【2769】 思わず叫ぶ恋しき人を  (MK 2008-10-11 20:00:00)


あらすじ:
最近休みが多いリリアン女学園。山百合会でも祥子、令、志摩子、由乃が休んでいた。 そんな中、呪いのビデオらしきものを見てしまう祐巳、乃梨子と桂。 そしてビデオを調べる途中で、瞳子も巻き込んでしまう。祐巳と瞳子のやりとりを見て、妹を思いビデオから手をひく桂。 土曜に呪いを受けた志摩子と対面した乃梨子は一度は逃げてしまうものの、なんとか想いを伝える。 そして日曜日、乃梨子、祐巳、瞳子の三人は乃梨子のマンションに集まりビデオを調べることになった。 祐巳と瞳子が昼食の買い物に出かけ、残った乃梨子はビデオのチェックを始めたが…。

作者より:メインタイトル『もこもこしてたりする柔らかくてびっくりわっか的ビデオ』
       【No:2709】→【No:2712】→【No:2716】→【No:2721】→【No:2733】
      →【No:2736】→【No:2748】→【No:2752】の続きです。
     今回はホラーメインなので苦手な方は回避して下さい。



 じー。
 ビデオデッキの動く音が部屋に鳴り響く。
「何、これ…」
 私はテレビの映像を唖然としながら眺めていた。

 そこには。
 黒髪のおかっぱの小さな女の子が、やたらひらひらとしたセーラー服らしきものを着てポーズをとっているところが映っていた。
『はーい、リコちゃん。こっち向いてー』
 聞き覚えのある声がテレビの中から聞こえてくる。

 …。
 これ、私だああああっ!
 と言うか、お母さん何てものを娘に着せてるのっ!
 と、いうことは撮っているのはお父さんか…。
 そして何故かビデオは薫子さんの所に保管してある…と。

 頭痛を覚えながら、私はビデオを取り出すことにした。
 テレビの中からは『どせーにかわって…』などと小さい私が言っているのが聞こえたが、自分の聞き間違いだということにした。
 祐巳さま達がいなくて本当に良かったと思いながら、呪いのビデオよりも怖い内容がこの先出てくるかも知れないことに、言い知れない悪寒を感じていた。

 先ほどのビデオを取り出してから、しばらく逡巡したが、結局他のビデオ内容を確かめないといけないことは変わらず、次のビデオに手を伸ばす。
「今度はまともなビデオでしょうね…」
 そのビデオをデッキに入れながらつぶやく。

 結果から言えば。
 先ほどのビデオよりはまともだったのかも知れない。
 それは、目的のビデオだったのだから。
 そう、つまりは…。



「どういう、こと…」
 ここ数日で見慣れてしまった、どこかの林の映像。
 どこか、と言ってもリリアンの中だと分かってはいるけれど。
 見慣れてしまったその映像に、一つだけ変化が起こっていた。

 猫が、いない。

 ほとんど変化のない林の映像が流れた後、今度は道路隅のような映像が流れる。
 そこにも猫はいなかった。
 普通なら、何の変化もない風景だけの映像など退屈以外の何物でもないのだけれど。
 その時の私は、どす黒い恐怖心が膨らむと同時に、鼓動が速くなっていくのを感じていた。

 これまでほとんど変化のなかった映像に大きいとも言える変化が現れた理由はなんだろうか。
 そう考えた時、時報を知らせるベルが鳴り響いた。



「もう十二時なんだね。道理でお客が多い訳だ」
 お姉さまの声に品物を選ぶ手を止めて顔をあげると、お店の時計が十二時を指していた。
「日曜ですから尚のことですわ」
 そう言いながら、商品棚に顔を戻す途中でお姉さまの首筋が目に入る。
 その、首に程近い場所にはガーゼが張り付けてある。
 思わずその場所で、視線を動かすのを止めてしまっていた。

「どうしたの、瞳子。私をじっと…ってこれのこと、まだ気にしていたの?」
 これ、とお姉さまがガーゼに指を置いた時に少しだけ捲れて、生々しい傷の端が目についた。
「あの時、私が席を離れていなければと」
 昨日、由乃さまの家にお邪魔した際に、少しだけ席を離れていた。その時、お姉さまは由乃さまに…。
「いや、まあ由乃さんだって悪気があった訳じゃないんだし。瞳子も、その後止めようとして、きっちり巻き込まれてたじゃない」
「それはそうですけど…」
 そう言いながら、自分の顎に張ってあるガーゼに触れてみた。まだ少し痛い。
 頭では由乃さまが、親友であるお姉さまを本気で傷つけようと思った訳ではないのは分かっている。
 それは、その後の由乃さまの落ち込み様を思い出せば十分な程に。
『ごめん。ごめんね、祐巳さん』
 そう泣きそうな表情で謝っていた由乃さまが思い出され、私は口をつぐんだ。

「さ、早く買って帰らないと、乃梨子ちゃんがお腹を空かせて……」
 そう明るく私に声をかけるお姉さまの声が途切れた。
 見ると、きょとんとした表情で虚空を見つめている。
「どうしたのですか、お姉さま」
「あ、うん。お店の中で猫の声がしたから、珍しいなと思って」
「猫?」
 耳を澄ませても、お客さんの声やお店の音楽ばかりでそれらしい声は聞き取れなかった。
 しかし。

「聞こえない?なんか寂しそうな声で…あ、ほらまた」
 お姉さまの表情を見ても嘘をついているようにも見えなかった。
「猫…ですか」
 そう言いながら、お姉さまの向いているほうに耳を傾けてみても、猫らしい声は聞こえなかった。
「ほら、また声がしたよ」



 にゃーおーん。
 猫の声に、私は時計に向けていた視線をテレビに戻した。
 やはり画面には猫がいない。
 今まで変化の見られなかったビデオの、ここに来ての変化。
 私は恐怖心と共に、一つの結論へと辿り着いていた。

 すなわち、呪いの発動。

 しかし、今確かめた通りに時間は昼の十二時。
 私たちが最初にビデオを見た時間はおそらく五時から六時前後。
 五時間もの時間のずれは一体…。

 にゃーおーん、おーん。
 そこまで考えたところで、再びテレビの中から猫の声が、今度は少し響くような感じで聞こえてきた。
 見ると校舎の場面に切り替わっていた。

 なーお、おーん。
 相変わらず猫の姿は見えない。
 そして、ふと思い出して私は時計を見た。

 十二時二十分。
 時間は普通に流れている。
 そう、普通に。
 今まではこの場面に入ると早送りでもするかの様に、周りの時間が動いていたというのに。
 なぜ。

 にゃおん、おん。
 こっちを見ろ、とばかりにテレビから聞こえる猫の声。
 そしてテレビは例の赤い文面を映し出していた。

『五日後に呪いが降り掛かる 解くカギはビデオの中に』

 五日後、すなわち今日。
 林の場面では現実での変化がそのまま反映されていたのに、一向に変化のない文面に少しだけ可笑しさを覚えた。
 そう思っていると。

 ゆらり。
 その赤い文面が揺らいだ気がした。
「ん?」

 ゆらり。
 気のせいじゃない!
 そう思った瞬間。

 ぱたっ。
 水滴が落ちたような音と共に、画面の端に赤い染みができた。

 ぱたっ、ぱたたっ。
 続くように画面に赤く、暗く、それでいて少し透けているような染みが広がっていく。

 ぱたっ、ぱたたっ。
 それが先ほどの赤い文面から落ちてきていることに気付くのにさほど時間はかからなかった。

 ぱたっ、ぱたたっ、ぱたたっ。
 赤い文面が書かれているのは天井。
 そこから画面、すなわち床に向かって落ちてくる赤いしずく。
 さながら血の雨に見えた。いや、雨と言うには少ないけれど。

 ぱたっ、ぱたたっ。
 画面に赤い部分とそうでない部分が出来ていく。
 それと共に、赤い文面の文字が消えていくのが僅かな隙間から見えていた。
 そして、その隙間が埋まる直前に見えた文面に私は戦慄を覚えた。

『    呪い           はビデオの中に』

 ぱたたっ。
 そして最後の隙間が埋まり、画面は赤黒く染まった。

 にゃーおーん。
 一際大きな鳴き声が響く。
 その時には、先ほど感じていた時間に対する疑問やビデオの変化についての考えなどは吹き飛び、ただどす黒い恐怖心に支配されていた。



「お姉さま?」
「ん?ううん、何でもないよ。瞳子」
 さっきから時々、何かに気を取られるお姉さま。何でもない風には見えないけれど。
「お姉さまは何か苦手な食べ物はありますか」
 それでもお姉さまを困らせないように、少しでもこちらに注意が向くように、お昼の話題に持っていく。

「んー、そうだなあ。苦いのと辛いのは苦手かも」
 甘党のお姉さまらしい答え。
 予想通りで少し安心しながら、残りの食材をカゴに入れていく。
「何を作ろうと思ってるの?」
「お鍋にしようかと。さっき乃梨子の家で土鍋を見かけたので」
「鍋かあ、寒いからいいかもね」
 無邪気に笑うお姉さま。
「はい、乃梨子も喜んでくれるといいんですけど」
 送り出す時の乃梨子を思い出しながら答える。

 相変わらずの機転の良さには頭が下がるなあ、と思いながら。



 その時の私は、ただただ間抜けだった。
 もうその場面になったらリモコンなど効かないと分かっているのに、リモコンの停止ボタンを押したりして、逃げ出すことが頭に浮かばなかった。
 恐怖からくる焦りで頭が鈍っていたから、と言い訳もあるけれど。
 ただただ間抜けだった。
 画面が真っ赤に染まっただけだったら、そこまで恐怖はしなかったかも知れない。
 その真っ赤な画面には。

 猫の顔が文字通り笑いながら、浮き出ていた。

 にゃーお。
「ひっ……」
 その猫が鳴く。
 自分でも単純な反応だなあと、頭の片隅で思いながらも、短い悲鳴で返すことしかできなかった。
 恐怖のあまり身動き出来ずにいると、猫の方が、動いた。

 ずるり。
 擬音で表すとそんな感じだろうか。実際には音など立てなかったけれど。
 文字通り、画面から猫が這い出てきた。

 すたん。
 小さな着地音を立てて居間に降り立つ猫。
 すなわち、私の目の前に。
 息一つするのにも勇気がいる、そんな感覚に襲われていた。
 大きさや姿かたちはどこにでもいるような猫。
 その見た目のうち、一つだけ普通の猫と大きく異なる点があった。

 赤い、いや赤黒い。

 さっきまで画面を覆っていた赤黒い色をそのまま纏ったような、そんな色だった。
 そう思えたのも、後ろにある画面が今は何も映っていないかのように黒い画面を見せていたからである。

 なおーん。
 その猫が鳴いた。人懐っこそうに。
 その声で、我に返る。
 逃げなきゃ!
 逃げないと、死に…はしないけど大変な目に会う!

 そこまで考えて、ふと思う。
 死にはしない。本当にそうだろうか、と。

 今まで呪いに掛かった人のことを思い出す。
 志摩子さんを始め、ビデオを一回見たら恐怖の為、もしくはただのいたずらと思ってビデオは見なかった。
 それでも異形の呪いを受けている。
 私はどうだろう。
 繰り返し見ている。その上、呪いが掛かるであろう今日も。
 そして…。

『    呪い           はビデオの中に』

 先ほど見えた文面を思い出す。
 そして目の前の猫を見る。

 なおーん。
 尚も人懐っこく鳴く猫。
 もし、これが、この小さな猫が、呪いそのものだとしたら。

 やばい、かな。
 そんな単純な言葉が頭をよぎる、と同時に背中をつたう冷たい汗に現実を実感させられた。

 なーお。
 鳴きながら、その猫は一歩だけ近づく。
 逃げないと!
 そう思いながら立ち上がろうと腕に力を込める。

 かくん。
「えっ…」
 足に、力が入らない。
 腰が抜けてしまっているようだった。

 なーお。
 尚も人懐っこく鳴きながら、こちらへと歩を進める猫。
 ずり…ずり…。
 なんとか腕だけで距離をとろうとする自分。
 どちらがより速いかは明らかな訳で。
「あ……」
 私の足に、猫の足が触れるのに長い時間はかからなかった。

 なおーん。
 人懐っこそうに私の足にすり寄る猫。
 普段の生活で、普通の猫がそうしているのなら嬉しいくらいだけれど。
 猫が出てきた状況と、その猫の風貌が全てを台無しにしていた。

 にゃーおーん!
 不意に大きく鳴くと、その猫…のようなものが弾けた。
 正確に言うなら、大きい赤い塊が広がって私を瞬時に飲み込んだとでも言おうか。
 恐怖を覚える間もなく、私の体を覆い尽くす、それ。
「う…あ…」
 鼻孔を埋め尽くす獣の匂いに顔をしかめる。
 それと共に冷たい恐怖心が、ほとんど麻痺してしまった心に蘇る。

 ずるり…ずるり…。
 私の体に覆いかぶさった獣毛の塊がゆっくりと動く。
「っ……」
 視界が遮られているということがより恐怖心を膨らませていく。

 ぴた…。
「?」
 私の体を覆いつくしてしまったところで、一瞬だけ獣毛の塊が止まり…そして。

 ずぞっ、ずぞぞぞっ!
「ひっ…」
 筆舌しがたい感覚と共にそれらが、私の体に入ったのが分かった。
 それと同時に視界が開ける。

「な、なに…?」
 自分の皮膚の下に何かが這いまわっている感覚とでも言おうか。
 さっきまで人懐っこそうにしていた猫、のようなものの存在を確かに感じていた。
 そして。
「…が、あっ」
 熱。
 体が急に熱を持ち始め、それは私を苦しめるほどにまでなっていた。
 風邪をひいて高熱でうなされた時のように関節が痛む。
「…は、あ…」
 肺で熱せられた空気が逃げ場を求めるように、口から吐き出される。

 これが、呪い。
 熱で意識が朦朧となりながらも、私はそんなことを考えていた。
 異形になる為の通過儀礼なのか、それとも…。

「ん…」
 そこまで考えたところで、自分の中に別の意識があることに気付いた。
 と言うより、余りにも激しい感情だったので気付かざるを得なかった。
 その感情、ひとつは純粋な悪意。もう一つは…。
「う…」
 体の熱が増しているのを、文字通り肌で感じていた。
 意識を保つのが難しくなっていた。
 何か知らせようにも、このままだと…。

 ず…ず…
 必死に扉の方へ体を動かそうとするけれど、悲しいかな、思うようにはいかない。
 少しだけでも、と動きながら私はなぜか身近な人のことを思い浮かべていた。

「とう、こ…」
 髪型が特徴的な私の親友。
 調べる途中で巻き込んでしまったことが悔やまれる。
「ゆみ、さ、ま…」
 誰にでも思いやりのある姿勢で接してくれる先輩。
 あの方が居なかったら諦めていたかも知れない。結果はこうなったけれど。
「よしの、さま…れいさま…さちこ、さま…」
 山百合会の仲間。
 詳しくは聞いていないけれど、呪いを受けて休んでいるのが気にかかる。
 そして…。

「志摩子さんっ…」
 そう叫んだと同時に、私の意識は昏い闇の底へと沈んでいった。



「ん…」
「また猫ですか、お姉さま?」
「あ、う…うん」
 お店からの帰り道、やはり時々反応するお姉さまに幾度目かの問いかけをしていた。
「やはり…あのビデオに関係するんでしょうか…」
 不安に思いながら、そう聞いてみる。
「たぶん…ね」
 少し困ったような顔をしながら答えるお姉さま。
「やはり…」
「ま、そんなこと気にしてもしょうがないって。死んじゃう訳じゃないんだし…。さ、急がないと、乃梨子ちゃんに遅いって怒られるよ」
「あ、お姉さまっ」
 駆け出すお姉さま。
 そんなに走らなくても、乃梨子のマンションは目と鼻の先ですのに…。
 そう思いながらも、少しだけ笑ってお姉さまを追いかけた。

「ただいまー。乃梨子ちゃん」
「ただいま。乃梨子」
 私たちを迎えたのは、変わり果てた姿で横たわっている乃梨子だった。




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