕があれば抱きしめてあげられるのに。
必死に縋りついてくる祐巳さまは、本当に【子供】のように華奢だった。
こんなに細い身体の、一体どこにあんな強さがあったのだろうか。
「………………ごめん、由乃…………ありがとう………」
そんな呟きが聞こえて、私の心が温かくなる。
役に立てた。どうしてだか分からないけれど、とてもそれが誇らしかった。