作者より:メインタイトル『もこもこしてたりする柔らかくてびっくりわっか的ビデオ』
【No:2709】→【No:2712】→【No:2716】→【No:2721】→【No:2733】の続きです。ホラー…かも知れません。
「…見たの?」
「え?」
「ビデオを…見たの?」
しばらくの沈黙の後、祐巳さまが絞り出すように瞳子に尋ねていた。
「瞳子…なん、で…ここに」
「お、お姉さま…」
「瞳子…見たのねっ?ビデオ見たのね?なんで、瞳子っ」
「お、おね、えさ、ま」
祐巳さまが瞳子の両肩を掴んで、がくがくと揺すった。そのせいで瞳子は満足に答えを返せないでいた。
あんなに穏やかな祐巳さまが、今は別人のように取り乱していた。
我に返った私が、祐巳さまを止めようと声をかける前に後ろから声がした。
「だめよ、祐巳さん」
いつの間にか起きていた桂さまが、少し眠そうに目を擦りながら、そこに立っていた。
「…桂さん」
「そんなにしたら瞳子ちゃんが可哀そうよ、祐巳さん。さっき取り乱してた私が言うことじゃないけどね」
そう言って、桂さまは少し苦笑いしてみせた。
「お姉さまだったら、妹の気持ちも分かってあげないと。瞳子ちゃんには、ビデオのこと知られたくなくて秘密にしてたんでしょ?」
「うん」
「祐巳さんが秘密でなにやってるか気になって、追いかけてきたんでしょ?瞳子ちゃんは」
「はい」
「もう見ちゃったものはしょうがないんだし、妹とは仲良くしないと、ね」
そう言って、さっきの泣き顔が嘘のように、桂さまはにっこりと笑った。
「…すごいね、桂さん」
しばらく呆けていた祐巳さまが、そう感心してみせた。
それには私も瞳子も同意見で、同じように頷いた。
「まあ、妹歴も姉歴も長いからね。私にも似たようなことあったし」
それだけ言うと、桂さまは照れてしまい、後ろを向いてビデオの片づけを始めた。
テニス部などの運動部は入部と同時に姉妹になることが多い。
そのために、桂さまはここにいる誰よりも妹歴も長ければ、姉歴も長いことということになる。
姉妹の機微ということに関しては、一番長けているのだろう。
「手伝いますよ、桂さま」
私だけでは、祐巳さまを説得することは出来なかったかも知れない。
私は感謝の意をこめて、手伝いを申し出た。
「…それで、明日と明後日なんですけど」
帰り道、私は祐巳さまに今後のことを相談していた。
「うん、土日だよね。学校で続きする?」
祐巳さまは傍らの瞳子のことを気にしながら、そう答えた。
祐巳さまは、他の生徒にまた見られるんじゃないかと気にしている風に見えた。
「それなんですけど、明後日は薫子さんが旅行で居ないので、うちに来ませんか?」
「あ、いいの?」
「はい。薫子さんも元リリアンなので、許可はしてくれると思います」
「そう。それならお邪魔しようかな。ね、瞳子」
「はい」
祐巳さまと瞳子の間に暖かな空気が流れる。
うん、さっきよりは大分ましになった感じ。やっぱり相性がいいってことなんだろう。
「日曜はそれでいいとして。土曜はなにかあるの?乃梨子ちゃん」
「あ、午後はですね…」
そう言って、一昨日の夜、志摩子さんと約束したことを話した。
「…という訳で、志摩子さんの家を訪ねるんですけど…いいですか?」
「…ふぇ?いいですか…って?」
少しばかり考え事をしていたのか、祐巳さまはびっくりして私の方を見た。
「あ、ですから、明日の午後は一緒にビデオを見ることが出来ないので」
「あ、あー。そんな律儀に確認しなくても。大丈夫だよ、姉妹の語らいを邪魔したりしないってば」
「え、えーと…」
そういうことじゃなくてですね…と続けようとしていた私を、瞳子が制した。
「乃梨子」
「…瞳子」
「大丈夫よ、乃梨子。数日間、お姉さまに会えないことがどんなに苦痛か、私にも分かる。久し振りに会うんだから、ゆっくり白薔薇さまに甘えてらっしゃいな」
…と満面の優しい笑顔で私に答えた。
ブリュータス…もとい、瞳子、お前もか。
最近、似た者姉妹になってない?それとも元から?
それとも、私がよっぽど寂しそうに見えたんだろうか。
そんなことを考えていると…。
「それで明日なんだけどね」
祐巳さまが考えをまとめたようで、私の言いたいことなど忘れ去ったまま、明日の予定について話し始めた。
「由乃さまの家に?」
「そう。本当はお見舞いだけ行こうかな、とか思ってたんだけどね」
「と言うことは、もう連絡してあるんですか?」
「うん。こんなことになっちゃったから、瞳子連れて行こうかなと…まあ由乃さんが承諾してくれたら、の話だけど」
私がお姉さまのことが心配で、そして手がかりが得られればと会いに行こうとしていたのと同様に、祐巳さまも由乃さまに会う約束をしていたということだった。
「あ、良ければ、桂さんも来ない?」
「あ、え?」
祐巳さまが隣の桂さまに声をかけると、桂さまも考え事をしていたようで、話を把握していない様子だった。
「明日、由乃さんの家に行って、明後日は乃梨子ちゃんの家に行こうって話なんだけど」
「あ、ああ。ごめんね、祐巳さん。それなんだけど…」
桂さまは、しばらく逡巡していたけれど、決心した様子で話しだした。
「…だから週末は妹と一緒にいようと思うの」
「それじゃ、桂さん。呪いのことは…」
「うん、いい。瞳子ちゃん見てたら、妹のこと、私も考えてなかったなあって」
瞳子の方を見ながら、暖かな笑顔を見せる桂さま。自分の妹のことを思い浮かべているようだった。
瞳子は照れた風に、でも笑顔で桂さまに応えていた。
こうして、週末の予定は決まり、私たちはそれぞれの家路を帰って行った。
明くる日の午後、私は薔薇の館での少しばかりの仕事を終わらせると、その足で小寓寺を訪れていた。
「やあ、乃梨子さん。お久しぶりですな。よくお越しなさった」
私を迎えたのは志摩子さんのお父さんだった。
「お久しぶりです…あ」
お辞儀をして、小父さまもお変わりなく、そう続けようとした私の目が住職の頭のところで止まった。
そこには大きなガーゼが貼られており、何かの傷を治療した跡に見えた。
「あ、これかい?先日、外の木の手入れをしていたら、うっかり枝で切ってしまいましてな。はっはっは」
「あ、そうですか。お大事にして下さい」
一瞬、不吉な想像をしてしまったが、ほっとして、私はそう返した。
「ありがとう。志摩子は部屋にいるから、会ってやって下さい」
「はい」
そう言われて、部屋の前まで来たところ、中から志摩子さんの声が飛んできた。
「…乃梨子なの?」
「うん、志摩子さん」
声が少し強張っているように思えた私は、部屋の前で立ち止まった。
「開けて、いい?」
「乃梨子…少しだけ待って」
「…うん」
この障子の向こうに志摩子さんがいる。
もうすぐ会えると逸っていた心を抑えて、私はうなずいた。
「…いいわ、開けても。驚くと思うから、先に言っておくわ。ごめんなさい」
「そんな…志摩子さん」
しばらくして、向こうから志摩子さんの声が返ってきた。
いつもの志摩子さんだ、と軽く笑って私は部屋に入った。
いや、入ろうとした。
その足が思わず部屋の入口で止まった。
「ごめんなさいね、乃梨子。こんな格好で」
そう微笑む志摩子さんに、私は声を出せずにいた。
「…し、志摩子さん、そ、その姿は…」
やっとのことで絞り出した言葉がそれだった。
こんな格好。志摩子さんはそう言った。
それもそのはず、以前は和服を着て私を迎えてくれた志摩子さんが、毛布をかぶって少しだけ覗く顔でこちらを窺っているのだから。
いや、問題はそこではなかった。
私が文字通り『思わず』立ち止まり、志摩子さんの出迎えの言葉に答えられずにいた訳は別にあった。
「ごめんなさいね、乃梨子。会うのは決めていたことだけれど、直前になって…」
一旦言葉を切る志摩子さん。
「…この姿を見せるのが怖くなってしまって」
私には少し震えたように見えた。
「…志摩子さん」
愛しい人の名を辛うじて絞り出す。
この姿。志摩子さんはそう言った。
毛布をかぶっているけれど、以前より少し大きい体で。
声は以前と同じだけれど、毛布の陰から見える口には少し伸びた犬歯が覗いていて。
顔は少し隠れているけれど、その目は暗がりで光っていて。
毛布を持つ手は震えていたけれど、以前より大きく、長い獣毛が生え揃い、その間から鋭い爪が覗いていて。
毛布の後ろを隠すように座っていたけれど、少しだけ覗いた隙間からは獣の尻尾が見えていて。
でも。
でも、志摩子さんだった。
「志摩子さん」
もう一度。今度は絞り出すのではなく、その名を噛みしめながら。
そうして、止まっていた足に力を込めて一歩踏み出した。
「だめ、乃梨子」
聞こえる拒絶の言葉。
再び止まる足。
「…どうして、志摩子さん」
「だめ、なの」
問いかける私に、今度は志摩子さんの絞り出したような声が答える。
「この姿になってから、抑えられないの。乃梨子と会うと決めた時から、抑えようとしてきたけれど…乃梨子なら大丈夫だと思っていたけれど…だめ、なの」
「何が?」
少しだけ焦燥感を覚えながら、問いかける。
「父の頭を見たでしょう。あれは私がやったことなのよ」
本能とでも言うのだろうか。
私の足を止めたもの、そして志摩子さんが抑えているもの。
人間にも自分の気持ちに関係なく、体を支配する大元の感情のようなものが少なからず残っている。
人間では殆ど消えてしまっているけれど、恐怖で足がすくむなどは一つの例だろう。
いわゆる獣では、狩猟本能が一つの例として挙げられる。
私は無意識の恐怖で、志摩子さんは衝動で。
動きを止められていた。
それでも。
「それでも」
私は言った。
「怖いの。乃梨子を傷つけてしまうのが、怖いの」
志摩子さんは体を震わせて言った。
「それでも」
私は繰り返した。
「怖いの。心の奥底から湧き上がって来る感情が。抑えられそうもない感情が」
志摩子さんは尚も震えて繰り返した。
それでも。
「それでも、私は二条乃梨子だから。そして志摩子さんは、志摩子さんだから」
俯いた顔を上げる志摩子さん。まだ震えながら。
「志摩子さんの隣にいない私は、二条乃梨子じゃないよ」
そう笑って、志摩子さんを毛布ごと抱きしめた。
震えは、止まった。
私は貴女の一部で、貴女は私の一部。
どちらが欠けても、今の自分はありえない。
今はまだ手の届く場所にいるのだから。
その間だけでも、どうか隣に。
日は傾き、部屋は薄暗くなろうとしていた。
あと一日。