そろそろ出さないとついていけなくなると思います。
祐巳編 【】 弐 【】
蓉子編 【】 弐 【】
祥子編 【ここ】
乃梨子編 【No:2672】 弐 【】
由乃編 【】
本編 【No:2663】→【No:2664】→【No:2665】→【No:2666】→【No:2668】→【No:2669】→【No:2673】
→【No:2674】→【No:2675】→(【No:2676】)→【No:2679】→
初めて出会った時、私はなんとも不思議な感情に見舞われた。
知らない。知らない人なのに、どうして、会いたかった、だなんて。
涙がふいに溢れてしまった。
相手は寝ているだけの、あどけない表情を晒しているだけの、ただの上級生。
胸が高鳴って、私はこの動悸をどう取ればいいのかすら分からない。
痛い。心臓が痛い。
なのに心がホカホカしていて、無性に涙が止まらない。
どうして。
この人は、誰なの。
「んん………?」
瞼が震えて。その中から綺麗に澄んだ瞳が覗いて。私を―――見た。
その瞳はまだ寝ぼけているようだった。ぼんやりと、焦点が合っていない。
だけど、とても、それは、私の鼓動をかき鳴らした。
「お姉さま……?」
「え?」
その上級生は、私をぼんやりと霞んでいるであろう視界で私をこう認識した。
【お姉さま】。それは、この学園特有の、姉妹制度の呼び名。
「お姉さま……っ」
ツインテールが幼い印象を持たせる上級生は、私を見て頬を緩ませた。
ふらつく足で私のところまで遣ってくると、その人は私を押し倒す形で抱きついた。
芝生に2人、倒れこむ。
私としては不思議なことに、無造作に抱かれているのに、嫌悪感が沸かない。
お腹に顔を押し付けてくる上級生の頭を、私は自然な手つきで撫でる。
それが、当然であるように。
ああ、私はこの子の名前を知っている気がする。
そんなはずはないのに。出会った事があるのなら、この感情が分からないはずないのに。
でも、理屈ではないけれど、知っている。
「―――――会いたかったわ……祐巳………」
■■■■■ ■■■■■
私は高等部に上がる時も、大した感慨は浮かばなかった。
だって、そう変わるものではないでしょう?
お稽古事も家の手伝いも、周囲の私を見る目も。
小笠原祥子。
それが私の肩書きと、周囲との距離を定めていた。
「どうしたの?祥子」
「………え?」
私にこう自然に声をかけてくるのは、今の所独りしかいない。
中等部から持ち上がりの二条乃梨子。クラスメイトだ。
彼女はその人が誰であれ、全て対等に見ている。そんな、不思議な人。
「……いいえ、ちょっと考え事」
「そう?」
乃梨子は深く追求せず、でもそれが樂でよかった。
日本人形みたい―――そういうと、彼女は困ったようによく笑う。
「じゃぁご飯食べようよ」
「ええ」
家の者が作ったお弁当を携えて、私は乃梨子の後を追った。
私の頭の中を占拠しているのは、どこまでもあの上級生のことだった。
■ ■ ■
「あらあら……祐巳ったら」
それから暫くして、あの上級生の本物の【お姉さま】が現れた。
驚いたことに、あの有名な紅薔薇さまだった。ということは、この上級生は蕾ということに。
紅薔薇さまは私を押し倒してなお眠る少女を見て微笑んだ。
そして私の顔を見て、話しかけてくる。
「疲れていたものね……ごめんなさい、もぅ暫く枕になってあげてくれないかしら?」
「……え?」
起してくれると思っていた矢先に頼まれた頼み事に、私は戸惑った。
普通、こういう状況に出くわしたら起したり助けるものではないだろうか?
そう思って紅薔薇さまに視線を送ると、紅薔薇さまは「ああ…」と説明してくださった。
「祐巳がこうして安心して眠るのは、大好きな人の傍だけだもの」
「?」
「たとえ寝ぼけていたとしても、祐巳は大切な人以外が近づいたら起きるわよ」
「はぁ………」
それは暗に、自分は近づいても起きない、と言っているのだろうか。
でも言っている意味はなんとかく理解できたから、私はそのまま上半身を起すだけにした。
祐巳。そう呼ばれた上級生は、私のお腹に抱きつくように眠っている。
「ところで、貴女は祐巳の知り合いなの?」
「いえ、初対面、です」
「ほんと?」
「はい」
さて困った。そんな表情をしていた。
そんな風に考え込むというのなら、さっき言っていたことは本当なのだろう。
だけど、どうして私に抱き付いて眠っているのだろうか?この……祐巳さまは。
祐巳さまの顔を見ていると、私の心は自然とほぐされる。
なんでだろう。
暫くして、祐巳さまは目を覚ました。
ゆっくり起き上がって、目を擦りながら私を見て、目を見開いた。
「―――お、おね……!?」
「はい?」
祐巳さまは私を見て口をパクパク、そして無造作に首掛かっていたロザリオを渡した。
これには紅薔薇さまだけでなく私も驚きである。
「私を妹に―――違った、私の妹になってくださいっ!」
「え、あの、祐巳、さま?」
随分と必死にロザリオを手渡す祐巳さま。
と、紅薔薇さまが助け舟を出してくださった。
向かい合って座る祐巳さまの肩にポンっと手を乗せて。
「祐巳、ちょっと落ち着きなさい」
「お姉さま!?いらっしゃったんですか!?」
「さっきから居たわよ」
驚く。呆れる。
そんな表情の遣り取りをしていても、祐巳さまのロザリオは私に突き出されたまま。
紅薔薇さまは祐巳さまに視線を戻し、説明を促す。
「この子と、知り合いなの?」
「はい!―――えと、運命の人です!……?」
「自分で言って首を傾げないの。ほら、この子も困ってるわ」
「で、でも、他の人にとられる前に!祥子さまを私の妹に―――私が姉に!?ええ!?」
「…………ちょっと、落ち着きなさい」
私も同意権だった。とにかくロザリオを下ろさないかしら?
混乱しまくっている祐巳さま。……そういえば、祐巳さまは私を知っているのだろうか?
「祐巳、この子のことを知っているの?」
「当然です!小笠原祥子さま。たまに癇癪を起しますが、とっても優しいお方です」
「ちょっとお待ちください。―――誰が癇癪持ちですか?」
「ひぅ!……すすすす、すみません祥子さま!」
素敵に失礼な人だった。………なんで知っているんだろう?この人。
祥子さま、となぜか腰の低い上級生は、どうしても私を妹にしたいらしかった。
私も……この人の妹になりたいと思っている。
だけどなんだか……否定したがっている自分がいるとこも確かだ。
その理由が不思議で、なんだか……祐巳さまは妹な気がするのである。
私も失礼、だけど。
「祥子さま」
「―――え?」
考えに没頭していると、祐巳さまがやけに真剣な瞳で私を見つめていた。
ドキンと、胸が高鳴る。姿勢が正される。
「私の、妹になっていただけませんか?」
「……………」
再度ロザリオを突きつけられ、私は固まった。
断れない。頷いてしまいそうになる。だけど、本当にいいのだろうか?
理性が私に働きかける。こんな突拍子もない人と姉妹になっていいのか、と。
私が悩んでいる間、祐巳さまはずっと泣きそうだった。
泣かせる。私が?最愛の祐巳を?
―――さいあい?誰の?
「駄目……ですか?」
「……っ!」
は、反則ですわ!
小動物のようで可愛らしい瞳にいっぱいの涙を浮かべていた。
これは泣き落としだと思う。こんな顔をされて、断れる人を見てみたいわよ!
「…………お、お受けしますわ」
「!!」
ぱぁぁ…!っと、まるで華が咲いたように満面の笑みを浮かべた。
断らなくてよかった…!そんな事を心底思わせるこの人が凄い。
「じゃ、じゃぁ、掛けてもいいですか?」
「………どうぞ」
座ったまま、私は祐巳さまよりロザリオを授かった。
掛け終わった時の嬉しそうなお顔。
その表情に、私の中にあった不安や躊躇いは全て消えうせた。
「これからよろしくお願いします、祥子さまっ!」
「よろしくお願いしますわ、お姉さま」
「ええ!?」
「な、なんで驚くんですの!?」
「お、お姉さまって、わた、私が!?」
「貴女が申し込んだんじゃありませんの!」
「そそそ、そうなんだけど、うわわわわっ」
「なんなんですの、もぅ」
楽しい。いろんな表情をする祐巳さま、お姉さまと一緒にいるのが。
今までにないくらいに心が穏やかになって、私の頬が緩んだ。
この人の妹になってよかった。
紅薔薇さまがずっと困ったように見ていたけれど、その表情はどこまでも優しげだった。
■ ■ ■
「そういえば乃梨子」
「なにー?」
「私、紅薔薇の蕾である祐巳さまの妹になったの」
「え!?」
乃梨子はお弁当を食べていた手を止めて、私を凝視するように見つめた。
心底驚いている乃梨子。それもそうかもしれない。なんせ突然の出来事に自分でも驚いているのだから。
私は苦笑しながら置いてあったパックの飲み物からお茶を飲む。
「………どういう経緯か、聞いてもいい?」
「寝ていたところを見初められた、からかしら?」
「? 寝ていたって、祥子が?」
「いえ、お姉さまがよ」
「…………」
乃梨子は複雑そうな顔をする。
そして私の顔を交互に見て、小さく嘆息した。
「全てお見通し、なのかな」
「?」
乃梨子はどこまでも複雑そうな顔をして、また深い溜息を吐いた。
理由は分からなかったけれど、乃梨子は納得してくれたようだ。
「それで乃梨子、放課後に薔薇の館に来るつもりはない?」
「え?」
「お手伝いに、誰か連れてきて欲しいって言われているのよ」
「………………いいよ」
「そう?」
とりあえず承諾は貰った。でも、乃梨子までお姉さまや紅薔薇さまと同じ表情をしていた。
■ ■ ■
「ごきげんy」
「ごきげんよう……?」
放課後。乃梨子と薔薇の館にくると、扉を開けた瞬間に飛びつかれた。
私に向かってこんな事をするのは、ただ独りしかいない。
「まってました!祥子さまっ」
「ちょっとおねえさま!」
誰かが見ているともしれないこの館の前で、お姉さまは抱きついてくる。
嫌ではないのだけど、乃梨子の前だと恥ずかしい。
離れてくださいと意志を込めて力を入れると、お姉さまは乃梨子の存在に気がついた。
「ごきげんよう。私は福沢祐巳。これからよろしくね」
「…………二条乃梨子です、はじめまして」
「うん。まぁまぁ入って入って。美味しい紅茶を淹れてあげるね〜」
「紅茶なら私がおいれいたしますわ」
「駄目っ。私が淹れたいもん」
祐巳さまは私の事を慕ってくれている。それはとてもよく分かる。
だけどどうしてだろう。なんだか妹を扱うような感じがしない。
これから慣れていくだろう。
私はそう思い、お姉さまの後を追った。
それからゆっくりと、私はお姉さまという人物を知っていった。
紅薔薇さまからのアドヴァイスもあっての事だけど。
教えてもらったのは、お姉さまは、とても深い傷を持っているという事。
それに触れてしまえば、蓉子さまであってもお姉さまを深く傷付けてしまうであろうこと。
触れるのなら、心して。そう言われた。
妹だから、お姉さまに迎え入れられた存在だから、けして触れるなとは言わないけれど。
でも、祐巳を壊さないでね。……そんな、意思表示。
「お姉さま、紅茶をおいれいたしますわ」
「いいの?わぁい♪」
まだ距離はあるけれど、私はもっと近づこうと思う。
私はお姉さまの妹。それに、私はお姉さまが好きだから。
「うん、祥子さまの淹れた紅茶、おいしいです」
「ありがとうございます」
とりあえずは、呼び捨てで呼んでもらえるところから、始めましょうか。
いくら注意しても直らない、その敬語とかも。