【2691】 人生の優しさ不器用な生き方  (翠 2008-07-05 03:24:22)


 とある月曜日。
「お待ちなさい」
 銀杏並木の先にある二股の分かれ道で、瞳子は呼び止められた。マリア像の前だったけれど、勿論マリア像が喋ったわけではない。
 非常に聞き覚えのある声だった。というか、瞳子が絶対に聞き間違わない声だった。
「祥子さまの真似は似合いませんよ」
 お姉さま、と続けながら身体全体で振り向く。
「あはは。やっぱり?」
 瞳子の視線の先には、照れたように笑うお姉さま――祐巳さまの姿があった。
 ごきげんよう、と挨拶を交わして、祐巳さまの隣へと向かう。
「どうして、祥子さまの真似を?」
 祥子さまと祐巳さまが初めて出会った時の話は、以前に聞いたことがあるので知っている。
 マリア像の前にいた祐巳さまが、祥子さまに声をかけられて――という、ちょうど先ほどの瞳子と祐巳さまの立ち位置を、祐巳さまと祥子さまに入れ替えた状況だったらしい。
「瞳子の後姿を見ていたら、なんとなく思い付いた」
 何よそれ、と思いながら横顔を伺ってみると、お姉さまは悪戯っぽく微笑んでいた。
「ではなくて」
「……」
 深い溜息が、自然と零れる。お姉さまは、たまにこういうことをするのだ。二人がまだ姉妹でなかった頃にも、「季節柄そろそろ危ないと思うんだよね」と銀杏並木を歩いていた瞳子に「毛虫」を連想させ、大いに慌てさせてくれたことがある。
「ではなくて?」
 今度は騙されないように、しっかりと横顔を伺いながら先を促す。
「お姉さまぶりたかったの」
 ポリポリと頬を掻きながら、祐巳さまが答えた。
「お姉さまぶりたいも何も、ちゃんとお姉さましているじゃないですか」
 瞳子を救ってくれた。瞳子を許してくれた。瞳子を笑顔にさせてくれる。これ以上ないくらいに、立派なお姉さまだ。
「それは、わかっているんだけれど」
 ご自分で認めていらっしゃる!? とある種の戦慄を抱く。
「でも、そうじゃなくて」
 祐巳さまが、期待を込めた眼差しで見つめてくる。主に、瞳子の胸元を。
「……なるほど、ようやくわかりました」
 瞳子の言葉に、祐巳さまの表情がパッと輝いた。
「わかってくれたんだ?」
「ええ。できれば、わかりたくありませんでしたが」
 えー、酷いよ、と拗ねる祐巳さまを見て、瞳子はクスリと微笑んだ。
「私のタイを直したかったんですね」
「……うん」
 祐巳さまにとって、タイを直す、という行為は、姉妹間の特別な儀式のようなものらしい。
 祥子さまに注意されて、よく直してもらっていたから。
 それが、とても嬉しかったという記憶があるから。
 それが、暖かなものだったから。
 それを、瞳子と共有したかったのだそうだ。 








「ところが、私のタイはいつも綺麗に結べているので、直す必要が全くないんです」
「えええええーーーーっっ!?」

 ここまできて、それはないよー! と大声を上げる祐巳さまに、瞳子は意地悪く微笑んでみせながら、綺麗に結ばれている自分のタイを曲げた。


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