乃梨子編 【No:2672】
本編 【No:2663】→【No:2664】→【No:2665】→【No:2666】→【No:2668】→【No:2669】→【No:2673】
→【No:2674】
■■ SIDE 江利子
私の所にその知らせが届いたのは、夜の21時くらいだった。
テレビを見ながらぼーっとしていた私の元に、父親が電話を持ってやってきた。
曰く、蓉子が事故にあった。
曰く、意識が戻らない。
私は薄手の上着を羽織ると、父親にすぐに車を出すように言った。
用意している間に聖にも電話をし、現地集合となった。
病院で待っていたのは、真っ赤な目をした祐巳ちゃんだけ。
この子が私に連絡をくれたのだから当然か。
兎のように真っ赤な目は、とても泣き腫らしたという事が伺えた。
私は集中治療室の前で座っていた祐巳ちゃんの隣に腰掛けた。
「蓉子、どう?」
「……………お医者様の話しでは、頭を打ってるって……」
「そう」
それだけを言うと、祐巳ちゃんは膝を抱えて俯いた。
志摩子と乃梨子の問題が適当に解決して、すぐにこれだなんてね。
もぅ訳が分からない。
暫くして血相を変えた聖が走ってきて、祐巳ちゃんと私を見つけた。
いくら聖でも今の状態の祐巳ちゃんに事故の詳細を聞く事はできないようだった。
しかし、聞きたがっている事が分かったのは、祐巳ちゃんから話しだした。
「お姉さ、ま……夢魔に襲われたようなんです……」
「夢魔に?」
「……………はい」
それだけ。たったそれだけしか言えないようだったけど、もぅ十分だった。
泣きはらした目なのに、何故か泣いていない事を疑問に思ったけれど、何もいえない。
おそらく、一番辛いのはこの祐巳ちゃんなのだから。
今の私達には、蓉子が回復するのを待つ他に何もできなかった。
集中治療室から蓉子が出てきたのは、23時ごろだった。
その頃には他に来てくれた後輩達も帰ってしまっていて、ここには5人が残された。
私と聖と祐巳ちゃんと祥子と、蓉子のお姉さま。
妹が事故にあったと聞いて他県から飛行機に乗ってかけつけてくれたのだ。
ベッドに乗せられたまま出てきた蓉子には、所々包帯がまかれていて。
蓉子のお姉さまが泣き崩れそうになった。
「紅薔薇さま……」
「……ありがとう、祐巳ちゃん…」
「いいえ……」
個室の病室まで移動させられた蓉子はまだ眠っていたけれど、もぅ心配はいらないと言われた。
目を覚ませば問題はない。そう、言われた。
なんとも言えない沈黙が、この微妙な大きさの個室を占領していた。
夢魔に対する憤り。こんな事になった事に対する後悔。そして、無力を嘆く。
その瞳には何も映さなくなってしまっている祐巳ちゃんを見て、私は祥子の背中を押した。
「え?」
「……祐巳ちゃん、支えてあげて」
「でも……」
「いいから」
祥子と祐巳ちゃんが喧嘩をしていた事は知っている。
だけど、今まで祥子が此処に残っていたという事は祐巳も心配だったからだろう。
なら喧嘩なんて放って置いて、今は祐巳ちゃんを抱きしめてあげる方がいい。
きっと蓉子もそう思っているに違いないのだから。
「お姉さま……」
「……ん?なぁに祥子」
「……………?」
祐巳ちゃんは、とても【普通】だった。
その場にいた全員が、きっと首をかしげたに違いない。
だって、そこに居るのは、赤い目をしているだけの【祐巳ちゃん】だったのだから。
祥子は戸惑った様子で祐巳ちゃんに近づく。
首をかしげる祐巳ちゃん。もしかして、祥子に心配をかけないために――?
しかし、違った。
「大丈夫だよ、お姉さまは直ぐに目を覚ましてくれるよ」
「………っ!」
笑っている。表情がよく出るあの祐巳ちゃんが、ワラッテイル。
無邪気に笑う祐巳ちゃんが、異様なものに見えた。
しかし妹として立ち向かう事にしたのか、祥子が踏み出し、祐巳ちゃんを抱きしめた。
疑問符を頭上に浮かべる祐巳ちゃんは、すぐに納得して祥子の頭を撫でた。
まるで祥子が泣くのを宥めるように。
「……お姉さま、無理は止めてください」
「むり?」
「っ!……蓉子さまが事故にあって、悲しいのでしょう…?」
祥子がくじけそうだった。
あんなに脆く見えていた【あの子】が、恐ろしいくらいまでに強くなっている。
でもそれは本当の強さなのか。今の私では分からない。
「ううん、悲しくないよ。だって少しだけ眠ってるだけでしょ?」
祐巳ちゃんのあくまで【普段どおり】の声音が、この場にただ異様に響いた。
■■ SIDE 志摩子
蓉子さまが事故にあった。
私は初めて夢魔に恐怖を抱いたし、訳もなく原因を追究しようとした。
過去の原因を解明した所で現在という未来が変わる事がないのは分かっているのに。
どうして人は、何かを求めずにはいられないのか。
今日は乃梨子と喧嘩をした。
他にもお姉さまがいるという事を教えてくれてなかった。
とても悲しかった。
どうして教えてくれないのか分からなかった。
詳しくは説明しようとしない乃梨子。
結局喧嘩別れをした。
私は書きなぐる。
今日という悲しみの続いた日の、反省文を。
蓉子さまが夢魔に襲われた。
乃梨子はどうしていたのか、乃梨子はただ呆然としていた。
だんだん表情のなくなる祐巳が怖くなる。
どうして、あそこまで乃梨子は呆然としていたのだろうか。
乃梨子なら状況は把握しているんじゃないのか。
真っ青な顔。
泣き腫らした祐巳の瞳とは正反対で、でも祐巳は乃梨子より顔面が蒼白だった。
何かを堪えるように握った手。もどかしそうな祥子ちゃん。
私が机に向かっていると、窓が遠慮がちに叩かれた。
ぼんやりと浮かんでいる陰には、1対の羽。
私はこの子を迎え入れた。
訳が分からない。
乃梨子も、私と同じ心情のようだった。
私の腕の中に飛び込んできて、乃梨子は泣いていた。
子供のように縋りついてくる乃梨子を、私は力一杯抱きしめる。
守れるはずだったのに。私は、私はまた守れなかった。
…お姉さま……ごめんなさい………。
それは誰に対する謝罪なのか。
私なのか。それともアウリエル7代目と呼ばれる人なのか。
私はただ抱きしめる。
この無情な世界から庇うように、ただ、ただ……。