作者より:メインタイトル『もこもこしてたりする柔らかくてびっくりわっか的ビデオ』
【No:2709】→【No:2712】→【No:2716】→【No:2721】→【No:2733】
→【No:2736】の続きです。ホラー…かも知れません。
「ありがとう、乃梨子。少し落ち着いたわ」
毛布の中から志摩子さんの声が聞こえてきた。
「それに、こうするためだけに会いに来た訳ではないでしょう?」
少し恥ずかしいような、いたずらっぽいような、それでいて優しい声が私を包む。
「…うん」
名残惜しいような感覚を覚えながら、私は体を離して志摩子さんと向かい合った。
「思い出すのも嫌かも知れないけど、ビデオを見て呪いにかかった時のことを聞きたいんだけど…」
そう言いながら、怖々と志摩子さんの顔を見る。
意外にも、志摩子さんはいつもと変わらないような表情で記憶の引き出しを探しているようだった。
「確か…父にビデオの整理を頼まれて、ラベルが貼られていないビデオを見ていたのだけれど…」
「うーん」
「どうされたのですか、お父さま」
「ああ、志摩子」
帰宅した私が、父の唸り声が聞こえた部屋を覗いてみると、父が十本ほどのビデオテープの前で腕組みをしている所だった。
「実はな、この間志村さん達と旅行にいっただろ。あの時のビデオを明日、志村さんに見せる約束をしててな。押入れにしまって置いたんだが、取り出す時にひっくり返してしまってな…」
「混ざってしまった、と?」
「うむ。中身を見ればいいんだが、これから法事で出る予定があってな」
うーん、と唸る父に助け船を出すことにした。
「では、私が見ておきましょう。行ったのは確か…鎌倉でしたよね」
「うむ。じゃあ、頼んだよ、志摩子」
「はい」
そして、ビデオの束を抱えてテレビのある部屋まで行くと、ビデオを見始めた。
過去の旅行のもの、テレビの録画のもの、そして自分の小さい頃のものまであった。
「志摩子さんの小さい頃のビデオ…見たいかも」
「ええ、今度時間があるときにね」
「やったぁ」
今の状況を忘れて小さくガッツポーズ。
そんな私に志摩子さんは僅かに笑ってみせた。
「そんな中にね…」
そんな中、他のビデオとは違う感じの映像のものがあった。
「猫…?」
それは白い子猫が映ったものだったが、映像だけで音は入ってなく、他のビデオの内容と比べても、明らかに異なるものだった。
「失敗ビデオなのかしら…」
場面が移り、木造の校舎が映し出される。
そして…。
「…赤い血のような文面がでた、と」
志摩子さんは、こくんと頷いてみせた。
「そこまでは、同じ?」
「うん、同じ。あと…」
「実際に呪いにかかった日ね」
やはり、変わらない表情を見せる志摩子さん。
呪い、という言葉に怖いものを想像していたけれど、そうでもないのだろうか。
そう考えながら志摩子さんを見る。
嫌でも目につく長い獣毛に、私はそんな甘い考えを捨てざるを得なかった。
「そのことは、いたずらだと思って余り気にはしてなかったけれど…」
ビデオを見た五日後、つまりは休む前日、それは起こった。
いいえ、起こったようだった。
ようだった、というのはそれ自体の記憶が曖昧になっているから。
その日、お風呂から上がったあとに、鏡の前で髪を整えていると、何かに襲われた。
その何か自体は余り覚えていないけれど、気がつくと自分の体が変わっていて、それどころではなかった。
ただ…。
「ただ?」
「襲われた時に、感情みたいなものに触れた気がして」
「感情?」
「ええ、あれは…なんだったのかしら…」
そう言うと、志摩子さんはまた考え込んでしまった。
襲われたことは覚えていない、そのことは怖くて記憶が抜け落ちてしまっていると考えるのが妥当だろう。
となると、それ以上追及しても志摩子さんを苦しめるだけ。
その考えに至ったところで、私は外がもう暗くなっていることに気付いた。
「ありがとう、志摩子さん。その…怖いこと思い出させちゃって、ごめん」
「ううん、いいのよ。乃梨子の力になれたのなら嬉しいわ」
そう言って、志摩子さんはにっこりと笑ってみせた。
その笑顔に、私は微かに胸の苦しみを覚えた。
「じゃあ、志摩子さん。またね」
「またね、乃梨子」
ごきげんよう、ではない別れの言葉。
私の気持ちを汲み取ったかのように、志摩子さんも繰り返した。
そうして私が立ち上がって身を翻した、その時。
「危ないっ、乃梨子!」
志摩子さんの声に振り向いた瞬間。
ガカカッ。
ビッ。
前を通り過ぎる白い影。
そして、目の前にふわりと舞い上がる白い布切れ。
白い影。
それは、変わってしまった志摩子さんの爪で。
白い布切れ。
それは、いつも着けている私のタイの一部だった。
振り返った私がそれに気づいた時、志摩子さんと目が合った。
志摩子さんは、今しがた私の前を横切った右手をもう一方の手で押さえて、そして。
怯えていた。
「し、志摩子さん…」
「見ないでっ」
私と同様立ち上がった志摩子さんから、被っていた毛布が脱げていた。
座っていた時に、ちらちらと見えていた獣毛や尻尾から想像はしていた。
しかし、頭で思い浮かべているのと、実際目にした時では、その衝撃に差があると私は思い知ることになった。
「…乃梨子、お願い帰って」
「志摩子さん…」
涙を浮かべながら、私の前を薙いだ右手を押さえる志摩子さん。
その右手の甲に血が滲むほどに。
「さっきまでは大丈夫だと思っていたわ。乃梨子が側に居てくれれば大丈夫って。でも、そうじゃなかった」
「志摩子さん…」
「このままじゃ乃梨子を傷つけてしまうから。だから…帰って、お願い」
志摩子さんは尚も怯えていた。
その時の私は…迷っていた、と思う。
その時、さっきの衝撃が天井にも届いたのか、一片の綿ぼこりが落ちてきた。
それが視界に入ったところで、再び目の前を通る白い影。
それはやはり志摩子さんの爪で。
本当のところで覚悟がなかったのだろう。
あるいは楽観的だったのかも知れない。
生きて側に居られるのだから。
そんな、覚悟のなかった私は。
一歩、下がってしまっていた。
「帰って」
響く悲痛な叫び。
気がつくと私は、志摩子さんの部屋を飛び出していた。
バスの中、暗い窓の外を眺めながら、志摩子さんのことを考えていた。
怯えていた顔。
その顔が昨日の桂さまと重なる。
『自分が変わるのが怖いんじゃなくて…あの子に、その姿を見られるのが怖いの』
会おうと言い出したのは私。
それを受け入れた志摩子さんの覚悟はどれだけだったろう。
そう思いながら、無意識に胸に置いた手にタイが当たる。
「志摩子さん…」
ほつれた切れ口をいじっていると視界がぼやけてきた。
「寒いよ…」
タイの切れ端と一緒に何か忘れ物をした気持ちだった。
「ただいまー」
帰宅するといつものように挨拶。
しかし、返事はなし。
「…そっか」
薫子さんは今日から出かけるんだったっけ。
そう思ったら、いつものように挨拶したのが惨めに思えてきた。
心の中はまだ寒いままなのに。
かちゃ、ぱたん。
自分の部屋に入ってタイの替えを探す。
探しながら、頭の中では志摩子さんのことでいっぱいだった。
かちゃん。
タンスを開ける時に右手首のロザリオが小さく鳴った。
はっとして、ロザリオを眺める。
その時、梅雨の時に言った言葉が頭の中で繰り返された。
言わなきゃ。
会いに行ったんだって。
志摩子さんに会いたかったんだって。
言わなきゃ。
一緒にいたいって。
離れたくないって。
言わなきゃ。
もう一度。
そう考えながら、電話の前に急いだ。
ひとつ深呼吸。そうして受話器を…。
じりりりりん。
がちゃっ。
「志摩子さんっ」
「の、乃梨子っ?」
取る前に響く電話。
ワンコールで取り、相手が志摩子さんかどうかも分からないというのに、受話器に向かって叫んでいた。
「…志摩子さん」
再び、今度は確かめるように。
「乃梨子、今日はごめ…」
「志摩子さん」
今度は、志摩子さんに有無を言わせないように。
「志摩子さん、側にくっついて離れないから」
「乃梨子…」
「それを言いたかった」
「そう…。あ、乃梨子ひとつ思い出したことがあるのだけれど」
「なに?志摩子さん」
「呪いがかかった後に、あのビデオを探してみたけれど、どこにも無かったわ」
「無かった?」
「ええ、どこにも」
「ありがとう、志摩子さん」
「ううん、乃梨子。ありがとう」
それだけのやり取りで電話は切れたけれど、十分だった。
部屋に戻ると、替わりのタイを着けた。
もう寒くはなかった。
そして当日を迎える。