【278】 ク、クマーッ  (いぬいぬ 2005-07-30 20:52:50)


「白熊が逃げ込んできた?!」
私の言葉に、学園長が慌てる。
「大きな声を出さないで、小笠原さん。この事はまだ、教師とシスターしか知りません」
「事態は一刻を争うのでは?」
「確かにそうです。しかし、動物園の方は、騒がれると白熊が興奮して危ないとおっしゃってました。そんな訳で・・・」
「今流れている校内放送で、生徒の帰宅をうながしているのですね?」
そう。今、校内には「消火設備の故障により、スプリンクラーや非常ベル等の誤作動の恐れがあります。緊急に校内の消火設備を点検する必要がありますので、生徒のみなさんは、速やかに下校して下さい」と、先ほどから繰り返し放送されていた。
そんな中、私を職員室へと呼び出す放送があったので、不信に思いながら来てみれば、待っていたのは近隣の動物園から白熊の子供が逃げ出して、こともあろうかリリアンに逃げ込んだと言う学園長の説明だった。
私は、深呼吸して気持ちを落ち着かせると、学園長に問いただす。
「で、その白熊を捕獲する手はずは?」
「さすが紅薔薇さま、切り替えが早くて助かります。実はすでに、校内に動物園のスタッフの方達が展開しています。校内なので、麻酔銃の使用は禁止させてもらいましたが、万が一のために、スタンガンを装備しているそうです」
「居場所の特定は?」
「それはまだ・・・ ですが、幸いリリアンは門以外を塀に囲まれています。生徒の避難さえ済んでしまえば、捕獲は容易いらしいです」
「・・・一刻も早く下校させないと」
「そうですね。まあ、時間的に校内には、一部の部活動をいしてる生徒と、あなたのように委員会活動をしている生徒くらいなので、各顧問の先生方に、生徒の誘導と、避難完了の確認を急いでもらっています」
「・・・それで、顧問のいない山百合会の避難を私に託そうというのですね?」
「頭の回転が早くて助かるわ。ただ、もう一つ」
「何ですか?」
「小熊は、セント・バーナードの成犬くらいの大きさらしいんだけど・・・」
「?」
「紅薔薇の蕾が、白い大型犬と戯れているのを見たという生徒の報告が」
「!!」
私は、無言で園長室から走り出した。
祐巳はどこにいるのだろう?この時間なら掃除も終わり、薔薇の館へと向かっているはずだけど・・・
祐巳が下校してくれたなら良いが、確認しなければならない。私は、自分の身の危険をかえりみず、薔薇の館へと急いだ。



薔薇の館へ着くと、2階から祐巳の笑い声が聞こえてきた。
まだ下校していなかったようね。でも無事でなによりだわ。
私は祐巳を連れ出すべく2階へと上がり、扉を開けた。
「あ、ごきげんよう、お姉さま」
祐巳は椅子に座っていたが、首だけこちらに向けて笑顔を見せてくれた。うふふふふ、相変わらず可愛い笑顔・・・って、そんな場合じゃなかったわね。あら?乃梨子ちゃんもいたのね。私に挨拶も無いなんて、今度シメて・・・いやいや、そんな場合でもないわ。とにかく祐巳を校外に連れ出さないと。
「ごきげんよう、祐巳。校内放送は聞こえていて?」
「あ、はい、すいません。この子も校外に連れて出たほうが良いのかなぁなんて考えていたもので」
「・・・この子?」
言われて気付いたけれど、祐巳の座る姿の向こうに、何やら白い毛皮が・・・

・・・白い毛皮?

「すごい人懐っこい子なんですよー。えっと、グレートピレニーズって言うんでしたっけ?この犬種」

ク!クマ─────ッ!!クマ出た─────ッ!!!

祐巳ったら勘違いして、そんな天然なトコロも好きっ・・・て現実逃避してる場合じゃないわ!く・く・く・く・熊!間違い無く、逃走中の白熊!!
うわどうしたら・・・ああ!祐巳の鼻先10cmに白熊の牙が!小熊とはいえ、地上最大の肉食獣、無駄にごっつい牙が並んでるわ!うわだめやめて祐巳そんなケダモノの頭なでないで!そいつの脚なんてアナタの首より太いじゃない!
落ち着け!落ち着くのよ小笠原祥子。幸い、あのケダモノは祐巳になついてるみたいだから、なんとか祐巳から引き離して、二人で逃げないと!ハワイの別荘あたりまで!・・・って願望と現実がごっちゃになってるわね・・・ホントに落ち着こう。
ふと気付くと、乃梨子ちゃんが何か言いたげに、コチラを見ている。そうか、冷静なこの子の事だから、アレが犬みたいに可愛げのある生き物じゃないって気付いてるのね。
「乃梨子ちゃん、ちょっと」
ケダモノと戯れる祐巳から目を離さず、乃梨子ちゃんを呼ぶ。乃梨子ちゃんは音をたてないように細心の注意をはらいながら、恐る恐るこちらに歩いてくる。
「・・・・・・紅薔薇さま、アレ・・・」
「近隣の動物園から逃げ出したそうよ」
「!・・・じゃあ、やっぱり白熊」
「そう。さっきの校内放送は、生徒を避難させるためのもの。校内にはすでに、動物園のスタッフが捕獲のために展開しているわ」
「・・・どうしましょう?なんとか祐巳さまを白熊から引き離さないと」
「そうね」
祐巳の代わりに乃梨子ちゃんが白熊と戯れといてくれないかしら?そうしたら、その隙に私と祐巳は逃げられるのだけれど。
祐巳はケダモノの首に顔をうずめてウットリしている。祐巳!顔をうずめるなら、私の胸に・・・やめよう、ここは慎重に事を運ばないと、祐巳の命に係わるわ。私の胸に顔をうずめさせる方法は後日考えよう。
「お姉さま」
祐巳が嬉しそうに振り返った。
「お姉さまも撫でてみませんか?この子、すごいフカフカですよ!」
「い、いえ、遠慮しておくわ。私、大きい生き物はちょっと苦手で・・・乃梨子ちゃん、あなたどう?」
私は乃梨子ちゃんの背中を押してやった。良いタイミングだから、祐巳と入れ替わってちょうだい。私達二人の幸せのために。
「!・・・い・い・い・いえ、私も白・・・大型犬はちょっと」
足を踏ん張り、ぶんぶん首を振って拒否された。・・・・・・・・・ちっ!
乃梨子ちゃんが鬼の形相で振り返ってくる。何よ?あなたさえ犠牲になってくれれば祐巳は助かるのよ?
「ごきげんよう」
乃梨子ちゃんと静かににらみ合っていると、志摩子がやってきた。
・・・志摩子でも良いか、身代わり。
「ごきげんよう、お姉さま。校内放送で下校するように言ってたから、早く帰ろう?」
乃梨子ちゃんが素早く志摩子の前に立ち、ケダモノからブロックする。・・・・・・余計な事を。
「あら、祐巳さんその子は?」
「確かグレートピレニーズって言うんだよ。すごい人懐っこいの!・・・そうだ、志摩子さんも撫でてみる?」
ナイスよ祐巳!志摩子がケダモノと戯れてるうちに、二人で逃げましょう!
・・・なによ乃梨子ちゃん、なに祐巳をにらんでるのよ。その「てめぇ何言いだすんだよ!」みたいな顔やめなさい。
「し・し・志摩子さん!早く帰ろう?」
ちっ!あと少しなのに。
「でも、あの子、すごく毛並みが良さそう・・・」
よーし!志摩子、よくってよ!そのままケダモノと戯れてなさい!あなたの事は忘れないわ!・・・あ、まだ死んでないか。
「え?・・・いや、でも・・・・・・」
「私も撫でてみたい・・・」
ふふふふふ。乃梨子ちゃん、困っているわね?お姉さまにオネダリするような顔でそう言われたんじゃ、強くは止められないわよね?ふっふっふっ、行きなさい志摩子。行って見事散りなさい!
「・・・お姉さま」
乃梨子ちゃんが志摩子の手をつかむ。
「どうしたの?乃梨子」
「私、犬ダメなの・・・ 一人にしないで?」
うっ・・・そうきたか、この仏像フェチめ!しかも上目遣いで不安そうな演技までしやがって!アンタそんなキャラじゃないでしょ!
「乃梨子ったら・・・大丈夫よ、私が傍にいるから」
志摩子は嬉しそうに乃梨子の頭を撫で始めてしまった・・・ くっ!あと少しだったのに!
しかし、ホントにどうしよう・・・とりあえず今は、ケダモノがおとなしく祐巳になついているから良いけど、所詮はケダモノ。いつ牙を剥くとも分からないわ。
そう言えば、令達はどうしたのかしら?こんな時に祐巳の身代わりにならずに、いつ役に立つつもりよ!
「令さまと由乃さんなら、剣道部の方達と下校されるのを見ましたわ」
我知らず、少し口に出してしまっていたらしい。志摩子がそう言ってくる。それにしても、自分達だけさっさと安全圏に逃げるとは使えないわね黄薔薇姉妹!
「ごきげんよう、みなさま」
「あ、瞳子ちゃん、ごきげんよう」
新たな身代わり発見!ナイスタイミングだわ瞳子ちゃん。自慢のドリルでケダモノを倒すのよ!もし相打ちに果てたとしても、墓標に祐巳のロザリオを掛けて、祐巳の妹は永久欠番にしといてあげるから、安心して戦いなさい!
「ごきげんよう、祐巳さま・・・?何をして・・・・・・・・・?!」
マズイ、気付いて立ち止まっちゃったわ。
「さ、祥子さま・・・」
祐巳に余計な事言って緊張感高めるんじゃないわよ!私は視線にそう意思を込め、瞳子ちゃんを目で黙らせた。
瞳子ちゃんは、私と祐巳の間でオロオロと視線を迷わせる。ちょっと!挙動不審になるんじゃないわよ!祐巳が気付いちゃうでしょ!祐巳の事が心配なら、とっととその身を差し出しなさい!
「瞳子ちゃん、撫でてみない?この子すっごいフカフカで気持ち良いんだよ!」
「う!・・・いや・・・それは」
「・・・瞳子ちゃんも犬嫌い?」
おー、どうすれば良いか困ってるわね。祐巳に上目遣いで小首をかしげられたら、ムゲには断れないわよね。
「い、いえ、そんな事は・・・」
とたんに祐巳が嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、撫でてあげてよ!この子も喜ぶよ!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・えっと・・・・・・はい」
さすがね祐巳。その笑顔の破壊力はリリアン最強よ。
「ほら、このへん撫でてあげると喜ぶんだよ」
祐巳がケダモノの喉元を撫でる。うわぁ・・・その上に見える太い牙の禍々しいこと・・・
祐巳の言葉に逆らえず、瞳子ちゃんが恐る恐る近付いてゆく。いや実際、たいした根性ね。祐巳のためにあれだけ命をはった行動が出来るなら、祐巳の妹として向かえても良いかも知れないわね。
瞳子ちゃんが、そ〜っと手を出すと、意外にもケダモノは、素直に撫でられるがままにしている。
「ね?フカフカでしょう?」
「そ・そ・そ・そ・そ・そうですわね」
がんばるわね瞳子ちゃん。できれば、そのままアナタにケダモノの注意を引き付けて、祐巳を逃がしてちょうだい。
「あとね、あとね、こうすると気持ち良いの!」
祐巳はやっと同士に巡り合えたせいか、やけに興奮しながら、ケダモノの首に抱きついてみせる。
・・・・・・お願いだから、あまりケダモノを刺激しないでちょうだい、祐巳。
祐巳は瞳子ちゃんに向かって、「ココ!ココ!」とでも言いたげに、自分が抱きついているのとは反対側のケダモノの首を、ポンポンと叩いている。
ん?瞳子ちゃんの表情が変わったような・・・・・・ コラ、ドリル。あんたまさか、ドサクサに紛れて祐巳と接近しようとか考えてるんじゃないでしょうね?いくら顔が近付くからって、妙なマネするんじゃないわよ?!
「それじゃあ、お言葉に甘えて・・・」
む?!やっぱりヨコシマな事考えてるわね?!その振るえ、あきらかにさっきまでの恐怖の振るえとは種類が違うでしょう!何、変な緊張してんだよドリル!!
「ねー?すっごい気持ち良いでしょう」
祐巳がウットリと呟いた。・・・っておいドリル!何ついでに祐巳の手に自分の手を重ねてんのよ!おとなしくケダモノだけに触っときなさいよ!
くっそ〜・・・こんな役得があるんなら、最初に祐巳の誘いを断らなければ良かったわ。まさか、あんなに祐巳と顔を近づけられるなんて思わなかったから・・・
・・・ってコラ!ドリル!!なに祐巳のほうに唇近づけてんのよ!!アンタ本当に良い根性してるわね!自分の生死がかかってるっていうのに!

かぷっ

「・・・へっ?」
マヌケな声を出したのはドリルだった。突然、ケダモノがドリル本体に興味を持ったらしく、ソレを口に含んだのだ。
ナイス、ケダモノ!良くドリルの暴挙を止めてくれたわ!
「あ、コラッ!」

べしっ!!

!!
祐巳ー!!なにケダモノの頭叩いてるのー!!!!!
「ダメでしょう?そんな事しちゃあ。瞳子ちゃん困ってるじゃない。ホラ、放してあげて」
やめて祐巳ー!そのごっつい牙つかまないでー!!
「そうそう、良い子だね。髪の毛食べちゃダメだからね?」
・・・・・・あー、心臓に悪かった。
信じられない事に、ケダモノはおとなしくドリルを吐き出した。祐巳はケダモノの頭を撫でて「良い子だね」なんて言いながら微笑みかけている。
まったく。我が妹ながら、どこまでも信じられない事をしてくれるわね。とりあえず、無事で良かったわ。
今ので、さすがのドリルも固まっている。まあ、これに懲りたら無闇に祐巳へちょっかい出さない事ね。次はケダモノではなく、私が止めるわよ?息の根まで。
「お姉さま」
「何かしら?祐巳」
「この子、連れてかえっちゃダメですか?こんなに人懐っこいから、迷子だと思うんです。最初は校内放送で呼びかけてもらおうかと思ったんですけど、なんか早く下校するようにって放送もあったし、飼い主さん探してる暇も無さそうだし・・・」
祐巳にそう言われ、私は考えてみる。
そうね、このケダモノは祐巳に懐いてるから、うまく行けば校門の所まで連れて行けるわね。おそらく動物園のスタッフは、校内から逃げ出されないように、門を見張っているはずだから、そこで捕獲してもらえば・・・
「わかったわ、祐巳。私の家に電話して、そのケ・・・犬が乗れる車を回してもらうわ。だからもう帰りましょう?」
電話で職員室に白熊発見の連絡を入れれば、より確実に捕獲できるだろう。
私はケダモノを連れた祐巳を伴なって、薔薇の館を後にした。


「お姉さま、そんなにスグに車が来るんですか?」
ケダモノを撫でながら、祐巳が不思議そうに聞いてくる。
「ええ、だから早く校門まで行きましょう」
ちなみにケダモノは、薔薇の館の一階にあったロープを首に繋いでいる。ケダモノは不思議そうにロープを齧っていた。
・・・なんで薔薇の館にロープなんてあったんだろう?ロープに「水野」って名札が着いていたから、私のお姉さまの持ち物だったようだけど・・・ 今度、何に使っていたのか聞いてみようかしら。
もうすぐ校門という所で、動物園のスタッフが数人現れた。ケダモノを逃がさないよう、周りを囲んでいる。
良かった。やっとこの騒動も終わりだ。
「な、何ですかアナタ達!」
祐巳が驚いている。そうね、もう説明しても良いわね。
「祐巳。それは犬じゃなくて・・・」
「解かった!野犬狩りですね!」

『・・・・・・へっ?』

その場にいた祐巳と志摩子以外の全員の声が重なった。
「ゆ、祐巳。そうじゃなくて・・・」
「この子は野犬なんかじゃありません!飼い主さんが見つかるまでは、私が責任を持って面倒を見ます!」
「聞きなさい祐巳。そもそも犬じゃなくて・・・・・・祐巳!」
祐巳はケダモノを連れて駆け出してしまった。校門の外へ。
・・・・・・えーっと・・・・・・・・・いけない!追わなきゃ!
全員が祐巳を追いかけ始めた。(志摩子の手を引いて、その場に残ろうとした乃梨子ちゃんも、私の「志摩子!一緒に祐巳を追いかけて!」の一言で走り出した志摩子のおかげで強制参加)





その後、ケダモノを連れた祐巳を発見するのに2時間かかった。
さらに、あなたがどうやってかオテとオスワリを仕込んだソレは犬じゃないと、祐巳を説得するのに1時間かかった。


私はとりあえず、祐巳をデートに誘う時は、動物園だけは避ける事にした。
何を手なずけるか判らないから。


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