【2692】 さかのぼりたい運命の意図  (さおだけ 2008-07-05 11:48:53)


なんか凄い長いです。↓ちょっと訂正。分かり難いし。

祐巳の章  【ここ】(再会編) 【】
蓉子の章  【No:2687】(始り編) 【】
祥子の章  【No:2680】(再会編) 【No:2684】(過去編)
乃梨子の章 【No:2672】(始り編) 【】
由乃の章  【】

本編 【No:2663】→【No:2664】→【No:2665】→【No:2666】→【No:2668】→【No:2669】→【No:2673】
    →【No:2674】→【No:2675】→(【No:2676】)→【No:2679】→【No:2682】→【No:2683】→
    【No:2686】





マリア様、一体私はどうすれば良いのでしょうか。


  ■ ■ ■



もしも神というものが本当に存在するのなら、私はここに居なかった事だろう。
自らの罪は、自らで償うべし。それが今の世界の理(ことわり)で、逆らう術などない。

前世。
つまり私という存在に肉体が有った頃、私は大きな罪を犯した。
それは私が生きていた事の全てを否定したという事の他ならない。
私は、自ら死を選んだのである。
自らを殺めるという事は、どこの世界であっても有ってはならない事。
他者を殺めるというのも罪なのであるが、食物連鎖に組み込まれていればそう問題ではない。
自殺。それは生きていた事実を根本から否定し、虚無に身体を委ねたいという堕落。
辛い世界から逃げた私は、自分の中にある語彙でいうのなら【天使】というものに成り下がった。
【天使】のいる空間から見た各々の世界での、共通した時間の単位。
地上時間で、私が【天使】になってから1000年程度の時間が流れた。

【天使】としての良い師に恵まれた私は、【天使】の中でも数少ない四大天使に選ばれた。
上級天使になり、また四大天使に選ばれた私は、妹を持ち、その妹と地上に降り立った。

【天使】が、罪を償う方法は只1つ。
前世の自らの間違いを認め、心から反省する。ただ、それだけなのである。



  ■ ■ ■



「私の妹にならない?」

マリア様の前で、私はただ呆然と目の前のお方を見つめていた。
そう私に向けて言葉を放ったのは、この時代では珍しい、首筋で切り揃えられた綺麗な人だった。

転校、という形をとり夏直前に転校して来た私は、ただ懐かしいという思い出に囚われていた。
前世の私が【ここ】に通い、【ここ】で笑い、【ここ】で道を間違えた。
いや、間違えたという表現はおかしい。【ここ】で罪を犯してしまったのだ。
私の妹は中等部に編入させてあり、私は妹が進級してくるまでここを堪能するつもりだった。
無論、前世との係わりを持った人物を避けて、だが。

私がこの時代にやってきたのは、偶然ではなかった。
この時代でなければならない理由があり、ならば私は【ここ】を守ろうと思ったから。
どれだけ辛い思い出があろうとも、私には大切で、かけがえの無い場所だったから。
でも、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。

「蓉子、さま………」

「あら、私を知っているのね?」

「…………」

転校初日である今日、私はマリア様に入念に祈りを捧げていた。
【天使】である私には分かりきった事だが、どうしても祈らずには居られなかった。
だって、マリア様が見ておられるから。

蓉子さま、つまり現在の紅薔薇の蕾は私の反応を見て小首をかしげた。
朝一から薔薇様方をチェックしてあったし、私には誰が誰なのかをちゃんと理解してあった。
だけど………だけど、こんなのって酷すぎる。

「クラスメイトから、皆様の話しは聞かされてますから……」

「そうだったの。でも改めて自己紹介するわ。私は水野蓉子。紅薔薇の蕾よ」

「私は………」

どうして?おかしいよ。だって、紅薔薇の蕾は、私のお姉さまは……
私は朝から浮かんでいた疑問を口には出さずに噛み締めた。

「福沢祐巳、です。今日から転校して来ました……」

小笠原祥子さまが、このリリアン女学園高等部にいらっしゃらない。
しかも、この蓉子さまは【天使】である私の【お姉さま】なのだから―――…





  ■■■■■ ■■■■■





懐かしい。
地上時間でざっと1000年程度【天使】をやっていた私には、ここはまるで夢のような場所だった。
私はここで笑っていたし、たくさん泣いたし、かけがえの無い仲間を持った。
どうしてこうも、運命というものは皮肉を好むのか。
何に対して怒りをぶつければ良いのか分からない。
だけど、またこの地に立てたこの喜びは、どう処理していいのかも分からなかった。

地上時間というのは、天使のいる空間での時間の定義である。
とある世界を軸におき、どれくらいの時間を過ごしたのかを計る。
あの空間は、過去も未来も全て入り混じっていた。
しかも自殺した者、つまり【天使】が生まれることで世界は変化を遂げるから、なおおかしくなる。
【天使】が生まれることによって、決められていた【世界の運命】が変わっていってしまうからだ。
個々人の運命なんて些細なものではない。
【世界の運命】とは、世界が滅ぶまでの時間なのである。



「そう、祐巳さん……祐巳ちゃんと呼んでも構わないかしら?」

「……………はい」

蓉子さまは私を見て優しく微笑んだ。
もしかしたら、私が緊張しているように見えたのかもしれない。
それは間違ってはいないのだけど、どうしても、寂しく思えてしまった。
私を一番理解して下さっていたお姉さまなのに、もぅお姉さまではない。

「急にごめんなさいね、祐巳ちゃん」

「いいえ、ちょっと……驚いただけです」

「そう?」

私は自分の中にあった考えの全てを放棄しようと試みた。
だって、このままでは【私】が壊れてしまう。
【お姉さま】も【お姉さま】も全て今だけ忘れて、私は【福沢祐巳】にならなければならない。
大切な思い出の上に今の【私】が生まれているのだから、尚更。

「理由を、聞いてもよろしいですか?……蓉子さま」

涙なんていらない。
また会えて嬉しい。そして、また【妹】にしてくれようとして下さって、嬉しい。
他に何を思えるというのだろうか。この、【私】が。



  ■■ SIDE 蓉子



なぜなのか、私は困惑というものにとり付かれてしまっていた。
マリア様の像の前で一心不乱に祈る少女。
ツインテールという子供っぽい髪型なのに、なぜだか私には神々しく見えた。
見蕩れること幾許か。私は無意識に胸元のロザリオを握っていた。
この少女の首に、このロザリオを。
生唾を飲み込んだ私は、ゆっくりと少女に近づいた。
幸い周りには人影らしきものは見当たらなかったし、気配に気付いて少女はふと顔を上げる。
手始めに、その可愛らしい顔に浮かび上がったのは、【驚き】。
私という人物を認識されて驚かれるのには慣れていたけれど、なんだか違った。
それを自覚したのは、次に少女の顔に浮かんだ【歓喜】、いや、【感涙】。
泣きそうにまで歪んだ表情は、私の存在を認めてくれていた。
そして、またも私は無意識に動いていた。

「私の妹にならない?」

「!!」

唖然とした思いをすぐに逡巡させ、目を泳がせた。
そして、私はここでようやく【転校生】の話しを思い出したのだった。
この中途半端な時季にやってきた転校生は、とても憂いを帯びていたという話し。
聖なんかがとても興味深そうに江利子から話しを聞いていた。

「蓉子、さま………」

「あら、私を知っているのね?」

「…………」

どうしよう。そんな感情が全て顔に書かれていた。
けれど違和感を感じたのは、本当に彼女が【転校生】なのかという事。
江利子の手に入れた情報とよく一致している所があるとはいえ、この子は【私】を知っている。
転校生が普通、この学園のちょっと変わった風習などを知っているだろうか?
教えられたとしても、すぐに順応できるまでに理解できるだろうか?
違和感が、生まれ続けた。
視線を地面に向けている彼女は、搾り出すように話しを続けた。

「クラスメイトから、皆様の話しは聞かされてますから……」

「そうだったの。でも改めて自己紹介するわ。私は水野蓉子。紅薔薇の蕾よ」

「私は………」

止まる。止まったのは、私か、彼女か、それとも世界か。
一瞬のように短い時間を、とても長く体感した。

「福沢祐巳、です。今日から転校して来ました……」

【転校生】、そして【福沢祐巳】。
何かがどこかに嵌って音をたてたのに、私は気付かない。
名前を告げる時に見せた彼女の苦痛を訴えるような響きが、ただただ私を占領していた。


  ■ ■ ■


結果から言って、彼女は、つまり祐巳ちゃんは私の誘いを断った。
あんな泣きそうな顔で、断腸の思いで言われた訴えに、どうして否という事が出来ようか。
だけど彼女をこのまま放置するという事も出来なくて。
私は、彼女に『山百合会のお手伝いをして欲しい』と懇願した。



「蓉子、【転校生】ちゃんに申し込んだって本当なの?」

「まぁ……ね……」

お昼休みに、私は薔薇の館でお姉さま達と昼食をとっていた。
どこから聞いてきたのか、江利子が面白そうという感情を隠す事無く身を乗り上げてきた。
お弁当と箸を持っていた手をテーブルにそっと置く。
そして驚いたようなお姉さまの表情を見つめた。

「蓉子が?ちょっと江利子、それってどういう事なの?」

「そんな事、本人の蓉子に聞いたらどうですか?紅薔薇さま」

「それもそうね」

江利子から視線を私に向けると、お姉さまは真剣な眼差しで私を見つめる。
私はどう説明しようかと迷って……そのままを話した。
昨日の帰り際、マリア様の前で祐巳ちゃんに出会ってそのまま申し込んだこと。
理由をうまく説明できなくて、断られてしまったこと。お手伝いの承諾を貰ったこと。

「へぇ〜、その祐巳ちゃんってどんな子なの?」

「どんな子………」

聖の狙っていた子に私が先に手を出したのだ。聞きたいのは分かる。
だけど……あんな泣きそうな表情を常に浮かべていた少女のことをどう説明しろと?

「………よく、分からないのよ。なんだか…泣きそうだったから」

「泣きそう……?」

「蓉子が恐ろしいオーラを纏って脅迫したからじゃなくて?」

「違うわよっ!」

つい、私はムキになって江利子の言葉に反感した。
声を荒げてしまった時には既に遅し、私はバツの悪い気分で続ける。
お姉さまと、それに聖の真剣な眼差しが痛い。

「だから……本当に、迷子みたいで……」

「………」

もぅ、これ以上は聞かないで欲しい。
私だってよく分からないのだから。この、不安が不安を呼ぶような感情の正体が。



  ■■ SIDE 祐巳



私はお昼休み、なんとなくあの銀杏の木まで来ていた。
今は秋ではないし、彼女がここにいないというのは分かっていた。
だけど、いやだからこそ、私はここに来たかった。
最後の最後まで親友でいてくれた、大切な彼女達との大切な思い出の詰まったこの場所へ。

「………………………………あ、ゴロンタ………」

「なぁ〜ご」

お弁当の包みを持ったまま呆然としながらも、私はこの子の名前を呼んだ。
まだ小さいけれど、この子はどうみてもゴロンタだった。
私はしゃがみ込んでお弁当の包みを開き、ゴロンタを手招きした。

「食べる?」

「んなぁ〜」

「……ふふ、おいで」

お弁当の蓋に、私は油物などを避けて食べられそうなものを乗せていく。
志摩子さんは夏はこの場所に虫が沸くから嫌だと言っていたけれど、そんなに悪くなかった。
食べ終わったゴロンタから蓋を回収し、殆ど食べていないお弁当に蓋をする。
蓋の裏はポケットティッシュで拭いたけれど、生理的にあまり食べたくなくなったお弁当。
私の横で無防備にゴロリと横になったゴロンタのお腹を撫でながら、やっと一息ついた。
家に帰れば、他の家に住んでいるけれど【妹】が顔を出してくれる。
【妹】だってこの学園は辛い事も多いはずだから、姉の私が弱音を吐くなんて出来ない。
こうして溜息を隠さなくていい空間が、私を何よりも安心させた。


  ■ ■ ■


放課後になり、私は恐怖と歓喜の入り混じる思いで薔薇の館の扉を叩いた。
約束してしまった以上、自分から破棄する度胸なんてない。
でも、それは本当はいい訳で、ただ蓉子さまの傍に居たいだけかもしれなかった。

「祐巳ちゃん、来てくれたのね」

「……その、約束しましたから……」

嬉しそうな顔で私を迎えてくれる蓉子さまが嬉しく、痛かった。
なら【申し込み】に応じれば良かったと思われるだろうか?それも、一理ある。
だけど私には、【お姉さま】と蓉子さまを重ねずに見る自信がなかった……

「どうぞ。皆に紹介するわ」

自然と握ってくれる手。触れられた皮膚が痛い。
私の個人的な感情で、私が不甲斐ないせいで蓉子さまに迷惑をかける。
やっぱり泣きそうになった。だって、こんなに大好きなんだもん。
師でありお姉さまであり、理解者であり、支えだった。
お姉さまが【転生】なされて嬉しいけれど、素直に喜べなくてごめんなさい。
蓉子さまに、そして祥子さまに謝りたい。

「紹介するわ。福沢祐巳ちゃん。今日からお手伝いをして貰うことになりました」

気がついたら、私は数多くの視線に晒されていた。
祥子さまを基準として考えていたから分からなくなってしまったけれど、
 今私の目の前には、会う事のなかった先代の薔薇様方が並んでいらしゃった。
2年生だという聖さま江利子さま。ああ、令さまも居ないんだ。

「福沢祐巳です。よろしくお願いします」

誰か、この虚無感を埋める方法を教えていただけませんか?
この涙が溢れてしまう前に。

 誰か……お姉さま……



  ■■ SIDE 蓉子



祐巳ちゃんは、最初は本当に泣いてしまうかもしれないと思ったけれど、けして泣かなかった。
瞳に浮かんでいるのは、何度見ても【感涙】でしかなかった。
もしこれが【恐怖】なら、私は二度と祐巳ちゃんの前に現れなかっただろうに。
どうしてこんなにこの子気になるのだろうか。

お手伝いという事でお仕事の内容を教えたりした。
だけど驚いたのは、祐巳ちゃんは意外に仕事ができるということ。
一を教えて十を理解する、まるでスポンジが水を吸うように仕事を覚えていった。
そして、【感涙】で泣いてしまいそうになるのは、2年生だけだということも分かった。

「祐巳ちゃん、紅茶をいれてもらっていい?」

「あ、私も〜」

「はい、畏まりました」

お姉さま方の要求に笑顔で答えると、祐巳ちゃんは流しに立って紅茶をいれる。
説明が必要かとも思ったけれど、祐巳ちゃんの紅茶の淹れ方に淀みはない。
茶葉を蒸らす時間も、コップの在り処すらも。

「お待たせしました」

お盆から、頼まれた3人分と頼んでないのにまた3人分が追加されていた。
そう、祐巳ちゃんは気が利く。とっても。
祐巳ちゃんの淹れてくれた紅茶は、なんだか香りからして違う気がした。
妹でもないのにシスコンになったのだろうかと思ったけれど、どうやら違うようだった。

「……美味しいわ…」

「本当ですか?ありがとうございます」

お姉さまに褒められた祐巳ちゃんは、なんとも無防備な笑顔を晒した。
―――ズキン――― と、胸の辺りが小さな痛みを訴えた。
けれどこの紅茶は本当に美味しかった。シスコンは関係なく。

「うん、美味しいよ」

「ありがとうございます」

祐巳ちゃんはちょっと戸惑いながらも、聖にも頭を下げた。
やっぱり、なんだか2年生に対して壁のようなものが感じられた。
感情が顔に出るから、とても分かりやすい。

「……美味しいわ、」

「―――ありがとう、ございます……っ」

お盆を胸に抱きながら、それでも泣きそうに、祐巳ちゃんは私に向かって笑った。
泣き笑いという表現がぴったりだったけれど、笑ってくれたのは嬉しかった。
それは、作り笑いじゃなかったから。


  ■ ■ ■


祐巳ちゃんがお手伝いに来てくれるようになってから、一週間がたった。
だけど祐巳ちゃんに対する態度に変化はなかったし、それに尚更【妹】にしたくなった。
しかし【妹】にしたいという欲求と比例して、私は迷うようになっていた。
それは、本当に妹にしてもいいのか、という思い。
あの祐巳ちゃんの事だから、きっと無理矢理にでも渡してしまえば成立するだろう。
どうして泣きそうになるのか。その理由を聞いてもいいのか。
もぅ、わけが分からない。

私は昼休みに、お姉さまに相談したくて3年生の教室を訪れた。
私の顔をみて理解してくださったお姉さまは、「一緒に中庭へ行きましょうか」としか言わなかった。
連れ添って歩いていると、私は驚く光景を眼にした。

「もぅ、志摩子さんってば。そうじゃなくてね……」

「……ふふふ、」

聖が目をつけていた祐巳の同級生である志摩子と、銀杏の木の下でおしゃべりしていた。
何が驚きなのか?それは、祐巳がお姉さまに向けるよりも無防備な笑みを晒していたから。
満面の笑みとは、きっとこの顔のことを言うのだろう。
そう悟らせるくらいに、祐巳ちゃんは楽しそうで、それは志摩子も同じだった。
祐巳ほどではないが、志摩子だって人と距離をあけて接する子だったのに。
心から楽しそうな2人を、まるでテレビを見るように眺めた。

「それでゴロンタがね、なぁ〜って言いながら……」

「それでどうしたのかしら?ゴロンタは」

「隣に居たおっきな猫に驚いて逃げちゃったの」

「ふふふ、そうなの…」

身振り素振りで志摩子に話している祐巳ちゃん。あれが、普段の祐巳ちゃんなの?
私の心が悲鳴を上げている。もぅ何も理解できない。
足が重くなり、なんだか頭痛がしてきた。
咄嗟にお姉さまが私を支えてくれて、よろついた拍子に立てた音で祐巳ちゃん達がこちらを向いた。
そして祐巳ちゃんは、私がお姉さまに支えられている姿を見て顔色を変えた。

「蓉子さま……!?」

ああ、心配してくれるのか。
遠くなる意識の中で、私はそんな事を考えた。



  ■■ SIDE 祐巳



私が転校して来て3日目にあの木の下で志摩子さんと再会した。
私は随分驚いたけど、お姉さまの時のように泣きそうにはならなかった。
クラスが違ってよく分からなかったけれど、志摩子さんは居てくれた。

「はじめまして、だね」

なんだか無性に嬉しくなって、私は志摩子さんを迎えた。
私の態度で最初は驚いていたけれど、少しずつ慣れてくれた。
  銀杏やユリネが好きなの。変わってるかしら?
  ううん。そんなの個性だよ。私はね、甘いものが好きなんだ〜。、
志摩子さんが聞かれたくないというのなら、私は志摩子さんに何も聞かない。
  ……何も、聞かないのね。
  白薔薇の蕾のこと?志摩子さんが話したいなら、私は聞きたいよ。
今なら、私は志摩子さんの気持ちが良く分かる。
怖いよね。【正体】がバレるのって、とっても恐怖なんだよね。

転校してきてから、一週間がたっただろうか。
その日も同じように私は志摩子さんと一緒に昼食を食べていた。
本当は由乃さんにも会いたいけれど、自分から切欠もなしに探すのは不自然だと思った。

「隣に居たおっきな猫に驚いて逃げちゃったの」

「ふふふ、そうなの…」

そこまで話していて、私は物音がした気がして振り返った。
そこには、【お姉さま】が青い顔をして紅薔薇さまに支えてもらっていた。

「ぉね……」

違う。この人は【お姉さま】じゃない。
この人は……この人は、【水野蓉子さま】なんだ……っ

「蓉子さま……っ!」



  ■ ■ ■



保健室に運び込まれた蓉子さまは、保険医の先生に「寝不足」と診断された。
紅薔薇様が何かを考え込んでしまって、私は自分の失敗を悟った。
だって、違うとはいえ【お姉さま】なのだ。
きっと自分でも理解しているこの【泣き面】を心配してくださっていたのだろう。

「ごめ……なさ………」

眠ってしまった蓉子さまの枕元で、私は声にならない声を上げた。
苦しめてしまった。余計な心配をさせてしまった。全部、私のせいなのだ―――!

「ねぇ、祐巳ちゃん」

「…………」

上を見ると、紅薔薇さまだけが残っていた。
志摩子さんは?保険医の先生は?もぅ、見当たらなかった。
紅薔薇さまは私を見て、とても優しく微笑まれた。

「今聞くのもあれだけど、蓉子のこと、どう思ってる?」

「それは………」

「今の反応から見たら、嫌いってわけじゃないわよね」

「あたりまえですっ!」

嫌い?私が?蓉子さまを?
確かにお姉さまじゃないのは辛い。見ているだけで苦しい。
だけど、お姉さまじゃなくても蓉子さまは蓉子さま、お姉さまでもある方。

「………似ているん、です」

「?」

「私の…昔いた、【姉】に………」

「………」

話さなければ、何も進展しないのだ。
苦しいだなんてもがいたって、自分でなんとか出来なければ助けを求めるしかない。
これは、よい切欠になるのではないだろうか?

「大切で、大好きだった姉達……いえ、今でも大好きですけど……」

「………」

「蓉子さまを、姉と同一に見ないか、自信がないんです……」

「……………そう」

今の私には、それしかいえなかった。
こんなに心配してくださっている蓉子さまを、姉として見ていいのか。
私には判断できない。だって、記憶がないということは他人なのではないのか?
でも、魂は同じもの。ならば……でも、今の蓉子さまに失礼だとも思う。

「私は、蓉子さまを【お姉さま】として見ていいのか分かりません」

「……私にも、分からないわね」

「だけど、蓉子さまに正直に言う勇気もありませんでした…」

紅薔薇様は何も言わなかった。
ただただ、責めることも慰めることもしなくて、それが、嬉しかった。
この苦しみを理解できるのは、同じ境遇をもつ【妹】だけだから。
なら、他の誰に言われたって同情でしかないのだ。

「祐巳ちゃん、私にはなんとも言えない。だから、蓉子と話しなさい」

「……っ だ、って……」

「蓉子は、貴女のことを知りたいと思っているわ。だから…」

「だって、だって……蓉子さまに嫌われたら、どうすればいいんですか……!?」

ああ、止まらなくなってしまう。

「え……?」

「似ているから優しくしていたのか、私でも分からないのに!
 なんて言えばいいのですか?私は…蓉子さまに嫌われたくなんてありません……!
 怖い…とても、否定される事が怖いんです……!
 あの顔であの声であの瞳で!拒絶されたら、私は、私はこの過去を否定したくなる!
 あの人が支えてくれていたものの根本からの消滅!それが……私には怖くて……」

「祐巳、ちゃん……」

頭を抱えて、私はヒステリックに叫んだ。
蓉子さまはお姉さまじゃない。分かってる、分かってるけど、【同じ】なんだ!
姿かたちも魂も、その性格まで全てが!お姉さまと同じで……

「言いたくない!嫌われたくない!お姉さまにも!―――蓉子さまにも!」



  ■■ SIDE 蓉子



悲鳴が、聞こえた。
確かに枕元で叫ばれたら死体でも起きるだろうが、少し、違った。
私の内側から誰かが、そっと囁いてくれているような、不思議な感覚。

『起きなさい』

誰。知らない声が私の中を侵食しようとでもしているのだろうか。

『そんな事しないわよ。失礼ね』

私の心のモノローグが読まれていた。
この暗い空間で、私はサトリのような声を聴きながらぼんやりしている。

『ねぇちょっと、聞いてくれる?』

声は私を怒るように呟き、私が怒られるのは珍しいなぁと思った。
どっちかというといつも怒ってばっかりだったから。
私はとりあえずこの幻聴のような声に耳を傾けた。

『祐巳のこと。貴女、聞きたいでしょ?』

(!)
私はぼんやりしていた自分を追い払った。
微温湯の中にいたような感覚は消えうせ、私の中を驚きが駆け巡る。
声は溜息を吐き、どうしようかと、とんな気配が伝わる。

『貴女に記憶はないし、貴女は私だけど貴女よね?』

意味が分からない。
それに……記憶がない、とは?

『信じるか信じないかは自由だけど、前世ってものがあるのよ』

前世?

『何十も前の前世を基準にすれば、祐巳は私の孫だったのよ』

だから意味が分からない。

『でも、祐巳の中の前世は、天使である私が姉。祥子がお姉さまなの』

分からない。

『説明できないわね……まぁいいわ。どうせ貴女がしたい事をするだけだもの』

私の、したいこと?

『貴女は私。だけど、比率でいうならほとんどが貴女なのよ。意味、分からないでしょうね』

そうね。

『ま、私としては可愛い妹をよろしく、って言いたいだけなのよね』

いもうと?

『祐巳は私の妹だもの。貴女も、同じでしょ?』

………そうね。

『なら今起きた方が有利よ?祐巳、ずっと泣いているしね』

『泣いて、いるのよね』

『あの子は人に気を遣いすぎるから。はやく行きなさい』

『分かったわよ』

私はいつの間にか自分の声が出ているという事に気がついた。
しかも、聞いている時には分からなかったけれど、声質が似ている気がする。
なんだか意味の分からないことをレクチャーされた気がするけれど、この際どうでもいい。

『全く、泣き虫なのだから……祐巳は』

あの声がまた溜息を吐く。
大切な者を慈しむようなその声は、私に勇気をくれた。



  ■ ■ ■



「言いたくない!嫌われたくない!お姉さまにも!―――蓉子さまにも!」

「なら別に、言わなくたっていいわよ」

「ほえ!?」

私はマイペースで身体を起した。
頭を抱えたまま、祐巳は私の隣で目を丸くしていた。
それにしても……随分間抜けな声だったわよね……もぅ、うふふ。

「よ、蓉子、さま……?」

私はしゃがんでいる祐巳の頭をポンポンと撫でた。
すぐに祐巳の表情はまた泣きそうになり、私はどうもせずに頭を撫でた。

「そうなのよね、結局祐巳は祐巳なのよ」

お姉さまは私を見て微笑んでくれている。
私がどんな考えに至ったのか、どうやら理解してくださっているようだ。
あの声に言われるまで気付かないだなんて…本当、どうかしている。

「祐巳、私の妹になりなさい」

「………!?」

ポンポン。
祐巳は驚きのあまり硬直してしまっていた。
私は無造作にロザリオを首から外すと、答えも聞いていないのに祐巳の首に提げる。
やっぱり硬直したままで、なんだか笑えてきてしまった。

「ふふ。祐巳、どうかしたの?」

「………は!って、あれ?あ、え!ろ、ろざ…」

首に掛かっているロザリオを見て、祐巳の混乱は頂点に達した。
挙動不審にまで陥り、私を見てお姉さまを見て、またロザリオを見ている。
私はいままで、祐巳がこんなに表情豊かな子だって事を知らなかった。
しゃがんだままだった祐巳は立ち上がり、また泣きそうな顔で私を見つめた。

「よ、蓉子さま、私、わたしは……」

「いいわ、別に」

「な、なにがですか!?」

ぷ……っ 自分から振ってきた話で混乱するなんて…祐巳、貴女最高だわ。
私は祐巳をベッドに座らせると、肩に手をおいて深呼吸させる。

「貴女の姉、よく分からないけど、私は気にしないわ」

「よ、よく分からないのに……」

「いいのよ。その人達がいて、今の祐巳がいるのでしょう?」

「―――っ」

祐巳は息を呑んだ。
どうして知ってる?どこまで知ってる?そう、祐巳の眼が聞いてくる。
ふふふ。聞いたけど何も理解していないと知ったらどうなるのだろう。
……なんだか自分のキャラが壊れてきた。
でもまぁ、これが本来の私だものね。

「貴女は私の妹。それだけで十分でしょう?」

「わた、しは………」

「いいのよ。ね?」

「――――っ!!」

初めて祐巳の瞳から、大粒の涙が溢れた。
倒れるように私に抱き付いて、嗚咽をかみ殺すことなく思い思いに吐露を始めた。



  ■■ SIDE 祐巳



意味が、分からなかった。
蓉子さまの声を聴いているだけで、私の虚勢を張った心が溶かされていく。
温かい。いつもお姉さまは私が泣きそうな時に抱きしめてくれた。
祥子さまも、蓉子さまも、みんなお姉さまはそうだった。
泣き虫で、ドジで、いつも不安ばかりを持っていた私を。

「ごめんなさいっ……おねえ…さ……私、だって………」

「いいのよ」

「……お姉さまぁ……っ!」

こうして、抱きしめてくださった……。
お姉さまが【転生】なされて、独りになって、四大天使に選ばれて。
暫くは独りっきりだったものの、この子だって子を妹にして。
でも、あの子は昔からとても親しい子で。
何度か作り変えられた世界で、この子には私の記憶がなくて。

「怖かったよぉ……もぅやだ…独りはやだよぉ……」

「………ごめんなさいね、祐巳」

「―――っ!?」

恐怖。驚き。戸惑い。歓喜。感涙。躊躇。感激。
自分の感情なのに、まるで洪水にでもあっているような感覚がする。
お姉さまに会いたかった。祥子さまに会いたかった。由乃さんも志摩子さんも、みんな。

「会いたかった……!」

後悔してた。
信じなくて殺してしまって、出会ってしまって。
大切な人が出来るたびに別れが頭から離れなくなって、怖くなっていった。

「ずっと、ずっと傍にいたい……」

「……」

「ただ……それだけなのに……」





諸行無常な世界は、常に、出会いと別れだけを繰り返す。















  ■■■■■ ■■■■■




この学園に戻ってきてから、随分と時間がたった。
この世界は私の育った世界ではないから、いろんな所が違っていた。

まず最初に衝撃を喰らったのは、祥子さまがいないという点。
また会いたいと思っていた祥子さまの存在すら確認できなかったという事。
次に、由乃さんもいないということ。
でも令さまがいらっしゃって、江利子さまは令さまを妹になさった。
次は、志摩子さんと聖さまの間にひとつ学年が開いていないこと。

そして、蓉子さまという人間のお姉さまが、新たに出来たこと。



「祐巳、紅茶をいれてくれる」 

「はい、お姉さまっ」

私は喜々として流しに向かっていった。
これでも100年くらいずっと祥子お姉さまと蓉子お姉さまと妹に紅茶を淹れてきた。
ちょっとした自信のある、特別な紅茶なのだ。えっへん。

「どうぞ、お姉さま」

「ありがとう、祐巳」

またこうして紅茶を淹れられるということが嬉しい。
私は自然と緩んだ頬を引き締めて、与えられている雑務に専念する。

「あ、祐巳、これってどうなるのかな?」

「はい、令さま」

「………祐巳、また【さま】付けになってるんだけど」

「うわわっ……」

「うふふ、祐巳ってば。」

令さまが同学年だなんてちょっと未だに慣れない。ついでに呼び捨ても。
志摩子さ…志摩子も、令も、今の私の親友だ。
でもちょっと期待しているのは、令がここにいるということは由乃さんはひとつ下でいるかもしれないこと。
そんな淡い期待をしながら、私は今という時間を謳歌していく。
来年、つまり【妹】がやってくる頃には、私達は仕事で来ているという事を思い出さなければならなくなるから。
せめて今だけ。そう思っているだけでも、罪になってしまうのだろうか。

「祐巳ってばどうして私を【さま】付けするわけ?同級生でしょ」

「………い、印象、かな……?」

「そう?印象だったら祐巳も負けて…いや、なんでもない」

「なんで!?そこは続けようよ!」

「あ、あはは〜」

令は視線をどこかに彷徨わせながら乾いた笑い声を出した。
ひ、酷い………精神年齢だったら負けてない気がするんだけどなぁ………
やっぱりこのツインテールが駄目なのかなぁ。
あの空間ではお姉さまが結ぶか妹が結ぶかしてくれて、独りだったら下ろしっぱなしだったけど……。
で、でも。四大天使の仲間は「下ろした方が大人っぽい」って言ってくれたけど……うう?

「じゃぁ下ろす?髪」

「え?下ろすの?」

「だって、子供っぽいんでしょ?なら……」

私は昔祥子お姉さまが買ってくださったリボンとそっくりなものを用意していた。
深い意味はないはず。いや、無意識に選んでいたからなんともいえないけれど。
両手で結ばれたリボンをいっぺんに取り外す。
昔は剛毛で大変だったけれど、この身体は肉体に近いだけで肉体ではないので髪質は柔らかい。
無駄なところで力を消耗しても仕方ない、という配慮からだ。

「…………ん、どう?」

「……」

「……」

え、何。
無言で凝視された。
なんだか怖くなって目の前の令を見つめるが、なんだか固まっていたり。ええ。
寝癖?そんな、この身体は寝癖がつくような上等なものじゃないのに?

「ど、どうしたの?」

「…………うわぁ…祐巳、綺麗」

「ふえ?」

令は暫く凝視してから、感激したように私に抱き付いてきた。
って、抱きついてきた!れ、れれれ、令さまが!私に!?初めての試み!?

「ちょ、令さま!?」

「祐巳ってばそれ反則!」

「そんな事言われても!」

反則?髪型にルールが!?
令が私とじゃれていると、やっぱり聖さまも参加してきた。

「祐〜巳ちゃんナイス!」

………聖さまに抱きつかれるのは慣れているからか、令さまのあとだと印象が薄い。
それもどうかと思うけど、まぁ、なんだ。とにかく身動きが出来ません。離してください。
頭を令が抱えて、腰辺りを聖さまが抱きついている。いや、聖さま、そこはお尻です!

「ちょっと聖さま、それはセクハラです」

「いいじゃん。減るもんじゃないし」

「まぁ、確かに……」

「納得するのね」

令に突っ込まれた。由乃さんと一緒にいるとへた…いや、不甲斐ない人に見える令さまは、案外常識人。
案外ってところが失礼な気がした。気のせいということにした。

「ちょっと聖!祐巳に手を出さないで!」

「え〜…」

「大丈夫ですお姉さま。私はお姉さまのものです」

「―――っ!」

祥子お姉さまだとこう言ったらいつも機嫌を直されたのに、蓉子お姉さまは違うらしい。
顔を真っ赤にして絶句してしまった。聖さまはニヤニヤ。令さまはニコニコ。

「でも祐巳、髪を下ろしても可愛いわ」

「そう?そう言ってもらえると嬉しいな」

志摩子がしみじみと私の髪型を褒めてくれた。対照的な集まりだった。
嬉しいな。妹にも、こんな気分を味わわせてあげたいな。
でも、きっとあの子はあの子なりに楽しんでいるに違いない。

「お姉さま、似合いますか?」

私は聖さまと令を引き離すと、お姉さまの首に抱きついた。
もはや抱き癖である。勿論、元祖聖さま譲りの。

「………似合ってるわ」














天使になってから、私は1000年くらいは生きてきた。
そのうちの100と幾年を蓉子お姉さまと一緒に過ごしてきたし、四大天使もやってきた。
まぁお姉さまの後を継ぎたかったということもあったのだが、私は幸せだった。
あのずっと泣いてばかりいた私が、独りで仕事をして、妹まで持っているのだ。
ねぇお姉さま、見てますよね?
私、こんなに成長したんですよ?
妹を導くという事まで始めて、今回は地上まで出張してお仕事なんです。
蓉子お姉さまに逢えて、私は本当に幸せだったんです。
だから、私は今、自分がお姉さまを、皆さんを守れる立場で嬉しいです。
この世界は私が守ります。
だから、何度も転生なさって、どうか幸せにお過ごしください。
祥子さまが何処にいるのかは分からないけれど、また、会えますよね?

大好きなお姉さま。
いつまでも、この不出来な妹を見守っていてください。


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