【2749】 過去現在、そして未来ちょっとまって  (朝生行幸 2008-09-07 01:26:17)


「そう言えば、さ」
 放課後の薔薇の館にて、一仕事終えてお茶を嗜みつつ他愛の無い会話の途中。
「瞳子って、カナダにしょっちゅう行ってるんだよね。何しに行ってるの?」
 白薔薇のつぼみ二条乃梨子が、紅薔薇のつぼみの妹、松平瞳子に問い掛けた。
 結構な家柄のお嬢様である瞳子は、ゴージャスと言うべきかブルジョワと言うべきか、結構頻繁に海外旅行に行っているが、特にカナダは定番の行き先らしい。
「そうですわね、主にバカンスが目的ですけど、趣味と実益も兼ねてますのよ」
「趣味?」
 カナダまで出張る趣味ってのもどうかと思うが、演劇以外に興味の対象となるものを瞳子が持っていることに、一同少なからず驚いた顔をしていた。
 もちろんここには、二人の他にも紅薔薇さま小笠原祥子、紅薔薇のつぼみ福沢祐巳、黄薔薇さま支倉令、黄薔薇のつぼみ島津由乃、白薔薇さま藤堂志摩子と、現状オールキャストが揃っている。
「ええ。実は私、古生物にとても興味がありまして、化石の発掘を趣味としてますの。こう見えても私、化石を掘るのがとても上手ですのよ」
『うん、そうだろうね』
 何故か祐巳と乃梨子が、声を揃えて頷いた。
「……どういう意味ですの?」
「あぁ、いや、何でもないよ。見たままだなって思っただけだから」
「それこそどういう意味ですか!?」
 祐巳の、誤魔化しにもなっていない誤魔化しに、噛み付く瞳子。
「まぁ良いですわ。話を戻しますと、つまりカナダのヨーホー国立公園を訪れているのですわ」
 そう言いながら瞳子は、ポケットから何かを取り出し、皆に見せた。
 石の欠片のようで、その表面には、何やら虫のような、良く分からないがとにかく生物らしいものが描かれているような刻まれているような。
「私が発掘した化石ですわ。と言っても、これはマルレラ・スプレンディスと呼ばれる、最も標本数が多い種類ですけど」
「あ、ひょっとして」
 それを見て何かに気付いたか、乃梨子にはピンと来るものがあったらしい。
「流石は乃梨子さんですわね。そう、“バージェス頁岩”ですわ」
 バージェス頁岩。
 そこは、カナダのブリティッシュ・コロンビア州あるヨーホー国立公園内、フィールド山とワプタ山に隣接する崖地の化石採掘現場のことだ。
 およそ五億七千万年前、所謂“カンブリア紀の爆発”と呼ばれる生物の爆発的進化が生じた。
 それによって、想像を絶するほどの多様性を持った動物達が大量に現れたが、五億三千万年前、その数多くが絶滅し、後に化石となって、1900年代初頭に、チャールズ・D・ウォルコットに発見されたのが、このバージェス頁岩だ。
「我が松平が研究を助成していますので、その関係で私も採掘に参加させていただいてますの」
 1960年代から、H・ウィッティントン、D・ブリッグス、S・C・モリスらによって、ウォルコットが採掘した化石が再評価され、また新たに標本が採掘され、多くのバージェス動物達が正しく分類されてきたのだが、未だに分類が難しいものも少なくない。
 現在でも発掘・研究が続けられており、それに松平が出資しているということらしい。
「それで、中等部三年の夏のことですが、なんと驚く無かれ、私、新種を発掘しましたの!」
 なにやら興奮している瞳子。
 実際、標本数が一個から数個しかないバージェス動物も存在しているし、なにせ爆発的な進化が起こった時代の化石なのだから、未発見の動物が今尚眠っていても不思議ではない。
「どんな形をしてたのかしら?」
 バージェスには、奇妙奇天烈な形状の動物が少なくない。
 少しは心得があるようで、志摩子が疑問を口にした。
「こう、頭部背板の両脇に、巻貝のような形をした棘のような、角のようなものがありまして、もしかしたら別の動物の一部か、別の時代のものが紛れ込んだ可能性もあるのですが、そんな変わった形をしてまして」
 カブトガニとエビを足したような形に、螺旋がかった角らしきものを書き込んで図解する瞳子。
「へぇ、すごいじゃない。もし本当に新種だったら、瞳子の名前が付くかもよ?」
「えぇ、とても楽しみにしてますわ。研究をお願いしてますので、ひょっとしたら、近い内に古生物学会で発表されるかも知れませんし」
 両手の指を絡めて、うっとりした表情で天井を見上げている。
「今年はヤボ用で行けませんでしたが、こんな喜びがあるから、化石掘りは止められませんの」
「へぇ、そんなこと聞くと、一度行ってみたくなるなぁ」
 化石掘りはともかく、カナダには行ってみたいということが表情からまる分かりの姉の表情を見て。
「ま、まぁ、お姉さまが行きたいと仰るならば、別に連れて行って差し上げてもよろしいですわよ」
 と、何故か少し頬を赤らめて、あっちを向いたまま瞳子は言うのだった。

 後日、古生物学会が開かれ、新たな論文が発表された。
 その中には、瞳子が発掘した例の新種らしい動物についての論文も含まれていた。
 研究の結果、それはやはり新種と認められ、発見者である瞳子の名前と容姿から、こう名付けられたという。

 ドリレラ・マツダイレス──と。


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