【2756】 二十四時間耐久レースとにもかくにもこの街は戦場だから  (春日かける@主宰 2008-09-24 03:46:58)


「これより、山百合会恒例・二十四時間耐久レースを行います」
 蓉子の凛とした声が、会議室に広がる。
 ここは薔薇の館の二階にある会議室。普段は仕事と歓談の間として利用されるこの場所は、たった今から戦場と化した。
「初参加の乃梨子ちゃん、瞳子ちゃん、可南子ちゃんも、覚悟はいいわね」
 眼光鋭く、江利子が三人を見た。
 卒業したとはいえども、かつて『薔薇さま』として頂点に君臨した経験のある者のオーラは、三人の背中をピンと張らせた。
「はい。覚悟はできています」
「私も、同じく」
「祐巳さまの為なら、命も捧げます」
 可南子だけ、気合の入りようが段違いだった。
 その返事を受けて、江利子はニッコリと微笑んだ。とても邪悪な微笑みで、それを見た令の顔が青ざめる。
「そう。それなら楽しめそうね。蓉子、ルールを説明してちょうだい」
「ええ。ルールは至極簡単。『姉妹の愛情が揺らがなければ勝ち。少しでも揺らげば負け』。わかったわね、みんな」
 沈黙を肯定と受け取ったのか、聖が立ち上がる。
「私と蓉子、それに江利子は、今回は『試練を与える者』として参加します。それに、残りのみんなは参加者な訳だけど、何人か『試練の協力者』が混じっているので、そのつもりで」
 乃梨子が「はい」と言って手を挙げる。
「質問かしら」
「はい。宜しいですか」
「どうぞ」
「その協力者を見破ったりするのはありでしょうか」
 聖が笑顔になった。
「もちろん。見破られた協力者は、その時点からみんなと同じ参加者になる。参加者への妨害は許されない。……これで満足?」
「はい。ありがとうございます」
 乃梨子も笑顔になった。見破る気マンマンだ。
 蓉子が、腕時計を見る。
「試合開始は、午前9時ジャスト。明日の午前9時を持って、試合終了にします」
 あと、数十秒。全員が、壁の時計を凝視する。
 秒針が、長針と重なった。
「……試合、開始」
 江利子が、静かに宣言した。
 これより山百合会全員の、騙し合いが始まる。

   *

「……ふふっ、あはははは!」
 聖が腹を抱えて笑い転げる。江利子も蓉子も、口元を押さえて肩を揺らしている。
「もうダメ、この真面目な空気に耐えられない……!」
「みんな真剣になりすぎ! あはははははは!」
「二人とも、笑ったらダメよ、ぷっ、クク……!」
 緊張の糸が一気に途切れる。瞳子が小さく溜め息をついた。
「もしかして、嘘だったんですの?」
「こ、恒例なんてある訳ないじゃん! あはははは!」
 聖のその返答に、「お姉さまに言われて、付き合おうとした私が馬鹿でしたわ」と立ち上がる瞳子。
 しかし、それを止めたのは隣に座る可南子だった。
「待って」
「……なんですか」
「笑っているのは聖さまたちだけよ」
 ハッ、と瞳子は祐巳の方を見た。現に、祐巳も祥子も、真剣な表情で瞳子を見ている。
 可南子が呟いた。
「あの三人は、『試練を与える者』なのよ」
 瞳子は可南子を驚いた表情で見つめ、視線を祐巳に移し、最後に蓉子を見た。
 蓉子は、微笑んでいた。
「……」
 瞳子は鞄を手にする。
「別に、薔薇の館にとどまっていなければいけないというルールは無いんですよね」
「……下校時刻までは校内にいること。それ以外なら、どうぞお好きなように」
 蓉子が、とても冷たい声で返した。下唇を噛み締める瞳子。
「協力者がいるかも知れないんでしたら、ここにいるのが一番危険ですわ」
 そう言って、瞳子は部屋を出て行った。
「あの言葉って、いわゆる死亡フラグじゃない?」
 聖がニヤニヤしながら言う。
「他のみんなも、どうぞご自由に。ただ、あくまでもこれは『姉妹の絆を試す』のですからね」
 江利子の言葉を受けて、祐巳と祥子が立ち上がった。
「私たちは、瞳子ちゃんと一緒に行動しますわ。祐巳、いくわよ」
「はい、お姉さま」
 二人の後姿を見ながら、由乃が呟いた。
「そんなこと言って、もし祥子さまが協力者だったらどうするのよ、ねぇ?」
 返答を求められた令は、由乃の頭を撫でる。
「そうだね。でも、祥子に限って祐巳ちゃんを騙したりはしないよ」
「そうかな」
「でも、私はいつでも由乃の味方だからね」
 それを見ながら、乃梨子が立ち上がる。
「でも、由乃さまが協力者の可能性もあるんですよね」
「の、乃梨子、それは言いすぎよ」
 慌てた志摩子を遮るように、聖が言った。
「姉妹全員が協力者、姉妹のどちらかが協力者、それは十分にあり得るね」
 聖は、志摩子を後ろから抱きしめる。
「やっ、お姉さま……!」
「……志摩子さんから、離れて下さい、聖さま」
 射抜くような視線で、聖は乃梨子を見た。
「あるいは、一人を除いて全員が協力者、なんてね」
「離れろ!」
 乃梨子は聖の手を乱暴に引き剥がした。
「おお、怖い怖い。わかったわかった。おいたしてごめん」
「志摩子さん、行こう!」
「え、ええ。お姉さま、申し訳ありません」
「いいのいいの。またね、志摩子」
 白薔薇姉妹も部屋から出て行く。
 残ったのは、『試練を与える者』三人と、令と由乃の黄薔薇姉妹、そして可南子だ。
「お二人は、どうしますか?」
 可南子が令に尋ねる。
「うーん、そうだね、とりあえず薔薇の館は出ようかな」
「そうですか。では、私も出る事にしましょう」
 可南子が立ち上がる。
「みなさま、それではごきげんよう」
 挨拶をした可南子の背後に、令が言葉を投げかける。
「あれ? おかしいよね」
「……はい?」
「いや、一応は『姉妹の絆を試す』わけじゃない。だったら、可南子ちゃんがここにいるのはおかしいな、って」
「……」
「え、あ、いや、別に祐巳ちゃんがどうこうじゃなくって、その」
「ごきげんよう、黄薔薇さま」
 可南子のそれには、僅かな怒りが含まれていた。
「……私、言葉を間違ったのかな」
「いや、令ちゃんは正しいわ。確かに、祐巳さんの妹が瞳子ちゃんな以上、可南子ちゃんがここにいるのはおかしいもの。きっと、可南子ちゃんは協力者なのよ」
「そう、なのかなぁ」
「そうよ! そうに決まってるわ! さっすが令ちゃん、やるぅ!」
 由乃の嬉しそうな声を聴いて、令は照れくさそうに笑う。
 それと違う意味の微笑を、江利子は見えないように浮かべていた。

   *

「瞳子!」
「……お姉さま。祥子お姉さままで」
「駄目だよ、一人で行っちゃ。一緒にいよう?」
「……ですが、ひょっとしたら、私が協力者だなんて考えたりはしないんですか?」
「どうして? だって、私と瞳子は姉妹じゃない。私は、瞳子もお姉さまも、疑ったりはしないよ?」
「……お姉さまは、本当に子羊なんですね」
「へ?」
「まぁいいです。一緒に行動しましょうか」
 その二人のやり取りを見ていた祥子は微笑んだ。
「温室に行きましょうか。それで、瞳子ちゃんにこの試合の傾向も教えてあげましょう」

   *

「志摩子さんも抵抗しなきゃダメだよ!」
「でも、あれはやりすぎだわ」
「いいの! あんなセクハラオヤジ」
「仮にも私のお姉さまなのよ……?」
 志摩子は乃梨子に連れられ、廊下を歩いていた。
「ところで志摩子さん」
「? なにかしら?」
「恒例ってことはさ、去年もやったんでしょ? その時はどんな感じだったの?」
「それが……やってないのよ」
「え?」
 乃梨子が歩くのを止める。
「私とお姉さまが出会う前にやったのかな、とも思ったのだけど……。おそらく、少なくとも去年はやってないわ」
「じゃあ」
「最初に江利子さまが言った、『初参加の』という部分から変だと思っていたのよ」
「んー、んー? どういうこと? あー、頭がこんがらがってきた……」

   *

「ねぇ、由乃」
「なーに? 令ちゃん」
 令と由乃は、中庭を歩いていた。
「お姉さま方が、『恒例』って言ってたじゃない」
「うん」
「でも、去年ってやってないよね」
「あ、そう言われたらそうだわ」
「それに、私の知る限りだと、私と祥子が一年生……つまり一昨年なんだけど。その時もやってないんだよね」
「え? それ本当?」
「うん。こんな他人を疑ったりしなきゃいけないイベント、忘れるはずがない」
 令は青い顔をうつむかせる。
「うーん。ひょっとしたら、江利子さまたちが一年生の時にやったイベントを、復活させたとか」
「……そんな三年越しのイベントを、恒例なんて言うかなぁ?」
 姉妹はその場で立ち止まって、薔薇の館の方向を見た。
 あの卒業生三人の、暇潰しを兼ねた悪ふざけなのか、それとも。
 とにかく、他のメンバーが心配だった。

   *

「去年は、どこまでも姉妹を信じる令が勝ったわね」
 祥子は温室の端に座り、左右にいる妹たちに語る。
「そうだったんですの?」
 瞳子は祐巳に尋ねたが、祐巳は曖昧に笑う。
「いや、私とお姉さまが姉妹になったのって遅かったから、私は不参加だったんだよね」
「由乃ちゃんもその日は大事を取って休んでたわ。だから、私はお姉さまと、令は江利子さまとペアだったの」
「あの、結局、勝敗の基準はなんなのでしょう?」
「そうね。さっきの瞳子ちゃんじゃないけれど、『もし、目の前の姉ないし妹が、協力者だったらどうしよう』って疑った時点で、負けは決まったようなものね」
「なるほど」
「『姉妹の絆を試す』とはよく言ったものよね。何代前の薔薇さまが考えたかはわからないけど、このゲームは疑心暗鬼になった時点で負けなのよ。厳密な勝敗は無いわ」
「でも、さっきは令さまが勝ったって」
「ええ。恥ずかしいけれど、私が少しお姉さまを疑ってしまったのよ」
「ええっ? 信じられません!」
「私も! お姉さまが蓉子さまを疑ったなんて」
「姉妹になって間もない頃にこのイベントでね、最初は瞳子ちゃんと同じような行動を取ったの。お姉さまは信頼できるけど、もしお姉さまが紅薔薇さまに言われていたら、どうしようって」


<長くなっちゃうので、次回に続く>


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