【2770】 3人3様一発ギャグのまねっこ禁止  (柊雅史 2008-10-12 23:59:01)


 今回の話は、簡単に言うと「暇だった」である。
 乃梨子としてはこの一言を書いて「完」と結びたいところなのだけど、それだと何のことやら分からないので、仕方なしに事の顛末を振り返ってみよう。


 その日は志摩子さんたち三薔薇さま方が、揃って職員室に出向いてしまい、つぼみの三人だけが薔薇の館にお留守番、という状況にあった。
「……暇ですねぇ」
 最初にそう呟いたのは、案の定菜々ちゃんだった。こういう時に真っ先にシビレを切らしてロクでもないことを言い出すのは、概ね由乃さまで、由乃さまがいない今回のようなケースでは、大体が菜々ちゃんである。黄薔薇の血筋――と言うと、先代の常識人である令さまに悪いので、現黄薔薇姉妹固有の嫌スキルだということにしておく。
「仕方ありませんわ。お姉さま方がいなくては、私たちだけでは出来ることは限られていますもの」
 なにやら細い糸でちまちまと編みながら瞳子が言う。確かに瞳子の言う通りで、つぼみと言うのは実質的に薔薇さまの仕事を手伝っているものの、権限的には何一つ決定できない立場にある。どんなにつぼみが優秀で、薔薇さまから頼りにされていても、決定権を持つのは三人の薔薇さまだけなのだ。
「瞳子さまは何をしているのですか?」
「編み物ですわ。お姉さまが巾着袋を欲しがっていましたので、どうせなら手編みをと思いまして。こんな感じで」
 瞳子が「いかがです?」と完成図を見せてくる。デフォルメされた祐巳さまらしき柄がワンポイントの可愛らしい巾着袋だ。健気にも程がある。
「菜々ちゃんもいかがですか? 由乃さまに」
「……うちのお姉さまにそういう可愛らしいのは似合わないと思います。面倒だし」
「まぁ、そうですわね」
 瞳子のちまちました指使いを見やって、菜々ちゃんがげっそりした表情で首を振る。由乃さまにもそれなりに可愛らしいグッズは(本人の好みを無視すれば)似合うとは思うけど、菜々ちゃんには性格的に細々した作業は合わないだろう。乃梨子だって志摩子さんが「どうしても欲しいの。お願い、乃梨子」とでもお願いしてくれない限り、自分からそんな細かな作業をやろうと思わない。ほんと、瞳子のこういうところには頭が下がる思いだ。
「……第1回、つぼみ対抗一発ギャグのコーナー……」
 せわしなく動く瞳子の指先を見るともなしに見ていると、菜々ちゃんが間延びした声でそんなことを言い出した。
 見れば、頭を机にくっつけて、これ以上ないくらいにグダグダな姿勢でふらふらと右手を上に上げている。指が一本、へにょりと立っているのは「1回」の意味なんだろう。
 菜々ちゃんらしい――というか、黄薔薇らしい提案ではあったけれど、本人のやる気もゼロっぽい。
「ルールはこれまでやったことのない、オリジナルのギャグで笑わせたら勝ちです。定番のオデコフラッシュ、ドリル、ガチ告白は反則ということで」
 下を向いたまま、菜々ちゃんが説明する。誰も「やる」とは言っていないけれど、そんなの関係ねぇとばかりに事を進めるのは、由乃さまの代から始まった黄薔薇の伝統である。嫌な伝統が作られたものだ。
 どうでも良いけど、定番ギャグの中に一つ、意味不明なものがあるのはなんだ。ガチ告白ってのはなんだ。まぁ、突っ込む元気もないので、スルーするけども。
「と言うことで、一番、有馬菜々……」
 やる気のない姿勢と口調のまま、菜々ちゃんがへろへろと上に上げていた手を振る。そこまでして何もせずにのんびり待つのが嫌か、この子は。
 乃梨子と瞳子が呆れ、それでも菜々ちゃんに視線を向けたところで――
「インドの修行僧!!」
『ごぶふっ!』
 いきなり顔を上げた菜々ちゃんに、乃梨子と瞳子は同時に吹き出していた。
「ちょ……どうしたのよ、それ!?」
「な、何事ですか……」
 こみ上げてくる笑いを我慢しながら、乃梨子と瞳子は揃って菜々ちゃんの額を指差す。その指の先、額のど真ん中には、親指大の赤い円がくっきりと描かれていた。
「迂闊でした……突っ伏した書類の上に、まさか乾いていない朱印があるとは思わず。後でお姉さまには、厳しく文句言ってやります。このままで」
 確かによく見れば、額の円には「島津」の文字が見える。職員室に行く直前に押した判子なのだろう。しかし、それを理由に文句を言われるなんて、由乃さまもとばっちりであろう。しかも消したりせずにそのままで文句を言おうという辺りが、いかにも菜々ちゃんらしい。まさに転んでもタダでは起きず、だ。
「さぁさぁ、堪能くださったのなら、次は乃梨子さまと瞳子さまの番ですよ」
「あのね……なんで菜々ちゃんのソレに付き合わなくちゃいけないのよ」
 額に朱印が写ったのに気付いて、こんなコーナーを始めたに違いないのに、わざわざそれに付き合ってあげる義理はないと思う。
「その通りですわ。そんな義理はありませんとも」
 乃梨子の意見に瞳子も頷く。
「そんな、酷いですよ。見るだけ見ておいて」
「勝手に始めて見せたんじゃないの」
「その通りですわ」
 ぶーと頬を膨らませる菜々ちゃんに、瞳子は再び手元の編み物に視線を戻す。黒地のそれを上下にひっくり返し、完成図と見比べたりして、完全に菜々ちゃんの提案を却下する構えだ。やはり持つべきものは常識人の友である。
「――乃梨子さん、乃梨子さん。ちょっとここ、見てくださいませ」
「ん、なぁに?」
 変なコーナーが続かなかったことに安堵した乃梨子を、ちょいちょいと瞳子が袖を引っ張って呼んだ。
「チャップリン」
「……」
 そこには、鼻の下に黒い布地を指でくっ付けた瞳子が「どんなもんだい」って感じの表情で乃梨子を見つめていた。
「……んぐっ」
 ここで負けたらなんとなくなし崩し的に嫌な未来が来訪しそうな気がして、乃梨子はぐっとこみ上げてくるものを飲み込んだ。勝った。
「ヒゲダンスー」
「ごぶふっ!」
 そこに、ひょいと同じ位置に布地をくっ付けた菜々ちゃんが、横から割り込んで来たところで、乃梨子の堤防は決壊していた。
「でれでれでれ〜ででれ〜ででれ〜」
「でれでれでれ〜れでれ〜れでれ〜」
 そのまま、二人は立ち上がって奇妙なダンスを開始する。なんだこの空間。
「と……うこ……あんた、何を……?」
 震える声で尋ねると、瞳子が奇妙なダンスを止めて言う。
「すいません、思いついてしまったもので」
「思いついたからってするな! そんなの!」
 真面目な顔で言う親友に、ツッコミの語気も荒くなるってもんだ。
 そんな乃梨子の指摘に、なぜか不満そうな顔で席に着いた瞳子は「乃梨子だって笑ってたくせに……」とか呟いている。笑わせれば勝ち、みたいな黄薔薇姉妹っぽい思考回路は捨ててくれ。本気で。
「――というわけで、残るは乃梨子さまだけですね」
「大トリですわ。乃梨子さん、ファイト」
 やり切った以上は乃梨子にもやらせなければ損とばかりに、瞳子があっさりと菜々ちゃんサイドに回って一発ギャグとやらを促してくる。ああ、そうだった。瞳子って時々さくっと裏切るんだよね。忘れてたよ。
「あのね、私は一度もやるだなんて……」
「往生際が悪いですよ、乃梨子さま。白薔薇一家はゴネ得一家ですか?」
「一人だけ逃げるおつもりですの、乃梨子さん? 白薔薇一家は卑怯者ですの?」
 志摩子さんを勝手に巻き込むな、というツッコミは、多分入れるだけ無駄なのだろう。
 こんな時の処世術は一つだ。とりあえず適当に何かやれば、それで二人は満足するだろう。変にゴネても疲れるだけ、ということを、乃梨子は既に学習していた。悲しい学習結果だけれど。
「あー、分かったわよ。えーと……」
 乃梨子はこの際、面白かろうが面白くなかろうがどっちでも良いので、適当に脳内の一発ギャグを検索し――
 そして、髪の毛を両脇でガッシと引っ掴むと、投げやり風に叫んだ。
「卑ー弥ー呼ーさーまー」
「……の、乃梨子……?」
 その瞬間、扉が開く音が聞こえて。
 背後から、何か信じ難いものを見た時のような、志摩子さんの震える声が聞こえてきた――のは、なんかもう、お約束だった。
「し、志摩子しゃん!? こ、これは違……違うの! 瞳子と、菜々ちゃんが……!」
 振り返って慌てて髪の毛を離し、二人を指差す乃梨子の前で。
「瞳子さま、暇ですねー」
「そうですわねー」
 素早く額の印を拭った菜々ちゃんと、編み物を再開していた瞳子が、そっぽを向いてのんびりと語り合っていた。


「卑弥呼さまー! そっちの書類取ってー」
「はい、卑弥呼さまー!」
 祐巳さまと由乃さまが、髪の毛を頭の両脇で掴んで声を掛けつつ、書類をやり取りしている。
「卑弥呼さまー! お茶のお代わりはいかがですか?」
「卑弥呼さまー! うん、ありがとう」
 同じことをやりながら、瞳子が祐巳さまにお茶のお代わりを淹れに立ち上がる。
「卑弥呼さまー! こちらの計算なんですけど、これであってますか?」
「知るか、バカーーーーー! うわーーーーん!」
 同じことをやりながら聞いてくる菜々ちゃんに、乃梨子は半分泣きながら志摩子さんにすがりついた。
「だ、大丈夫? ひ、卑弥呼さまー?」
 ……照れながら言う志摩子さんがまぁ、可愛かったのだけが救いだった。


 今回の話は、簡単に言うと「暇だった」である。
 暇な時にはロクなことがない。
 最近の乃梨子は、切実にそう思うのだ。


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