【2733】 ずっと側にいるからギュッと抱きしめる悲しげな考え  (MK 2008-08-18 18:43:03)


 作者より:メインタイトル『もこもこしてたりする柔らかくてびっくりわっか的ビデオ』
       【No:2709】→【No:2712】→【No:2716】→【No:2721】の続きです。ホラー…かも知れません。
       今回はかなり長くなってしまいましたorz



 裏切りと言うものは、される側にとっては悲しく悔しいものであり、絶望を伴うものである。
 又、する側にとっては、事が終った後には後悔しか残らない。
 そして、する側には故意であってもなくても、相応の代償が返ってくるものである。

 それらのことを私は十分に分かっていたはずだった。



「お疲れ様。ごきげんよう、瞳子ちゃん」
「ごきげんよう」
 部活を終えた私は、部長に挨拶をしてから部室を後にした。
「お姉さま、もう帰られてるわよね」
 既に日が落ちて、暗くなっている空を見上げて独り呟いた。
 その時。

「あら、あれは…」
 視界の端、マリア像の少し先に二人組の生徒の姿があった。
 それだけなら珍しくも何ともなく、部活帰りの生徒だと思っただろうが、その生徒の片方が、私のお姉さまだった。
 遠目で暗くはあったけれど、お姉さまがそこにいるということが、不思議と私にははっきりと分かった。
「今日も早めに帰られていると思ったけど」
 あれがお姉さまなら、隣のおかっぱは乃梨子か。
「ふふっ」
 お姉さまの姿を確認した途端、私にいたずら心が生まれた。

「音を立てそうなものは…ないわね」
 自分の身の回りの物を確認する。
 いたずらとは言っても、音もなく忍び寄って驚かすというアレである。
 私がお姉さまに酷いことをするはずがない、などと自分を省みて訂正。
 妹である私がお姉さまに酷いことをするはずがない。

 目測でお姉さまの所まで、およそ二十歩。
 その距離を音を立てずに歩くのは造作もない。
 あとは偶然こちらを振り向くなどということがない限り気付くことはないだろう。
 そう考える内にあと十五歩。
 お姉さま達は立ち止まって何かを話している風で、こちらに気付いた様子はない。

 ひたひたひた。
 あと十歩。
 ひたひたひた。
 あと五歩。
 近づきながら驚かせるために静かに息を吸った、その時。

「瞳子にあれを見せる訳にはいきませんから」
 乃梨子がそう言ったのを確かに私の耳は捉えた。
 息と足が止まる。
「うん、そうだね。瞳子には内緒…ね」
 そう言ってお姉さまと乃梨子が微かに笑い合う。
 瞬間、自分の鼓動も止まった、気がした。

 お姉さまと乃梨子が私に隠し事?
 これが単なるクラスメイトや演劇部員などであれば気にはしない。
 目の前にいるのはお姉さまと親友なのだ。
 隠し事をしていて、二人で笑い合っている。
 刹那、不安と焦燥が入り混じった風が私の心を吹き抜けた。

 いいえ。
 いいえ、いいえ。
 片や、私の過去を知りながら受け止めてくれた人。
 片や、私の幸せを涙を流しながら喜んでくれた友。
 隠し事にしても何か理由があるに違いない。
 そう思い直して、心を落ち着かせると吸い込んでいた息を当初の目的通りに吐き出した。

「誰に何を内緒にするんですか?」

「ぎゃあうっ」
「わぁっ」
 二人ともリリアン生らしからぬ悲鳴。お姉さま、乃梨子…。
「…お姉さま、そのはしたない悲鳴はなんですか」
「あ、あははは。瞳子ごきげんよう、今帰りなの?」
「はい、お姉さま。ごきげんよう。生憎、私は機嫌良くはありませんけれど」
 さっき不安になったお返し、とばかりに自分が思っている中で一番怖い声色でそう返した。
 乃梨子の表情を見ると、よっぽど怒っている表情を自分はしているらしい。
 お姉さまと乃梨子の前である。演技なんか意味がない。
 というより出来ないのか、と考えていると。

「じゃあ、一緒に帰ろうか。瞳子」

 はい?
「な、なぜそんな発想になるんですか。お姉さま」
「乃梨子ちゃんと二人だけで帰ってたから拗ねたんだよね、瞳子は。じゃあ乃梨子ちゃん、私は瞳子と一緒に帰るから。ごきげんよう」
 そう言いながら、私の腕を抱えて引っ張っていくお姉さま。
「ご、ごきげんよう。祐巳さま、瞳子」
「お姉さまっ。あ、ごきげんよう乃梨子」
 我ながら乃梨子への挨拶を忘れなかったのは偉いと思う。
 こうして、数秒で私はお姉さまに連れ去られた。

「お、お姉さま。離して下さい」
 しばらく成すがままに腕を抱えられたまま一緒に歩いていたが、やはり我慢出来ずに抗議の声を上げた。
「えー、最近すぐに部活行っちゃうから、一緒の時間少ないじゃない。だから、ね」
「そ、それは…」
「素晴らしい舞台を見せたいってのは分かるけど。やっぱり一緒にいたいじゃない」
 お姉さまの笑顔に、私は二の句が継げず黙り込んだ、が。

「…やっぱり離して下さいっ」
「えー。瞳子って良い匂いだなーって」
「にお…。部活後で汗臭いだけですっ。お姉さま、親父入ってますっ」
「親父でいーもーん」
 涙を浮かべながら抗議しても、お姉さまは笑いながらいやいや、とばかりに抱きしめている腕を左右にぶらぶら、と振ってみせた。
 い、いや。お姉さま、そんなことしたら…。

「もうっ、胸が当たってますっ」
「女の子同士だし、いいじゃない」
 はう、あっさり却下されました。
 真っ赤になっているのが分かるくらい顔が熱い。

 この天国のような地獄の責苦はバスに乗るまで続きました。



「そ、それで…。お姉さま、さっきのことを説明して貰いたいのですけど」
 バスに乗った私は、やっとのことで自分を取り戻すとお姉さまにそう訊ねていた。
「うん、そうだね」
 お姉さまは真顔に戻ると、しばらく思案してから答えた。

「確かに、私と乃梨子ちゃんは瞳子に隠し事をしてる。でも、その隠し事が何なのかは瞳子には言えない」
「なぜですか」
「私が瞳子には知って欲しくないから。私のためってことになるから、瞳子に信じて、とは言えないけど」
「…分かりました」
「うん、ありがとう」
 もし、答えが『瞳子のため』だったなら、私のお姉さまへの疑いは晴れなかっただろう。
 そういう類の台詞は聞き飽きているし、なにより本当にそうだった試しがないから。
 お姉さまの目が、私にお姉さまの心の内を伝えてくれたようだった。

「あと一つだけ。私にそれを知る機会は来るのでしょうか」
「んー、出来れば知らないままの方がいい、とは思うけど。瞳子には知られちゃうんだろうなあ」
 そう言って苦笑いしたお姉さまの表情は、どこか寂しい感じがした。



 次の朝、教室に行ってみると乃梨子の姿はなく鞄だけがあった。
 薔薇の館かしら、と思っていると当の本人が戻ってきた。
 どうやら、廊下かどこかで話し込んでいたらしい。寒さのせいか鼻の頭と頬が少し赤くなっていた。
 ごきげんよう、とばかりに片手をあげて挨拶をすると、乃梨子も返してきたが、その笑顔はどこかぎこちなかった。
 昨日のことは気にしなくていいのに、と乃梨子の真面目さに苦笑いすると共に、その不器用さに親しみを覚えていた。



「え、今日来ないの?」
「はい。明日もですけど、演劇部の方で練習が詰まってますので」
 休み時間、私はお姉さまの教室に行って、そう伝えた。
 事実、昼休みも放課後も演劇部の方で練習はある。
 でも普段通りに部活があるだけで、放課後ずっと薔薇の館に来られない訳ではなかった。
 あと二、三日。私の勘はそう告げていた。
 二、三日はお姉さまの傍にはいない方がいい。
 そう思ってお姉さまの教室を訪れていた。

「んー、残念。瞳子の入れた紅茶が飲みたいのに」
「すみません。仕事も溜まっているのに」
「あー、うん。そっちの方は大丈夫だよ。今のところ、仕事少ないし」
「…はい」
 そう言いながらお姉さまの教室に視線を移す。
 どこのクラスもだけれど、ここ数日休んでいる生徒が多い。よく学級閉鎖や学校閉鎖にならないものだと思う。

「お姉さまのクラスも欠席多いんですね」
「…っ。そ、そうだね。瞳子の所もそうなの?」
「ええ、いつも以上に。可南子さんもお休みしています」
「…そっか。心配だね」
 お姉さま、動揺している?でもなぜ?

 キーンコーンカーンコーン

 それをお姉さまに確認する前に予鈴が鳴り響く。
「それじゃ、瞳子。またね」
「はい、お姉さま」
 かくして、疑問を胸に抱いたまま、私は教室に戻った。



「それじゃ、今日は早いけどここまで。お疲れ様」
「お疲れ様ー」
「お疲れー」
「お疲れ様でした」
 放課後の教室に声が響く。
 今日は練習がスムーズに行ったので、早めに終わりとなった。日もまだ暮れていない。

 演劇部も二人ほど休みの部員がいるけれど、練習が出来ない訳ではない。
 その二人も風邪で休んでいるとのことだった。
 昼間のお姉さまの様子を思い出しながら、帰り支度をする私の耳に他の部員の雑談が飛び込んできた。

「…いのびでおがね…」
「えー、それが原因ってこと?」
「声が大きいわよっ」
 いのびでおがね?
 変な単語に首を傾げながら、私は教室をあとにした。



「あ」
 習慣というものは怖いもので…と言うべきか。
 色々と考え事をしながら、気がつくと薔薇の館の前まで歩いて来ていた。
 しかし。
「あら?」
 明かりが点いていない。
 この時間、誰かいるなら仕事をしているにしろ、していないにしろ明かりは点いているはずである。
 それが点いていない。
 お姉さま達が帰るには少し早い時間に思えた。

「閉まってる…」
 と言うことは、お姉さま達は帰ったか、別の場所に二人ともいるということ。
 二人の性格を考えても、仕事を放っておくことはしないはずなのに。
 その日は、晴れない胸の内を抱えたまま家路についた。



「あ、瞳子。ごきげんようっ」
「…お姉さま。ごきげんよう」
 次の日の休み時間。ミルクホールに来ていた私に声をかけてきたのはお姉さまだった。
「奇遇だね。あ、それとも会いたいなーとか思ってくれてた?」
「…お姉さま、頭にもう春が来てますの?」
「えー、瞳子は私に会いたくないんだ…」
「ちっ、違います。誰もそんなこと言ってません。それにそんな小動物みたいな顔しないで下さいっ。私は、お昼用に飲み物を買いに来ただけです」
「瞳子に言われなくても、どうせ狸顔ですよー…よよよ」
「お、おねっ…あのっ…えっと…」
 お姉さまの反応に慌てながら、私はどこか安堵を覚えていた。

「どうしたの?さっきから黙ってるけど」
「あ、はい…」
 飲み物を買い終わり、一緒に廊下を歩いていたけれど、私は終始無言だった。
「ん?」
「あの、昨日…」
 放課後、どうなさっていたんですか?と続けようとして、一昨日のお姉さまのことを思い出す。
 一度お姉さまを信じると決めたのだから、と私は出かかっていた言葉を飲み込んだ。
「あ、いえ。山百合会の仕事のこと、お願いしますね」
「うん、大丈夫だよ。あ、そうだ。このキーホルダー、瞳子にあげるよ。さっき購買部のクジで当たったものなんだけど。瞳子に似合うかなあって」
 お姉さまはそう笑って、キーホルダーを手渡すと教室へと戻っていった。
「猫?」
 キーホルダーはピンクの子猫の可愛らしいデザインだった。



 自分では自覚していなくても、心の乱れというものは行動に影響するもので。
「瞳子さん、そこはそっちじゃないでしょう」
「はい、すみません」
「どうしたの?昨日はうまくいってたのに」
 さすがに自分でも一度うまく出来ていた場面を何度も失敗すると気が引ける。
 今日は早めに終えることとなった。

「さすがに今日はまだ帰っていないはず」
 昨日よりも更に早い時間なのだから。
 お姉さまの傍にいない方がいいと思いながらも足は薔薇の館に向かっていた。

「あら?」
 また明かりが消えている。
 おそらく扉の方も閉まっていることだろう。
 そう思って、踵を返した私の目に見知った姿が映っていた。

「お姉さま、乃梨子…」
 校舎の中を並んで歩いて行く二人の姿があった。
 二人とも荷物は持っていない。どこかに置いているのだろうか。
 遠目で表情は分からないが、二人とも俯き加減に歩いているようだった。

「あれは…」
 そして、とある部屋に吸い込まれるようにして入っていく二人。
 確か…あの部屋は視聴覚室。

「何を、しているの、ですか…」
 知らず知らずの内に低く呟く。その目にはその部屋に遅れて入っていく、もう一人の生徒の姿は見えていなかった。



 ツカツカツカツカ。
 人気がない廊下に一人分の足音が響く。
 日は傾き、薄闇が支配しようとしている時分だった。

 かしゃん。
 制服のポケットから何かが滑り落ちる。
 それは昼間にお姉さまから貰ったキーホルダーだった。
 そのキーホルダーに昼間のお姉さまの笑顔が重なる。

「…そうよね」
 キーホルダーを握りしめた私はそう呟いた。
 事実を確認する前に勝手に暴走しちゃいけない。
 そう思い直して、視聴覚室へと再び歩き出した。



 …カ…チャ。
 音を立てないようにして視聴覚室の扉を少しだけ開け、その中に体を滑り込ませる。
 中は薄暗く、お姉さまと乃梨子、それともう一人生徒がいるようだった。

 どうしよう、ここで声をかけるべきだろうか。
 そう逡巡している私の目にテレビの明かりが映った。
 猫…?
 テレビには可愛らしい白い子猫が映っている。
 その時の私の頭の中には、目の前のお姉さまと乃梨子のことは無かった。

 林の場面、道路の場面、木造校舎の場面と何の面白みもない映像が流れていく。
 不思議と目を離す気にはなれなかった。
 その時。

 かっしゃーん。

 赤い文面の映像が出た瞬間、思わずキーホルダーを落とし、その音で私は我に帰った。
「「え?」」
 振り返るお姉さまと乃梨子。
 その姿も今初めて目にしたような不思議な感覚だった。

 キーンコーンカーンコーン。

 響くチャイムの音。
「なん、で…」
 こちらを見るお姉さまと乃梨子の顔が青ざめて見えた。
 いや、事実青ざめているのだろう。そして私の顔も。

「お、お姉さま。これは、一体…」
 そう声を絞り出しながら、私はようやくそこで気付いた。

 お姉さまの信頼を裏切った、ということを。



 そして五日後を待たずに、私はその代償を知ることとなった。


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